1学期の授業録


使用教科書/『日本史A 現代からの歴史』東京書籍 (東書・日A578)
副教材/『地歴高等地図・最新版』帝国書院 (帝国・地図599)

第1回 Introduction
自己紹介と授業の方針(評価の方法)を発表した。授業は講義形式を基本とするが、中心テーマは昭和戦前の15年戦争であるので、VTR(映画も含めて)をたくさん見たい。
第2回 「誰も憲法の内容をご存じないのだ」@〜大日本帝国憲法と天皇〜
戦前の日本社会を規定していった大日本帝国憲法は、なぜドイツの憲法をモデルにつくられたのか?その制定過程を概観した。
第3回 「誰も憲法の内容をご存じないのだ」A〜大日本帝国憲法と天皇〜
大日本帝国憲法で主権者となった天皇はどのような役割をもっていたのか?また天皇を支えた機関としてどのようなものがあったのか?元老・内大臣・軍部統帥部(参謀総長・軍令部長)などの存在をみると、どうやら戦前の日本政治は憲法を無視して行なわれていたようだ。
第4回 神になった天皇@〜戦前の学校教育〜
天皇が主権者ではあったが、明治維新前後一般の民衆は天皇の存在すら知らなかったようだ。そういう民衆を徹底的に教育しなくては!戦前の教育は、天皇ってのはエライ!、神だ!、天皇のために生きるよう、行なわれたものだった。
第5回 神になった天皇A〜戦前の学校教育〜
文章を読みながら、戦前の学校教育について学ぶ。戦前の小学生は、紀元節などの儀式も、朝礼も、さらには学校に通うのも、気の抜けないものだった。儀式の最中にビー玉を落としてしまった少年はどうなってしまったのか?今の全校集会とはだいぶ様子が違いますね。
第6回 徴兵軍隊どこへゆく@〜アジア侵略の背景〜
戦前の日本では兵役は義務であった。徴兵検査で何をしたのか?文献を読む。そして集められた兵隊は、どこにいったのか?地図への作業をおこなった。
第7回 徴兵軍隊どこへゆくA〜アジア侵略の背景〜
日本人はどのようなアジア観をもっていたのか?福沢諭吉を中心に考える。福沢と言うと「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」ということばで知られるが、実はそのあとが大事。「と言えり」。日清戦争に対し、福沢は明治天皇の海外出陣までも呼びかける。日本の最高額面の紙幣の肖像画は、福沢でいいのだろうか?
第8回 生糸と軍艦@〜戦前の日本経済〜
明治時代に入り、富国強兵・殖産興業・文明開化の道を突き進んできたが、さて、これらに必要なゼニはいったいどこからもってきたの?山本茂実さんの『あぁ 野麦峠』を読む。本当は、映画を見たいのだが、見つからないのです。どなたか知りません?
第9回 生糸と軍艦A〜戦前の日本経済〜
前回に続き、山本茂実さんの『あぁ 野麦峠』を読む。彼女たちがつくった生糸を外国に売って、ゼニを稼いでいた。そしてそれが、軍艦へと変わるのだ。日本は経済的にアメリカに依存し、その依存によって軍事大国として自立していた。
第10回 なかみのないお弁当〜昭和恐慌〜
大正時代から昭和初期にかけて恐慌が相次ぐ。都市では、企業倒産・リストラで失業者が増大。農村では、生糸の輸出が激減したことなどによって農村恐慌が。
第11回 必死の代案〜恐慌からの脱出策〜
資本主義諸国では世界恐慌に陥っていた。それぞれの国ではどのような恐慌克服策が考えられていたのか。日本は不況からの克服をブロック経済圏の形成に求め、対外侵略を肯定する勢力が出てきた。それにしても、こういう方法しかなかったのだろうか?スウェーデンの例を取り上げる。
第12回 満州へ行け!@〜満州事変〜
満州事変のきっかけとなった柳条湖事件を取り扱う。
第13回 満州へ行け!A〜満州事変〜
柳条湖事件に対して、日本政府・昭和天皇はどのように対応したのか?これをきっかけにして、アジア・太平洋地域に戦線が拡大していく。これを15年戦争といっている。
第14回 満州へ行け!B〜満州事変〜
中国残留孤児。なぜ中国に、身元の分からない日本人がいるのか?「満州国」と静岡県との関係を中心にみる。
第15回 満州へ行け!C〜満州事変〜
NHK総合で放送された「プロジェクトX 大地の子、日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇〜」(45分)を見る。中国に残された娘と再開するまでの険しい道のりを紹介。クライマックスの娘と父とが再会するところは、感動的。
第16回 満州へ行け!D〜満州事変〜
残留孤児の肉親探しは難航する。なぜか?遅すぎたのだ。日本にもどった親にはもう別の家庭がある。さあ、みなさんが親ならば、会う?会わない?
第17回 問答無用@〜軍部の台頭〜
満州事変に対して、中国・欧米列強はどのように反応したのか?中国は日本の行動を国際連盟に訴えた。日本はそれに対して、国際連盟から脱退して、国際的に孤立していく。
第18回 問答無用A〜軍部の台頭〜
日本国内では、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件などがおこり、軍部の発言力が増していく。ちょうどそのころ、清水市の興津は日本中の注目を集めていた。最後の元老・西園寺公望がいたからだ。
第19回 新聞も、ラジオも、先生も@〜高まる軍国主義の風潮〜
文献を読みながら、なぜ日本の人びとは熱狂的に満州事変を支持したのか?を考えた。このような民衆の支持が政府の外交方針を変更させたのだ。『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)の中の木村久雄は、民衆の責任についても言及している。

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