3学期の授業録


第44回 「英霊」の死の諸相@〜戦局の転機〜
『図説静岡県史』に載っている静岡県出身兵士の戦没地と戦死者数という資料をみる。彼らは、中国大陸を中心に東南アジア、太平洋各地で死んでいる。戦前、「名誉の戦死」ということが強調された。彼ら一人ひとりは果たして「名誉の戦死」をしたのだろうか?2回にわたり考える。今回は、アジア太平洋戦争の流れをおさえる。1942年6月のミッドウェー海戦をきっかけに日本は敗戦へと転じる。そして1945年2月、近衛文麿は昭和天皇に対し「戦争終結」を直訴するが、天皇はそれを棚上げにする。

静岡県『静岡県史 別編3 図説 静岡県史』、藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)

第45回 「英霊」の死の諸相A〜戦局の転機〜
静岡230連隊も投入されたガダルカナル島での戦いを例に、「名誉の戦死」「靖国の英霊」について考える。ガダルカナル島は「餓島」とも言われ、日本軍の多くが餓死・病死した。アジア太平洋戦争全体をみても、半数を超える人々が餓死・病死した。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである、という研究者もいる。使用したVTRは、「映像記録史・太平洋戦争(後編)」よりサイパン島での戦闘(8分)と次回の授業の関係から沖縄戦(10分)をみた。
藤原彰『餓死した英霊たち』(青木書店)、荒川章二『軍隊と地域』(青木書店)
第46回 (ぬち)どぅ宝@〜沖縄戦〜
2002年の沖縄慰霊の日に、「事件」がおきた。献花をする小泉首相に対し、「有事法制をつくろうとする首相なんて献花するな」との声があがった。麦わら帽子姿の男性はなぜこうした声をあげたのだろうか。かつて沖縄で有事が発生した時、どのような事態がおこったのかを2回にわたり考える。今回は、パネル写真などを見ながら、沖縄戦の流れを概観した。沖縄戦は、1945年8月15日には終わらなかった。

江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)、藤原彰編『沖縄戦〜国土が戦場になったとき』(青木書店)、大田昌秀『写真記録 これが沖縄戦だ』(琉球新報社)、安仁屋政昭・徳武敏夫『母と子でみる 沖縄戦と教科書』(草の根出版会)

第47回 (ぬち)どぅ宝A〜沖縄戦〜
沖縄戦は、本土決戦の準備のための時間稼ぎの戦いであった。そのため、無意味な死も相次いだ。そして日本軍によって殺害されたり、死を強要されたりした沖縄県民もいた。なぜこのようなことがおきたのか。敗戦。敗戦後も、沖縄にはアメリカ軍基地が存在し、さまざまな事件・事故が相次いでいる。しかし、事件・事故をおこした米兵は何の責任をとることもなく、帰国することが多い。1995年9月には米兵による少女暴行事件がおこり、8万5000人もの県民が集まり、抗議集会をひらいた。また、韓国での米兵による交通事故による抗議活動も記憶に新しい。
江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)、藤原彰編『沖縄戦〜国土が戦場になったとき』(青木書店)、大田昌秀『新版 醜い日本人〜日本の沖縄意識〜』(岩波現代文庫)、大田昌秀『写真記録 これが沖縄戦だ』(琉球新報社)、安仁屋政昭・徳武敏夫『母と子でみる 沖縄戦と教科書』(草の根出版会)、早乙女勝元『戦争を語りつぐ〜女たちの証言〜』(岩波新書)
第48回 戦場となった静岡県〜本土空襲〜
日本本土の空襲のようすを探った。特に、1945年6月19日から20日にかけての静岡大空襲の体験談を読んだり、センターが所蔵する体験画を拡大コピーしたものを利用したりした。最後に、なぜ静岡県が空襲の対象となったのかを考えた。静岡県は空襲の被害者であると同時に、加害者であったことを忘れてはならない。

静岡市平和を考える市民の会編『画集 静岡市空襲の記録・街が燃える 人が燃える』、静岡・平和資料館の設立をすすめる市民の会『ドキュメント・静岡の空襲』、静岡平和資料館をつくる会『県下の空襲(1)〜静岡・浜松・沼津・下田・島田〜』、枝村三郎「静岡県の空襲と住民被害〜B29爆撃機による戦略爆撃〜」(『静岡県近代史研究・第26号』)、静岡県地域史教育研究会『静岡県 民衆の歴史を掘る〜人びとの生きたくらしと歩み〜』(静岡新聞社)、早乙女勝元『東京が燃えた日 戦争と中学生』(岩波ジュニア新書)

第49回 アインシュタインの苦悩〜原子爆弾の投下〜
原爆投下はどのような意味をもっていたのかを学んだ。1938年にドイツで核分裂が実証されると、アインシュタインは危機感を抱き、大統領に原爆開発を進言した。そして「マンハッタン・プロジェクト」と呼ばれる巨大計画が始まった。しかし、実際の使用にあたっては、核軍拡競争を憂慮する科学者の意見は排除され、広島・長崎に投下された。アメリカは、原爆を戦争に勝利する手段というだけでなく、戦後世界におけるソ連に対する優位を実現する武器として重要視していたのだ。もうこの時点で、冷戦は始まっていたのだ。

江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、油井大三郎『日米戦争観の相剋【摩擦の深層心理】』(岩波書店)、由井正臣「1940年代の日本―世界制覇の挫折」(『岩波講座日本通史 第19巻 近代4』岩波書店)、吉見義明「沖縄、敗戦前後」(『岩波講座日本通史 第19巻 近代4』岩波書店)

第50回

サダコと折り鶴〜時を超えた生命の伝言〜

原爆の被害は投下直後だけではない。数年後、いや数十年後におこるとも限らない。今回は原爆投下から10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんにスポットをあて、VTRをみた(約25分)。禎子は亡くなる1年前まで、全く問題のない健康状態であった。しかし突如発病し、入院した。そして、お見舞いに千羽鶴をもらったことをきっかけに禎子も鶴を折りはじめた。1000羽折れば病気が治ると信じて折り続けたが、禎子は亡くなってしまった。その後、クラスメイトは「原爆の子の像」建設をよびかけ、広島の平和公園の片隅につくられた。また、禎子の物語は、絵本や映画、演劇などさまざまな形で世界中に広がった。

『広島平和記念資料館企画展・サダコと折り鶴〜時を超えた生命の伝言〜』(広島平和記念資料館)、「NHKスペシャル サダコ・ヒロシマの少女と20世紀」1999年放送

第51回 遅すぎた「聖断」〜戦争終結工作と日本の敗戦〜
アジア・太平洋での激しい戦闘、沖縄戦、全国各地での空襲、そして原爆。多くの人びとが苦しんでいた。しかし、それでもポツダム宣言を受け入れようとしない日本政府。なぜか?それは「国体護持」に不安があったからである。「国体護持」をめぐって、不毛な議論が8月14日まで続く。この間にも、空襲が相次ぎ多くの人が亡くなっていった。そして8月15日、「玉音放送」が流れた。15年にわたる戦争が日本の敗戦という形で終わり、アジアの人びとにとっては解放、独立運動へ動き出す日となった。

江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)、木坂順一郎「太平洋戦争〜戦争終結への道〜」(『歴史でみる日本』2001年度放送)、吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)、油井大三郎・古田元夫『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』(中央公論社)、静岡平和資料館をつくる会『県下の空襲(U)展ガイド』

第52回 戦後日本の出発〜戦後改革〜
長い戦争が終わり、GHQは日本の非軍事化と民主化を進めていくことになった。今回は特に日本国憲法ができるまでの過程を概観した。マッカーサーは幣原首相に日本のしくみを大きく変えるよう指示した。しかし日本の指導者層の頭は戦前が連続していた。そこでGHQを中心に新憲法がまとめられ、日本政府に「押し付けた」。新憲法公布の都民祝賀行事に10万人の人びとが集まり、天皇が現れると、こう繰り返した。「天皇陛下、万歳!」と。国民の頭にもまだ戦前が残っていた。「新憲法、万歳!」「国民主権、万歳!」「平和主義、万歳!」といえる日は来るのであろうか?

木坂順一郎「戦後日本の出発〜戦後改革と朝鮮戦争〜」(『歴史でみる日本』2001年度放送)、安井俊夫『歴史の授業108時間(下)』(地歴社)、藤原彰『体系日本の歴史N 世界の中の日本』(小学館ライブラリー)、浦部法穂・大久保史郎・森英樹『現代憲法講義1〔講義編〕』(法律文化社)、鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(創元社)

第53回 渡辺清の怒り〜戦争責任論V〜
多くの人が命を落とした、長い戦争の責任をだれがとるのか?授業では昭和天皇の戦争責任に焦点を当てて考えた。そして木村久夫はこうもいう。「軍部の行動を許してきた全日本国民にその遠い責任がある」と。木村は現在の私たちに何を語ろうとするのか?「戦争を知らない世代」の戦争責任とは、日本の社会が二度と戦争への道を歩むことを許さないこと、戦争の道を歩みかけようとしていたら、ストップをかけることであり、それは「終わりなき責任」なのである。

江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、家永三郎『戦争責任』(岩波書店)、渡辺清『私の天皇観』(辺境社)、吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)、山田朗『歴史修正主義の克服〜ゆがめられた<戦争論>を問う〜』(高文研)、高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店)、日本戦没学生記念会編『新版・きけわだつみのこえ』(岩波文庫)、安川寿之輔『日本の近代化と戦争責任 わだつみ学徒兵と大学の戦争責任を問う』(明石書店)

第54回 火をふく38度線〜冷戦と日本の再軍備〜
憲法9条で戦争放棄が記されている。しかし、現状はどうもアヤシくなっている。なぜこんなことになってしまったのか?冷戦、特に日本にとっては、お隣での朝鮮戦争が大きな影響を与えた。それまでの非軍事化と民主化をすすめた戦後改革の「行き過ぎ」を是正し、「反共の防波堤」として日本を自立させる方向へと占領政策が転換していった(「逆コース」)。経済面では、朝鮮戦争をきっかけに好景気に転じる。日本は朝鮮半島を「踏み台」にして、高度経済成長時代を迎えた。使用したVTRは『NHKスペシャル・映像の世紀・第8集・恐怖の中の平和』(約10分)である。

文部省『あたらしい憲法のはなし』,藤原彰『体系日本の歴史15 世界の中の日本』(小学館ライブラリー)、小野耕二『新版・日本政治の転換点』(青木書店)、石川真澄『戦後政治史』(岩波新書)

第55回 ヴェトナムの衝撃〜現代の戦争〜
「ベトちゃん・ドクちゃん」、丸坊主の森林。これは一体何だろうか?なぜこんなことがおきたのか?ヴェトナムでの長期間の戦争について概観した。インドシナ戦争、それに続くヴェトナム戦争。ヴェトナム戦争は、超大国アメリカの敗北で終結し、ヴェトナムは統一を果たした。この戦争を終わらせた力は、アメリカ国内での反戦運動である。そして今、イラクへの攻撃が始まろうとしている中で、このとき以上の反戦運動が、世界中で展開している。使用したVTRは『NHKスペシャル・映像の世紀・第9集・ベトナムの衝撃』(約20分)である。

桜井由躬雄「スカルノとホーチミン〜国づくりの苦悩〜」(『歴史でみる世界』2001年度)、藤原彰『体系日本の歴史N 世界の中の日本』(小学館ライブラリー)、立命館大学国際平和ミュージアム『立命館大学国際平和ミュージアム・常設展示詳細解説』

第56回 Imagine〜ジョン・レノンのメッセージ〜
1989年に冷戦が終わると、世界に平和が訪れると思われたが、現実はそれとは逆に向かった。1991年には湾岸戦争がおこる。2001年9月11日にはアメリカで同時多発テロ事件がおこり、「報復」のためにアメリカはアフガニスタンを攻撃した。こういった紛争の後に、しばらくすると、いろいろな真実が明らかとなる。ここでは劣化ウラン弾について写真を紹介した。さて現在、アメリカはイラク攻撃に向けて全力を注いでいる。そのなかでヴェトナム反戦運動以上の反戦運動が世界中で展開している。ジョン・レノンの「Imagine」はヴェトナム戦争の時代につくられたが、今も歌い継がれる。彼は何を訴えかけるのか。そして、アジア太平洋戦争の経験を経て生まれた日本国憲法をもつ日本は、今、何をすべきであろうか?

森住卓『イラク 湾岸戦争の子どもたち 劣化ウラン弾は何をもたらしたか』(高文研)、豊田直巳『写真集 イラクの子供たち』(第三書館)、藤原帰一『デモクラシーの帝国〜アメリカ・戦争・現代世界〜』(岩波新書)

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