これが先代の掛塚まつり屋台 (広報りゅうよう 255号 1989年9月発行の記事より)

言い伝え通りの「2階造り」 今も、雄踏町で活躍

「昔の掛塚の屋台は2階だった」の言い伝えを証明する記録が、このほど、雄踏町で発見されました。
秋祭りも間近。記録によれば・・・。


明治5年頃、二俣町(現天竜市)に売り渡された本町の屋台が、明治24年、二俣から宇布見村(現浜名郡雄踏町)へ売却されたという記録が雄踏町で見つかったのです。
売却された理由は、2階造りで重く、曳き歩くのがたいへんだからと言われるほどに重厚で立派な屋台です。
当時の宇布見村(現雄踏町)では、二俣から屋台を運ぶために男衆を総動員、舟で中野町まで運ばれた屋台を、大八車や天秤棒で担いだり、台車は曳いたりして運んだとか。
雄踏町の息神社の祭典に曳き廻されるこの屋台は、領家地区の所有で、毎年10月第2土・日曜日が例大祭日です。

【戻る】