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予告 「旧東海道夫婦旅」   平成13年1月1日


 平成7年から8年の足掛け2年かけて、静岡県の旧東海道22宿プラス姫街道2宿を、職場の先輩達と休日を利用して歩いた。その記録は「東海道五十三次ウォーク」 としてまとめた。続いて日本橋から箱根、および二川から京都までを歩いて、旧東海道を完歩することが宿題として残った。再開しようと、平成10年4月11日、一人で日本橋から川崎まで歩いた。しかし一人旅は寂しくその先には進まなかった。

 昨年秋、旧東海道の完歩を話題にしたところ、近頃、近所の主婦と朝歩いている女房が一緒に歩こうと言う。もちろん否応なく、ここに旧東海道の完歩を目指す新しいチームが出来た。そして20世紀中にスタートしようと、第一回を平成12年12月3日スタートした。一度歩いたコースではあるが、スタートはもちろん日本橋からである。
 記録はホームページで公開しようと思う。題して「旧東海道夫婦旅」。道草が多くなり、ペースはスローになるが、のんびり行こう。街道沿いの“巨木巡礼”もおこたりないことは言うまでもない。“巨木”は街道風景の数少ないなごりであるのだから。
 ゴールはいつになることか分からないが、夫婦共に元気であれば、21世紀中には京都の三条大橋に着けるだろう。
 「旧東海道夫婦旅」の第一回の公開は1月半ば頃になると思う。


写真は出発点の日本橋(左)と高輪大木戸跡(右)。




訃報 「智満寺の大イチョウ」   平成12年7月1日


 静岡新聞7月1日朝刊に次のような記事が載った。
 「島田智満寺の県天然記念物 大イチョウが倒木」という見出しで、「三十日午後四時十分ごろ、島田市千葉、智満寺(北川靖豊住職)境内の県指定の天然記念物の大イチョウが根元から倒れた。北川住職によると同日の昼前から傾き始め、根の切れる鈍い音がしたことから参拝客を通行止めにしていたところ、幹回り七メートル、高さ三十メートルの大木が根の部分から倒れたという。倒木によるけが人はない。島田市博物館文化財係、ここ数日来の雨と風で木に負担がかかったことが原因とみている。大イチョウは推定樹齢三百年という老木で昭和三十一年に県の天然記念物に指定された。樹芯(しん)は朽ちていたが、枝ぶりは良かったという。」
 記事を見て、なじみの巨木であったのでびっくりして、その日の午後、梅雨の晴れ間の暑い中を「智満寺の大イチョウ」 の最後の姿を見届けようと智満寺に女房と出かけた。
 無残な姿であった。しかし、イチョウは人を傷付ける事もなく、すぐ手前の庫裏の門も壊さず、向こう側の庭園を壊すこともなく、庫裏へ通じる通路も塞ぐこともなく、通路を隔てた谷側へ計ったように落ちてていた。イチョウに意志があるとするならば、最も被害の少ない方へその巨体を投げ打ったように見えた。見事な大往生であった。
 まだ倒壊から二十四時間経っておらず、折れた枝にギンナンが緑白色も鮮やかに残っていて、はかなさを覚えた。延命策もあったのかもしれないが、イチョウとしては天寿をまっとうしたのだろうから、これも致し方なしとしなければならない。残った根をみるとこの巨体がいかに危うい状態でいたのかということが察しられる。小さなヒコバエが一本残っていた。
 誰が供えたのか、御神酒が供えられていた。女房がそばの小さな賽銭箱に小銭を入れた。三々五々参拝者がやってきて、大イチョウを惜しんでいる。専門家らしき人も来て、根の少なさや葉の小ささに注目して納得している風であった。合掌。  
在りし日の「智満寺の大イチョウ」




お世話になりました  平成12年1月23日
















     『木の根橋』で記念写真
 1999年一年間の巨木巡礼の中で各地でいろいろな方にお世話になった。今でも印象深く思い起こす方を挙げてみよう。
 6月20日、愛知県作手村の山中にケヤキを見に行った折り、残念ながらケヤキは何年か前に伐採されていたのだが、ケヤキの持ち主だったO氏のお宅に事情を聞きにうかがうと応接に招き上げられ、コーヒーをいただきながら家族みんなで応対してくれた。伐採に至った理由や伐採時のにぎやかな様子など、写真を交えて当時の思い出話を聞き、帰りにはそのケヤキの断材を土産に持って行けと言うのを丁重に断り、おじいさんにアジサイの花をいただいて帰った。またぜひ夏休みに遊びにおいでと誘っていただき、数時間前には全くの他人であったのに、故郷がもう一つ出来たようで大変うれしく思った。正月に年賀状を送ったところ、返事にアジサイを持たせてくれたおじいさんが体調を壊して入院されていると聞いた。早くよくなって退院されることを祈っている。
 8月13日、兵庫県柏原町の『木の根橋』を見に行った折り、資料を貰うため隣りの柏原町役場に立ち寄ったところ、聞きつけた青年が追いかけてきて、「役場の『木の根橋』の担当です」と名乗り、改めて『木の根橋』を案内してくれた。樹木医に頼んだ『木の根橋』の保護の話や、この『木の根橋』の保護がきっかけで、昭和63年秋、柏原町で「第一回巨木を語ろう全国フォーラム」が開催され、以後処を変えて毎年このフォーラムは開催されるようになった話など、詳しく説明していただいた。終わりには『木の根橋』を背景に、我々夫婦の写真を撮ってくれたり、見ず知らずのけったいな夫婦に大変親切にしていただき、良い旅の思い出になった。
 10月11日、愛知県弥富町にクスノキを見に行ったとき、薬師寺の本堂前で休んでいると、頭を丸めた庵主さんがお茶を出してくれた。なんと地元の銘菓付である。秀吉がこのクスノキに舟をつないだというクスノキの話を聞き、「あいちの古木」という本にこのクスノキが紹介されていると言って、その本を持ってきて見せてくれた。また近くに「おみよしの松」という名木があるから見て帰ることを勧められた。帰りに小額のお供えを包んだところ、トウガンのお土産までいただいた。
 巨木巡礼をしていて、各地で地元の方の親切を受けることが本当に多い。巨木を見て回っているのだというと、おおむね地元の自慢話が多いのだが、10年来の友人のように打ち解けて話をしてくれる。損得勘定のない関係がそうさせているのであろう。貨幣経済がまだ発達していなかった昔、日本の庶民はどんな旅人に対しても、こんなふうに応対していたのだと思う。


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