ホームページへ





 日 時  平成4年9月13日(日)〜15日(火)
 天 候  晴れたり曇ったり、時々雨、海洋性の気候





9月14日 -縄文杉−


 『民宿おふくろ』の朝、起きて見ると東の空は朝焼けで雲は多いが雨は降っていなかった。ところが、食事をする間に陽性の雨が降り始め、地面がみるみる濡れ始める。幸先悪しと思うが、通り雨だと信じて出発する。
 荒川林道の終点、ダムから少し下った所から軌道がスタートしていた。幸い雨は上がった。いきなり鉄橋で、線路の間の板の上を歩く。手すりも無く恐ろしい。すぐに真っ暗なトンネルになりライトを持参するべきだったかと思うが、トンネルは一つだけだった。人の歩く事を予定して枕木の間に土が入れてあるものの、枕木が高い部分も多く、歩幅を合わすに大変気を使う。間もなく小雨になり折り畳み傘を差す。自然、足元に視線を落として歩くことになる。周りの景色はほとんど見ないで歩いた。
 昨日の紀元杉の中年夫婦を追い越して、怖い橋を渡り、小杉谷の集落跡に出る。屋久杉の切り出しが最盛時には 500人以上の人口があったという。橋を渡った右手の広場は学校の運動場だったようだ。今はキャンプ場になっている。コンクリートの基礎が残っている傍らの水場で喉を潤す。
 軌道端に『生命の砂 一握り運動』と看板がある。長年風雨にさらされ根が剥き出しになった縄文杉に、砂を持って登ろうと呼び掛けの文句があり、ビニール袋と砂が準備されている。早速、砂を詰めサブザックに入れた。
 気動車のエンジン音が聞こえ、橋の向こうに作業者を乗せたトロッコがやって来て、橋を渡らず川沿いに奥へ入って行った。屋久島の山は現在はほとんどが保存林となり、営林署では一部の山の倒木や伐採後の根を掘り出しているだけというが、橋を渡ったこちら側は、そのまま残す森になっているらしく、軌道は今では使われていないようだ。
 紀元杉の中年夫婦には小杉谷集落で追い越され、再度追越し、三代杉で追い越された。また、途中で色の黒い丸々太った金時山の金時娘のような単独行の女性を追い抜いたが、それも三代杉で追い抜かれた。この辺りから軌道に板が敷かれ歩きやすくなった。けれども、狭い板を踏み外さないように却って気を使わねばならない。軌道が通行止めになり、左の登山道に入る標識がある所で、紀元杉の夫婦と金時娘が思案している。地図を出してみるが、まだ『大株歩道』では無さそうだ。そこへ登山者のパーティが下りて来て「近道だったんだ」と話す。その道を登るとまた軌道に出た。本来の軌道はずっと奥まで入って登りながら向きを変えこちらに戻って来ているようだ。軌道を今度は反対方向へ歩き出した。



三代杉
 3代の杉が次々に積み重る。縄文杉もこの繰り返しで出来たとの説もある。



仁王杉
 登山道より少し離れた所にあり、木の陰でよく見えなかった。


 途中倒木が線路を塞いでいたり、屋久島猿に行く手を邪魔されたりしたが、おばあさんと孫を抜き、雨足が繁くなった大株歩道入口に着いた。合羽の上だけを着て、雨の中で休む紀元杉の夫婦とおばあさんと孫を残し、先に登った金時娘に続く。



翁杉
 暗い雨の中に翁杉はいた。苔蒸して翁の名に相応しく、深山に眠るが如く立つ。


 ウィルソン株には意外に早く着く。金時娘と紀元杉の夫婦も間もなく追いつく。森の奥で動物の鳴き声がする。屋久鹿かもしれない。紀元杉の夫婦は途中屋久鹿を見たと話す。お互いに写真を撮り合ったりして、まず金時娘が出発して行く。ここまでにして引き返そうかと相談している紀元杉の夫婦を残して出発する。おばあさんと孫もおそらくここまでだろうと話しながら登る。雨はほぼ止んだので、合羽の上着を脱いでサブザックを覆う。登山道を埋め尽くして伸びる木の根を伝うように急坂を登る。



ウィルソン株
 切り残された根株の中は空洞になっている。洞の入口に鳥居がある。洞の中には畳が18畳引ける程の広さがあり、清水が昏々と湧き出ている。天井にはぽっかりと穴が空き、周囲を取り囲んで真っ直ぐに延びる樹齢数百年の杉が穴から見える。洞の中に祠があり、賽銭が沢山上がっていた。
 『大正3年、米の植物学者のウィルソンにより世に紹介された。 1,586年、楠川の牧五郎七らが櫓を組み斧で倒したと伝えられる。(立札より)』



 様々な巨木が入り交じった深い森の中を、小さい沢に降りたり登ったりを繰り返し、漸く登山道脇の大王杉に達した。先を行く金時娘とは付かず離れずで歩いた。






大王杉
 この杉を『大王』と名付けたから、縄文杉にはこれより偉い名前が付けられなかったのであろう。風格は縄文杉に次ぐものがある。しかし内部は空洞化している。






夫婦杉
 登山道より下、少し離れた所に夫婦杉は並んでいた。3〜4mの間を開けて立った大小2本の屋久杉が、幹の中程で夫婦の絆のように太い枝(寄生木?)でしっかりと繋がれている。


 旅の最後を飾り縄文杉が忽然と現れた。縄文杉に逢いたくて屋久島へ来て、一時は時間的にここまで来るのは無理かと諦めかけて、しかし雨と足元の悪さにもめげずやっと辿りつけた。我々のそんな思いとは関係なく、縄文杉は7千年以上前からここに立っていた。我々の人生さえ縄文杉にとってはほんの刹那に過ぎないのである。木の肌に手を当て、耳をあて全身で木を感じてみる。 7,200年の命、そのとてつもない長さに感動が沸き上がって来る。はるばるやって来て良かったと思う。早速根元近くに運んだ砂を撒いた。ここには10数人の登山者がいて賑やかだった。縄文杉の根元近くで昼食のお弁当を食べる。おむすび3つに飛魚の焼きもの、卵焼きなど。『民宿おふくろ』製の弁当である。金時娘は同時位に着いて食事後先に下って行った。紀元杉の夫婦は結局来なかった。



縄文杉
 太くしっかりと立ち上がった様は、朴訥にしかも力強く、古墳時代の埴輪の武人のように見える。斜面の空間に木肌が輝いて見え、木が弱っているとの立て札が白々しく見えるほど、圧倒的な力を感じる。表の若々しさに比べ、裏側は苔蒸し寄生木に蝕まれて古色蒼然といった様で、対照的で面白い。
 『昭和41年になってようやく世に知られるようになった。現在知られている杉の内で一番太い。登山者の踏み付けと長年の風雨により根が露出し、枯死の危機にさらされ、現在その保護対策を実施している。(立札より)』








このページに関するご意見・ご感想は:
kinoshita@mail.wbs.ne.jp