エジプトエッセイ 1990年12月

(ブログより転載)


■ 女の体臭


子寮の部屋で。パジャマ姿の女子大生!


学生のとき、私はエジプトのアシュ
ート大学に「短期留学」したことがある。

「留学」という名目になってるから留学なんだろうが、実際はアラビア語の学生の必修科目の「現地研修」の3週間のうち、たった5日間、提携校の女子寮に居候しただけだ。

われわれの乗ったバスが大学構内の女子寮の前到着し、スーツケースを引きずってその建物の中に入った瞬間・・・

<<なんじゃこりゃぁっ!!!!>>

まず、ツーンと刺激臭が!
だが、その臭い、建物全体に染み込んでいるのだ。

少し頭が痛くなりそうな・・・不快な臭い、最初はなんの匂いなのかわからなかったが、やがて、押し寄せててくるエジプト人女子学生の肉弾!
すげぇすげぇすげぇ!!!

大きな目でギョロギョロ私たちの顔を見る。もみくちゃにされそうな勢いで、顔を触る、髪を触る、腕をつかむ・・・。

そして、わかった。匂いの正体が。
ちょっとすっぱい? 羊の脂の匂い?いや・・・
体臭だ。
強烈なワキガの匂い。

なにせ、同世代。若い!若いのだ〜。
体臭だってキツイのだ〜〜〜!!!

われわれの寮生活はこの匂いを全身で受け入れることから始まった。

トイレに行けばまた違う匂いが・・・紙は流さずにゴミ箱なのだ。

とにかく私たちの行動、持ち物、服装、髪型、すべてがマークされている。トイレだって「この子たち、どうやっておしっこするんだろ?」てな勢いでじと〜〜〜っと注目され続ける。注目だけならいいのだが、ガンガン話し掛けられて、ちょいと答えると、彼女たちの居室に拉致されて質問攻めに合う。

食事は大学の食堂。モロにエジプト料理。
口に合う合わないは関係ない。ちょうどオレンジの実るシーズンで、必ずデザートにはオレンジが出た。体調が悪ければ食べられるのはオレンジだけ。
たちまち寮の大部屋にはオレンジのタワーができた。

寮生活のストレスもハンパじゃない。次々と仲間たちがダウン。熱を出した。私も熱を出してダウンした。 

それでも短くも思い出深く、楽しかった寮生活を終える頃、私たちの体から、間違いなくあの、羊臭い・・・
あの臭いが発せられていた。




■ エジプト人はアラブ人じゃなくてエジプト人なのだ〜!


カイロのマクハー(喫茶店)でシーシャ(水タバコ)に興ずる人々


掲示板にこんな質問がありました。

各国一言コメントのエジプトのところに、「エジプト人はアラブ人じゃなくてエジプト人だ」とありますが、これはどういう意味ですか?ヌビアンが...とかいうことじゃないですよね?」

おっし。こうなったらこの禁断ネタに触れてみようじゃね〜か!


体の芯からアラブ好きな私。
エジプトには大学の研修旅行で行ったのだが、それから10年間は「二度と行きたくない!」と決してあの国には近づかなかった。

濃いんだよ〜〜〜〜〜!!!!!

エジプト人。

濃いのは顔と眉毛と体臭だけじゃないのだ。
とにかくコテコテで無駄に明るくて、脳みそが「冗談」でできてる。どこまでも冗談。

冗談じゃねぇ・・・。

アラブ人というのはイスラム教という同じ宗教のもと、どこの国に行ってもある程度統一した考え方や道徳観念、行動パターンを持っているため、慣れてしまえばどんな国にいようと非常に居心地がいいものだ。
明るくていつでもオープンハート。誰でも大歓迎で客人をもてなしてくれる、ロマンティック大好きであったかいアラブ人。
多少強引さはあっても感情・・・心を大切にするからこちらの気持ちを汲んでくれるところがいいところ。

もちろんエジプト人だってそうだ。

無駄に明るくていつでも心は開きっぱなし。つか全員開きっぱなしだと巨大な穴があいてるようなもので、他人の心にズケズケ土足で上がりこみ、
「お前のココロは俺のココロ。そうだろ?ステキだろ?」
ってなイキオイ。
このイキオイは言葉だけじゃなくてスキンタッチにも及ぶ。挨拶するときは必ず相手の腕をつかみ、写真をとろうと言えば必ず肩にべっとりと手を回し、ついでにシャツの首から中に手を入れてくるのは朝飯前。同じ女性のエジプト人ならなおさらだ。髪も顔も体ももみくちゃにされまくるだろう。
すべてはサディーキー!(亜語・友達)なのだよマアレイシュ。(亜語・気にするな)

旅人!?そりゃもう大歓迎よ。その大歓迎っぷりって言ったら・・・。そしてロマンティックは宇宙を越えて妄想のブラックホールへと・・・。

エジプト以外でエジプト人に会うと、すぐにわかる。
話の仕方、冗談連発、オーバーなアクション、大きな声。
「アンタミスリーヤ?(あなたエジプト人?)」
と聞くと大喜び!
「お〜!どうしてわかるんだ〜!?」

・・・・すぐわかるっちゅーに。


だけど私はエジプト人が好きだ!

卒業後、多くのイスラム国を渡り歩いている間にどんどん自分がエジプト人化していくのがわかった。

エチオピアの帰りに12年ぶりに訪れたカイロはまるで我が家のようだった。

エジプト人の冗談に即突っ込み入れられる。嬉々として!
相手がボケて突っ込んで・・・最後にはちゃんとオチがつくんだから我ながらすばらしい。


おっと、冒頭の質問に戻ろう。

「エジプト人はアラブ人じゃない!エジプト人だ!くれぐれも誤解しないように!!!」

エジプトは人気観光地である。必然的に「マイ・ファーストアラブ」または「マイ・オンリーワン・アラブ」となることが多い。

だがしかし。
エジプト人に接して「アラブ人とはかくあるもの」と思うなかれ。
隣のヨルダン人に比べたら10倍はコテコテで強烈だ。のこのこに比べたら・・・ええい、5倍じゃ〜〜〜!!

だが、エジプト人にも弱点はある。
私はエジプト人に負けはしない。 (インド人には負けるけど)

ちなみに、アスワンあたりでヌビア人(スーダンとの国境付近に住んでいる真っ黒い肌の民族。)と接すると、その根暗さにいたたまれない気分になる。

え? 静かなヌビア人に会うとホッとする?

ほっとけ。(ふんっ)






■ 戦争に行く青年の話


ナイル川 ルクソール

子ブッシュが石油屋武器屋のブッシュ一族の金儲けの為に勝手に始めたイラク戦争。

今日はとうとう千夜一夜の都、バクダッドがボコボコに壊された。バカバカしいほど鮮明に一部始終が撮影されている戦争の実況中継を見るにつけ、なんともむなしい気分になる。

ちょっとせつない話をしようか。

時は1990年12月。
私は大学の研修旅行でエジプトにいた。

私は一人、ナイル河のほとりの青々とした畑の畦道を散歩していた。
エジプトの田舎の典型的な風景。
空は青く、ナイルは悠々と流れ、光あふれる静かな昼下がり。

私は一人の青年に声をかけられた。
青年の隣に座り、ナイルを眺めながら話をする。

「僕は戦争に行くんだ。」

青年は胸のポケットから黄色い紙を取り出して私に見せた。

「これをもらったから戦争に行かなくてはいけないんだ。」

召集令状である。
何も言えない私にかまわず、青年はぽつぽつと語り続ける。

「アメリカが悪いわけじゃない。イラクが悪いわけじゃない。悪いのはサダム一人なんだ。」

そう言って青年はせつない顔を隠すように、両手でゆっくり顔を撫で下ろした。

このとき隣に座った青年のシャツ越しに見た畑の緑と空の青のコントラストが忘れられない。

私がエジプトから帰国して3週間。
湾岸戦争が始まった。

それまで常にアラブのリーダーとしてその責任と役割を果たしていたエジプトは、この戦争の後、周辺国の紛争に積極的に関わることなく自国の防衛と発展に努めている。

<湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)>
1990年8月のイラク軍によるクウェートに侵攻、占領に対し 国連決議の下、アメリカ、サウジアラビア、イギリス、エジプト、シリア、フランス等で構成される多国籍軍50万人を編成し、翌1月開戦。日本政府は多国籍軍へ総額130億ドルの資金協力と経済援助をした。




■ カイロのラマダーン

カイロ イスラム地区

イスラム教徒のカイロ在住の日本人の方が、体験したラマダーンの様子をレポートしてくださいました。 ご紹介します。(2003年2月)

今年初めてイスラム教徒として断食月を過ごしました。断食といっても、早朝の礼拝(05:00ごろ)から夕方の礼拝(17:00ごろ)まで、飲み物、食べ物、タバコ等を一切断つというもので、時間だけ見たら1日のうちたった12時間、ですが食べ物はまだ良いとしても飲み物が飲めないというのは結構つらいものです。おまけに私はスモーカー。厳しかったです。

ラマダン中は、ただでさえゆるやかでいい加減なエジプト人の動きが輪をかけて遅くなります。おまけに、彼らの感情の起伏が100倍ぐらい激しくなります。
たとえば官公庁。エジプトの役人は仕事をしなくて有名ですが、この時期はさらに、お腹がすいて、タバコがすえなくていらいらしているため、通常なら1日で済む仕事を2日、3日かけたり、何も悪いことをしていない一般人が窓口で怒鳴られたりと大変です。
そして、交通渋滞も半端ではありません。特に、断食があける17:00に近い時間帯、15:00から16:30あたり、は、ご飯を食べるために多くの人々が急いで家路につくため、車よりも歩いたほうが早いくらいです。当然ここでもドライバー達のイライラ大爆発で、道々けんかが絶えません。

とはいえ、エジプト人にとって断食月はお祭りで、多くの人々がこの月のやってくるのを楽しみにしています。夕方の礼拝とともに断食があけ、家族そろって、時には親戚一同集まって食事をするのを心待ちにしているからです。お祭りだけあって、様々な催し、たとえば、コンサートやモスクでのお説教などが、モスクなどで多数開かれます。私もいくつか出かけてみましたが、どこも大変な賑わいでした。

興味深かったのは、この月に限りすべてのモスクで「慈悲の食卓」(アラビア語で マーイダトゥ・ラフマーン)と呼ばれる慈善事業が行われることです。それぞれのモスク周辺に住むお金に余裕のある人たちが出資して、食事を用意し、貧しい人たち、または忙しくて家に帰って食事を取ることができない人たちに無料で分け与えるというものです。といっても行けば誰でももらえるということだったので、私も行ってみました。入り口で奪い合う人々を横目に見ながら手に入れた食事は、それはきちんとしたもので、味も美味しい。多いところでは1000食ほど用意しているとのことです。 


エジプトのムスリム女性

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