小泉参拝とA級戦犯合祀の問題
★8月13日と8月15日の違い 「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げるのは政治家として当然。まして、首相に就任したら8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと、必ず参拝する」 頑なまでの態度でそう言明していた小泉首相が、中国・韓国の強硬な批判に配慮して、あるいは事勿れな方向に回避して、終戦記念日は8月15日の2日前、8月13日に靖国神社に公式℃Q拝した。終戦記念日の参拝を他の日にずらすことによって、参拝に関わる内閣総理大臣たる自らの意志・自らの思想の正当化を図ろうとするのは、南京大虐殺の犠牲者の数が科学的根拠に基づいたはっきりしたものではないからと言って、その事実の矮小化を図ろうとすることと同次元の巧妙な誤魔化しでしかない。 8月15日以降ではなく、以前としたことに、小泉首相の靖国参拝正当化への執念と同時に、中国・韓国に対する見くびりを内心に隠した反撥と開き直りを看取することができる。
★日本という国家の内容 「尊い命を犠牲に日本のために戦った」――これは兵士の側からしたら一面的には事実ではあるが、国の側から見た場合はフィクションに過ぎない。その分岐点はどのような「日本」だったと言うのかによって決定つけられる。兵士一人一人の「命」を、国民一人一人の持つ「命」を「尊い」ものとして扱った「日本」だったと言うのか。鉄砲の弾として、砲弾の身代わりとして扱ったのではなかったか。国民を国家の犠牲者として扱ったのではなかったか。 侵略地の市民の「命」を、敵国捕虜の「命」を、被強制連行者の命を「尊い」ものとして扱ったと言うのか。それは自国民の「命」を軽視する国家権力者は他国民の「命」も軽視する慣習的一貫性、あるいは人間性における整合性からのものではないか。個人レベルで言えば、日本の兵士・国民が自らの「命」を「尊い」ものとして扱われなかった習性の反映としてあった他国民に対する、ときには自国民に対しても侵した「命」の軽視ではなかったか。いわば命の軽視に慣らされた人間が、他者の命をも軽視する人間性に関わる学習の系譜を引き継いだに過ぎない。命を尊いものとして扱われた人間が、自分以外の命を軽視することはまずあり得ないし、そうすることはあまりにも矛盾と身勝手を犯すものだろう。 兵士は「尊い命を犠牲に日本のために戦った」と思い信じてはいても、日本の他国侵略のために「命」を粗末に戦ったに過ぎない。その事実を直視しなければ、あるいはそれを事実としなければ、戦争肯定の呪縛から、少なくとも止むを得ない選択だったとする意識から免れることはできない。そのような呪縛・意識はひとえに日本優越民族意識と固く結びついている。優越民族たる日本人が侵略戦争などという過ちを犯したなら、その優越性を自ら否定することになるからである。あるいはその優越性にほころびが生じるからである。 優越性保持の一大陰謀が、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判のA級戦犯を昭和殉難者と奉った1978年の合祀である。いわば戦争犯罪はなかったこととして、英霊なる神として復権させたのだ。そのことは殉難者≠ニいう言葉が証明している。国家の難のために殉じた(一身を犠牲にした)者と言うわけなのだ。さらに言えば、英雄としても、英霊なる神としても、そのように扱われるに最もふさわしい存在だと言うわけなのだ。殉難者≠ネる言葉に、国を誤らせたというニュアンスは毛ほどもない。当然、侵略戦争遂行に決定的な役割を果たした戦争指導者の否定すべき重要な1人だと言う意味合いはどこからも探すことはできない。
★事実と宗教観の間 小泉首相はこうも言っている。「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けている」 死ねば神様になる、「仏様になる」は、そのような認識が例え日本国民に共通のものとしてあるもので、生前の罪は許されるものだとしても、単なる宗教観であって、その人間がどのように生き、どう他人と関わったか、何をなし、それが正しい選択だったかといった事実を消しゴムで消すように消すことができるわけのものではない。ましてや国家の指導者として戦争に関わったのである。どうように政策決定に関わったか、戦争をどう指揮したのか、その際国民をどう扱ったのか、いわば宗教観とは別個に、諸々の役割と関わりを科学的な実証的態度で事実を事実として記録し、記憶することで日本のその時代の歴史のページとしなければならないはずである。例え「死刑という、現世で刑罰を受けている」としてもである。日本という国の歴史に、それが国家的汚点を記すものだとしてもである。
★A級戦犯と一般国民の差 中国は、A級戦犯が合祀されていることを理由に靖国参拝に反対している。自民党は橋本派の野中広務元幹事長は、「『戦争に駆り立てた人と駆り立てられた人が同じ社に祀られていることに、20世紀の一つの整理をしておかなければならない』」と「訪問先の中国・敦厚で靖国神社が抱える問題を改めて語った」(01.8.4「朝日」朝刊)そうだが、「96年7月」に当時の橋本首相が「公私を明確にしないで靖国を参拝したが、中韓から批判され、翌年は『この仕事に私人というものはないということを知った』と述べて参拝を見送った」(01.8.13「朝日」朝刊)時点で野中氏はそのような認識を持つべきだったはずである。85年に当時の中曽根康弘首相が公式参拝して「中国・韓国などで抗議運動が起こり、翌年からは見送られた」(同)前科の轍を踏んでいるのである。そのような認識を持たなかったのだから、えせハト派の野中氏がハト派を装うために分祀の政策を自己アピールの方便とすると同時に、聖域なき構造改革を掲げる小泉首相への牽制球の意味合いもあったのだろう。 A級戦犯と一般兵士はどのくらいの違いがあるのだろうか。「戦争に駆り立てた人と駆り立てられた人」にどのくらいの違いがあるのだろうか。 古参兵が軍隊というところは甘い所ではないということと、俺はお前たちの上官だということを知らしめるために新兵に陰湿ないじめを行なう。新兵が古参兵になると、次の新兵に同じ陰湿ないじめを伝統として繰返す。いわば自分の置かれた立場に応じて、いじめ・いじめられの役割をそれぞれに演じた。 新聞はセンセーショナルな記事で国民の戦争意欲と敵国に対する敵意を煽り立てたばかりか、ありもしない軍国美談を捏造してまで、国家権力の一歩先を行く戦意高揚を自らの役割とした。映画会社は戦争美化の映画をつくり上げ、レコード会社は戦争鼓舞の勇ましい軍歌をつくって、流行歌手に歌わせ、学校教師は生徒に、お国のために役立つ人間となれ、天皇陛下のために捧げるための命だと吹き込むことを自らの役割とした。大衆小説家は国民にヒーローの如くありたいと思わせる戦争小説を世に発表することを自らの役割とした。 国民の殆どすべてが戦争遂行に積極的で熱心な共犯者だったのである。少なくとも精神的には。あるいは態度の上では。これらも一つに時代の国民の存在様式として歴史の1ページとして記録し、記憶しておかなければならないだろう。 国民がそれぞれに演じた役割が戦争犯罪として断罪されるまでに至らなかったのは、単にそれぞれに抱えた立場上の制約からに過ぎないだろう。言い換えるなら、自分が置かれた立場に救われただけのことで、それを違えたなら、誰もが立派なA級戦犯になり得ただろう。いわば実際上のA級戦犯でなかったとしても、兵士だけではなく、一般国民にしても、常に隠れA級戦犯、あるいはA級戦犯予備軍だったのである。 それを戦没兵士の場合は英霊と言う名の神として祀る。英霊の「英」は、「優れている」という意味を持つ。「優れた魂」というわけである。いくら死んだら神になるとしても、常に隠れA級戦犯、あるいはA級戦犯予備軍だった兵士がそのような扱いを受けるのは許されるだろうか。許されるとしたなら、立場上の違いが生じせしめたに過ぎない実際上のA級戦犯も英霊として祀られることに何の不都合があるだろうか。 「死んだら、英霊として靖国に祀られる」――それが許されたのは戦前の天皇が現人神の時代だったはずである。八紘一宇・大東亜共栄圏をスローガンに国民を他国侵略に駆り立てる動機付けの一つだったはずである。いわば敗戦と同時に抹殺すべき、1945年8月15日以降は終止符を打つべき思想のはずである。現人神とされていた天皇がタダの人間に過ぎないと人間宣言したのと同列にである。 あるいは、「二度と戦争を起こさない。平和の誓いを新たにする」と言うなら、それは天皇主義・国家主義への訣別を意味するもので、天皇主義・国家主義に命を吹き込まれた英霊≠ネる思想にも訣別して然るべきである。それを今もって 英霊≠ネる名称にこだわっている。それは天皇主義・国家主義へのつながりを断ちきれないでいるからだろう。 言い換えるなら、英霊≠ニいう言葉自体に本来的に戦争肯定・戦争美化の意識を含んでいるのに、天皇主義・国家主義に訣別したはずの戦後の現在でも英霊≠ネる言葉に命を与えているのである。そうである以上、例え小泉首相が「あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました」(01.8.14「朝日」朝刊)と、平和日本をアピールしたとしても、信用できないだろう。第一、「今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれ」たという発想自体が、戦争肯定意識を既に含んでいる。「今日の日本の平和と繁栄」をもたらしたものとして、侵略戦争なくして存在しなかった「尊い犠牲」を肯定しているだから、侵略戦争そのものへの肯定につながらないはずはない。 「今日の日本の平和と繁栄」をもたらしたものは、アメリカやイギリスといった国々の復興援助、アメリカ民主主義の移入、戦後日本人の努力、1ドル360円の為替とそのことによって日本が国際的に安価な労働市場だったこと。朝鮮戦争特需とベトナム戦争特需に恵まれたこと等々の恩恵によってであって、決して「尊い犠牲」(実際は侵略戦争に加担した愚かな°]牲)によってもたらされたものではない。
★危機管理の問題 「首相に就任したら8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと、必ず参拝」の撤回は、外交上の見通しの甘さや、彼我の歴史認識の違いに対する無分別だけが要因ではない。「今日の日本の平和と繁栄」の原因が「尊い犠牲」だとするような情緒性――客観的認識性の不在――を精神性としていることこそが、批判されてから中止したり変更したりする、靖国参拝における同じことの繰返し=進歩のない歴史の悪循環を生じせしめているのである。日本人の危機管理の甘さを指摘されるが、この手の悪循環も、外交上の危機管理に関わる無能力の問題に入るだろう。 |