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 市民」 

  教育を語る ひとりひとり 政治を社会語る そんな世の中になろう

  第43弾    雑感AREKORE part3
       
                      20018・18(土曜日アップロード     



我が60歳の就職奮闘記
小泉参拝とA級戦犯合祀の問題
危機管理の問題としての米兵の犯罪
中国の人口移動に関する意見

 


 
我が60歳の就職奮闘記

保育園・幼稚園の同質的集団性
 
2年勤めていた過酷な肉体労働によって座骨神経痛が我が身体に報償として授与されることとなり、甘受したものの、職業放棄して治療に専念する以外に回復の見込みはなく、自発的退職に追いこまれたのは去年(2000年)の10月である。その仕事というのはインドネシアやマレーシアからの輸入合板の梱包を括り付けてある帯鉄(幅2センチ程の鉄製のバンド)と共に解梱するだけの単純なものだが、殆どがフォークリフトがエンジンの熱と排気ガスを撒き散らす空気の澱んだ倉庫内の仕事で、夏は40度近くにもなる。フォークの運転手を除いた2人のチームで約200梱包、4人のチームで400梱包、リフトが解梱したものを運び去り、新しく未解梱のものを持ってきて横に置く間に一つを解梱し終わり、その間に製品の名札をつけたり、積み重ねるための角材を置いたり、パレットを片づけたりの仕事が加わる、息つく暇もないその繰返しの、1日が終われば鼻の穴が真っ黒になる典型的な3K仕事である。
 暮れの2ヶ月を週に2日程のアルバイトで過ごしながら、月曜から土曜まで整形外科に通って牽引と注射の治療を行ない、正月を越すとほんの少し脚に痺れが残るだけに回復した。生活のため、3ヶ月の雇用調整アルバイトだったが、2ヶ月しか残っていなかっため、1月半ばから3月半ばまで造園会社に勤めた。最初の仕事は市立保育園の何ヵ所かを回って樹木の伐採・剪定した枝葉をダンプに積込むことである。そこで教えらるまで気づかなかったのは、古くからの職人が「保育園も幼稚園もどこも同じだな。必ず藤棚があって、その下が砂場になっていて、庭の周りに桜の木が植えてある」と指摘したことで、どの園も似たり寄ったりの風景か配置で造られているということである。
 いわば、例え園を違えても、あるいは園を越えて、多くの子どもが園によって独自なものとは異なる、同じような空間体験を知らず知らずのうちに心理的な土台とすることになる。但し、同じ体験はそれだけにとどまらない。これはお絵描きに出掛けたり、公園に散歩したりの外出から戻ったときの決まりきった儀式となっているものなのだろうが、どの園もほぼ同じ形式を取った。廊下に上がる前にそこに立って待つ園長に対して横に一列に並ばされ、保母の一人が園長に向かって「園長先生、ただいま」と言いながら頭を下げるのを合図に、子どもたちが一斉に保母と同じ言葉を鸚鵡返しする方法で、「園長先生、ただいま」と挨拶する。園長が「お帰りなさい」と応ずると、洗い場で順番にうがいをさせられてから、やっと廊下に上がることができる。
 独自の考え・判断を基準として成り立たせた協調性による集団生活の構築とは無縁の、上(保母)からの指示に集団で一斉に同調・従属する同質の行動性・体験を日々子どもたちに刷込んでいるのである。簡単に言えば、園長・保母の管理のもと、同じ行動を取らせているに過ぎない。
 なぜ戻ってきた順に各自うがいをし、廊下に園長がいたなら、子どもたちはそれぞれの自分の言葉と自分のイントネーションで「ただいま」だけではなく、「今日はこんなことがあったよ、あんなことがあったよ」と園長に声を掛け、園長は子どもそれぞれの人間性や性格に応じた言葉で迎えることをしないのだろうか。「よかったね」、「寒がりやさん、寒かった?」、「まあ、頬っぺたがリンゴのように真っ赤になっている。駆け回ってきたんでしょう?」、「また誰かに悪さして、先生に叱られたというようなことはなかったでしょうね?」等々。
 中には外から戻ると、お互いの顔が見えるように円陣を組み、保母の「ありがとうございました」の言葉に従って、一斉に「ありがとうございました」と言って頭を下げる園もあった。感謝の気持を教えるためだと言うだろうが、感謝とは経済的、精神的、あるいはその他のありとあらゆる利害と結びついて発生する感情である。子どもにしたって利害の生きものであることから免れることができるわけではない以上、全員を成す一人一人がその全員に対して感謝の気持を持つことは決してないし、持たせようとするのは形式としては成り立つ欺瞞以外の何ものでもない。従って、大人は子どもに形式を教えているのであり、子どもは大人に形式を教えられているに過ぎない。「おコメを食べられるのは、作ってくださっているお百姓さんのお陰です。感謝しましょう」と教えられたとしても、百姓なる職業者と直接的な利害関係が一切ない人間にとって、いわば、顔の見えない相手に対して、単なる形式でしかないその場だけの納得、その場だけの持続性のない感謝しか持てないのと同じである。百姓は、「便利な道路を造ってくれた、橋を造ってくれた」と、道路を造ったり、橋を造ったりする土木作業員に感謝するだろうか。便利な橋ができた、道路ができたと、己の生活の便利という利益をもたらせた橋や道路そのものに感謝するだけだろう。コメにしても、対価としての金銭を払って手に入れるだけのことである。あるいは地元の政治家に陳情してできた橋や道路なら、その政治家に感謝するだろうが、一般生活者は政治家などに感謝しないだろう。
 新しい教育は、「自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で解決する力」を育成する総合学習の時間に重点を置くこととすると言いながら、学びの源流である保育園・幼稚園で、上からの指示をそっくりなぞるだけの集団的行動性をせっせと植えつけている。所詮、総合学習にしたって、指示・命令に従うだけの集団的行動性を構造とした性格のものとなることから免れることはできないだろう。文部省の奉仕活動℃ゥ体にも、既に集団的行動性を含んでいるのである。

★年齢制限撤廃
 4月半ば過ぎにフォークリフトの運転手として一旦は就職したものの、通勤手当もボーナスもなしの待遇も資格もパートなのに、仕事はパート以上のものを要求される不合理さに反撥して、1ヶ月でやめることにした。ハローワークから何個所か紹介された末にやっと決まった就職だったが、様々な肉体労働を経験してきている。運動能力・適応能力共に自信があったが、その考えは甘かった。高年齢者を対象とした求職カードをパソコンで検索して応募するのだが、45歳から60歳までとか、50歳から60歳までといった年齢条件は応募可能範囲なのに、それはあくまでも社会的体裁(形式)でしかなく、面接までいくどころか、電話しただけで断られたり、面接を受けることができたとしても、付帯条件に対する会社側の形式的な義務の遂行で終わった。
 例えば介護に興味があったから、25歳から60歳までという、入院患者の入院経費の相談に応じたり、どういうシステムなのか案内を役目とする老人病院の募集に応募してみた。学歴の条件は高卒。ハローワークの問い合わせに、まだ決まっていない、担当者が外出中のため、応募者に改めて電話してもらいたいと時間を指定されて、その指示に従うと、「福祉系の大学を出ているか」と言う。「高卒という条件ですが」と問い返すと、「条件を変えたものですから」という返事である。高卒で十分と踏んだ学歴条件だったはずである。問題は明らかに年齢だったのだろう。もしそうではなく安定所に通告もなく条件を変えたとしたなら、明らかに高卒で応募するかもしれない不特定多数者に対する契約違反であり、高卒でも募集内容に見合う能力を発揮するかもしれない人間に対する差別である。
 さらに二つの特別養護老人ホームに応募することにした。一つは寮母である。男女不問と書いてあった。年齢は60歳まで。ハローワークの問い合わせに、「男性寮母は決まった、女性寮母の空きはある」と断られた。能力を問題にするなら、男女の区別は無用であり、すべて男性寮母で賄っても構わないはずである。そのためにも男女雇用機会均等法がある。だが、これまで安い労働力として女性を採用してきた会社は、<女性のみ採用からの転用>と赤字でハンコが打ってあって、暗に男性は採用しない旨の抜け道をこしらえている。職業安定所自体が男女雇用機会均等法違反に手を貸しているのである。しかし前以っての断りが男女不問である。会社の定年が60歳だから、原則的には60歳にもチャンスを与えなければならないために形式上年齢制限を60歳までとしているだけのことなのか、2001年10月施行の年齢制限撤廃を盛り込んだ
改正雇用対策法を睨んだ安定所からの、定年との関係でそうすべきだとの指導からの60歳までなのか、いずれにしても最初から採用する気のない60歳という年齢が問題だったのだろう。
 もう一つはホームヘルパー及び介護の補助の仕事で、学歴は高卒、パソコンの少しできる方と出ていたが、電話に出た院長は、「ホームヘルパーか介護福祉士の資格は持っているか」と言う。ここでも条件を変えたのだそうだが、「補助」の仕事で、なぜ資格が必要なのだろう。人件費をわざわざ余分に掛けるようなものである。また条件は勝手に変えていいはずのものではない。これも60歳という年齢か女性でないことがネックになったのだろう。
 88歳で亡くなった母親の最後の2年間を特別養護老人ホームに預けた。親不孝の償いで、当時勤めていた会社の土曜、日曜、祭日の休みの日は朝の8時から夕方の5時頃まで母に付添って、必要に応じたオムツ交換から3度の食事の介助、車椅子に乗せての散歩と面倒を見た。重度のアルツハイマー病で、一緒に生活していてまだ歩ける頃は、達者なまでの徘徊癖があって、悩まされた。デイケアサービスで食べたアイスクリームを肺に詰まらせて、病院に2週間も入院すると、歩けなくなった。それまでは病院内をあちこち徘徊して看護婦や他の患者に迷惑を掛けていたから、病院にとってはその方が都合がよかったのだろう。車椅子に乗せて動かすと、歩くことだけが人生の主たる目的と化してしまっていた習癖からか、まだ固まってしまっていない方の左足をさも自分で歩いているようにステップの上で盛んに上下させた。
 老人ホームで働いている人間を観察して得た知識は、介護福祉士とかの資格は待遇や会社内の地位を上げるためには必要不可欠かもしれないが、介護そのものの活動には必ずしも必要ではないということである。必要なのは人間性である。
人間性が、介護に必要な知識と技術への自らの学び、さらに入所者が必要とする親身な看護を生み出す源泉となるものである。寝たきりの入所者から部屋に顔を出す寮母が次々と便の始末を頼まれながら、午前9時と午後3時の定期的なオムツ交換の時間まで1時間とか2時間とか先のばしするケースを何度も見た。二度三度と頼んでも、そのたびに「今忙しいから、ちょっと待っててね」と声だけは優しく、態度はそそくさと素っ気なく無視されると、誰も交換してくれないと諦め、口をつぐんでしまう。その間患者は便の不快感に耐えなければならない。
 パソコンに向かう時間が少しでも多くと土・日・祝の週休二日制の会社を狙っていたのだが、次第にそうは言っていられなくなり、日・祝休日へと移行し、そこでも不採用の仕打ちを受け、さらに日曜日だけ休日へと変更せざるを得なかった。そのことは大体において非肉体労働の仕事から肉体労働の仕事への変更を意味してもいた。青果市場の夜間のフォークリフトの運転手は日・祝休日だったが、45歳から60歳までの年齢制限である。安定所の問いに、「なるべく若い人が欲しい」という返事である。体力にも動きにも自身があったし、とにかくも年齢は60歳までである。「面接だけでも受けさせて欲しい」とお願いして、了承された。そこで2人の面接官のうちの1人にこう言われた。「季節によって入荷する品物に違いがある。2〜3年をサイクルとしなければ、仕事の内容を覚えることができない。覚えて自由に動ける頃には定年の65歳が目の前ということになると、会社にしても何のために雇ったのかということになる」
 もう1人にはこう言われた。「60歳じゃあ、もう就職口はないでしょう」
 余計なお世話だと思ったが、「そんなことはないですよ」軽く受け流した。45歳からの限定募集ということは、夜間労働だということと、地位的な将来性は見込めないために若者には敬遠される職種で、中高年齢者に期待するしかない仕事だということからのものだろうが、不況で買手市場なため、強気な態度に出ているのだろう。
 年齢制限が50歳から60歳までの県立大学の2交代制のガードマンの面接では、「50歳の人間を雇ったなら、定年まで10年間勤めてもらえると会社としては考えるものです」
 これは能力や人間性よりも、年齢と勤続年数で人間を評価する教条的な形式主義の考えである。だからこそ、日本の社会は横並びを可能とするのだろう。
 不良債権処理に伴う倒産・リストラで生じると見られている失業者のスムーズな異業種間転職や新産業育成による雇用創出をいくら叫ぼうとも、あるいは求人の年齢制限撤廃を法律で成立・施行しようが、日本人の中にある学歴や年齢、前歴、勤続年数を人間の評価基準とし、それらで職種を限定してしまう心の壁(制度)・日本人の精神性となっている形式主義を取り払わなければ、結局は2001.6.21の朝日新聞朝刊に出ているように、「就職情報会社、リクルートのワークス研究所が昨年末に実施した調査によると、過去5年間に建設作業員から転職(転社)した人の6割以上は、同じ建設業界の中で会社を変ったに過ぎなかった。その他は清掃作業・倉庫作業に6・3%、トラック運転手に5・6%の人が移ったという」結果が一般化するだけだろう。例え「同研究所の大久保幸夫所長」が「指摘する」ように「失業者が移れる技術を持っているかが問題。今後はゼネコンなど建設業から他の産業に移る人が多いだろうから、それに対応したきめ細かい雇用対策」を万全なものとしてもである。
 5月末から2ヶ月近く、応募と面接拒否・採用拒否を繰返してやっと採用されたのは、最後の砦として温存しておいた、年齢18歳〜65歳、学歴不問、休日は日曜日か強い雨天時、通勤手当無、賞与無の造園・土木業の会社である。面接時、「60歳だと、アルバイト扱いになりますが」と言われた。
「それで結構です」
 会社が40歳半ばの人間は1人か2人。後は50歳前後から70際以上の人間も働いている高齢者社会だと通勤初日の朝に気がついた。
 最初の仕事は山梨県の河口湖にあるゴルフ場の芝生の張替え仕事であった。朝6時半に会社に出て、夕方6時過ぎに会社に戻る。仕事は8時から4時半までだが、往復に副各1時間半掛かるからである。なのに早出手当ても残業手当も出ない、拘束時間だけが無闇と長いだけの割の合わなさを強いられる。7月は河口湖でも珍しい猛暑で、ゴルフ客がコースをまわる合間を縫って全身に汗をかいて肉体労働に精を出す。働いている人間がいる一方で、その脇でレジャーを楽しんでいる人間がいる。同じ日本人ながら、人種が異なる人間のいることを痛感した。他には箱根や湯本のゴルフ場の芝刈り、米軍厚木基地内の新築住宅の庭の芝生張りもあった。現場が近くの場合は早く帰れることもあったが、どこに行くか分からない日もあるために、出勤は常に6時半と決まっていた。
 いくら能力主義を唱え、年功序列や勤続年数を否定しようとも、幼稚園・保育園の頃から集団行動に慣らされ、それを血としている日本人の殆どは、それらを価値とする思想からは抜け出せないのではないのか。

                   (2001.8.13.)

 


 
小泉参拝とA級戦犯合祀の問題

★8月13日と8月15日の違い
 「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げるのは政治家として当然。まして、首相に就任したら8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと、必ず参拝する」
 頑なまでの態度でそう言明していた小泉首相が、中国・韓国の強硬な批判に配慮して、あるいは事勿れな方向に回避して、終戦記念日は8月15日の2日前、8月13日に靖国神社に公式℃Q拝した。終戦記念日の参拝を他の日にずらすことによって、参拝に関わる内閣総理大臣たる自らの意志・自らの思想の正当化を図ろうとするのは、南京大虐殺の犠牲者の数が科学的根拠に基づいたはっきりしたものではないからと言って、その事実の矮小化を図ろうとすることと同次元の巧妙な誤魔化しでしかない。
 8月15日以降ではなく、以前としたことに、
小泉首相の靖国参拝正当化への執念と同時に、中国・韓国に対する見くびりを内心に隠した反撥と開き直りを看取することができる。

★日本という国家の内容
 「尊い命を犠牲に日本のために戦った」――これは兵士の側からしたら一面的には事実ではあるが、国の側から見た場合はフィクションに過ぎない。その分岐点はどのような「日本」だったと言うのかによって決定つけられる。兵士一人一人の「命」を、国民一人一人の持つ「命」を「尊い」ものとして扱った「日本」だったと言うのか。鉄砲の弾として、砲弾の身代わりとして扱ったのではなかったか。国民を国家の犠牲者として扱ったのではなかったか。
 侵略地の市民の「命」を、敵国捕虜の「命」を、被強制連行者の命を「尊い」ものとして扱ったと言うのか。それは自国民の「命」を軽視する国家権力者は他国民の「命」も軽視する
慣習的一貫性、あるいは人間性における整合性からのものではないか。個人レベルで言えば、日本の兵士・国民が自らの「命」を「尊い」ものとして扱われなかった習性の反映としてあった他国民に対する、ときには自国民に対しても侵した「命」の軽視ではなかったか。いわば命の軽視に慣らされた人間が、他者の命をも軽視する人間性に関わる学習の系譜を引き継いだに過ぎない。命を尊いものとして扱われた人間が、自分以外の命を軽視することはまずあり得ないし、そうすることはあまりにも矛盾と身勝手を犯すものだろう。
 兵士は
「尊い命を犠牲に日本のために戦った」と思い信じてはいても、日本の他国侵略のために「命」を粗末に戦ったに過ぎない。その事実を直視しなければ、あるいはそれを事実としなければ、戦争肯定の呪縛から、少なくとも止むを得ない選択だったとする意識から免れることはできない。そのような呪縛・意識はひとえに日本優越民族意識と固く結びついている。優越民族たる日本人が侵略戦争などという過ちを犯したなら、その優越性を自ら否定することになるからである。あるいはその優越性にほころびが生じるからである。
 
優越性保持の一大陰謀が、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判のA級戦犯を昭和殉難者と奉った1978年の合祀である。いわば戦争犯罪はなかったこととして、英霊なる神として復権させたのだ。そのことは殉難者≠ニいう言葉が証明している。国家の難のために殉じた(一身を犠牲にした)者と言うわけなのだ。さらに言えば、英雄としても、英霊なる神としても、そのように扱われるに最もふさわしい存在だと言うわけなのだ。殉難者≠ネる言葉に、国を誤らせたというニュアンスは毛ほどもない。当然、侵略戦争遂行に決定的な役割を果たした戦争指導者の否定すべき重要な1人だと言う意味合いはどこからも探すことはできない。

★事実と宗教観の間
 小泉首相はこうも言っている。「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けている」
 死ねば神様になる、「仏様になる」は、そのような認識が例え日本国民に共通のものとしてあるもので、生前の罪は許されるものだとしても、単なる宗教観であって、その人間がどのように生き、どう他人と関わったか、何をなし、それが正しい選択だったかといった事実を消しゴムで消すように消すことができるわけのものではない。ましてや国家の指導者として戦争に関わったのである。どうように政策決定に関わったか、戦争をどう指揮したのか、その際国民をどう扱ったのか、いわば宗教観とは別個に、諸々の役割と関わりを科学的な実証的態度で事実を事実として記録し、記憶することで日本のその時代の歴史のページとしなければならないはずである。例え
「死刑という、現世で刑罰を受けている」としてもである。日本という国の歴史に、それが国家的汚点を記すものだとしてもである。

★A級戦犯と一般国民の差
 
中国は、A級戦犯が合祀されていることを理由に靖国参拝に反対している。自民党は橋本派の野中広務元幹事長は、「『戦争に駆り立てた人と駆り立てられた人が同じ社に祀られていることに、20世紀の一つの整理をしておかなければならない』」と「訪問先の中国・敦厚で靖国神社が抱える問題を改めて語った」(01.8.4「朝日」朝刊)そうだが、「96年7月」に当時の橋本首相が「公私を明確にしないで靖国を参拝したが、中韓から批判され、翌年は『この仕事に私人というものはないということを知った』と述べて参拝を見送った」(01.8.13「朝日」朝刊)時点で野中氏はそのような認識を持つべきだったはずである。85年に当時の中曽根康弘首相が公式参拝して「中国・韓国などで抗議運動が起こり、翌年からは見送られた」(同)前科の轍を踏んでいるのである。そのような認識を持たなかったのだから、えせハト派の野中氏がハト派を装うために分祀の政策を自己アピールの方便とすると同時に、聖域なき構造改革を掲げる小泉首相への牽制球の意味合いもあったのだろう。
 A級戦犯と一般兵士はどのくらいの違いがあるのだろうか。
「戦争に駆り立てた人と駆り立てられた人」にどのくらいの違いがあるのだろうか。
 古参兵が軍隊というところは甘い所ではないということと、俺はお前たちの上官だということを知らしめるために新兵に陰湿ないじめを行なう。新兵が古参兵になると、次の新兵に同じ陰湿ないじめを伝統として繰返す。いわば自分の置かれた立場に応じて、いじめ・いじめられの役割をそれぞれに演じた。
 新聞はセンセーショナルな記事で国民の戦争意欲と敵国に対する敵意を煽り立てたばかりか、ありもしない軍国美談を捏造してまで、国家権力の一歩先を行く戦意高揚を自らの役割とした。映画会社は戦争美化の映画をつくり上げ、レコード会社は戦争鼓舞の勇ましい軍歌をつくって、流行歌手に歌わせ、学校教師は生徒に、お国のために役立つ人間となれ、天皇陛下のために捧げるための命だと吹き込むことを自らの役割とした。大衆小説家は国民にヒーローの如くありたいと思わせる戦争小説を世に発表することを自らの役割とした。
 国民の殆どすべてが戦争遂行に積極的で熱心な共犯者だったのである。少なくとも精神的には。あるいは態度の上では。これらも一つに時代の国民の存在様式として歴史の1ページとして記録し、記憶しておかなければならないだろう。
 国民がそれぞれに演じた役割が戦争犯罪として断罪されるまでに至らなかったのは、単にそれぞれに抱えた立場上の制約からに過ぎないだろう。言い換えるなら、自分が置かれた立場に救われただけのことで、それを違えたなら、誰もが立派なA級戦犯になり得ただろう。いわば実際上のA級戦犯でなかったとしても、兵士だけではなく、一般国民にしても、常に
隠れA級戦犯、あるいはA級戦犯予備軍だったのである。
 それを戦没兵士の場合は英霊と言う名の神として祀る。英霊の「英」は、「優れている」という意味を持つ。
「優れた魂」というわけである。いくら死んだら神になるとしても、常に隠れA級戦犯、あるいはA級戦犯予備軍だった兵士がそのような扱いを受けるのは許されるだろうか。許されるとしたなら、立場上の違いが生じせしめたに過ぎない実際上のA級戦犯も英霊として祀られることに何の不都合があるだろうか。
 
「死んだら、英霊として靖国に祀られる」――それが許されたのは戦前の天皇が現人神の時代だったはずである。八紘一宇・大東亜共栄圏をスローガンに国民を他国侵略に駆り立てる動機付けの一つだったはずである。いわば敗戦と同時に抹殺すべき、1945年8月15日以降は終止符を打つべき思想のはずである。現人神とされていた天皇がタダの人間に過ぎないと人間宣言したのと同列にである。
 あるいは、
「二度と戦争を起こさない。平和の誓いを新たにする」と言うなら、それは天皇主義・国家主義への訣別を意味するもので、天皇主義・国家主義に命を吹き込まれた英霊≠ネる思想にも訣別して然るべきである。それを今もって 英霊≠ネる名称にこだわっている。それは天皇主義・国家主義へのつながりを断ちきれないでいるからだろう。
 言い換えるなら、英霊≠ニいう言葉自体に本来的に戦争肯定・戦争美化の意識を含んでいるのに、天皇主義・国家主義に訣別したはずの戦後の現在でも英霊≠ネる言葉に命を与えているのである。そうである以上、例え
小泉首相「あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました」(01.8.14「朝日」朝刊)と、平和日本をアピールしたとしても、信用できないだろう。第一、「今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれ」たという発想自体が、戦争肯定意識を既に含んでいる。「今日の日本の平和と繁栄」をもたらしたものとして、侵略戦争なくして存在しなかった「尊い犠牲」を肯定しているだから、侵略戦争そのものへの肯定につながらないはずはない。
 「今日の日本の平和と繁栄」をもたらしたものは、アメリカやイギリスといった国々の復興援助、アメリカ民主主義の移入、戦後日本人の努力、1ドル360円の為替とそのことによって日本が国際的に安価な労働市場だったこと。朝鮮戦争特需とベトナム戦争特需に恵まれたこと等々の恩恵によってであって、決して「尊い犠牲」(実際は侵略戦争に加担した愚かな°]牲)によってもたらされたものではない。

★危機管理の問題
 
「首相に就任したら8月15日の戦没者慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと、必ず参拝」の撤回は、外交上の見通しの甘さや、彼我の歴史認識の違いに対する無分別だけが要因ではない。「今日の日本の平和と繁栄」の原因が「尊い犠牲」だとするような情緒性――客観的認識性の不在――を精神性としていることこそが、批判されてから中止したり変更したりする、靖国参拝における同じことの繰返し=進歩のない歴史の悪循環を生じせしめているのである。日本人の危機管理の甘さを指摘されるが、この手の悪循環も、外交上の危機管理に関わる無能力の問題に入るだろう。

 


 危機管理の問題としての米兵の犯罪
 
 日本政府は米政府と米兵の沖縄での女子小学生暴行事件を受けて、95年に、凶悪犯罪容疑者の起訴前身柄引渡しについて、米側が好意的考慮を払うことに合意する日米地位協定の運用改善を行なっている。ところが、今回の沖縄米軍基地所属米兵の女性暴行事件という同種事件の繰返しであるにも関わらず、逮捕状を取ってから身柄引渡しまで5日間を要した。米兵が何か事件を起こすたびに綱紀粛正を求めてきたが、犯罪防止策を講ずることは勿論のこと、再び事件が起きることを前提に、いわば決してなくならない事件なのだという考えで、起こった場合の想定し得るありとあらゆる対処方法を日米合同で検討してきたのだろうか。そのような検討事実と検討内容を広く公開することが犯罪に対する抑止力ともなるだろう。そういったことも、危機管理に入るはずである。米側が米国人弁護士、及び通訳の立ち会いや取り調べ時間の限定といった人権問題への配慮を求め、日本側が立ち会いに反対するといった一連のやり取りから判断できることは、発生事案そのものも含めて、何も想定していなかった姿であり、それは事件可能性に対する無為無策、あるいは不用心の結果物として持ち上がったものだろう。いわば泥棒を捕まえてから縄をなう類のその場対応に終始したということ、即ち、危機管理の備えが完璧になされていなかったということだろう。
 1995年の阪神大震災、1997年のロシアのタンカー・ナホトカ丸の重油流出事故、1999年の北朝鮮偽装工作船領海侵犯事件、2001年3月のえひめ丸の米原潜衝突沈没事件、同年5月の金正男不法入国事件等々、自民党政府はなす術もなく危機管理無能力をさらけ出してきた。危機管理とは、その基本的な考え方は何も難しいことではない、国民の生命・財産を守ることである。それがたった一人の生命・財産であってもである。ゆえに危機管理無能力とは、国民一人一人の生命・財産に対する日常普段からの責任意識が低劣であることによって生ずる欠陥性であろう。そしてそれはまた、利権政治・族利益政治優先によって生じている責任意識放棄であり、それと危機管理とは永遠に交わることのない背中合わせの関係にある。ゆえに政治家の国民に対する責任意識は、彼らの危機管理能力をバロメーターとすることで、その程度を知ることができる。それを決定的に証明する具体例として、水産高校の実習船えひめ丸が米原潜と衝突・沈没した事故で、高校生の安否よりもゴルフ続行を優先させた森首相の姿勢を挙げることができる。もっとも、自民党政府の連綿と引き継いだ危機管理無能力からすると、国民無視の伝統を引き継いだ森首相のゴルフ優先だとも言える。
 
小泉首相は聖域なき≠掲げながら、日米地位協定の見直しに関しては聖域≠設けようとしている。と言うことは、国民の生命・財産を守ることに反する聖域≠設けることを意味する。
                   (2001/7/5)   

 


 中国の人口移動に関する意見

(注)この一文は≪メールマガジン[Chinese Puzzle No.5 (中国の流動人口:前編)] ≫HP ADDRESS :   http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4704/MAILADDRESS : fromeast007@hotmail.comに対する投書です。一部書き改めました。
========================================= 人口大国中国の行方は非常に興味があります。日本では農協の農産物の独占的な流通、飼料・肥料などの独占的な販売が農産物自体の価格に反映して高価格なものとなってしまっていることや、汗水流す生産者よりも、中間流通業者がより利益を得る矛盾したシステムも原因していますが、何よりも汚れる仕事を嫌う職業差別観が農村人口の都市移動(農村の過疎化)の無視できない一因になっていると思います。中国においては≪都市戸籍を持つ人々が就きたがらない低賃金の仕事の需要を農村戸籍の人間が満たしている≫という現実は、そういった心理傾向が中国人にもあることを証明していると同時に、それでも農村で生活するよりも収入が多いことの証明でもあると思います。豊かさの追求の裏に隠されたその傾向に全国規模の拍車がかかるのは中国ではまだまだ先でしょうが、例え、≪過剰な労働力が農村に偏ってしまってい≫たとしても、農業で十分に食べていければ、アメリカのように農業をも一大産業化するという選択も可能です。≪人口移動の自由化に関する議論が経済的な側面に限られてい≫たとしても、まずは解決すべきは農村での豊かさの確保という経済性≠主体とした議論でなければならないでしょう。それを解決しないまま人口移動が自由化されたなら、都市部に大挙して人口が流入して、人あまり現象が起き、そのことが失業者の大量発生、生活の最低レベル化、住宅を確保できない者のホームレス化等を生み出す可能性もあります。都市と農村のバランスのよい発展を中国がどう展開するか、うまく展開できたとしても、都市と農村の経済格差が完全には埋まらないその差を埋める目的で、それなりに食べていける豊かさを捨てて、より豊かな賃金を確保し、より体裁のいい生活を目指そうとする傾向が社会的なものとなったなら、例え現在農村人口が7割であっても、かつての日本のようにより貧しい、より辺ぴな農村から過疎化減少が起こるのではないでしょうか。非常に興味があります。その解決策として、政府は過剰人口や不毛な土地を抱える農村部に職業訓練所を設け、企業は原則として、人材をそこから募集し採用する。そのようにしたなら、無駄な人口流入は抑制できるのではないでしょうか。
               (2001.7.6)

    ホームページだけではなく、人生そのものも次第に先細りしていくようです。

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