「市民ひとりひとり」
教育を語る ひとりひとりが 政治を・社会を語る
第14弾 プロ教師に見る、相変わらずお粗末な
第1部 ・ 女性教師刺殺事件に関わる事実認識
2000.5.13(土)アップロード
プロ教師はナイフを凶器とした中学1年の男子生徒による英語担当の女性教師刺殺事件
を「黒磯事件」(p76)と名づけている。1998.1.28.栃木県黒磯市の中学校での出来事で
ある。
「この事件は、とくに目立たない『ふつう』の生徒が引き起こしたということで、社会的に大きな衝撃を引き起こすことになった」(p76)と、何がなんでも「『ふつう』の生徒」と表現したい衝動を露にしている。教育荒廃の責任を生徒になすりつけやすいからなのは目に見えている。
「『ふつう』の生徒」がここまできているという状況を訴えることで、あくまでも子ども・生徒の変質がすべてで、もはや教師には手に負えないとする構図である。だが、手に負えない情況となるまで変質させてしまった責任は教師にもあるはずである。
「私も、現場の教師として、前年の神戸連続児童殺傷事件より衝撃の度合いがずっと大きかった。私の学校で、明日起こってもおかしくないと思ったからである」(p
76)
そう「思」われたプロ教師の学校の生徒はいい迷惑で、陰でいい加減にしろよと抗議したことだろう。「明日起こってもおかしくない」ということが事実なら、予想される勃発事態の衝撃度と少なくとも等量の抑圧化された精神的なマグマを臨界状態で生徒が抱えているということになる。そこまで考えて言っているのだろうか。事態を表面的に把えるだけだから、いとも簡単に「明日起こっても」などと言えるのである。
「人間の意識・感情は相互反応の変数として誘発される」ということを既に言ったが、言葉を変えて言うなら、法律を犯す事件を含めて、何らかの対人関係(人間関係)が影響していない如何なる人間の営みも存在しないと言うことである。いわば、対人関係が感情を生じせしめる。犯行実行者と何ら人間関係を持たない銀行を襲う金融強盗にしても、彼自身を金融強盗に駆り立てるに至った何らかの人間関係の積み重ねがあったはずである。例えそれが本人の反社会的な性格が影響した人間関係からの感情の増幅であったとしてもである。
生徒が英語担当の女性教師をナイフで刺殺したこの事件は、元々その教師を特定した攻撃であって、両者の人間関係が影響していないはずはない。いわばその人間関係によって、生徒は何らかの感情を抑圧化することになり、それが臨界状態に達して抱えきれなくなって暴発した。
あるいは抑圧感情を抱えてはいたが、まだ臨界状態に達していたわけではなく、普段の面白くない感情のままに、単に威す意味でナイフを突きつけただけだったのが、相手の反応との絡み合いで予期しなかった経緯を演じてしまったということもある。
例え女性教師が何ら落ち度のないごく当たり前の人間関係をその生徒と結んでいたとしても、それに対して生徒のあのような感情の抑圧と爆発が彼の独り善がりな性格が一方的に作用した、いわば自作自演の感情の起伏だったとしても、化学反応と違って人間関係に関わる態度反応は常に同じ局面を見せるとは限らない。そういったことを常日頃から心の備えとし、頭に入れておく危機管理が女性教師にあっただろうか。
生徒が元来から心に余裕のない性格の持主だったということも考えられる。心に余裕のない性格が災いして、少しのことでカッとなり、なおさらに心の余裕をなくしてしまう
経過をたどっていく。だとしたら教師は、少なくとも担任はそのような性格を見抜き、他の教師に、その生徒との人間関係の参考に寄与するために情報化する義務(報告の義務)を有する。相互的な情報化の蓄積は人間を見る目の訓練となり、例え情報化されていない生徒の性格に対しても、有効な力を発揮するものとなる。
問題を起こしてから、起こした生徒の性格や家庭環境を論ずるのではなく(家庭での人間関係も生徒の性格や感情構造に影響を与えているはずである)、すべての生徒の家族構成・家庭環境・性格・科目の好悪と成績・生活態度を含めて担任と科目担当の教師はそれぞれに知り得た情報を常に交換し、過ちや偏見・古臭くなって役に立たなくなった情報は正して、より正確なものとし、生徒との人間関係の資料としていたなら、異なる経緯と結果を導く対処法となった可能性もある。
それを、一人の教師が四十人の生徒の面倒を事細かに等しく見ることができないとか、学年すべての生徒に手がまわりきらないなどと、足し算・割り算でしか対処できない。
プロ教師は事件の顛末を「朝日新聞の報道より抜粋」(p76)として紹介している。それによると、件(くだん)の生徒に対する女性教師の態度は、生徒が「『気分が悪い』と保健室」に行き、「授業に」戻る途中で「トイレに寄」ったりなどして、「十分」遅れで教室に入ってきたのに対して、「トイレにそんなに時間はかからないでしょ」というものであり、授業中の雑談に対しては、「『静かにしなさい』」と注意している。
「授業が終わる直前になって、生徒は教壇の方向をにらみつけて『殺してやる』と言ったという。生徒のこのひとことは、女性教師に届かないほど小さかった。
三時間目の英語が終わると、女性教師は生徒と友人を廊下に呼び出し、ふたたび注意した。
『先生、何か悪いこと言った!』
『言ってねえよ』
『ねえよって言い方はないでしょう』
『うるせえな』
生徒はそう言いながら、ナイフを学生服の右ポケットから取り出し、向き合う女性教師の左の首筋あたりに当てた。
『あんた、なにやってるの』
男子生徒は『ざけんじゃねえよ』と言いながら腹を刺した。女性教師は前のめりになって倒れた。
男子生徒は『カッとなって、おなかの近くを刺した』ことまで覚えているが、『
あとは夢中だった』という。
生徒は『まじめで目立たず、不良とつきあうワルではない』と校長。『問題行動
』も学校が把握するかぎりは皆無で、成績は中ぐらいだという。いつも雑談する友人はクラスで五人ほどいたが、仲間のリーダー格でもなかった」(p77〜78)
この抜粋を見る限り、女性教師は自分が上位権威者である立場を利用して、比較下位権威者である生徒に対して上から抑えつける態度を主たるパターンとしている。上から抑えつける態度は柔軟性の欠如を欠陥とする。柔軟性の欠如は、教師として致命傷である
。特に「近頃の子どもは耐える力がなくなった」というのが、プロ教師を筆頭とした社会的通念となっている以上、なおさらのこと抑えつける一方の態度は慎重であるべきで
、考えのない無能を女性教師はさらしている。
「トイレにそんなに時間はかからないでしょ」は頭ごなしで、味も素っ気もない。生徒がわざと遅れる常習犯だとしても、相手をムッとさせるだけのことで、女性教師の方から生徒の心の余裕を失わせたとも言える。刺殺事態が起こらなかったとしても、その種の常習行為になおのこと駆り立てるだけのことである。
――「トイレに馬鹿に時間が掛かったけど、トイレで何か瞑想してきたの?人生か何か
について」
相手の反応が悪いものではなかったなら、
――「トイレを瞑想場所にしている人間てかなりいるらしいのよ。だからと言って、授
業を忘れてしまうほど瞑想に耽られたのでは、私の立場がなくなってしまう。授業
時間に間に合うように瞑想を打ち切ってもらわなくてはね」
雑談に対して、「静かにしなさい」も、頭ごなしで、やはり相手の心の余裕を奪うだけの効果しかない。女性教師に対するあてつけの雑談(授業妨害を意図した雑談)だったなら、一層のこと生徒の心の余裕を奪ったに違いない。その可能性は、「トイレにそんなに時間はかからないでしょ」と注意されたあと、生徒は、「ノートを音立てて大きく開け、シャープペンの芯を出さないまま文字のようなものを書」いて「ノートは破れた」(同抜粋から)というから、十分にあり得る。いわばその時点で既に生徒の敵対心を十分に煽っていたとも考えられる。
――「何か首脳会談でも開いているの?緊急事態発生だということなら、私も加えても
らいたいな」
婉曲的な注意を心がけることで、相手の心の余裕を奪うのではなく、かえって和ませる効果を期待できるはずである。
授業中の私語・雑談は一方通行形式のコマ切れ知識の暗記教育を学校教育としている限りは、永遠になくならないもので、教師のそれに対する「静かにしなさい」の頭ごなしも、上から下への一方通行形式の意志伝達に添う、永遠に繰返される紋切り型の注意であることから免れることは不可能だろう。同じことの繰返しを十年一日のごとくに同じままに繰返す。その芸のなさ・創造性もないマンネリに対する無感覚には驚きを通り越して感心させられる。
いくら注意しても、なくならないもの、あるいは注意が一時的にその場限りにしか行き届かないものと観念して、
――「私語・雑談はおとなしく授業を受けている生徒には迷惑がかかるから、マンガで も、本でもいいから、好きなものを読んでいなさい。但し、その結果の成績につい てはそれぞれが責任を持つのですよ」と、なぜできないのだろうか。
できないのは、殆どの生徒がマンガなど読み出して、授業そのものが成り立たなくなるのを怖れてのことに違いない。プロ教師流の、「学校へ行って授業を受けるのがたとえつまらなくてもやらなければならない」(p30)という権威主義的な支配・強制を構造とした授業に頼った状況なのを無意識に気づいていることの反映としてある怖れなのは言うまでもない。
但し、成績に関しては自分で責任を持てと言っても、学校の成績が悪くても、世の中はどうにでも生きていけるし、大学を出た人間よりも充実した人生を送る人間だっているから、成績にこだわらせること自体、さして意味はない。「水を得た魚」という言葉があるが、魚は自分に合った水を得て初めて生きいきとすることができる。それと同じように人間もそれぞれに自分なりの活躍の場(=可能性)というものがあるはずで、そ
のような活躍の場(=可能性)に恵まれるように指導することも教師の役目とすべきなのに、成績を最優先とする価値観に囚われるのみで、そこから一歩も動けないでいる。
授業中に雑談ばかりする生徒は社会に出て勉強や学歴で活躍の場(=可能性)を見い出す種類の人間ではないと親も教師も割切って、それらに代わる可能性の発見に手を貸すのが、学校教育者としての想像力と言うべきものだろう。ところがそのような生徒でも
、多くは進学というステップの時期を迎えると、学歴という社会的に支配的な価値観に大勢順応的に同調・従属の屈服を演じることとなる。いわば学校・教師の集団主義・権威主義に白旗を掲げ、老朽化して制度疲労を起こしてはいるものの、一方通行の意志伝達教育の辛うじての不滅に手を貸すのである。
かくして、1+1=1式の教育(1+1=が2にも3にもなる教育とは正反対のもの)は延々と生き長らえ、学校・教師はそのような教育方法の甘受を自らに許すラクチンな情況に首までどっぷりとつかったまま、何の変化・発展も見せないこととなる。もっとも、歴史的に伝統的な日本人の集団主義・権威主義が日本の教育にも反映されているだけのことで、自らに課せられた仕事を創造性もなく表面的な機械性でこなすだけなのは学校教師に限ったことではなく、日本の官僚も、政治家も同罪の位置にいる。
「先生、何か悪いこと言った」
「言ってねえよ」に対して、
「ねえよって言い方はないでしょ」も、含みも何もなく、上から抑えつけようとする反応でしかない。そしてそのこと以上に相手の態度・言葉と同レベルの作用・反作用にとどまっている。社会人として生きてきた、あるいは学校教育者として自己を成り立たせてきた人間的内容としての経験・知性・想像力が何ら感じられない。
集団主義・権威主義に慣らされた上位権威者としての、「ああしなさい」「こうしなさい」といった命令・指示の言葉による支配・強制か、そのような支配・強制に対する相手の反発を表面的に受けた反発に対する反発しか見ることができない。
大型トラックのガラの悪いお父っつぁんドライバーが積み込みで隣り合わせた同じ大型トラックの若い女性ドライバーに反発半分、欲望半分で、「ネエちゃん、相変わらずオマンコの調子はいいかい」とからかうのと、知性のなさ・表面性という点に関して、本質的には同程度の態度でしかない。
――「先生、何か悪いこと言った」
――「言ってねえよ」
――「そお。何か悪いこと言って、傷つけてしまったのかと思った。言ってないと言う
割には、言葉の調子が不機嫌みたいだけど、私に反省すべき点があるかどうか、後
でじっくりと考えてみるわ。あったら、謝らなくてはね」
と引き下がるのも、一つの手だろう。
プロ教師は、「まじめで目立たず、不良とつきあうワルではない」という校長の言葉を
、「『ふつう』の生徒」が殺人を犯すまでになっているとする自説の補強としたいのだろうが、それが「私の学校で、明日起こってもおかしくない」全国的な情勢だと普遍化するなら、一歩深めて、殺人を犯すまでに学校社会の、生徒対生徒だけではなく、教師対生徒の人間関係情況までがおかしくなっていると、そこまで言及すべきだろう。
対人関係(人間関係)が影響しない如何なる人間の営みも存在しないと言うことは、人間関係と自己状況は相対的で循環的な関係にあると言うことでもある。いわば生徒の授業に遅れた態度、授業中の私語・雑談、そしてナイフを取り出して刺した態度はすべて英語担当の女性教師と密接な循環性を持っていたということであり、その生徒が「ふつう」だとか、「まじめで目立た」ないといったことを問題とするだけでは片手落ちというものだろう。
酷な言い方ではあるが、女性教師側にも生徒に殺人を仕向けさせた加害者の要素が否定しがたく存在するということである。
ところが殺された女性教師は指導熱心だったといった、死者を鞭打たない形式の美化・美談で飾るだけだから、問題の本質にいつまでも届かないこととなる。もっとも、すべては生徒に責任ありとするプロ教師には都合のよい美化・美談ではあるに違いない。
プロ教師は、「平穏に見える学校のほうが危険」(p78)と銘打って、次のように述べている。
「どうしてこのような事件が起こってしまったのか、じっくりと考える必要があるだろう」(p78)
物事を表面的にしか把えることしかできない人間がいくら「じっくりと考え」たとしても、表面的認識にとどまるだけなのは目に見えているが、現場教師として33年間も生徒の教育に携わっている無視できない弊害を考慮した場合、批判を中止するわけにはいかない。しかもプロ教師だと、自らプロを名乗っているのである。そのような教師が教師していられるのは、学校社会がその手の教師の支配に乗っ取られ状態となっているからだろう。プロ教師批判が乗っ取られ状態を少しでも揺るがすものとなれば幸いである。
「第一に、この十年ほどのあいだの生徒たちの大きな変化があげられるだろう。これについてはすでに第1部でふれたが、生徒たちの自我が他者を受け入れない固くて狭いものになっていて、他者を想定して我慢したり、つらいことに挑戦することがなくなった。また、外からの刺激にひじょうに敏感に反応するようになって、相手の言動に大きく傷つくようになった。そのとき、相手が自分よりも強ければ殻に閉じこもり、相手が弱いと分かると、ものすごく攻撃的となる。それが、黒磯事件ではナイフによる殺人につながったのである」(p78)
さらに次のように続けるべきだろう。「そのような生徒の変化に対して、学校・教師は何ら有効な手を打てず、生徒の変化するに任せてしまったのだから、ただ眺めるだけの傍観者の態度に終始したのと同じ結果を自ら招いたのだ」と。
プロ教師の主張は何の進歩も発展もない、バカの一つ覚えの同じ繰返しに過ぎないが、批判・否定が同じ繰返しとなっても、応えなければならない。
何度目の説明の繰返しになるか計算もしないが、すべては言葉の闘わせの不在に尽きる。日本の学校教育における言葉の闘わせの不在が、プロ教師の並べ立てる生徒情況を招いた原因なのである。プロ教師自身、そのことへの視点がまったくの不在なのだから
、と言うよりも、外からの「生徒たちを抑える社会的な規制力」(p41)を神頼みとしているプロ教師の学校秩序はそもそもからして言葉の闘わせの人間関係を必要としない構造のもので、話にも何もならない始末だと言わざるを得ない。
言葉の闘わせによる相互的な自己表現の訓練が自己を知り・他者を知る相互認識の訓練となり、それは同時に相互的に自己を知らしめ合う言葉の獲得への平行作業を伴う。当然そこには言葉を主体的な武器としたコミュニケーションの市場の成り立ちが生ずる。アラブ世界のバザールに匹敵する、色鮮やかにして色取々の言葉が行き交い、取引きされるまでにならなければならない。そのように仕向け、指導するのは勿論のこと、学校教師をおいて他には存在しない。
コミュニケーションなる言葉の意味を正確に把握するために辞書を開いてみると、「人間が互いに意思・感情・思考を伝達しあうこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う」(『大辞林』三省堂)と出ている。
言葉の闘わせ教育における言葉の相互的な駆使=言葉による相互的な意思・感情・思考の伝達(コミュニケーション)が同時並行的に自己を知り・他者を知る相互認識作業である以上、それは柔軟に「他者を受け入れ」る「自我」を育む作業ともなるものである。「他者」の「受け入れ」は「他者」の「想定」を前提とする対人感受性を意味する
。例え「相手の言動に大きく傷つく」ことがあったとしても、育み獲得した自他の言葉の闘わせは自己対自己の言葉の闘わせである省察(=「自らかえりみて是非を考えること」『大辞林』)への必然的な誘発によって、恨みや憎しみの感情に囚われ、そこに停滞することを拒み、立ち直る力を与える。それは、「相手が自分よりも強ければ殻に閉じこもり、相手が弱いと分かると、ものすごく攻撃的となる」性格構造を忌避する方向に働く。
いわば、常に言葉の闘わせが鍵なのである。
では、言葉の闘わせへの認識が何一つないプロ教師の言う「他者」の「受け入れ」とか、「他者」の「想定」とかは何を意味するものなのだろうか。これも同じ解説の繰返しとなるが、解説しないわけにはいかない。
集団主義・権威主義が有効に機能した時代は下位権威者は一般的には上位権威者の意志を例え不合理なものであっても絶対的なものとして、ときには内心に不平不満・反発を抱えながらも表面上はあくまでも無条件・無批判に従った。但し、習性としてそのように自らに強制した同調・従属の行動様式は比較下位権威者に対して反動的に自己意志を絶対化し、無条件・無批判の同調・従属を強制する支配の行動様式を表裏一体として、精神のバランスを保った。
いわば比較上位者には同調と従属、比較下位者には支配と強制という循環構図で他者関係を成り立たせていたのであり、プロ教師の言う「他者」の「受け入れ」や「他者を想定し」た「我慢」とかは、以上の構図に則った対人態度であって、さして自慢のできる他者関係とは言えないものである。
このような人間関係を伝統的に社会秩序としていたからこそ、戦争中の国民が無批判・無定見な総雪崩れ現象で軍国主義化できたのである。戦後においても自己の精神性よりも、それを犠牲とした、人間の価値・身分を学歴で決める学歴差別を可能としているのであり、同じく自己犠牲を前提とした会社優先(=集団優先)の権威主義的人間関係と連携した「他者」の「受け入れ」や「他者」の「想定」といった秩序・社会性を可能とすることができているのである。
言い換えるなら、職業や地位や学歴に関係なく、相手の人格を尊重し、人間としてお互いに対等な意識で他者を受入れていたわけではない。そのような関係を歴史的な伝統性で成立させていたなら、戦後アメリカ人という他民族者から民主主義や人権意識の移入を指導されることはなかったろう。もっともそれらは法律面や制度面では一応の体裁を整えはしたが、お仕着せとして纏っただけで、意識的には依然として強い者に従い、弱い者を従わせる集団主義・権威主義を人間関係の秩序とし、そこから逃れられないでいる。
何代か前の日本国総理大臣が、「日本は単一民族国家だ」と発言して、物議をかもしたが、マスコミや識者の大方の反発・抗議は、「日本にはアイヌ民族も存在し、在日朝鮮人・韓国人が二百万人も住んでいて、決して単一民族国家ではない」といった事実の表面的な提示で終始した印象を与えた。複数民族国家であるという事実に反して単一民族国家であるとする虚構は意識の中から他民族は存在しないという他民族排除を行わなければ成立しない。他民族排除は、自己民族を優越民族と位置づける自己民族優越意識によって発動可能な衝動としてある。いわば単一民族国家意識とは自己民族優越意識と同義語の関係にあるのである。
何代か前の総理大臣の日本国に関する意識の中には、自己民族を優越民族と意識するあまり、他民族は排除され、存在していなかったのである。ヒトラーとの違いは、そのような意識衝動を現実世界に体現する歴史的なチャンスに巡り合わせなかっただけであり
、それは彼にとって幸せなことだったろう。
「学校へ行ったら教師の言うことを聞けよ、学校へ行ったらおまえは勉強するんだよ、修業の場なんだから自分を抑えるんだよ」(p37)という社会的なサイン(=「社会的規制力」)がきわめて有効だったはずの戦前の教育を受け、日本では最高とされていた東京帝国大学で学んだ日本国総理大臣が日本国における「他者」=他民族を排除された者としてしか「想定」することができなかったのは、強い者を絶対とする集団主義・権威主義の人間関係意識(=日本民族を絶対とする自己民族優越意識)からなのは明らかである。
自己を優越者と位置づけて絶対化するには、「他者」を人間的価値的に限りなく従属的な位置に貶める(おとしめる)ことによって可能となる。そのような貶めの極端な衝動が排除なのは言うまでもない。
「外からの刺激にひじょうに敏感に反応するようになった」と言うが、何度でも言うように、子どもは子どもだけで成り立っているわけではない。子ども対子ども・生徒対生徒の人間関係の影響は受けるものの、総体としては大人の姿を大枠とした、その内側での相互影響の範囲を出ないもので、最終的な成長としては大人という社会的に総体的な姿に収斂(しゅうれん)されていく。いわば、「外からの刺激」は同世代の人間が発するものであっても、大人の発する刺激を何段階か経た、形や大きさや強度、あるいは密度を変えた刺激であって、「ひじょうに敏感に反応するようになった」と言うなら、大人の側がそのように仕向けている側面もあることに留意しなければならない。
これも何度でも出す例だが、戦争中の日本人の大人が子どもに要求した社会的・国家的刺激としての軍国主義に対する子どもの側からのバカ正直な反応が軍国少年という姿であったはずであり、当時の子どもたちは自分から積極的に迎え入れるようにして「ひじょうに敏感に反応」していったのである。
「相手が自分よりも強ければ殻に閉じこもり、相手が弱いと分かると、ものすごく攻撃的となる」性格構造を「黒磯事件」の間接原因としているが、これも的外れな観察に過ぎない。生徒は英語担当の女性教師を女だと侮って他の男性教師よりも比較下位権威者に位置づけていたとしても、教師である以上、自己よりも上位者に位置づけていたはずである。もし自分よりも「相手」を「弱い」としていたなら、日常普段から自分を強者とする態度を取っていたことになり、反対に女性教師は弱者の位置に立たされていて、「トイレにそんなに時間はかからないでしょ」などと注意を与えることは不可能となる
。
また、注意されたあと、「ぶっ殺してやる」とつぶやいたのをクラスメートが聞いているが、女性教師を心理的にも力関係から言っても、自己よりも上位においていた証拠となるものである。相手を弱者の位置に置いていたなら、遠吠えは必要ないからである。
集団主義・権威主義の行動様式から、一般的には強い者には卑屈に振舞い、弱い者には強者としての態度を見せるが、「朝日」朝刊(1998.1.29)の記事には次のように出ていた。
「生徒の属していたスポーツ部の一年先輩は『ひとり静かに教室に座っているタイプ』という。
クラブ活動は休むことがほとんどなく、ただおとなしくて、あまり口を開かなかったという印象がある」
この記事からは、「相手が弱いと分かると、ものすごく攻撃的となる」といった相手次第で極端に態度を変えるタイプは見えてこない。逆に簡単に「相手の言動に大きく傷つ
」き、簡単に感情を抑圧化して溜め込んでしまうタイプが見えてくる。そのような人間の往々にして陥る弊害が、抑圧した感情が容易に臨界点に達し、抱えきれなくなって衝動的にカッとなりやすいということである。さらに、「『ナイフを出した手前』引っ込みがつかなかった」(「朝日」2/6)と供述しているらしいが、この供述からも、心理的・感情的に自分で自分を追いつめていった結果の衝動的行為であったことが窺えるのみで、プロ教師が原因とする性格傾向は見えてこない。
「第二」の「要因」として、プロ教師は「この十年間の激しい学校たたき」(p78)を挙げている。
「校内暴力が十年前に終息したあと、学校ははげしくたたかれつづけた。『生徒の自由・人権を最大限尊重せよ』『生徒も教師も同じ人間、平等である』という理念で、学校のあらゆる教育活動が攻撃の的になった。いまにして思えば、私たち教師は教育の理論で抗すべきだったのかもしれないが、こうした理念の前には、とてもそんなことはできなかった。
そのため、この十年間、学校は一歩一歩後退し、規制力と教育力は大きく低下することになった。生徒の間には、やりたいことは何やってもいい、教師の言うことなんか聞かなくていいという雰囲気が広がった」(p78〜79)
二番煎じ、三番煎じの主張でしかない。
生徒は自分が社会からこぼれ落ちるのを怖れて、社会的に大勢的な学歴主義・学歴差別主義にギリギリのところでは同調・従属するものの、現在の情報社会の情報の内容の豊かさ・有機性に逆らうコマ切れ知識の暗記といった貧弱でその場限りの表面的な情報の伝達でしかない授業が退屈でも、おとなしく席に座っている、以前は通用した不合理が人権意識の広まりと共にもはや機能しなくなって、その結果の生徒の「何やってもいい
」なのである。
いわば情報社会に合った授業の形を創り出すべきなのに、鎌倉政府は何年に成立したといった、鎌倉政府、ひいては武家権力の何たるかは問わない表面的な知識を集団主義的
・権威主義的に上から下への一方通行の伝達で十年一日のごとくにお茶を濁している学校・教師の怠惰・怠慢が招いた生徒状況なのである。
勿論、学級崩壊現象の私語・席立ちは「授業の退屈さ・面白くなさ」への正直な反映として現れたものであり、そのような態度表現は「自由・人権」意識を土台としている。だからと言って、「自由・人権」意識の排除は日本をファシズム社会に変身させない限り、不可能である。プロ教師はそのことを認識する力もなく、気づかないままにファシズム社会への欲求衝動を内心に疼かせて、時代に逆行するその空しい実現に向けて悶えてさえいる。
集団主義的・権威主義的な社会的「規制力」が「大きく低下」したなら、連動して発揮不能となる「教育力」とは、一体どんなものなのだろう。「教育力」発揮の主体たる位置にいる教師の教育能力、あるいは存在理由とは一体どんなものなのだろうか。
裏を返せば、そのような社会的「規制力」が有効に機能していた時代には、教科書さえ読むことができたなら、教師としての体裁を維持できたということなのだろう。
さらに裏を返せば、教師とは教科書の内容を読み上げて伝達するだけの、オウムや九官鳥の並みの役割を果たすだけで完結させ得る存在だということになる。いわば、過去も現在も、教師とは教科書の解説者の範囲を出ない存在でしかないと言うことである。
違いは社会的「規制力」の有無のみである。プロ教師の主張する「マスコミの学校たたき」とは、学校教育に関するマスコミ情報が「規制力」の剥奪に手を貸したために、教師はすっかりお手上げ状態になってしまったということになる。
確かにマスコミは人権意識の高揚とか、学校教師の抱える教育上の非合理性から個人的な俗物性の暴露まで、様々な情報を氾濫させ、人格者とされてきた教師像のメッキを情け容赦もなく、ときには面白半分に剥がしはしたが、実質的には学校教育の場で人権意識表現に逆行する、もはや時代にそぐわなくなった上から下への一方通行の意志伝達の怠惰なまでの惰性的な踏襲に安住するのみで、下(生徒)からの批判・異議申立てを無視、もしくは抑圧する、従来どおりに集団主義・権威主義に添った非人権性(=一種のファシズム性)を生徒に対する人間関係手段としていることが、教育の混乱を招いている主たる原因なのである。
いわば集団主義的・権威主義的な社会的「規制力」に頼っていた教師の教育能力が、その突っかい棒を外されてしまったにもかかわらず、去っていき、もはや二度と戻ってこない女との関係修復を未練がましくいつまでも夢見ているように、今となっては不可能でしかない突っかい棒としての効力の回復に往生際の悪い空しい期待をかける無能力をさらすだけで、教科書を読んで話し、それにほんの少しの解釈を機械的に付け加えるだけの形式的な教育を専門とする、単なる教科書の解説者の位置に終始した時代外れがすべての始まりだったのである。
大体が、「やりたいことは何やってもいい、教師の言うことなんか聞かなくていい」と「自由・人権」、あるいは「教師も生徒も」「平等」とは似て非なるものである。それは違うのだときっちりと教える言葉も思想も学校・教師は持つことも、紡(つむ)ぎ出すこともができなかったのである。そのような言葉と思想を自力本願的に生み出す想像力も意志も示すことができないために、その欠如・不在を埋める方便として社会的な「
規制力」への他力本願的な空頼みがあるのである。
生徒対生徒、教師対生徒の間に、「自由・平等」な言葉の闘わせが存在したなら、教師は生徒にそれは違うのだと語り掛ける言葉を持ち得ただろうし、そのような語り掛けの言葉に対して、生徒は自分たちが考えている言葉や補強の言葉、異議申立ての言葉、あるいは納得の言葉を生徒同士で交わし合ったり、あるいは直接教師に返したりして、両者が折り合える意見や見解をまとめ上げたり、創り出したりすることも可能となるはずである。
学校・教師ができたことは、「何々をしてはいけない」「こうしなさい、ああしなさい」「ダメでしょ・ダメじゃないか」「人の迷惑を考えなさい」といった、相変わらずに自分を上位権威者(絶対者)に位置づけた一方通行の命令・指示の言葉を発するだけだったのである。
すべての生徒たちに言いたいことを言わせる言葉の闘わせを通じて、教師からしたら間違いだと思われる意見・主張があったなら、頭から間違いだと否定したり、こういうふうに直せと一方的に指図したりしないで、対話と検討の積み重ねの過程でよりよい結論に導いていく訓練と機会を与え、そこから考える力・意見や立場の違いが学べるよう仕向けることができたなら、「やりたいことは何やってもいい」といった情況は、少なくとも現在以下に抑止し得たはずである。
「やりたいことは何やってもいい」という行動様式は考える力や意見・立場の違いを感得する能力の欠如によって起こる状況であって、学校・教師が如何にそのような能力を育む教育を怠ってきたか、教師の脳裏にはその種の教育への意識・想像力が存在しなかったかの証明でしかない。
裏返せば、テストの問題を解くだけの教育に終始してきたことの証明でもあり、プロ教師の言う、「日本の学校はもともと学力、生活の仕方、人間関係のあり方の三つを身につけさせるという目標があった」とか、「学校の役割は子どもが社会に出て、一人前の社会人として生きていくのに必要な基礎学力を身につけさせるためにある」とかは目標として掲げても、具体化し、実践させる力は学校・教師にはもともとなく、常に空疎なスローガンであり続けたのである。
このことは学校社会が秩序を保っていた時代においても同じであり、単に伝統的に引き継いでいるに過ぎない。日本社会は従来的に家柄・血筋・社会的地位・学歴といった権威が人間的価値を決定するモノサシとして幅を利かせ、それらが権威主義的に人間関係を秩序づけていた。それぞれが置かれた社会階層的な序列に従った分≠弁えることによって、社会人たり得たのである。
いわば学校が放っておいても、プロ教師の言う社会的な「規制力」=権威主義的秩序と序列によって、一般的にはそれぞれが分≠ニして自らに与えられた場所に収まっていたのである。社会に出ても、社会通念上、それぞれの分≠ェ前以って指定する席にそれなりに収まっていったのである。
ところが、戦後も時代を経るに従った人権意識の広まりもあって、豊かな生活や富を約束する道具としての利用価値から学歴が分≠下克上(げこくじょう)して大衆化し
、人間価値決定の支配的権威の座を占めていくと、学校は学歴獲得の御用達と化すのみで、「人間関係のあり方」とか、「社会的自立」教育とかは政治家の「国民のみなさんのための政治」といった目標と同様、教育というものの体裁を整える方便、あるいはタテマエであり続けたのみなのである。
「他者を受け入れようとしない固い自我、教師の言うことなんか聞かなくていいという雰囲気。今回の事件の根本には、この二つの原因があると考えていいだろう
。学校は教育の場である。生徒がいやがっても押しつけなければならないことがたくさんあり、生徒の自由や人権を制限しなければ教育はおこなえない」(p79)
「他者を受け入れようとしない固い自我」とは既に解説したが、再びの解説はくどくなるが、いくらくどくても教育の現状を示す要点であるから、ここでも改めて解説してみるが、生徒間の言葉の闘わせの欠如=コミュニケーションの不在による意志疎通の欠如を示すもので、日本の学校教育が学歴教育=受験教育一辺倒であることのそのままの反映に過ぎない。
例え相手と意見の食い違いや衝突があっても、複数の第三者を加えた辛抱強い対話と討論(言葉の闘わせ)を通した、自己主張の闘わせ合いとそのことによる相違点の認知をも含めた他者意見との調整の方法を学ぶことを学校・教師が生徒に常に習慣づけていたなら、食い違いや衝突によって生じた感情は抑圧化や爆発に進む可能性は抑止できるだけではなく、逆に「自分の殻に閉じこも」ることもなく、主体的であると同時に柔軟な自我を養うことができたろう。自ら言葉を闘わせる姿勢は主体的な意志を意味し、他者意見との調整は柔軟な自我があって初めて可能となる判断能力である。
いわばプロ教師は常に、常に生徒のありようを表面的に分析するのみで、手をこまねいていたに過ぎないのである。それでプロを名乗っているのだから、神経だけは図太くできているらしい。粗雑な神経だから、図太さを獲得できたのだろう。
では、かつての子どもたちが柔軟な自我の持主だったかというと、決してそうではない
。「授業が退屈でも」、教師が怖いから、「じっと我慢しておとなしく席に座っていた
」情況が象徴しているように、そこにあるのは自分自身であることを殺す自我の抹殺で
あり、他人に意志を預ける非主体性しか見えてこない。
もし相手の力や地位・職業にに合わせて態度を変えるのが柔軟な自我だと言うなら、無節操・主体性のなさと同義語となる。
戦争中の新聞や知識人の軍国主義加担の情況は自分自身であることを殺す自我の抹殺と他人に意志を預ける非主体性を構造とした精神性の賜物で、かつての子どもはそのような大人の存在様式を受継いで自らのものとしていたのである。そのような子どもの姿が軍国主義から民主主義の転換点である敗戦を経てなお引き継がれていたということは、大人が同じ姿を維持し続けて、先導していたことを意味する。それは欧米人からの日本人の非主体性・自我の未確立、あるいは自己主張しない日本人という指摘と一致する
。
戦後の社会の情報化と権利意識の高揚が子どもを以前のように無知な状態にとどめておいてはくれず、否応もなしに多種多様な意見、もしくは多種多様な好悪の持主に仕立ててしまった。無知でいられた時代は有形無形の社会的「規制力」に従って、「授業が退屈でも、じっと我慢して席に座ってい」れたし、地域のガキ集団の中にあっても、力のある者、立場や年齢の上の者の命令・指示に例え正しくないと思えても、言いなりに従っていれば排除されることなく仲間でいられた。子どもには様々な物事についての意見は必要でなかったし、集団を維持する範囲内のルールさえ弁えていれば、成員の資格を維持できたのである。それは大人にしても同じであった。
現在の子どもは社会の情報によって自分の考え・意見・好悪を持つよう、権利意識の発揚を仕向けられながら、大人たち自身が集団主義・権威主義の行動慣習に踏みとどまっているために、結果として子どもたちの権利の実現に集団主義と権威主義の枠をはめ込んでいるのと同じ情況にあり、言葉の闘わせ習慣の排除によって言葉を取上げているために、集団主義的・権威主義的的存在様式に代る権利表現・人間関係表現が未熟な状態に置かれている。それは大人たち自身がそれらの表現を成し得ていない情況の反映としてある未熟さなのだが、それゆえに「自分の殻に閉じこも」り、「他者を受け入れようとしない固い自我」の持主となったとしても、大人のありよう、あるいは大人の子どもに対する姿勢を受けた当然の結果としてある情況なのである。
「学校は教育の場である」などと、太々しいまでにおこがましい。戦後の学校は常にテストの点数獲得のためのコマ切れ知識暗記教育の場に過ぎなかった。いわば知性・教養
・創造力(想像力)を根づかせる教育ではなく、そのような根を省いた上げ底教育の場でしかなかった。
教師が生徒の知性や感性・創造力(想像力)を刺激し得るだけの知的・創造的に内容豊かな授業が展開可能な知性・感性・創造力(想像力)を持ち得たなら、「生徒がいやがっても押しつけなければならない」といった情況が生じることも、「生徒の自由や人権を制限しなければ」ならない情況に追い込まれることもなく、生徒は自ら進んで授業を受けるようになるだろう。なぜなら教師がそのような能力を発揮できたなら、相互の知性・感性・創造力(想像力)が響き合う方向に進まないはずはないからである。
日本の教育がテストの点数獲得を目的とするものになっているということは、必要に迫られてする構造を本来的に抱えた教育であるということである。テストでいい点を取るため、成績表に高い数字が記されるため、高校に受かるため、大学に受かるためといったふうに、その時々の目標ごとの必要の内容と度合いに応じて、姿勢を決定していく。
その上、テストの点数獲得が一夜漬けか二夜漬け、あるいは塾の補習で間に合うような性格のものである以上、中間テストだとか期末テストだとか、必要に迫られたときだけ身を入れれば事足りるのであって、必要に迫られない普段は生徒の感性・創造力(想像力)を刺激するものではないコマ切れ知識の暗記授業に身を入れるのは馬鹿らしくなるのは当然の成り行きとさえ言える。
いわば授業を「生徒がいやがる」情況は学校・教師が無考えに展開しているコマ切れ知識の暗記教育が原因なのであって、「自由・人権」といった意識では決してない。
「新聞報道を読むかぎり、男生徒が女性教師の言葉や態度にひどく傷ついたことは明らかである。ナイフで脅してもひるまない女性教師に、男生徒は決定的に傷ついたのだろう。その後の男生徒の行動は、まるで自我を必死に守ろうとしているかのようである。無我夢中で何回も何回も刺し、倒れた女性教師を蹴ったという報道もあるらしい」(p79)
『ナイフで脅してひるまない女性教師」の態度に「決定的に傷ついた」のではなく、既に「決定的に傷つい」ていた可能性もある。何かで決定的に傷つき、後は相手の何気ない言動にも過度に反応する心理状態にあったかもしれないということである。部屋に充満したガスは人間の目に見えない静電気の火花にさえ反応し、大爆発を引き起こすのと同じで、人間の過度に抑圧され、もはやこれ以上抱えきれないまでに臨界点に達した感情を爆発させるには、ほんのちょっとしたキッカケさえあれば事足りる。
ナイフで刺す行為の激しさからすれば、それまでに蓄積された抑圧感情の量は相当なものだったと考えるべきだろう。例えそれが間違って不当に抑圧した感情だったとしてもである。
見ず知らずのまったくの赤の他人の家に強盗に入った男が家人に見つかり、殺してしまう。それは見つかったことにより冷静さを失い、激しく動転したからだろうが、その動転はその場で起こったものだとしても、動転の激しさ・大きさに比例する前以っての緊張や恐怖の反動として現れたもので、突発的で単一の感情による凶行では決してないはずである。
プロ教師は爆発の前段階である感情が蓄積されていく過程、いわばその過程での人間関係の内容を問題とせずに、刺し殺したという事態だけを取上げて問題にしている。「倒れた女性教師を蹴ったという報道もあるらしい」という指摘にはプロ教師の子ども・生徒に対する潜在意識が窺える。それは憎しみに近いものである。勘繰りに過ぎないかもしれないが、自分は東京大学を出ている教師であるが、それが生徒管理に何ら役に立たないのは生徒の側に責任があるとしていることによって生じている憎しみの感情なのかもしれない。
「因果関係からすれば、女性教師の言動がナイフを引き出したことになるのだが、荒れていない『ふつう』の中学校で、しかもおとなしく目立たない生徒である。危機意識がなかったとしても不思議ではない。生徒の自我が何にどのように傷つくかは、あらかじめ予測などできないからだ。とすると、荒れた学校より、平穏に見える学校のほうがより危険であると考えたほうがいい」(p79)
相変わらず底の浅い観察でしかない。「生徒の自我が何にどのように傷つくかは、あらかじめ予測などできない」としても、生徒の態度・顔色・言葉づかいから、自分に対してどのような感情を抱いているか大体の察しがつくものである。「外からの刺激にひじょうに敏感に反応するようになって、相手の言動に大きく傷つくようになった」ということなら、なおさら態度・顔色・言葉づかいに現れやすくなっているはずである。それを察しがつかないというなら、一方的態度に麻痺しているからだろう。つまり、強権的なだけの、鈍感な人間になっているということである。
確か川端康成だったと思うが、いくら好きあった男女でも、一旦嫌いになると、切ったツメも生理的な嫌悪の対象になるといったことを書いていた。普通の条件下では何ら生理的、あるいは感情的な反応を引き出さないことでも、人間関係の行き違いのもとでは
、些細な様子――鼻をかむ音や咀嚼(そしゃく)するときの口の動かし方といったことすらも生理的におぞましく思えてしまうことがある。そういったことが重なると、行為に及ばなくても、殺意を抱くこともあるに違いない。もう顔も見たくないという生理的反発から逃れられない場合、残された手段は殺すしかないということで、実際に殺人に至るケースもあるだろう。人間関係の破局は結末は重大なものであっても、その発端と経緯は意外と単純な場合もある。
問題は修復する機会を見い出せないままに感情の衝突・軋轢を積み重ねて恨みや反発を溜め込むことである。今迄、「おとなしく目立たない」成人の殺人を犯した例がいくらでもあるが、その多くが力関係が上の同僚や直接的な上司に対する人間関係の摩擦を原因としたものである。上位者の一方的で理不尽な支配・強制に下位権威者が「じっと我慢して」耐える時代ではなくなったのである。
どの程度に一方的で理不尽であるかは、受止める側の感受性によって決まるが、その許容限度は時代的な権利意識の広まりに影響されて、年々垣根を低くしているばかりか、権利意識の低年齢化に伴って、許容年齢も低下しているという事実を見逃してはならない。
いわば直接的な上位者からの一方的で理不尽な支配・強制による人間関係の摩擦を原因とした殺人事件も低年齢化傾向にあると同時に、その種の支配・強制に対する忍耐が権利意識との兼ね合いで無意味化していて、それらはもはや無視できない時代的な現象でもあるということである。そういったことを常に頭に入れておいたなら、「予測でき」るかどうかよりも、今までどおりでいいのかどうか、人間関係の方法にこそ、想像力を働かすべきだろう。
良好な人間関係とは言うまでもなく相手に対する不快な感情を溜め込まない関係であり
、そうするためには言葉を通過点として自分のこうありたい状態を伝え、相手のこうありたい状態と折り合いをつけなければならない。例え折り合いをつけることができなかったとしても、お互いに自分の立場を知らせあうことで、お互いの違いを悟り、それぞれがそれぞれの違いを認め合うことで、いわば自分の違いを触らせないことで自分を守ることが可能となる。
「こうして貰いたい、ああして貰いたい」、「こうすべきだ、ああすべきだ」、逆に、「そうすることはできないから、君は君の好きなようにしたらいい。僕は僕の好きなようにする。お互いに干渉しないでやっていこう」と相互に自分を知らしめ合う(他人から見た自分を知り・自分から見た他人を知る)自由な言葉の闘わせを主体とした人間関係の実現を果たすことによって、「予測でき」る「できない」云々は問題ではなくなるだろう。
他人から見た自分を知り・自分から見た他人を知ることによって、相手との距離を定めることができる。いわば、その人間に対する自己の守備範囲・守備位置を定めることができる。ナイフで刺し殺した生徒と女性教師の間に自由な言葉の闘わせが存在していたなら、それぞれに自己の守備範囲・守備位置を弁えることによって生じた相手との距離が余分な感情の蓄積を防いだはずである。
「殺された女性教師はもちろんのこと、殺してしまった男生徒にとっても」「不幸な出来事だった」(p78)が、「不幸は若い女性教師だったということにもあったのではないか。もし強面(こわもて)の男性教師だったら、この男生徒は自分の殻に閉じこもったのではないか」(p80)
相手が女だから与し易い(くみしやすい=相手として恐れるに足りない『大辞林』)というのは男の腕力性や威嚇性で相手を言いなりにしたり、圧倒したりする権威主義の人間関係意識からのものであるが、「強面(こわもて)の男性教師だったら、この男生徒は自分の殻に閉じこもったのではないか」との認識にある「男性」の「強面(こわもて
)」に抑止力を見い出そうとする意識も、男の腕力性や威嚇性に価値を置く権威主義的人間関係意識からのものである。
いわば権威主義を行動価値観としている点において、相手が女だから与し易いとする人間もプロ教師も同類なのであって、プロ教師にはそのような人間を非難する資格は何一つない。
また、生徒に体罰や暴力を振るう教師にしても、そういったことをなし得るのは腕力性や威嚇性が自分の方が上回る相手に限られてのことで、自分より体力が上だったり、仲間をたくさん抱えた番長グループのリーダやグループ員だったりしたら、見て見ぬ振りを決め込んだり、逆に媚びたりする類の、弱い者には強く出れるが、強そうな者には怯(ひる)んでしまう教師たちの人間力学は、「自分の殻に閉じこもったのではないか」とするプロ教師の論法が教師にも当てはまることを証明するもので、生徒だけの問題として扱うのは不公平なだけではなく、無知を振りまわしているに過ぎない。
校内暴力時代には、攻撃の多くは女性教師よりも腕力の点で優れている男性教師に向けられた。これはプロ教師の論法から外れるが、生徒が変ったわけではなく、勢いと慣れと情報からの学習による連鎖反応が仕向けたもので、現在の生徒にしても、最初は意図しない偶然の攻撃がキッカケとなって「自分の殻に閉じこも」ることのない男性教師攻撃を慣習化しないとも限らない。
その証明として、学級崩壊現象は女性教師の授業に限られてのことではなく、男性教師の教室でも展開されていることを挙げることができる。いわば、生徒に相手にされない
、生徒に騒がれる「不幸」は女性教師と男性教師の共有するところとなっているのである。
情報からの学習には時代的な情報も含まれる。校内暴力は大学闘争における国家権力を含めた上位権威に対する暴力的抗議行為(それが社会的支持を受けたものであったかどうかは別問題である)に関する情報からの刷込み、あるいは便乗の要素が多分にあったはずである。
逆説的に言えば、現在の社会は全体的に保守化し、権力に対する攻撃意識=強い反権力意識が失われているために、学校の生徒においても、全体的な反権力的攻撃とは無縁の個人な感情レベルの攻撃にとどまっている側面があるに違いない。いわば学級崩壊においても、「授業がつまらないから・面白くないから」騒いでいるのであって、「授業のやり方がまちがっている」ことへの異議申立てだったなら、教師を教室に入れないなどの集団的反権力抗議行動となって現れるに違いない。
強い者に言いなりとなり、弱い者を言いなりとする集団主義・権威主義の態度は比較上位者から比較下位者へ方向を取った言葉の抑圧を中心的なメカニズムとして成り立つ。言葉の抑圧は感情の抑圧化を必然化する。
言葉の抑圧とは、地位や立場を超えて言いたいことを言う人間関係構造の欠如・不在による、言いたい言葉を飲み込む、あるいは殺す状態を言う。
「ナイフで刺し殺」すということは言葉をそういった行為で代理させた(代償させた)ということを意味するもので、それは生徒が言葉の抑圧を抱えていたということも意味している。いわばプロ教師が言うように、相手が「女性教師」だったから、「ナイフで刺し殺」されたということだけが動機ではなく、「女性教師」の側から生徒の方向に向けた言葉の抑圧の存在も動機のうちに入れなければならないはずである。いわばお互いに言いたいことを言い合う関係の欠如・不在も動機の一つとして数えなければならない
。
被害者が例え「若い女性」だったとしても、既に指摘したように生徒に対して上位権威者の位置に立っていたのであり、生徒に言葉の抑圧の罪を犯す加害者の側面もあったことを見逃してはならない。
「今回の事件は私たち教師に、どんなに平穏に見えても、生徒の動きをよく見て、次の対応を考えなければならないことを明らかにした。その際、勘がはずれれば、暴言、暴力、場合によってはナイフと言うことも覚悟しなければならず、私たちは毎日ギリギリの綱渡りをしていると言っていい。学校はもはや教師にとって安全な場所ではなくなったのである。
それは家庭でも同じではないか。最近、家庭内で子どもが親に暴力をふるうことがふえているという。ナイフで刺す事件も報道されている。ひょっとすると、すでに子どもたちの自我は確立してしまったのかもしれず、そうだとすると、教育などとても無理である。私たちは、教育が、いや子育てそのものが本質的に困難な時代に直面しているのかもしれない」(p80)
「次の対応」とは、「所持品検査」とか、「心の教育」とかを掲げているが、それは
次回の第2部で紹介することにする。「生徒の動きをよく見て」と言っても、表面的に切り取って、表面的にしか解釈できないのだから、期待できるものは何もない。反面教師としての意義を見い出し、子どもたち・生徒たちを取り巻く情況が少しでも改善されればと願うのみである。
「子どもたちの自我は確立してしまったのかもしれず、そうだとすると教育などとても困難である」と言っているが、(p16)では、「最近の生徒を見ていると、自我に柔軟性がなく、固くて非常に個別的、つまり社会性がなくなっているように思われる」と説明している。このことがそっくり日本人の大人にもあてはまり、大人のありようを受継いだ子どものありようなのは既に説明済みであるが、言葉を少し変えて改めて説明してみよう。
日本人が血とし、肉としている集団主義・権威主義の思考様式・行動様式のパターンとなっている、地位や力ある者に言いなりに従う自己抑圧、あるいは自己抹殺と、その習性の反動としての比較下位者には無条件に自己を従わせようとする自己絶対化の常なる自我の二律背反性が「柔軟性がなく、固くて非常に個別的、つまり社会性」のない「自我」構造を作り出しているのである。繰り返しの説明になるが、上司にはペコペコと頭を下げ、部下には威張り散らした態度は、「柔軟性」のある「自我」からのものではなく、自我の喪失、あるいは自我の抹殺によって可能となる態度である。
「教育などとても無理である」とするなら、では、何のためにプロ教師を名乗っているのだろうか。一般の教師には「無理」だが、自分には可能であるとすることによって初めてプロを名乗る資格が出てくるはずである。名乗るばかりで、匙投げ状態だとは、情けないだけの話ではないか。
なぜ学校教育者は生徒の自我を柔軟性と社会性を備えたものに教育できないのだろうか
。自我とは自分なりの自己を言い、自分なりの自己を基本とした自己を守ることによって、自我は確立される。自分なりの意見・考え、自分なりの価値観・倫理観、あ
るいは自分なりの義務意識・責任意識等を有し、それらを基本として自己を統一させることが条件となる。
生徒それぞれの可能性や創造性を無視して、教科書にあるとおりの意見・考え・価値観
・倫理観・責任意識・義務意識を押付け、そのとおりを守らせようとする狭い意識の植えつけからは、低いレベルで統一された似たり寄ったりの自己しか期待できない。他者における自分との違い、あるいは自分における他者との違いを知るには言葉と言葉の闘わせが必要である。そのことが自分なりの自己の発展や確立を可能とする社会や人間に関する深い認識を生み出す契機となるものである。
確かに親のしつけが悪い。ああしろ、こうしろ、あるいはそれはダメだ、これはダメだ(「もっと勉強しなけりゃ、ダメじゃないか」「こんな成績でどうするんだ」「高校ぐらい出なければ、世間には通用しないぞ」「一人前の人間として生活していくには大学を出ろ」etc.etc.)といった権威主義的な一方通行の言葉しか持てないことがしつけ不良の大きな原因となっている。子どもの独自な言葉を生み出す独自な言葉を親(大人が
)が備えていないためのしつけ不良なのである。子どもの感性や想像力に響く言葉とは無縁の、親の一方通行の類型的な言葉が、芽吹き育まれなければならないはずの子どもの独自の言葉を抑圧し、歪めるだけの役目しか果たさないとなれば、「柔軟性」と「社会性」を備えた「自我」など期待できようはずはない。
学校教師が学校教育者としての勉強と経験を重ねたはずなのに、親の言葉の貧困・欠如をうわまわって、輝きを放つことのない貧弱な言葉しか持ち得ないために、親の貧弱な言葉を受継いだ生徒は学校社会においても言葉の停滞を余儀なくされ、生徒が大人となり、親となっても、同じことの繰返しのしつけ(貧弱なままの言葉の受継ぎ)を延々と相続していく循環構造が、しつけ不良となって現れているのである。
権威主義が決定的に有効だった時代は抑えつけるだけで、しつけは体裁を整えることができた。親は親として存在し得た。学校教師は、「授業が例え退屈でも、じっとおとなしく座っていろ」式の支配・強制で教師としての体裁を維持できた。勉強ができるかどうか・するかしないかは生徒それぞれの心掛けに任せておけばよかったのである。
だが、子ども・生徒は言葉を持たないままに、親や教師やメディアを通した社会の情報から権利意識だけを刷込まれ、そのために義務とのバランスを欠いた、あるいは責任を省いた、正当な表現とは程遠い権利突出欲求が子ども同士・生徒同士の人間関係に微妙な衝突状態を招いている。
となれば、親のしつけ不良を断ち切るには、学校教師が生徒の感性・想像力を刺激し、育む豊かな言葉をまず自分のものとすることが前提条件となる。それを伝えることによって生徒が獲得した豊かな言葉は親の立場に立ったとき、例えしつけの形を取らなくても、日常普段の何気ない会話の中からも子どもに自然と受継がれ、それらは子どもの思想や知性の形を取って、「柔軟性」や「社会性」を備えた「自我」へと肉付けされていく道をたどるはずである。
なぜなら、豊かな言葉は社会や人間に関する深い認識を骨格として獲得可能なもので、そのような認識自体が「柔軟性」や「社会性」を備えた「自我」への育みを含んでいるからである。親は生徒のときに既に学校教師の豊かな言葉によって、「柔軟性」や「社会性」を備えた「自我」の獲得に道筋をつけることになるだろう。
今回はここまで。
次回の第2部は5月下旬か、6月上旬予定。