「市民ひとりひとり」   教育を語る ひとりひとり 政治を社会語る そんな世の中になろう              

        第91弾   電車の遅れが招いた大事故
                                      メール討論から     upload.5.07.18 .()          


 

 

 

 

                                                                

                                                                                                                                                                                                                                      
                          

 

 

                                  死神が笑っていないか。
                
                   05年5月4日アップロードの
第89弾 <電車の遅れが招いた?大事故>
                   に対する 次の通りの批判のメールが届いた。
                    名前は出さないという約束で公開の許可を得た。
                       仮に
A氏としておく。A氏の文章は≪緑色≫で、私の文章は、≪茶色≫ で記す。
             相互の批判は最後まで平行線をたどったわけだが、
            読者に内容の判断を委ねるしかない。

 

メール1

送信者: A
宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : 尼崎事故の論評の件
日時 : 2005年5月15日 23:08

初めまして。Aと申します。
休日のネットサーフィン中に偶々貴殿のページにめぐり合いました。

貴殿の論評について、批判的な視点で検証すべきとの姿勢には大いに賛成いたしますが、文中で疑問を投げかけていた幾つかの点について、技術屋の目から見ると「トンチンカン」な指弾をしているように感じたため、筆をとった次第。

まず
「なぜ2両目をクレーンで吊り上げて〜広い場所に引き出せば、作業の効率は格段に上がる。」の件ですが、潰された車両にけが人が挟まった状態で、「吊り上げたり」「引き出すことは」できません。けが人を殺します。事故車両のわずかな隙間で生き延びていた生存者を、潰さずにクレーンで吊り上げることなど、事故の衝撃で筐体(この場合電車の車体)の自己支持性がほぼ失われていた状態では不可能です。たとえクレーンを10台持ってこようと、「壊れてしまった構造物」を変形させないで吊ることは無理なのです。(死人の勘定をしたいのなら「作業効率は格段に上がる」ことは間違いないですが。)

恐らく、クレーン車は駆けつけてみたものの、「生存者が挟まっている」という状況を知って呆然としていたのが真相に近いのでは。「静かに吊り上げること」は不可能なのです。数cmのたわみも許されない状況だったのです。ましてや力を加えたら何処が壊れるか分からない破損車両を「変形ゼロ」で吊る・引き出すなど、何ヶ月も時間をかけて調査・強度計算が行われていたとしても可能性はほぼゼロと言えます。


次に「中和剤」の件ですが、専門家から言わせてもらえば既にこの名称からして使っていただきたくないですね。化学的な中和とは全く無関係であり、実際は水中への油分散剤であり、法的には油処理剤といわれております。(「液体合成洗剤の親戚」と理解していただくのが一番分かりやすいと思います。)尚、今回の場合、漏れ出したガソリンは潰された車や電車の隙間などの見えない空間にあったと想像でき、粉末のゲル化剤は役に立たないと推測されますので、液状タイプに話を絞ります。(また、ゲル化剤はガソリンを吸着して「揮発性」を落とすことで火災の発生を抑制しますが、ガソリンを吸着したゲル上物質は「可燃性固体」になっていますから、チェーンカッター等の直火の発生する場所では元来役に立ちません。結局火がついたらとっても良く燃え上がってしまいますから。)

さて、この「油処理剤」を撒くことが、この現場において可能だったかというと、やはり“No”と言わざるをえません。この理由は、元々「水中への油分散剤=界面活性剤」というものが人体に対して無害ではない点、特にガソリンのような高揮発性・低比重で危険物等級ランクの高い物を水中に溶かし込むための油分散剤は、経口で急性中毒を引き起こすような物質であり、多くの人が傷ついたまま閉じ込められている車両にこれを用いることは、生存者にとっては「拷問」以上の苦しみを与えかねません。(傷口にこのような化学物質が入った場合、試したことが無いので実際どの程度の痛みかは分かりません。でも試すのが恐ろしい程の「激痛」ではと想像されます。)さらに多量の水を必要としています。生存者を水攻めにしなくてはなりません。

油処理剤は、元々剥き出しの人体に直接触れることは想定されておりません(特に傷ついて血を流している人体には)。優先は「油(ガソリン等)の分散・固形化処理能力」であって、これに最近は「環境負荷低減(生分解性の付与等)」が加わっていますが、「環境に優しい≠人体に優しい」ということなのです。(人体に優しく、環境に厳しいフロンガスはその好例)


今回、レスキュー隊は「油処理剤」を持っていなかったのではとの指摘をされておられるようですが、危険物取締りの総元締めである消防庁直属の人間に対して「使わなかったから」というだけで疑念を抱かれるのは少々拙速では?小生は化学プラントに従事する関係上、監督官庁である消防署の人間を些かながら見知っておりますが、彼らは「火災・爆発の防止と効果的な消火体制の研究」に没頭しており、今回の状況では火災による2次災害が最も危険であることは百も承知であったはず。小生としては油処理剤を撒かずに作業したことの方が、平静の彼らを知っているだけに一瞬意外に感じた位です。ただ直ぐに「油処理剤」の有毒性を思い出したので得心しました。
(そう、彼らは消防だけでなく救急救命のプロでもあり、この現場で自分の装備が使用可能か否かの判断は直ぐにできたんだ、と。)つまりは、自分たちの危険を顧みずに現場で救出作業を行ったのであって、賞賛こそすれ非難めいた疑念は、ちと的外れの評価と思われるのですが如何なものでしょうか?

事象に対する
「検証」の必要性を強く訴える貴殿の考えは実に素晴らしい意見であり、日本人の「組織」に欠落しがちである嘆かわしい状況を憂えての発言だと思われますが、その為の「引例」として前述の二点を挙げられたことには少々残念でした。
特に
「クレーン」の一文は、技術屋や建築・製造現場でモノを触っている人間なら誰もがといえるほど小生と同じ事を言うと容易に想像されます。そういった人々からは、「自分の理解だけで物事を見下す人間」と貴殿がみなされてしまい、せっかくの高論卓説も水泡に帰してしまいます。もし、上記の説明にご理解いただけるのなら、本文の訂正されることを期待します。

#理系の人間は、物理的化学的な事象に対しては常に慎重に扱うことが求められており、そこには畏怖さえ感じる程です。従って、その領域での議論には必ず多面的に評価することが求められており、軽々しく自分の思い込みを論じるなどもっての他なのです。自分で理解できない場合は率直に「分からない」と聞くべきであり、自分の考えが適当か否かも問うべきでしょう。(政治や法律のように人間が決めた事象を扱う場合と自然科学や技術の事象を扱う場合には、論議する際のスタンスを変えるべきです。)

以上、長々と駄文を連ね、失礼しました。

※メーラー変更と同時だったため、設定ミスでもしかしたら、複数通の同一メールが届いている可能性があります。その際は平にご容赦願います。

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返信1

送信者: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先 : A
件名 : Re: 尼崎事故の論評の件
日時 : 2005年5月22日 22:05

 A様へ

 メールを戴いた手代木です。あなたからの批判のメールは水曜日頃だったと思いますが、一旦は開いたのですが、2週間ほど前から頼まれアルバイトに出掛けていて、年のせいもあって、返事を出すだけの気力もなく、放置したままになったいました。返事が遅れて相すみません。

 <たとえクレーンを10台持ってこようと、「壊れてしまった構造物」を変形させないで吊ることは無理なのです。(死人の勘定をしたいのなら「作業効率は格段に上がる」ことは間違いないですが。)>との指摘に関して質問させてください。

 まず最初に、<数cmのたわみも許されない状況だった>ことは理解できますが、<事故の衝撃で筐体(この場合電車の車体)の自己支持性がほぼ失われていた>とは、車両として正常な状態にあったものが、衝突の衝撃で左右から押し潰された形状へと変化した範囲での<自己支持性>の喪失を指すのではなく、そのような形状変化を経て、全体的な強度自体も、ほんの少し吊り上げただけで<たわ>んでしまう程にもヤワで脆い状態にまで<自己支持性>が低下していたということですか。

 例えばトタン板は何も細工しないで平面の状態で吊上げた場合はたわみしなって、水平方向に形状を維持できませんが、垂直に立てた状態では、形状を維持した状態で吊上げることは決して不可能ではありません。車体は確か縦方向ではなく、横方向に押し潰された状態で変形していたはずで、それ以上横方向に圧力を加えなければ、変形を引出さずに吊上げに耐えられたのではないでしょうか。

 またシロウトがと、あなたのようなプロの
<技術屋の目から見ると「トンチンカン」な>と叱られそうですが、ワイヤーを車両に触れない状態でクレーンで吊る方法はあります。

 車両の左右の幅以上の長さのH鋼を車両の屋根近くでクレーンで吊って、そのH鋼から4本のワイヤーを吊り下げて、それぞれの先端を車両全体を水平に吊ることのできる適当な位置の車輪に取付け、ワイヤーが逆八の字型になるようにして吊る方法です。H鋼の両端には誘導綱を取付けて、それが車両前後の線に対して常に直角に交差する位置に近くに待機した人間が手元作業で操作します。逆八の字型に吊ることで、ワイヤーが車両に接着せず、その圧力によって、少なくとも車体は横方向の変形を免れます。H鋼を長方形に加工して、長い辺を車両の前後の方向に添わせて4本のワイヤーで吊上げたなら、なお変形を弱めることができると思います。


 横方向の変形を免れたとしても、車両の片側がマンションの壁面に密着した状態で張り付いているために、その面の車輪にワイヤーを取付けることができない場合は、40トン荷重クラスのフォークリフトを車体を持上げることのできる能力台数分並べるか、それでも縦方向の変形を防げないなら、防げる範囲で可能な台数を横並びさせて、地上10センチ程度持ち上げて静かに引出すという方法は、あなたの<技術屋>としての目から見て、不可能でしょうか。

 大型フォークリフトは貨物駅や港湾に常備されています。重機輸送のトレーラーで移送させたなら、さして時間はかからずに現場に到着させることができるでしょう。

 クレーンは待機させていたが、フォークリフトの姿はテレビで見る限り見かけることができなかったから、そのような判断がなかったからなのか、フォークリフトを用意しても使い道はないと判断してのことなのかどちらなのでしょうか。


 但し、言うまでもなく、ワイヤーで吊って車両を水平に保てず、吊った箇所を支点に両端が持ち上がった状態で湾曲するまでに<自己支持性>が失われていたなら、つまり簡単にたわんでしまうまでに強度が脆くなっていたなら、あなたの指摘どおりに、まさに<けが人を殺し>てしまうことになるでしょう。

 それでも、救助作業の迅速性は問題にしないわけにはいきません。<潰された車両にけが人が挟まった状態で、「吊り上げたり」「引き出すことは」できません。けが人を殺します>とか、 <(死人の勘定をしたいのなら「作業効率は格段に上がる」ことは間違いないですが。)>との指摘は、救助作業が長引いたことで生命を失った者がいない(一人として<けが人を殺>さなかった)という前提を絶対とすることができるなら、正当性を持ちますが、そのような前提とは正反対に<けが人を殺>すことになっていたなら、同じ状況をつくり出すよりも、より少なく済ませることが可能と計算できるなる、<数cmのたわみも許されない状況>、あるいは<力を加えたら何処が壊れるか分からない破損車両を「変形ゼロ」で吊る・引き出す>ことが不可能だとしても、それらを無視して、より少ない<死人>の出来に抑えてより多い<けが人>の状態で救出すべく、より迅速で効率的な救助活動ができる状態に持っていくべきだと思います。

 勿論その計算は難しいものがありますが、救出作業の迅速化及び効率化が「死なせてしまう」だろう人間の数と、救助作業の遅滞によって「死なせてしまう」だろう人間の数を予想して、その差引き計算によって、より少ない数の救出方法を取るという思想を救出活動に取り入れて、専門家や政府関係者の判断に任せるというやり方です。

 阪神大震災では水道管の破裂による消火水の停止が火災に対する消火活動の無能化を招いたことと、自衛隊の救助出動の遅れが重なって、死者を手をこまねいた状態でいたずらに増やしましたが、あのとき、水が出ないなら、江戸時代の大火災の消火に習って、火災地域の風下に位置する倒壊家屋の生存者の有無の調査を遠隔操作の小型カメラを使用して先行させて、生存者の存在が確認できなかったなら、例え死者を押し潰すことになったとしても、大型ブルドーザーを使用して倒壊家屋ともどもに可能な限り延焼を免れることのできる場所に寄せ集めて、緩衝地帯を設けるといったことをしなかったのだろうかと思い、また、消防当局はヘリコプターからの放水はその重力で倒壊家屋に閉じ込められたまだ生きているかもしれない人間を圧死させるかもしれないからと、その方法を取らなかったと弁明したが、例え圧死させることになったとしても、消火が成功して延焼を防ぐことができ、より多くの人間が救出できたなら、その方j法を取るべきではないかと思った経験が言わせた私なりの思想≠ナす。


 <恐らく、クレーン車は駆けつけてみたものの、「生存者が挟まっている」という状況を知って呆然としていたのが真相に近いのでは>ということですが、日本人には責任が自分に振りかかることを避ける性向があり、上の人間の言うことだけをやる、言われたこと以外余分なことはしない、自分からは口を出さないといった行動性から免れられないところがあります。特に人間の生き死にに責任が関係してくることには事勿れな提案しかしないケースが間々あります。積極的に、ああしたらどうか、こうしたらどうかと提案したかどうかは私は常に疑ってかかることにしています。あなたはそうでなないでしょうが。

 「中和剤」が
<油分散剤>であるとは迂闊にも知りませんでした。しかし例え<油分散剤>であり、現場に散布することがあなたの指摘どおりにその使用は危険で、<“No”と言わざるをえ>ないという指摘が正しいとしても、エンジンカッターを使用しても引火を防ぐ他の方法はなかったのでしょうか。

 例えば、高圧水流でガソリンを側溝等の水路に限りなく洗い流してしまう方法や、油がこぼれたとき応急処置として砂を撒くとかしますが、撒ける範囲で砂を撒いてガソリンを付着させておいてから、高圧水流で砂と一緒に流してしまう方法は不可能でしょうか。車両の下にまでガソリンが流れ込んでいたとしても、水流と砂に押し出される形で洗い流すことが可能に思えますが、<トンチンカン>な指摘に過ぎないでしょうか。ガソリンが揮発してガス化していたなら、扇風機で拡散する。あるいは家庭用洗剤は刺激臭を与えずに油分を拭い去りますが、家庭用洗剤と一緒に高圧水流でガソリンを洗い流すことは不可能でしょうか。

 あらゆる緊急事態に備えた、それぞれの解決方法の創造が危機管理に必要とする思想となり得ると思います。

 
 <今回、レスキュー隊は「油処理剤」を持っていなかったのではとの指摘をされておられるようですが、危険物取締りの総元締めである消防庁直属の人間に対して「使わなかったから」というだけで疑念を抱かれるのは少々拙速では?>ということですが、そのような<疑念>を抱いたのは、阪神大震災の危機管理のお粗末さに重ねて、中越地震で山崩れによって生じた土石の下敷きとなった軽自動車に閉じ込められた母親と子供の救出作業で、かなり時間が経過してから、確か暗くなる少し前だったと思いますが、ホースが下方向から埋没箇所にまで引き上げられてきました。太さから判断して、電気を使用するためのコード(キャプタイヤ)ではなく、エアコンプレッサーのエアホースらしきもので、テレビのリポーターだとかも、鉄板を切るためのカッターか鉄を挟みつけて引きちぎる器具を取付けるためのホースではないかと解説していたのですが、それが必要になってから準備したように思えた経験が私に学ばせた<拙速>判断です。

 なぜ最初から必要になるかもしれないすべての準備を前以て予想して、その段取りを付けておかなかったのでしょうか。テレビで見る限り、10人近くのレスキュー隊員が近くに控えていたのですが、そのすべて人間が一度に軽自動車に取り掛かることができずに、そのうちの多くが周囲を取り囲んで救出作業を眺めているだけの状況でした。それらの誰かが指示を出すなり、準備にかかるなりするだけの時間的余裕はあったはずです。なかったのは、判断のみです。有効に判断がなされていたなら、例え地震で道路が決壊して通行不可能な状態だったとしても、ヘリコプターが控えていたのですから、必要になる前から準備は完了させることができたはずです。

 確か救助に当っていたのは東京のレスキュー隊だったと思います。日本を代表すべき東京のレスキュー隊がそのザマですから、一度そのような経験をさせられると、ついその方向で考えてしまうのは私だけでしょうか。


 例え結果的に使用せず、準備が無駄になったとしても、必要になるかもしれないすべての事柄を前以て準備しておくのことを危機管理の思想とすべきだと思います。そうでなければ、いつ起こるかもしれない地震に備えてあれやこれや準備することに反する災害救助隊の矛盾した行動ということになります。

 起こった場合の関東地震や東海地震に於ける死者数を公的機関は予想していますが、それがかつての関東大震災や最近の阪神大震災をサンプルとして割り出した、自然災害を原因とした仕方のない人為的責任外の数字と設定される危険をも孕む両刃の剣ともなり得る数字です。救助活動の思想の構築如何によっては、その数字に人為的に増減を生じさせることも可能となると思います。


 <「中和剤」の件ですが、専門家から言わせてもらえば既にこの名称からして使っていただきたくないですね>

 テレビでは、「中和剤」と言っていました。我々一般市民はマスメディアを通して殆どの知識・情報を得ている立場にあるという限界を抱えています。あなたにしても専門以外の知識・情報は、その殆どをマスメディアの情報に頼っていると思います。いや、俺はすべての知識・情報を専門書や実地の研究から得ているということでしたら、謝りますが、それでも「中和剤」という呼称が誤解を招き、不都合であるなら、一般的な情報の受け手の助けになるように、専門家の立場から、正式にマスメディアに呼称の変更を申し込んで下さい。

 最後に、<本文の訂正されることを期待>するということですが、<訂正>する積もりは現在のところありません。但し、これこれの反論があった、その反論に対して、こう述べたとHPに乗せるために、あなたのメールの転載を許可していただけないでしょうか。勿論、私のメールに対するあなたの再反論があった場合は、その メールも含めて記載したく思います。

 といっても、アルバイトが今月一杯で終わった後での記載となりますが。

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メール2

送信者:A
宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : Re: 尼崎事故の論評の件
日時 : 2005年6月1日 5:08

手代木さまへ

出張や発熱でダウンしていたせいで、ご返事が遅れましたこと、ご容赦ください。

さてクレーンの件で、丁度当方のプラントに60tクレーンと25tクレーンで装置を搬入することがごく最近ございまして(2台で装置を吊った際に左右を傾けて建物の梁を回避しながら2階部分に据付ける工事です)、昼飯時にオペレーターと雑談をする機会がありました。
話を聞くと、基本的にクレーンで吊るものの中に「人間」がいること自体が想定されていないとの事。ましてや「はさまれた人間」がいる状態でなんかで作業なんかはヤレナイと、腕は立つがガラの悪いオペレーターのおじさんから一言ありました。(あまり突っ込んで聞く時間も無かったので、「法律上禁止」なのか単に責任上できないのかは不明です。)とすると、何のために早い段階で現場にクレーン車を数台持ち込んだかは、少々謎です。(周りの倒れた架線の柱や自動車等の退かしたいモノの為?)

自己支持性の低下についての件ですが、特に死者が多く、救出に手間のかかった2両
目について、より細かく見てみましょう。マンションの1階部分の柱に対して張り付くように「く」の字型に曲がっていた状態です。そして車両の左右がほぼ潰れる形になっています。これを見て「トタン板」の比喩を出されたと推測しますが、落とし穴があります。まず板が重力方向に「完全に垂直になっていれば」という仮定が無けれ
ば成り立たないという点です。少しでも重力方向に傾いた板を吊り上げようとすれば、必ず水平方向にも力のベクトルは発生しますから、板は簡単に撓みます。さら に、「板」と仮定することも既に実態から乖離しています。3次元の話を文字にする分かり難さを我慢していただきますが、水平をX-Y平面、重力方向をZ方向としたとき、この構造体にX-Y方向に力が掛からないようにすればZ方向の力に耐えられるという保証は有りません。電車の前後方向をX軸にします。この事故ではマンションとの衝突がY方向からと話を単純化するとX-Y平面で「く」の字に曲がることになりますが、この曲がった部分の強度は極端に低下しています。これは「車両」というものが四角い断面の状態で強度を保持できるのであって、Y方向からの強い衝撃で四角が潰
れてしまった場合、「折れた」状態に近いと推測されます。実際はもっと酷いもので、車両全体が複数箇所で折れ曲がり、ほとんどペシャンコになっていましたから、Z方向から吊れば場所によっては最悪Z-X平面で折れることも有りえます。(少なくとも撓む可能性は非常に高いと推測されます。)

些か失礼な物言いをしますが、貴殿は金属の強度に対する「過信」のようなものをお
持ちのように見られるようですね。モノコック構造体は、その形状が保たれて初めて強度が発揮されるのであって、変形してしまえば何の保証もなくなります。1mm厚のジュラルミン(構造材用のアルミ合金)の板をプレスして襞状の凹凸をつけることでまず板としての強度を上げ、それを四角に組み合わせて車体としての強度を出していますが、横方向からの衝撃に耐えられる設計にはなっておりません。構造体が潰れてしまったときに、20m近い長さのどの部分なら力を掛けても構わないのかなんて、X線検査機使って強度計算を重ねてやれたとしても、「撓み無しで」実行することは、常識の範疇に無いのではないでしょうか。

次に「H鋼云々〜」のところは、まず上記と同じ理由で使えません。H鋼と車両が完全に一体化できて、H鋼に支持させることが可能でない限り意味がありません。現実問 題として複雑に曲がった車両とH鋼をどうやって一体化させるのか、方法が思いつきません(元より溶接なんぞが出来ない環境下ですし)。またH鋼と車両の間を吊れば、同様の撓み問題が発生します。それよりも誰がH鋼を用意してくるのでしょうか?数十トンもある車両を支える(と考えられる)H鋼ならかなりのモノです。ホームセンターで売っている建材の延長でH鋼が入手できると思われているのなら大きな誤解です。あれは全て使用目的に合わせた特注品であり、容易に入手できる代物ではありません。JRが予め用意していなければならない物とするのなら、ますます無理解の
批判になってしまいます。(「旅客機は墜落の危険があるから乗客にパラシュートを配りなさい」と言うよりも更に「予見」出来ない事態に対処せよと、求めることになりますから。それも役に立つかどうかも殆ど分からないものに。)

「車輪云々〜」は全くの的外れです。電車や列車の構造を調べてみれば直ぐに分かります。(例えば
→http://www1.odn.ne.jp/~aaa81350/kaisetu/truck/truck.htm)
車輪のある台車部分と車体は、リンク式の牽引装置と空気バネで「接している」と言ってよく、自由に動く台車の上に車体を載せている状態と思ってください。(つまり車輪のある台車部分はリンクを中心にして勝手に動いてしまうのです。)

「大型のフォークリフト〜<技術屋>としての目から見て、不可能でしょうか。」この場合、時間のファクターが最重項であり、人命救助の範囲内の時間では「不可能」と断言できます。
まず細かい話から。数十トンの車体を持ち上げるのに大型フォークを使う場合、フォークにかかる力は、車体の重量(重力)とそれを持ち上げるために加える力の反作用とフォーク自らの重量(重力)になります。それら全ては「地面」にのしかかってくるのです。現場の地面の改良から行う必要があります。手っ取り早くは、分厚い鉄板を用意することになりますが、その鉄板を「水平に」敷き詰める必要があるのです。フォークは「水平で硬い路面」でしか機能しません。傾いていたり、柔らかい土壌の上で使用できません、お分かりですね。本体の動かないクレーンよりもフォークの方が使用の制約は大きいです。

大きな点では、「クレーン」のところで記したことと同様の理由で使えません。撓みます。どんなに「静か」に行うことが出来たとしても、力を加えることには変わり有りません。ここら辺の認識が貴殿と合わないところのようですね。「静か」だろうと「ゆっくり」だろうと力を加えること自体が問題といっているのです。正常なモノコック構造体の車体に力を加える場合は、「設計強度」という指標があって、加えてよい力点部位も指定されてあります。しかし、潰れたモノコックボディが見ただけでどの程度の強度があるかなんて全く分かりません。というか軽量化のためにぺらぺらに薄くして構造だけで力を持たせていたものが、構造が壊れたらぺらぺらの素材の強度しか発揮しないのは容易に想像できるでしょう。それも20m近い長さの薄くて複雑に折れ曲がったモノ・・・・中には瀕死の怪我人が挟まったままで。

力を加えて何とかしようとする考え方に対して、小生は疑義を唱えているのです。被害者である乗客の方々が正確にどの位置に挟まっていたのか、詳細な情報が無いので「断定的な」物言いは少々避けたいところでは有りますが、TVや新聞等の映像・写真で見た2両目の潰れ方から見て、事故後長時間経ってから救出された方々は、もし車両を動かしていたら即「圧死」してしまった可能性が高いと小生は見ております。元来閉じ込められて、圧迫を受けている状態で亡くなった方は、内臓破裂や頭部損傷、そして「クラッシュ症候群」こと高カリウム血症が殆どと思われます。従って短時間に救出できればとの思いが沸くのも無理からざる点ではありますが、そもそも死因に直結している圧迫状態に変動をきたす作業をすれば、「即死」になる可能性の方が高いとは思いませんか?

「積極的に、ああしたらどうか、こうしたらどうかと提案したかどうかは私は常に疑ってかかることにしています。あなたはそうでなないでしょうが。」
→今回のような事例では、どんな方法が取れうるのか、自分なりにまず考えます。現場における制限事項や使える資材、そして時間的制約について。いろいろな天秤にかけて何処にリスクをとって作業にあたるのが最も効率が良く、安全かを考えます。そこから導かれた方策と実際の現場の方策に齟齬があった場合、初めて「疑念」と捉えます。「感覚的に」遅いかどうかは全く考慮に入れません。はじめから結論のある「疑念」では、物事の判断が一方的で、ともすれば感情論に陥りかねません。

「中和剤」以降の指摘についても、貴殿は「早く何とかすること」の方に天秤の傾きが強いようですね。小生との認識の差ではやはり安全確保の点、特に「ガソリン」に対する危険意識の差でしょうか。昨今、セルフの給油所が増えたせいもあって、一般の方々がガソリンに触れる機会も多いようですが、それに伴って、手近にあることが
気軽で安全なものとの錯覚を生んでいるようで、非常に危惧しております。(小生も、お財布の関係上、セルフの給油所に行くようになりましたが、毎度緊張して給油してます。特に静電気の多い冬場は脂汗が出るほどです。←誇張してません、本当に怖いです。)

本当ならレスキューといえども近づくのも恐ろしい現場だったと思います。ガソリン臭が立ち込める状態=最も着火しやすい濃度であり、衣擦れでの着火だって考えられる状況と思われます。ガソリンはタンクの中に入っていれば着火上限濃度に達しているため、その中に直火があっても燃えません(自動車のインタンク式のポンプが可能なのも、それと同じ理由です)。逆にタンクからチョロチョロと漏れ出したときが恐怖なのです。着火下限濃度が恐ろしく低いので、相当薄まっても着火源があれば火がついてしまいます。そして更に厄介なことに最小着火エネルギーも最低ランクです。つまり静電気程度のエネルギーで簡単に火がついてしまうのです。

この現場において、最大の悲劇は以下の点だったと思います。
・マンション1Fに突入した電車の下敷きになった自動車からガソリンが漏れ出してしまったこと。
・その電車の中には閉じ込められて圧迫された被害者が多数いたこと。

怪我人が多数閉じ込められていたため、効果的なガソリン除去&無力化処方が使えな いことと、ガソリンが存在するためにチェーンカッター等(直火を発生させる機器の救出用の機械使用に著しい制限が課されたという、二律背反状態だったことが、時間的な面で多数の人間に「苛立ち」を覚えさせたことと思います。

しかしながら、貴殿の指摘している「水流」関係は、前回も指摘しましたが怪我人にはご法度です。体力の落ちているところに体温低下や傷口からの感染症の可能性を飛躍的に増加させます。(傷口に汚い水がかかりますから、かなり危険な行為だと医師の妻からも助言がありました。)

また、家庭用洗剤でのガソリン処理は乳化力の不足から恐ろしいほど大量になってしまい、現時的では有りません。(だから有毒でも専用の油処理剤が存在しているのですよ。)

この現場ではかなり長時間ガソリン臭が立ち込めていたことから、タンクに亀裂が入って一気に漏洩したのではなく、燃料配管が潰れて裂けて、そこから少しずつ漏れていたとも考えられます。

 <「中和剤」の件ですが、専門家から言わせてもらえば既にこの名称からして使っていただきたくないですね>
そう、少々厭味を込めて書いてしまった文章です。実は「マスコミ」共の「造語ぐせ」に以前から憤慨しており、「中和剤」なる使い方がその傾向を感じさせるものだったので、ついつい感情的な指弾をしてしまいました。(かつて、あるマスコミが「サリン」事件の際にサリンの前駆体である有機リン系のフッ化物について、「ジフロ」と勝手な化学名称をでっち上げ、それを流布させようと躍起になって連呼していました。化学屋にとって「物質名称」は国際機関であるIUPACが制定した法則に則った表記かIUPACが古くからあるとして認定した慣用名かしか使えない厳しいルールがあり、いい加減な名前が流通しないよう厳格さを全ての研究者に課しております。その時は小生なんぞのモンクよりも、よほど強力な方(←日本でも数少ないIUPACの委員を勤められている某学長)が「ルールを勝手に無視するな」と、当該TV局をこき下ろしてくれたおかげで沈静化しました。)



物事について指摘する際には、その対象によって取り扱いに気をつけるべきことがあります。特に自然科学の法則や事象から説明する必要がある場合は、人間の組織論や思想・宗教・哲学等の方法論とは異なるアプローチが求められます。(結論に都合のよい方法論を導いては自然科学ではありません。事象について考察して、間違いの少ない説明を見つけていく作業であり、そこには科学的な法則に則る必要があります。)科学的なアプローチによる合理的な説明を考えてから、事象に対して客観評価を行う癖が必要でしょう。


この文章を載せることは一向に構いません。ただし小生のメールアドレスについては伏せて下さい。(以前、斯様なメールを公開後、気絶するほどの量のスパムに悩まされたので。)

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返信2

送信者: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先 : A
件名 : Re: Re:尼崎事故の論評の件
日時 : 2005年6月11日 7:07

手代木です。

 Aさんへ。

> 話を聞くと、基本的にクレーンで吊るものの中に「人間」がいる
>こと自体が想定され> ていないとの事。ましてや「はさまれた人
>間」がいる状態でなんかで作業なんかはヤ> レナイと、腕は立つ
>がガラの悪いオペレーターのおじさんから一言ありました。

 多分、労働基準法か何かで、禁止されているのだと思います。フォークリフトにしても、バックフォーとかユンボとか呼ばれている重機にしても、可動式箇所に人間を乗せるのは禁止されていますが、実際にはフォーク部分に人間が乗って、高所にある棚の製品や資材の整理・出し入れ、あるいは切れた蛍光灯の交換等に利用していますし、ユンボのバケットに人間を乗せて、足場を組んでない箇所等の人間が単独では近寄れない場所での作業に利用したりしています。勿論、労働監督署などの視察日は、そういった作業はしないよう、前以て注意がなされます。

 クレーンを使って、「『挟まれた人間』がいる状態でなんかで作業なんかはヤレナイ」ことが法規で決まっていたとしても、そうすることによって人間の命が一人でも救えると分かっていた場合、法規を盾に他の方法を選択させるのは、合理的といえるでしょうか。杓子定規に過ぎると言えないでしょうか。

 例えば、土木工事現場内で縦坑を掘削するとき(地下鉄工事では50メートルとか、それ以上掘削する場合もあるでしょう)、メタンガスの発生が疑われる箇所ではガス検知器を常設して掘削を進めますが、多くの事故が手抜きとか省略、あるいは誤動作を原因とした人災を原因としている教訓を忘却してガス検知器のスイッチを入れ忘れて作業したためにガスが発生していることに気づかず作業員が倒れた場合、(最近焼酎醸造工場で醸造タンクの清掃作業中、硫酸ガスとかが発生していて、作業員の一人が意識不明となる事故が起きましたが、これも作業は換気装置を作動させてから行うという規則を守らなかったことによる人災のようです)、そこに資材搬入のためにクレーンが設置されているにも関わらず、直接的には人間をフックに掛けて吊れないから、投げ入れた担架等に載せて(ちょっとした大掛かりな工事現場では万が一の事故に備えて担架は常に用意されています)、そこから落ちないように布ロープ等で縛り付けて担架ごと吊り上げたなら、早い時間内に治療を施すことができると分かっていても、
「基本的にクレーンで吊るものの中に『人間』がいること自体が想定されていない」からと、単独でも上り下りが困難で、手が滑って落下することも想定してセーフティロックなる装置を梯子の上端に取付け、そこから自在に伸びる細いロープの先に付けたフックを安全ベルトのリングに掛けて上り下りすることが規則づけられている垂直で危険な梯子を倒れた作業員を他の人間が背負って上っていく、より危険で時間のかかる方法を選択するのは果たして 利口なやり方と言えるでしょうか。

 脱線事故にしても、脱線して谷底に転げ落ちるといったことが今後起こらないとも限りません。車体の損傷が意外と少なく、クレーンで吊れると分かっていても、救助の人間が谷底に降りていき、一人救助しては谷を上がり、また降りていくということを繰返すのは、バカッ正直に過ぎなくありませんか。

 あくまでも吊る吊らないは吊れるか吊れないかの前提を踏まえて、車両内に残された人間をどちらがより多く救助可能かを基準とすべきです。

> 自己支持性の低下についての件ですが、特に死者が多く、救出に
>手間のかかっ>た2両目について、より細かく見てみましょう。マ
>ンションの1階部分の柱に対して張り付くように「く」の字型
>に曲がっていた状態です。そして車両の左右がほぼ潰れる形にな
>っています。これを見て「トタン板」の比喩を出されたと推測
>しますが、落とし穴があります。まず板が重力方向に「完全に垂
>直になっていれば」という仮定が無ければ成り立たないという点
>です。少しでも重力方向に傾いた板を吊り上げようとすれば、必
>ず水平方向にも力のベクトルは発生しますから、板は簡単に撓み
>ます。


 例え「完全に垂直になって」いなくても、吊り上げるワイヤーの長さを変えることによって、撓みはかなり防げると思います。傾き角度の対角線(垂直線)の長さだけ、一方のロープを長くするのです。より完璧に撓みを防ぐごうとするなら、車両の上部に平行させる形で矩形に組んだH鋼を吊り上げ、車両自体はそれぞれに長さを変えた4本以上の、吊上げ荷重に耐える頑丈な鉄棒をH鋼に連繋させて吊り上げたなら、鉄棒の無柔軟性が吊上げ物体を固定させる働きをして、撓みを防ぐはずです。

 但し時間が問題になるのは言うまでもありません。それらを準備し、移動に要する時間と、例え「救出に手間」取ることが予想されながらも、事故が起こったままの状態で救出作業を続行する時間と、どちらが長くかかるかです。それは、より少なく「けが人を殺」さないで済むかの問題とも重なります。


 「3次元の話」は難しすぎて、私には理解できません。
    
> 次に「H鋼云々〜」のところは、まず上記と同じ理由で使えま
>せん。H鋼と車両が完全に一体化できて、H鋼に支持させること
>が可能でない限り意味がありません。現実問題として複雑に曲が
>った車両とH鋼をどうやって一体化させるのか、方法が思いつきま
>せん(元より溶接なんぞが出来ない環境下ですし)。またH鋼
>と車両の間を吊れば、同様の撓み問題が発生します。それよりも
>誰がH鋼を用意してくるのでしょうか?数十トンもある車両を支
>える(と考えられる)H鋼ならかなりのモノです。ホームセンタ
>ーで売っている建材の延長でH鋼が入手できると思われているの
>なら大きな誤解です。あれは全て使用目的に合わせた特注品で
>あり、容易に入手できる代物ではありません。JRが予め用意して
>いなければならない物とするのなら、ますます無理解の批判にな
>ってしまいます。(「旅客機は墜落の危険があるから乗客にパラ
>シュートを配りなさい」と言うよりも更に「予見」出来ない事態
>に対処せよと、求めることになりますから。それも役に立つか
>どうかも殆ど分からないものに。)


 「車両とH鋼をどうやって一体化させるのか」とのことですが、説明が悪かったようです。 上記説明のように、 H鋼は車両に浮かせた状態で位置させ、車両はH鋼に吊るし、H鋼はクレーンのワイヤで吊る、2連式の吊上げ方式です。

 最初から、「ホームセンターで売っている建材の延長でH鋼が入手できると思」ってなどいません。また、「JRが予め用意していなければならない物」だなどとしていません。私がそのように受取られるような示唆を少しでもしていましたか。中和剤に関しては言いましたが、 H鋼に関しては、一言もそのようには言ってないはずです。拡大解釈は迷惑です。

 「あれは全て使用目的に合わせた特注品であり、容易に入手できる代物ではありません」ということですが、トンネル工事や縦坑工事で使用する支保材としてのH鋼は、特注品もあるでしょうが、私の理解しているところでは、その殆どが既製品で、リースされたものです。それらをリースする会社は支店も含めて、一つの県で何軒かあるはずです。大都市となれば、大型工事が多いでしょうから、その分リース屋も、貸出しの時間的便利を考慮して、各地に分散する形で店を構えているはずです。

 勿論、これもリース屋から取り寄せる時間が問題になるでしょう。H鋼を支保材として使用している工事現場が近くにあったなら、例え工事を中断させることになったとしても、一時的に取り外しても構わないH鋼を利用することも考えられます。人命救助を第一とする思想こそをすべてに優先させるべきで、そのためにはあらゆる場合を想定して、シュミレーションしておくべきだと思います。そうしたときにこそ、命の尊さを口にする資格が生じると思います。

 リース材としてのH鋼は最大10メートルぐらいの長さがあると思います。必要に応じて、ジョイント用の板部材を用いて、つなぐこともできます。接合はボルトで行い、そうすることができるようにボルト挿入の穴が必要箇所に穿孔してあります。

 いずれにしても、資材を使う使わないに関係なしに、H鋼、その他の鉄材、さらに重機やその他のコンプレッサーとか発電機等の機械類を扱っているリース会社や、工事現場から拝借することも考慮して、それら重機・資材を利用している工事現場を記したマップを作成しておくべきだと思いますが、既に作成済みで、余計なお世話といったところでしょうか。

 勿論工事現場では、工事の進捗に併せて、不要となった機械・資材は返却したり、引き上げたりしていきますから、どのような機械・資材がそこにあるか、常にマップは更改の必要に迫られますが、パソコンにデーター化しておけば、さして手間はかからないはずです。

> まず細かい話から。数十トンの車体を持ち上げるのに大型フォー
>クを使う場合、フォークにかかる力は、車体の重量(重力)とそ
>れを持ち上げるために加える力の反作用とフォーク自らの重量(
>重力)になります。それら全ては「地面」>にのしかかってくるの
>です。現場の地面の改良から行う必要があります。手っ取り早
>くは、分厚い鉄板を用意することになりますが、その鉄板を「水
>平に」敷き詰める必要があるのです。フォークは「水平で硬い路
>面」でしか機能しません。傾いていたり、柔らかい土壌の上で使
>用できません、お分かりですね。本体の動かないクレーンよりも
>フォークの方が使用の制約は大きいです。


 クレーンはアウトリガー4本を外側に張り出して、ゴム車輪を含めてクレーン車全体を浮かせ、その4本のアウトリガーで車体自体の自重や吊上げ物体の荷重を地面に支えます。分厚くコンクリートが打ってある地面なら直にアウトリガーを設置させる場合もあるでしょうが、国道並みに20センチ、25センチ厚にアスファルトが舗設してある場所でも、クレーンはアウトリガーの下にかなり厚い合金製の補強板を敷いて、接地面が狭いゆえにそこに集中的に荷重がかかってアスファルトがへこむ危険に備えます。

 その点フォークリフトは地面との接地をゴムの車輪が行っているために、持上げ荷重に応じてゴム車輪がクッション材の役目を果たして、地面にかかる圧力を吸収します。そのため、アスファルトもコンクリートも打ってない地面でも、よほど軟弱な地盤でなければ、
「分厚い鉄板を用意」せずに作業可能なはずです

> 「断定的な」物言いは少々避けたいところでは有りますが、TVや
>新聞等の映像・写真で見た2両目の潰れ方から見て、事故後長時
>間経ってから救出された方々は、もし車両を動かしていたら即「
>圧死」してしまった可能性が高いと小生は見ております。元来閉
>じ込められて、圧迫を受けている状態で亡くなった方は、内臓破
>裂や頭部損傷、そして「クラッシュ症候群」こと高カリウム血症
>が殆どと思われます。従って短時間に救出できればとの思いが沸
>くのも無理からざる点ではありますが、そもそも死因に直結して
>いる圧迫状態に変動をきたす作業をすれば、「即死」になる可能
>性の方が高いとは思いませんか?

 
 「もし車両を動かしていたら即『圧死』してしまった可能性が高い」とする見方は、「 『断定的な』物言いは少々避けたい」とか、「可能性が高い」といった物言いから見ても分かるように、あくまでも「小生」としているあなた自身の判断です。もし車体を撓ませずに吊上げ、移動させることが可能なら、その判断は必ずしも正しいとは言えなくなります。

 いわば、車体を撓ませずに吊上げ、移動させることが可能か不可能かの問題に収斂させることができます。少なくとも、撓みを最小限に抑えて吊上げ、移動させることができたなら、前回のあなたのメールに書いてあった「けが人を殺し」てしまう確率も最小限に抑えられ、逆に救助作業の長引きによって息を引き取らせることとなった「けが人」をより多く救い得た可能性が出てきます。

 勿論、この可能性云々は私自身の見方に過ぎません。そのことは重々承知しています。

 私の言っている可能性がすべて間違いで、車両を吊上げ、移動させることは絶対的に不可能だとするあなたの判断≠ェ100%正しいとしたとしても、実際にそうであったか、その判断≠フ正否の検討とシミュレーションは行っておくべきだと思います。そうすることが、次の事故・災害に備えた、
「けが人を殺」してしまうことがより少ない救助方法の模索につながっていくと思います。

 既に触れているように、多くの事故が基本的には人災を原因として発生しています。尼崎の事故にしても、JR西日本の運行管理の不合理さが人災誘引の一因を成していたでしょうが、直接的には運転手が運転管理上のバランス(運転自体とその影響下にある乗客生命の安全性とのバランス)を無視して時間厳守(=運行至上主義)のみに走ったことで必然的に誘導されることとなった乗客生命の置き忘れが起因となった人災だと思います。


 なぜか1999年9月の茨城県東海村の核燃料加工工場JCOで起こった臨界事故を思い出しましたが、日本の原子力は安全だとする日本原子力安全神話に真っ向から対立する放射能漏れという、あの重大事故も国の許認可を得ていない裏マニュアルなるものが存在していて、その裏≠ノ従って核燃料物質の加工を一度に大量に処理すべく手順に反する短絡作業を行っていて起こした会社ぐるみの人災事故だということです。しかも事故後の国の初動対応が十分でなかったという、よくあるおまけの原因は、臨界を一過性だと誤認し、継続している可能性を考慮しなかったということですが、それは日本の原子力は安全だとする主張に反するゆえに回避した、臨界事故の可能性を想定した検討と対策の不備によってもたらされたということです。いわば日本の原子力安全神話は臨界事故等の可能性の否定(=過信=疑わないこと)の上に成り立っていたということでしょう。

 アメリカの1994年のロサンゼルス地震の後、倒壊した高架道路を視察した日本の地震学者・建築学者は、ロサンジェルスの高架道路の殆どが建替え時期に来ていたこと、即ち老朽化に倒壊の原因を求めて、言ってみれば青年期にある日本の高架道路は大丈夫だと診断し、その倒壊の可能性に検討を加えなかったということです。つまり日本高架道路安全神話と言ってもいい確信が打ち立てられた視察だったのですが、このことは日本原子力安全神話に重なる神話づくりともいえますが、阪神大震災で、その神話≠ヘものの見事に覆されました。

 それ以降、日本の各地にある高架を成している高速道路及び新幹線の橋脚の補強工事が開始されました。

 かくこのように人間の判断と行動が(ことさら説明するまでもなく、行動は判断の影響下にあり、判断こそが行動の核を成します。)常に最善≠ナも、絶対的≠ナもないのは救助活動に於いても言えないことはなく、それを少しでも避けるためには、尼崎列車事故での救急作業が最善であったか、多方面にわたる専門家による、シミュレーションを並行させたあらゆる角度からの検討を加えて、救助活動に於ける基準的な判断≠導き出す努力は払うべくだと思います。

  そしてその内容をHP等で公開して、専門家には気づかない意見も提案される可能性を考慮して、その検討に対する世間一般の意見をメール等で広く求めるべきだと思います。

 そして寄せられた意見に対して、例えド素人の「トンチンカン」な意見だと思われたとしても、あなたなら頭から排斥してしまうでしょうが、一応の検討を加える手間を費やし、その上で、改めて経緯と結末を公開すべきでしょう。それは、専門家が常に正しいとは限らないという謙虚さを忘却しないための必要事項としてだけではなく、その種の判断(=情報)のすべてを世間と専門家とが共有する目的からも必要なことだと思います。

 但し、そこで導き出すことのできた判断≠ヘ、あくまでも尼崎脱線事故という一つのケースに限った最終結論であって、同程度・同内容の事故なら、一度学習したことは経験(マニュアル)として生きるでしょうが、ちょっとした状況の変化で態様が予測できない範囲で大きく変わる災害や事故に機能的に対応するためには、これでよしと固定せずに、常に想定外の事態に備える心構えを持ち、過去の経験をも併せて個々の対応と検証を関連付ける判断≠フ積み重ねを行い、発展させていく必要があると思います。

 いわば、私の救助活動に対する疑義は、検証の必要性を訴えるサインに過ぎません。あなたにいくら否定されても、ハイ、納得しましたと引き下がることはできません。行政を含めた事故調査委員会等があらゆる方面から検証して、尼崎脱線事故に関してはあれが最善の方法だったと結論づけたなら、引き下がりもします。

 05年5月26日の朝日新聞朝刊に、
『現場医療 命の綱』と題する記事が載っています。冒頭の文章は、「兵庫県尼崎市で4月25日に起きたJR宝塚線(福知山線)の脱線事故では、医師や救急救命士らでつくる医療チームが、本格的な『瓦礫の下の医療(CSM)』を国内で始めて展開した。災害時に病院で負傷者を待つのではなく、現場に飛び出し、救出に併せて治療する究極の医療・・・・」とあります。

 今後予想される東海地震や首都直下型地震がもたらすであろう「がれき」を考え、それと比較したなら、果たして「本格的な『瓦礫の下の医療( CSM)』」と言えるか疑わしい限りです。また、「現場に飛び出し、救出に併せて治療する」ことが、なぜ「究極の医療」なのか理解不能です。現場医療だけが「究極の医療」ではなく、どこで行われようと、難しい治療のすべてにわたって「究極の医療」でなければならいはずで、「本格的」だとか「究極」だとか持上げ、そうと思い込ませることによって、日本原子力神話や日本高架道路神話と同様な過信を誘導しなければいいと危惧するのは、果たして「トンチンカン」な思い過ぎでしょうか。

 確かに現場では様々な危険性が常に付き纏ったでしょうが、病院内の難手術に於いても、その種の手術の危険性が常に付き纏い、自分の身に危険が及ぶか、患者の身に危険が及ぶかの違いはあるが、緊張を強いられるという点では、さして変わりはないと思います。手術ミスが頻発するのは
、「究極の医療」を施すという緊張した使命感に欠けている医者が多いからではないでしょうか。

 記事全体は安っぽい美談仕立てで覆い尽くされていますが、最後に、「この事故の医療対応について、日本集団災害医学会は調査委員会をつくり、検証を進めている。委員長の鵜飼卓・兵庫県災害医療センター顧問は『CSMをしていなければ、救えなかった可能性がある。調査はまだ途中だが、いまのところ、阪神大震災の時に見られた「防ぎ得た死」はなかったような印象を受けている』と話す」と結んでいます。

 大体が CSMは、単独活動ではなく、レスキュー隊の救助活動を前提とし、それと一体となって活動していくもので、救助活動の時間の長引きで、けが人状態にあった人間を死なせてしまったということはなかったかの可能性をも含めて、最善であったかどうかの検討と平行させて、CSMの「検証」は成り立つはずです。それをせずに、CSM活動に限った「医療対応」のみを取り上げて、自分たちだけはといった調子でその成果を誇るのは、特に「調査はまだ途中」という状況を考え併せると、結論が早急に過ぎるのではないでしょうか。治療を待つ前に息を引き取っていった死者に対する冒涜のようにも思えます。


 百歩譲って、言っていることを額面どおりに受け止め、今回のCSMが「阪神大震災の時に見られた『防ぎ得た死』」を放置せず、誰一人見殺しにすることはなかったことが正真正銘の事実だったとしても、では、その活動が、阪神大震災のような次なる大型地震でのCSMでも、「防ぎ得た死」を出さずに済むかというと、災害の状況自体が違ってくるでしょうから、その保証はないと言えます。

 尤も救えなかったなら、電車がつぶれて、その中に閉じ込められた乗客がいなかったから、救えなかったと弁解するかもしれません。大いにあり得る話だと思いますが。


 しかし、説明の仕方が、CSM活動をすれば、今後すべての事故・災害に亘って「防ぎ得た死」を出さないと保証するかのような印象を与えかねない物言いとなっています。「阪神大震災の時に見られた『防ぎ得た死』はなかったような印象を受けている」という言葉と共に、「CSMをしていなければ、救えなかった可能性がある」という言葉は、CSMをしていたから、救えたという保証を与える言葉ともなり得ますから。

  「阪神大震災」の空間的な物理的ダメージと、今回の脱線事故に於けるそれを同じレベルで対比させて、CSMを結論づけること自体が、1994年のロサンジェルス地震の視察だけで、日本の高架道路は安全だとしたと同類の、新たな安全神話作りに加担する過信=Aあるいは、思い込み≠ニなることを憂えます。

  そのためにも、既に触れたように、救助活動に於いても、またCSM活動に於いても、常にこれでよしとしない検証――果たして最善だったのか、より以上の方法がなかったのかの検討――を欠かさないことだと思いますが。それは常に疑う行為でもあります。

 最後に、

> この文章を載せることは一向に構いません。ただし小生のメール
>アドレスについては伏せて下さい。(以前、斯様なメールを公開後、気絶するほどの量のスパ
>ムに悩まされたので。)


 ということですから、「メールアドレスについては伏せ」ます。

 反論をお待ちします。メールのやり取りの決着がついたところで、HP化したいと思います。別に急ぎません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メール3

送信者: A宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : Re: Re:尼崎事故の論評の件
日時 : 2005年6月20日 5:55

手代木さまへ

Aです。


論点がボヤけてきたようなので整理しましょう。
小生の指摘した点は、貴殿の力説される「検証・シュミレーションの必要性」では御座いません。その点については、初めのメールでもお伝えしたように小生は賛同しております。問題だとしたのは、その主張点の例証として出しておられる「対策」の論旨であり、その部分は物理的・化学的に無謀だと指摘したことです。

災害事故における人命救助方法には、「72時間以内の救助」という統計から導き出された大きな制限項目があります。「タイムリミット」があるのだから迅速な救助法が求められるのはあたりまえのことですが、次に考えなければならないのは「二次災害を防ぐ」事です。要は救助される側だけでなく救助する側も危険を回避しなければ
なりません。この二点を念頭にして、今回の尼崎の事故の状況下で留意すべき点を挙げてみます。

(イ)車体が沿線マンションにめり込む形で衝突している。
(ロ)1両目が駐車場内にめり込み、それを塞ぐような形で2両目が 
   横転し、そしてくの字に折れ曲がり、且つ潰れている(調査に 
   よると幅3mの車体が最小50cmまで潰れて変形)。また、写
   真を良く観察すると2両目は3両目の上に乗っかるように接し
   ている。
(ハ)死者と怪我人は、潰れた車両の狭い空間内に閉じ込められてい
   る。(特に2両目と1両目)
(ニ)駐車場内の車を潰したために、そこからガソリンが漏れ出して
   いる。
(ホ)被災したマンションと線路の間には空き地があるものの、土盛
   りであって軟弱である。

上記の留意点から、小生がまず考えた点は以下のとおり。

(1)僅かな変形も許されないので、重機は使用に適さない。(閉じ
   込められた怪我人を圧殺する可能性が極めて高い。)
(2)ガソリンの流出を止められない限り、チェーンカッター等の直
   火が発生する工具も使用が出来ない。
  (ガソリンの危険性について平易に説明→
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/48/life/11gasu15.html )
(3)閉じ込められた怪我人が存在するので、ガソリン火災発生防止
   に役立つ油処理剤散布も有毒なので不可能。

従って、現場のレスキュー隊の実施した「人海戦術」による手作業が、数々の制限事項の中から取りうることの出来た合理的な手法であろう事を理解しました。


それに対し、貴殿の論においては、「重機の使用が可能」と明確に断じて、それを用いなかったことに疑念よりも非難に重きを置いた論旨展開となっており、その説明部分に物理的・化学的な間違い又は誤解が多数あることに全く気付いていないと小生は感じて、その点を指摘して「訂正または削除」を求めた次第。

「トンチンカン」と指摘した点は、
(A)モノコックボディである車両に数十Gの衝撃(国交省の航空・
   鉄道事故調査委員会及び独立行政法人の交通安全環境研究所の
   試算値)が横方向から加わったことで、車両は上記(イ)
   (ロ)で指摘したように複雑に潰れて、構造体としての強度は
   全く期待できない状態にあるのに、クレーンで吊れる、或いは
   大型フォークで動かせるとした点。
(B)ガソリン用の「中和剤」(→油処理剤、乳化剤類のこと)は特
   に人体に有毒であるのに、使用しなかったこと自体を詰ってい
   た点。(経口だけでなく、傷口から直接人体に摂取してしまう
   危険が高い。)


尚、小生の2通目のメールに誤りがありました。材質をジュラルミンとしましたが、正しくはステンレスですので、謹んで訂正いたします。(速報時にTV解説者が言った「ジュラルミンか何かの・・・」という説明を鵜呑みにしてました。再度調べたところステンレス薄板であることが判明いたしました。)ただし、19.5mの車体長
に対して1mm厚であり、プレス加工で強度を高めた部位も実際には潰れて複雑に折れ曲がった現状では、小生の指摘する自己支持性の喪失状態を覆すことにはならないと判断します。

さて、貴殿が小生の指摘に対して、手を変え品を変えて反駁していらっしゃられますが、これらは有効な反論の体裁を成しておりません。というか「H鋼云々」や
「フォーク云々」の説明は、間違いの上塗りです。小生は「力を加えること自体無理だ」と指摘しており、それは複雑に変形して何処に力を掛けても大丈夫か全く分からない状態だからだと説明しているのであって、H鋼を使おうが、それをくの字に合わせていようが、車両全体が変形しないように均等に力を加えることなど不可能であると言っているのです。まず吊りたいなら、車両全体を樹脂か何かで密着した形で覆い、全体が変形しないようにする、とするならまだ分かります。でもこれは漫画やアニメの世界に出てくる粘着弾みたいなもので、実際には存在しません(直ぐに固まって、かつ空気は通して、20m近い長さの数十トンの重量物に耐えられる高強度樹脂なんて絵空事でしか有りえません。尚、小生はの専門は高分子(=樹脂)です)。変形せずに吊ることが出来ると言うのは絵空事以下の妄想です。(試しに、1m位の細長い箱を列車に見立ててみましょう。その真中付近の3面を切って残った一面に折り目を入れてくの字に曲げてみたとします。くの字に曲がった角度を150度に保ったままの状態で、糸を複数使って引き上げることを実験してみてください。無論、150度に曲げた「H鋼」と同等な構造材をお使いになっても構いません。クレーンで吊る行為が如何に困難か分かるはずです。ワイヤーは垂直方向にしか力を出せません。水平方向の動きを押さえるにはワイヤー自体を傾けて、横方向にも力のベクトルを発生させなければなりません。極めて微妙なバランスが必要になりす。16本使っても僅かな張りの差で簡単に角度が変わってしまいます。現実の車両は「折れ目」は無数にあって、各重心点すら全く判別できません。それに重量の偏り(車両の下部の台車付近は重い)が存在する上に、水平面に対して角度がついた形で横たわっており、貴殿が理解なさらなかった「3次元」での力のベクトルが無数に存在して、その一つも漏らさずに各ベクトルに適正量の力を配分することなど、どうやって出来るのでしょうか?)

また、「フォークリフトの方が地面との接地をゴムで・・・」では頭痛がして来ました。その前に貴殿自身が「接地圧」について語っていることに対して矛盾していることに気付いておられない。接地圧を下げるということは、取りも直さず接地面積を増やすことです。実際ビルの基礎工事現場などでは、土留めのH鋼を運ぶクレーン車の下は一面鉄板が敷かれてあり、接地圧(=1cm2当りの荷重kg)を下げている事が分かります。翻ってフォークリフトでは「タイヤ」の接地面に荷重が掛かるのですから、(車輪数が何輪のものを想定されているか分かりませんが、)タイヤの接地面積はとても小さいのです。だから土の地面などではタイヤ=装輪式よりも接地面積のはるかに広いキャタピラー(=装軌式)が用いられるのです。

そして、「ゴム車輪がクッション材の〜地面にかかる圧力を吸収する」の説明には眩暈がします。「作用・反作用」の法則までも無視されて自説を守りたいのですか??
??タイヤから地面に伝わる力は、タイヤが変形して多少の接地面積が増えることでの僅かな圧力低下以外は全くありません。40tの荷重が掛かれば、その分タイヤの面積分に割り振られるだけで、タイヤがエネルギーを吸い取ることは有りません。
(重力荷重と力積(力×時間)の話がごちゃごちゃになっています。)そして何度も申し上げた通り、不整地で装輪式の重機を用いると接地面積の狭いことから地面が容易に変形します。(そして転びます、フォークリフトの試験問題のイロハです、不整地使用不可は。)

更に、「ゴム車輪がクッション材の役目」の部分では、貴殿自らが「変形する」ということを言っていながら、「使える」と最後に結んでいるのは滑稽を通り越してウンザリします。クッション材とは自らが変形して衝撃を和らげる機構のものを指しますから、フォークリフトは荷重が掛かればタイヤの変形による微動が発生するのです。
そんな動き易い状態でどうやって変形させずに破損車両を持ち上げられるのか???
?全く理解の範疇外です。



今回は、言を厳しくして指弾すべき事もあります。先のメールでの貴殿の反論の中に、全く別の状況下での事故例を引き合いに出してそれでも「クレーンを使わないのですか」との文がありましたが、これは露骨な「論点のすり替え」であってまともに
答えることが出来ません。前提条件の異なる事案を反論に使っても何の意味も価値もありません。これは議論ではなく「言いがかり」「子供の言い訳」並に愚かしい行為です。議論とは、それによってより普遍的かつ合理的な結論を導き出し、より正しい方向へ導くことを目的に行うことであり、勝敗を競ったり負け惜しみをぶつける場で
はないことなど、ここに書くまでもないことでしょうに。斯様な到底納得できないような論旨の展開がこの他にも有ります。貴殿が先のメールで書かれた後半部分に私の言っている可能性がすべて間違いで〜検討とシミュレーションは行っておくべきだと思います。」の部分においては、何時の間にか本文中での断定・非難から「検討と
シミュレーション」へとトーンダウンしている上に、小生が指摘してきた「自然科学上の誤り」については暈して、貴殿が上位概念としている
「検証・シュミレーションの必要性」に議論をすり替えており、まるで「正しい上位概念の下の瑣末な問題扱い」か「正しい上位概念に対抗するに足りない議論扱い」に貶めることで、自説を全
て正当化しようとする態度には、正直幻滅します。


当初にも述べましたが「検証・シュミレーションの必要性」について、小生は賛同こそすれ何ら非難しておりません。問題は、その例証として本文中に「出来ることをしていない」と断じて非難している個所は、どう考えても常識的に不可能な事を「出来る」と言っている(←2通の貴殿の反駁文を読んで、その考えは確信にいたりました)点であり、指摘部分の訂正・削除が必要だと小生は主張しているのです。インターネットでは「エエ加減なことを言っても構わない」と思っているヤカラも多いですが、いやしくも「社会」に対して提言を発信しているのであれば、新聞や論文と同様に発信内容に責任を持つべきであり、内容の不備や合理性が欠ける部分については、即訂正・削除が行われるべきです。

丁度、相対性理論の最初の論文が世に出て100年経ちますが、一般相対性理論の中のアインシュタイン方程式には当初は「宇宙項」なる間違えが入っておりました。
(最初に考えた正しい方程式を解くと「時空が膨張する」という結果が導き出されるが、このことを本人自身が信じられず、「蛇足」となる宇宙項で減殺して膨張しなくてすむようにしてしまった。)しかし、誤りに直ぐ気付いて元の式に戻す訂正を発表しております。さて、この行為によって彼の名声が傷ついたのでしょうか?誤りは誤
りであって、それ以上でもそれ以下でも有りません。しかし、誤りを指摘されているのにもかかわらず、強弁して誤魔化していたら、彼の評価は今とは比べ物にならない位に低かったでしょう。

最後に貴殿に申し上げたいことは、命題に対して場合分けが必要な項目をごった煮している点が気になります。毎度毎度、メールの終わりに述べているのですが、「政治や法律のように人間が決めた事象を扱う場合と自然科学や技術の事象を扱う場合には、論議の仕方を変える必要がある」という点です。貴殿が上位概念として扱う「検証・シュミレーションの必要性」は、特に日本社会では「人間が決める方」に必要とされていることであって、より深い理解を求めたい気持ちはわかりますが、他方「自然が決めた方」においては、貴殿のような「結論ありき」の論旨で扱うべき事象ではないことを理解願いたいのです。自然科学が決めた事象を扱うのに「人為」を優先すれば、手痛い失敗を受けます。もし、それでも「訂正」されないのなら、失礼ながらJCOの職員と同様とみなさざるをえません。極左と極右では考え方は全く逆でも、やっている事は同様に卑劣なテロ行為です。どんなに高論を唱えようとも、「自然科学を蔑ろ」にしている行為は、手抜きをしたいという愚かな連中と同じ行為ですから。

で、手代木さまは、「あくまでも誤りでない」と強弁しますか?「削除・訂正」しますか?はたまた「誤りかどうかまだ納得できない」と誤魔化しますか?反駁したいのならば、少なくとも小生の疑義に対して答える形で行ってください。小生は論点を絞っておりますから。

以上」

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返信3

送信者: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先 : A件名 : Re: Re:尼崎事故の論評の件/返信
日時 : 2005年6月26日 21:41

 Aさんへ

 手代木です。

> 論点がボヤけてきたようなので整理しましょう。
> 小生の指摘した点は、貴殿の力説される「検証・シュミレーショ
>ンの必要性」では御座いません。その点については、初めのメー
>ルでもお伝えしたように小生は賛同しております。問題だとした
>のは、その主張点の例証として出しておられる「対策」の論旨で
>あり、その部分は物理的・化学的に無謀だと指摘したことです。

 先のメールでの私の、<私の言っている可能性がすべて間違いで、・・・・>云々の言い直しになりますが、あなたが全面的に正しくて、私が全面的に間違っていた、「その部分は物理的・化学的に無謀だ」と認めたとしても、あなたが正しいとしていることの検証は免除されるのでしょうか。また、私の主張を思考操作のみで排除し、検証は必要でないとすることができるのでしょうか。

 だとしたら、一種の自己絶対化であり、絶対神話の確立につながります。「その部分は物理的・化学的に無謀だ」とする判断を検証なしに絶対的に絶対だと自分から自分で保証することになります。

 自分は絶対的に正しいとする箇所が随所に見られます。次の箇所もそうです。そのようなスタンスから離れられないようですね。自分を疑うことを知らないということは素晴らしいことでもありますが。

>極左と極右では考え方は全く逆でも、
> やっている事は同様に卑劣なテロ行為です。どんなに高論を唱えようとも、「自然科学を蔑ろ」にしている行為は、手抜きをしたいと
>いう愚かな連中と同じ行為ですから。

 後段方向にある、<私の言っている可能性がすべて間違いで・・・>に対する、あなたの何時の間にか本文中での断定・非難から『検討とシミュレーション』へとトーンダウンしている」との批判に対する反論はあとで行います。
 

 事故とか災害の現場に立ち会った専門家でさえも、判断を過つことがあります。その例として、JOCのことや、ロサンジェルス地震を持ち出したのであって、「手を変え品を変えて」の「反駁」ではありません。

  それをいくらあれこれと情報を漁って現場の詳しい状況を知り得たとしても、距離を置いた観察であるという限界から逃れられるわけではありません。

 私はHPで、クレーンに関する箇所で、次のように言っています。

 <事故現場には早い段階で大型重機が3〜4台据えつけられた。テレビで見る限り、他にも空間的な余裕があった。なぜ2両目車両をクレーンで吊り上げて(静かに吊り上げることは可能である)、先頭車両と2両目車両の救助が同時進行でできる場所に移動させなかったのだろうか。そのことは不可能だったのだろうか。>

 <(静かに吊り上げることは可能である)>とは言っているが、<吊上げる>ことの<可能性>と、<同時進行でできる場所に移動させなかったのだろうか。そのことは不可能だったのだろうか>との疑問を並立させて、検証の必要性の訴えをテーマとした内容とさせています。

 誰の判断であっても、それが判断である以上、検証が必要であるということです。自然科学に於いても、仮説や理論といった判断≠ノは実験による検証を必要とし、そこから得たデータを立証の材料としなければならないのと同じことだと思います。

 しかし、あなたは自分自身の判断は絶対正しいという文脈で議論を進め、その判断が正しいか正しくないかの検証は必要でないとしている。俺の言っていることが正しくて、お前の言っていることは間違いだと。

 尼崎脱線現場で、クレーンを待機させたものの、吊れないと判断して、吊らなかったなら、構いませんが、事実吊れなかったか、その判断が正しかったのか、正しくなかったのか、後日検証すべきではないでしょうか。車両を事故当時とほぼ同じ状態に潰して、外部の意見も取入れて、様々な方法で吊れるかどうか試してみる。どう試しても吊れないということなら、自分たちの判断が正しいことが証明されますが、少々の撓みは生ずるものの、吊れないことはないことが証明されたなら、同じような事故が起こった場合、より適切な人命救助に役立つはずです。

 検証もせずに、そのときの判断が間違っていなかったとするのは、一種の思い上がった自己絶対化とはならないでしょうか。

> 尚、小生の2通目のメールに誤りがありました。材質をジュラル
>ミンとしましたが、正しくはステンレスですので、謹んで訂正い
>たします。(速報時にTV解説者が言った「ジュラルミンか何
>かの・・・」という説明を鵜呑みにしてました。再度調べたと
> ころステンレス薄板であることが判明いたしました。)ただし
>、19.5mの車体長に対して1mm厚であり、プレス加工で強度
>を高めた部位も実際には潰れて複雑に折れ曲がった現状では、小
>生の指摘する自己支持性の喪失状態を覆すことにはならないと判
>断します。
 
 確かに「1mm」の薄板であっても、「プレス加工で強度を高め」ることによって、必要な「自己支持性」を獲得させ得ます。それだけではなく、車両内の前後両端と、両端から一定間隔を置いた要所要所に断面が浅い幅狭のU字型の板か、あるいはそれに類似した部材を接合させて、柱や天井に渡す梁に相当させている箇所があると思います。接合させていなければ、何らかの「プレス加工」を施して、柱や梁といった骨組みに見立てている箇所が存在すると思います。

 あなたの説明は、100センチ×100センチ×0.1ミリのトタン板を平にして、その四方の端を吊上げた場合、中央がへこんで、板なりの形に持上げることができなくても、「プレス加工で強度を高め」て吊上げれば、中央の凹みをかなり和らげることが可能なことを示しています。加工部分を鋭角に深くする程、トタン板は「自己支持性」(強度)を高めることができます。加工方法によっては、水平に持上げることも可能となります。

 このことは、「19.5mの車体長に対して1mm厚」であったとしても、潰れ方によって――つまり、それを自然の「プレス加工」と考えたなら、逆に「自己支持性」(強度)を高めることもあり得るということです。「(調査によると幅3mの車体が最小50cmまで潰れて変形)」と言うことですが、「 50cm」と言うのは、横方向よりも、縦方向への「自己支持性」(強度)がより強いことを示しています。

 つまり、潰れたからといって、吊上げられないとは限らないと言うことです。

 あなたの前回のメールで、


> 「車輪云々〜」は全くの的外れです。電車や列車の構造を調べて
>みれば直ぐに分かります。(例えば→http://www1.odn.ne.jp/~aaa81350/kaisetu/truck/truck.htm)
> 車輪のある台車部分と車体は、リンク式の牽引装置と空気バネ
>で「接している」と言ってよく、自由に動く台車の上に車体を載
>せている状態と思ってください。(つまり車輪のある台車部分は
>リンクを中心にして勝手に動いてしまうのです。)

 ということですが、「勝手に動いた」としても、走行中ブレーキをかけた場合、車台だけが取り残されて、車両が前方にすっ飛んでいってしまう程に「勝手に動」いてしまうわけではなく、カーブをスピードを落とさずに走行しても、車台だけがレールに張り付いていて、車体が遠心力で斜め方向に空中浮遊してしまうわけではなく、急発進したとしても、立って乗車していた乗客は後ろに倒されるでしょうが、車台だけが走っていってしまい、車両が取り残される程にデリケートに「勝手に動」いてしまうわけではないから、 もし車体全体が車台から分離していなかったなら、その車台自体もかなり潰れていたとしても、その潰れ方によっては、全体的な「自己支持性」(強度)は失わずに維持している可能性も考えられないわけではないから、一概に吊れないと否定できないことになります。どうしても車体が動いてしまう場合は、吊りワイヤーと吊りワイヤーの間にクッション材を張り渡すか、何らかの方法で、車体と車台を固定する方法を、勿論それが可能ならの話ですが、取るといった方策を講じることも考えられます。

> 災害事故における人命救助方法には、「72時間以内の救助」と
>いう統計から導き出された大きな制限項目があります。

 と言うことですから、H鋼を準備して、吊る段取りをするには有り余る時間です。私の眼目はあくまでも、吊ることで1人余分に殺してしまったとしても、最終的に差引き計算して、死者を一人でも少なくする方法を取る、それが例え少々強引な方法でも、というものです。

> それに対し、貴殿の論においては、「重機の使用が可能」と明確
>に断じて、それを用いなかったことに疑念よりも非難に重きを置
>いた論旨展開となっており、その説明部分に物理的・化学的な間
>違い又は誤解が多数あることに全く気付いていないと小生は感じ
>て、その点を指摘して「訂正または削除」を求めた次第。

 私の書いたメールを読み直してみましたが、「『重機の使用が可能』と明確に断じて、それを用いなかったことに疑念よりも非難に重きを置いた論旨展開となって」いるようには思えないのですが。<変形を引出さずに吊上げに耐えられたのではないでしょうか。>とか、<横方向の変形を免れたとしても、車両の片側がマンションの壁面に密着した状態で張り付いているために、その面の車輪にワイヤーを取付けることができない場合は、40トン荷重クラスのフォークリフトを車体を持上げることのできる能力台数分並べるか、それでも縦方向の変形を防げないなら、防げる範囲で可能な台数を横並びさせて、地上10センチ程度持ち上げて静かに引出すという方法は、あなたの≪技術屋≫としての目から見て、不可能でしょうか。>とか、あくまでも可能性の範囲で論じていたと思うのですが。

> さて、貴殿が小生の指摘に対して、手を変え品を変えて反駁して
>いらっしゃられますが、これらは有効な反論の体裁を成しており
>ません。というか「H鋼云々」や「フォーク云々」の説明は、間
>違いの上塗りです。小生は「力を加えること自体無理だ」と指摘
>しており、それは複雑に変形して何処に力を掛けても大丈夫か全
>く分からない状態だからだと説明しているのであって、H鋼を使
>おうが、それをくの字に合わせていようが、車両全体が変形しな
>いように均等に力を加えることなど不可能であると言っているの
>です。まず吊りたいなら、車両全体を樹脂か何かで密着した形で
>覆い、全体が変形しないようにする、とするならまだ分かります。
>でもこれは漫画やアニメの世界に出てくる粘着弾みたいなもので、
>実際には存在しません(直ぐに固まって、かつ空気は通して、
>20m近い長さの数十トンの重量物に耐えられる高強度樹脂なんて
>絵空事でしか有りえません。尚、小生はの専門は高分子(=樹
>脂)です)。変形せずに吊ることが出来ると言うのは絵空事以下
>の妄想です。(試しに、1m位の細長い箱を列車に見立ててみま
>しょう。その真中付近の3面を切って残った一面に折り目を入れ
>てくの字に曲げてみたとします。くの字に曲がった角度を150
>度に保ったままの状態で、糸を複数使って引き上げることを実験
>してみてください。無論、150度に曲げた「H鋼」と同等な構造材
>をお使いになっても構いません。クレーンで吊る行為が如何に困
>難か分かるはずです。ワイヤーは垂直方向にしか力を出せません。
> 水平方向の動きを押さえるにはワイヤー自体を傾けて、横方向にも
>力のベクトルを発生させなければなりません。極めて微妙なバラン
>スが必要になります。16本使って
> も僅かな張りの差で簡単に角度が変わってしまいます。現実の車両
>は「折れ目」は無数にあって、各重心点すら全く判別できません。
>それに重量の偏り(車両の下部の台車付近は重い)が存在する上
>に、水平面に対して角度がついた形で横たわっており、貴殿が理解
>なさらなかった「3次元」での力のベクトルが無数に存在して、そ
>の一つも漏らさずに各ベクトルに適正量の力を配分することなど、
>どうやって出来るのでしょうか?)

 「19.5mの車体長」×傾いた「幅3mの車体」を吊るには、「19.5m」のH鋼を2本用意して、その2本の両端に傾いた車体の垂直幅(3m以上)の長さのH鋼を取付けて、四方形に加工します。車体の平面と同じ大きさの矩形にするのは、ワイヤーを常に垂直に保つことと、ワイヤーが狭まって、車体を圧迫させないためです。

 車体が
「150度」にくの字に湾曲しているなら、車体の中心線から湾曲箇所の最も出っ張った点までの長さ+H鋼の短い辺の2分の1の長さを合わせ長さのH鋼を湾曲箇所の左右の長い辺に渡す形で(片方の先端は長い辺の端に合わせ、もう片方をもう一方の長い辺から外に突き出す形に)取付けて、最も出っ張った箇所と、それと直角に対応するH鋼の長い辺の端にそれぞれ1本ずつワイヤーを取付けて垂らします。

 但し、この方法だと、車台の下に上部と同じように上部から垂直に下ろした地点に届く長さのH鋼を水平、あるいは傾けて渡さなければ、ワイヤーを垂直に保てませんが、溶接したりする必要はありません。出っ張った方向にワイヤーが引っ張られるから、その張力は凹んだ側に取付けたワイヤーが滑り止めと固定の役目を果たして防ぎます。そして、傾いているのとは反対側のワイヤーを、前のメールで書いたように、対角線分短くして吊ります。 「150度に曲げた『H鋼』と同等な構造材」を用意する必要はありません。

 勿論、車台の下にH鋼を這わせることができるかどうかにかかってきますが、車輪が外れていなければ、H鋼を這わせるだけの空間は存在すると思います。例え「複雑に変形して」いたとしても、中間地点にワイヤーを左右から垂らすことで、水平は保てると思います。また、<車両の片側がマンションの壁面に密着した状態で張り付いてい>たとしても、「複雑に変形して」いることがワイヤを垂らすだけの隙間を生じせしめている可能性は十分に考えられると思います。

 車輪が全部外れていて、そんな空間はないということなら、フォークリフトを使って、H鋼を差し込むしかありません。

 色々と方法は考えられるものです。一概には、
「変形せずに吊ることが出来ると言うのは絵空事以下の妄想 」だと排斥することはできないと思います。

 フォークリフトの件について、


> 更に、「ゴム車輪がクッション材の役目」の部分では、貴殿自らが
>「変形する」ということを言っていながら、「使える」と最後に結
>んでいるのは滑稽を通り越してウンザリします。クッション材とは
>自らが変形して衝撃を和らげる機構のものを指しますから、フォー
>クリフトは荷重が掛かればタイヤの変形による微動が発生するので
>す。
> そんな動き易い状態でどうやって変形させずに破損車両を持ち上げ
>られるのか???
> ?全く理解の範疇外です。

 ということですが、<それでも縦方向の変形を防げないなら、防げる範囲で可能な台数を横並びさせて、地上10センチ程度持ち上げて静かに引出すという方法>云々と述べているように、私は1台で持上げるとは言ってません。運転に慣れている者なら、指示者を複数つけて、その合図で一斉に水平に持上げることはできます。

 「フォークリフトは荷重が掛かればタイヤの変形による微動が発生するのです」と言うことですが、どの程度の「微動」なのですか。衝撃が生じるほどの微動」なのですか。

 例えば、自分が乗用車の運転席に座っていて、助手席に体重100キロの人間が乗り込んできたとき、確かに車は助手席側に傾く形で急激に沈みますが、車や運転席に座った人間自体に何らかの激しい衝撃を与える沈み方はしないはずです。フォークリフトにしても、タイヤだけではなく、スプリングとか板バネとかもクッション材の役目をしているでしょうから、静止した状態での持上時に於いては、「微動」はすることはあても、衝撃と言えるほどの「微動」ではないと思いますが。

 一旦持上げて、板バネやスプリング・タイヤが沈むだけ沈んだなら、運転中、急ブレーキ・急発進しない限り、静かに持上げた状態で移動させることはできます。地盤が悪いと言うなら、時間との勝負になりますが、鉄板を運んできたらいいでしょう。大きな工事現場、ちょっとした土木会社の資材置き場で利用しているはずです。土間にアスファルトとかコンクリートが舗設してある資材置き場ばかりではなく、必要箇所に鉄板が敷いてあるといったことがあります。アスファルト・コンクリ−トは分厚く舗設しなければならないためにコストがかかり、しかも消耗やひび割れなどで老朽化した場合補修しなければならないのに比較して、より耐久性に優れ、必要に応じて移動させて別の場所でも利用できる鉄板を利用しているところが結構あります。

 例え「微動が発生」したとしても、<吊ることで1人余分に殺してしまったとしても、最終的に差引き計算して、死者を一人でも少なく>できるなら、さして問題ではないと考えます。

> 今回は、言を厳しくして指弾すべき事もあります。先のメールでの
>貴殿の反論の中に、全く別の状況下での事故例を引き合いに出して
>それでも「クレーンを使わないのですか」との文がありましたが、
>これは露骨な「論点のすり替え」であってまともに答えることが出
>来ません。前提条件の異なる事案を反論に使っても何の意味も価値
>もありません。これは議論ではなく「言いがかり」「子供の言い
>訳」並に愚かしい行為です。議論とは、それによってより普遍的か
>つ合理的な結論を導き出し、より正しい方向へ導くことを目的に行
>うことであり、勝敗を競ったり負け惜しみをぶつける場ではないこ
>となど、ここに書くまでもないことでしょうに。斯様な到底納得で
>きないような論旨の展開がこの他にも有ります。貴殿が先のメール
>で書かれた後半部分に「私の言っている可能性がすべて間違いで〜
>検討とシミュレーションは行っておくべきだと思います。」の部分
>においては、何時の間にか本文中での断定・非難から「検討とシミ
>ュレーション」へとトーンダウンしている上に、小生が指摘してき
>た「自然科学上の誤り」については暈して、貴殿が上位概念として
>いる「検証・シュミレーションの必要性」に議論をすり替えてお
>り、まるで「正しい上位概念の下の瑣末な問題扱い」か「正しい上
>位概念に対抗するに足りない議論扱い」に貶めることで、自説を全
>て正当化しようとする態度には、正直幻滅します。

 十分「幻滅」してください。

 あなたの先のメールでの、

> 話を聞くと、基本的にクレーンで吊るものの中に「人間」がいるこ
>と自体が想定されていないとの事。ましてや「はさまれた人間」が
>いる状態でなんかで作業なんかはヤレナイと、腕は立つがガラの悪
>いオペレーターのおじさんから一言ありました。 

 これは「オペレーターのおじさん」が一般論として述べ、それをあなたが一般的にはこうだと承認して書き入れた文言ではないのですか。「基本的に」という言い方は、一般的な様子を述べるときに使う言葉だと思いますが。 

 ということは、
「全く別の状況下での事故例」に関しても、吊らないということではないのですか。

 私自身は既に指摘しているように、吊った場合と吊らなかった場合で、どちらがより多く人命を救助できるかを基準とし、吊った場合ということなら、人間が乗っていても吊るという立場から、他の例を持ち出して、そういった場合でも吊らないのかと、確認のために問い質したに過ぎません。勿論、あくまでも吊れるか吊れないかの可能性を前提としなければなりませんが、
「腕は立つがガラの悪いオペレーターのおじさん」の譬え話にかこつけたあなたの主張に関しては、吊れる吊れないの前提に関係なしに、人間は吊らない≠アとを決定事項とした内容と受け止めましたが。

 それを、「全く別の状況下」では吊るが今回の脱線事故に関しては吊らないと言うのでは、整合性を失います。だから私は、<あくまでも吊る吊らないは吊れるか吊れないかの前提を踏まえて、車両内に残された人間をどちらがより多く救助可能かを基準とすべきです>と言ったのです。

 「何時の間にか本文中での断定・非難から『検討とシミュレーション』へとトーンダウンしている」と言うことですが、既に述べたように、HPを読み直していただければ分かるように、最初から『検証とシュミレーション」を、あなたの言う「上位概念」として、その必要性を終始を一貫させて説いているはずです。

> 当初にも述べましたが「検証・シュミレーションの必要性」につい
>て、小生は賛同こそすれ何ら非難しておりません。問題は、その例
>証として本文中に「出来ることをしていない」と断じて非難してい
>る個所は、どう考えても常識的に不可能な事を「出来る」と言って
>いる(←2通の貴殿の反駁文を読んで、その考えは確信にいたりまし
> た)点であり、指摘部分の訂正・削除が必要だと小生は主張してい
>るのです。インターネットでは「エエ加減なことを言っても構わな
>い」と思っているヤカラも多いですが、いやしくも「社会」に対し
>て提言を発信しているのであれば、新聞や論文と同様に発信内容に
>責任を持つべきであり、内容の不備や合理性が欠ける部分について
> は、即訂正・削除が行われるべきです。

 「どう考えても常識的に不可能な事を『出来る』と言っている」


 同じ説明の繰返しになりますが、それはあなたの「常識」が言っていることで、私の常識は、あなたの「常識」をも検証の対象にしなければならないというものです。そうすることは同時に私自身の常識を検証することでもあります。 

 「問題は、その例証として本文中に『出来ることをしていない』と断じて非難している個所に関して。

 くどくなりますが、私がHPで述べた救助活動に関わる各文節のうち、救助作業の同時進行に関して述べた文末箇所を今一度記載してみます。

 <同時進行の救助ができなかったという言い訳は許されるのだろうか、その検証さえない。>

 <なぜ2両目車両をクレーンで吊り上げて(静かに吊り上げることは可能である)、先頭車両と2両目車両の救助が同時進行でできる場所に移動させなかったのだろうか。そのことは不可能だったのだろうか。>

 ガソリン漏れと中和剤に関する箇所では、

 <中和剤があるのに、何を言っているのだろうと思っていた。>

 次は文節ごと。

 <救助隊が最初から中和剤を用意していなくて、必要になってから手配したでは、救助隊の体裁を成していないことになる。過剰なまでの車社会である。常に車が絡んだ事故を想定して中和剤を装着しておくべきを、そうしていなかったとしたら、危機管理意識の欠如を示すもので、危機管理意識の未熟な救助隊というパラドックスは奇妙なまでに如何ともし難くなる。>

 <救助は人命第一・人命優先を目的としているはずである。その目的に向けて救助が十分に機能していなかったとしたら、JR西日本の乗客優先≠ニ同じく、単なるお題目でしかないことが暴露される。>

 そして結論付ける形で、<どうも阪神大震災の人命救助と同じく、多くの人間を死なせてしまう、何ら学習効果を持たない救助のように思えてならなかったが、見当違いな観察なのだろうか。救助が適切に行われたかどうか、検証する報道機関が一つぐらいあってもいいと思うのだが。次の救助の教訓とするための、不備があるなしの検証を行政も報道機関も、その役目を担うべきではないだろうか。>と書き記しています。

 全体を見てお分かりのように、最終的には、<見当違いな観察なのだろうか>と、<見当違いな観察>であるかもしれない可能性を論じ、その当否を知りたく、<次の救助の教訓とするための、不備があるなしの検証を行政も報道機関も、その役目を担うべきではないだろうか>と検証の必要性を訴える流れとなっています。決して、「『出来ることをしていない』と断じて非難してい」ないと思うのですが。 

 中和剤の件に関して、あなたの言う、
「本文中での断定・非難」に当るとしても、先のメールでほんの少し触れましたが、阪神大震災で、いわゆる「防ぎ得た死」をいたずらに出してしまったこと、中越地震で母子3人が乗った軽乗用車が土砂崩れにあって、車もろとも土石の下敷きになったとき、車の周囲の石を取り除く作業で、大分取り除いたあと、救急隊員の1人が穴の中に入って一抱えもあるような岩と言ってもいい大きな石を穴の外に出そうと時間をかけた悪戦苦闘の末にやっとこさ外に出すシーンをテレビが報道していましたが、石は抱え持って外に出したわけではなく、穴の壁面をずり上げながら出していたことから、周りの石が崩れる心配がないことを示していました。

 だったら、なぜ4メートルの単管(鋼管パイプ)を3本使って三股をつくり、チェーンブロックを使って引き上げなかったのだろうか。労力と時間の節約になったはずです。単管とチェーンブロックを用意する時間は十分にあったと思われます。石はきつく絞れて、抜け落ちないように細いワイヤーを巻けば、少しでも凹凸のある石なら、簡単にしっかりと締めることができます。

 また軽乗用車を吊上げる場合も想定して、早い段階に前以て用意しておかなければならない資材ではなかったでしょうか。結果的に使う、使わないは別問題です。男の子は助かりましたが、母親と女の子は早い段階に息を引き取っていたように報道していましたが、死んでいたから、時間をかけてもいいというわけにはいきません。起こり得るかもしれない同じような次の災害に備えて、可能な限り時間を縮める訓練としても、効率のよい作業を心がける役目をも担っているのではないでしょうか。

 かくかような不手際・不備は日本の救助隊、あるいは各自治体の防災関係者全般にわたってパターン化しているように私には思えてなりません。だからと言って、あなたが言っているところの
「断定・非難」だけで終わらせているわけではありません。謂れのある不信感、あるいは猜疑なのかどうか、その判断の当否が問われなければなりません。

 上記の印象にしても、テレビの画面から受けた私の判断≠ネのは承知しています。私の判断≠ェ的を射た観察かどうかは,救助隊の救助方法が適切かどうかの検証が必要となります。しかしテレビ・新聞の報道は時間的経過を追ったドキュメントに終始していました。何時に男児が無事発見された。その後何十分して、車の姿が現れた。中に母と女児の姿を発見したが、小型カメラ、赤外線装置等で、呼吸している様子はないとかかんとか・・・・。その繰返しです。

 但し、何度でも言いますが、検証を経ない、あなた自身の判断≠セけで、私の判断の検証とするわけにはいきません。

 また「露骨な『論点のすり替え』」と言われそうですが、参考ついでに、パターン化していると思える不手際・不備の例を挙げてみます。

 ごく最近のテレビ報道でほんの少し見たことですが、ヘルメットなしだったから、役所の救助関係の職員なのでしょう、揃いの作業衣を着て、大雨の増水による土砂崩れか浸水か、あるいは氾濫なのかに備えて、その土留め用につくっておいた土嚢が性抜けて脆くなったからと、破けた土嚢は新しい土嚢袋に中身を入れ替え、単に古くなっただけの土嚢はそのままの状態で二重にする形で新しい土嚢袋をかぶせて、元通りに原っぱみたいな場所に野積みにして、ブルーシートをかぶせました。

 責任者はマイクに向ってこれで周到な備えができたようなことを言っていましたが、土嚢を野積みにした場所は、野積みという状態から判断するに、土砂崩れか浸水か氾濫が懸念される場所の近くなのでしょう。しかし、災害と言うものは予想した場所に起こらず、予想もしなかった場所に起こるといったよくある前例を考えたなら、野積みにせずに、トラックの荷台のようなタイヤつきの台車に積んでおき、災害場所に応じてジープとかで牽引可能な状態にしておくべきではないかと思いました。

 また、土嚢をつくるときは低い場所に積み上げる方が肉体的な負担は少なくて済みます。しかし、出来上がった土嚢を低い場所から持上げて運ぶときは、袋の表面がつるつる滑る上に、土砂が詰まっていて重たく、相当に腕と特に指の力がないと素早くできないものです。土嚢を必要とするときは雨が降っていることも予想しなければならないから、土嚢は余計に重くもなり、より滑り安くなることも計算に入れておかなければなりません。さらに、土嚢をつくって用意するときは時間的余裕は許されますが、それを運んで積み上げるときは時間的余裕が制限されることも考慮に入れなければならないとなると、つくるときは低い場所に積んで、それをリフトか何かで台車に置き換えておけば、頭の高さくらいの位置に積んであったとしても、高いところから低いところには簡単に滑り落とすことができて、手前に滑らせて腹で受け止め、ほんの少し腹に乗っける形で持ち運べば、持上げるときの必要とされる労力と時間を省くことができ、運んでいるときの腕の力・指の力も軽減されて、作業を格段に効率よく捗らせることができると思います。

 言うまでもなく、作業のスピード化は、災害による被害の軽減につながっていきます。考えられるありとあらゆる場面を想定して災害の救助問題に関わらなければならない救助関係者・災害予防関係者のやることが素人目にも十分でなく、このような不手際・不備が彼ら関係者の習い性であるかのようについてまわっているように受取れる。

 このような不信感・猜疑心が消えないのは、どの救助・防災準備であっても、それに対する第三者を交えた検証の篩に掛けられることがないからではないでしょうか。

 救助用に折角用意した土嚢を満足のいく形で役立てることができなかったなら、阪神大震災の緊急対応に満足に対処することができなかった村山富一首相が、「初めての経験だったから」と弁解したように、増水による土砂崩れか浸水か氾濫が「予想外の場所に起きたものだから」といった弁解で終わりとしてしまうのではないのでしょうか。この手の不信感も、過去の経験から学習した、と言うよりも、学習させられた連想事項です。

 昨年各地で起こった集中豪雨絡みの災害でも、多くの自治体で避難勧告や避難命令を出すタイミングに不手際があったことが報道されました。救助隊や災害防止関係者のやっていることは専門家で、間違いないのだから黙っていろと言われても、素直には黙ってはいられません。

 それとも、
<見当違いな観察なのだろうか>という可能性の問いかけが、あなたの言う 「本文中での断定・非難」に当るのですか。メールでは、「『検討とシミュレーション』へとトーンダウンしている」とのことですが、最初から最後まで、「検討とシミュレーション」の要求をメインとした文章であって、トーンダウンもトーンアップもしていないはずです。

 ただ違うのは、私がクレーンやフォークリフトを使って、車体を広い場所に移動させて救助ができなかったのか、中和剤を用いるのは不可能だとしても、高圧水流や砂等を用いて、洩れたガソリンの除去ができなかったのか、その可能性を論じているのに対して、あなたは「常識的に不可能な事を『出来る』と言っている」とか、「『エエ加減なことを言って』」いると、すべて不可能と断定することで、自己の議論が絶対的に正しいことを主張している点です。

 そして、あなた自身が正しいとする議論に関しては、「検証・シュミレーションの必要性」を無視・省略して、 「当初にも述べましたが「検証・シュミレーションの必要性 」について、小生は賛同こそすれ何ら非難しておりません」と矛盾したことを述べている。

 可能性如何は、検証して初めて成否を問うことができます。

> 最後に貴殿に申し上げたいことは、命題に対して場合分けが必要な
>項目をごった煮している点が気になります。毎度毎度、メールの終
>わりに述べているのですが、「政治や法律のように人間が決めた事
>象を扱う場合と自然科学や技術の事象を扱う場合には、論議の仕方
>を変える必要がある」という点です。貴殿が上位概念として扱う検
> 証・シュミレーションの必要性」は、特に日本社会では「人間が決
>める方」に必要とされていることであって、より深い理解を求めた
>い気持ちはわかりますが、他方「自然が決めた方」においては、貴
>殿のような「結論ありき」の論旨で扱うべき事象ではないことを理
>解願いたいのです。自然科学が決めた事象を扱うのに「人為」を優
>先すれば、手痛い失敗を受けます。もし、それでも「訂正」されな
>いのなら、失礼ながらJCOの職員と同様とみなさざるをえませ
>ん。極左と極右では考え方は全く逆でも、やっている事は同様に卑
>劣なテロ行為です。どんなに高論を唱えようとも、「自然科学を蔑
>ろ」にしている行為は、手抜きをしたいという愚かな連中と同じ行
>為ですから。

 「自然科学が決めた事象を扱うのに『人為』を優先すれば、手痛い失敗を受けます」

 「科学」の真理、あるいは原理は人間の目に見える形で自然界に存在するのではなく、人間が「人為」的に解き明かす行為を経て、人間の目で把え、理解に供することができるように文字や図・数式・記号等で表わす形で存在するものではないのですか。

 そうである以上、「自然科学が決めた事象」という表現は不適切ではないでしょうか。自然科学の日々の進歩なる現象は、人間の扱いが追いつかないことを言うのだと思います。つまり解き明かす能力が追いつかない、後手に立たされていることから、元々存在していたが隠されていた原理が新発見という形で進歩という名を冠せられる。

 自然科学と言えども、「人為」が関わっている以上、「自然科学が決めた事象」と表現しようがしまいが、常に絶対だとは限らないと言うことです。一度発見した原理が覆されるといったことはなかったでしょうか。医学に於いても、天文学に於いても、またその他の分野の学問でも、過去に様々な誤解を人間はつくり出している筈です。地球は最初は平らだと信じられていた。それが覆され、科学の進歩によって、地球は球体だと解き明かされた。しかし、太陽は地球の周りを回っているとされていた。地球こそ、太陽の周りを回っている。

 それと同じように、不可能だと信じられていたことが、それは誤ちで、可能となったことはなかったでしょうか。

> で、手代木さまは、「あくまでも誤りでない」と強弁しますか?
>「削除・訂正」しますか?はたまた「誤りかどうかまだ納得できな
>い」と誤魔化しますか?反駁したいのならば、少なくとも小生の疑
>義に対して答える形で行ってください。小生は論点を絞っておりま
>すから。
>
> 以上」

 何度でも言います。わたしは、「『あくまでも誤りでない』と強弁」などしていません。あなたが絶対的に正しいとしている私に対するあなたの不可能≠、実際に不可能なのか、外部の意見も取入れて検証すべきだと主張しているだけのことです。それがあなたの主張どおりに正しいと検証されたなら、私の可能性≠ヘ否定されます。「削除・訂正」、あるいは謝罪はそのときまで取っておきます。

 例え私自身が救い難いほどに頑迷で、そのことに気づかず、「露骨な『論点のすり替え』」ばかり行い、それが議論ではなく『言いがかり』『子供の言い訳』並に愚かしい行為」と同等の内容しか持たず、「勝敗を競ったり負け惜しみをぶつけ」たりしているに等しい、「JCOの職員と同様とみなさざるをえ」ない、「極左と極右では考え方は全く逆でも、やっている事は同様に卑劣なテロ行為」みたいなことをやらかしている、「『自然科学を蔑ろ』にし」、「『あくまでも誤りでない』と強弁」するような卑劣極まりない、事実その通りの人間だとしても、そのような言葉を連発するのは本来の議論の遣り取りで納得させる意図から離れた、それらの言葉が持つ貶めの感情を圧力に「削除・訂正」を求める、議論とは別のものとしてはいないでしょうか。

 「議論とは、それによってより普遍的かつ合理的な結論を導き出し、より正しい方向へ導くことを目的に行うことであり、勝敗を競ったり負け惜しみをぶつける場ではないことなど、ここに書くまでもないことでしょうに」

 その通りです。「普遍的かつ合理的な結論」は、貶めの言葉によってではなく、「普遍的かつ合理的な」言葉によって導き出す努力≠果たさなければなりません。但し、努力の甲斐もなく導き出すことができない場合もあります。

 導き出せなかったからといって、相手を貶める言葉を使ってもいいとは限りません。

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メール4

送信者: A
宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : Re: Re:尼崎事故の論評の件_返信
日時 : 2005年7月11日 2:57

手代木さまへ

Aです。

今回はご返事を書くこと自体に、かなりの精神的負荷が掛かりました。

小生の指摘内容を全く無視して、こちらの議論点について一切の返答をしないのに逆に
「思考操作のみで排除し」と相手を非難するその考え方には、「議論する」ことの意味まで問わないといけないようですね。実際に言葉のイメージだけで物事を判断しているのは、貴殿の方でしょう。今回の返信の「プレス云々」の件は、その好例です。

「潰れた」という言葉のイメージから「圧縮成型〜プレス加工」といった言葉を類推して、ご自分の論点の最大の欠点である「潰れた車両の強度が保てない」という点を糊塗しようとしたようですが、それは空想・妄想と断じることが出来るほど稚拙な思いつきに過ぎません。一体何処の世界に「衝突で折れ曲がった車体構造」が、「プレス加工と同様な強度UP」ができるのか、金属加工についての知識が少しでもあったらこんな馬鹿げたことを文章にしてまで云えません。プレスは厳密に計算され尽くした「変形(=バランス良い圧縮や延伸)」を施すことであり、予め計算された形状にするために、加える力の大きさだけでなく、力の方向や加える力の時間に加えて材質にあわせて加熱する必要もあります(耐熱性の高いステンレスでは、形状によりますがプレス加工には数百度の加熱が常識です)。120km/h前後の速度でコンクリートに激突する現象の何処がプレス加工と同じ効果がうまれるのでしょうか??? 貴殿は「検証・検証」と連呼する割には現場の「観察」をしているのか疑いたくなります。ネット上に溢れている「事故の写真」をよくよくご覧下さい。
(一例を紹介します→http://www2.asahi.com/special/050425/photo/win/12.html)

貴殿が力を加えて持ち上げられるとした2両目の車両は、どのような潰れ方をしておりますか?「検証」するには、状況の把握するために入念な観察が必要であり、その状況について最も齟齬が無い説明を求めて蓋然性の最も高い考えを出し、それから相手方の導いた説との合理性を比較することで、議論が成り立ちます。

金属がくの字に折れ曲がっているということは、そこに「クラック(亀裂)」や「皺」が入って著しく強度が下がっていると類推するのが科学的な思考です。「プレス加工」と絡めた説明は、予め自分に都合の良い結論を補強するために、状況を自分勝手な理屈で説明しているだけで、何ら合理性がありません。

更に今回の貴殿の返信では、当方に対して具体的な個所を指摘することも無く、ただ「絶対的に正しい・・・」だの、「自分を疑うことを知らない・・・」だのと議論ではなく言い掛かりに終始していらっしゃる点は、本当に「検証」の方法が分かっているのかすら疑いたくなりますね。当方が毎回具体的な点について問題点を指摘しているの
に対して、貴殿は回答ではなく、更に「トンチンカン」な説を持ち出して「可能性」とい
名の議論のすり替えを行うか、「人間は間違えを犯すものだから、おまえも間違っているかもしれない」と、論証のしようも無い暴言で恫喝しているのですから。

極めつけは、『自然科学と言えども、「人為」が関わっている以上、「自然科学が決めた事象」と表現しようがしまいが、常に絶対だとは限らないと言うことです』と、言い放ち、『一度発見した原理が覆されるといったことはなかったでしょうか。』と(自説に対する考察は抜きで、)小生の前提としたニュートン力学やユークリッド幾何等の定理や法則を、ただ「人間は間違えを犯すものだから」的な言い方で否定している点でしょう。

人間の存在如何に関わらず、「万有引力」は存在するのですよ、手代木さん。力にはベクトルがあって、作用に対して必ず反作用が発生するのも、人類が存在しないときからこの世界に存在しているのですよ、手代木さん。その他、指摘した物理法則・化学反応等だって人間が決めたわけではなく、自然に存在していたのですよ。人間は「自然現象を説明する」という命題を解決するために「自然科学」という学問を発達させたのです。そこでは、事象の『観察』から始まり、『仮説』を立てて、その仮説に沿って『実験』を行い、事象と実験の関係を合理的に『考察』して、齟齬が有れば仮説や観察まで戻って再考し、合理的であれば世に問うのです。そして数十〜数百年もの時間をかけて、無数の人間から科学的な検証を経た学説が『法則』や『定理』として存在しているのですよ。疑念や反対を唱えるには、疑うに
足る具体的な証拠を提示しながら合理的な論議をすることは最低限守るべき義務です。ただ単に「人間は間違えを犯すものだから」的な言い方で否定できることでは無いのです。

斯様な自然(科学)に対する傲慢な考え方をして、合理的な説明も無く実質上確率は天文学的数字が分母にくるような「可能性」を何度も何度も強弁して、挙句に自身の「検証」無しに相手側の論点に何の根拠も具体的な指摘も示さずに「印象」のみで非難するようなやり口の方と、これ以上のやり取りは無意味と判断せざるを得ません。(H鋼やフォーク等の蒸し返しに対して、再度答える気になれません。よくよく前のメールを読み返してください。当方は貴殿が「力を与えても変形しないかも」と言い張っている個所の矛盾点について、具体的に指摘しております。)
最後にベクトルの話が理解できないで、力を加えられるとする貴殿の傲慢な考えは、小生の理解の範囲の遥か彼方に有るようですね。壊れて無数に分かれた重心を、どうやって見つけるのか?各重心の無数の作用点をどうやって制御するのか?
折れ曲がったり裂けたりして連結された各部分がどうの方向に力が及んでしまうのか?考えるだけでも途方もない量の検討事項です。
(無論ベクトルの考え方を知っていても出来るような事象ではないですが。)



初めに約束された、「全文掲載」の件を速やかに実行していただきたく、小生からのメールはこれまでに致します。
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返信4

送信者: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先:A件名 : Re: Re:尼崎事故の論評の件_返信
日時 : 2005年7月12日 7:27

手代木です。

少し反論させてください。

> > 極めつけは、『自然科学と言えども、「人為」が関わっている以
>上、「自然科学が決めた事象」と表現しようがしまいが、常に絶対
>だとは限らないと言うことです』と、言い放ち、『一度発見した原
>理が覆されるといったことはなかったでしょうか。』と(自説に対する考察は抜きで、)小生の前提としたニュートン力学やユークリッ
>ド幾何等の定理や法則を、ただ「人間は間違えを犯すものだから」
>的な言い方で否定している点でしょう。
>
> 人間の存在如何に関わらず、「万有引力」は存在するのですよ、手
>代木さん。

 私は、「ニュートン力学やユークリッド幾何等の定理や法則」「否定して」いません。科学と言えども、人間が関わって解き明かす学問である以上、常に絶対ではないと一般論を述べたに過ぎません。私が「「ニュートン力学やユークリッド幾何」を名指しで否定しているのでしょうか。

 あなたは自分の絶対吊れない≠ニいう根拠を「「ニュートン力学やユークリッド幾何」と同等の絶対性を備えたものとしているようです。

>作用に対して必ず反作用が発生するのも、人類が存在
> しないときからこの世界に存在しているのですよ、手代木さん。

 そのくらいのことは私も知っています。しかし、誰かがそれを原理の形で解き明かすまで、存在しなかった≠ニも言えます。経験で漠然とは理解し利用していた人間はいたでしょうが、応用の範囲は限定的で、より原始的な利用でとどまっていたのではないでしょうか。

 これまでのメールのやり取りを纏めると、私は<(静かに吊り上げることは可能である)>との文脈で、可能か不可能化の検証を求め、あなたは絶対不可能だと主張した。その絶対性をも検証すべきだと私が言っているのに対して、あなたは、「空想・妄想」だとか、「(無論ベクトルの考え方を知っていても出来るような事象ではないですが。)」といった文脈で、絶対不可能であること=自分が正しいことを主張して、検証は必要でないとしている。

 ただそれだけのことだと思います。勿論、私は吊るための可能的な方法を提案し、あなたは上述したように、絶対不可能だとことごとく否定する経緯はありましたが。

> 金属がくの字に折れ曲がっているということは、そこに「クラック
>(亀裂)」や「皺」が入って著しく強度が下がっていると類推する
>のが科学的な思考です。「プレス加工」と絡めた説明は、予め自分
>に都合の良い結論を補強するために、状況を自分勝手な理屈で説明
>しているだけで、何ら合理性がありません。

 例えそうであっても、私は検証すべきだと思います。その「類推」が吊れない範囲までに「著しく強度が下がっている」かどうか、検証しないで分かると言うなら、話は別ですが。 

 「『全文掲載』の件」、現在HPに載せるために他の文章の書き直しをしています。1週間ほどかかります。

 失礼しました。