(空襲7)


夜が明けて


 だけど、安倍川に逃げて行った方のあれによりますと、安倍川原が本当に「火の海」になって、川原は「焼夷弾の雨」。執拗に繰り返される攻撃。火勢でおきた風がゴーゴーと鳴って、安倍川橋付近の竜巻は火のついた材木や焼けたトタンを上空高く巻き上げ、固まりになってドドーンと落ちてくる。薄暗い空は赤く、ねずみ色のB29が空いっぱいに飛び交っているのだという証言があるのですけれど、これで静岡はこのくらい焼けてしまった。66%焼けました。
次の日の朝の写真は、こういうふうになってしまいました。広島・長崎のあれと似ていますよね。これが安倍川。これが浅間山です。そしてここ、静岡はこういうふうになってしまいました。だから、空襲というのは同じですよね。どこでも。みんな。広島と長崎の被害が、向こうとは違うのかもしれませんが、結果的にはね、やっぱりみんなこういうふうになってしまって、亡くなった人の黒い死体がゴロゴロところがっていて、そしてさっき言った防空壕も決して安全ではなくて、中でもって酸欠で、ほんとに来たまんまきれいな顔してそのまま家族がかたまって亡くなってたというケースもたくさんあります。だから、2,000人の方が死んでいますからね、焼ききれなくなって、安倍川の河原で、刑務所の方を連れてきて、焼いてもらって灰になったのを、だれとも分からない灰を、みなさんスコップでもらっていって、納めたという話も残っています。
寺田豊太郎さんの体験画
静岡平和資料館をつくる会の許可を得て掲載しています。
 一応、空襲の話はこれでおしまいです。これは新静岡センターです、今の。これは昔、鷹匠町といって電車の駅でした。これがね、翌日こういう形になってまして、これ清水山ですよね。あとで考えると、私たちはこのそばにいたんですよね。そばにいて、お堀に入っていたもんですから、直撃も落ちなかったためによかったんですけど、あとで考えると、この近くにいたわけなんです。だから、かなり静岡の中心のどこということなく、どこもひどい被害を受けたのです。その中を、命助けられて、今ここにありますけれども、だから少しでも平和のために働くことのできるようにと、ここでね、わずかな奉仕をさせていただいていますけれどもね。

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