1学期の授業録


使用教科書/『日本史A 現代からの歴史』東京書籍 (東書・日A578)
副教材/『地歴高等地図・最新版』帝国書院 (帝国・地図599)

全体を通してのベースとなる参考文献
江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)
藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)
『昭和の歴史』全10巻(小学館ライブラリー)

第1回 「国際社会において、名誉ある地位を占め」るために〜戦前社会と戦後社会〜
授業の方針(評価の方法)を発表。1年の時と同様、授業は講義形式を基本とするが、ノートに資料プリントを切り貼りしながら進めるので、毎時間、ノリとハサミを忘れずに!
さて、今年は日韓共催のW杯が開催される。何とか成功させようと必死である。しかし、日本と韓国との関係は急速に冷え込んでいる。内閣府の発表によれば日韓関係を「良好だと思わない」と答えた人は47.2%もいる。なぜか?日本と韓国との間には過去何があったのか?さらにアジア諸国との間には?W杯を成功させ、新しい日韓関係を築き上げ、日本が国際的に「名誉ある地位」を得るためには、ここを見ていく必要があるのではないだろうか。中心テーマは昭和時代であるので、VTR(映画も含めて)をたくさん見たい。
第2回

「誰も憲法の内容をご存じないのだ」(ベルツの日記)@〜大日本帝国憲法と天皇〜

戦前の日本社会を規定していた大日本帝国憲法で主権者となった天皇はどのような役割をもっていたのか?また天皇を支えた機関としてどのようなものがあったのか?元老・内大臣・軍部統帥部(参謀総長・軍令部長)などの存在をみると、どうやら戦前の日本政治は憲法を無視して行なわれていたようだ。
藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)
第3回 「誰も憲法の内容をご存じないのだ」(ベルツの日記)A〜大日本帝国憲法と天皇〜
前回学んだ体制をつくり上げた大日本帝国憲法は、どのようにしてつくられたのか?その制定過程を学ぶ。憲法が発布された時、民衆はお祭り騒ぎをし、「絹布の法被」をもらえると誤解する者もあらわれるが、それをベルツは冷静な目でみる。小泉内閣が発足した時、民衆はお祭り騒ぎをしたが、誰も小泉内閣の政策をご存じないのとよく似ている。冷静な目が必要だ。
藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋『天皇の昭和史』(新日本新書)、清水勲編『続ビゴー日本素描集』(岩波文庫)
第4回 天子様は生き神様〜明治天皇の全国巡幸〜
天皇を知らなかったり、「普通の人」だと思ったりする人びとも少なくなかった。そういう全国の民衆の目を天皇に注がせる必要があった。そして明治天皇は全国を巡幸する。民衆は沿道などで、20代の若いはつらつとした、しかしヒゲをはやし軍服に身を包んだ威厳のある天皇に接した。近代化を急ぐ新生明治国家のシンボルとして、天皇のイメージがしっかりと民衆にうえつけられていく。
佐々木克「明治天皇巡幸〜シンボルと国民〜」(『歴史でみる日本』2000年度放送)、石井寛治『開国と維新』(小学館)
第5回 儀式のなかの天皇〜戦前の学校教育〜
戦前の学校教育について学ぶ。天皇の全国巡幸に引き続き、教育を通じても、天皇ってのはエライ!、神だ!、天皇のために生きよう、ということが強調された。戦前の小学生は、紀元節などの儀式も、朝礼も、さらには学校に通うのも、気の抜けないものだった。儀式の最中にビー玉を落としてしまった少年はどうなってしまったのか?今の全校集会とはだいぶ様子が違いますね。
山中恒『子どもたちの太平洋戦争〜国民学校の時代〜』(岩波新書)
第6回 ぼくは20歳だった@〜国民皆兵〜
静岡市の竜爪山に穂積神社がある。今となってはさえないが、戦前はそれなりの神社であった。一体どんな神社なのであろうか?2回にわたって概観する。第1回は、徴兵制というシステムができる過程を概観。静岡にも日清戦争後、歩兵34連隊が設置される。国民を兵隊にさせるためにはまず教育から。小学校の教科書を読むと、兵隊に対する親近感を抱かせるような教材があちこちに見られる。そして、靖国神社。死んだら、神となり、これで「安心」(?)。(でも、靖国神社は、「こっそり」A級戦犯は祀るものの、空襲や原爆や沖縄戦などの被害者は祀らず)
大江志乃夫『徴兵制』(岩波新書)、入江曜子『日本が「神の国」だった時代〜国民学校の教科書をよむ〜』(岩波新書)、荒川章二『軍隊と地域』(青木書店)
第7回 ぼくは20歳だったA〜国民皆兵〜
さて、徴兵検査だ。人権もへったくれもない。「モノ」扱いである。「普通の人」が「兵隊」になるとはどいういうことだったのだろうか?そんな中、徴兵を逃れよう、あるいは「運悪く」徴兵され、戦地に行っても敵の弾にあたらぬようと願う若者も少なくなかった。静岡市竜爪山の穂積神社は近代においては玉除け、徴兵逃れとしての信仰をあつめていたのだ。そして、竜爪さんの玉除けのお札が、戦地の兵士にお守りとして送られていたのである。
大江志乃夫『徴兵制』(岩波新書)、戸井晶造『戦争案内 ぼくは20歳だった』(晶文社)、原田敬一『国民軍の神話〜兵士になるということ〜』(吉川弘文館)、荒川章二『軍隊と地域』(青木書店)
第8回 「日本」で一番高い山は?〜戦前日本の国際環境〜
現在ならば、「富士山」と答えるだろう。静岡県民ならばなおのことである。しかし、戦前の「日本」は違った。というのも、戦前の「日本」は海外にも植民地をもっていたからである。今回は、地図に作業をしながら、近代日本がどのような形で海外領土を獲得していったのかを、概観した。また、沖縄を例にして、「日本」人にするために行なった「方言撲滅」について資料を読んだ。ちなみに表題の解答は、台湾にある「玉山」。戦前は「新高山」とよばれた。「ニイタカヤマ」。どこかで聞いたことありません?
黒羽清隆『鉄砲足軽ひとりごと抄』(地歴社)、大田昌秀『新版 醜い日本人』岩波現代文庫
第9回 1万円札を透かしてみれば…〜アジア侵略の背景〜
日本人はどのようなアジア観をもっていたのか?福沢諭吉を中心に考える。福沢と言うと「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」ということばで知られるが、実はそのあとが大事。「と言えり」。福沢はアジアに対する蔑視・偏見・マイナス評価をたれ流す。さらに日清戦争に対し、福沢は明治天皇の海外出陣までも呼びかける。日本の最高額面の紙幣の肖像画は、福沢でいいのだろうか?1万円札を透かしてみれば、別の福沢の顔が見える。
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識〜日本近代史像をとらえ返す〜』(高文研)、安川寿之輔『大学教育の革新と実践―変革の主体形成―』(新評論)
中間テスト
(A科は第10回でテスト返却、J科は第12回でテスト返却。後半のみ授業)
第10回 生糸と軍艦@〜戦前の日本経済〜
明治時代に入り、富国強兵・殖産興業・文明開化の道を突き進んできたが、さて、これらに必要なゼニはいったいどこからもってきたのだろうか?山本茂実さんの『あぁ 野麦峠』を読みながら、生糸を生産するとはどういうことかを学習した。本当は、映画を見たいのだが、見つからないのです。どなたか知りません?生糸と繭の実物を提示した。
山本茂実『あゝ野麦峠』(角川文庫)、中村政則『労働者と農民 日本近代をささえた人々』(小学館ライブラリー)、岡谷市教育委員会『ふるさとの歴史 製糸業・岡谷製糸業の展開〜農村から近代工業都市への道〜』
第11回 生糸と軍艦A〜戦前の日本経済〜
前回に続き、山本茂実さんの『あぁ 野麦峠』を読み、女工たちの労働について考えた。長い労働時間、貧しい食事、安い賃金などなど。賃金には企業にとって都合のよいカラクリがあった。しかし、今から見れば「悪条件」の下で働く女工たちの意識を見ると、意外なほどに「行ってよかった」という反応がある。なぜだろうか?日本の農村の貧しさがみえる。
山本茂実『あゝ野麦峠』(角川文庫)、中村政則『労働者と農民 日本近代をささえた人々』(小学館ライブラリー)、岡谷市教育委員会『ふるさとの歴史 製糸業・岡谷製糸業の展開〜農村から近代工業都市への道〜』
第12回 生糸と軍艦B〜戦前の日本経済〜
前回に続き、山本茂実さんの『あぁ 野麦峠』を読んだ。政井みねの登場である。彼女たちが苦労してつくった生糸を外国に売って、ゼニを稼いでいた。そしてそれが、軍艦へと変わるのだ。しかも、日本はアメリカに対してもっとも多く輸出していた。日本は経済的にアメリカに依存し、その依存によって軍事大国として自立していた。もしアメリカと対立し、日本のモノを買ってくれないとなれば、その時日本は…。なお、『あぁ 野麦峠』の映画のパンフレット(東京の古本屋で購入)を提示。
山本茂実『あゝ野麦峠』(角川文庫)、中村政則『労働者と農民 日本近代をささえた人々』(小学館ライブラリー)、岡谷市教育委員会『ふるさとの歴史 製糸業・岡谷製糸業の展開〜農村から近代工業都市への道〜』、江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)
第13回 涙で帰る失業者〜昭和恐慌〜
いよいよ今回から昭和時代を見ていくことになる。日露戦争以後、一時期を除いて日本の経済はほぼずーっと不況であった。そして1929年の世界恐慌の影響を受けて、日本では昭和恐慌がおこる。都市では失業者があふれ、夢破れた失業者は故郷である農村に涙ながらに帰っていった。しかし、その農村でも副業の養蚕業は振わず、しかも本業の農業でも稼げず。生きていくために、しかたなく娘を売りとばすところもあった。農村は悲惨であった。もちろん静岡県も。
『新聞に見る静岡県の100年』(静岡新聞社)、静岡県日本史教育研究会『静岡の歴史百話』(山川出版社)
第14回 必死の代案〜恐慌脱出への道〜 学習指導案
資本主義諸国では世界恐慌の影響を受けた。なんとかしてこの恐慌を脱したいと各国とも必死である。恐慌震源地・アメリカ、植民地を持つイギリス・フランス、植民地のないドイツ。もちろん日本も昭和恐慌をなんとかしなくては!その中で、「満蒙問題」がクローズアップされる。「満蒙問題」について、陸軍の石原莞爾と『東洋経済新報』の石橋湛山(戦後、静岡県選出の国会議員、首相となる)の考えは真っ向から対立する。みなさんはどちらを選択するか?アメリカも、イギリス・フランスも、ドイツ・日本も、結局戦争への道を歩むことになった。そんな中、「湛山風」の生き方をした国も当時あったのだ。
中村政則「昭和の幕開け〜不況脱出・「必死の代案」〜」(『NHK教育セミナー・歴史で見る日本』1997年版)、田中彰『小国主義〜日本の近代を読みなおす〜』(岩波新書)、中村政則『明治維新と戦後改革−近現代史論』(校倉書房)、松尾尊~編『石橋湛山評論集』(岩波文庫)
第15回 「満州事変」のなぞを追う〜満州事変〜
1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で満鉄爆破事件がおこる。これをきっかけに日本は「満州国」を建国した。もちろんこれは中国国内に建国された国なので、中国は国際連盟に訴えた。そして中国の訴えは認められ、日本は国際連盟から脱退する。日本の主張はなぜ認められなかったのか?柳条湖事件をひきおこしたのは、中国軍ではなく実は日本軍、中心は前回学習した、あの石原莞爾だったのである。
江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、歴史教育者協議会編『わかってたのしい中学社会科歴史の授業』(大月書店)、『新聞に見る静岡県の100年』(静岡新聞社)
第16回 さぁ、行こう!満州へ@〜静岡県と「満州国」〜
中国残留日本人孤児が帰国し、本当の肉親と再会する。それにしてもなぜ身元の分からない日本人が中国におり、今ごろになって帰国するのか?それを考えた。柳条湖事件をきっかけに満州事変がおこり、「満州国」が建国された。昭和恐慌の影響を受け、静岡県の農村も窮乏していた。「満州に行けば大地主になれる」という宣伝文句は貧しい人びとにとって、夢のようなことばであった。そして村ごと「満州国」に行ったところもある。しかしその方法は…。1945年8月、ソ連の参戦によって「満州国」にいた日本人は悲劇的な最後を迎える。この中で親子がバラバラとなり、「残留孤児」が発生する。満州移民は被害者の側面と加害者の側面をもつのである。
静岡県近代史研究会『史跡が語る静岡の十五年戦争』(青木書店)、坂本龍彦『孫に語り伝える「満州」』(岩波ジュニア新書)
第17回 さぁ、行こう!満州へA〜静岡県と「満州国」〜
VTR「プロジェクトX 大地の子、日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇〜」を視聴する。中国に残された娘と再開するまでの険しい道のりを紹介。クライマックスの娘と父とが再会するところは、感動的。
NHK総合「プロジェクトX 大地の子、日本へ〜中国残留孤児・35年目の再会劇〜」
第18回 嵐のような満蒙熱〜戦争責任論T〜
『きけ わだつみのこえ』に木村久夫の遺稿が載っている。彼は戦争責任について重要な指摘をする。「満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任がある」と。この考えは妥当なものであるのか?満州事変当時の日本国民、とくに静岡の人びとに絞って新聞記事や写真を見ながら検討する。人びとの熱狂的な支持こそが政府や軍部に戦争を遂行させたのだ。その意味で、木村久夫の指摘は50年も前に書かれた文章なのに、「輝き」をもつ。

江口圭一『十五年戦争小史・新版』(青木書店)、江口圭一『昭和の歴史C十五年戦争の開幕』(小学館ライブラリー)、日本戦没学生記念会編『新版・きけわだつみのこえ』(岩波文庫)、柳田芙美緒『静岡連隊写真集』(静岡連隊写真集刊行会)、柳田芙美緒『戦友−静岡連隊写真集』(講談社)

第19回 最後の元老・西園寺公望@〜軍部の台頭〜
昭和前期、清水市興津は注目を集めた。元老・西園寺公望が別荘・坐漁荘をかまえ、住んでいたからだ。今回と次回の2回で、西園寺公望がどのような考えのもとに戦前の政治を動かし、そしてどのような思いで死んでいったのかを考える。今回は元老・西園寺公望の略歴を概観した。彼のフランス・パリへの留学は、その後の西園寺に大きな影響を残していったといえる。
木坂順一郎「軍部の台頭〜最後の元老〜」(『NHK教育 歴史でみる日本』1998年度版)、静岡県日本史教育研究会『静岡の歴史百話』(山川出版社)、粟屋憲太郎『昭和の歴史E 昭和の政党』(小学館ライブラリー)、歴史教育者協議会編『人物で読む近現代史・上』(青木書店)
第20回 最後の元老・西園寺公望A〜軍部の台頭〜
元老・西園寺公望は、政党政治の確立による立憲政治の発展に尽力し、国際連盟を重視して英米協調外交を推進した。しかし政党は汚職事件をおこし、彼の期待を裏切り、国民の政治不信を招いた。5・15事件後には、政局の安定のために軍部と妥協し、「挙国一致」内閣をつくらせたが、2・26事件をきっかけに軍部の発言力はさらに高まった。日中戦争が始まってからは、西園寺は亡国の予感にとらわれ、1940年、興津で亡くなる。日本は西園寺が思い描いていたのとは全く正反対の方へ進んでいき、西園寺にとってはまさに死んでも死にきれない思いだったのではないだろうか?
木坂順一郎「軍部の台頭〜最後の元老〜」(『NHK教育 歴史でみる日本』1998年度版)、静岡県日本史教育研究会『静岡の歴史百話』(山川出版社)、粟屋憲太郎『昭和の歴史E 昭和の政党』(小学館ライブラリー)、歴史教育者協議会編『人物で読む近現代史・上』(青木書店)、『週刊朝日百科日本の歴史114 政党政治と軍部』(朝日新聞社)、江口圭一『昭和の歴史C 十五年戦争の開幕』(小学館ライブラリー)
第21回 夏期課題について
しっかりと取り組んでください。力作を待つ!!
期末テスト

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