里山仕事・しょんた塾について

「やま」「もり」「いきものたち」〜その2

 

「やま」は、まちのくらしの燃料である薪炭の供給源になり、伐りだし、加工、搬送をになう「さと」に現金収入をもたらしました。「やま」はかつてないほどに利用され、収奪ははげしいものでしたが、「やま」を利用するさとびとの知恵が、世界に例のない数百年にわたる持続的経営と、このくにの景観をもたらしました。休戦協定の担保であった留山、奥山は、賃仕事の場を提供してむらの経済をささえてきました。さとちかくでは、農閑期の労働を材への蓄積に転化し、不時の入り用、子弟の就学や冠婚葬祭をささえ、その針葉樹の良材・美林も薪、刈敷を採る山とはまた違ううつくしさを持っていました。
山、雑木林は、おおむねこのようにして、ひとびとのくらしをささえつつ維持しつづけられ、同時に氷期、縄文から生き残ったものたち、イネとともにやってきたものたち、渡ってくる鳥たち、ゆたかな再生産の頂点たるタヌキ、キツネ、猛禽類にいたる生態系を、このくににもたらしていたのです。春夏秋冬それぞれを代表する、山笑う緑、蝶、魚、蛙、サワガニ、花々、実もみじ、冬枯れの田んぼ。わたしたち農耕民の末裔の原風景は、けっして原始の自然ではなく、ひとびとのしごとを通してのこされてきた贈り物にほかなりません。

しかし、やまはいま、姿を変えようとしています。

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