里山仕事・しょんた塾について

「しごと」「わざ」「たのしみ」

 

「やま」には「さと」のひとびとが草を刈り、束ね、背負い運び、堆肥をつくる、はざぐいや鍬の柄を切り出して生産用具を整える、水路を切り石垣を積んで棚田を開き補修する、炭を焼き薪をしつらえる、さまざまな生産と生活技術がありました。

られたあとの根株から次々に芽を出すコナラ、クヌギを次の伐期までに再生し、遷移を人工的に制御する高い育林技術。育苗、植林、枝打ち、間伐とスギ、ヒノキの良材をそだてるあらゆる技術と手わざは、さとびと、むらびとのものでした。滅びた文明とことなり、やまの再生産能力を賢く管理し、過ぎた収奪にさらさなかった知恵もまたおなじです。

マ、ナタ、鍬のしごとは、だれでもできるようにおもわれがちです。けれども、ひとたび道具を手に持ってしごとしてみれば、70のじいちゃん達に太刀打ちできるできばえ、持続力を持つ20〜50代は絶対におりません。

疲れずいちにち続けられるしごと、次の工程の能率を最高にするうつくしいできばえには、紙に書かれて伝えることのできる「技術」というコトバや、「コツ」と言ってもあらわせない。そこには「わざ」があります。

「わざ」は身体や道具の使い方だけにあるのではありません。伐るものと残すものを見分け、しごとの結果を、1年後、5年後、10年後そしてもっと遠くの未来の森や林や田や畑、そのほかのものたちの行く末をみとおし、予測する眼や知識も含まれます。

ワラビ、ヤマイモ、アケビ、蜂の子。縄文の昔の食料採集は近年にはしごとというよりたのしみを中心とする「遊山」でありながら、そこにはときとして歴然として尊敬を集める名人のわざがあります。

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