里山仕事・しょんた塾について

「しょんた」「塾」

 「わざ」が、座学やいちにちふつかの「体験」ではとうてい習得のかなわぬものであることは、体験した人にしか、わかりません。だからといって「修業」をつむ、と言うほど大げさなものでもないことがミソでしょうか。数千年、数百年のいとなみを身につけなおす。つづく世代に、私たちの世代がミッシングリンクになることを拒否する。なによりかにより自ら愉しむ。そんな、場、をつくりりたいと考えています。

誰かに教えてもらう学校、ではありません。こころざしをおなじくする者たちが集い、自ら切磋琢磨することを基本としつつ教えを乞うことを厭わず、出自も地位も長幼も老若も男女も差別なく学び習う場、という意味での、塾です。

束脩を持ち寄り、自ら炊さんし、ひとつ釜のメシを喰らい、議論し、酒を酌み交わすところです。強いてモデルを挙げるのであれば、松下村塾なり海援隊がそれにあたりましょうか。

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