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サイエンス 1975年2月号


れたあず

水野さんへのお答え

「サイエンス」11月号(特集 人口問題)の「れたあず」を拝見して、心をうたれ一筆したためるしだいです。
 水野秀一さんのように、一年以上前の小生のつたない講演をきっかけにして、「ライフ・サイエンス」に思いをめぐらせ、その研究に身を投じようとする高校生のおられることを知って、講演者の冥利につきるとともに、責任の重さをますます感じます。
 一昨年の講演会は、会場がせまく、聴衆の熱気が直接肌に感ぜられ、私も興奮ぎみで話をしましたが、個々の生命に対する分子生物学的解釈に重点をおきすぎたようでした。生命全体に対するシステム的あるいは生態学的考察の重要性をもっと強調すべきであったと、今は思っています。
 さてライフ・サイエンスは、単なる科学のための生命科学ではなく、技術のためのライフ・テクノロジーでもありません。それは、今後の有限でせまい地球上で、人口爆発にもかかわらず人類が生きのび、少しでも多くの人々が、不幸でなく生活できることを最終目標とする総合的な学問でなければならないと考えています。そこでは、主体的自由性をもつ個人個人の生活と人類全体の生存とを、どう調和させるかということと、幸せな生活とは何かということとが、大きな問題となってきます。一方では、いろいろちがった人々の間の共存と連帯と協力と、

そのための各人の自制が要求されますが、他方、今まで以上に個人を尊重することが必要になります。
 心身障害者、老人、病人あるいは未開発国や開発途上国の人々が、少なくとも他の人々なみに生活できるようにすべきでしょう。人間は、肉体的にも精神的にも多様化していきますが、そういう多様化した人々を受け入れられるような、多様化共存社会をつくることは、そう簡単なことではないでしょう。それにはまず、価値観の変革と、政治や経済のわくぐみの変更が必要でしょうし、次には科学や技術の今いっそうの発展が要求されるでしょう。
 自然科学や技術については、今までの自由競争的で野放図な研究と開発が否定されたうえで、大きなシステムの中の重要な働き手としての調和あるしかも強力な科学と技術の発展が望まれるわけです。日本でも一昨年の石油ショック依頼、高度経済成長が否定され、社会的不公平是正と弱者救済の声がでてきました。「ライフ・サイエンス」に対する考えも徐々に変化しつつあるようです。しかし、本当に弱肉強食の世界がなくなり、共存の社会が建設されるでしょうか。真の試練は今後にあると思うのです。この場合、人間同士の共存が達成されるためには、水野さんの言われるように、人間と動物・植物との共存、さらには生物と無生物の調和ある「共存」が前提条件となるでしょう。「ライフ・サイエンス」でシステム的あるいは生態学的考察が重要であるのはこのためです。私たちは自分の仕事が全体のなかでどういう位置にあるかを、常にチェックする必要があるものと私には思えるのです。

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