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部長 佐野準哉(充)より

 わたしは、幼少の頃、大変ないたずらっ子であった。その証拠には、顔のキズを見て下さい。17針もぬって…しかし、大きくなるにしたがって段々おとなしくなり、中学3年で極めに達した。でも他の富士高生一般のように部長とか、その他の委員長とかは、やったことはなかった。
 入学式の日、迷路のような廊下、階段を通り1Aに着いた。高校に来たらラジコンをやりたいと兼々思っていたところ、後ろの黒板に“物理部に入ればラジコンができる!”とのこと。それで物理部に入ることに決め、下見に行った。ところが先輩に見つかり中に引きずりこまれ、さっそくアマチュア無線の製作をやらされたのである。ここにおいて私の意は決定した。
『物理部・アマチュア無線班』に入部。
 実を言うと、私はすでに中学2年の時にハムの免許を取り、リグも購入したが、詐欺にあい、リグを手放し、ハムに愛想をつかしたのであった。しかし高校のハムは違っていた。親切で優しいお兄さんのようだったのだ。
 1年は“こわし屋”と呼ばれ、文化祭の前の合宿後は“ハナミズル”と呼ばれ、2年生になりようやく“充”と呼ばれるようになった。1学期、新部長の決定の日、私は、よせばいいのに立候補してしまったのである。あの時は、半分やってみたいという気持ちと、あと半分はアマチュア無線班のためと思い、思い切ってやってみたのである。しかし、いざやってみると、なかなかうまくいかず、私は自信を失い、立った事を後悔し泣きたくもなりましたし、1人で寂しい思いもしました。とにかく、この役から逃げたいと思い、とにかく消極的だったのである。
 部長になり1ヶ月、私はそろそろ部長とはこういうものなのだと思い、苦しみを感じなくなり、反対に物理部を何とかしよ

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