真理2_4_04 | 次頁 | 前頁 | 索引 | ホーム |
新しい芽
顧問 水野善雄
私は教師として、あるいは一先輩として毎日生徒諸君と共に高校生活を送っているわけであるが、私の心の底にはいつも自分の高校時代の思い出があって、それが私の教師としての行動の指標として時折仂いていることを意識することがある。
私の高校時代の思い出は、その後の大学生活や社会生活、あるいは幸福な少年時代の思い出の容量が大きすぎて、いつか意識の底に沈殿してしまっていた。それが遇々人生も半ばになってから教師の職につくという思いがけない転機があって、そのため沈殿物がかき立てられて、全く忘れていた古い記憶が今度は今度は逆に現在の行動に様々な影響を与えることになった。
もともと私は工学部出身で、若い日には人並みにエンジニアとしての壮大な夢を画いたことはあるが教育者とは縁遠い存在であった。従って教師として立ったとき専ら自分の過去の高校時代の経験などにたよらざるを得なかった。
私の母校は都立両国高校という東京の下町の古い学校で、その屋上から冬晴れの日などには遥かに白い富士山を望見することができた。私はこの母校に対して、他の卒業生達と同様に、深い感謝と愛情と誇りを持っているので、そこで与えられたよいものがここでも育って欲しいと念願し、又そのように努力して来たつもりである。
勿論、私が顧問となった物理部に於いても同様であるが然し、過去10年近い活動の経過をふりかえってみるとき、私はこの物理部の伝統の中に予期以上の良きものが生まれ育っていることを発見してある種の感動をおぼえるのである。
それは、私が育てた、などという浅ましい思い上がりを封じ