第 一 章   マンションとは
2. 集合住宅の歴史

● 初期の集合住宅
   我国マンションの歴史は、昭和30年代が第一次マンションブームでありマンション時代の幕開けと云える。古い文献に描かれている集合住宅は、平安時代の「絵巻図」の中に描かれている町屋が最初と云える。当時の代表的建築物は寝殿造りであり平安京等の貴族建築物の資料は数多く残っているが、庶民住宅の資料は少なく、庶民の生活を描いた「年中行事絵巻」は庶民住宅史の貴重な資料になる。
   江戸時代になると諸大名の江戸屋敷の表通りに面した長屋門の周りに下級武士達が住む長屋と呼ばれる建物があった。庶民向けには、町割と呼ばれる区画整理された間口3〜5間奥行き20間程度の敷地内に表通り商店(現代の小規模店舗)とその奥に裏長屋と呼ばれる家が建てられている。これが「長屋」の由来である。これら共同住宅の共通点は飲料水を共同使用していた事で、給水システムは現代のマンションとも共通している。

図 1 - 1 信貴山緑起絵巻より住生活史(日本人の住まいと生活より転載)

● 近代の集合住宅
   明治以降になると長屋の建て替え時期に併せてアパート建築物が出現した。当時のアパートは比較的高級所得サラリーマンを対象としていて(財)文化普及会が建築した「御茶ノ水文化アパート」が代表的アパートである。関東大震災後に被災者用住宅建設の目的で財団法人同潤会が「管理者を配置する。賃貸を原則とするが分譲する場合もある。」等を規約として設立された。代表的な建築物である昭和8年竣工の「江戸川アパート」は現在も使用されている。当初の建築は鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て総戸数260戸で、エレベータ設備もあり現代マンションのモデルといわれている。
   太平洋戦争後に新形式の集合住宅「公営住宅51C型」が設計され昭和30年台前半に「2DK」タイプの公営住宅が完成した。そこにはダイニングキッチンが「食寝分離」等を目的として図面化されている。それ以降の昭和30年代後半から今日までマンションブ−ムが続いて急速な発展を遂げているが、マンション初期の
図 1 - 2 公営住宅51C型平面
コンセプトがプライバシ−保護の点に集中している事は否めない。それは、現代の集合住宅が長屋の延長という 思想が強いからかもしれないし、(プライバシ−保護が)当時の社会的なニ−ズだったのかもしれない。その 結果近隣とのコミュニケ−ション不足を招いた。最近その反省にたってコミュニティ−活動として長屋風マンションが注目 をあびているのは一つの社会現象だろう。

● 海外との比較
   日本と海外の集合住宅を比較してみると、日本のマンションは「うさぎ小屋」と例えられるように狭いという先入観が強いが、あるデータよれば、東京、パリ、ロンドンの大都市集合住宅の広さにはあまり差がなく一戸当りの平均住戸面積に若干の差がある程度である。しかしアンケートの評価では日本人の狭さに関する不満度が高いとしている。調査からは必ずしも日本のマンション面積の平均値が狭いとは言えず、住民の意識として概念的に狭いと感じているのかもしれない。

表 1 - 1 マンション供給データ (平成10年度衆議院予算委員会資料)

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