このページも沢山の人に見て頂いて改めてミックテイラーって誰?
みたいな疑問を持つ人が結構いるみたいなんで

少しばかり説明させていただきます。


MICK TAYLOR

Michael Kevin Taylor
(マイケル・ケビン・テイラー) イギリスは、ハートフォード州ウェインガーデンの 1949年1月17日生まれ
永遠の美少年も50歳を過ぎました。
地元のオンスロー中学を卒業後は彫刻師の仕事を始めるもすぐに電気工事の工員へと転職。
1963年のゴッズ(GODS)参加が一般的に言われているけどテイラー本人は否定しています。
ユーライア・ヒープのケビン・ヘンズリーが掛け持ちでやっていたバンドの一つがゴッズであって
テイラーはこのケビンと15歳くらいの時から知り合いでよくプレイしていたのが混同されているのだと思います。
ちなみにテイラーはこの頃ロニー・ウッドともよく一緒にプレイしていたそうです!

(これじゃ誰だかわかんねえよ。)

有名な逸話として語られているジョン・メイオール&ブルースブレイカーズへの参加はきっかけとして
ウェインガーデンにやって来たブルースブレイカーズ。んがっ当時のギタリストだったクラプトンがドタキャンかまして
リードギターがいないまま第一部のステージを終了。見かねたテイラーが恐る恐るメイオールに
「僕はクラプトンのリックを完璧に同じように弾ける。どうですか?僕に弾かせて貰えませんか?」
(勿論、こんな風に言ったかどうかは不明だが自らアピールはしたみたい)
これには困っていたジョンもOKするしかなく第2部のステージにはテイラーがクラプトンのギターを使用して
参加し予想以上のプレイにブルースブレイカーズのメンツも驚いたそうである。
それから約2年後にはピーター・グリーンの後釜として正式にブルースブレイカーズに参加となる。

(このレスポールこそストーンズ加入前にキースから買ったという物!)

(左から3番目が若き日のテイラー)

「Crusade」「Diary Of a Band 1& 2」「Bare Wires」「Blues From Laurel Canyon」を
ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ名義でリリース。

1969年5月にブルースブレイカーズ脱退。

ブルースブレイカーズ脱退を表明したテイラーにストーンズから誘いが来る。
当時ストーンズはあの名作「Let It Bleed」をレコーディング中であり
創設者でもあるブライアン・ジョーンズは健康面その他諸々の問題でレコーディングに参加する事も少なく
ストーンズは腕の立つ若いギタリストを望んでいた。
「Live With Me」が手始めに試された1曲であったそうだ。

1969年6月13日にローリング・ストーンズに正式参加発表。
7月5日、あの伝説のハイドパーク公演で大観衆の前にテイラーはその勇姿を現す。

ギブソンSGを手にまだまだ控えめなプレイのテイラー

ローリングストーンズのメンバーとしてビジュアル的にもテクニック的にも申し分ない活躍をし
69年〜74年までの所謂、キースやミック本人もが認める黄金期を支えたのは間違いなくテイラーだと
言っても過言では無いだろう。
69年Let It Bleed
70年Get Yer Ya-Ya's Out!  
71年Sticky Fingers
72年Exile On Main St
73年Goats Head Soup
74年It's Only Rock'n Roll
とロック史上に残る名盤を次々と絶好調ストーンズは発表。


1974年12月23日
数々の名演を残して静かにローリングストーンズを脱退し新たな道を模索するが
この脱退が本人にとって良い結果になったかというといささか疑問である。
きっと強がりを言ってはいるが物凄い後悔をしたのは間違いないとこでしょう。
私が思うにドラッグで正常な判断が出来ず自分一人でなんでも出来るという奢りが
こういう脱退という結果をもたらしたんではないでしょうか。
盟友キース・リチャーズより
「5年間一緒にプレイ出来て嬉しかった。今までありがとう。これからの幸運を祈る。」
というような電報を受け取りテイラーは泣いたそうだ。

ストーンズ脱退を表明したテイラーはジャック・ブルースやカーラ・ブレイらと新ユニットを結成。
しかしながらこのユニットが陽の目を見るのはなんと77年になってから。
しかもそれも不発に終わり1枚のレコードも正式発表しないまま空中分解する。
最近になって公式に当時のジャック・ブルース・バンドのBBSでの音源が発表された。


1978年に念願のソロアルバム「Mick Taylor」を発表。

                   
以降の活躍?は皆様よろしいですよね。
順次、暇なときやネタが無い時は適当に書き足していきます。
続く・・・。