(空襲2)
日本への空襲が行なわれるまで
私は静岡空襲のお話ということで、ちょうどそのとき中学1年生でした。この近くで、空襲にあいまして、火の中を逃げて歩いたということで、いつも体験をといわれて、お話するのですけれど、みなさんは、聞きましたら、ちょうど戦争の単元が終了したというお話を、うかがいました。あとで、あそこにテレビに、ちょうどサイパン島のところから飛行機が出る実物の写真がありますので、ちょっと見ていただきますけれど、先にお話をさせていただきます。
はじめは第2次世界大戦が始まりましたときに、初めは日本も元気が良くって、「勝った、勝った」という報告がいっぱい入りました。「あそこで航空母艦をやっつけた」「あそこの中国を占領した」「南の島を占領した」という話が来るたびに、みんな「日の丸」振ってばんざいして喜んでいたんですけれど、いかにしても物量の点で、日本とアメリカとは違いますよね。だんだんだんだん戦争が負けてきました。そうしたときにアメリカは日本本土を空襲するということを考えました。アメリカから日本本土まで飛んでくるには、いかにも遠いということで、ちょうど燃料を積んで飛行機が行って帰ってこれるあいだの距離ということで、サイパンに目をつけましたね。そして、サイパン島で戦争しました。そこで、アメリカ軍も、日本軍も大勢の人が死んで血を流して、結局、サイパン島はアメリカに占領されてしまいました。
アメリカ軍は、なにしろ物量に富んでいますからね、すぐにそこに飛行場を作って、そしてそこで日本の空襲に一番いいという大型の飛行機をそこへ設置しました。それがB29といって、聞いたことあると思いますけれど。B29という飛行機でした。翼と翼の間が、ちょうど43m。そして、縦が約30mです。そして、今、あそこで見せてくださっているのが、模型がありますので、あとで見ていって下さい。それがB29です。そして、それにどのくらい乗っているかというと、だいたい10人から14人、乗っていました。それに爆弾をいっぱい積んで、日本の本土へ空襲をはじめました。