(空襲5)
警戒警報が鳴ると…
ちょうど私はそのときに、中学1年で伝馬町小学校のすぐ西側に住んでいたんですよ。そしたらその19日の夜、1度ね、警戒警報が鳴りました。そして解除されてんです。警戒警報というのがまた分からないと思うんですよね、お若い方には。静岡市役所の上にサイレンがありましてね、ウ〜〜〜って、鳴るんですよ。これがね、警戒警報です。敵の飛行機が近づいていますよという知らせですね。もっと近くにきたというときには、ウ〜、ウ〜、ウ〜って切れて鳴るんですよ。だから、警戒警報の段階で、学校の生徒はみんな家へ帰されました。それでここにそのころのあれが残っていますけれどもね、こういうのをみんなかけて、カバンしょって、これは防空頭巾で、そのころのものです。焼け跡がついていますよね、焼け焦げたあとが。こういうのをかぶってね、逃げるんです。そして家へ帰ってくるとね、防空壕に入るんです。防空壕って、ご存じ?防空壕、知らないね(笑)。分かってる方もいらっしゃるんでしょうけれども、(新妻さんが防空壕の模型をもってくる)自分が入っていた防空壕の模型を作ってみたんです。こういうふうに、ここが地面の上ですよね。そうするとね、最初の頃はね、穴掘って、畳上げて、ただ穴掘るだけだったんですよ。だけどそんなの入って、家が焼け落ちてくるとあぶないので、あとはみんな外へ掘るようになったんですよ。自分の背の高さのちょっとくらいのところを掘って、柱をちょっと立てて、板をひいて、その上にまた土を盛って、その中にじめじめして寒いんですよね、そこへみんなとにかく逃げ込むんです。だからその日の晩も一度警戒警報が解除されたので、私たちなんかは通りがあったものですからね、そこから家に入って、やれやれという感じですよ。