(空襲4)


静岡大空襲の夜


そして、6月19日は夜中から20日の朝にかけて静岡は、大空襲を受けました。そのときに静岡に飛んできたB29が123機、飛んでました。ぐるーって爆弾落として飛んで、また次のが飛んでくるという具合で静岡の空をまわりながら、123機がまわりながら爆弾を落としていきました。そのときに絨毯爆撃といいまして、絨毯をしきつめたように戦闘要員だけじゃなくて、女の人も子どももみんな殺していくというやり方の絨毯爆撃でした。そのときに落としたのが、焼夷弾がM47という焼夷爆弾、それは焼夷爆弾。向こうにカラがありますので、見ていってください。焼夷爆弾がね、ちょうど1万。
 それからもう1つがE46。これ本物なんですけどね。E46というこれが38本詰まっている。これがその絵ですけどね、あとでテレビで見せていただくと、これが本物に積みこんでいるところが映っています、アメリカ軍が。これが頭でしてね、これが向こうに落ちた。浅間さんの前の家に落ちました。落ちて、残って、寄付してくれたものがありますのでさわってみてください。こう長くなっていて、このビルもあります。このなかに集束焼夷弾といって38本これが入っているんですよね。そしてこの中にはガソリンをゼリー状に詰めて、これギュウーって、詰まっていて、ここに信管がついているもんですから、これが空の上からB29が落としていく。
 これは体験画っていいまして、当時写真がないのでね、覚えているうちにということでかいたもの、体験画もここにたくさん収蔵されています。これは落としているところですね。B29が落としています。すると地上300mのところでバッて散らばります。そうするとね、ここにね、ゼリー状の上にヒモがついていたんですよ。長沼の空襲があったときに、私友達が長沼にいまして、それでここについていたヒモをもってきて、みんなに見せたことを覚えています。確かソラ色でした。ソラ色のヒモがついていました。そして地面の上へこれが落ちると、バアーって火をふくので、日本は木造家屋なんで一番焼けやすいということで、これを使ったようです。
静岡平和資料館をつくる会の許可を得て掲載しています。
 こういう具合でザアーって落ちてきて、火をふくわけです。これがね、10万本落ちました。この1本ずつのあれでいいますと、これがね10万本落ちたんです。いつもは小学校6年生ぐらいの子どもさんとか、3年生くらいの子がくるものですからね、大人には初めてなので、ごめんなさい、ちょっと幼稚な話になるかもしれませんけれど(笑)、これがね38本つまっているうちの10万本落ちたんです。10万本というのを説明するのに、子どもさんたちには、畳3帖間ってありますよね、家の畳が。3帖間のスペースに11本ささったという感じで静岡市にこれが落ちたわけです。焼夷爆弾というのはね、そのままウチの1軒おいた、お隣の家にも落ちたんですけれど、見てた人の話によると、家が半分、真っ二つに裂けたと言っていましたけれどもね、それがドォーンと落ちるとすごい勢いで爆発します。これは火がこう燃えていきます。静岡はね、そういうわけで10万本落ちました、焼夷爆弾がね。
 そういうわけで2時間、たった2時間のあいだで、亡くなった方が2,000人。約2,000人。重傷者がね、5,000人。軽傷者が約6,700人ということで、死傷者のでいうと、全国のでいくと8位でした。8番目くらいにひどい被害を受けました。そして死んだ方、死亡率は広島、長崎、東京についで、4位。4番目に多かったわけです。4番目は兵庫とか、神奈川とか、大阪、愛知と同じ位置で4番目。だからずいぶん大きな被害を静岡は受けています。私と同じくらいの年配の方はきっとそんなこと聞かなくても分かってらっしゃるかもわからないですが、静岡はそういうわけで、「火の海」になりました。その日。
 これは体験した方が描いて下さった画ですけれども、これは静岡市役所ですね。その前はこのように炎上していました。静岡市役所だけじゃなくて、静岡市全部が中町を中心にだいたい半径200mくらい、だから静岡はスッポリ入りますよね。ですからそこに全部これが落ちてますからね、静岡は「火の海」になってました。
 これも体験画の1つですけれど、これB29ですね。なんか下から見てた方がそういう大きくのしかかるようにしてB29が飛んでいったのを見た人が何人もいます。静岡はこうして、燃え上がりました。

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