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歴史音楽世界
音楽は一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。  
わたしの音楽の意味をつかみ得た人は、
他の人々が引きずっている、あらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
L.v.ベートーヴェン
この頌歌は崇高で美しくて --いや、何とでもお褒め下さい。でも私の繊細な耳には大袈裟に誇張しすぎています。でも、どうお思いになりますか。今の人は何事についても、中庸のもの、真実なものは、決して知りもしなければ尊重もしません。喝采を受けるためには、辻馬車の御者でも真似して歌えるような分かり易い物か、さもなければ、分別のある人間には誰にも理解されないから、かえってみんなによろこばれるような、そんな分かりにくい物を、書かなければなりません。
W.A.モーツァルト
音楽というのは、とても大変な芸術だと思う。
ベートーヴェンが言うように、(絵画や文学と違って)芸術家はすべての素材を自分の頭の中から、および自らの感情の中から呼び出してこなければならない。たとえ皆が知っているような社会的出来事を芸術にしようと思っても、音なんてものはひとりひとり同じ物ではありえないもので、それをまず自分の中でこね、それをみんなに分かるように取り出して形にし、そして皆に感銘を与えるように演奏する。ああ、なんて、気の遠くなるような作業なことか。
だが、そうして生みだされた優れた音楽は、芸術という名のもののなかでもっとも最上なもの。 視覚、言葉による熟考、そういったものに一切頼らず「音」という情報は、直接ひとそれぞれの脳髄に飛び込んでくる。そうすると、音は人間ひとりひとりに固有なものであるからこそ、ひとによってさまざまな感興を湧き起こすのだ。そう言う意味で音楽は、もっとも広がりのある芸術だということが出来る。
言い換えれば、音楽は聴く者の頭を通して、その場所の空気と臭いを変えるのだ。

「音楽を聴くときは、無心に耳から入ってくる音楽に耳を傾け、その連なる音の奔流が自分の心に対し変化を巻き起こさせる劇的なさまを純粋に楽しめばいいわけで、そういった意味から言ったら演奏する音楽家のことに気をかけたり、その曲にまつわるエピソードなどに思いを馳せるのはまったくのナンセンス」という考えもある。 チャイコフスキー(だか誰か)が言ったように、「標題音楽として音楽を聴くと、不純な気持ちが聴く意識の片隅に入って、随所随所の真の姿を理解する邪魔をする」、したがって「音楽にとって表題は副次的な物。決定的なものではない。音楽を表面的に扱うべきではない」とする考えもある。

だが、(これはなるたけ言いたくないことだが)、モーツァルトがルキウス・スラを取り上げて音楽にしようと思ったとき、自分の生まれた世界とは違う太陽の匂いがするイタリアの空気の中でそれをせまられたとき、または、ベートーヴェンが高まる戦争の不安の中でフィデリオをしこしこ書いていたとき、モンテヴェルディが「それまでに無い芸術」オペラという形式を作り上げていく過程でどんな題材を取り上げようと考えをこらしていたとき、英雄を息子に持つローマ教皇アレッサンドロ6世が西の英雄王イザベラがムーア人を国土から駆逐してそれを讃える音楽を送るよう自分の書記官に命じたとき、パーセルがメアリ女王の即位に際して祝典音楽の作曲を命ぜられたとき......... そういった社会的な事情が音楽の中にスルリと紛れ込んでしまったと考えるのは自然なことではないであろうか。 あるいは、そういって時代の空気の断片を、長い時間を経て現在まで残っている音楽の名残の中に見いだそうと考えてしまうことは、無益なことではないのではなかろうか。

わたしの言う『歴史音楽』には、次のような種類があります。

(1)その音楽それ自体が、歴史の時代の重要な要素を為しているもの。
             (例)ルネッサンス音楽、革命歌、世紀末芸術
(2)題材に、歴史的事件を扱っているもの。 (オペラが多い)
(3)音楽成立の過程に、歴史上有名な人物が関わっていること。
        軍事的に大きな業績をあげたフリードリヒ大王が愛らしい曲を数多く残しているとか、
        政治的には「放埒な王」として知られるジョージ2世が、素晴らしい芸術の擁護者だった、
            など、そういうのが価値が高い
(4)誕生したその音楽が、歴史上の重要な事件の場に居合わせて、重要な証言者となっていること。
        スエズ運河開通の記念式典で初演された「アイーダ」。
              植民地主義時代、という新しい時代を彩る記念曲となった。

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歴史音楽のリスト
黎明期 〜 古代 

オラトリオ「天地創造」 ハイドン (墺・1795〜98 全3部  約1時間50分

旧約聖書創世記第一章とミルトンの『失楽園』による、「神さまが世界を創造する様子」を描いた長大な作品。
第1部と第2部では創世記による天地創造の最初の6日間の様子 (1日目の"光あれ"、4日目の天体の創造、5日目の空と海の生物の創造、6日目のアダムとイブの誕生など) が、三人の天使 (ガブリエル・ウリエル・ラファエル) によって歌われる。第3部はアダムとイブが永遠の愛を誓う美麗な旋律と、神への賛美と感謝をうたう壮大な合唱。
まだこの曲の未聴の頃、吉田秀和の『LP300選』という本でこんな記述を読みました。私は、もっと勝手に想像したい。「天と地のもろもろのもの」を、神が作った時、どんな音楽が宇宙に響き渡ったのであろうか? その音楽は、ハイドンの『天地創造』とダリウス・ミヨーの『世界の創造』と、そのどちらかに似ていたのだろうか 短い文章ですが、この一文で、私の妄想は広がりました。神が創造を思い立つ前は宇宙は混沌に満ちた状態であったといいますから、でもそこにそれでも音楽が充ちていたのだ、と考えて自分の持てる力で表現してみようと考えたハイドンもミヨーもそうですし、「実際にそのときに響き渡ったのはミヨーかハイドンかどっちか」という問いを真剣に投げかける吉田秀和氏も。この本を読んだ大学の図書館で、まだこの曲を聴きもしないのに不思議な感覚に取り巻かれたことを覚えています。
もちろん、いうまでもなく、世界誕生以前にハイドンもミヨーもどちらの曲も流れていたはずも無いのです。でも仮に、「光あれ」と神様が言ったそのときに、ハイドンのきっちりとした序奏が「ジャーン」と鳴ったら、どんな感じでしょう?
というわけで、聴きどころは冒頭の「混沌の描写」でしょう。ここんところは何度聴いてもおもしろいです。だってやっぱりハイドンの音楽と「混沌」は相容れないじゃ。
それ以外の部分は(ちょっと堅めな)普通のハイドンの音楽。
でも、とりわけガブリエルがいい感じだな。 ガブリエル、ガブリエル、好き好きーー♪ ガブリエルの魅力満載です。
 
物語; 第一部 −第1〜13曲) 天地創造の一日目から四日目。
第二部 −第14〜28曲) 天地創造の五日目から六日目。
第三部 −第29〜34曲) アダムとイブの創造。
作曲のきっかけはハイドンが渡英したときに興行主ザロモンから提案されたから。しかしこのときザロモンから提示された台本は実は何十年も前にヘンデルのために書かれたもので、しかもヘンデルはそれを気に入らずにお蔵入りにした物だったという。偉大なる芸術家がボツにしたのにそんなのに嬉々として曲をつけるとは、そしてそれがこの作曲家の最高峰といわれるようになるとは、、、。ハイドンのファンとしてちょっと情けなくなる (←オイ) エピソードだが、実はこの直前にハイドンはロンドンでヘンデルのメサイアを聴いていて、自分もメサイアのような曲を書くべしと熱く決意したばかりで、大先達の霊感にあやかろうとした思いもあったそうな。
完成後、この曲がヨーロッパ中で大好評を博し、パリ初演の時にはナポレオンも聴きに行ったそうな。ナポレオンはこの曲を大いに気に入り、演奏会場へ何度か足を運び、あるときなんかは途中でナポレオンの命を狙うテロに巻き込まれながらも、予定は変更せずにきちんと劇場へ向かったという。(ブリュメール18日のクーデターの頃ですね)
カラヤン、ベルリン・フィル/ヤノヴィッツ,ヴンダーリヒ,フィッシャー=ディースカウ,ルートヴィヒ 66〜68年 (グラモフォン)
バレー音楽「世界の創造」 ミヨー (仏・1923) 約17分
そして、こちらはどういう曲かというと。 …とても心地よい音楽なんだけれど、……ガブリエルはいつ出てくるの? (※出てきません)  
創世神話といっても世界各地域いろいろな創世神話があるのはあたりまえで、この曲は、アメリカを旅して第一次大戦後に大流行していたジャズに大きな感銘を受けたミヨーが、「アメリカに連れてこられた黒人に伝わる創世神話」をもとにして書き上げたバレエ曲であるという。
といいつつ、登場人物に「黒人のアダムとイヴ」とかが出てきます。 ※「黒人のガブリエル」はいないのか。
残念ながらわたしは「ジャズ」という言葉だけで拒否感を感じてしまう体質なんですが(※食わずぎらい)、冒頭だけは大好きなんですよ。なんともいえないふわふわしたむにょむにょした神妙な出だしで、不思議とハイドンの冒頭と共通するものを感じます。響きの性質は正反対なんですけど。
一応、「ジャズの手法を用いながらもジャズの曲ではない、しかしストラヴィンスキイやショスタコーヴィチとは違って無理矢理ジャズを自分の作風に取り込もうとするのではなく、その響に対する称賛を彼なりに音楽にしたら、軽妙なだけではない(線の太い)独自の音楽が出来上がった」 というところがミヨーのすごいところだと言われているのですが、私にはなんやら訳が分かりません。
しかし、他にも「飛び回る虫、ゾウ、のろまな亀、不器用なかに、猿、鳥、輪になって踊る動物たち」が出てくるというので、とりあえず「器用じゃないカニ」だけは探してみようかと思ったんですが(←海中の節足動物好き)、、、、 プレートル盤で[9:25]ぐらいのところのでどうだ!?
しかし、どんなあらすじなんだ?
プレートル、パリ音楽院管 61年 (EMI)
ルーシーは空の上  ビートルズ (1967)
アダムとイヴならぬ史上最初の著名な歴史人物は、エチオピアで1974年に発見されたアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)ルーシー嬢。どうしてルーシーと呼ばれるのかというと、発見者ドナルド・ジョハンソンがこの化石を見つけたとき、キャンプでちょうどビートルズの「Lucy in the sky with diamonds」が流れていたから、とかあるいは、その夜のパーティーでこの曲で乾杯したから、とか。
ルーシーは、全身骨格の40%ぐらいしか見つかっておらず(それでも現在もっとも完全体に近い個体)、最古の人類というわけじゃないし、現生人類の直接の祖先でもないし、身長なんか1mぐらいしかないのに(25〜30歳なのに)、「人類の母」と呼ばれて親しまれている。
…でもわたし、この曲聴いたことないや。
ネットでちょっと聴くこともできますが、、、 MIDIだとヘンな曲に聞こえる。どんな曲です?
でも、「この題名の頭文字を繋げると LSD になる」というエピソードは知ってます。
麻薬は嫌いだ。(のちにジョンが語ったところによると、4歳間近の息子のジュリアンが描いた、保育園の友達のルーシー・オドネルがダイヤモンドを持って空に浮かんでいる絵と、「不思議の国のアリス」の幻想的な雰囲気を足し合わせてつくったもので、ドラッグとは無関係だと釈明したという話も聞いたことあるけど)
でも、試しに訳してみたけど、ほんとに変な歌ですね。
関係ないけど、ルーシーの身長とくらべて、ケニヤのトゥルカナ湖で発見されたというホモ・エレクトゥス(原人)、通称“ナリオコトム・ボーイ”は推定11歳で163cmもあったそうな。すげーな。それから現在「最古の人類」最有力候補は700万年前の化石人類だそうですね。いやはや、学問の発達ってすごいなぁ。わたしゃまだ学校で、「最古の人類は400万年前」と教えてますよ。だって教科書にそう書いてあるんだもん。(ルーシーは320万年前)
 
Lucy in the sky with diamond
 

Picture yourself in boat on a river,
With tangerine trees and marmalde skies
Somebody calls you, you answer quite slowly,
A girl with kaleidoscope eyes.
Cellophane flowers of yellow and green,
Towering over your head.
Look for the girl with the sun in her eyes,
And she's gone.

Lucy in the sky with diamonds,

Follow her down to a bridge by a fountain
Where rocking horse people eat marshmallow pies,
Everyone smiles as you drift past the flowers,
That grow so incredibly high.
Newspaper taxis appear on the shore,
Waiting to take you away.
Climb in the back with your head in the clouds, 
And you're gone.

Lucy in the sky with diamonds,

Picture yourself on a train in a station,
With plasticine porters with looking glass ties,
Suddenly someone is there at the turnstile,
The girl with kaleidoscope eyes.

Lucy in the sky with diamonds.

☆ルーシーはダイヤを持って空にいる

川に浮かんだ小舟に乗っている自分を、思い描いてごらん
岸辺にはタンジュリンの木、そしてマーマレードの空
誰かが君を呼んでいる。君はゆっくりと答える
そこには万華鏡の瞳をした少女がひとり
黄色と緑のセロファンの花が
君の頭の上にそびえている
瞳に太陽を映したその少女を探しても
もういなくなっている

ルーシーはダイヤをつけて空の上

泉のそばの橋まで彼女に続いて降りていこう
人々がマシュマロ・パイを食べる木馬まで
みんなが花々を通り過ぎて漂う君を見て微笑む
それは君が信じられないほどに高く育つ
新聞とタクシーが、海岸にあらわれ、
君を連れていくのを待って、
頭を雲に入れてタクシーの後ろに乗ってみよう
そうすれば、君もいなくなる。

ルーシーはダイヤをつけて空の上

駅の列車に乗っている自分を、思い描いてごらん
鏡でできたネクタイを締めたプラスチックのポーターと
突然に、誰かが、回転扉のところにいた
それはあの万華鏡の目を持った少女

ルーシーはダイヤをつけて空の上
 


 
 ◎古代オリエント_

オラトリオ「ギルガメシュ叙事詩」 マルティヌー (チェコ ・20世紀)

多彩な作風で知られたマルティヌーの、晩年重厚で悲壮な作風に傾いてからの力作。 テーマは、「死と友情」。
歌劇「セミラーミデ」ロッシーニ (+伊・1822〜23)
原作はヴォルテール。セミラーミデとはバビロンの空中庭園を建設したとされる女帝。
センナヘリブの陥落 ムソルグスキイ (露・1867(改訂;1873〜74)) 約6分
バイロン卿の『ヘブライのメロディ』の一編の詩の歌詞にもとづく合唱曲。
鈍重な合唱曲だけど、ズンズンズンズンズンズンという感じで、不思議にクセになる音楽。
くをぉうらグラモフォン、解説に歌詞を付けろーー  せめてアラスジをー (01.8.19)
アバド、ベルリン・フィル 93年 (グラモフォン)
歌劇「ナブッコ」ヴェルディ (伊・1841) 全三部 (2時間05分)
ナブッコとは、大アッシリア帝国崩壊後にその覇権を奪った新バビロニア王国の高名な帝王ネブカドネザル2世のこと。  
ええ、わたくし、歴史音楽マニアを自称しながら、この名高い曲は、ついこないだ、初めて聴きました。
これまでは、聴いたフリしてましたの(笑)
イタリア人の愛国心をゆさぶる合唱の連続で有名な作品だが、まあ! まあまあまあまあ、まあ!!

だが、解説書を読んでいて、やっぱりいくつか違和感が(笑)
ネブカドネザルはイタリア語では「ナブコドノゾル」。それはいいんだけど、どうしてヴェルディはそれを「ナブッコ」などと省略しちゃったの? そういう省略方法ってアリなのかしら? (そういや、アッシュールバニパルは「サルダナパル」でしたね)
2点目、この作品の「アムネリス役」は帝王ナブッコの娘アビガイッレであるが、ナブッコにはもうひとり、フェネーナという娘がいる。 アビガイッレは女将軍として父のために奮迅の働きをするが、(対訳読んでいるとき最初男かと思ったよ)、父ナブッコが、自分ではなく姉妹の フェネーナに王位を譲ろうと考えていることを知ると、父を捕らえて幽閉し、王位継承を宣言してしまう。 …ってなぜナブッコ、女に王位 を継がせようとするのだ。この時代、エジプトを例外として(ハトシェプストだけだし)女が王位に就くことは無いだろ。 あんたには息子が いるじゃないか。(ネブカドネザルの次のバビロニア王は息子エビル・メロダク王。オペラには出てこないけど) ただ、アムネリスと同じく、この悪の王女アビガイッレが真の主役で、初演時彼女を演じた歌手、ジュセッピーナ・スポレッティーニと作曲 者は後に結婚している。(おいおいおいおい)
3点目、物語の最後でナブッコが高らかにユダヤ人たちの神(=イェホヴァ)を讃え、「偶像を破壊せよ!」と叫んで簒奪者アビガイッレに 突っ込んでいくんだが、、、、、 どうしてそんな展開になっちゃうんだろうか。この作品に限らず、ネブカドネザルがユダヤ教の神に理解を持 っていた帝王、としている作品って多いような気がする。(ヨーロッパ人の願望?) でもたしか高校の世界史の授業では、2度の「バビロン捕囚」をおこなってイェルサレムをおこない、ユダ王国を滅亡させた、って習ったような。聖書にもそう書いてあるんでしょ?
4点目。 ナブッコの王国を、台本の地の文ではちゃんとバビロニアと書いてあるのに、人物の台詞としてはユダヤ人も侵略者の側の人間も「アッシリア」としか呼ばない。 やっぱりバビロニアよりもアッシリアの方が響きがいいからかいね? いいんだけどね。   (01.8.19)

☆行け、想いよ、黄金の翼に乗って
EBLEI
(in catene, soggetti, a lavori forzati)
Va, pensiero, sull'ali dorate;
Va, ti posa sui clivi, sui colli,
Ove olezzano tepide e molli
L'aure dolci del suolo natal !
Del Giodano le rive saluta,
Di Sionne le torri atterrate,
Oh, mia patria si bella e perduta !
Oh, membranza si cara e fatal !
Arpa d'or dei fatidici vati,
Perche muta dal salice pendi ?
Le meorie nel petto raccendi,
Ci favella del tempo che fu !
O simile di Solima ai fati
Traggi un suono di crudo lamento,  
O t'ispiri il Signore un concento
Che ne infonda al patire virtu !
ヘブライ人たち
(鎖につながれて強制労働をさせられている)
想いよ、金色の翼に乗って飛んでいけ!
飛んでいって
故郷の地のそよ風が暖かく柔らかく匂う
斜面や丘に憩え
ヨルダン川の岸辺や
シオンの倒された塔に挨拶してくれ。
シノーポリ、ベルリン独歌劇管 カプッチッリ、ドミンゴ、ディミトローヴァ  92年 (グラモフォン)
ネブカドネザルの像のもと  フィリップ・ド・ヴィトリ (仏・14世紀) 約3分
題名にだまされましたが、内容は聴いてみたら全然歴史と関係がありません。 ( ←ならばここに挙げるな ) 宗教的?
ヴィトリという人は、「アルス=ノヴァ(新しい技法)」というこの時代の芸術を表現する言葉を発明した人なんだそうです。 
歌劇「燃える炉」 ブリテン  (英・20世紀) 
ネブカドネザルがイスラエルから迎えた(人質)3人の王子が、金の神像を拝むことを拒んだので、王は怒って3人を燃えさかる炎の中に投げ込むが、天使が出て彼らを救ったので、王は改心して彼らの神を讃える、という物語。 え、ネブカドネザルがユダヤ教に改宗!?
歌劇「アイーダ」 ヴェルディ (伊・1870〜71)
エジプト対エチオピアの戦い。悪役のエジプト王女アムネリスが一番魅力的だ。
音楽悲劇「ゾロアストル」 ラモー (仏・1756) 全5幕  約3時間04分 
もちろんここで言うゾロアストルというのは、われらが大ペルシャ帝国の守護神のゾロアスター(ドイツ語で言うツァラトゥストラ)なんだろうけど、「なぜルイ15世の時代にこんな題材が?」とか「狂えるオルランドの悪役にゾロアストロってやついたよな」とか「モーツァルトの魔笛でも悪役にゾロアストロが・・・」とか、結構実際に買ってみるまでドキドキでした(笑)
音楽は、心地いいけど感動はしませんでした。 ラモーよ、すまん。 あなたの「エベの祭典」が大好きなのです。
歌劇「ダリオの戴冠」 ヴィヴァルディ (伊1717) 
おおっ、待望のヴィヴァルディの歴史オペラ発見っ! ということで輸入盤だったけど買ってみました。 だからこのダリウスが一体どのダリウスなのか分からない。調べてみたら1〜3世まで、どのダリウスも戴冠シーンはドラマになりそうなんですよね。
でもまあ多分、1世のダリウスのことだと思います。 音楽は、ヘンデルやパーセルとくらべるとついつい音が脳天気で少なすぎるような気が。 でも悪くはない。 というよりヴィヴァルディの知らない魅力の一面を見たような。 褒めも貶しもできない佳作です。
メロドラマ「インタフェルネスの妻」 シュレーカー  (独・20世紀)    ☆01.3-291
歌劇「セルセ」 ヘンデル (英・1738)
ペルシャの大王クセルクセスは異常性格者で、幕が開くと同時に、王が宮殿の庭に聳える一本の樹に熱烈な愛を歌うところから始まる。このアリアが有な「オンブラ・マイ・フ(緑の木陰)」だってんだからもう。
さして、この「クセルクセス」とは、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王(1世)の息子のことでしょうか。(大々的なギリシャ遠征をおこない、無人のアテネを占領した) それとも、プルタークの英雄伝で有名なアルタクセルクセス1世の息子で、でも父の死後あっけなく兄弟のダレイオス2世に殺されてしまったクセルクセス2世のことでしょうか?
 ◎古代ギリシャ・ローマ_
 
◎おもにギリシア神話風の歴史譚 (付; カルタゴ)_
古代ギリシアの音楽 パニアグワ (1979)
ここに描かれている世界が本当に古代ギリシャの世界なら、このわたしはオリンポスの神々だよ、とほほ・・・・。
どこか、日本のどこかの村の夏祭りでも聴いているような気分になるんです。   または遠野の昔話のバックミュージック。
歌劇「テセー」 リュリ (仏)
歌劇「テーセオ」ヘンデル (英1713)
歌劇「ウリッセの帰還」モンテヴェルディ(1641)
歌劇「トロイ人」ベルリオーズ(1856〜58)
舞台音楽「トロイアの女たち」 エレニ・カラインドルー (ギリシャ・2001) 全30曲  約50分
(1)声たち (2)嘆き (3)荒れ果てた国土 (4)嘆き II (5)パロドス 「祖国と呼ぶ国」 (6)ヘカベーの嘆き (7)パロドス 「わが祖先たちの国々」 (8)パロドス 「願わくはかの国に」 (9)カッサンドラーの主題 (10)神がかるカッサンドラー (11)第1スタシモン 「涙のほめ歌」 (12)第1スタシモン 「フリギアの国に大いなる悲しみが」 (13)アンドロマケーの主題 (14)アンドロマケーの嘆き (15)不毛の大地 (16)アステュアナクスの主題 (17)ヘカベーの主題 (18)ヘカベーの主題 II (19)第2スタシモン 「テラモン、あなたは町を征服するために来たの」 (20)第2スタシモン 「おまえを生んだ町は焼き尽くされた」 (21)涙のほめ歌 (22)荒れ果てた国土 II (23)嘆き III (24)第3スタシモン 「犠牲もなく」 (25)第3スタシモン 「愛しいひと、あなたの亡霊はあてどなくさまよう」 (26)へカベーの主題 (27)アステュアナクスへの悲歌「ああ、何という苦い悲しみ、哀れな御子」 (28)エクソドス(出帆) (29)エクソドス〈呪われた町〉 (30)アステュアナクスの記憶
マンフレート・アイヒャー(プロデューサー)、  01年 (ECM)
ヴァイオリンソナタ「見捨てられたディドー」 タルティーニ (伊・1731) 約14分
メタスタージョの詩に霊感を受けて作曲。 下参照。
劇場用カンタータ「ディドーネの死」 ロッシーニ (伊・1822〜23)  約22分
ディドーネとはカルタゴの建設者とされている女王。 さすらいのトロイの王子アエネイアスと恋に落ちるが、彼がカルタゴを去るとき火刑台で自らの身を焼き、死んだ。
歌劇「ディドーとエネアス」 パーセル (英・1689) 全三幕 約62分
こじんまりとした、でもパーセル唯一の本格歌劇。
ウェルギリウスの『アエネイアス』の、英国人気劇作家ネイハム・テイトによる翻案。
長らく、女学校での上演のために作曲されたとされていたが、最近の研究ではウィリアム3世とメアリ女王の戴冠の祝典行事に初演されて、その後女学校上演のために書き直された可能性があるという。 ただ、個人的には最初から女学校の生徒達に捧げられた、という方がいいね。そんな感じの珠玉のオペラ。
エネアスがこのままここに留まりたいというのを、ディドーがきっぱりと退ける叙唱(第三幕)
AENEAS
By all that's good....

DIDO
By all that's good, no more!
All that's good you have forswore.
To your promised empire fly,
And let forsaken Dido die.

AENEAS
In spite of Jove's command, I'll stay,
Offend the gods, and Love odey.

DIDO
No faithless man, thy course pursue;
I'm now resolved as well as you.
No repentance shall reclaim
The injured Dido's slighted flaim,
For 'tis enough, whate'er you now decree,
That you had once a throught of leaving me.____
エネアス
すべての善なるものに誓って....

ディドー
善なるものに誓うなんて、止めて!
すべての善なるものにかけた誓いを破って
あなたは定められた国へと飛び立って、
そして私を死へ追いやることになるのよ

エネアス
最高神の命令に背いても、私はこの地にとどまろう
神々に逆らっても、愛のために生きたい

ディドー
いえ、不実の人、行ってしまうがいいわ
あなたと同じに、もう私の心も固くなった
どんな後悔も忘れて
傷ついたディドーの情熱はもう去ってしまった
いまさらあなたが何を言いだしたとしても
一度私から去ろうとしたこと、忘れないわ

 
 

ディドーが死ぬときの歌(第三幕)
When I laid in earth, may my wrongs create___
No trouble in thy breast;
Remember me, but ah!  forget my fate.
土の中に横たえられたとき、
わたしの罪があなたを悩ませることがありませぬよう。
わたくしを忘れないで、でも、ああ! わたくしの運命は忘れてください

パロット、タヴァナー・プレイヤーズ&合唱団/エミリ・ヴァン・エヴェラ、ベン・パリー ’94 (ソニー・クラシカル)
 
 ◎アレクサンドロス大王もの_
歌劇「アレッサンドロ」 ヘンデル (英1726)
頌歌「アレキサンダーの饗宴」 ヘンデル (英1736)
◎お薦め盤◎
★フィリップ・レーガー(指揮)、イギリス室内管弦楽団、ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団、        
ヘレン・ドナート(s)、サリー・バージェス(s)、ロバート・ティアー(T)、トーマス・アレン(Br) ('75) 
(Virginーclassics)  ≪&サウル、ヘラクレスの選択(5枚組)≫  ¥2、480
合奏協奏曲 ハ長調「アレキサンダーの饗宴」 ヘンデル (英1736) 全4楽章 約13分
この協奏曲は、ひとつ上の頌歌の初演の際に幕間の音楽として演奏されたのでこの名前がある。だからべつに劇の内容&音楽と関係があるわけでないし、大王の業績の描写音楽というわけでもないのだが(ただの序曲的性格)、ヘンデルの作品の中ではとりわけ有名な作品である。 とりたてて特徴はないんだけれど、簡潔で音が引き締まっているのですね。   
◎お薦め盤◎
★トレヴァー・ピノック(指揮)、イングリッシュ・コンサート ('82) (アルヒーフ) ≪&合奏協奏曲op6≫ ¥5,100
バレエ音楽「アレクサンドロス大王(アレクサンドロス大王とロクサーヌの愛) グルック (墺1764) 全8曲 約24分
マリー・アントワネットと皇太子ルイ(16世)の結婚の下準備をするためにに、女帝マリア=テレジアから外交官として秘密任務を受けて派遣されたグルックが、フランス王国とハプスブルクとの融和を図るべく、ウィーンから持っていったという作品。興味深いなぁ。
バレエの物語のスジは、「インドに遠征したアレクサンドロス大王と、アジアの王女ロクサーヌは敵同士として出会う。ロクサーヌはアレクサンドロスに密かに毒を盛るが、自分の国を救う唯一の手段は大王に降伏するしかない、と認識した彼女は、死にゆく寸前の大王に愛を抱き、解毒剤を与える。いのちをとりとめた大王は、ロクサーヌを王妃として迎える」という内容。
当然、ここには「かつて敵同士であったブルボン家とハプスブルク家が、かつての確執を忘れて強固な信頼を抱き合う」という、マリア=テレジアの「外交革命」の精神が大きく盛り込まれているのですね。愛娘を使者として送り込む女帝の気持ちもあらわれているはずです。
しかし「音楽を使ってフランス人民のこころにも革命を(フランスの耳をウィーンの音で魅了すべし)」と女帝に命じられたグルックの特命は、どのような首尾を得たのかというと、、、 御存知のように、フランス人はハプスブルクに複雑な敵意を抱いていて、しかし一方でプロイセンの脅威は日々高まりつつある状態でありましたから、フランスとハプスブルクとの結合は、波乱と混乱と人民の熱狂とやっかみと非難に取り囲まれ、結局グルックはパリではバレエを上演する機会を得ず、フランスに来た2週間後にヨーゼフ2世の戴冠式が行われるということで、フランクフルトへ向かわねばならなかったのである。つまり、グルックも大王も、成果ナシ。
しかし、仮りにこれがパリで上演されたとして、こんなに露骨な内容で、どういった効果を上げただろうか、気になる。両国の婚姻が実現するのは、6年後の1770年です。
…ここで問題。
このバレエでのアレクサンドロス大王は、つまりルイ16世のことなのでしょうか? それとも遙かなウィーンからパリに遠征してきたマリー=アントワネットの暗示なのでしょうか? 「毒を盛った」というのは、何かの比喩になっているのでしょうか?
なお、この音楽の完成度は非常に高いにも関わらず、そののちのフランスの混乱の歴史に巻き込まれ、忘れられた存在となり、現在『グルック全集』の中に、言及すらされていないそうである。
…続いてやってきたのは、鉄の時代であった。
隣人愛は地に堕ち、正義の女神であるアストレイアは殺戮の血に染まったこの世を見放してしまう。パリの魚売り女から「オーストリア女」と中傷されたマリー=アントワネット 〜彼女のためにこの音楽の弁明はされたのにかかわらず〜 彼女は断頭台の露と消える。「カオス」はふたたび現実になった。グルックの音楽は18世紀後半のあらゆる感受性の魂をあらわす音楽として知られ、その模範とされた。ひとつの音楽作品が「一国の音楽」として受容され、評価されたのは、疑いなくグルックが最初であろう。(中略) しかし、19世紀の最初の音楽学者フォルケルはグルックへの猛攻撃を繰り広げ、時計の針を戻してしまう。  (ラインハルト・ゲーベル 「ライナーノート」)
わたし個人としては、、、 実は私、グルックの音楽って、まともに聴くの初めてなんですね。
音楽としてがっちりとしてはいるけど、アマデウスとか見ちゃっているから、ハイドンの音楽から構式美を抜き、クリストフ・バッハからから優美な歌を抜き、でも聞きやすく楽しい音楽であると感じた。バレエという形式もあってか、フランスへ持っていった音楽と言うこともあってか、リュリやラモーの音楽に近いものも感じる・フランスの音楽の伝統であった「王への讃歌」から始まるし。「国王を賛美した序幕と、5幕からなるシャコンヌの引用は、“もっともキリスト教的君主”の王朝に対するハプスブルク家の平伏として受け取るべきである」(ラインハルト・ゲーベル)
◎お薦め盤◎
★ラインハルト・ゲーベル(指揮)、ムジカ・アンティクワ・ケルン ('94) (アルヒーフ) ≪&ルベール「四大元素」、テレマン「七重奏曲」≫ ¥3,000
アレクサンドル大王を記念して  ホアン・デ・アンチエータ (スペイン・16世紀はじめ) 約2分
テノール独唱と、レガールという痒くなるような音色の楽器の伴奏。 作曲者はイザベル女王の娘の音楽教師。
題名はこんなだけど、アレクサンドロスを筆頭にカエサル、マカベウス、ハンニバル、ヘクトル、ポンペイウスなどの古代の英雄を引き合いに出して、レコンキスタを達成させたスペインのカトリック両王イザベルフェルディナンドの業績をたたえたもの。 なんだかなあ。
でも、自慢!自慢! おお自慢! ほら自慢!、というような胸を張った朗々とした常に高音程維持の力強い歌いぶりで、聞いていると愉快になってきます。
 
En memoria d'Alixandre
Julio Cesar se feria.
Aquel Judas Macabeo sus cabellos desfazia,
Anibal, Ector, Ponpeo, cada qual asidesia;
'Nuestros nombres en la fama escrevir non se debria,
por la muy nueva embaxada qu'en vos Espana, venia,
no bde Francia, ni romanos, ni menos de Lonbardia..._
アレクサンドロス大王を記念して、
ユリウス・カエサルは己の身を傷つけた
かのユダス・マカベウスは、己の髪を引きむしった
ハンニバル、ヘクトル、ポンペオは、それぞれにこう言ってやった
「われらの名は、もはや名誉の書に記されずともよいだろう
フランスからでも、ローマからでも、ましてロンバルディアからでもなく
スペインよ、そなたのうちに新しい使命の課せられたいま......」
デイヴィッド・マンロウの芸術8(ルネッサンス・スペインの宮廷音楽) ロンドン古楽コンソート '72 (Virginーveritas)
歌劇「牧人の王」K.208 モーツァルト (墺・1775) 全三幕  1時間47分
メタスタージョの台本。(別の作曲家のために書かれた台本だけど)
この“羊飼いの王様”というテーマは、18世紀の「啓蒙主義者」(とくにルソー)の言う「素朴な生活の中に示される徳」という理想を体現しているんだとさ。 このメタスタージョの台本も、女帝マリア=テレジアの命で作られたんだという。
音楽は、うーーーむ。 腕のいい指揮者の手に掛かると素晴らしい煌めきを発する興味深い曲。(としか言いように無い(^_^;)
で、物語。 中近東地方に進撃したアレッサンドロ大王は、フェニキア地方で簒奪者に占領されていたシドンの街を解放するが、この街の支配権を正当な支配者に返すために、お供の側近とふたりで近隣を歩き回り、羊飼いをしていたある若者を発見。 彼と話をした大王は、若者が「幼いころは裕福な暮らしをしていたが、いまはただこの美しい土地で羊飼いを一生していければシアワセ」と無欲に語るのを見て、彼こそが前王の息子で、かつ将来名君になる徳を備えていると確信し(←ナゼ?)、いろいろな策謀をこらして嫌がるこの若者を王にしようとする。 しかし最終的にこの若者が家出をしてしまうので(おいおい)、大王も断念し、この若者に“羊飼いの王様”という称号だけ与えてみんなよろこぶ。ハッピーエンド。 (………)
というかなんで大征服者のアレクサンドロスがこんなところでそんなことをしなくちゃならんのさ。 インドへ急げ。
解説書によると、19歳の作曲者は計算を尽くして曲作りをおこない、アレッサンドロを「崇高的であり、愚鈍」というように、皮肉的に描いてるそうです。 (01.8.19)
アーノンクール、コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン/ロベルト・サッカ、マルクス・シェーファー '95 (テルデック)
歌劇「ポーロ、インドの女王」 ヘンデル (英1729)
ヘンデル? 英国? マルコ・ポーロ? インドの女王? と非常にイヤな予感がしたのだが、それは早とちりだったと判明(^^;
題名のポーロとは、アレクサンドロス大王が前327年にインド侵略を開始したときに出会ったインドのとある王国の王(しかも男!)。 
インド王ポーロはアレクサンドロスの軍隊に戦争で敗れ、恋人を大王に奪われ(?)、山賊にまで身を落とすが、最後はハッピーエンド。曲としては「聴くまでもないもの」らしい。台本はメタスタージョ。

オラトリオ「マカベウスのユダ」ヘンデル (英1747) 全三幕  2時間24分
バッハに比べてヘンデル好きで好都合だと思うことは、ヘンデル作品の美味さを自慢するとき、代表作品の名を挙げやすいことです。
ずばりまず聴くべきは、メサイヤ水上の音楽! これです! このふたつはもうどうしようもないぐらいとんでもない名作なんです! 胸をうず高く張ってオススメします! ヘンデル作品の美味は肉厚型のマスに不安のかけらもない力強い歌と、造形の確かなしっぽりとした歌が次々と散りばめられること。それを堪能するのにこの両曲ほど最高のものはありません。全部が詰まっているのですよ。
続けては、アグリッピーナマカベウスのユダを聞くといいです。
ヘンデルの作品はどの音楽もそうなんだけど、まるで龍の腕を持った壁塗り職人が繰り返し繰り返し壁に音を厚塗りしていくと、壁は極彩色の色に彩られていった感があります。続いて、不死鳥の腕を持った花火職人の親方が現れて一撃くらわすと、壮麗な花火が強烈な香りを飛び散らかしながらハジケ飛ぶのです。その、全体の構成もすばらしいんです。
つづいてはね、ジュリアス・シーザーとかリナルドとかセメレとかアリオダンテとか、聴いてごらんなさい。ね? ね? ね? どれも肉厚でしょ? ね?・・・・・・・。
この様に、(個人的に私にとっては)マカベウスのユダは4番目に奨める作品です。4番目だからって軽く見ないでよ? 4番バッターなんです。マカベウスのユダはすごい充実してます。一般的には「運動会の表彰式のあの音楽が入ってる」、ということで名前が良く挙げられる作品なんですけどね、まぁそれはそうなんだけど、それはいいです。
 

さて、旧約聖書のなかにある『マカバイ書』というのをご存じだろうか?
ご存じなくても仕方あるまい。旧約聖書と言っても外典(アポクリファ)と言われる一群の物語の中に入っていて、つまり、普通の旧約聖書には含まれていないものだから。(でもご心配なく、「外典」は結構入手しやすいですから) これは、紀元前2世紀に、パレスティナで、ハスモン家の一族の男たち(ユダもそのひとり)に率いられたユダヤ民族が、セレウコス朝シリアに対して起こした反乱の顛末について記した記録なのです。マカベア戦争なんて普通の歴史の本にはまったく出てきませんが。敵がバビロニア王国でもローマ帝国じゃないし、シリアってどうよ。ちょっと微妙〜。全然有名じゃないしね。などと思いきや、やっぱり聖書好きと英雄好きとオリエント史好きには注目するべき要素はいっぱい! 読んでみると、なかなか燃えるのです。

※なお、いろんな本で「マカベウスのユダ」は「ユダ・マカビー」とか「ユダス・マカバイオス」とか「ユダス・マカベオ」とか「マカベアのユダ」とか「マカバイ」とか「マクベー」とかいろいろになっちゃってますが、気になさらずに。それから、この叛乱の指導者は「マタティア→ ユダ・マカビー → ヨナタン → シモン → ヨハン・ヒルカノス」と40年のあいだに変わっていったのに、なぜか2番目の名を取って「マカベア戦争」と呼ばれる。でも、この一族を「マカベアの一族」と呼ぶのは間違いで、ヨハン・ヒルカノスが樹立した王朝は、初代指導者マタティアのおじいちゃんの名を取って「ハスモン王朝」と呼ばれるのです。ローマとシリアの間のいざこざの中で建国されたハスモン王朝はおよそ100年続き、紀元前34年に最後の王の娘婿となったヘロデ大王に簒奪されるまで続いた。

≪マカベア書がおもしろいところ≫
(1)マカベア書は第一の書〜第四の書まであるのですが、それぞれが続き物ではなくて、マカベア戦争というひとつの事件について、別の角度から(別の著者によって)語られている。とは言っても、「旧約聖書外典」に収録されているのは第1、第2の書のみで、第3、第4の書は「旧約聖書偽典」の中にあるのだそうです。(←これは入手が困難) マカベア書第一に対して、マカベア書第二の作者は対抗意識を抱いていたそうで、従って、この戦争に対して別の描き方をしており、その結果、多彩な出来事が積み重ね起こった、とても盛りだくさんでドラマティックな戦争の姿が浮かび上がってくるのです。第一の書ではユダス・マカバイオスの死は本の半分ぐらいのところなんですが(以後は、その兄弟たちの活躍)、第一の書の成立はユダの死の25年後ぐらい、第二の書の成立もそれからほぼまもなくです。(つまり同時代の記録である) もちろん、その割りにはユダの活躍はかなり大げさに書かれているんですけどね。

(2)獰猛な指導者が次から次へと繰り出てくること。マカベア戦争はユダの父親のマタティアが開始したのですが、彼はイェルサレムではなく辺地の村の司祭でした。つまり、この戦争は地方の叛乱として始まり、イスラエル全土に野火のように広がっていったので、イェルサレムの大神殿さえも敵の一つとして描かれます。このマタティアに五人の息子があって、上から順番に、ガディと呼ばれたヨハネタシと呼ばれたシモンマカベオと呼ばれたユダアバランと呼ばれたエレアザルアッフスと呼ばれたヨナタン。ユダは三男だったのです。これが、五人揃って勇者でそれぞれが特技を生かして縦横無尽の活躍を見せる、というんならいいんですが、ユダだけが圧倒的な英雄として描かれるのに、その他の兄弟の活躍とか、兄弟間の関係とか、それぞれの兄弟の見せ場とかはそれほど描かれてないので、(暴れん坊のエレアザルがひとりで象軍に突っ込んでいくシーンはありますけどね ←そして踏みつぶされる) 逆にそれが「島津家の四兄弟」とか「チンギスハーンの息子たち」、「織田信長の息子たち」みたいだったんじゃないか、って想像力を刺激するんですよね。ユダのあとを継いだヨナタンとかシモンが、そつなく叛乱を統率していく優れた政治力を見せているのでなおさらです。聖書のこの戦争に関する記述には妄想力が活躍する余地があります。
しかし、この時代のイスラエルではアダ名と名前を組み合わせる習慣があったようで、マカベオの意味だけが「鉄槌」と分かっているものの、ガディとかアッフスって、どういう意味? 調べようとしたけどわかりませんでした。マカベオ(鉄槌)のユダがハンマーをぶんぶん振り回して突進していくという光景が絵になるだけに、他のアダ名の意味もぜひ知りたい。
ユダヤの叛乱を攻撃するのは、セレウコス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネス(エピファネスっていうのは「反対者」っていう意味ですってさ) この王がユダヤ人にシリアの宗教を押しつけようとしたところからマタティアの反乱が始まるのですが、聖書系の本にはこのアンティオコス王の宗教にゼウスとかディオニソスの名が見えるのですが、実際にはこの王が強引に広めようと押しまくっていた神の名は、至高神バァル・シャミンでした。このアンティオコス4世がパスティナに送り込んできた征服軍の将軍たちのそうそうたる顔ぶれがまた見事で、アポロンの加護を受けだ暴虐なアポロニウス、名誉心に燃えたセロン、“一度も勝ったことのない”リシアス、激しくイスラエル人を憎むニカノル、鉄壁の将ゴルギアス、東で虐殺をしたティモティオス、シリアの冷徹な宰相フィリッポス(ピリポ)、ユダを打ち取ったバクキデス、 などなどなど。
後半は、アンティオコス4世が死んだ後、シリアの王位を巡って混乱した状態となり、その間隙をくぐってユダとユダの後継者たちは勢力を拡大するのです。
 

外典中の人物でありながら、ユダは、15世紀のウィリアム・キャクストンが出版した『アーサー王の死』の序文の中でも「世界を代表する九人の大英雄のひとり」として名前があげられているように、強い信仰と信念を持って圧政に抵抗する剛毅な指導者として、人びとに知られていたと思われる。 ヘンデルは、1765年〜46年に勃発してイギリス中を震撼させていたジャコバイトの反乱に対する、カンバーランド公爵率いる国王軍の戦勝便乗するために4つのオラトリオ上演を企画し、その2作目としてユダス・マカバイオスを取り上げた。「ジャコバイトの乱」というのは名誉革命で英国から逃げ出したステュワート王家(ジェイムズ2世の孫チャールズ・ステュワート)が再起を図り、スコットランドの反乱軍を率いてイングランド北方を騒がした事件である。国王軍が反乱を押さえ込んだ祝賀に、反乱者の英雄ユダス・マカバイオスを称える題材を上演するのはおかしいんじゃないか、と思われるかも知れないが、この時代には既に前王朝のステュワート家は民衆を苦しめた圧制者、とみなされていたから、その過去の圧制者の勢力を見事撃退したカンバーランド公爵とハノーヴァー家が、ユダス・マカバイオスになぞえられたのである、もちろん。

ヘンデルのオラトリオの物語としては。
残念ながら、ユダの兄弟たちはひとりも出てこない(^^;)
(ひとり、シモンという人物が出てくるが、この人は大祭司だし、タシのシモンとは別人なんでしょう)
暴政者の将軍たちも、アポロニウス、セロン、プトレマイオス、ゴルギアス、ニカノルの名が出てくるが、、、 名前だけ。
結末は、ユダが勝利したことがユダヤにもたらされた場面で、その後のユダの死による悲劇は描かれない。
 

≪物語≫
第一幕
ユダヤの指導者マタティアが死去し、人びとは嘆きの中でユダを次の指導者に選ぶ。ユダは父の遺志を受け継ぐことを宣言し、人々とユダは次々と、信仰と、自由と、鎖からの解放と、名誉と、挑戦と、勝利と(さもなくば崩壊を)叫ぶ。
第二幕
ユダはアポロニウス軍とセロン軍を打ち破って、人びとはユダに喝采するが、一転して、エジプトからゴルギアス軍が押し寄せてくるという報が入って、人びとは絶望に陥る。ユダは人びとを安心させ、主の奇跡を唱えて、軍を鼓舞し、戦争に旅立っていく。
第三幕
ユダの軍はイェルサレムの大神殿を占領し、光の祭典がおこなわれ、遠征していたユダがカハラサマラ攻撃の成功という成果を持って、帰還してくる。(「見よ、勇者が帰る」) そこへローマから使節エウフォレムスが帰ってきて、ローマとユダヤの同盟と、ユダヤ民族を独立民族として認めるという条約文を読み上げる。イスラエル人は、勝利と平和を歓呼する。


個々の音楽は、しっとりとした嘆き調のアリアなんかも多いんだけど、ユダが歌い出すと同時に雰囲気が一変する。
「絶望」→「ユダが歌う」→「もう安心」 この図式。なかなかすばらしい構成で、うっとりしますよ。ユダの歌が、力強くていい。
あとは、有名な「表彰式の音楽」は本当は次作の「ヨシュア」の音楽をあとでこっちにも付け加えてみたもの、とかね。まあそれはどうでもいいです。
「アレクサンダー・バールス」という作品は、この「マカベウスのユダ」の続編となります。

 
★ユダが初登場したときに歌う叙唱とアリア (第一幕)
Recitative
'Tis well, my friends; with transport
I behold the spirit of our fathers, famed of old
For their exploits in war.
Oh, may they fire with active courage you,
their sons inspire:
As when the mighty Joshua fought,
And those amazing wonders wrought,
Stood still, obedient to his voice, the sun,
Till kings he had destroyed, and kingdoms won.

Air
Call forth thy powers, my soul, and dare
The conflict of unequal war.
Great is the glory of the conquering sword,
That triumphs in sweet liberty restored.

(ユダの叙唱)
よろしい、わが友 ;私は
かつて鳴り響いたわれらの父祖たちの精神を、
戦いにおける彼らの手柄を喜んで受け継ごう。
おお! 汝はその息子に活気あふれる勇気の炎を起こさせてくれる!
強力なヨシュアが戦ったとき、
また、その驚くべき奇跡が引き起こされた時と同じく、
彼が王を滅ぼし、王国を勝ち取るまで、
太陽はいまなお彼の声に従う。

(ユダのアリア)
汝の力がわが魂を呼び起こし、敢えて
勝ち目のない不利な戦いの闘争に挑む。
勝利する剣の栄光は偉大である。
それは、よみがえった気持ちの良い自由の勝利。


 

★見よ、勇者が帰る
Youths (Chorus)
See the conquering hero comes!
Sound the trumpets, beat the drums ;
Sports prepare, the laurel bring,
Songs of triumph to him sing.

Virgins
See the godlike youth advance!
Breath the flutes, and roses twine,
To deck the hero's blow divine.

Full Chorus
See, the conquering hero comes, (etc)

(若者のコーラス)
見よ、勝利の勇者がやってくる!
ラッパを鳴らせ、太鼓をたたけ。
祭りの準備だ、月桂冠を持ってこい
彼に向かって、勝利の歌を歌おう。

(男女)
見よ、神のような若者だ!
笛を吹こう、薔薇を飾ろう。
英雄の神々しさを引き立てるために。

(全体)
見よ、勝利の勇者がやってくる!

◎お薦め盤◎
★ヨハネス・サマリー(指揮)、イギリス室内管弦楽団、アモール・アーティスト合唱団                                            
アレクサンダー・ヤング(T…ユダ)、ジョン・サーリィ=クィルク(Br…シモン)、ヘザー・ハーパー(s…イスラエルの女)、ヘレン・ワッツ(コントラルト…イスラエルの男)
 (廉価版のセットで良く売ってる)
★ニコラス・マギーガン(指揮)、フィルハーモニア・バロック管弦楽団、カリフォルニア州立大学室内合唱団                              
ギ・ド・メイ(T…ユダ)、ディヴィド・トーマス(Br…シモン)、リサ・サッファー(s…イスラエルの女)、パトリシア・スペンス(MS…イスラエルの男) (’92)(HMF)

 
 
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