管弦楽組曲「ホロンバイル」 紙恭輔 (日本・1942) 全3曲
関東軍報道部の委嘱により、現地取材を敢行して作曲された、ノモンハン事件での日本軍の大勝利(!)を描いた作品。
“ホロンバイル”とは「ノモンハン事件」の舞台となった小さな村(ノモンハン)の周辺の大平原の名前らしい。
第1曲「草原バルガー」。木管のトリルを活かしたモンゴルの茫洋とした旋律が広がり、やがてバルガー名物の大竜巻が巻き起こる。(低音打楽器大活躍)
第2曲「ハルハ河」。自然描写の穏やかな楽曲。弦と木管のさざめきによる川の水の流れの基調に、快活や不安を暗示する諸動機が多用される。
第3曲「新戦場ノモンハン」。「天に代わりて不義を討つ」と歌う軍歌の旋律を巧みに取り込んで、3分ぐらいの雄壮な戦闘の描写と高らかな大勝利のあと、しまいに「海行かば」で英霊を鎮魂する…。
御存知のように、1939年に満州国とモンゴルの国境争い(と関東軍の野望と暴走)から始まった日ソの正面衝突は、圧倒的なソ連の火力の前に日本軍は壊滅状態で(大戦の勃発を口実に外交でうやむやに終わらせる結果で)終わるのですが、3年もたたないうちに(現地取材もちゃんとしてだよ)「楽勝楽勝!」という作品を繰り出さねばならないんだから、戦争も大変だ。
この曲は43年1月にNHKの戦意高揚番組で放送され、その時の演奏が「陸軍報道部推薦戦争音楽集其の一」としてSPで発売された。(楽譜は現存しない)
作曲者の紙はコントラバス奏者、楽団向けの編曲家を経て米国に留学し、ハリウッドの音楽やジャズの編曲などを学んで日本へ帰り、東宝映画の音楽部長となり、戦後は米兵向けの劇場の指揮者となった人物で、彼の音楽は「1930年代のハリウッド映画のサントラを聴くように流麗かつ描写的」だそうだ。〜(『レコード芸術』2001年10月号 片山杜秀「空白の時代を発掘せよ!(幻の戦争音楽を求めて2)」より)
歌劇「真実の人間の物語」
プロコフィエフ
(ソ連・1948) 全4幕 (※作曲者死後に夫人が3幕に改変)
戦意高揚のために書かれた作品らしい。(完成は終戦後ですけど)交響曲「シンフォニア・ダ・レクイエム」 ブリテン (英・1940) 約20分
1942年初頭、エピグラフと題された合唱に続いて第1幕が始まる。主人公はソ連空軍の飛行機乗り。ドイツ戦闘機の攻撃により森の中に不時着した主人公が、負傷に苦しみつつ故郷の方角を目指す。第2幕、病院での闘病と再起への苦しみ。 第3幕、驚異的な意志で急速に快復した彼は、義足でワルツを踊れることをアピールして、再び前線に復帰。戦闘機乗りとしてドイツ機を相手に縦横無尽の活躍を繰り広げる。(オペラなので直接飛行機は出てきませんが)
音楽は、北ロシアの民謡なども取り入れたシンプルで平易なものであるということだ。脳天気なソ連兵士のコーラスなどもある。あと聴きどころとして、第3幕で主人公が踊るワルツに続いて、なぜかとぼけた響きのルンバが延々と続いたり、頑固なトランペットの独奏の炸裂、などがあったりするらしい。
晩年のプロコフィエフの音楽に興味があるので、ぜひ聴いてみたいですね。
日本政府は昭和15年の皇紀2600年記念大祭に際し、世界の著名な作曲家に「天皇をたたえる曲」の作曲を依頼した。祝典音楽R・シュトラウス(墺)、祝典序曲 イベール(仏)、交響曲イ調 ピッツェッティ(伊)、交響曲シャーンドル(ハンガリー)
そのとき英国を代表する作曲家・ブリテンが作曲したのが、この曲。
しかし、祝典に「鎮魂曲」とは何事か、と突き返された。 力作なのに。。
上のエピソードで、ほかの4ヶ国の代表の作曲家が送ってきたのがこれらの作品。 ちゃんと大々的な披露演奏会が開かれた。交声曲「海道東征」 信時潔 (日本・1940) 全8楽章 約60分
上のエピソードの時に日本人が作曲した曲。 退屈極まりなくて堅くて華がないところに価値がある、と本に書いてある。戦争ソナタ(ピアノソナタ第6番、7番、8番) プロコフィエフ (ソ連・1939〜1940,42,44)
“鉄と鋼鉄のピアニスト”プロコフィエフの代表的ピアノ作品。
戦争開始後の1939年に3曲一緒に構想され(完成は別個ですが)、それぞれが戦争の時代の不安気な様子をよく表しているので、3曲まとめて「戦争ソナタ」と呼ばれる。
ただ、別にこの3曲が特定の戦闘の情景を示しているわけでは無い(残念)です。
完成初演は第6番が1940年、第7番が1942年、第8番が1944年。
ただ「戦争中に作られた曲」ってだけなら、別にソナタ第3番と4番も第一次大戦中に完成された作品(1917年)なんですけどね、(←うーーん、両曲とも取りかかりは大戦前の1906年、07年か…)、戦争ソナタの3曲は、力強く打ち付けるピアノのリズムと、めまぐるしく変わる曲調、3曲全編を貫く灰色の色調(炎の赤と闇夜の青もほのかに交じっているような)が、激しく「戦っている!」という感じを強くするのです。さすがプロコフィエフ、同時に取りかかりながら3曲それぞれが別の雰囲気も持っていますし、まるでモーツァルトの三大交響曲のようですね(プロコは数年かかってますが)。3曲の中で一番有名な第7番は、ショスタコに対抗して「スターリングラード・ソナタ」とも呼ぶ、と、とある解説(アシュケナージ盤だ!)に書いてあります。本当か。第7番の完成は42年の5月2日、作曲者はこのとき戦禍を逃れてグルジア共和国のトリビシにいた。しかし、バルバロッサ作戦の開始は1941年の6月だが、スターリングラード攻防戦は42年の9月〜43年1月31日。ちょっとずれてはいまいか? まー音楽自体が「戦争!」なのでそんなことはどうでも良いことだが、歴史音楽のサイトとしてはそこんところが重要なことだ。そもそも、地図を見ないとうっかりスターリングラード(ボルゴグラード)とグルジア共和国は近いと錯覚してしまいそうだけど、実際は700kmも離れているんだよ。むしろ、その前後にドイツ軍はカフカス地方の石油を狙った「ブラウ作戦」を展開していたので(そのおかげで「戦争と平和」作曲中のプロコフィエフは、ロシアとグルジアの国境付近のキスロヴォトスクからトビリシに疎開しなくてはならなかった)、この曲は「コーカサスの石油ソナタ」とでも呼んだ方が、忠実に歴史音楽マニアの需要を満たすと思う。激しくどうでもいいことですが、どあでしょう? ※ちなみに、第7番をスターリングラードソナタなどど呼んでいるのはアシュケナージ盤の解説だけです。
ちなみに、3曲の着想は39年の夏とものの記述に書かれているのですが、ナチス軍のポーランド侵攻は9月1日ですね。ソ連じゃ9月を「夏」とは呼ばないですよね。(←偏見か?) ですから、一番最初の構想の時点ではまだ大戦は始まってはいないのかどうなのか。たとえこの3曲に、破滅を畏れる不安な要素が満ちあふれていたにしても、最初ヒトラーは、ソ連との関係を注意深く考えていて8月23日に電撃的に独ソ不可侵条約を結び、むしろ開戦直後はソ連国内は戦争に対する緊張感はそんなに強いものじゃなかったんじゃないか。「グルジア問題」でスターリンの大量粛正があった20〜30年代のグルジアはそうてなかったとか、表向きは平和だっだったが、大陸を覆う戦雲はすべてのヨーロッパ人の心にとてつもなく黒い影を落としていた、とか言われるとどうしようもないけど。でも、それだったらソナタ第3番と4番だって「第一次大戦ソナタ」と呼んでも時期的には問題は無いわけだね! (←聴いたことがないので、この両曲が戦争の雰囲気を持っているかどうかは知らない。イ短調とハ短調だけど)
この時期(1939〜44年/作曲者48〜53歳)は、交響曲第5番とかイワン雷帝(第一部)などあるものの、こういっちゃなんですが、プロコフィエフの主要な作品は作曲されつくしちゃっているって感じですね。(まだまだそれからセミョン・カトコとか戦争と平和とかシンデレラとかもあるんですけど)。でも、この3曲がなんか若々しい気がするのは、奔放な曲の心臓部とむちゃくちゃ難しそうな指使いと、はじけるような感じが「前衛的」って印象を強くするせいかもしれない。もちろん難しそうなほど、冷徹に曲を構成する才長けた年輪を感じさせたりもするのだけど。しかし、個人的に「似たような曲!」と勝手に思っていたピアノ協奏曲第3番とは、18年もの隔たりがあるのね。
実は、私の好きなプロコフィエフは、「キージェ中尉」や「フルートソナタ」、「ヴァイオリン協奏曲」なプロコフィエフなので、ピアノのプロコフィエフは、とくに最初第7番を聴いたとき(キージェやイワン雷帝を聴く以前だったけど)はとても怖かったです。そもそも単純な頭の持ち主なので、「前衛」という言葉は大嫌い(「春の祭典」もショスタコ「革命」も嫌いだったから)、第1楽章は冒頭だけ何とか我慢できるものの、第3楽章はまったくダメでした。いまじゃまったく平気なので、「汚れちまったなぁ」と思うだけなんですけどね。
でも、第6番は最初から好きでした。そもそも、高校時代に、題名も知らずに6番の第3楽章だけFMから録音していて愛聴していたのですね。レコード店を探し回って、初めてこの曲がプロコフィエフの第6番の第3楽章だったのだ、と知った時の感動は格別でした。
交響組曲「1941年」 プロコフィエフ (ソ連・1941) 全三曲 約14分
独軍のバルバロッサ作戦でトビリシに疎開していたプロコフィエフが「義憤に駆られて?」書いた作品。
作曲者による解説 「第1楽章は、草原で戦いが繰り広げられている様子が遠くから聞こえてくる、熱い戦闘の場面。第2楽章は夜の詩であり、戦闘が迫りつつある緊張感を感じる。第3楽章は、勝利と人類の親和のための叙情的祝典的な讃歌」。
って、1941年って、10月のヒトラーのバルバロッサ作戦の「勝利宣言」と12月のジューコフ将軍の大反撃があって、つまり戦争が一番大変だった時期じゃないか。なぜにプロコフィエフはこんなに自信持って「勝利」を歌い上げる作品を書けたんだろうか。プロコフィエフって予言者か?
第一曲がかなり勇ましくてこころが奮い立つ感じだけど、全体的にはプロコフィエフお得意の、心地良く雄大な音楽。ちょっとほのぼの系。キージェ中尉と交響曲第5番を足したような感じ。とっても分かり易い。あまり心に残らない。第2楽章も「戦闘が迫りつつある緊張感」って、言われなきゃそんな風に感じないぞ。
案の定、この曲はショスタコーヴィチから「切迫した諸情勢の核心を突いていない」と悪口を言われ、1948年には党中央委員会で「反人民的形式主義的方向性」があるとして非難され(←中央委員会の批判は意味わからん、分かり易い曲なのに)、演奏が禁止されてしまったのである。
ショスタコーヴィチ得意の独唱&合唱付き交響曲。 「バービ・ヤール」とはウクライナ共和国キエフ近郊にある谷の名。
1941年ここでドイツ軍による大量のユダヤ人虐殺が行われた。なぜかソ連政府はこの事件について沈黙し、谷は埋められ、これについて語るのはタブーとされた。
各楽章の章題が、1.バービ・ヤール 2.ユーモア 3.商店で 4.恐怖 5.出世 で、曲を理解するのに一筋縄ではいかない。
沈み込むような独唱と、諧謔的な合唱が交互に続き、作曲者がどちらを皮肉りたいのか分からなくなる、とても怖ろしい曲。
初演のあと、フルシチョフによって歌詞の改変が命ぜられ、そのことでも話題になった曲。(エフゲニー・エフトシェンコ;詩)
(ウサミ ナオキ;訳)
1.Babi Yar Chorus
Nad Babim Yarom pamyatnikov nyet.
Krutoi obryv, kak gruboye nadgrobye.
Mne strashno.
Mne sevodnya stolko let,
Kak samomu yevreiskomu narodu.Solo
Mne kazhetsya seichas - ya iudei.
vot ya bredu po drevnemu Egiptu.
A vot ya, na kreste raspyati, gibnu.
I do sikh por na mne - sledy gvozdei.
Mne kazhestya, shot Dreifus - eto ya.
Meshchanstvo - moi donoschik i sudya.
Ya za reshotkoi. Ya popal v koltso,
Zatravlennyi, oplyovannyi, obolgannyi,
I admochki s bryusselskimi oborkami,
Vizzha, zontami tychut mne v litso.
Mne kahzetsya, ya - malchik v Belostoke.Chorus
Krov lyotsya, rastekayas po polam,
Beschinstvuyut vozhdi traktimoi stoiki
I pakhnut vodkoi s lukom popolam.Solo
Ya sapogom otbroshennyi, bessilnyi.
Naprasno ya pogromshchikov moyu.Chorus
Pod gogot: "Bei zhidov, spasai Rossiyu!"
Labaznik izbiyavet mat moyu.Solo
O russki moi narod, ya znayu ty
Po sushchnosti internazionalen.
No chasto te, chi ruki nechisty
Tvoim chiteishim imenem bryatsali.
Ya znayu dobrotu moyei zemli.
Kak podlo, shto i zhilochkoi ne drognuv.
Antisemity narekli sebyaSolo and chorus
"Soyuzom Russkovo Naroda!"Solo
Mne kazhetsya ya - eto Anna Frank,
Prozrachnaya, kak vetochka v aprele,
I ya lyublyu, i mne ne nado fraz,
No nado, shtob drug v druga my smotreli.
Kak malo mozhno videt, obonyat!
Nelzya nam listyev
I nelzya nam neba,
No mozhno ochen mnogo - eto nezhno
Drug druga v tyomnoi komnate obnyat.Chorus
"Syuda idut!"Solo
"Ne bosa, eto guly
Samoy vesny. Ona syuda idyot.
Idi ko mne,
Dai mne skoreye guby!"Chorus
"Lomayut dver!"Solo
"Nyet, eto ledokhod..."
Chorus
Nad Babim Yarom shelest dikikh trav,
Derevya smotryat grozno, po-sudeiski.
Zdes molcha vsyo krichit, i, shapku snyav,
Ya chuvstvuyu, kak medlenno sedeyu.Solo
I sam ya, kak sploshnoi bezzvuchnyi krik,
Nad tysyachami tysyach pogrebyonnykh.
Ya - kazhdyi zdes rasstrelyanni starik.
Ya - kazhdyi zdes rasstrelyanni rebyonok.
Nichto vo mne pro eto ne zabudet.Chorus
"Internatsional" pust progremit.
Kogda naveki pokhoronen budet
Posledni na zemle antisemit.Solo
Yevreiskoi krovi nyet v krovi moyei,
No nenavisten zloboi zaskoruzloi
Ya vsem antisemitam, kak yevrei.Solo and chorus
I potomu ya - nastoyashchi russki!1.バービヤール (アダージョ) [16:14] 合唱
バービヤールに 記念碑はない。
切りたつ壁が 粗末な墓標だ。
わたしは恐ろしい。
今日 わたしは年老いているのだ、
あのユダヤの民と同じだけ。独唱
今、自分はユダヤ人のような気がする。
わたしは古代エジプトを彷徨っているのだ。
十字架に釘づけされて死ぬのだ。
そして今もわたしに残る釘のあと。
ドレフュスは自分のような気がする。
俗物根性がわたしの密告者、そして裁判官。
わたしは鉄格子のなか、孤立無援、
痛めつけられ、ののしられ、恥ずかしめられて。
ブラッセル・レースの ご婦人たちも
きんきん声をあげて 傘で顔をつっつく。
そして、ペロストークの少年は自分のような気がする。合唱
血が流れて床に広がり
酒場の顔役どもが 暴れ回り
ウォッカとネギが 混ざって匂う独唱
長靴で蹴飛ばされた 力無いわたしは
集団虐殺者どもに むなしく頼む合唱
「ユダ公を殺せ、ロシアを救え!」
わめきの中で、粉屋がわたしの母をぶちのめす独唱
おお、わたしのロシア民族! わたしは知っている
おまえはもともと国際的なのだ、と。
しかし、汚い手の、奴らがしばしば
お前の清らかな名を唱えたのだ
わたしは知っている、この土地の優しさを。
なんたる卑劣、反ユダヤ主義者どもは、
厚かましくも みずからこう名乗ったのだ合唱と独唱
「ロシア民族同盟」と独唱
自分はアンネ・フランク
4月の小枝のように、清純なアンネだ、と思われる。
恋するわたしに飾り文句はいらないが
わたしたちが見つめ合うことは必要だ。
なんとわずかしか、見たり、かいだりできないのだろう!
わたしたちには木の葉も禁止、空も禁止!
しかし、とてもたくさんのことができる。
それ、暗い部屋で、
優しく抱き合うこと合唱
「ここへやってくるぞ!」独唱
「怖がるな。あれは春のどよめき。
春がここにやってくる
わたしのところにやってきて
はやく口づけを。」合唱
「戸口を壊しているぞ!」独唱
「いや、あれは春の流氷だ!」合唱
バービヤールに雑草はざわめき
木々は、裁判官のように いかめしく見つめる。
すべてが無音の叫びを上げる ここで
脱帽したわたしは
ゆっくり白髪になっていく独唱
このわたしは、無音の叫びのかたまりとして、
数万の虐殺された者たちの上にいる。
わたしとはここで銃殺された老人だ。
わたしはここで銃殺された子供だ。
わたしの中の何者も、それを忘れはしない。合唱
「インターナショナル」をとどろかせろ
地上最後の反ユダヤ主義者が
永遠に 葬られるときに独唱
わたしの血の中に ユダヤの地は無くても
激しい敵意を込めて わたしは憎まれる
すべての反ユダヤ主義者どもに、ユダヤ人のように。独唱と合唱
だからこそ、わたしは真のロシア人だ!
2.Yumor Solo
Tsari, koroli, imperatory,
Vlastiteli vsei zemli,
Komandovali paradami,
No yumorom, no yumorom ne mogli.
V dvortsy imenitykh osob,
Vse dni volzezhashchikh vykholenno,
Chorus
Yavlyalsya brodyaga Ezop,
I nishchimi oni vyglyadeli.Solo
V domakh, gde khanzha nsledil
Svoimi nogamig shchuplymi,Chorus
Vsyu poshlost Khodzha Nasreddin
Sshibal, kak shakhmaty, shutkami.Solo
Khoteli humor kupit.Chorus
Da tolko evo ne kupish!Solo
Khoteli yumor ubit.Chorus
A yumor pokazyal kukish.Solo
Bortsya s nim - delo trudnoye,
Kaznili evo bez kontsa.Chorus
Evo golova obtrublennaya
Torchala na pike streltsa.Solo
No lish skomoroshi dudochki
Svoi nachinali skaz,
On zvonko krichal: "Ya tutochki."Solo and chorus
I likho puskalsya v plyas.Solo
V potryopannom kutsem palitshke,
Ponuryas i slovno kayas,
Prestupnikom politicheskim
On, poimannyi, shol na kazn.
Vsem vidom pokornost vykalzyval,
Gotov k nezemnomu zhityu,
Kak vdrug iz paltishka vyskalzyval,
Rukoi makhalSolo and chorus
I tyu-tyu!Solo
Yumor pryatali v kamery,
Da chorta s dva udalos.Solo and chorus
Reshotki i steny kamennyye
On prokhodli naskvoz.
Otkashlivayas prostuzhenno,
Kak ryadovoi boyets
Shagal on chastushkoi-prostushkoi
S vintovkoi na Zimni dvoryets.Solo
Privyk on ko vzglyadam sumrachnym,
No eto yemu ne vredit,
I sam na sebya s yumorom
Yumor poroi glyadit.Solo and chorus
On vechen.
On lovok.
I yurok.
Chorus
Prodyot cherez vsyo, cherez vsekh.Solo and chorus
Itak, da slavitsya yumor!
On - muzhesvennyi chelovek.2.ユーモア (アレグレット) [8:31] 独唱
王様、皇帝、帝王−−
この世の支配者たちは
観兵式を指揮できたが
ユーモアには命令できなかった。
毎日ごろごろして暮らす
お偉方たちの宮殿に
さすらいのイソップが現れ出ると、
かれらはみじめに見えたものだ。合唱
さすらいのイソップが現れでると
かれらはみじめに見えたものだ。独唱
おべっか使いの ほっそりした足に
よごされている大広間で
ナスレッジン・ホジャは 将棋をさすように
あらゆる俗物根性を しゃれでやっつけた合唱
ナスレッジン・ホジャは 将棋をさすように
あらゆる俗物根性を しゃれでやっつけた独唱
かれらはユーモアを買収したがった。
合唱
やつだけは買えないぜ!
独唱
かれらはユーモアを殺したがった。
合唱
だが、ユーモアにバカにされた!独唱
ユーモアと闘うのは苦労だ。
何度も死刑にした。合唱
ちょんぎったその首を
銃兵の槍の先にのっけた。独唱
しかし、旅芸人の笛が
物語りを始めた そのとたん、
ユーモアは叫んだ
「わしはここだよ!」独唱と合唱
ユーモアは踊り出したのだ独唱
政治犯として捕まったユーモアは
すりきれたボロ外套をまとい
目を落とし、さもしおらしく刑場へと歩いていった
どうみても従順そのもので
あの世への覚悟も十分。
ところが、ふいと 外套から抜け出すと
片手を打ちふって独唱と合唱
また、「もういいよ」(隠れん坊)独唱
かれらはユーモアを独房に閉じこめたが
どっこい、うまくはいかなかった合唱と独唱
鉄の格子も 石の壁も
ユーモアはするりと抜けていった
風邪で咳き込みながら
ユーモアは兵卒として
戯れ歌になって進んでいった
鉄砲かつぎ、冬宮殿めざして。独唱
ユーモアはきらわれるのには馴れっこで
そんなことは かゆくもない
ユーモアは自分自身すらも
ユーモアであつかうことがある。
ユーモアは不滅だ。合唱
不滅だ。
独唱
ユーモアはかしこい。
合唱
かしこい!
独唱
そして すばしっこい
合唱
そして すばしっこい!
どんな物、どんな人のなかも ぬけてゆく。独唱と合唱
だから、ユーモアに栄光あれ!
ユーモアは勇気ある人間だ。
3.V magazine Solo
Kto v platke, a kto v platochke,
Kak na podvig, kak na trud,
V magazin poodinochke
Molcha zehnshchiny idut.Chorus
O, bidonov ikh bryatsanye,
Zvon butylok i kastryul.
Pakhnet lukom, ogurtsami,
Pakhnet sousom Kabul.Solo
Zyabnu, dolgo v kassu stoya,
No pokuda dvizhus k nei,
Ot dykhanya zhenshchin stolkikh
V magazine vsyo teplei.
Chorus
Oni tikho podzhidayut,
Bogi dobryye semi,
I v rukakh oni szhimayut
Dengi trudnyye svoi.
Solo
Eto zhenshchiny Rossii,
Eto nasha chest i sud.
I beton oni mesili,
I pakhali, i kosili.
Chorus
Vsyo oni perenosili,
Vsyo oni perenesut.
Solo
Vsyo na svete im posilno,
Skolko sily im dano.
Solo and chorus
Ikh obschityvat postydno,
Ikh obveshivat greshno.
Solo
I, v karman pelmeni sunuv,
Ya smotryu, surov i tikh,
Na ustalyye ot sumok
Ruki pravednyye ikh.3.商店で (アダージョ) [12:09] 独唱
大小のネッカチーフをかぶり。
手柄を立てに、また 仕事に行くように
女たちが商店に入ってゆく
黙ったまま、一人ずつ。合唱
ああ、手に持つ缶や
ガラスびん、鍋のひびき、
ネギや キュウリの匂い、
そしてトマト・ソースの匂い。独唱
会計への長い列で凍えて、
わたしがそこへ近づいてゆくうちに
おおぜいの女たちの息で
どんどん暖かくなってゆく。
しずかに待っている、
家庭の優しい女神たち…
みな手には握りしめている、
自分の汗で得た金を。合唱
彼女たちは静かにに待っている、
家庭の優しい女神たち…
みな手には握りしめている、
自分の汗で得た金を。独唱
これが ロシアの女たちだ。
わたしたちの誇り、わたしたちの裁きだ。
彼女たちは、コンクリもこね、
耕しもし、刈り取りもした。
すべてに 彼女たちは耐えていた。
すべてに 彼女たちは耐えていく。合唱
すべてに 彼女たちは耐えていた。
すべてに 彼女たちは耐えていく。独唱
この世のすべてを 彼女たちはこなせる。
かんという力が 与えられているのだ!独唱と合唱
勘定で 彼女たちをあざむくのは 恥しらず
計量で 彼女たちをあざむくのは 罪なこと!独唱
冷凍ギョウザをポケットに突っ込んだわたしは
おごそかに、しずかに見つめる
買い物袋でくたびれた、
彼女たちの高貴な手を。
4.Strakhi Chorus
Umirayut i Rossii strakhi,
Slovno prizraki prezhnikh let.
Lish na paperti, kak starukhi,
Koye-gde eshcho prosyat na khleb.Solo
Ya ihk pomnyu vo vlasti i sile
Pri dvore torzhestvuyushchei lzhi.
Strakhi vsyudu kak teni skolzili,
Pronikali vo vsye etazhi.
Potikhonku lyudei priruchali
I na vsyo nalagali pechat.
Gde molchat by, krichat priruchali,
I molchat, gde by nado krichat.
Eto stalo sevodnya dalyokim,
Dazhe stranno i vspomnit teper.
Tainyi strakh pered chim to donosom,
Tainyi strakh pered stukom v dver.
Nu, a strakh govorit s inostrantsem,
S inostrantsem to shto, a s zhenoi.
Nu, a strakh bezotchotnyi ostatsya
Posle marshei vdvoyom s tishinoi.Chorus
Ne boyalis my stroit v meteli,
Ukhodit pod snaryadami v bo,
No boyalis poroyu smertelno
Razgovarivat sami s sobo.
Nas ne sbili i ne rastili,
I nedarom seichas vo vragakh
Pobedivshaya strakhi Rossiya
Yeshcho bolshi rozhdayet strakh.Solo
Strakhi novyye vizhu, svetleya:
Strakh neiskrennim byt so strano,
Strakh nepravdo unizit idei,
Shto yavlyautsya pravdoi samoi.
Strakh fanfarit do odurenya,
Strakh chuzhiye slova povtoryat,
Strakh unizit drugikh nedoveryem
I chrezmerno sebe doveryat.Chorus
Umirayut v Rossii strakhi.Solo
I kogda ya pishu eti stroki
I poroyu nevolno speshu,
To pishu ikh v yedinstvennom strakhe,
Shto ne v polnuyu silu pishu.4.恐怖 (ラルゴ) [12:57]
合唱
恐怖は ロシアで死にかけている
過ぎ去った年月の 亡霊のように。
教会の入り口の階段を上り
乞食老婆のように、パンを求めるだけ独唱
勝ち誇る虚偽の宮殿で、力を振るった
恐怖を、わたしは覚えている。
恐怖は、どこにでも影のようにすべりこみ
どの階にも入り込んだ。
こっそりと人々を手なづけ、
すべてに刻印を押していった。
沈黙するときに叫ぶよう、
叫ぶべきときに沈黙するよう、馴らしたのだ。
これは今では昔のこと。
いま思い出すのもおかしいほどだ。
誰かの密告に対する、密かな恐怖、
ドアを叩く音への、密かな恐怖。
そして、外国人と話をする恐怖は?
外国人ならまだしも、妻と話す恐怖は?
そしてだ、行進曲のあと静けさだけのこる
あの言いがたい恐怖は?合唱
わたしたちは、吹雪の中の建設を、
砲弾の下の突進を、恐れはしなかったが
自分自身と話し合うことを
ときおり死ぬほどに恐れたのだ。
わたしたちは倒されも、腐りもしなかった。
だからこそ、恐怖に打ち勝ったロシアは、
いま、敵たちの中に
さらに大きな恐怖を生み出しているのだ。
独唱
楽しくなりつつも、わたしには新しい恐怖が見える、
国に不誠実である恐怖、
真実である思想を
虚偽で いやしめる恐怖が
馬鹿になるまで はやしたてる恐怖、
他人の文句を 繰り返す恐怖が
他人を不信で おとしいれ
自分をうんと持ち上げる恐怖が。合唱
恐怖はロシアで死にかけている。独唱
そして、わたしがこの詩を書きながら
時おり心ならずも急ぐのは、
力をつくして書かないという
ただひとつの恐怖からだ。
5.Karyera Solo
Tverdili pastyri, shto vreden
I nerazumen Galilei.Chorus
Shto nerazumen Galilei,Solo
No, kak pokazyvayet vremya,
Kto nerazumnei, tot umnei,
Chorus
Kto nerazumnei, tot umnei,Solo
Uchonyi, sverstnik Galileya,
Byl Galileya ne glupeye,Chorus
Uchonyi, sverstnik Galileya,Solo
On znal, shto vertitsya zemlya,
No u nevo byla semya,Chorus
On znal, shto vertitsya zemlya,Solo
I on, sadyas s zhenoi v karetu,
Svershiv predatelstvo svoyo,
Schital, shto delayet karyeru,Chorus
A mezhdu tem gubil yeyo,Solo
Za osoznaniye planety
Shol Galilei odin na risk,
I stal velikim on.Chorus
Vot etoSolo and chorus
Ya ponimayu - karyerist!Chorus
Itak, da zdravstvuyet karyera,
Kogda karyera takova,
Kak u Shekspira i Pastera,
Nyutona i Tolstovo,
I Tolstovo.Solo and chorus
Lva?Chorus
Lva! Zachem ikh gryazyu pokryvali?
Talant, talant, kak ni kleimi.Solo
Zabyty te, kto proklinali.Chorus
No pomnyat tekh, kovo klyali,Solo
Vse te, kto rvalis v stratosferu,
Vrachi, shto gibli ot kholer,
Vot eti delali karyeru!Solo and chorus
Ya s ikh karyer beru primer.Solo
Ya veryu v ikh svyatuyu veru.
Ikh vera - muzhestvo moyo.
Ya delayu sebe karyeru
Tem, shto ne delayu yeyo!5.出世 (アレグレット) [12:20] 独唱
司教たちはきめつけた
ガリレオは悪者で、愚か者と。合唱
ガリレオは愚か者…独唱
しかし、時が明らかにするように
愚か者のほうが賢い!合唱
愚か者のほうが賢い…独唱
その時代の学者はガリレオより馬鹿ではなかった。合唱
ガリレオより馬鹿ではなかった。独唱
彼も知っていた、地球が回るのだと。
しかし、かれには家族がいた。合唱
しかし、彼には家族がいた…独唱
そして 自分の信念をまげ
妻と 立派な馬車に乗り
これが出世と思っていたが、
実は、それをぶちこわしていた合唱
実は、それをぶちこわしていた…独唱
この惑星の認識のために
ガリレオは ひとり危険をおかし
そして かれは偉大になった。合唱
そして かれは偉大になった…独唱、そして合唱
これこそが、わたしのいう出世主義者だ!合唱
そこで、出世ばんざい、
その出世が
シェークスピアやパスツール、
ニュートンやトルストイ、
そう、トルストイのしたようなものならば。レフか?独唱と合唱
レフだ!合唱
なぜに彼らは泥を塗られたのか?
天才は天才なのだから、いくらそしられても。独唱
ののしったものたちは忘れさられた。合唱
しかし、ののしられたものは記念されている。独唱
成層圏をめざした人たち
コレラで倒れた医者たち
彼らこそ出世したのだ!独唱と合唱
わたしは彼らの出世を手本にする!独唱
わたしは彼らの神聖な信念を信ずる。
かれらの信念はわたしの勇気だ。
わたしは出世をしないことを
自分の出世とするのだ!
1941年にウォルトンに召集令状が送られた。覚悟を決めていると、ある日、イギリスの情報省に呼ばれ、前線に行く代わりに「国家的に重要な」映画に音楽を付けてもらいたい、と言われたそうである。
1942年6月、ハリウッドのスターだったレスリー・ハワード監督・主演の映画『スピットファイア』のために音楽を書いた。
この映画は第二次大戦中に活躍したイギリスの名戦闘機スピットファイアの生みの親R・J・ミッチェルの生涯を描くものだった。御存知のように、ナチス相手に苦戦続きの大英帝国を勝利に導いた傑作戦闘機スピットファイアMkIは、高速飛行、急旋回、急上昇が抜群に優秀で(←でもヒトラーはイギリスの技術力を完全に見くびっていたのだという)、とくに1940年8月の「空の戦い」(バトル・オブ・ブリテン)で多数のドイツ軍機を撃墜し、大活躍をしたのですが、その開発と量産化のためにミッチェルは寝る間も惜しんで働き、そしてバトル・オブ・ブリテンの勝利の前に過労で死んでしまったのだそうです。ううーん、何か話だけで泣けてきそうな映画だね。(日本での公開は無しで、ビデオはあるそうです)。
のちにウォルトンはこの映画の音楽の中から、この管弦楽曲(前奏曲とフーガ)をつくった。
前奏曲の部分が映画のオープニングの音楽で、続くフーガの部分は、戦闘機が工場で組み立てられてゆく場面に付けられた音楽なんだそうです。中間部では、疲れ果てたミッチェルが家で短い夜を過ごすシーンも引用される。
音楽は、非常に気持ちがいいぞ、とくに前奏曲の部分。輝かしいぞ、勝利を確信しているぞ。まるで空の上を悠然と飛ぶ銀色の編隊を描写しているようだ。ニッと笑って手を挙げるキザでハンサムメンなエースパイロットの顔までが頭に浮かんでくるようだね。いや、この映画観たこと無いですが、映画の冒頭は「バトルオブブリテンの実録映像」から始まるそうですが。フーガの部分まで戦闘のシーンが脳内にまき起こってくるから、困ったものだ。
第2楽章が、ポーランドのとある収容所の壁に残されていたという「おかあさん、泣かないで・・・・・」という少女の手記。 感動的。世の終わりの四重奏曲 メシアン( 仏・ 1940)
ドイツ軍の捕虜となった作曲者が、収容所の中で作曲し、あり合わせの楽器で演奏した。
ただし、作曲者は収容所の中で医療関係の仕事をもらっていたし、五線譜を与えてくれたのは、ドイツ軍の指揮官だった。
交響曲第9番 ショスタコーヴィチ ( ソ連・ 1945)
ショスタコの交響曲の中で私が一番好きな曲(^-^)。 とってもオシャレで仕掛けがいっぱいです。交響曲第10番 ショスタコーヴィチ (ソ連・ 1954)
戦争交響曲3部作の最後の曲。作曲者によれば「戦争が終わったときの喜ばしい気持ち」をあらわした曲だそうだ。
この曲の初演のとき、スターリンがてっきりショスタコが自分の讃歌を書いてくると思いこんでいて、この曲を聴いて激怒した、というのは有名な話。スターリン、かわいい。
チャーチルの大著「英語諸国民の歴史」(全4巻)をもとにしたテレビシリーズのために作曲された作品。
チャーチルがノーベル文学賞をもらったのが首相在任中の1953年で、その2年後の1955年に健康の悪化を理由に首相を辞め、56〜58年にこの本の著述に専念している。とは言ってもこの本の大部分はすでに終戦前に出来上がっていて、それを80歳を越えて首相を辞した失意のチャーチル(この頃の口癖は「わたしはもう終わった」だった)が唯一ちまちまと続けていた作業で、でもそれがテレビ化されたのは本完成の1年後の1959年。そんな作品にウォルトンはこんな気持ちの良い音楽を付けたんだから、なんかすごいね。その内容は、シーザーのブリテン島侵攻から始まって(英語話すのまだだいぶ先じゃん)、チャーチルが南アフリカの戦場に姿を現すところで終わるという。
音楽は、「英国の歴史って最初から最後までこんなに華々しかったっけ?」と勘違いしてしまうほど威勢がいい。一体テレビのどの部分に使われたのか興味ある。オープニングだったらたまげるぞ。
中間部の福々しいメロディも含めてエルガーの行進曲っぽくて、それらしくて非常に結構なんだが、大英帝国の最盛期まで含めて、はてこの音楽の輝かしさにふさわしい時代はいつか、と考えると、とっさに答えにつまってしまうあたりがナイスだ。
(チャーチルのその本は読んだことないが)「伝説のアルフレッド大王」、「エドワード1世の勝利」、「ヘンリ7世の勲し」、「フランシス・ドレークのテーマ」、「ジョージ5世の気持ち」などどうかなと頭に浮かんでしまうが、とりあえずチャーチルに敬意を表して「第二次世界大戦終了直後のチャーチルの得意満面な気持ち」とでもしておくか。