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 ◎ローマの栄光♪_
カンタータ「ルクレツィア」 ヘンデル (独・1708) 約15分 
正直に白状しますが、このルクレツィアは「あの」ルクレツィアだったらいいな〜〜と思いながら、CDを買ったのでした。
でも違った。 なんでもローマで最高の美女が、ローマの王にむりやり乱暴され、夫に復讐を誓わせてから自殺してしまうという話。 なんだか嫌な話なんですが、ブリテンも同じテーマでオペラ書いてましたよね。 何なんでしょうか。 でもって、これがきっかけで反乱が起こって、ローマの王政は廃止された、という伝説があるから、歴史音楽であるということで。
ヘンデルの音楽は、まったくこの物語通りの音楽です。
歌劇「ムーチョ・シェヴォーラ」 ヘンデル (英・1721)
バレエ音楽「スパルタカス」 ハチャトゥリアン (ソ連・1956以前)
英国の放送協会のラジオ番組のバックとして作曲されたのがはじめ。 人気が高まり多くのバージョンが作曲された。
マルクスはスパルタクスを古代のプロレタリアートの代表者と呼び、スパルタカスの叛乱は帝国主義の暴政に対し立ち上がった人々の苦悩であると(いう内容のことを)述べた。
歌劇「シピオーネ」 ヘンデル (英・1726)
このシピオーネってのは、ローマの大英雄「大スキッピオ」のことだってさ。
劇的セレナータ「シピオーネの夢」 モーツァルト (墺・1772) 全一幕 約1時間55分
(聴いたことがないので)このシピオーネが上のと同じ「スキッピオ」なのかどうか自信が無いけど、舞台が紀元前2世紀の北アフリカのマッシニッサ王の宮廷であると言うこと(スキッピオは「アフリカヌス」というアダ名で有名)、劇中に英雄を讃える合唱「いくたの英雄たち、ローマの栄誉を担い、天の国に名の知れた人達よ」があること、後盤にシピオーネの先祖プブリオというのの霊が出てきて偉そうなことをいうことから、大スキッピオと見ても間違いないと思います。 、、、、、かな?
シピオーネが寝ていると、不変の女神コスタンツァ幸福の女神フォルトゥーナが夢の中に出てきて、「どちらかを選べ」と言ったという話。
どちらか選べって言われてもねぇ。 、、、で、英雄スキッピオは、どちらを選んだと思います?
台本は1735年にメタスタージョがカール6世の誕生日を祝って書いたものですが、何十年もたってその古い台本を引っ張り出してきて、モーツァルトは自分の主君の大好きなザルツブルク大司教の在位50周年を祝って書き始めたところ、急にこの大司教が死んでしまったので、後任にやってきたヒエロニュムス・コロレド(=のちにモーツァルトの天敵となった宿縁の人物)の即位祝典で演奏するハメになってしまいました。 モーツァルトにとっては縁起が良くない思い出の音楽ですね。ふふ。
歌劇「シッラあるいはルーチョ・コルネリオ・シッラ ヘンデル (英・1713)
なんだい、このくどい副題は(笑)   CD出ないかな〜〜
モーツァルトのオペラとは全然話が異なるらしい。 宿敵マリオを破って絶大な権勢を誇るシッラは、その力をカサにさまざまな人妻に迫るが、ことごとく失敗して最後にみんなに謝る、という話(おいおい)。 一番偉いのはやっぱりシッラの妻メテッラだった。
歌劇「ルーチョ・シッラ」グルック
歌劇「ルーチョ・シッラ」 モーツァルト
スッラ! スッラ、万歳!
このオペラの中でもスッラは、自分のしたいことは全て叶えさせる絶大な権力者だが、いいおとこだ。
音楽はきわめて地味だが、なにしろモーツァルトの作品だから、聴きどころはたくさん。
歌劇「クレタの王イドメネオ」 モーツァルト
歌劇「ポントの王ミトリダーテ」 モーツァルト
歌劇(三幕の温楽劇)「エジプトのジュリオ・チェザーレ」ヘンデル (英・1723〜24)
ヘンデルのロンドンでの最初の最盛期「第一次アカデミー時代」の頂点を飾るヘンデルの代表作とされる曲。
複雑な物語に、多彩な登場人物を彫りづくる数多くのアリア (カエサルとクレオパトラにはそれぞれ8曲ずつもアリアがあるのである!)、ヘンデルの音楽はあるときはしっとりと、あるときは華々しくその人物群を描き分け、与えられた管弦楽も、劇的で英雄的であることはピカイチという、まさに巨大建築的な逸品となっています。
・・・という解説を読んでからついこの間私は初めてこの曲を聴いたんですが、実を言うと最初はガッカリした気分の方が大きかったですごめんなさい。
やっぱりね、私にとってはヘンデルは「アグリッピーナ」が最初に聞いた作品なので、無意識に、そのアグリッピーナの、まるで日本刀を鍛えるときに飛び散る火花のような煌めきと比較してしまう。
ジュリオ・チェザーレは作品としては私が期待していたアグリッピーナとは全然違っていて、とてつもない大作なのでした。
何度も聞き直して初めて、印象がちょっとずつ変わっていきました。
私の一番の敗因は、その複雑な物語と登場人物の多さだったのでした。最初にブックレットを読みながら音楽を聴こうと思ったのですが、ちょっとクラクラするぐらいしんどかったので、ブックレットを投げ出してしまったら、そこからもう何が何やら。数回後に、考えを改めて、台本と見比べながら聴いたら、一転してこれが、話もアリアも面白いのなんの。そこがなんとも難しい作品でしたね。
しかし、初聴時、ディスクの3枚目に「ハイドンの“狩の音楽”にそっくりだ、おっ」だと唯一耳を引いた音楽があったのですが、2度3度目に聴いたときにはそれが分からなくなってしまった。あれはなんだったんだろー。

「ジュリオ・チェザーレGiulio Cesareは、言うまでもなく世界史最高の偉人「ユリウス・カエサル」Julius Caesarのことですよ。

≪登場人物≫
やってきた覇者ジュリオ・チェザーレ(Ms/A/Br)…
エジプトの女王クレオパトラ(S/Ms)…
●敗将の妻(美女)コルネリア(Ms/S)…
●敗将の息子セスト(S/Ms/T)…
●幼いエジプト王トローメオ(CT/Bs)…
●エジプト王の不敗の将軍アッキラ(Bs)…
●ローマの護民官クリオ(Bs)…
●エジプトの召使いニレーノ(CT)…


≪物語のあらすじ≫

★推薦盤★
マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル/マリヤーナ・ミヤノヴィッチ、マグダレナ・コジェナー、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(他)(2002年) (アルヒーフ)


演奏会用序曲「ジュリアス・シーザー」シューマン (独・1851) 約10分

シェイクスピアに霊感を受けて作った曲だって。
ゲーテに題材を採った序曲「ヘルマンとドロテア」といっしょに初演された。
んーー、とくに書くことの無い作品(泣) (01.8.19)
序曲「ユリウス・カエサル」トビアス (20世紀)
エストニアの音楽史上初の管弦楽作品ですって。
歌劇「クレオパトラとシーザー」カール・ハインリヒ・グラウン (プロイセン・1742年)
交響的エピローグ「ジュリアス・シーザー」ロバート・クルカ (エストニア・1950年代)
クルカの書法は、短いモティーフをすばやく何度も反復させていく一方で、シンコペーションを活用し、その合間に弦が不安感と流露感が背中合わせになった魅力的なメロディを歌い込んでいくというスタイルになっている。50年代なかばの作品にしては、あまりにも保守的な書法だが、聞き手の耳とハートを直接鷲づかみにしようという気概と、いきいきとした情感に満ちているのが特徴だ。(『レコード芸術』2004年10月号)
恋のクレオパトラとそのドゥーブル(変奏)  エネモン・ゴーティエ (仏・17世紀)
何というステキな題名でしょう! (どんな曲か聴いたことはないけど) 
喜歌劇「クレオパトラの真珠」オスカー・シュトラウス(?)
歌劇「ノルマ」ベルリーニ(1831)
交響詩「アッピア街道の松」 レスピーギ  (伊・1924)
 
◎帝政ローマ_
歌劇「ネロ」ヘンデル (独・1705) 楽譜は紛失
歌劇「アグリッピーナ」ヘンデル (独・1709) 全3幕  約3時間37分
ヘンデルの最高級の音楽だと思う! (シーザー聴いたことないけど)私の中では歴史音楽の一、二を争う曲!
息子のネローネ(のちの暴君ネロ)をどうにかして早く帝位につけたい母親の、涙ぐましい努力の物語。 この母親アグリッピナが凄く魅力的なんです。 彼女は皇帝クラウディオやのちに息子の妻となるポッパエアや息子の親友オットーネに対して嘘ばかりついている役回りなのですが、そんな彼女の歌はどれも素敵で! 解説書に書いてあるように、作曲者ヘンデルは、道徳的に生きる人物よりも、(たとえ手段が汚くても)目的奪取のために絶えずいきいきと進み続け策謀を怠らないアグリッピナの方を遙かに称賛しているような感じです。  ※策謀ったって、周囲の人に嘘をついて、お互いを誤解させるだけなんですけどね。
彼女に比べれば、彼女の息子ネローネも夫クラウディオも、彼女が密かに息子のライヴァルだと敵視している将軍オットーネも(=のちの皇帝オトー)ひどく生気が無く見える。(音楽はそれなりですけどね) 唯一、ネローネとクラウディオとオットーネの3人すべてが憎からず思っている美少女ポッペアが、天真爛漫にふるまってアグリッピナに匹敵しますが、でも、やっぱりアグリッピナには格の上でかなわないね。 ポッパエアの歌だってどれも魅力的ですが、つづいてアグリッピナの歌が始まると、「負けた」と思いますもんね。 ポッペアは、まだまだ小娘っぽいでず。

この劇の特徴は、(ひとりを除いて)悪人しか出てこないこと(^−^)  ただし、誰もが「憎めない悪人」で、短所があれば長所もある、って感じ。 その人物の描き分けが見事だ。

●アグリッピーナ(Ms) ……歴史にあるように、彼女は相当な悪女だ。
         彼女は(息子以外の)すべての登場人物をバカにしていて、自分たちの将来は全部自分の知恵(とくに嘘を重ねること)だけで
         乗り切っていける、と思っている。 だが、その決断力と実行力には、眼を見張るばかりだ。
         しかしながら、第2幕の終わりの《胸騒ぎが私を苦しめる》のように、自分の行為について、たまに悩む一面も見せる。
         彼女は、強い意志、決断力、前向きな思考、ターボ付き推進力、のカタマリである。
●ネローネ(カウンター・テノール) ……ネロは、母親に限らずすべての人の言うことに対して同意してしまう、意志の弱い人物。
         まあ、母親がこんな人物だからしょうがないな。 でも、本当にこれがのちに“暴君ネロ”とよばれる、少しは善政だっておこなった
         あの人物だろうか、と思う。 母親が無理矢理つけた家庭教師セネカによる英才教育も、片鱗も見えない。
         まったくのウスラボンボン。 でも歌声、最初は変なんだけど、高音でさえずる様子が、愛らしく思えてきちゃったりしてー。
●ポッペア(S) ……
●皇帝クラウディオ(Bs) ……
●将軍オットーネ(カウンター・テノール) ……
ネロとオットーと市民代表のナルチソという主要人物の3人までが男が裏声で女声のように歌うカウンターテノールで、異様。
物語
(第一幕)
ブリタニア遠征中の皇帝クラウディウスが海で遭難して死んだ、との知らせがローマにもたらされた。母にそそのかされた皇帝の養子ネロはすかさず即位を宣言。 しかし広場で「新帝ネロ、万歳!」と叫んでいるところに、死んだはずのクラウディウス帝が帰還。彼は海に沈んだところを、忠実な将軍オトーに救出されたのだった。 皇帝は「命の恩人オトーを次の皇帝に指名する」と宣言。思わぬ成り行きにネロとアグリッピナは唖然とする。
アグリッピナはオトーを失脚させるための策謀をめぐらし、オトーの恋人ポッペアのところへ行ってこう言う。 「オトーは次の皇帝にしてもらうために、あなたを売り渡した。オトーが皇帝になったらあなたは無理矢理クラウディウスの愛人にされてしまうのよ」。 ポッペアは憤慨してアグリッピナの言うままに、ポッペアをくどきにきた皇帝クラウディウスに言う。 「オトーは皇帝になったらわたくしを力づくでモノにするつもりです」

(第二幕)
オトーが皇帝に即位する約束の日。オトーが緊張しながら皇帝クラウディウスの前に行くと、皇帝の態度が冷たい。皇帝はオトーを「裏切り者!」と罵る。吃驚したオトーが周囲を見回しても、皆冷ややかな様子なので絶望。だが、その姿を見て実はオトーを愛するポッペアは、庭の蔭にオトーをおびき出し真意を確かめる。それを見て策略が悟られたといち早く感づいたアグリッピナは、まだオトーのことを激しく怒っている夫クラウディウス帝のところへ行き、「オトーを切り捨てて、後継者がネロであると発表して欲しい」と嘆願する。もはやポッペアのことしか頭にない皇帝は、それを承諾。

(第三幕)
ポッペアはアグリッピナにしかえしをするために、策を錬る。 彼女はオトーを自分の部屋の戸棚に隠し、「何があってもびっくりしないこと」と約束させた。 その部屋にまず、ネロがやってくる。

 
☆アグリッピナの決意の歌(第一幕-第六場) ……カッコいい〜
Recitativo
Quanto fa, quanto puote
Necessita di fato, io stessa, io stessa!
Nulla piu si trascuri; all'opra, all'opra!
Love ha, chi per regnar inganno adopra.___
Aria
L'alma mia fra le tempeste
Ritrovar spera il suo porto.
DI costanza armato ho il petto,
Che d'un regno al dolce aspetto
Le procelle piu funeste
Son oggetti di conforto
叙唱
運命の定めに従って
帝国のために私は尽くした。 私こそが....
何の手落ちもない、今こそ行動に移すとき。
治めるための策略は、称賛に値するはず。
アリア
私の魂は運命に翻弄され、
港を見つけることが出来ない
胸には、信念の鎧をまとおう
帝国の安泰には
猛り狂う嵐を。
魂には慰めを。
 
ガーディナー、 イギリス・バロック管/テラ・ジョーンズ、デレク・リー・レイギン、ドナ・ブラウン、マイケル・チャンス '91〜92 (フィリップス)
カンタータ「死に向かうアグリッピーナ」 ヘンデル (独・1710年前後)
上の作品と同時期に書かれた作品だが、上の作品ではアグリッピナの悲劇的な死が描かれていないので、ヘンデルはそこ も書かねば釣り合いが悪いと思ったのかな
せっかく帝位に就けてやった息子から死刑の宣告を受けた母親の、一人芝居。
歌劇「ポッペアの戴冠」 モンテヴェルディ  (伊・1642)
ネロ帝の皇后を蹴落として自分が皇后となったポッパエアの物語。ただし、ネロによるポッパエアの殺害は描かれない。
ネロはヘタクソなプレイボーイ、ポッパエアは娼婦のような悪女という設定。 こんな不道徳な内容で、どうしてこんな魅惑的な音楽が書けるんだ、73歳のモンテヴェルディは!
わたしは序曲で感電しましたよ。
ただし、すばらしいメロディがあるわけでなく、一聴して支離滅裂のようなのに、これがモンテヴェルディだよな〜、心地いいよ
な〜、と思ってしまう不思議な魅力がある。
歌劇「セルヴィリア」 リムスキー=コルサコフ  (露・19世紀) 全五幕
元老院議員ソラヌスとその娘セルヴィリアの物語は、タキトゥスの『年代記』のネロの項にあるんだとさ。
政敵エグナティウス元老議員に父を失脚させられ、恋人が謎の失踪をしてしまった娘セルヴィリアはキリスト教に入信するが、折しも「ローマの大火」の直後であったため、キリスト教徒の親子はあらぬ疑いで裁判にかけられてしまう。 父はローマ追放、娘は父を失脚させた憎いエグナティウスの妻となるべし、という判決。 まもなく、失踪したかつての恋人が、ギリシャに巡遊中の皇帝ネロの「その裁判は無効である」という勅書を持ってローマへ帰ってくるが、すでに敵の妻となっていたセルヴィリアは、絶望して自殺してしまうのであった。
このオペラ、リムスキー=コルサコフの中で唯一全曲録音がされてないオペラなんだそうです。
交響詩「チェルチェンセス」 レスピーギ  (伊・1928)
交響詩「カタコンブ付近の松」 レスピーギ  (伊・1924)
歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」 モーツァルト  (墺・1791) 全二幕 約2時間
歌劇「エジプトの女王ベレニーチェ」ヘンデル (独・1737) 
このベレニーチェってのは、ティトゥスの恋人だった「ユダヤの女王」ベレニケのことかな? 違うかな?
エジプトの女王のもとにローマの貴族アレッサンドロから求婚の使者が来るが、女王はエジプトの将軍デメトリオが好き。ところがデメトリオと女王の妹セレーネと相思相愛だったので、女王は「邪魔な妹とローマ貴族アレッサンドロをひっつけてしまえば」とおもっていろいろ策謀するのだが、求婚者アレッサンドロが政治的にではなく純粋に思い焦がれて女王に求婚した、ということを知って心が熱くなり、女王とアレッサンドロがくっついてメデタシメデタシ、というおはなし。
ヘンデルのオペラ活動が超最悪に行き詰まっていた頃の作品で、以後ヘンデルはオラトリオの世界に転向することになる。
劇音楽「女予言者、またはダイオクリージャンの物語パーセル (英・1690)全5幕 全33曲 約1時間02分)
ダイオクリージャン(ディオクレース)、とはローマ帝国の高名な帝王、ディオクレティアヌスのこと。
兵士たちに圧倒的な人気を誇る彼が皇帝の座に上っていく過程と、その一方で彼が自分の婚約者(それが表題の女予言者である)を裏切って別の女性を好きになってしまうこと、により受ける罰をえがいている。
パーセルの音楽は、どの曲を聴いてもそうなのだけれど、とりわけこの曲は安定感があって聴いていて安心だ。とくに序曲の3曲は極め付きだと思うんだけど(気のせいかも)。 わたくしの大好きなパーセル節(なんやそれ)も大健在。
しかし、唯一アレなのは、実際にはディオクレティアヌスとお互いに尊敬し合っていた共治帝マクシミアヌスが、劇中ではディオクレースに嫉妬して、彼を亡き者にしようとすること。 この二人の協力体制は、古代史1,2を争ういい話だと思うのに。   (→ここも見て)
 
 
 
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