LZ126 


( later ZR-3 )

War reparations

 to U.S.

 Aug. 1924

( ex LZ126 ) 

 ZR-3 

USS Los Angeles 

U.S.Navy

 military

 Oct. 1924

Airliner ,

 LZ127

"Graf Zeppelin" 

Registration

 D-LZ127

 Sep. 1928


LZ126


( 後に ZR-3 )

戦争賠償

米国へ


 1924年8月 初飛行

( 元は LZ126 ) 

ZR-3 

USS「ロサンゼルス号」

米海軍籍

軍用

 1924年10月

国際航路 旅客用飛行船

LZ127

「ツェッペリン伯号」

航空登録

 D-LZ127

 1928年9月 初飛行

the Weimar Republic (Deutsch) era build

ドイツ共和国時代に建造された 旅客用飛行船


Prologue

War reparations

第一次世界大戦の敗戦で 新政府ドイツ共和国は ベルサイユ講和条約により 保有していた軍用飛行船の 総てを 戦勝国で 戦争賠償として 分配されたのみならず、戦後に建造した 旅客用飛行船 LZ120 "Bodensee" (ボーデン湖号) と LZ121 "Nordstern" (北極星号) も 戦争賠償として 取り上げられ、 新たに飛行船を 建造する事も 禁止されてしまいました。
(ロンドン条約では ドイツに対して 容量3万立方メートルを超える飛行船の建造を禁止したが、 LZ120/LZ121は この基準以下で 建造されていた)


the Deutsches Reich (German Empire) era build airships

ドイツ帝国時代に建造された軍用飛行船

War reparations 1920 , LZ62 (L30) to the Kingdom of  Belgium

(白耳義へ 1920年)

War reparations 1920 , LZ75 (L37) to the Japan

(格納庫と供に部品に分解して船で日本へ 1920年、格納庫のみ組立てて 飛行船は放棄)
(何故、放棄したのか?… 工業技術と 運用経験と 軍事予算などの 根本的な不足が 考えられます)
(でも、この時 組立てた格納庫が あったから ツェッペリン伯号は 世界周回飛行で 日本に 立ち寄りました)

War reparations 1920 , LZ83 (LZ 113) to the French Republic

(仏蘭西へ 1920年)

War reparations 1920 , LZ90 (LZ 120) to the Italian Republic

(伊太利へ 1920年)

War reparations 1920 , LZ106 (L61) to the Italian Republic

(伊太利へ 1920年)

War reparations 1920 , LZ109 (L64) to the United Kingdom

(英吉利へ 1920年)

War reparations 1920 , LZ113 (L71) to the United Kingdom

(英吉利へ 1920年)


These side view (General Arrangement) are the same scale.


the Deutsches Reich (German Empire) era unfinished ,
the Weimar Republic (Deutsch) era finished airship
~

ドイツ帝国時代に着工したものの、敗戦後の
ドイツ共和国時代になってから完成した飛行船

Dixmude Feb. 1920 , ex LZ114 (L72) to the French Republic

ディズミュード (仏蘭西へ 1920年) 、元 LZ114 (L72)


the Weimar Republic (Deutsch) era build airships

ドイツ共和国時代に建造した飛行船

Méditérranée  (F-AOOM)  Jun. 1921 , ex LZ121 "Nordstern" to the French

メディテラネ (仏蘭西へ 1921年6月) 、元 LZ121 ノルトシュテルン

Esperia  (I-SAAA)  Jul. 1921 , ex LZ120 "Bodensee" to the Italian Republic

エスペリア (伊太利へ 1921年7月) 、元 LZ120 ボーデンゼー


Both of side view (General Arrangement) are the same scale.

このような時期に 米国が 戦争賠償として選んだ軍用飛行船が 破壊工作により失われてしまいました。 米国は 失われた軍用飛行船の代わりに 多額の賠償金を 希望しましたが、新たな飛行船の建造を 禁止されていた ツェッペリン社では 空白期の技術荒廃を危惧して 米国政府と ドイツ共和国政府の 双方と交渉し、 特例として 容量3万立方メートルを遥かに超える 非武装飛行船(≒旅客用飛行船)の建造を 認可され、この新造船を 戦争賠償として 米国へ 提供する事に なりました。


The transatlantic airship

The pre-Shenandoah-crash last airship , LZ126  Aug. 1924 ( later ZR-3 )


LZ126 , later USS Los Angeles ( ZR-3 ) , the passenger cabin

War reparations , the postwar Zeppelin

These side view (General Arrangement) are the same scale.

LZ126

このような経緯で 建造されたのが LZ126 で、後に 米国海軍へ編入されて、 USS Los Angeles ( ZR-3 ) ロサンゼルス号と なります。 LZ126 は 定員20人の客室を有し、 ロサンゼルス号は 米海軍で 練習船として また各種実験船として運用され、 繋留塔での 逆立ち事件という 死傷者0人の 珍事は あったものの 事故で失われる事なく、 退役まで長寿を 全うしました。
(武装飛行船として 設計/建造された USS Shenandoah ( ZR-1 ) など 他の3隻が 就役後2年足らずで 事故を起こして失われたのとは 対照的です)

 
「飛行船の再発見」講談社 (飯沼和正著) では P115に…

ハイマストでの係留では、 船尾部はまったく地上から浮いていて、何ら固定されていない。 このために、係留マストの上で、飛行船が逆立ちになるような事故も起きた。 外気温が急激に上がると、船体内の浮揚ガスが膨張して浮力が大きくなる。 船体が軽くなっているにもかかわらず、 船首部はマストに固定されている。 その結果、船尾の方が逆立ちをしてしまったのである。

と このように↑記載されている…。 (飯沼和正:科学ジャーナリスト、ブイヤント航空懇談会事務局長)
この著者、「科学ジャーナリスト」を 名乗りながら 初歩的な間違いが 散在し 頭が痛い…。
(根本的に 理系でなく 文系型の物知り みたいなのだが… この粗相は 粗忽な性格なのだろうか?…
 文章を読むと、 私なんかよりも 遥かに博学で 語学力もありそうなのに 些細な部分の失敗で 勿体無い…
 まぁ〜何と言うか… 頭の回転が速く 即断即決型の人だろうけど、 早合点し易く ミスを 犯すんだろうな…)


間違い その@、 飛行船の世界で「繋留マストの上で飛行船が逆立ちした」と言えば…、 通常 ロサンゼルス号の珍事を 指し示します。 しかしながら、この事件は 浮力によるものではなくて、風向きが 突然  180°変わった事が 原因である事で 知られています。 随って、船尾を 高々と 一時的に 持ち上げた後、船体を 反転して 塔の反対側に 降りました。 (基本知識の部類)

間違い そのA、「外気温が急激に上がる」と 言う事は 相対的に 飛行船の気嚢内の浮揚ガスの温度が 低い事を意味し浮力は 低下します(初歩的な科学の基本)
著者が 想定したい状況は 外気温が低い状態で 飛行船が 太陽光に照らされて暖められ、 スーパー・ヒート と 呼ばれる状態になった時に起きる。 (飛行船の基本知識の部類)

(尚、「ロサンゼルス号の珍事」は 1927年に起き、 当時 一般には 公表されていなかった事件だそうです)

  The High-mast risk , 25 Aug. 1927

『ロサンゼルス号の珍事』では 
高々と 85度まで 船尾が持ち上がったものの 
船内で固定していなかった物品が 
落下する際に 外皮へ穴を開けた以外に 
船体への大きな損傷は 無かった…。
また、船内に居た 25人の乗員に 
重傷者は無く、死者も出ていない。
「ロサンゼルス号」は 翌日には 
飛行可能な状態であった。

ハイ・マスト方式での最悪の危険性浮き上がる事よりも、
寧ろ 沈み込みで船体が地上へ叩き付けられる事にある。

(何故か、この事を 記載し喚起した文献は 無い) 

この論拠として、ハイ・マスト繋留中の写真では多くの場合 
少し浮力過剰の状態で 船首よりも 船尾が 高く浮いて写っている。


私は この浮力過剰の状態は意図的な調節と 考えています。

For this reason , the airships risen its tail.
『船体が地上へ叩き付けられる事』を防止するため、 浮力過剰に調節し、 船尾を高く上げていたと思われる飛行船の写真

H.M.A. R 33

H.M.A. R 33 G-FAAG

H.M.A. R 36 G-FAAF

遠近法で 船体中央 平行部の収束線が
地平線で交わらない
から船尾は高い位置にあると証明できる

USS Los Angeles


For this reason , the airships risen its elevator.
『船体が地上へ叩き付けられる事』を防止するため、 浮力過剰に調節し、 昇降舵を上げて船体を水平にしていたと思われる飛行船の写真

H.M.A. R 101 G-FAAW

H.M.A. R-100 G-FAAV


But, the early airship were different in U.S.
『船体が地上へ叩き付けられる事』を未だ意識してなのか?、 浮力不足で、 昇降舵を下げて船体を水平にしていたと思われる写真

もしも、この時に 風向きが  180°真逆になる 『ロサンゼルス号の珍事』と 同じ気象条件に 遭遇したら…
「シェナンドア」は 地上へ叩き付けられる事故で 失われていたでしょう

USS Shenandoah , dropt its elevator. circa 1924-1925

その後、 ハイ・マスト繋留方式を開発した英国から警告を受けたのか?…、 米国 自ら気付いて是正したのか?…は 不明、
文献に この件の記載が無いのは 最初に英国から教えて貰えず、 運用していた米国の面子が 丸潰れになるからだろうな、
垂直近くまで逆立ちしても追従する連結機構だったのだから 設計上で 『ロサンゼルス号の珍事』 は 想定されていた筈、
且つ垂直近くまで逆立ちしても飛行船の機能に支障は出ず 構造崩壊もしなかったから… ドイツでも想定内で 米国だけが…

↑これら一連の シェナンドアの写真を 最初に見た時に 「危ないなぁ〜」 と 私は 感じたのですが…
現実に 「地上へ叩き付けられる事故」幸運にも起きなかったので 誰も指摘していませんねぇ。


USS Los Angeles ( a composite photograph by the sequence of  events , 25 Aug. 1927 )

余談ですが… 資料上は 上の合成写真の 一番左の写真整理番号が 最も若くて、 左から右への時系列とされているが、
この写真を 当時に 記録した人物からすれば 「これは大変だ と 事態を 目の前にして 写真撮影を 開始した筈です。
当然として、初期事象は 撮り逃がしたと思われるし、その 最初の撮影場面は 既に 大事になっていたと 思われるわけです。
ところが… 一番左の写真は 然程驚く場面でも無く、時系列の最初として不自然なので、
実際には 右から左への 時系列の流れが 真相ではないか? と 考えています。(余談 終り)

随って、私が思うには …
「飛行船の再発見」講談社 (飯沼和正著) では 「係留マストの上で、飛行船が逆立ちになるような事故も起きた」
と 言うような事故扱いの 悪い評価なのですが〜、
逆に シェナンドア時代よりも 米国の飛行船運用技術が向上したので
「地上へ叩き付けられる事故」 が 未然に防がれた 歴史的証明と 考えています。

しかし、残念な事に 当の米国では 事態を正しく分析できずに 「メイコン号事故」 を 引き起こしてしまいました。

 

USS Los Angeles ( ZR-3 ) , ex LZ126 , War reparations  Oct. 1924 to U.S.


亜米利加(米国)では 浮揚ガスを 水素から ヘリウムに 交換して 運用されました

尚、過去のドイツ語出版物等では USS Los Angeles ( ZR-3 ) を ZRV と表記する本もありますが、 米国本国での 正確な表記は ZR-3 なので 注意が 必要です。 また、米国では ZR-3 の呼称より USS Los Angeles の 呼び名が 一般的です。

当Webでは 解説の都合上、 構造に関する話題は ドイツで建造時の ツェッペリン社の 製造番号 LZ126 で 表示し、 米国での 経歴に関する話題は 米国式表記 USS Los Angeles (ZR-3) と 日本語表記 ロサンゼルス号 を 混用しています。

因みに、ツェッペリン社の 製造番号を LZ126 と 表記するか LZ 126 と 表記するかですが… 一桁台は LZ 1 ~ LZ 9 として、二桁台以上は LZ10 ~ LZ130 としています。 また、混乱の元となる ドイツ帝国 陸軍飛行船の Tactical numbering (戦術ナンバー) を 数字の桁に関係無く LZ 72 (LZ42 + 30) と 表記する事で 区別しています。
( LZ 126 というように 間にスペースを 入れない理由として、 LZ127 が 航空登録 (Registration) D-LZ127 としている事に合わせる意味もあります)


The successful airship

そして、 ロンドン/ベルサイユ条約などによる、飛行船の規制や建造禁止から開放後に ドイツで満を持して建造されたのが LZ127 "Graf Zeppelin" です。
故に、LZ126 は 大西洋横断飛行の先行実験船として、 LZ127 建造に 貢献しました。 因みに、 LZ127 は 大西洋横断飛行の実用試験船として 建造され、 続いて計画される 営業船 (LZ129) 建造の布石となりました。

(欠番の LZ128 は LZ127 の 同型船を 予定していたようですが、 LZ129 建造計画が 決定して キャンセルになったらしいです)
(なお、同じく欠番の LZ122 と LZ123 は LZ121 の 同型船だったらしく 戦勝国の圧力により 計画消滅、 LZ124 と LZ125 は 謎が 多くて解りません)
(それから…、もっと以前の欠番 LZ115 〜 LZ119 は 軍用船で、 敗戦時に 未完成で キャンセルされたらしいです)

The post-Shenandoah-crash first airship , LZ127 "Graf Zeppelin"  Sept. 1928


LZ127 "Graf Zeppelin" , the dining room & the passenger cabin

LZ126 , LZ127

Number Length Diameter Volume Gas cell Dead weight Payload Power plant Max. Speed Date
LZ120 120.8 m 18.7 m 20,000 m3 12 cells 14._ t 9.6 t 250 HP x4 130 km/h 1919. 8
LZ121 130._ m 18.7 m 22,500 m3 13 cells 16._ t 11.2 t 260 HP x3 127 km/h 1919. ?
LZ126 200.0 m 27.6 m 73,680 m3 14 cells 35._ t 45.8 t 400 HP x5 126 km/h 1924. 8
ZR-3 200.0 m 27.6 m 73,680 m3 14 cells 35._ t 38.? t 400 HP x5 126 km/h 1924.10
LZ127 236.6 m 30.5 m 105,000 m3 17 cells 59._ t 60.0 t 550 HP x5 128 km/h 1928. 9
LZ129 245.1 m 41.2 m 200,000 m3 16 cells 119._ t 96._ t 1,200 HP x4 137 km/h 1936. 3
LZ130 245.1 m 41.2 m 200,000 m3 16 cells 114._ t 105._ t 1,200 HP x4 135 km/h 1938. 9
番号 全長 直径 容積 気嚢数 自重 搭載量 機関 速力 西暦

LZ126/ZR-3 の 搭載量は 浮揚ガスを 水素から ヘリウムへ 変更した際の浮力減少を 考証して 算出したものです。
この数値から 窺い知れる情報で LZ126/ZR-3 は 最初から ヘリウム・ガスで 飛行させる仕様の設計だったと 推測できます。
(推測の根拠は… LZ127 〜 LZ130 までの仕様設定で、 自重と搭載量を ほぼ同等の値にする設計が 成されている事です)

補足、LZ127 "Graf Zeppelin" の 容積に対する自重と搭載量の数値は 文献通り掲載しましたが、 水素の浮力は 1立方メートル当たり 1.1 kg なので 容積 105,000 m3 では 115.5 t となり、 自重と搭載量の合計値が これを上回るので 不自然です… 数値間違いなのか?算出基準が異なるのか?
もしくは… たぶん、空気と同じ比重の気体燃料なので搭載スペースの範囲内なら、 算出浮力以上でも 積み込めるからなのでしょう。

フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』 日本語版では LZ126 を LZ127 の 姉妹船と 解説していますが、それは 些か稚拙な誤認識であり、 LZ126 の 拡大発展型が LZ127 と 正しく認識すべきです。 当然、2隻は同型船でもありません。
(拡大発展型の逆の例で 、 この時期 日本が イタリアから購入した N3 半硬式飛行船の 海軍 第六航空船は N1 "NORGE" の 廉価版縮小型です)
(ところで LZ127 を LZ126 の 拡大発展型 とするのは 2隻の間に大きな技術革新がある為、 単なる拡大型 でも 拡大改良型 でも ないのです)

Both of  side view (General Arrangement) are the same scale.

↑同一縮尺で 2隻の側面図(一般配置図)を 並べてみた、 この2隻を 姉妹船と呼ぶのは 幾分無理がある事が 解ると思う、
確かに 船舶の世界では 同じ船会社に所属する客船で 総トン数や 全長/全幅も 微妙に異なる 姉妹船は 存在したが…

Both of  side view (General Arrangement) are the same scale.

↑同一縮尺で 2隻の側面図(一般配置図)を 並べてみた、 この2隻は 準同型船であり 問題 無く 姉妹船と呼べる例です。

なお、 LZ127 の 船名 "Graf Zeppelin" は "Ferdinand Graf von Zeppelin" (人名)に因む命名で 「愛称」では ありません。
(フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』日本語版では LZ127 の 船名を 「愛称」 としていますが、 これも稚拙な誤認識です)
(愛称とは 別名を意味する言葉であり、第二次大戦後 初の日本籍飛行船 JA1001 は 船名が 「飛竜 」 で 愛称(通称)が 「 キドカラー号」 でした)

【 Ferdinand Graf von Zeppelin 】フェルディナント=フォン・ツェッペリン伯爵 、 ツェッペリン硬式飛行船の発明者にして事業創始者 1838年〜1917年


当時の日本のメディアで LZ127 "Graf Zeppelin" は ツェッペリン伯号 もしくは ツェ伯号 と 省略して表記されましたが… 、 今日では グラーフ・ツェッペリン と 原語の発音を カタカナで 紹介される事が 多いようです。

当Webでは 日本語の読めない欧米人が見ても 何となく Web上の記載内容が 想像できるように 半角英数 ドイツ風表記で
LZ127 "Graf Zeppelin" と表示し、昔風日本語表記の ツェッペリン伯号 も 混用しています。

尚、本音は LZ127 "Graf Zeppelin" の 表記ではなく 下記のようにしたいのてすが…

Luftschiff  LZ127 Graf Zeppelin
<p align="center">Luftschiff &nbsp;LZ127 &#8222;Graf Zeppelin&#8221;</p>

エンコードの関係なのか?日本語環境で表示すると、 半角 囲み記号の前後セット 「記号コード &#8222; 」 と 「記号コード &#8221; 」 の片方、
後の 半角 囲み記号の 「記号コード &#8221; 」 が 全角の 「 ” 」 に 字化け してしまうようです。 (厳密な 原語版表記は 下枠内↓なのですが…)

上枠内↑の囲みは 「日本語 HTML エンコードのページ」に 窓を開けて、 「英語/西ヨーロッパ言語 HTML エンコードのページ」を 嵌め込みました。
当然として、 「多国籍言語 HTML ユニコード」 も 試しましたが… 日本語環境で表示すると… やはり、 「 ” 」 に 字化けするので 無意味でした。

これは… 駄目駄目な某日本語版ソフトの 大量にある バグ (bug /欠陥,不良箇所) の1つ だと 思うのです。
日本語版ソフト開発者は 愚かにも 前後一組の囲み記号の 後側だけ 日本語全角フォントに 関連させるなんて、お馬鹿な設定を するものです。


the cover-cont , peel off  the stabilizer , emergency operations


LZ127 ツェッペリン伯号は 完成間もない 1928年に 大西洋無着陸横断で訪米しますが、
その飛行中、悪天候に遭遇して 水平安定板の外皮が剥がれる事故を起こし、
大西洋上を飛行しながら 応急処置を施して、米国に 到着しました。


LZ127 "Graf Zeppelin" , Phase:1 , first flight  cross the Atlantic Ocean

米国で 外皮の修理中、この2隻が 並んで格納庫に収まる写真が 今日に 残されています。
(将来性を見据えて建てられた、この巨大格納庫でも 次世代飛行船では 手狭になってしまうのです)
格納庫の長さ方向へ 奥行きいっぱいまで占有する LZ127 ツェッペリン伯号に対して、
ロサンゼルス号 (LZ126) は 小型 blimp 2隻も 同時に収まる 余裕が この一連の写真から確認できます。


USS Los Angeles & "Graf Zeppelin" in the hangar (Lakehurst)

さて、この ツェッペリン伯号は 上記写真の北米飛行の他に 有名な世界周回飛行で 日本にも飛来して、 科学調査と冒険イベントを兼ねた 北極飛行や エジプト飛行も 行っており、 今日で言う 華やかな クルーズ客船みたいにも 感じますが……、 南米飛行では 地道に 年間幾度も往復して 空の定期航路開拓も していました。 LZ127 ツェッペリン伯号は その就役中に 1人の死亡事故も起こさず、 旅客用飛行船としては 最も成功を収めた飛行船として 歴史に その名を残しています。

LZ127 "Graf Zeppelin" , Phase:2 , go around the world etc.

世界周回飛行、北極飛行の頃は 垂直安定板下部を 延長して 下部方向舵を 拡大していました

ツェッペリン伯号については 気体燃料の採用や業績など 他にも多くの特筆すべき事柄がありますが、 それは 多くの文献や 他のWebでも紹介されている事なので ここでは ざっくりと 割愛致します。
(どちらかと言えば、 多くの文献類には 文章で明記されていない事柄を 考証して 紹介する事を ここの主軸にしています)

LZ127 "Graf Zeppelin" , the port side , the Swastika marking version-1


ナチス・ドイツ時代の初期、 左舷側は ナチス・ドイツの 鉤十字マーキング↑
LZ127 "Graf Zeppelin" , the starboard side , the German Empire flag marking

↑ナチス・ドイツ時代の初期、 右舷側は ドイツ帝国時代の国旗を 三色マーキングしていました

 

LZ127 "Graf Zeppelin" , the Swastika marking version-2


その後、左右舷ともに 垂直安定板への マーキングは ヒンデンブルク号と 同じ図柄に 変更されました

LZ127 "Graf  Zeppelin" ( flighting ) , LZ129 "Hindenburg" ( landing )

 

LZ127 "Graf Zeppelin"

LZ127 "Graf Zeppelin"

LZ129 "Hindenburg"

LZ129 "Hindenburg"  Mar. 1936

( LZ127 "Graf Zeppelin" は) 【旅客用飛行船としては 最も成功を収めた飛行船…】

国内航路と 近隣国への訪問に 限定されますが、LZ120 "Bodensee" ボーデンゼー号もまた、 就役中に 1人の死亡事故も起こさなかった飛行船です。
言い換えると…、
黎明期のドイツ帝国時代を含めても ドイツの旅客用飛行船で 死亡事故を起こしたのは 唯一 LZ129 "Hindenburg" ヒンデンブルク号 1隻だけです。

 


The technological revolution on the streamline

流線型の観点から見た、船型の技術革新

 

黎明期のツェッペリン硬式飛行船は 細長い 円筒形の船体の 前後だけを 窄ませて少し丸めた 擬似流線型で 建造されており、 お世辞にも 空力的に 洗練された 船体形状とは 言い難いものでした。

Zeppelin , "D" Class , LZ 6

ツェッペリン D級、LZ 6

Zeppelin , "E" Class , LZ 8 "Deutschland"

ツェッペリン E級、LZ 8 ドイッチュランド

Zeppelin , "F" Class , LZ10 "Schwaben"

ツェッペリン F級、LZ10 シュワーベン

Zeppelin , "G" Class , LZ13 "Hansa"

ツェッペリン G級、LZ13 ハンザ

Zeppelin , "H" Class , LZ17 "Sachsen"

ツェッペリン H級、LZ17 ザクセン

第一次大戦開戦直前から大戦中期までは ツェッペリン飛行船よりも 新参の シュッテ・ランツ飛行船の方が 空力的に優れた形状の船体 ( Cruciform tail assembly , Streamlined shape hull ) を 建造していました。

Schütte-Lanz , S.L.I. ( Cruciform tail assembly , Streamlined shape hull )

S.L.I. は 2種類の楕円を 前後で繋いだ、当時としては 画期的な形状ですが 構造が凝り過ぎ、
S.L.II. 以降は 大きな容積の確保と 生産性向上のため、平行な直線部が 採用されたようです。


Schütte-Lanz , S.L.II. , Practical airship

シュッテ・ランツ S.L.U (他に同型船無し)

Schütte-Lanz , S.L.3. type , Mass production airships

シュッテ・ランツ S.L.3.型 (同型船全3隻)

vs. Zeppelin , "M" Class

同時期の ツェッペリン飛行船は "H/K" Class modified model (H/K級改良型)で、
既に旧式となった M級 が 主力でした。

模型を使った風洞実験を積み重ねて、 ツェッペリン飛行船の 空力的形状が 飛躍的に改善されたのは 第一次大戦中の事です。 より大型化した L10型は 海を渡って英国の島々へも出撃できるようになりました。 しかし当時は 格納庫の大きさによる制約もあり、 なかなか空力的に理想的な形状で 船体を建造する事が できませんでした。

Zeppelin , "N" Class , Z XII (LZ26)

Experimental airship on cruciform tail assembly

Zeppelin , "O" Class , L 9 (LZ36)

Experimental airships , "N" Class refine model

Zeppelin , "P" Class , L10 (LZ40)

Mass production airships , "O" Class diameter expansion model

第一次大戦の中期までは 空力的に優れていたとはいえ、
木製骨組の シュッテ・ランツ飛行船が 金属製骨組の ツェッペリン飛行船を 性能で 脅かしていたとは 驚きです。
(木製骨組と言っても 天然木材ではありません、「航空ベニヤ」 とも呼ばれる veneer 合板です)

なお、格納庫の大きさによる制約とは 格納庫の長さは 増築により伸ばせても、 格納庫の 幅や高さは 建て替えなければ 大きく拡張できない事に 起因します。
(シュッテ・ランツ飛行船は 新参/後発の強みで、 建造所の格納庫が 先駆者の他所より大型だった事が 有利に働いたようです)

Schütte-Lanz , S.L.6. type

S.L.6. 型 (同型船全2隻) 完成直後だろうか? 船体に マーキングされていない写真 上、 下は S.L.8. 型 (同型船全10隻)

Schütte-Lanz , S.L.8. type

この頃まで シュッテ・ランツ飛行船は 木製骨組でしたが、 ツェッペリン飛行船 L10型や L20型を 凌ぐ性能でした。

そんな ジレンマの中で、未だ理想と現実の 折衷案ではあるものの、 画期的な船体形状の新型船が 登場しました。 それが L30型で Super Zeppelin とも呼ばれる 従来のツェッペリン飛行船を超える 新シリーズの 超大型超快速飛行船群です。
(文献によると 初期の戦闘機よりも 速かったらしいのですが、 当時は 飛行機の進歩が目覚ましく、 速力で追抜かれ 高高度へ逃れる選択をしました)

Zeppelin , "R" Class ( L30 type ) , L31 (LZ72) , Super Zeppelin



次世代の スーパー・ツェッペリンは ハイトクライマーと呼ばれる 高高度飛行船へ 変貌してゆきます。

当時は 格納庫の限られた大きさによる制約と 戦時中であるが故 より高い生産性を要求され、 どうしても 直線的平行部分を 船型に取り入れる必要がありました。 しかし 単純に 楕円流線型と 平行部分を 直接繋ぐと 空力的な滑らかさが 損なわれてしまいます。 その為 ある一工夫(ひとくふう)が 必要でした。

側面図を前後圧縮して、楕円部分が真円になるように画像処理すると解り易くなります。 圧縮図を レーシング・サーキットの オーバル・コースのように見立ててください。 直線部と単一円周の接続では 直線から突然に旋回を開始する事になりますが、 テーパード・ブレンディングでは この接続部に緩い旋回率の導入部を挿入した感じです。
(参照リンク: L30型 "Super Zeppelin" の流れを汲む特徴、テーパード・ブレンディング楕円流線型)

the tapered blending elliptical streamline


←クリックすると【未確認情報】が開きます。

この テーパード・ブレンディング楕円流線型の ツェッペリン S級ハイトクライマーと 平行部へ 楕円を繋いだ だけの流線型の シュッテ・ランツ S.L.20.型 を 見比べて、 その流線型の違いが お解り頂けるでしょうか?… シュッテ・ランツも 金属骨組の S.L.20. (同型船全3隻) では 同時期の ツェッペリン飛行船の性能を 遂に超える事が できなくなったのです。

Zeppelin vs. Schütte-Lanz , "S" Class vs. S.L.20. type



画像を 前後圧縮すると 船型ラインの違いが 解り易いと思います。

S Class Height-Climber , L42 type

この改良された楕円流線型は ドイツ帝国の敗戦後に建造された 旅客用飛行船 LZ120 ボーデンゼー号で 格納庫の制約から解き放たれて 理想的な流線型として具現しました。 何故なら、膨大な搭載能力を 要求されていた軍用飛行船は 格納庫内いっぱいを占有する巨体が 必要とされていたのに対して、ボーデンゼー号は 極めて小型で 済ませた為、 格納庫の縦横比に 影響されず 理想的な流線型が 実現したのでした。 それは 従来の常識を覆す 短くて ずんぐりした船体でした。 当時の感覚では 奇妙な姿の ボーデンゼー号は 最高時速 130q の速力を 発揮した 小型高速飛行船だったのです。
(僚船 LZ121 に 合わせて 搭載能力強化の為、 後に 船体が 延長されると 登場当初の寸詰まり感は 少し薄れます…)

These side view (General Arrangement) are the same scale.

LZ120 "Bodensee" , Passenger airship



LZ121 "Nordstern" , Passenger airship

画期的な ボーデンゼー号の 登場は 時代遅れとなった 英国の飛行船建造に 影響を与えました。
(戦時中の設計となる R.32. / R 33 / R 34 / R 36 / R 38 / R 80 は  ボーデンゼー号の 性能を超えるどころか 参考にした原型にも劣りました)
英国飛行船史に 突如として登場する寸詰まり硬式飛行船 R 101 と R-100 は ボーデンゼー・ショックの 現れでしょう。

尚、船型に楕円流線型を取り入れた飛行船の正確な側面図は 面白い事に パソコンの画像処理で 適度に前後圧縮すると 真円と一致する部分が 現れてきます (幾何学的原理上、当然の結果なのですが… やはり面白く感じてしまいますね)
また、平行な直線部を有しない 短胴単一楕円流線型では 可愛らしく まん丸な タマゴ飛行船の姿になります。

H.M.A. R 101 & R-100 , the elliptical streamline


the compress side view , agreement the circle

さて、英国の R 101 や R-100 と 登場の順番が 逆の解説になってしまいましたが…
側面図を 首尾線方向へ 前後圧縮すると判るように、 LZ126 の船体に 平行な直線部は ありませんが、 単一の楕円流線型ではない テーパー部が 取り入れられた Super Zeppelin 型特有の船体ラインの流れを汲む 最後の飛行船です。

船型から察すると LZ126 は 船体を切断して隔室を追加する事で 搭載能力を増やせる余地が あった、 と 言えるでしょう。
(隔室の追加を R 101 や R-100 で 実行するには 単純な隔室の挿入では ラインが崩れ、 R 101 の実例が如く 広範囲に 作り直す必要が 生じます)
(ツェッペリン飛行船の場合、歴史的に幾度も 原型モデルの延長や短縮により、 その時々の要求に合わせた仕様変更を行ってきた実績があります)

LZ126 , the compress side view , agreement the circle


しかし、 LZ126 の 拡大発展型である LZ127 では 側面図を 適度に前後圧縮しても、 真円と一致する 船体ラインは 出現しません。 LZ127 は 従来の楕円とは 根本的に異なる 幾何学曲線を 採用した船型だったのです。

LZ127 , the compress side view , un-agreement the circle


LZ127 が採用した幾何学曲線スーパー楕円と 称されているもので、 楕円の数式で2ヶ所ある 2乗している部分の2 (指数と言う)を 別の数値に 置き換えると描かれる図形なのです。 (楕円の数式で 係数 a=b の場合は 真円になります)

     
     
The super-ellipseshape
 

LZ127 に 続いて建造された LZ129 でも 船型に このスーパー楕円が 採用されました。
余談ですが、某○○○社の 某プラモデルでは 金型設計者が 不勉強なため、 残念な事に スーパー楕円が 模型で再現されていません…、
飛行機モデルで例えるなら P-51 Mustang (マスタング) に 層流翼が 再現されていない事と 同じです。
また、船尾の骨組みも稚拙な間違いで製品化されていて、 一応 購入しましたが 悲しいです。

LZ129 , the compress side view , un-agreement the circle


船型に スーパー楕円が 採用されているや否やという違いにより、 LZ126 と LZ127 の間には 隔世の隔たりが 存在するのです。 LZ127 は LZ129 と 同質 幾何学曲線の 船型なのです。
この事実が フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』日本語版で、 LZ126 を LZ127 の 姉妹船と 解説するとは 些か稚拙な誤認識であるとする 最大の理由です。 (船体のラインを 幾何学的性質から見た場合は LZ127 と LZ129 が 姉妹関係とも言える)

The technological revolution on the streamline

Classify the postwar Zeppelin into two groups by the streamline.

These side view (General Arrangement) are the same scale.

では何故?、船型に スーパー楕円が 採用されているや否やという違いが 隔世の隔たりに成る程 重大な事柄なのかを 説明します。 それには 普通の楕円流線型が 採用されていた R 101 と スーパー楕円流線型 が 採用された ZRS-4 とで 比較するのが 解り易いと 思います。
余談ですが、 amt 社のプラモデル 1/520 AKRON/MACON は 古い金型にも関わらず、 スーパー楕円が ちゃんと再現された優秀なキットです。
でも 時代背景から、表面処理の canvas 表現が いささか諄いのは 致し方ありません。

H.M.A. R 101 ( after extension )

H.M.A. R 101 ( after extension ) &  USS Akron ( ZRS-4 )

Both of side view (General Arrangement) are the same scale.

USS Akron ( ZRS-4 )

Number Length Diameter Volume Gas cell Dead weight Payload Power plant Max. Speed Date
R 101 236.8 m 40.5 m 156,000 m3 17 cells 118._ t 49._ t 585 HP x5 (114)km/h 1930. 9
ZRS-4 239.3 m 40.5 m 184,000 m3 12 cells 113._ t 73._ t 560 HP x8 128 km/h 1931. 8
番号 全長 直径 容積 気嚢数 自重 搭載量 機関 速力 西暦

この2隻は データ表を 見比べれば判るように、 ほぼ同じ 全長/直径の 飛行船です。 ですから 自重も 約100トン強と 近似しています。 そして、使用する格納庫の大きさも 同じ規模が 必要となります。 でも しかし、 この2隻の 容積を 比較すると 15万立方メートル級と 18万立方メートル級という 最大浮力に 大きな開きが存在して、それはそのまま 搭載能力に 多大な影響を 与えます。 もしも、R 101 が 船型に スーパー楕円を 採用していたなら、 搭載能力不足で悩まずに済んだでしょう。

スーパー楕円とは このように 限られた船体規模で 最大限の浮力を得られる 注目すべき 技術革新 だったのです。
(たぶん、 スーパー楕円流線型は 楕円流線型よりも 空気抵抗が 少し大きいと 思われますが、 その不利を上回る利が 多大な浮力増加に あるのです)

 

 


米海軍 シェナンドア号 空中分解事故を 教訓にした 構造上の改良

LZ126  in 1924 Aug. (builder : L. Zeppelin GmbH)

The pre-Shenandoah-crash last airship

LZ127 "Graf Zeppelin"  in 1928 Sep. (builder : L. Zeppelin GmbH)

The post-Shenandoah-crash first airship

    LZ126 & LZ127 , skeleton

( conventional keel & inner keel innovation ! )

船体下部だけに 竜骨が通る 従来型 最後の硬式飛行船 LZ126 に 対して、
浮揚ガス気嚢の下に 気体燃料用気嚢を 装備した LZ127 ツェッペリン伯号、
船体内部を縦通する 新たな骨組みは 自動弁の 点検にも 利用される。
(自動弁点検のためだけなら、 下の竜骨から 垂直に トンネルを 立てた方が 重量節約になる)


Epilogue

Anti-Sagging structures

 

H.M.A. R 101 G-FAAW  in 1929 Oct. (builder : Royal Airship Works)

The post-Shenandoah-crash second airship

H.M.A. R-100 G-FAAV  in 1929 Dec. (builder : affiliated with Vickers)

The post-Shenandoah-crash third airship

USS Akron ( ZRS-4 )  in 1931 Aug. (builder : Goodyear)

The post-Shenandoah-crash birthplace airship

LZ129 "Hindenburg"  in 1936 Mar. (builder : L. Zeppelin GmbH)

考証 research (C)SA-ss 2010-8/22


Airships spec table »