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台湾的老樹  平成11年7月12日

 7月11日〜15日の間、台湾に行ってきた。
 台湾でも巨木を見たいと思い、『最後の巨樹たち』で台湾の巨樹を紹介している写真家の吉田繁さんにメールで問い合わせ、親切に教えて頂いて出発した。
 計画も立てず台湾に降り立って、巨木に出くわすことなどずだい無理な話であった。時間をつくり、せめて阿里山に登って、有名な紅檜神木だけでもみたいと、嘉義市の駅前で7月12日朝7時10分のバスを待っていた。ところが前夜の熱帯低気圧で道路が不通になっていることが判明し、バスが出なくなってしまった。登山鉄道は通じていたようだったが、登山鉄道では本数が少なく、当日に戻って来るのは難しく思われ、涙を呑んだ。
 代わりに台南市に行き、観光地を巡った。台南は歴史の町というから巨木にも会えるかも知れないと思ったからだ。安平古堡・赤嵌楼・大南門址・孔子廟などを周り、何本か名も無い巨木に会って来た。写真は台南市の孔子廟で撮影した榕樹(ガジュマル)で、幹周り推定8mほど。細い幹が束になって一本になったような幹で、太さの割には樹齢は100年も経っていないかもしれない。
 夕方、本屋さんに行き、台湾の巨木を紹介した本を2冊買って来た。「巨木関連書籍の紹介」で紹介している 「台湾老樹之旅」及び「台湾的老樹」という本である。
 ところで拙宅の近くを走る「大井川鉄道」は「阿里山森林鉄道」と姉妹鉄道になっていることを台湾まで出かけて初めて知った。

台南市孔子廟の榕樹


八街(やちまた)のケヤキ  平成11年6月5日

 5月に高校時代からの友人が急死して、千葉県の八街まで行ってきた。53歳という早世で大変つらい葬式であった。
 帰りの電車を待つ時間に、八街駅近くの八街農林保育公園で待ち時間をつぶした。広い芝生の公園のほぼ真ん中に、目測で幹周4m位のケヤキの巨木が青空に大きく枝を広げていた(写真)。ケヤキの巨木の下では5月の日差しのもれる木陰に敷物を敷いて、幼児を連れた若い家族が一組くつろいでいた。広場の周りは公園を縁取るように、ケヤキや杉の巨木・大木がぐるりと並んで立っていた。木立からは小鳥のさえずりがさわやかに聞こえる。何とも穏やかな一時に、沈んだ心が癒されていくような気がした。
 千葉県八街市は農業の開拓地として発展してきたところ。八つの街が一つになって「八街」という。公園の巨木・大木は開拓前から生えていて切り残されたものであろう。
 1時間ほどの間にこの公園で憂いのほとんどを洗い流して帰って来た。
八街農林保育公園のケヤキ


巨木の生育場所は?  平成11年5月10日

 まだ巨木に目覚めない時代、巨木は人里離れた山の中にひっそりと生育しているとぼんやりと思っていた。屋久島に行ったとき確かに山の奥深くに苔むした巨木を見た。しかし、巨木を巡るうちに決して山奥に巨木があるわけではないと知った。特に静岡県は背後に南アルプスという奥深い山を持っていながら、山の中にはほとんど巨木がない。まだ発見されていないものもあるのかもしれないが。
 歴史を紐解くと江戸時代、江戸で大火事があるたびに南アルプスの山の木は切られ、切り尽くされたという。紀伊国屋文左衛門の活躍した時代である。さらに明治になって文明開化とともに、材木としての需要に応えて木は切られ続けた。昭和になって消耗戦と言われた太平洋戦争で都市は焦土と化し、山は禿山になった。つまり、山に生育する木は木材として考えられ、次々に切られていく運命にあったのである。
 そこで『静岡県の巨木153本』の巡礼で、実地に調査した結果を踏まえて、それぞれの巨木がどんな環境下に置かれているのかを集計してみた。以下その結果である。

場所\樹種
クスノキ
スギ
イチョウ
カヤ
カシ
マツ
イヌマキ
神 社
29
17
-
-
10
68
 寺 
10
31
 山 
-
-
-
-
15
民 家
-
-
-
11
学 校
-
-
-
-
-
-
公 園
-
-
-
-
-
墓 地
-
-
-
-
-
-
 他 
-
-
17
 計 
34
31
15
10
43
153


 巨木が神社仏閣に多いと承知はしていたが、これほど集中しているとは想像していなかった。神の依代、ご神木、お手植えの木、あるいは記念樹として強力なバリアが張られていないと、木は生き残ってはいけなかったのであろうか。時代時代に伐採される危険を孕みながら何とか生き残ってきた巨木の前に立つと、人々を畏怖させ斧を入れさせなかった何かを感じる。巨木の持つ独特の相貌が感じさせるのか、材木として使用出来ないほどの性の悪さが伐採をためらわせたのか、その両方なのであろうか。
 樹種別ではクスノキはほとんどが神社にあった。スギも神社に多い。カヤはなぜか神社にはなくお寺に多い。お寺や民家ではカヤやマキが多い。山にはやはりスギが多い。そんな特徴にはそれぞれに理由があるようだ。クスノキやスギは大きく高く育つから、神の依代やご神木に適樹であろう。カヤは実が貴重な食料になり、マキは生垣や風除けに適樹である。





失われた巨木  平成11年5月1日














   立ち枯れる『富士見の松』(修善寺町)
 静岡県の巨木を巡り始めて四年、当初目標にした153本をほぼ巡り終えた。巡る間にはるばる尋ね当てた巨木がすでに失われていたことが数回あった。地元の方に「何年か前まで確かにあったのに来るのが遅かったね」と聞く。そんなことに出くわすほど残念なことはない。選ばれた巨木はおおむね地域々々で大切にされていて、徒に伐採されてしまうことはまずない。しかしどの巨木も天寿を全うした訳ではない。静岡県で160本ほど巨木を見に行き、失われていた巨木は10本に及ぶ。
 失われた巨木を書き出してみると、
 生き物だからいつか死を迎えるのは当然のこととはいえ、何百年も生きてきた巨木が高々数十年の、人の一生の間に幾本も消えていくのを見るのは大変つらいことである。その原因が人の営みの中から出たとするならば、なお耐えられない想いが残る。
 今後もそんな想いを抱きながら、巡礼を続けていくであろう。



始まりは縄文杉  平成9年4月20日
 平成4年9月、会社の先輩と縄文杉を見に屋久島へ行った。4時間の歩行の間に、たくさんの屋久杉を見てその大きさに驚いたりあきれたり、そして縄文杉に会った。森の中で、他のどの屋久杉よりも桁外れに巨大に生きていた。まだ若々しい木肌の、壁のような幹に触ると、数千年生きてきた巨木から、命が流れ込んで来るような不思議な感覚に打たれた。
 その後、図書館で静岡県の巨木を調査した本を見つけ、静岡県内にも巨木が随分存在することを知った。その本の中で、代表的な巨木として、写真と地図が付いた153本の巨木について、早速、所在地を国土地理院発行の2万5千分の一地図に落とし、会社の先輩3人に呼びかけた。「巨木を見に行こう!」と。
    縄文杉(屋久島)

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