(学徒出陣12)
戦争とは〜特攻と戦争〜
伊藤先生のほうから私が戦争についてどう考えているかというお話がありましたので、一応まとめてみたんですけれども、戦争ってやつは国と国との戦いであって、人の殺戮である。戦争の原因がどんな原因があろうとも、戦争に大義はないと思います。特に非戦闘員を巻き込んだり、そういうときには非常にむごいことになりまして、悲惨です。アジア太平洋戦争ではだいたい2000万人の人が犠牲者になっているし、日本人も300万人死んでいます。今、交通事故で1年間に死ぬ人が1万人でも、非常にたいへんだと思うでしょうけれども、それが300万人、わずか4年間の間に死んでいるわけですね。これは非戦闘員を含めてですけれども、それだけの日本人が死んでいるわけです。
私は戦争を考える時には先ほどもいろいろ話出ましたけれども、特攻について考えないと戦争が出てこないわけなんです。というのも、特攻というのは本当に特殊なことであって、日本の歴史にもなかった。「決死」ということはあったんですね。死ぬのを覚悟でやるというのはありましたけれども、だけど最後には99%は死ぬかもしれないけれども、最後の1%は助かるというふうな可能性があったんですが、特攻ってやつは死ななければ任務が達成できない。非常に何というか残酷といいますかそういうふうなものなんですね。しかもそれが組織的に、継続的に行なわれた。私も1945年6月、敗戦の2ヶ月前なんですが、命令が来まして、航空特攻幹部要員という指名を受けたわけなんですね。いつ命令が来ても死ななきゃいけないな、と。どういうふうにして死ぬかっていうと、われわれの場合はグライダーの先っぽへ250kgの爆弾をくっつけて、ロケットでもって噴射して、それで向こうの船へ突っ込んでいく。だから、いったん離れたらそれでおしまい。もう信管外してありますからね。もう着陸することはできませんから。ただ飛行機の場合には、例えば沖縄へ突っ込む場合に、途中でエンジンがおかしくなって、不時着して連絡が取れなくて、戦死したと思ったら、1月も経って帰ってきたという人もいますけども、普通の場合だったら、もう飛行機で突っ込んでいけば、それでおしまいなわけです。
一番悲壮なのは、回天特攻隊といいまして、潜水艦へつんでいって向こうの船が見えたら潜水艦から自分がそれへ乗り込んで、上から閉めてもらって、だからもう自分では絶対出ることはできないんですね。それで発進と。そのまま向こうの船へ突っ込む。だからもし船から外れてしまってもおしまいなわけですね。そういう特攻が一番、これは必ず確実に死ということがついてまわるわけですね。ですからとにかく特攻は「統率の外道」といわれましたけれども、日本が末期的な症状になってきてからはもうそれ以外にないというふうなことで、飛行機だけでなく今言ったような潜水艦でもそうですし、一番悲劇なのは戦艦大和のようにあんな大きな船でやられるのわかっていながら沖縄へ突っ込んでいった。3000人もの人が一挙に亡くなった。いわゆる水上特攻なんですが。こういうふうな特攻を巻き込んだ戦争というものは非常に悲惨だと思います。
日本に平和がよみがえって55年になりますけれども、こういった尊い犠牲というものがだんだん忘れがちになって、戦争の実態もなんか切実には考えられなくなっていますけれども、とにかく戦争というものは非常に恐ろしいと、苦しいし、悲しみのともなうものである。こういうふうなことを考えると、人間は闘争の歴史というものを繰り返し、今でも殺し合いを世界のどこかでやっているというふうな状態ですけれども、戦争というものはあってはいけない。憲法第9条の、戦争をしないということの重みを、私どもはしみじみ実感としてわいてくるわけです。