(学徒出陣6)


中学校教育


 今度は中学へ行くとさあたいへん。軍事教練が主力になってくるわけですね。そうすると、静岡連隊から配属将校が各学校に配属になっておりまして、教練の時間というのがあります。これが5年間。1年の時は鉄砲持ちませんけれども、2年になると鉄砲をもつ。2年、3年、4年、5年と4年間で執銃教練。ここへも書いてありますけれども、軽機関銃と、擲弾筒というのは弾を前から入れてドーンと撃つやつです。手榴弾というやつはこうやって安全ピンをはずして投げるんですが、そういうやつをやる。それこそ笑い話ではないんですが、手榴弾で一番飛ぶのは野球部なんですね。野球部の連中はビューンと飛ぶと40mから50mぐらいいっちゃうんですが、普通の人はそんなにいかないわけです。そういうふうな訓練をやりまして、年に1回は商業、農業、工業と連合でもって野外演習、あるいは夜間訓練でもって久能街道をずっと行って夜中歩いて、明け方に静岡商業と対峙するとかという訓練をやりました。
 それから戦争が激しくなってからは修学旅行、当時京都とか九州とか行ってたんですが、それが中止になりまして、そのかわりに今自衛隊があります御殿場の板妻に入れ流して、宿泊で軍事教練をやって、最後に徹夜でもって教練をやってその足で富士山へ登るということをやらせられて、富士山へ登ったけれども、みんなフラフラになって帰りに雷雨に遭ってバラバラになって遭難一歩手前まできたんですけれども、そこでもって落伍した者は軍隊へ行ってもものの役に立たないから幹部候補生としてはダメだ。というのは当時教練の成績が悪いと学校落第しちゃうんですよね。他の学科では、昔は甲・乙・丙・丁ですよね。1・2・3でも、優・劣・可でもなく、甲・乙・丙・丁なんですが、「丁」をとると落第なんですよ。ですから静岡中学でも一緒に勉強していた連中でもだいたい3人か4人ぐらいは落第して、もう1年やり直しというのがあるんですが、教練が及第点にいってなければ文句なしに落第なんですね。ですから非常に教練というのは重要視されて、まして軍隊に行くと、中等学校以上を出た人は幹部候補生となる資格、受験資格があるんですが、そのときの教練の成績が非常に左右するもんですから、富士登山でもって落伍する者は幹部になる資格がないというふうにやられて、落第させられる一歩手前までいったんですが、そういうふうに教練を重視したわけです。
 そういうふうな教育を受けていたもんですから、だいたい中学卒業するころは1個小隊を指揮できる小隊長として指揮できるような訓練はだいたいできていた。
 さらにその上、大学へ進む連中はさらにやるもんですから、中隊教練、大隊教練といって、もっと大勢の兵隊を動かす教練をやるわけなんですけど、軍隊へ入れば、いずれにしてもすぐに使いものになるというふうなことで、これがひとつはさっき言いました学徒出陣につながってくるわけなんです。

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