(学徒出陣8)


真田さんの学徒出陣


 私はその時に、陸軍の方からも通知がきましたけれども、たまたま海軍の募集があったもんですから、海軍を受験してみたら、合格したもんですから、海軍へ行った。ところが、われわれが海軍へ入ったときには、もうすでにガソリンはない、飛行機はない。だから訓練をしたくても、訓練ができないわけですね。ですからもうしょうがないから、グライダー、あれは人力、あるいはせいぜい自動車でもって引っ張る。それはできるもんですから、グライダーでもって訓練をやっておりましたけれども、日本はだんだんおいつめられたというふうな状態になってきたわけです。
 そこでその当時、海軍の飛行科の予備学生について、私もその1人なんですが、そこにちょっと書いておきましたんですけれども、ミッドウェーでもって先ほども申し上げましたけれども、2000時間以上のベテランの、ハワイをやった連中がほとんど全滅してしまったために、搭乗員が減ってしまった。まして、海軍兵学校というのは士官になる学校だったんですが、そこの連中も消耗が激しくて、もうその連中だけでは指揮官が間に合わないというふうなことで、全国の大学に対して飛行科へ呼びかけて、「みなさん『志願』してくれ。海軍はみなさんを必要としているんだ」というふうなことで、募集をかけたところだいたい3万以上の志願者があった。その中でだいたい4700人を飛行科でとって、それからそれが9月なんですが、3ヶ月経って学徒出陣で海軍に入った連中の中からから1900人。生徒というのは在学しているのを生徒、学生というのは卒業見込みの者なんですね。生徒を1400名、合わせて計8000人。これを昭和18年に飛行科予備学生としてとったわけです。
で、猛訓練やって、せいぜいそれでも1 00時間。飛行時間100時間といいますと、離着陸がやっとできる程度。空戦でアメリカのグラマンと戦う技量なんてぜんぜんないんですけれども、離着陸がやっとできる程度の人たちが台湾沖航空戦から、レイテ沖から、それから沖縄ですね、そこへ突っ込んでいった。

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