はやし浩司

2002・1〜4
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  はやし浩司

2002年1月〜4月
4・30
 今日は朝から小雨。起きてすぐ、庭に隣接する竹やぶを見回る。先日、数本の竹の子をとっ
た。もうそろそろ孟宗竹の竹の子が出るはず。この竹の子がおいしい。しかし今朝見たところ、
まだ竹の子は出ていなかった。例年だと、5月5日前後に出るのだが、今年はやや早いかもし
れない。今日の雨で出るような気がするが……。

 今朝の朝食は、タイ料理のタピオカ。結構、おいしかった。少し油断をすると、すぐ体重が、6
8〜9キロまでになってしまう。そうすると、頭の回転が極端ににぶる。自分でもそれがよくわか
るから、「思想」には、肥満は禁物と思っている。(とくに私は低血圧なので、その影響がモロに
出るらしい。)

 このところ毎日のように、あちこちの読者から、「ここがまちがっている」「あそこがおかしい」
という批判のメールが届く。ありがたいことだ。こういう批判があるから、私はまた勉強しなお
し、さらにこのサイトを充実させることができる。読者の皆さん、ありがとうございます。

 「縁」という古い言葉がある。私の世界では、この「縁」が重要なポイントとなる。縁があれば、
そこから教育が始まる。なければ、ない。いくらがんばっても、ないものはない。そういうもの。
そういうニヒリズムはいつもついて回る。しかしそのニヒリズムが、そのまま教育者全体がも
つ、大きなジレンマでもある。一方で、「(私と縁のない人のことなど)知ったことか」と思いつ
つ、「それではいけない」と思う。考えてみれば、いつもその戦いであるような気がする。

 しかしこのところ、「……だからどうなのか?」というようなものの考え方をすることが多くなっ
た。「いい生活をしたら、だからそうなのか」と。駅前のデパートへ行くと、豪華な大理石の上
を、きれいに着飾った若い女性が歩いている。そういうのを見ても、「だからどうなのか?」と考
えてしまう。きれいな家や庭を見ても、そう考える。日本人は、考えてみれば、この「だからどう
なのか」という部分がないまま、ただがむしゃらに金儲けをし、経済的発展をとげてきたように
思う。そのツケが今、一挙に噴き出しているような感じもしないでもない。私も今、こう考えてい
る。「こういうサイトを公開したからといって、だからそれがどうなのか?」と。これも初老性のう
つ病の一つの症状かもしれない。

 二男に、タイ料理の素材を買ったが、まだ送らないでいる。とにかく「辛い」ので、妊婦には食
べさせられない。女房が「送らないほうがいいのでは」と言っているので、自分で食べながら、ヒ
ーヒー言っている。今日もこれから午前中は、原稿書き。がんばります。では……。そう言えば
明日から5月ですね。

4・29
 きのうは山荘で、草刈(草刈機で)、雑木切り(チェーンソーで)、それに戸外の木製品に、ク
レオソートを塗ってきた。おかげで、今朝はあちこち筋肉痛。山荘では、一見小さく見える木々
も、切ってみると、山のようになる。スケール感がちがう。

 今年は、何もかも早い。もう梅は収穫できるし、きのう行ってみたら、野生のジャスミンがもう
花を咲かせそうな気配! 例年より2週間近く、はやいのでは。温暖化の影響か?

 昨日は夕食は、近くのラーメン屋で、長男と女房と三人で食べた。Tという店だが、意外とお
いしい。軽く食べたいときは、いつもそこで食べている。

 今日から月曜日。二男はワイフと、ボストンへ旅行すると言っている。ふと「ボストンって、どこ
だっけ?」と考える。ワシントンの近くだったかな? 私は行ったことがないので、どんなところ
か知らない。古きよきアメリカの雰囲気を残す町だと思う。

 子育てワンポイントが、300作になった。分量的には、約半分、終わったことになる。読んでく
れる人などいるだろうかという思いで、書いた。……書いている。どうかおいでください。「300
作」コーナーへ。

 トップページのデザインを少し変えた。私のトップページは、あまりこっていない。それは最初
にアクセスしたとき、開きやすくしているため。あまりこったページだと、開くのに時間ばかりか
かって、イライラすることが多い。そんなわけで、まあ、デザイン的には、おもしろくないトップペ
ージだと思う。

4・28
 昨日は女房と、ドライブをしながら、袋井市まで行ってきた。可睡斉と、「ユリの園」を見てき
た。お寺では、1500円の精進料理食べてきた。広い座敷でポツンと座って食べた。ユリの園
では、ユリが八分咲きといったところか。一面にユリが咲いていてきれいだった。ユリのみごろ
は来週あたりではないか。ユリの園の入場料は1000円だった。少し高く感じたが、今のこの
時期しか開館できないことを考えるなら、しかたないなと思った。池のコイにエサをあげたの
が、私には一番楽しかった。はははは。そこでとった写真を、トップページに載せた。

 帰ってきてから、可睡斉で買ったニンニクをむいて、それでサシミを食べた。サシミはワサビ
で食べるのもおいしいが、ニンニクもおいしい。そういう食べ方は、浜松へ来てから、女房に教
えてもらった。このあたりの人は、ニンニクでサシミを食べる。ほかの地方は知らないが……。

 子育てワンポイントが、あと少しで300作になる。このところ何かと忙しくて、思うように書けな
かった。300作が終われば、今度は目標は600作。子育てのありったけを、この600作にぶ
つけてみたい。ただしひとりよがりな難解な子育て論では意味がない。読んでくださるのは、こ
れから子育てという若い父親であり、母親なのだ。

 今日はこれから、DIY店で、クレオソートとか、いろいろ買って、山荘で仕事をしなければなら
ない。チェーンソーも、出したままになっている。何本か、大きくなりすぎた木を切るつもり。が
んばりましょう。どうもこのところ疲れやすくなった。「休みは家でゴロゴロしていたほうがよい」と
思うようになった。ああ、これはいけないことです。老人化のはじまりです。考えてみれば私も5
4歳。昔なら定年退職の年齢なのです。しかし私には退職はない。死ぬまでがんばるしかない
のです。人生をみんなより、2倍くらいは長く生きている感じ……。

 そうそうE-マガの読者がふえています。皆さん、どうも購読してくださり、ありがとうございま
す。ますますやる気が出てきました。おもしろいですね、この世界。

4・27
 昨夜「女性セブン」から連絡が入り、取材料をもらえるとか。今日の軍資金になるかも。あと
で女房とドライブに行くつもり。ははは。よろしかったら。「女性セブン」(5月9・16日号、現在
発売中)86−87Pをご覧ください。

 今朝はヒマだったので、Eマガを発行する。「エッセイ選集」を、このサイトに新設する。興味の
ある方は、どうぞ、おいでください。「エッセイ選集」へ。

4・26
 昨日、居間のソファの上で、うたた寝をしたのが、よくなかった。横になったときは、寒くなかっ
たが、途中で寒くなった。が、そのまま1時間ほど寝てしまった。これがよくなかった。おかげで
風邪をひいてしまった。夕方薬をのんだ。仕事から帰ったのが、夜10時ごろ。すぐ寝た。で、
今朝は8時ごろまで寝ていた。ということは、10時間も眠ったことになる。しかしまだ眠い。春
はそういうものか。

 頭がぼんやりとしている。血圧が低いためかもしれない。私のばあい、運動をしないと、ボケ
るタチのようだ。ところで、私は毎日、1時間ほど、自転車で運動をしているが、これは決して苦
痛ではない。私にとっては、楽しいのだ。「これから自転車に乗るぞ」と考えるだけで、どこかウ
キウキしてくる。そして自転車にまたがり、坂道をサーッと走り出すと、爽快感が身を包む。寒
い冬の日は、多少つらく感ずることもあるが、最初だけ。5〜10分も走っていると、体中がポカ
ポカと温かくなってくる。あとはいつもの爽快感。

 今朝は依存心について原稿をまとめる。「日本人の依存心」というタイトルで、一冊の本が書
けそうなところまで、内容が深まったように思う。しかしこんなタイトルでは、だれも本を買ってく
れない。そこで編集作業……ということになる。

 依存心と人格
 保護と依存
 依存と自由
 依存と服従など。テーマが次々と浮かんでくる。この問題はおもしろそうだ。日本の親たちは
総じて過保護。だから子どもの人格の「核」形成が遅れる。そのため高校生ぐらいになると、フ
ランスの高校生と日本の高校生は、おとなと子どもくらいの違いになる。大学生になると、その
差はもっと開く。これは民族性というより、育て方の問題。カナダで生まれ育った日系人の高校
生にしても、日本の子どもより、ずっと、おとなっぽい。

 いよいよ明日からゴールデンウィーク。予定はないが、山荘のまわりの草刈だけはしっかりと
しておこうと思う。あとは自宅の庭の草刈も。それにしても、今朝は頭がぼんやりとしている。き
のうの夕方、風邪薬をのんだだけだが、その影響か? 

 女房はパチパチと文字を打って、インターネットをしている。見ているだけで気がヘンになりそ
う。「かわりに打ってあげようか」と声をかけると、「練習だからいい」と。私は多分、話すより早
く、こうして文章が打てる。高校一年のとき、担任のT教師(英語教師)と、タイプを打つ速さの
競争をしたが、そのときですら、私のほうが勝ったぞ! では、仕事にもどります。昨日、U氏
が、東京のみやげとかで、あげパンを届けてくれる。「今夜中に食べなさい」と言ったが、食べ
られなかったので、あとで食べるつもり。ごめん!

4・25
 きのうは忙しかった。まあ、健康で無事仕事をこなしたが……。アメリカにいる二男のため
に、週刊誌を何冊か買ってくるが、まあ、何というか、お粗末な記事ばかり。J党の幹事長の醜
聞が載っていたが、読むに耐えないというか、……? どうせ浮気するなら、本気で、せよ。遊
びでしてはいけない。「この女性しか一生で一度しかない」という思いで、真剣に浮気せよって
んだ。そういう覚悟がなければ、浮気なんかするな。ほかに鈴木M氏や田中M氏の記事も出て
いたが、何というかお粗末。ああいうのが日本のリーダーかと思うと、自分がなさけなくなる。

 昨日、Nというカルト教団の信者たちが、私の家に勧誘にやってきた。それにしても、ヒマな人
たちだ。家事はどうしているのだろうと、へんな心配をしてあげる。本当に正しければ、信者は
そんな勧誘などしなくても集まる。しかもだ、彼らは「今に神の降臨がある」と言っていたが、彼
らの予言は、過去4回、ハズれている! そういう事実を私のほうがよく知っているというのは、
おかしなことだ。もう少し自分たちの教団の勉強してからおいで!

 今朝の私は過激なようだ。昨夜、恐ろしい夢を見たの悪かった。ときどき恐ろしい夢を見る。
内容は……、地球が温暖化になり、いよいよ人々の心が荒廃したという夢だった。とおりを歩
いていたら、狂ったような人たちが、自ら車に衝突したりして、自殺行為を繰り返していた。世
界の近未来か? 先週、東京でとうとう28度を記録した。「気象庁はじまって以来の記録です」
なんて、のんきなことを言っていたが、そんなのんきに構えてよい問題なのか。西暦2100年
には、気温が400度になるという説もあるんですよ!

 昨夜女房が、「明日、掛川へ行きたい」と行った。女房はドライブばかりしている。そのたび
に、私がつきあわされる。まあ、いいか。……と思いつつ、どうしようか迷っている。今朝、E−
マガを発行する。読者がふえているときというのは、当然のことながら、やる気が出てくる。

4・24
 昨日は、午前中ヒマができたので、女房とパルパル(舘山寺にある縁鉄の遊園地)へ行って
きた。園内はガラガラというより、駐車場にとまった車は私たちの車だけ。つまり客は2人だ
け。1時間ほどして、どこかの高校生たちが多分、遠足か修学旅行でやってきたが、それまで
は本当に2人だけ。

 入場料は4500円! ユニバーサルスタジオ(大阪)が確か5500円だったので、4500円
は高く感じた。

 で最初に乗ったのが、ジェットコースター(英語ではローラーコースター)。これがよくなかっ
た。360度回転が2度続く、過激なもので、おかげで気分が悪くなってしまった。で、午前中に
帰ってくるハメに。(観覧車とロープウェィには乗ったが……。)

 あのパルパルがユニーバサルスタジオと違うところは、「ソフト」がないこと。同じ「急流くだり」
にしても、スタジオのほうでは、それを「ジュラシックパーク」に仕上げている。同じような乗り物
だが、私は「ソフト」の重要性を強く感じた。ソフト(哲学)のない世界は、本当につまらない。そ
う感じた。

 今朝は昨日のよい天気とは変わり、曇り空。雨だという予想もあるが、わからない。今は朝
の6時半。これからやりたいこと、すべきことが2、3あるので、それをまず片づける。

 ところで新しい中学の教科書(英語)を見ていて気がついたが、いまだに「道路で道を聞く」と
いうのが、テーマになっているのには驚いた。しかしアメリカ人は、アメリカ国内でも、見知らぬ
人に声をかけて、道を聞くなんてことはありえないのです。(それともあなたはいまだかって、ア
メリカ人に道路で道を聞かれたことがありますか?)彼らはまず自分で地図を買う。その地図
を見て、行動する。通訳を雇うときは、はっきりお金を出して雇うが、そのときは、容赦なく質問
してくる。そういうことはあるが、道は聞かない。そういう国民性なんですね。自立しているという
か、依存心がないというか。アメリカ国内で迷子になったとき、私が「どうして通りの人に道を聞
かないのか」と質問すると、そのアメリカ人はけげんそうな顔をし、しばらく考えたのち、こう言っ
た。「あぶないから」と。「相手もこわがるから」とも言った。ナルホド!

4・22
 今朝は朝、5時頃目がさめた。気持ちのよい朝だ。こういうときは早く起きて、仕事をするの
がよい。「子育て狂騒曲」をまとめる。見本原稿は送ったので、あとは出版社からの返事待ち。
何とかうまくいけばよいが……。この本は売れるのではないかと、期待している。一部、このサ
イトに収録しておいたので、興味のある人は読んでみてほしい。「子育て狂騒曲」へ。

 自分を知ることはむずかしい。しかし手がかりがないわけではない。私は子どものころ、毎
日、真っ暗になるまで外で遊んでいた。そういう事実から、私は帰宅拒否ではなかったかと思
う。となると、なぜ帰宅拒否になったか、だ。私は暖かい家庭に飢えていたように思う。では、そ
の原因は何か……? こういうふうにして、自分をさぐっていく。そうすると、自分というものが、
見えてくる。あなたはどうだろうか? 一度、自分をさぐってみるとおもしろい。今の原稿を書き
終えたら、「自分さがし」の本を書いてみたい。おもしろそうだ。

 思考でこわいのが、ループ性(同じことを考える)だ。このループ状態になると、そこで思考は
停止する。それがわからなければ、老人たちの会話に耳を傾けてみるとよい。あの人たちはい
つも同じ話をしている。そうなればもう、思想的に死んだも同然。

 それに、政治のお粗末にはあきれる。参議院議員の議長が、汚職とは! 自分で「口きき
料」を請求しておきながら、あとになって、相手を告訴するとは! まあ、ここまで汚れている
と、あきれるというより、同じ日本人であることがなさけない。小泉さんが、昨日は抜き打ち的に
靖国神社を参拝したとか。こういうことばかりしているから、日本はいつまでたっても、アジアに
同化できない。「あの戦争はまちがっていた」という反省の上で、戦後史を組み立てなおすべき
ではないのか。それをしないまま、つまりナーナーで戦後史を組み立てているから、矛盾だらけ
になる。

 午前中に一仕事して、昼頃仮眠して、昼から人に会って、そのあとはいつもの仕事。では今
日もがんばります。そうそう昨日までの嵐が一転して、今朝はウグイスが庭で鳴くほど、おだや
かで静かな朝だ。気持ちがいいです。

4・21
 今日は一転、雨。春雨というような繊細な雨ではないが、雨。詩をつくる。
   
       私は人生の旅人
  
       私は人生の旅人
       私の前には道はなく、
       暗くてその先は見えない。
       しかし私はその先に
       まだ見知らぬ世界があることを知り
       心を震わす。

       朝になる。モヤの中から道が現れる。
       私はその世界を知り、
       そこへ足を踏み入れる。
       何という喜び。何という興奮。
       その先にはさらに広い世界が広がる……
       ああ、私は人生の旅人。

       さあ、友よ、私のところにやってこい。
       歩いて、見知らぬ世界を一緒に歩こう。
       (このあとつづかず……)

 今朝は8時に起きた。ぐっすり眠ることができた。今は9時。おなかがすいた。これから少し遅
い朝食をとる。では、皆さん! おはようございます。

4・20
 またまた久しぶりにこのサイトを開く。このところ本の推敲で忙しい。日々は平穏無事だが、
どこかメリハリがなくて、いけない。今日は推敲があったので、山荘からはやく帰ってきた。明
日中に原稿を完成させたい。同時につぎの本をどうするかを考えている。今年は何としても4
冊は出したい。この不況と本離れの世相の中で、4冊はきびしいが、がんばってみる。(こんな
こと日々の記に書いても、意味がないが。この文を読む人もつらいだろう。)

 何かおもしろい話か、役にたつ話をしたいが、このところ、どうも頭が鈍ってきた。栄養不足と
運動不足か? 食べれば食べた分だけ太ってしまうし、女房は規則正しく料理をつくってくれる
し。それで太ってしまうのかもしれない。

 くだらないことを書いてもしかたないので、今日はここまで。

4・18
 嫁のデニースが、二男のために、料理の本を見て、一生懸命、日本料理を作ったらしい。
で、二男が帰ってきて、こう言った。「ご飯は?」と。するとデニースは、「ご飯はない」と。料理の
本には、ご飯のことは何も書いてなかった。デニースは、おかずだけを作ったらしい。そこでデ
ニースが、「本にはご飯のことな何も書いてない」と言ったらしい。二男が言うには、「日本料理
には、ご飯は常識だから、ふつうは本には載っていない」と。で、二男は、その夜はおかずだけ
を食べたとのこと。よくある失敗です。二男が言うには、「何となく、日本食の味がした」とのこ
と。

 今日も忙しい一日になりそうだ。女房はテニスのミセス杯に出ると、がんばっている。まあ、ど
うなることか。負ければ午前中で帰ってくる。勝てば午後遅くまで出場するという。今までは、い
つも午前中で帰ってきたが……。私は毎日運動しているから、すこぶる調子がいいぞ!

 で、女房のテニスの結果。4試合して、勝ったのは1セットだけとか。風が強くて、うまくできな
かったとか。しかし風は女房だけに吹いたわけではなかろうに……? 昼過ぎに、さわやかな
顔をして、帰ってきた。そこが女房のすごいところ。私なら落ち込んでしまって、何もできないだ
ろうに。

 このところ庭へ山鳩が、7〜8羽も、エサを食べに来るようになった。今日の午後、近くのペッ
トショップで、エサを買ってきてやった。昔は鳩小屋をつくって自分で飼っていたが、「このほう
が楽でいい」と、私も女房もそう言っている。

 今日も新しい本の推敲、また推敲。本というのは、推敲を重ねれば重ねるほど、よい本(?)
になる。真剣勝負だ。与信小学校の講演依頼がある。

4・17
 久しぶりにこのページを開く。この数日、新しい本の推敲で忙しかった。しかしこの緊張感が
たまらない。魚釣りでいったら、最後に魚を釣り上げるときのような緊張感だ。まだ数日は推敲
で忙殺されそうだ。

 私はどんな小さな講演でも手を抜かない。それは当然だが、外の世界で発表する原稿につ
いても、それは言える。たとえば私が今、書いている本は、たとえ売れないにしても、やがて数
百万部も売れるかもしれないという前提で書く。いいかげんなことを書くことは許されない。そう
いう緊張感はいつももっている。これも当然だ。

 このところ朝、起きると、たいへん気持ちよい。初夏を思わせる生暖かい風が、身を包む。少
し暑いくらいだ。そう言えば、先日は東京都で28度を記録したという。観測史上はじめての高
温だという。喜んでいいのか悪いのか……?

 これも当然のことだが、私は本を書くときは、全力を出し切る。出し惜しみしない。それでもよ
い本は書けない。またそうして書いても、またつぎの本を書くときは、また新しい自分にであう。
あとはこの繰り返し。

 よく私のことを「ラッキーですね」と言う人がいる。あるいは「出世しましたね」と言う人がいる。
しかし私はそう言われると、不愉快でならない。私はラッキーではない。たとえば今朝も、このと
ころ、毎朝そうだが、朝、5時に起きて仕事をしている。こうした努力の上で、本を出す。また私
は「出世」という言葉が大嫌いだ。嫌いだということは、私の人生観そのものに反する。私はや
るべきことをやっているだけ。結果はあとからついてくる。人に認められても、また認められなく
ても、そんなことは知ったことではない。少なくとも、多くのタレントのように、有名になることを
考えて行動しているのではない。(有名にならないと本は売れないというが、もしそうなら、それ
は世間のほうがおかしいのだ。そんな世間にコビを売るのはいやだ。)

 少し頭が熱くなっているようだ。このところ体重がまたふえだした。食事がおいしいから、つい
パクパクと食べてしまう。いかんことだ。今朝は朝食は抜き! 健康を維持するのもむずかし
いが、体重をキープするのも、結構たいへんだ。今朝の私は68キロ。2キロ、オーバーだ!!

4・14
 昨日、あまり信用のおける番組ではないが、しかしそれでも、「アポロ11号の月着陸はヤラ
セだった」という番組を見た。正直言って、最近になく、大ショックを受けた! もしヤラセなら、
これはたいへんなことだ。

 月面の影が放射状になっていた。
 シーンによって同じところが写された。
 月面の大地に横線が入っていた。
 人間をワイヤで釣ったような感じがあった。
 飛行士が落としたモノが、重力の影響を受けていなかった。
 月面車のほこりの上がり方が、少ない、などなど。
 
 以前、学生のとき、どうして月から見た空には、星がないのだろうと思ったことがあるが、そう
した疑念が一挙に噴き出す衝撃的な番組だった。とにかく久しぶりに考えさせられた。

4・13
 依存性の強い人は、「してもらう」ことだけを考える。また「してもらう」ことを当然と考える。本
人には居心地のよい世界かもしれないが、やがて周囲の人間にあきられる。しかし本人はそ
れに気づかない。

 日本人は元来、依存性の強い国民である。外国でも、日本人同士はすぐ集まる。リトル東京
がよい例だ。相互に依存しながら、「何とかなる」「何とかしてもらえる」と考える。しかしこの依
存性は日本国内では通用しても、外国では通用しない。もし日本がこれから先、国際社会で仕
事をしていこうとするなら、こうした依存性はかえって足かせになる。「皆と同じことをしていれ
ば、それで安全」という世界ではないのだ。またそんな論理が通用する世界ではないのだ。

 今日は新しい本の編集で忙しい。朝、五時から起きて作業を始める。がんばります。今はもう
八時なので、三時間も仕事をしていることになる。こういうときというのは、時のたつのは早いも
のだ。今朝もウグイスが庭で鳴いている。少ししたら山荘へ仕事場を移して、そこで仕事。山荘
にあった古いパソコンは、今、女房がインターネットと使っているので、こちらからパソコンをも
っていかねばならない。これが結構めんどう。いや、東芝のSSをもっていけばよいか。しかしあ
れは画面が小さくて、実際には仕事にならない。あくまでも携帯パソコンなのだ。画面の大きな
パソコンを一度使うと、画面の小さなパソコンは、何かにつけて不便に感ずる。

 依存性と自立。おもしろいテーマだ。仕事のあいまに、今日はこのテーマについて、一定の結
論を出しておきたい。それと昨日田丸先生から、「新しい理科教育」についての論文が届く。一
度、じっくりと考えてみたい。これもおもしろいテーマだ。

4・12
 昨日B社より、私の本を出版してもよいという返事を受け取る。「今度こそ、売れる本を」と考
える。おもしろい本をめざして、タイトルは、「親バカたちの子育て狂騒曲」を考えている。世俗
的なおもしろさを追求しながら、その中に奥深い子育て論を織り込みたい。

 本を書く楽しみは、そこにある種の緊張感があるからだ。事実、これからしばらく原稿の推敲
や校正、編集にとりかかるが、この緊張感が楽しい。充実感といってもよい。生きるということ
は、その充実感を味わうことだ。その充実感の味わい方は、人それぞれだが、私にとっての充
実感はそういうもの。頭の中のモヤモヤを吐き出したときの爽快感は、格別だ。

 よく私を知らない人は、こうして本を出していることについて、「ラッキーですね」と言う。しかし
私はラッキーだとは思っていない。出版社だって、ボランティアで本を出してくれるわけではな
い。つまりそういった出版社から本を出してもらうためには、それなりの苦労と努力がその背景
にある。今朝も朝六時から仕事を始めた。そういう苦労はいつもある。
 
 つぎの段階で、今度は「売れる本」を考えなければならない。これはせっかく出してくれた出版
社の方のためだ。売れなければ、何というか、出版社の方を裏切ったようなうしろめたさを強く
感ずる。申し訳ない気持ちになる。私のように無肩書きの人間が書く本には、いつも商品性が
求められる。これは当然のことだ。自費出版のように、最初から売れなくてもいいというのであ
れば、構わないが……。(私は過去において、自費出版はしたことがない。念のため。)

 今、モリモリとやる気が出てきた。今度の本は、売れる本にするぞ! 売ります! おもしろ
い本にしますので、どうか読者の皆さん、買ってください。お金がほしいというより、本というの
は、売れなければ意味がないのです。売れてはじめて本なのです。売れるということは、認めら
れるということ。認められなければ、ただの犬の遠吠え。……少しゆがんだものの考え方かも
しれませんが、今はそう考えています。売れない本が返本されてくるさみしさは、何というか、そ
ういう気持ちを味わった人でないとわからないと思います。

 今朝は曇り。昨日は夕方から雨。また春に一歩近づいたようです。

4・11
 このサイトへのアクセスが、先日、10000件を超えた。実際には、メニューを見てくれた人の
数なので、これより多いのかもしれない。少ないのかもしれない。私が見た分も、結構含まれて
いる。で、計算してみると、11ヶ月で10000件だから、一日約30件ということになる。夏休み
や正月休み、さらに春休みには、ぐんと少なくなるので、平日は、40〜50件というところかもし
れません。この数字を多いとみるか、少ないとみるかは実のところわかりませんが、……という
のも、ちらっと見てさようならという人もいれば、よく読んでくださる人もいるということで、数字に
こだわっても意味がないのではということも思っています。……←へんな日本語ですね。

 今日は曇り。体重がやや平常になってきた。少し気持ちが悪いので、胃の薬をのむつもり。
あとはいつものように頭がぼんやりとしている。昨日は久しぶりに、運動をした。気持ちよかっ
た。今朝はそのためか、9時間も、たっぷりと眠った。

 今朝の予定はとくにないが、はやく「ワンポイント」を、600作、完成させたい。まだ300作に
なっていない。このところ、育児相談や電話相談が多くて、あまり自分の時間がとれない。ま
あ、しかたないか。この世に生きているだけも、奇跡のようなもの。感謝しましょう!

4・10
 午前中は山荘の耐震補強工事のため、立ちあわなけばならないので、山荘へ行くつもり。今
日は寒い、曇り空の朝だ。久しぶりに起きてからコタツにスイッチを入れた。

 K町にある、kというレストランが、昨夜行ってみたら、閉店していた。飲食店は今、どこもたい
へんなようだ。不況の風をひしひしと感ずる。

4・9
 昨日は、女房と二人で、ユニバーサルスタジオ(大阪)へ行ってきた。おもしろかった。かなり
すいていて、たいてい10〜30分程度の待ち時間で、ほとんどすべてを見ることができた。結
果、いろいろ考えさせられた。

(1)悲しいけど、愛知万博は失敗するかも。おもしろさが違う。(基本的なおもしろさが違う。ET
一つだけでも、「自然の叡智」より、はるかにおもしろい。だいたい名古屋市で「自然の叡智」と
いうのは、無理があるのでは……? よほどおもしろいのにしないと、観客は満足しないだろう
ね。時代が変わったということに、主催者は気づいていないのでは……? つまりそういう原点
に立って、かなりがんばらないと、失敗する。(もちろん失敗を望んでいるのではない。評論家
として、いいかげんな希望論は言いたくないのだ!)
(2)悲しいけど、日本文化は、完全にアメリカ文化にノックアウトされた。

 愛知万博と、ユニバーサルスタジオを比べると、それは官製のプロパガンダ映画と、ハリウッ
ド映画の違いはじゅうぶん、ある。その違いを乗り越えて、万博を成功させるためには、発想
豊かな、しかも力のあるプロヂューサーがいなければならない。しかしそんな人が、この日本に
いるのか? そういう人間を日本は育ててこなかった。

 ……この話はやめよう。ほとんどの人は脳味噌をカラにして楽しんでいたようだったが、私は
いろいろと考えさせられた。そういう意味ではおもしろかった。私は考えることのほうが好きな
のだ。何かしら複雑なパズルを解くような楽しみだ。

 今日で私の春休みはおしまい。明日から仕事。がんばりましょう。今年も世の中の不況風を
受けて、低調なスタートになりそうだが、がんばるしかない。やるしかない。私はどこまでも前向
きに生きていくしかない。ときどき限界を感じ、負けそうになるが、自分に負けたらおしまい。

 地位や肩書きがあると、この日本では、たいへん生きやすい。とくに公的組織の中ではそう
だ。しかしそれはいわばバーチャルな世界。それに毒されると、そのワクの中に閉じ込められ
る。つまりその時点で、自由を放棄することになる。しかし地位や肩書きがないと、この日本で
は損をする。そこが問題なのだ。やる気のある人が、そのやる気をひっこめてしまう。そして社
会がますます硬直化する。そしてあとは……。過去の多くの文明はこうして衰退していった。

 日本を活性化させるためには、教育の自由化しかない。どうして日本人よ、こんな簡単なこと
がわからないのか? どうして井戸の中でしか、ものを考えることができないのか?

4・8
 今日は暖かい朝だ。起きても、コタツに電気を入れる必要はなかった。早起きしたのには、
理由がある。こわい夢を見た。一人の女の子が、ガンになり、その女の子が、「私、もっていて
もしかたないから」と言って、彼女のカルテを私にくれた。見ると、病状の進行がそれに書かれ
ていた。こわい夢だった。昔、親友だったIさんも出てきた。彼は30歳のときに、食道ガンで死
んだが、酒とタバコが大好きだった。「いつかぼくも小説家になりたい」といつも言っていた。そ
の彼が、その女の子を懸命に励ましていた。「くじけてブタになるなよ」と。Iさんらしい言葉だと、
夢の中でそう思った。

 さあ、今日からあれこれ忙しいぞ。体を大切にがんばります。何ごとも無理をしてはいけませ
ん。……と言いつつ、無理ばかりしていますが。今日は長男の誕生日だ。ささやかなパーティ
は、昨夜した。息子たちの年齢を聞くたびに、「私は○○歳のときは何をしていたか」と、そうい
うことをよく考える。息子たちをみながら、親というのは、自分の人生を繰り返すものか。




4・7
 今朝は昨夜から降りだした雨。暖かいが、どこか小寒い感じがする。女房は明け方はげしい
くしゃみの発作に襲われていたようだ。花粉症がいやなのは、どうしても睡眠不足になること。
それが続くと、精神的にもまいってしまうこと。私は花粉症に苦しんでいたころ、冗談ではなく、
本気で、沖縄に移住しようかと考えていた。日本中の杉の木すべてを切ってしまえばいいと考
えたこともある。それくらい、この花粉症はつらい。なった人でないと、この苦しみはわからな
い。今日は日曜日だ。女房も寝たいだけ寝ればいいのだ。

 ときどき老後のことを考える。女房が先に死んだら、私は老人ホームへ入るつもり。そこでの
んびりと暮らす。墓はつくらない。私は一応仏教徒ということになっているが、ほとんど信じてい
ない。日本の仏教は調べれば調べるほど、釈迦仏教というよりは、チベット密教プラス中国の
土着宗教というもの。それがごちゃごちゃになって、日本へ入ってきている。だから日本の仏像
はすべて、古代インドの衣装ではなく、古代ギリシャ(ヘレニズム)の衣装を身にまとっている。
観音様にしても、インドでは、男だったのに……。お経にしても、釈迦の時代にはまだ貨幣など
なかったのに、あちこちに貨幣の話が出てくる。おかしなことは山ほど、ある! そういう矛盾
が山のようにあるのに、その山を乗り越えて、それを信じろと言われても、私にはできない。

 中に「(この信仰を)やめたらバチがあたる」という宗教もあるそうだ。しかしこの論理は完全
に狂っている。無量無辺に広い心をもった神や仏が、自分のもとを去ったからといっていちい
ちバチなど与えない。そんなヒマはない。もしそういう神や仏がいたら、悪魔だ。神や仏の顔を
した悪魔だ。堂々と去ったらよい。やめたらよい。

 昨夜、「浄霊」なる番組を見た。霊がのりうつっている女性に、その浄霊なる儀式をするという
ものだった。あんなのは催眠術で同じことができる。人間の脳は、ある意味で、複雑だが、そ
れだけにいろいろポケットがある。そのポケットに入ると、人間の脳は、とんでもないことを考え
る。

 そう言えば、はやし浩司を攻撃している団体(たいていはカルト教団)がある。そういう団体
は、どこかまともでない団体だ。こういうまともでない団体が、まともでない考えをもっているとい
うこと自体、人間の脳の欠陥のようなものだ。私はそういう連中は相手にしない。どうぞご勝手
に!

 今朝は「アンドロゲン」について考える。いわゆる性差ホルモンのことだ。もう一つ、結論を出
しておきたい問題がある。「親子とは何か」という問題である。この問題は、大きい。

4・6
 今日は山荘で一泊。女房と細江町の「姫様道中」を見にいくつもりだったが、女房の花粉症
がひどくて断念。私もクシャンクシャンとやりだした。杉の花粉から、ヒノキの花粉に変わったよ
うだ。私は初日、一日、二日は、症状が出る。そのあと急速に症状はおさまるが。

 それにしても、今度の姫様(ポスターの女性)は美しい人だ。それで姫様道中を見に行こうと
いうことになったが、残念。(あのポスターの人は、モデルではなく、細江町に住むふつうの女
性ということだそうだが……。)

 山荘から帰ってきてから、鼻炎の薬をのんだが、おかげで眠くなってしまい、二時間ほど、ふ
とんにもぐって昼寝。気持ちよかった。ポカポカと暖かい春の日に昼寝ができるこの至福感。
起きてから、うなぎ丼を食べる。2週間前にHさんが届けてくれたもの。冷凍してあったので、身
がポソポソしていた。少し残念。

 K幼稚園から講演依頼がある。園長が、先日、私の講演を聞いてくれ、「たいへんよかったの
で」と言ってくれた。おせじ99%だが、うれしかった。私はどんな小さな講演会でも、全力で話
すことにしている。小さいからとか、講演料が安いからという理由では、絶対に手を抜かない。
それは来てくれた人に、失礼というものだ。

 名古屋市長の松原氏より、サイン入りの本が届く。少し読んでみたが、行政にかかわる人の
苦労がよくわかった。これからゆっくりと読むつもり。

 私が発行しているEマガの読者が少しずつだが、確実にふえている。あと一人で、300人
(計)だ。このところ読者の数が、やや二次曲線的にふえているので、やる気が出てきた。要す
るに「やる気」の問題。読者の皆さん、ありがとうございます。やる気が重なると、それが生きが
いになる。いつかそれが生きがいになればいいが……。まだまだ先の話かもしれない。

 今日は大きな動きはなし。ほどほどによい土曜日だった。健康で、食事がおいしいことを感
謝しよう。いつまで続くかわからないからこそ、今の健康を大切にしたい。みなさんも、どうかお
体を大切に!

 今日から女房が、独自のアカウント名をもって、インターネットを楽しむことになった。そのた
めプロバイダーのウィルスチェックに入会した。結局はそのほうが、便利だし、安くあがることに
なる。いろいろ教えてあげているが、何か新しいことができるようになるたびに、「できた!」と
子どものように喜んでいる。こういう「喜び」が、子どもの学習でも、原動力になるのだが……。

4・5
 昨日、女房と、「ビューティフルマインド」という映画を見てきた。まあまあよかった。入るとき、
ポップコーンを買ったが、バケツのような入れ物に入っていて、ドキッ! 二人分で1000円だ
った。しかし映画を見ているうちに食べてしまったが……。

 今日は一転寒い朝だ。何人かの人に手紙を書いて、新聞を読んで、……。今日のテーマは、

(1)プラス暗示
(2)子どもの夜尿症
(3)祖父母との同居問題

 この三つについて、自分なりの結論を出しておきたい。(2)と(3)は、もう何度も前に書いた
原稿なので、目新しいことはないが、夜尿症については、大脳の生理学の分野から考察を加
えたい。夜尿症は、神経症の一つと考えるのが常識だが、「尿」の問題は奥が深い。間脳のど
こかが尿をコントロールしているが、抑圧された心理状態にあると、この機能が変調をきたす。
そのメカニズムについて、原稿をまとめたい。 (3)については、私は20年ほど前に一度、自
分でアンケート調査をしたことがある。しかし資料が古いので、もう一度、調査しなおしてみよう
と考えている。

 政治がこんとんとしてきた。日本経済そのものが沈没しそうなときに、なんたるザマ。日本の
末期的症状か。タイタニックという映画の中でも、船がまさに沈もうとしているそのとき、二等船
室の格子戸を開けるの開けないで、船員と客がもめていた。あれと同じようなことをしている感
じだ。どこか問題のすりかえをしているような感じがしてならない。日本が今、考えるべき問題
は、日本全体の問題だ。1000兆円という借金をどうするかというそのときに、秘書の5万円が
どうこう言っているばあいではない。秘書の5万円を話し合うために、政党でそのつど会議を開
いているおかしさが、どうしてわからないのか? 教育問題、経済問題、国際問題が山積みに
なっているではないか。こんな問題は、電話一本でかたづけて、つぎの問題に進んでほしい。
でないと、日本は、さらに海の底に沈んでしまう!

 「子育てワンポイント」は、あと一歩で、300作だ。がんばろう。目標(600作)の約半分に届い
た。毎日3〜5作書いているから、計算では、あと2か月。その間に本を2冊書くつもり。がんば
りましょう。がんばるしかないのです。

4・4
 今日は風は強いが、晴れ晴れとした気持ちのよい朝だ。そろそろ運動不足で、体の調子が
おかしくなってきた。今日も自転車で走ってみようと思う。昨日少しハナと走ったが、それで体
は楽になった。もっと汗をタラタラとかくほど走らなければ、意味がない。

 今朝は久しぶりに、長い間、手紙を書いてなかった友人に手紙をいくつか書いた。とくに予定
はないので、原稿の整理をして、今日はつぎのテーマについて、考えてみる。

 (1)子どもに自学の心をもたせるにはどうすればよいか
 (2)こどもへのおどしと、その影響
 (3)理性とは何か

 大切なのは、子ども自身が自ら学ぶ力を身につけることだ。言われてするとか、教えられて
するというのは、「力」ではない。子どもがおとになになってからも、この精神さえあれば、子ども
は自分で伸びていく。それがなければ、過去の学歴にぶらさがって生きるしかない。これは子
どものもつ方向性の問題でもある。

 つぎの「おどし」だが、結論から言えば、つまり私の経験から言えば、「おどし」というのは、ま
ったく意味がない。親子関係のきずなを破壊することもある。しかしその理論的根拠がない。そ
れについても。今日は考えてみたい。

 三つ目に「理性とは何か」。これは要するに心のバランス感覚をいう。ものごとを判断するの
に、善悪を均衡させ、その善悪を冷静にみつめながら判断する能力のことをいう。このバラン
ス感覚がないと、ものの考え方が極端化したり、先鋭化したりする。つまりバランス感覚そのも
のを、私は理性と考える。ここで書いたことは正しいかどうかわからないので、もう一度、今日、
一日をかけて考え直してみる。

 昨日、久しぶりに、テレビで中日V巨人戦を見た。おもしろかった。が、ふとこんなことを考え
た。こういうプロ野球というのは、10年前の試合も、20年前の試合も、そうたいして違わない
のではないか、と。まさにエンドレスな娯楽といった感じだが、一歩退いてみると、何ともつまら
なく思えてきた。いくら見ても、意味がない。そのときの時間を忘れるだけ? つまり脳の中が
カラッポになるだけ? ときどきカラッポになるのはよいことだが、しかしカラッポになるのが日
常的になってしまったら、その人はどうするのか? 頭の掃除の仕方は人それぞれだが、私の
ばあいは、モヤモヤした気持ちを、文章に書くことで吐き出している。あの吐き出したあとの爽
快感は、本当に気持ちよいものだ。……そんなわけで、最後まで試合を見ないで、テレビのス
イッチを切った。

 たった一度しかない人生だから、私は荒野の先にある、未知の世界を見てみたい。ただひた
すら前に進み、できるだけその世界に近づいてみたい。

4・3
 昨日は、女房と中田島公園までドライブした。近くの「祭り会館」も見学した。新車を買ってか
ら、毎日のように、ドライブにつきあわされている。女房が「ここは鳥取の砂丘ね」と言った。つ
まりそういう気分で、ドライブすれば、結構遠くまで来たような気分になれる、と。このところ大不
況で、遠出の旅行はできないので、まあ、この程度でがまんしている。

 私は浮動票の王様だが、つまりそのつど支持政党が変わり、私が支持する政党は必ず圧勝
するが、しかし今度の小泉内閣は、最初から支持しなかった。当初支持率が90%近くもあった
とき、「日本人はどこを見ているのだろう」と思った。

 こうした幼児教育を30年もし、毎日、何十人もの子どもの顔や様子を見ていると、人間を見
る目が発達する。これはウソではない。見ただけで、その人の内面世界まで、ざーっと知ること
ができる。宝石鑑定人が、宝石を瞬間に見ただけで、その宝石を言い当てるようなものだ。
で、その小泉さんの支持がとうとう40%を切った。不支持がそれを上回った。当然だ。小泉さ
んにも責任があるが、それを支える内閣が悪い。ひどい。悪すぎる。お粗末。これはと思えるよ
うな閣僚が一人もいない。(あああ、田中さんをクビにしたのは、まちがいでした!)

 今日は女房が、バージンシネマで、映画を見たいという。毎週水曜日は、「レディズデイ」で、
女性の入場料が半額になるからだという。つきあうつもりだが、しかし女房が、バージンシネマ
とは? 昨日それをからかったら、こう言った。「いいえ、バーバーシネマよ」と。なるほど。それ
なら話はわかる。バーバーシネマか。

 そうそう私のパソコンは、さらにウィルス対策をしっかりとした。どのパソコンも、プレビューウ
ィンドウを表示しないことにした。こうすれば、あやしいメールは入り口の、そのまた入り口でシ
ャットアウトできる。少し面倒な方法だが、しかしこれがもっとも確実な方法である。仮にそれを
すりぬけたとしても、今度はシマンテックのスキャンでひっかかる。この段階で、少しでもあやし
ければ、即、削除。ファイル添付つきのメールも、これまた即、削除。住所、名前のないメール
も、即、削除。もう息子だろうが、だれであろうが、絶対に開かないぞ。ファイルつきのメール
は、すぐ相手にメールを書いて、スキャンしたものかどうか確認している。さあ、どうだ! ウィ
ルスをつくって楽しんでいる愚かな人たちよ。いいかげん、むだなことに知恵を使わないで、人
類発展のために、その知恵を使ってはどうだ。

 今朝は、「先取り教育」と「早期教育」について結論を出す。もう一つの大きなテーマは、幼児
の知恵の発達。簡単な判定のし方を考える。それにもう一つは、「遠慮」について。この三つの
テーマについて考える。

 あとで田丸先生にメールを出そう。もうバリ島から帰ってきたと思う。

 そうそう今朝、読売と中日の全国版に、私の新刊のコマーシャルが載った。みんな見てくれま
したか? よろしくお願いします。

 週刊ポスト「4・12号」に、「土曜日の父親が子供の能力を決める」という記事があった。私の
持論と同じと喜んだが、しかし内容の細部は、どれもこのサイトで、とりあげているものばかり。
驚いた。が、どうもスッキリしない。

 ……近所で、工事がはじまった。バリバリとコンクリートを砕く音。うるさくて仕事にならないの
で、しばらく休憩。居間でお茶でも飲んできます。そのうち静かになるでしょう。

4・2
 昨日は女房と、浜名湖線にのって、浜名湖を一周してみた。電車で新所原まで行き、そこか
ら浜名湖線に乗った。春うららかの気持ちのよい一日だった。新所原の駅の構内で、うなぎ弁
当を売っていたので、1200円のをひとつ買って、電車の中で半分ずつ食べる。途中、フルー
ツパークと、森町で途中下車。森町で、食堂に入って、ラーメン(私)、そば(女房)を注文する
が、これがまずいの何のといったらなかった。醤油の中に麺を入れただけというラーメンと、そ
ば。あまりのまずさに驚いた。驚いて、女房と顔を見合わせて笑ってしまった。(半分以上は残
して食べなかった。とても食べられなかった。)

 帰りは掛川から浜松を通って、高塚でおりた。高塚では、さすがに疲れたので、タクシーで家
に帰った。使った費用は、ええと、交通費が、4000円。弁当代と飲食代がぜんぶで、4000
円。おみやげ代が2000円で、合計、1万円前後か。ああ、タクシー代を忘れていた。全部で、
約11000円だ。途中で女房が、「九州を旅行していると思えばいいわ。日本、どこへ行って
も、それほど違うわけではないから」と言った。「そうだそうだ、ここは九州だ。向こうに見える山
は、阿蘇山だ!」と、私は言った。

 電車の中から、デジタルカメラで、あちこちの山の景色をとる。あとで、FS(フライトシムレータ
ー)の景色とくらべるためである。自分でも変な趣味だと思う。同じだと、「同じだ」と喜び、違う
と、「ここが少し違うなあ」と言ってみたりする。ヘリコプターで、その場所まで行って、そこでの
景色を見比べるのだ。これが正直言って、楽しいのだ。

 今日は一転、肌寒い朝だった。このところよく食べるので、またまた体重がふえはじめた。今
朝起きてはかってみたら、68キロ(パジャマを着て)! このところ2キロは太ったことになる。
で、今日からまた節食。私は食べたら食べた分だけ太るという体質。もしこのまま食べつづけ
たら、あっという間に80キロだ! 恐ろしいことだ!

 今日の予定はいくつかあるが、そのとおりするかどうかはわからない。やりたいこともいくつ
かあるが、どこか疲れて体がだるい。頭もぼーっとしている(今のところ)。まだ眠いのだ。何と
いっても私は低血圧。上が100、下が60! 長生きはするらしいが、その前にボケるそうだ。
だから運動と、水分補給は欠かせない。朝が苦手です、はい。

4・1
 「思考はヒゲのようなものである。成長するまでは、生えない」と言ったのは、ヴォルテール
(「断片」)だが、そういうものか。で、考えた。私は成長したのか、と。この問題は奥が深そう
だ。前にも書いたが、人は油断すると、思考の無限ループの中に入ってしまう。繰り返し、同じ
ことを考えるようになったら、人はおしまい。成長はそこで止まる。

 そういう意味で、人も50歳を過ぎたら、自分を振り返る必要がある。「私は成長しているか」
と。でないと、残りの人生を、そのループの中で過ごしてしまうことになる。もしそうなればなった
で、「ただ生きている」という状態になってしまう。だれに対してということではないが、それでそ
の人の魅力は消える。

 何かを考えている人、何も考えてない人。それは目を見ればわかる。昔、あるカルト教団の
調査に行ったことがある。そこではどの信者もおだやかで、満ち足りた様子をしていた。が、ど
の人もテープレコーダーのように同じことを言っていた。が、何よりも驚いたのは、どの信者も
死んだ魚のような目つきをしていたことだ。「ノーブレイン(脳みそなし)」というのは、そういう人
を言うのだろう。不気味だった。

 人間は不完全でもいい。自分の足で立つからこそ、そこに生きる意義がある。またそういう人
は、一方で生き生きしている。子どもでもそうだ。おとなから見れば確かに幼稚かもしれない
が、そういう子どもでも懸命にがんばっている姿を見ると、感動する。その感動こそが財産なの
だ。価値なのだ。

 今日はとりとめのないことを書いたが、本当に気持ちのよい朝だ。女房は花粉症でときおりク
シャンクシャンしているが、どこかへ食事に行こうと言っているので、つきあうつもり。しかしこの
ところまた体重が増えだしたぞ。今日からまたダイエットだ! がんばります。

3・31
 このところ毎日のように、ウイルスの攻撃を受けている。おとといが6件。きのうも6件。(もっ
とも実際には、2回ずつだが……。一回の攻撃で、3件ずつ受ける。)だれかのパソコンにウイ
ルスが侵入し、そのパソコンから私の住所を盗み、そのあと私を攻撃しているらしい。で、私の
ばあい、つぎのような方法で、ウイルスの侵入を防いでいる。

(1)まずパソコンを使い分けている。このサイトを開いているパソコンは、サイト専用にしてい
る。
(2)つぎに、3台のパソコンは、それぞれ、別々のシマンテック社のノートンでウイルススキャン
している。ファイアウォールは、いまどき常識。
(3)メールは、すぐには開かない。あやしいメールや、(ノートンが検疫表示をしたのは当然だ
が……)、REに記載がないメールなどは、プレビューウインドウに表示する前に削除、削除、ま
た削除。「だれからだろう」という好奇心はあるが、そういう好奇心が命取りになる。インターネ
ットではそういう好奇心は禁物。長男も、ファイルのプロパティをのぞいて感染してしまった。

 要するにあやしいメールには手を出さないこと。ファイルは絶対に開かないこと。(私も数日
前、息子のファイルだからと開いてしまい、感染してしまった!)

(4)一度感染したら、少したいへんだが、私はリカバリーするようにしている。これが絶対確実
な方法だ。そのためにインターネットに使うパソコンは、いつも身軽にしている。重要なファイル
はパソコン内部には保存しないようにしている。またパソコン内部のデータは、すべてそのつど
CDに焼いて保存している。などなど。

 まあ、一応、方法としては完璧だと思う。ただ私のばあい、アカウント名(アドレス)を公開して
いるので、いろいろな人からメールが入る。しかしその場合でも、見知らぬ人からのファイルは
絶対に開かない。ファイルつきのメールは、即、削除。中には安全なものもあるのだろうが、ウ
イルスに侵入される被害を考えたら、これは当然のことではないか。許してほしい。

 前にも書いたが、こういうウイルスを狭い部屋の片隅でコソコソ作っている「愚かな人たち」の
気が知れない。せっかくの時間をムダにしている。それにいつか自分の愚かさに気がついたと
き、後悔するだろう。(もっともこういう愚かな人たちは、そのレベルに達することもなく、死ぬの
だろうが……。)フォレスト・ガンプの中にこんなセリフがある。「バカなことをする人をバカという
のよ。頭じゃないのよ」と。つまりこういうウイルスをつくっている人間こそ、本物のバカ! 愚か
な人たち! みんなで笑ってあげましょう。

 さあて、昨日はドライブで浜名湖を一周した。途中、Yホテルで休憩。テレビタレントのHという
男が、宝石店の販促のために来ていた。姿を垣間見たが、テレビで見る以上に、軽薄な男に
見えた。で、驚いたことに、そういうタレントを見たいのか(?)、結構、客がいたこと。(私と女房
は入らなかったぞ!) ああいうタレントの決り文句を知っていますか。それはね、「中央(東
京)で有名になって、地方で稼げ」です。私も何度か聞いたし、実際、「はやしさんも中央で有名
になって、地方で稼いだら……」という忠告を受けたことが何度かあります。地方がバカにされ
ているのに、地方の人間はそれにすら気づかない。このおめでたさは、一体、どこからくるの
か。平安の昔からつづいた、中央集権意識がこの日本にはまだ生きている。中央の官僚が、
地方へ天下って県知事になったという話はいくらでもあるが、地方の役人が中央にのぼって、
大臣や官僚になったという話は聞いたことがない。日本の社会はいつも中央から地方への一
方通行なのです。(アメリカではアーカンソーの州知事だったクリントンが、そのあと大統領にな
っているぞ!)

 浜松の文化が東京へ行くような時代にならないと、日本はよくならないのです。浜松の皆さ
ん、がんばりましょう。

 今朝は少し長い日々の記になりましたが、では、これで失礼します。ウイルスには注意しまし
ょう。

3・30
 昨日、ふだんはワープロ専用につかっているパソコンに、ウィルスが侵入した。三男からのメ
ールに写真ファイルが添付されていた。それでうかつに開いてしまった。とたん、メールの削除
ができなくなってしまった。???と思ったときには、遅かった。おかげでそのパソコンはリカバ
リーすることに。この時間が4時間! さすがに夜になると、もうパソコンを見るのもいやになっ
た。とにかくファイルは開かない。これは鉄則ですね。

 おまけに夜になって、だれが送りつけたのかしらないが、「bwhayashi congratulations!」と
いうウイルス付のメールが、自分アテに届く。もうこうなると、こわくてメールを見るのもいやにな
る。

 パソコンは使い分けるのが一番。改めて確認しています。なおこのホームページに使ってい
るパソコンは(どれもそうですが……)、シマンテック社のウイルススキャンで、スキャンしていま
すから、どうか心配なく……。「はやし浩司を全面的に信頼します」という方は、お楽しみくださ
い。

 アメリカではイースターの祭りだそうだ。キリストの復活祭。朝日がとてもきれいで、今日はさ
わやかなよい日だ。窓の外の栗の木が一斉に、若い、うす黄緑色の葉を出し始めた。今日か
ら山荘へ行くぞ! はははは。楽しみだ。はははは。

3・29
 今日から春休み。やりたいことをすべてかたづけるぞ! まあ、みていなさい。私はやりま
す。確実にやります。しかし何を……? それが決まっていないから、春休みなのです。ずいぶ
んといいかげんな計画ですみません。

 今日は午後、今度の島田市での講演会の打ち合わせだけ。あとは予定なし。こういうふうに
ゆったりとした日程だと楽なのだが……。

  三男からメール。ベネッセの雑誌の表紙のモデルになったそうだ。写真が二枚送られてきた
が、どこかふやけた、にやけた顔だ。まあ、自由に好き勝手なことをしているようだ。親としては
言うことは何もないが……。

 ところでもう一台のパソコンのアウトルックエクスプレスの調子がどうも悪い。まさか? 三男
のファイルの中に、ウイルス? ドキッ! どうしたことだ。ウィルスではないと思うが、あとでス
キャンしてみよう。

 今日は雨模様。しかし春めいた空だ。どこか生暖かい。

 今日、考えてみたいこと。内弁慶の問題。これは子どもの自意識で解決できるときと、そうで
ないときがある。この二つのタイプの内弁慶について結論を出してみたい。もう一つは子どもの
意欲について。意欲がない勉強は身につかないが、その「意欲」について、最近、大脳生理学
の分野で説明する人が現れた。その研究と教育を結びつけて考えてみたい。子どもの運筆能
力についても、今までたびたび書いてきたが、小脳との関係がとりざたされている。おもしろい
ことだ。考えてみれば、教育というのは、脳づくりのこと。脳の研究と教育は密接な関係にあ
る。教育と精神医学、教育と宗教、教育と大脳生理学。みんな関係がある。この世界は、だか
ら奥が深い。だからおもしろい。はははははは。

3・28
 明日から2週間の春休み。まとまった休みは、うれしい。やりたいことが山ほどある。山荘で
寝泊りして、あれこれ雑用をする。山歩きもしたいし、木工もしたい。絵も描きたいし、それに旅
行もしたい。女房と、旅行をするつもり。それからドライブ。もう一冊、本を完成させたい。三男
が巣立ったら、海外旅行もいい。今は、まだ飛行機恐怖症が残っているので、飛行機に乗ると
いうのは、つらい。

 だれにもじゃまされない時間というのは、本当に貴重だ。しっかりと大地に根をおろしながら、
自分らしく生きる。それが何よりも大切だ。現代社会というのは、子どものときから、バーチャ
ルな世界に皆、はまってしまう。大切なものを大切でないと思い込み、大切なものを見失ってし
まう。どこかおかしいが、そのバーチャルな世界のほうが、大切だとか重要だと思い込んでしま
う。悲しい錯覚だが、しかし錯覚は錯覚。ああ、自分らしく生きるということが、本当にむずかし
い。

 カナダのバンクーバーの友人の村上さんより、本が二冊届く。明日ゆっくりと礼状を書こう。カ
ナダでも日本語を学ぶ学生が急減しているという。高等学校では、日本語クラスが閉鎖された
ところもあるという。「経済力と関係があるのでしょうか?」と書いてあった。ああ、日本は今、確
実に沈没しつつある。とても悲しいことです。

3・27
 アメリカの友人のダイアンさんから、アメリカの学校についての最新情報が手に入る。このサ
イトに紹介しておきます。「アメリカの読書指導」についてです。どうか参考にしてください。

 少し苦情。
 このサイトに書いた私のエッセイを、無断で転載している人が多いのには驚きました。中に
は、お願いしていもいないのに、私の文をズタズタに分解し、それぞれにコメントを添えて、返
送してくれる人もいます。そういう行為は、お断わりします。いかなるばあいも、転送、転用は許
可なくしてもらっては困ります。

3・26
 有名人の世界というのは、まさにバーチャル(仮想現実)の世界。「私は私」と思っていても、
ふと油断すると、そのバーチャルな世界の魔力に引きずり込まれてしまう。しかしバーチャルは
バーチャル。もっと言えば、それはゲームの世界のようなものではないか。子供どうしが、マジ
ギャザのカードの枚数を競い合うようなもの。はたから見ればこっけいだが、本人たちは真剣
である。その真剣さがおかしいのだが、子どもにはそれがわからない。同じように、おとなたち
にも、それがわからない。要するにレベルの問題ということ。

 しかし有名人になるのも、たいへんなことだ。いや、チャンスさえあれば、だれでも有名人に
なれますが(宝くじに当たるようなもの)、しかしなればなったで、自由がなくなるだろうな。窮屈
だし……。

 今日は何だか、原稿を書く気分になれない。何というか、自分のしていることがつくずくとバカ
らしく感ずる。たとえばこのサイトにしても、何のためにつくっているのかわからなくなるときがあ
る。自己顕示? NO! 自己宣伝? NO! ボランティア? NO! 私の趣味のようなものだ。私
は木工にこりだすと、木工ばかりする。そして家具のほとんどを自前でつくると、それであきてし
まい、次の趣味に移る。そろそろこのサイトづくりに、疲れを感ずるようになったのかもしれな
い。あと1ヶ月少しで、ちょうど一年になる。毎日、約30〜60分は、サイトづくりに時間をさいて
きたような気がする。そしてここまでつくることができた。この日記までどれだけの人が読んでく
れているか知らないが、この文まで読んでくれた人には、心から感謝します。ありがとうござい
ます。
 
 私は今、女房とドライブすると、あちこちの景色をデジカメに収めている。そして同じ場所をFS
で飛んで、そのあたりに着陸する。その着陸したところの景色と、本物の景色をくらべてみる。
これが結構おもしろい。で、驚くことなかれ。山々の形が、ほぼ同じなのである。ほぼというの
は、類似点をみるかぎり95%同じ。(私はFSに山岳シーナリーを組み込んでいる。)これには
驚いている。FSはゲームといいながら、ゲームの領域をすでに越えている。すばらしい。

 それから最近、ときどき、無記名、住所なしで「Qコーナー」へ質問してくる方が多くなりまし
た。インターネットの時代とはいえ、そういう方のご質問にはお答えしかねますので、お許しくだ
さい。気楽になったことはよいことなのかもしれないが、その分、礼儀が薄れてきたのは、とて
も残念なことですね。回答を書くといっても、ばあいによっては30〜60分の時間がとられま
す。どうかご理解ください。

 今日は健康診断の日。きのうの夕方から何も食べていない。おなかがすいたなあ。以上、3
月26日の記録でした。

3・25
 今日はこれから名古屋へ。大学時代の友人と昼食を食べたあと、愛知万博会議に。そのあ
と7時までに帰ってきて、中学生を5人教える。忙しいが、友人に会うのが楽しみ。で、そんなわ
けで忙しいので、これで失礼。ところで田丸先生は、今日から一週間予定で、娘さん夫婦と、バ
リ島へ行くとか。お孫さんも一緒とか。女房に話したら、「うらやましい」と。そうだ、私も女房を
連れていこう。あいつはユニバーサルスタジオに行きたいとさかんに言っているので、近く一緒
に行こうと思っている。バリ島と、大阪では、スケールがぜんぜん違うが……。まあ、しかたな
いか。田丸先生と私では、相手にならない。私はあの先生だけには頭があがらないのだ! お
かげでほかにこわいものなしになれたが……。あの先生からみると、ほかのどんな超有名人
も、ヒヨコに見えるから不思議です。ホント!

 では今日から月曜日! 皆さんも健康に気をつけてください。私も気をつけます。

3・24
 今日は「人間の思考」について結論を出したい。情報を処理するのが、大脳皮質部。しかし
思考をつかさどるのは、大脳新皮質の中のさらに「新・新皮質」と呼ばれている部分。が実際
には、この「新・新皮質」部の活動を、動機づけ(帯状回)が助け、さらにその思考を扁桃体が
価値判断するというように、脳のそれぞれの部分が、きわめて複雑に連合しあって、人間の
「考える」という行為を構成している。こうした最近の研究をふまえ、「知識(情報)」と、「思考」
は別のものであることを説明し、知識教育イコール、教育になりさがってしまっている日本の教
育を批判してみたい。大切なのは、「思考」である。また育てなくてはいけないのも、「思考」であ
る。田丸先生は、「これからは知識はコンピュータに任せればよい」と言っている。けだし同感
である。

 今日も今にも雨が降りそうな気配。女房は、このところすっかりドライブづいていて、今朝もど
こかへ行こうと言っている。「山は花粉があるから、海がいい」だって。まあ、つきあうか。しかし
海といっても、いいところはないしね。意外と浜松の盲点ではないか。海のそばの町なのに、こ
れといって行く場所がない。おかしなことだ。

 たった数日、運動をさぼっただけで、脳の機能が低下したのがわかる。どこか頭が重ぼった
い。サクサクと動かない。きっと血液の流れが悪くなっているせいではないかと思うが、しかし
血液と脳の神経細胞は関係ないはずだ。もう少し機能的な問題ではないか。たとえばセロトニ
ンの分泌が弱くなっているとか。運動することによって、各臓器のホルモン機能が刺激され、結
果として脳間伝達物質の分泌が促進されるとか……。まあ、この分野は素人なので、これくら
いにして、ただ現象面からはそういうふうに説明しても、(つまり血液の流れが悪くなって、頭の
血のめぐりが悪くなったと考えることは)、それほどまちがっていないと思う。

 今日は訪問客もいない。静かな日曜日だ。10時ごろになって、明るい日差しが雲の間からも
れてきた。小鳥たちが一斉にさえずりはじめた。こういうときは山荘で、「田園交響詩」を聞くの
が一番よい。来週から春休みなので、山荘で思う存分、好き勝手なことをするぞ! やりたい
ことが山のようにある。都会の雑踏は、それが好きな人に任せておけばよい。私は嫌いだね。
あんな世界! ごめんだね。コンクリートに包まれ、排気ガスがプンプンとにおうような世界は、
あれは人間の住む世界ではないね。はははは。どうぞご勝手に!


3・23
 今日は今にも雨が降りそうな、曇り空。いろいろ忙しいので、今日の日記はここまで。(いえ、
本当は書いたのですが、今、FTP転送に失敗して、先に書いたのをボツにしてしまったので、く
さっているのです。ごめんなさい。)

 夕方になってはじめて三男から電話がある。無事日本へ帰っているとのこと。昨夜電話をし
なかったのは、飛行機の中で眠ることができず、アパートへ帰ってからそのまま寝てしまったと
のこと。やっと心の底から安心できた。(もっともこちらは、飛行機会社へ電話を入れて、乗客
名簿などを調べたので、無事着いたことはすでに知っていた!)

 今日は女房とドライブ。浜名湖のリステル浜名湖まで行って、食事をしてきた。バイキング料
理で、一人一五〇〇円だった。まあまあの値段だと思う。おばさんたちが、「食べなきゃ損」と
いう様子を丸出しにして、むしゃくしゃ食べていたのには驚いた。

 そこで気がついたが、今度買ったトヨタのビッツは、前から見ると、ダイエット前の化粧をしな
い女の子。うしろから見ると、バイキング料理をガツガツ食べて太りすぎた中年のおばさん。車
にもいろいろな顔があるが、ビッツはそんな「面」をしている。車の中でそれを女房に話すと、女
房はギャーギャーと声をあげて笑っていた。(自分のことを言われているとも知らずに……。女
房は本当におめでたい。はははは。)で、ホンダのフィットはどんな「面」という話になった。「フィ
ットは、若いスポーツマンの男」というのが私たちの結論だ。今度トヨタのビッツを見たら、ここ
に書いたことを思いだして、あなたならどう見るか考えてみてほしい。多分、あなたも同じような
意見になると思う。 

3・22
 昨日は少雨。今朝は本曇り。しかしどこか春の陽気がただよう。子どものころ、どこかで感じ
た春の陽気だ。

 今朝の新聞に、「人間は負けると、頭が熱くなる」というサイエンスの研究論文が紹介されて
いた。それはそのとおりで、それはこうした評論を書くときも同じ。人間は追いつめられてはじ
めて、独創的なアイディアを生み出すことができる。温室の中で、酸素もエサも自動的に与えら
れるような情況の中で、独創的なアイディアなど生まれない。私の人生はそういう意味でも、い
つも崖っぷちだった。しかしそうであるからこそ、人とは違った人生になったし、自分だけしかわ
からない人生を歩むことができた。それはちょうど航海のようなものだ。大きな客船で航海する
という方法もあるが、小さなヨットで航海するという方法もある。私は、その小さなヨットで航海し
てきた。今もしている。それはこうした文を書く人間には、とても大切なことのように思う。もし皆
さんが、私の書く子育て論の中に、そういう「違い」を見出してくれれば、本当にうれしい。

 このサイトも14メガを超えた。一応20メガまでのワクはとってあるが、これから先、できるだ
け文をひきしめながら、このサイトを更新していかねばならない。写真や図はできるだけ少なく
しようと考えているが、しかしそうすると、文章ばかりで、読みづらくなる。私のサイトを見て、ぎ
ょっと思っている人も多いはずだ。もしそうなら、ごめんなさい。はやし浩司のサイトは、見栄え
ではなく、中身で勝負です。

 昨夜、あるレストランで食事をした。6坪もないような小さなレストランだったが、「ひどいな
あ!」の一言。「生ハム何とか」とイタリア語で書いてあったので、注文したら、ただのサラダ。
その上にかたくなったハムが、切手のように薄く切って、パラパラとかけてあるだけ。それが88
0円。で、パンを注文したら、カチンカチンのパンだけ、しかも5〜6センチに切った、小さなパ
ン、ひとかけら。それが200円。で消費税などを入れて、1200円弱。驚いたのなんのといった
ら、なかった。サラダとパンひとかけらで、1200円! 帰るときには笑ってしまった。もうあん
なレストランンへは二度と行かないぞ! で、仕事の帰りに、空腹だったので、吉野家の牛丼
を食べた。それが280円! 安いのなんのといったら、なかった。久しぶりに牛肉を食べた
が、おいしかったね。ホント。

 今日は女房が健康診断。私はあさって。そろそろコレステロールをごまかすために、ダイエッ
トを始めよう。いつもコレステロール値が高いと指摘される。「要指導」とかね。いやだね。そん
な通知をもらうのは。

 今日は、「独創性」について、結論を出しておきたい。独創性とは何か。また独創的であるた
めには、人間はどうあるべきかについて。大脳生理学の分野から、科学的に考えてみたい。そ
れと嫉妬と、いじめの関係についても。嫉妬という原始的な感情に、自分なりの考察を加えて
みたい。

 今日のテーマ……独創性
            嫉妬といじめ
            日本人の「上」志向性
3・21
 今日は、春分の日。今日から春だ! 少し肌寒いが、どこかに陽気を感ずる……と思って起
きたら、居間ではまだストーブが働いていた! 暖かいのはストーブのせいだった。はははは。

 携帯電話は便利だというが、しかしあの携帯電話ほど、自分の時間をかき乱すものはない。
若い人とはともかくも、皆さんは、「自分の静かな時間」というものを、どう考えているのだろう。
本人はますます考える時間を喪失しているのではないか。こんなことでいいのか? 情報の中
だけで操られているといった感じになる。よく夜のクイズ番組に、アフリカのある国の、台所で
使うような道具を見せて、「さあ、これは何に使うものでしょうか?」と質問したりしている。私は
ああいうのを見ると、「それがわかったからといって、何だ!」とすぐ思ってしまう。億兆個もある
ような「どうでもいい情報」から一つを選んで、それを全国に流して、どういう意味があるという
のか。携帯電話で流し合っている情報も、それに近い。

 ちなみに私は携帯電話をもっていない。二度ほど買ったが、そのつど息子たちにあげた。今
も電話とは無縁の書斎にいる。しかも自宅の奥にある電話番号は公開していない。ごく親しい
人とにしか電話番号は教えていない。電話は嫌いではないが、しかしうるさい。私の貴重な時
間を、平気でじゃまする。緊急を要するような重要な話というのは、年に数回あるかないかでは
ないのか。文明というのは、一方で、人間をバカにしている! (情報は人間を利口にしません
よ! 少なくとも、賢くはしない!)

3・20
 春休みに入って、サイトへのアクセスが急激に減った。私のサイトの読者はほとんどが母親
だということは感じていたが、春休みになると、子どもが家にいるため、母親はがぜんと忙しく
なる。どうもそのためらしい。こういうときは有用な記事を書き溜めておけばよい。しかしどうも
体がだるい。どうしてだろう? 風邪でもないようだが……。花粉症が少しは出ているのかもし
れない。ニンニクを食べれば元気が出るのだが……。しかしにおいがいけない。

 今朝はあちこちから電話が入る。忙しいのはうれしいが、しかし自分の時間が取られるのは
つらい。丸々一時間、私の時間という時間がほしい。だれにもじゃまされない、私だけの時間
だ。そういう時間をいかに多く持つかが、結局はぜいたくということか。

 日本の教育改革は20年は遅れた。今ごろ改革しても、その成果が出るのは、20年後。そ
のころ日本はどうなっていることやら。こう書くと、「お前ら、評論家がしっかりしないからだ」と叱
られそうだが、私はどうして自分でこんなことをしているのか、自分でもわからなくなるときがあ
る。100%、ボランティア。誰かに頼まれたわけでも、誰かからお金をもらっているわけでもな
い。年金も天下り先もない。退職金すらない。あああ、またグチになってしまった。やめよう、こ
ういう話は。では、みなさん、今日も元気でがんばりましょう。



3・19
 今朝は「よい子」論を書く。よい子というのは、どういう子どものことをいうのか。その結論を出
しておかねばならない。だいたい誰にとって「よい子」なのかという問題がある。また時代やそ
のときどきの社会的な価値観(?)によっても左右される。親はその流れの中で翻弄されてい
るだけかも……? とにかく一度、結論を出しておくことにした。このテーマは、一見簡単そうだ
が、奥が深く、むずかしい。よい子というのは、どういう子どもをいうのか?

 昨日は、花粉症の人にとっては最悪の日だったようだ。女房も苦しんでいた。私も少しだが
症状が出た。私にも出るということは、かなりの量の花粉が飛散しているということ。私も二〇
年間苦しんだから、その苦しみがよくわかる。一時は本気で、沖縄への移住を考えたほどだ。
あるいは日本中の杉の木をすべて切ってほしいと、本気で願った。それくらい症状がひどかっ
た。が、今はほとんど何ともない。どうしてなおったかについては、別のところで書いた。

 三男はガールフレンドとアメリカ旅行をしている。親として許したわけではないが、相手の女
性の親たちのことを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。それはそれとして、親としては、複
雑な気持ちだが、しかし今はそういう時代なのか。三男も、結婚への練習をしているのかもし
れない。「遊ぶ」という言い方は好きではないが、結婚生活を円満にするためには、いろいろな
経験が必要なのかも。もちろん異性を見る目も必要だ。親としては不満な点も多いが、まあ、
ここは、「これ以上先へ(悪く)しないことだけ」を考えながら、冷静に見守ろうと思う。同性愛だ
とか、あるいは女性とつきあいとか、結婚しても女性の愛し方がわからないとか、マザコンと
か、問題はいろいろある。そういう問題とくらべたら、ガールフレンドと旅行するというのは、む
しろ喜ばねばならないことかもしれない。しかし相手の女性はどんな女性なのか。気にはなる
が、今回は無視することにした。私はそうでなくても、忙しいのだ。子どもはこうして巣立ちをし、
親はこうして子離れする。形が決まっているわけではない。人それぞれの方法で、子どもの巣
立ちを迎える。それでよいのだ。

 今日のテーマ……「よい子」論をまとめる。
            「子どもの家出」と
            「子どもの意地」について、結論を出す。
            どれも結構、奥が深く、むずかしいぞ! がんばります!

3・18
 くだらないことだが、トップページのデザインを少しだけ変えてみた。別のソフトで、デザインを
して、それをこのサイトにほうりこんでみた。うまくできた。いや、デザインがうまくできたというの
ではなく、このサイトにうまく貼り付けることができたということ。この技術をマスターしたので、
あとはどんなデザインの図柄でも貼り付けることができるようになった。いよいよ私もプロの領
域か……? はははは。これは喜びの高笑い。

 きのうはしんどかった。岐阜の板取村までの往復、8時間! ずっと電車とタクシーに乗って
ばかりいた。おとといは風邪をひいていたので、まあ体調は最悪。よく倒れずに無事、帰ってこ
られたものだと自分でも感心している。

 今朝は、そんなわけで、どこか頭の中がぼんやりとしている。書きたいことはたくさんあるは
ずなのに、考えがどうもうまくまとまらない。こういうときは書いても、たいしたことは書けない。
自分でもそれがよくわかっている。

 昨夜女房とこんな話をする。今、「孤独死」というのがある。人知れず、静かに、死んでいくと
いう死に方だそうだ。女房はそういう死に方をしたいと。実のところ、私もそうだ。どこかの老人
ホームで、(老人ホームへ入居できるだけでもハッピーなのかもしれない)、静かに死んでいき
たい。だれか思い出して、(まあ、そういうこともないだろうが……)、「あのはやし浩司は、もう
死んでいるの!」と言うくらいのほうが気が楽だ。さみしい生き方、さみしい死に方だと、人は思
うかもしれないが、その分、今というときをじゅうぶん燃焼させて生きたい。思う存分、自分の人
生を生きたい。派手な葬式をしたからといって、それがどうだというのだ。皆が認めてくれても、
また認めてくれなくても、私は私の道をいく……、つまり人類の進歩を、たった一ミリでも前に進
めればそれでいいのだ。それ以上、何を望むのか? この点については、女房と意見が一致
した。

 日本の仏教は仏教ではない。これが私が五冊の本を書いて得た結論です(ペンネームで)。
日本の仏教は、釈迦仏教というよりは、ヒンズー教の影響を受けたまさにチベット密教そのも
の。それに中国の土着宗教がからみ、日本へ入ってきて、これまたいいように料理されてしま
っている。こういう仏教を仏教と思い込み、あたかも釈迦が話したかのように、これまたまことし
やかに仏教論を説く人の気が知れない。日本の仏教も一度、原点に立ち返るべきではないの
か。もし釈迦を信仰するなら、そうすべきだと、私は思う。

 もう9時半だ。仕事を始めよう。では皆さん、今日もがんばりましょう!
 
3・17
 伯父が昨夜なくなった。九一歳だったという。すごいことだ。魚釣りの名人だったが、それにし
ても九〇歳とは! 私は今、五四歳だから、あと三六年ということになる。ただこの三〇年間、
足を痛めて、ほとんど寝たきりだった。家族の方も、さぞかしたいへんだっただろうと思う。伯父
の冥福を祈る。

 今朝は文明自体がもつ矛盾について考える。文明にはいつも矛盾がついて回る。問題が矛
盾があることではなく、その矛盾に人間がマヒしたときだ。人間の存在そのものが矛盾というこ
とになってしまう。これがこわい。

 また人格や知性などというのは、みがくことを忘れたら、そこで止まるのではなく、その時点
から今度は退化しはじめる。年齢が高いから、知性や教養が高いというのは、まったくのウソ。
ウソであることは、自分が歳をとってみて、はじめてわかった。先日も書店の中を歩いていた
ら、七〇歳近い老人の男性が、若い人が読むようなエロ雑誌を熱心に見入っていた。私はそ
の老人を見ながら、「ああはなりたくないものだ」と、心底、そう思った。

 そういう意味で、人格や知性は、貯金のようなものか。蓄えることを忘れたら、その日から、
今度は減っていく……。意外ともろいものかもしれない。とくに私のように生まれも育ちも、貧弱
な家庭のものにとっては、そうだ。私の本質は、実のところ、ガキそのものだ。あの鈴木Mを見
ていると、何だか自分の本性を見せつけられているように感ずるときがある。名誉欲、出世欲
にとりつかれたあれはガキだ。

 今朝はよく眠った。八時間はたっぷりと眠った。ここちよいめざめとはいかないが、まあまあ
気持ちよい朝を迎えた。午後から、伯父の通夜に行くことになっている。私にはこわい伯父だ
った。しかしどこか風邪っぽい。??? 体中がゾクゾクするぞ。

3・16
 よい朝だ。今日は女房とドライブに行くことになっているが、まだ女房は眠っている。もう7時3
0分だというのに……。もともとあいつは朝寝坊だ。私もそうだが……。

 二男から三男が無事リトルロックについたとメールが入る。まずは一安心。今朝は久しぶり
に頭の中がサクサクと動く。やっともとに戻ったようだ。思索していてこわいのは、同じことを繰
り返し考えること。これをコンピュータの世界では「ループ」という。このループ状態に入ると、時
間ばかりかかって、そこで進歩が止まってしまう。そういうときは、文を書いて、頭の中を整理
する。そして一つずつ、結論を出しながら前に進む。

 その結論だが、どんなささいなことでもよい。たとえば「人に親切にすると気持ちいい」とか、
そういことでよい。そしてそれを積み重ねながら、前に進む。

 それにもう一つ。この思索における進歩というのは、立ち止まって休んでいると、また元に戻
ってしまうということ。それはちょうど鍛錬された体のようなものではないか。たとえば訓練して
ある種の芸ができるようになったとする。しかししばらく練習していないと、それがまたできなく
なる。だからスポーツ選手のように、毎日練習して、つまり毎日進歩しながら、自分を磨いてい
かねばならない。でないと、今度は後退してしまう。これがこわい。

 たとえば子育て論を書いているとき、おかしなことだが、長い休暇がつづくと、それがパタリと
書けなくなってしまうことがある。子どもたちの姿を直接見ていないからだ。子育て論というのは
現場を離れては書けない。あのザワザワとした子どもたちの騒音を聞いていないと書けないの
だ。これはおもしろい現象だ。(絵にもアトリエで描く絵と、写生しながら描く絵がある。私のば
あいは、写生しながら描く絵に近い。)

3・15
 昨夜遅くから久々のまとまった雨。これで山荘のほうの水不足も一息つけるのでは……。水
は決してタダではないのです。

 昨夜はふとんの中でなかなか寝付けなかった。朝も頭がどこかぼんやりしたまま目がさめ
た。あとでもう一度、眠りなおすつもり。私の仕事で一番すばらしいのは、睡眠時間をほぼ自由
に設定できること。めったに朝、起こされることはない。風来坊の特権? こんな生活をもう30
年もしてきた。早いものだ。

 この数日、頭がぼんやりして、文が書けない。どういうことだ? サエが消えてしまったよう
だ。ものを考えても、通俗的な、つまりどうでもよいようなことばかりしか考えられない。スランプ
に入ったのか? 何かテーマがないと、動けない。頭が働かない。ものを考える人間としては、
こういうスランプが一番つらい。(私など、世間にまったく相手にされていないのに、相手にされ
ていると思い込んでいるだけ? 実におめでたい人間です。自分でもそれがよくわかっていま
す。)

 今朝は「子どもへの愛情」について考える。それについて原稿をまとめておく。あとはなりゆき
まかせ……。では、今日もがんばりましょう!

 三男はアメリカへ行った帰りに、ニューヨークによるという。英語もロクに話せないのに、何と
いう無謀なことを! 私もそうだった。最後にアルゼンチンで強盗タクシーに乗ってから、そうい
う無謀なことはやめた。あのときはピストルを座席に置かれてぞっとしたね。そういう経験があ
ると、無謀なことをやめるのだが……。あいつはまだ若い。若すぎる。

3・14
 今日は三男がアメリカへ旅立つ。

 今日はとてもよい日だ。朝起きると女房が、「来週からもうお彼岸だって」と驚いていた。春は
もうそこまできている。明るいひざしなのだが、気分はすぐれない。きっと昨日打った、花粉注
射のせいだと思う。我が家は五人中、三人が花粉症なのです!

 今日は新しい原稿をいくつか書かねばならない。学生新聞用に、数編を試しに書いてみよ
う。おもしろければさらに続行。そうでなければ、やめよう。読者をがっかりさせることだけはし
たくないね。昔は雑誌でも新聞でも、載せてもらえるだけでうれしかったが、今はそんな甘いこ
とを言ってはおられない。真剣勝負なのだ。

 しかしこの数日、頭が鈍っている。サエがない。自分でもそれがよくわかる。老人性のボケの
始まりか? いやだなあ。ボケというのは、早期診断できるのだろうか。アルツハイマーは診断
できるということだが、今のところ心配はなさそうだ。感情もしっかりとあるし、記憶もある。ええ
と、今朝は、アジの開きを食べたぞ。あとは味噌汁と肉じゃがだ。昨日は、夕飯にカロリーメイ
トと和菓子を食べた。家へ帰ってきてから、食パンを一枚食べた。……よく覚えているというこ
とは、アルツハイマーではないということか。一安心。

3・13
 昨日の日々の記を読んで、弱気な自分をもう一度、みつめなおしています。初老性のうつ病
になると、弱気と強気が交錯するようになるとか。花粉症の季節にがなると、何かにつけて情
緒が不安定になります。(不安定ということは、心の緊張感がとれないことをいいます。その緊
張感に何か不安が入りこむと、緊張感が一挙に高まる。これが情緒不安のメカニズムです。)

 しかし弱気にもなります。老後の不安もあるし。「何とかなる」というような、甘い考えは、私の
やり方ではないし……。まあ、今朝は頭の中がぼんよりしているようです。昨日のんだ、鼻炎用
の薬がどうもよくないようです。あの薬はよく眠れるのですが、今の私のように、頭がぼーっとし
てしまい、使い物にならなくなります。こういうときは、原稿を書いても、よい原稿など書けるは
ずもないのです。お茶でも飲んで、この眠っている頭をたたきおこすしかないようです。

 今朝、久しぶりに田丸先生からメールが入った。今度の本を「なかなかよく書けている」という
批評をもらった。田丸先生がそうほめてくれたのは、はじめてだ! うれしかった。あの田丸先
生からみると、どんな学者もヒヨコに見えるから不思議だ。みなさんも、一度、田丸先生の教育
論文(メニューから)読んでほしい。

3・12
 ポイント集があと少しで200になる。がんばります。目標は600ですが、600で収まるかどう
か。そこでハタと考え込んでしまいました。仮に600も作ったところで、だれが読んでくれるかと
です。何だかムダなことをしているような気分になってきました。本にすれば単行本で、10冊分
近くになります。みんな忙しいのだから、私の原稿など、読む人はないのでは……? こうして
日々の記を書いていること自体、ムダなような……。どうもこのところ懐疑的になってきました。
昨夜、ふと、もうサイトを更新するのはやめようかとさえ考えたほどです。こんな自己満足のか
たまりのようなサイトを開いて何になるのか、とです。ただ、このサイトにアクセスしてくれる人
がこのところふえていることだけが、励みです。それにマガジンの読者も、毎回、5〜6人ずつ
ふえている! それも励みです。しかしこんな調子では、1000人になるのは、いつのことや
ら。そのころもう私はあの世へ行っているかもしれない。今朝の私は弱気ですね。

 今日はトヨタのビッツが届けられる日。朝から女房はうれしそうだ。私はあまり興味ないが、
新車がきたら少しは乗ってみようかと考えている。ドアの厚さが、カローラより薄いので、重厚
感はあまりない。どこか軽い車だ。値段が「軽」と変わらないのだから、あまりぜいたくは言えな
いが。私のこのデスク周りのパソコンだけでも、もう170万円くらい(計6台)かな。周辺機器や
ソフトをいれたら、軽く200万円を超えている! ギョッ! パソコンライフって、意外にお金が
かかるのですね。

 昨夜はやや花粉症が出て、寝苦しかったが、今朝は快調だ。7年前までは、私はひどい花粉
症でしたが、7年前になおってしまった。以来、春が楽しみになった。花粉症でもなおるのです
ね。なおし方はどこか別のところに書いておいたので、必要な方は、お読みください。

 今日から、新しい連載用の原稿を書きます。金沢学生新聞8月号からの分です。構想はねっ
てあるのですが、どういう方向でいくかは、これから悩みます。いろいろ書きたいことがあって、
考えがどうもまとまりません。頭の中がまたモヤモヤとしてきました。こういうときは、「考え」を
吐き出すしかないのです。今日は暖かなよい春の朝です。ライトブルーの空がたいへんきれい
です。

 そうそう昨夜、女房とふとんの中で、こんなことを話した。「ぼくたちは成人病とは無縁だか
ら、よかったね」と。健康に感謝します。そう考えて、今日も、運動をしっかりとします。そうそう
金沢の友人のトライアスロンが近く掛川である。応援に行ってきます。

3.11
 昨日(日曜日)は、三男と女房と三人で、ボーリングに行ってきた。1ゲームを終えたところ
で、頭痛。風邪をひいてしまったようだ。往復、約1時間ほど、歩いていってきた。おかげで疲
れてしまった。帰ってきてから、ふとんにもぐり、一休み。ボーリングよりも、往復歩いたことの
ほうが、よっぽど運動になった。車がないということは結構、不便なことだが、しかしああして家
族で歩いてみるのも、よいことだ。何というか、時間がそこで止まったような感じになる。

 今日は銀行を回って、ドルに両替をしたり、送金したりしなければならない。何かと忙しい。き
のう回転寿司を食べたが、三人で、二五皿ほど食べたか……。ああ、またダイエットが失敗し
そうだ。せっかくここまで努力してきたのに……。おかげで今朝は朝食抜き。カロリーメイトをあ
とで食べようと思っている。

 このところこの「日々の記」には、バカなことばかり書いている。まじめな話は、どうか別のペ
ージでお読みください。どうもすみません。

3・10
 三男が横浜から帰ってきたが、今日も車はなし。日曜日だというのに、家でパソコン相手に
原稿を書いたり、ゲームをしたり。こんなことをしていたら、「お宅族」になってしまう。もうじゅう
ぶんお宅族だが……。

 今日は「依存心」と、「時の流れ」について考える。「依存心」については、自分の考えをうまく
まとめることができた。つまりそれが私の思想的な「結論」ということになる。一度、そういうふう
に結論を出しておくと、あとで迷うということがない。それが私にとっては重要なのだ。

 それにしても今日はいい日だ。少し風があるようだが、南風。気持ちがいい。そうそう昨日金
沢学生新聞のO氏から電話があり、私の連載が好評とのこと。一応七月で終了することになっ
ていたが、「続投してほしい」とのこと。うれしかった。いや、連載がうれしいのではなく、学生諸
君に支持されているのがうれしい。若い人たちが喜んでくれるということは、少しは未来に、自
分が生きられるということになる。老人会の会長になっても、それがどれだけ未来につながると
いうのか。そういう意味では、私の仕事は、未来性があってよい。

 ファミリスに、連載を書かせてもらったが、しかし本当に私が書きたい原稿は、もっと別のも
のだ。いつかどこかでその本当に書きたい原稿を載せてもらえたらうれしいのだが……。しか
し親たちが求めるのは、実用的な、つまりハウツー本なのだ。こうした要求にはさからうことは
できない。まず読んでもらうこと。本の使命はそこにある。読んでもらって本は本。ひとりよがり
な本を書いても、だれも相手にしてくれない。それはよくわかっている。

 今は午前11:30。起きたのが9時ごろ。少しおなかがすいてきたな。ハナ(犬)が、庭で、三
男に甘えている声がする。今日はあとで散歩に連れて行ってやるかな、と思っている。

 今は「子育てワンポイント」に全力を集中している。目標は600作。先ほど、181番目を書き
終えたところだ。では、みなさん、どうか、ワンポイントをよろしくお願いします。このサイトに載
せるのは、もう少し先になります。

3・9
 今日は一日、家で仕事をあれこれすることにした。長男が車を使うそうだ。明日も、使うそう
だ。おかげで、山荘へは行かれない。女房と、「バスで行こうか」と話し合っている。14日には、
新車が届くので、それまでのがまんだ。

 今日はデジタルマガジンを発行しよう。それから現在、私の連載を載せてくれている新聞社
や雑誌社(計4社)と、百撰さんが、また載せてくれるというので、原稿をまとめて送っておくこと
にした。何かと忙しいが、やるしかないね。

 昨日、新刊の贈呈本を知り合いの方々に送る。どうも動きが鈍いようだが、しかたないか。こ
ういう時期だし、本が出せたということだけでも感謝しなければならない。みなさん、ありがとう
ございます。

 今、考えていること。昨夜寝る前に、「ファミリス」最終回(4月号)を改めて読み直してみた。
「家族主義」について書いたが、こうした家族主義が日本に浸透するまでに、まだ10〜20年
はかかるかもしれない。外国へ出てみるとわかるが、「日本はまだまだ異質な国だなあ」という
実感。グローバルな見方をすると、韓国や台湾のほうが、まだわかりやすい。アジアで一番わ
かりやすい国は、シンガポールだ。日本はアメリカと北朝鮮の中間あたりにいるのではない
か。とくに教育的にはそうだ。しかし悲しいかな、日本人自身がそれに気づいていない。

 今朝の私は、少し熱くなっているようだ。居間でお茶を飲んでから、マガジンを発行します。で
はみなさん、「グッド・モーニング!」

3・8
 小寒いが、うららかなよい日だ。FMVは快調になった。しかし被害も結構、あった。メールアド
レスが消え、重要文書が消えた。これは私が保存を忘れたためのものだが、しかしその中に
ウィルスがいる可能性だってあったので、かえってよかったのでは……。シマンテック社に電話
をしたら、「ノートンを使っている間は、ウィルスが入るということはない」とのこと。すごい自信だ
ったね。

 今朝、起きる前に考えたこと。パソコンが普及して、仕事が楽になったかというと、そういうこ
とはないのではないかということ。かえって、雑用がふえたような気がする。以前ならやらない
ようなことまでパソコンにやらせている間に、どんどん仕事の量がふえていった。それが原因で
はないか?

 母親族よ、いいかげんに目をさませ! ……というような本を考えている。超辛口の子育て論
ということになる。意外といえば意外だが、この母親族が一番、保守的なのだ。ブランド志向、
見栄っ張り、即物的で計算高い。それがそのまま子育てに繁栄される。よく「父親よ、教育に参
加せよ」というが、その父親が母親の尻に敷かれてしまっている。これでは日本の子育ては変
わらない。……と書いたところで、猛烈に原稿を書きたくなった。となりのFMVが私を待ってい
る。では、これから指先をそちらのパソコンへ移します。ではみなさん、また明日、会いましょ
う。

3・7
 FMVをリカバリーした。合計で2〜3時間はかかったかな。まあ、トラブルは、これですっきりし
た。やはりパソコンは、使い分けるのが一番よい。私は今、3台のパソコンを使い分けている。
    パナソニックCF-L1……ホームページ作成用と、送信用のみ
    FMV……ワードとインターネット受信用
    メビウス・スタイル……その他の作業ほか。
   FSなどのゲームは、やはりFMVが一番よい。画面がスムーズに動く。

 ところで豊橋のマリエールは、すばらしい。ショコラチョコのような感じの建物で、タクシーの運
転手が、「若い女の子なら、わーっと喜びそうな建物だ」と言ったが、まさにそのとおりだった。S
氏は、本当に生き生きと仕事をしていた。ああいう人はいつみても、輝いている。すばらしい。
席では、豊橋市商工会議所の会長の佐藤氏と並ぶことができた。ちくわ会社の社長さんだっ
た。1時間ほど、話を聞くことができたのは、ラッキーだった。私にはない発想の話を聞くことが
できた。頭のよい刺激になった。やはり実務家というのは、世界をまた別の目で見ている。

 人は、緊張感の中に立たされて成長するものか。言い換えると、緊張感のない人生は、その
人を伸ばさない。ものを書くにしても、それだけの責任を負わされて書くのと、そうでないのとで
は、まったく内容が違ってくる。そこがプロとアマの違いでもある。私も10年ほど前、ある都市
で、有料の講演会を開いたことがある。あのときは、数日前から眠られなかった。そういう緊張
感があってこそ、私はそのあと、講演会がスムーズにできるようになった。

 5月に島田市で講演会をする。かなりおおがかりな講演会だ。しかしそういった緊張感がある
からこそ、また自分の中に何かができていくのを感ずる。おもしろいものだ。

 そうそう、あの万博会議の第一回目のとき、山折先生や石毛先生、キャスターの草野さん
や、アーティストの藤井さんらに囲まれて、(それに無数のテレビカメラや、新聞社のカメラ、記
者に囲まれて)、正直言って、私はあがった。しかし2回目からは、まったく平気になった。そう
いうものだ。3回目では、町内会に出るような感じで意見を言うことができた。そういうものだ。

 私は私の道を行けばよい。最近はそう思うようになった。人がどう思おうとも、思わなくても、
私には関係ない。私はただ私が信ずるところに従って、前に進めばよい。こうしてサイトにいろ
いろなことを書くのは、それはちょうど、暗い部屋の一室で、コソコソと、インターネットウィルス
を作っている悪党とは、まさに反対のことをするためだ。皆さんのお役にたちたい。生きている
限り、皆さんのお役にたちたい。ただひたすら前向きに! ……と本気で考えている。政治家
も同じようなことを言うが、私のばあいは、無欲だぞ! 金銭的な野心もなければ、名誉、地位
もない。権力も、公的な保護も恩恵もない。何もないぞ! そこが違うぞ! だから私の身辺は
いつもすっきりとしている。気持ちがいい。この自由感こそが、私の財産だ!

 しかし私はラッキーだと思う。こうして毎日考えていることを、本にしたり、講演会で話したりす
ることができる。考えていることがムダにならない。だから私は考える。だから私はラッキーな
のだ。人にはそれぞれ使命があるものか。私の使命は、ただひたすら常識を追求し、その常
識を思想に昇華させること。何となく、おおげさな言い方になったが、そう思っている。昨夜は
女房とふとんの中で、一時間ほど、ペチャペチャしゃべっていた。あいつはおしゃべりだ。だか
ら今朝は少し寝不足。あとで昼寝をしよう。これから朝ご飯を食べて、今日の仕事にとりかか
る。

3・6
 今日は豊橋マリエールの開館式。常務のS氏に招待されるていので、行ってくる。とても楽し
みだ。

 やはりFMVにはウィルスが入っていた。ノートンの最新版でウィルスチェエクをしていたが、侵
入された。ああああ。結局修復しても心配なので、今度の日曜日リカバリーだ。しかし数時間
はかかるかも。しかしウィンドウXPは、復元ができる。復元で一応、今のところ、正常には戻っ
ているが……。それにしても、こういういたずらをする人間があとをたたないとは……。本当に
いやな連中だ。悪党だ。せっかくの知恵を悪いほうのために使っている。どうしてだろう。

 文を書く人は多いが、しかしその文才を使って、悪の道を増長させている人がいる。これから
は正義と悪の戦いになるかもしれない。私は正義か。本当に正義か。これからは自分にそん
なことを問いかけながら、前に進もう。私には、時間がない。急がなくてはならない。今の健康
だって、いつまで続くかわからない。

 ところで再確認。このパソコンは、ホームページ専用にする。
 FMVは、ワープロ専用にしよう。
 では、インターネットはどうする? ウィルスがこわくて、メールを開くのも、このところおっくう
になってきた。メールを開くパソコンは、メールを開くパソコン専用にしよう。古いパソコンをそ
れにするしかない。ウィルスが入ったら、そのつど削除するとか……。しかしこういった原始的
な方法が、結局はもっとも安全なのか?

 今日は朝から暖かい雨。これから雨ごとに暖かくなっていく。

 ウィルスチェックをしてない人からのメールは、これからはお断りということにします。これは
自衛策です。くれぐれもよろしくお願いします。

3・5
 新刊書の発売日は、3月6日、つまり明日だそうだ。はやばやと連絡した人には迷惑をかけ
たかもしれない。今日、地元の本屋に電話をしたら、調べてそう教えてくれた。

 今朝は、別の本の原稿を書く。ほぼできあがったが、これからがたいへん。推敲に推敲を重
ね、少しずつ「形」をつくっていく。

 昨日、大阪の育和学園幼稚園から講演の依頼がある。佐竹先生とはもう3年目のおつきあ
いになる。喜んで行くと返事。

 今日、興味をもっていることは、たとえば情緒障害児という子どもがいる。いろいろなタイプの
子どもがいるが、それはそれとして、そのタイプの子どもは、おとなになるにつれてどう変化し
ていくかということ。簡単な例でいうと、たとえば赤ちゃんがえりをする子どもがいる。このタイプ
の子どもは、年齢とともにあかちゃんがえりの症状は消える。しかしその「残像」はたしかに残
る。異常なケチになるとか、あるいは心が緊張状態になりやすいとか。こうした「残像症状」に
ついて、研究した研究家はいない。論文も見たことがない。(これは私の勉強不足によるもの
かもしれないが……)。私はその「残像症状」について今日は考えてみたい。「残像症状」という
言い方も、私独自のものだ。特許でもとるか? ははは。

 デニースへのみやげの本などを買い込む。彼女はたいへん勉強好きの女性だ。私はこうい
うふうに前向きに生きていく女性が大好きだ。男性でもそうだが。そうそう南アフリカに住む、N
氏も、「考えることが大好き」と書いてきた。仲間をみつけたようでうれしかった。「考えるのが大
好き」という人は、あまりいない。私も毎日、パズルのように、いろいろな問題について考えてい
る。これはもう趣味のようなものだ。何かテーマがないと、イライラする。あるいは頭の中がモ
ヤモヤしてくると、やはりイライラする。そういう性分なのだ。N氏からのメールは、許可を得た
ので、このサイトに掲載しておきます。「N氏からのメール」へ。

 突然FMVの調子が悪くなる。システムの復元もできなくなる。ノートンの最新ワクチンは入っ
ているはずなのに、まったく動かない。今のところワープロ専用で使っているので、被害はない
が、しかしWINDOWxpでも、こういうことがあるのか。おかしなことだ。どうしたものか。リカバリ
ーするしかないのか。
 
 一つ気になるのは、N氏からのメール。N氏からのメールだけ、開くと、一時的に画面がまっし
ろになる。そのあと削除を試みるのだが、削除そのものができなくなる。そのあと、今度は返事
を書こうとしても、文字の入力ができなくなる。こわいことだ。そこで今朝は、パソコンそのもの
が、動かなくなる。新種のウイルスか?
 
 こういうことがあるから、パソコンは、恐ろしい。もっとも、私のばあい、多少の知識があって、
修理ができるのでよいが、そうでない人だったら、この段階でパソコンを投げ出してしまうに違
いない。

 さて今朝は春の曇り空。暖かいが、どこかに風の冷たさを感ずる。今朝の大仕事(?)は、



3・4
 今日は新刊書発売の日。売れればよいが……。あまり期待していない。どうかみなさん、よ
ろしくお願いします。

 この子育ての世界も、「わけのわからないあやしげな教育論」をぶつ人が多くなってきまし
た。だからといって私が正統派だとは思っていませんが、しかしだれかが正当論をぶたなけれ
ばならないのです。いろいろなカルト教団が姿や名前を隠して、教育論をぶっています。あるい
はそういうコーナーをつくっています。あるいは古い封建時代の遺物をぶらさげて、天照大神を
大切にしないと、よい子は生まれないとか、まあ、とんでもない時代錯誤的なことを言ってくる人
もいます。どうか、皆さん、気をつけてください。

 アメリカのJIMからメール。このところの寒さで、生まれたばかりの子牛が死んでいくということ
だ。アメリカというと、ハリウッド映画しか知らない人が多いが、ほとんどの地域は、牧歌的での
んびりしている。ビートたけしの「バトルロワイヤル」を見て、これが日本だと思ってもらっては困
る。……というような同じことを、もう一人のアメリカ人が言っていた。「ダイハードを見て、アメリ
カは皆、ああだと思ってもらっては困る」と。いつかインドネシアで暴動が起きたとき、日本でも
暴動が起きていると思ったアメリカ人がいた。アメリカから見れば、日本もインドネシアも同じな
のだ。それと同じように、アメリカと言っても広い。テキサス州だけで日本の国土の2倍もある。
人口も多い。だからアメリカのどこかで暴動が起きたからといって、それがアメリカ全土の事件
と思うのはまちがい。アメリカにもいろいろある。そういえば日本で地震が起きるたびに、「日本
はだいじょうぶか」と心配してくれているオーストラリアの友人がいる。

 今日はあれこれいそがしい。一つずつ片付けていくしかない。頭の中がモヤモヤしている。こ
れを吐き出さなければならない。「子育てワンポイント」を昨夜、20作ほど、書き足す。いつか6
00作、まとめて本にしたい。今のところ、140作程度。まだ道は遠い。

3・3
 今日はやや肌寒い、曇り。朝早く一度目がさめて、またフトンの中へ。再び起きてみると、ラ
イトブルーの青い空。春がすみ、あるいは花粉がすみのうららかな朝だった。風はなし。絶好
のたきび日和(びより)。

 今日はひな祭り。先週の金曜日に、年中児のN君(男)が、「ぼくんちで、ひな祭りをするよ」と
言った。で、私が「君のところに妹がいるの?」と聞くと、「いない」と。「じゃあ、お姉さんか」と聞
くと、「お姉さんもいない」と。話をよく聞くと、お母さんがお母さんのために祭るのだそうだ。そう
いう家庭もある。

 山荘では、サクランボや梅の花が満開だった。きれいだった。それにシイタケもできていた。
ボケの花も、真紅の花を咲かせていた。きれいだった。天国というのは、ああいうところをいう
のか。よく子どものころ、天国というのは雲の上のような世界だと聞かされた。しかし飛行機か
ら見る雲はつまらない。一時間も見ているとあきてしまい、たいてい窓をしめる。しかし山荘の
景色はあきない。いつまで見ていてもあきない。天国というのがあったとしたら、山荘のような
景色をいうのだろう。私と女房はその天国にいる。

3・2
 マガジンを発行する。このところ週1回ずつ発行している。原稿はどんどんたまっていくので、
全部を発表できないが、少しでもだれかに読んでもらえればそれでよい。自分の経験や能力
が、少しでも皆さんのお役立てれば、それでよいのだ。もちろんお金にはならないが、残りの人
生はそのお金では計算できないほど、高価なもの。

 今日は女房と山荘へ行くつもり。まだ朝、早いので、計画はしてないが……。ところで女房も
正月から、約3〜4キロのダイエットに成功したという。腰がすっきりしてきた。昨日、「すっきり
したね」と話したら、うれしそうだった。あいつも単純なところがある。このところ毎日のように、
コタツの中で、ビッツのカタログをながめている。あいつがこんなふうに、モノにこだわるとは思
ってもいなかった。

 今日のテーマは、これは極秘。ははは。新しい本を30%くらい完成した。これを今週中に、8
0%くらいにしたい。がんばります。頭がサクサクと動くうちに、勝負をしなければなりません。
今にボケたら、どうする? こわいですね。

 ところでマイクロソフト社のFSはおもしろい。このところ毎日、20〜30分は空を飛んでいる。
しかしそのたびに飛行機酔い。これは本当の話。で、いつも終わるたびに気分が悪い。気持ち
悪くなる。だから昨日はしなかった。今日もしない。あまりにもリアルすぎるのだ。

 このパソコンの調子はよくなったが、かわりにFMVのほうが少しおかしい。ときどきメールの
文章がかけなくなる。どうしたものか? それにしても、おなかがすいたな。

 ハナ(犬)がときどきウソをつくようになった。私を庭へおびきだすために、わざと何がいるみ
たいに、ワンワンとほえる。私もおもしろいから、ハナをからかってやる。「どうした?」「何かい
るか?」と、ウソにのってやる。そうするとハナは、あたかも何かいるかのように、わざとらしくあ
ちこちを動きまわる。犬はウソつかないというのは、うそ。犬だってウソをつきますよ。おもしろ
いですね。ただそのウソが、あまりにも浅はかというか、すぐバレるウソ。それがおもしろい。人
間のほうが、少しは利口なのです。

 今月号の「百撰」にエッセイが載っています。またどうか、どこかでご覧になってください。ただ
名まえが、「林ひろし」になっていた。私は「はやし浩司」だ! 「どちらかがひらがなだったか
な?」ということで、編集の人がまちがえたのだろう。しかし改めて「林ひろし」と書かれた自分
の名前を見ると、本当に他人のように思われる。名前というのは、不思議なものだ。あとでYさ
んに、その旨にFAXを入れておこうと思う。いや、いいか。またにしよう。こういう話は、お互い
に不愉快なもの。私はそういう不愉快なことは、後回しにすることにしている。いつか話があっ
たとき、「ああでしたよ」と言えばよい。

 昨夜は2時間、猛烈に原稿を書いた。書き終わったとき、ここちよい疲れ。この「疲れ」が何と
も気持ちよい。私のばあい、こうして「荒削り」の原稿をまず仕上げる。それをゆっくりと加工
し、資料集めなどをして、肉をつけたり、削ったりする。このあたりの作業が一番、おもしろい。
そしてやがて本に仕上げていく。こういう不況時代だが、今のところ、出版社で苦労したという
ことはあまりない。昨年は本を一冊も出さなかったのは、私が遠慮したためだ。しかしこういう
時代だからこそ、つまりみんなが遠慮しているからこそ、本もかえって出しやすいのでは……。
インターネットの時代とは言いながらも、やはり本のもつ重量感、簡便性にはかなわない。…
…と思う。情報の内容は同じでも、それはちょうど、レストランで食べる料理と、電子レンジで食
べる料理との違いではないのか。問題は、どういう本を出すか、だ。くだらない本だったら、時
間のムダ。資源のムダ。先日も、友人のK君が、一冊の本を見せてくれた。大阪の味と東京の
味が日本のどのあたりで分かれるかという内容の本だったが、私はその本を一瞥して、「よくも
まあ、こんなムダな本を書くために、労力をムダにするもんだ」と、そちらのほうで感心した。著
者には失礼だが、もっと自分の時間を有効に使ったらよいのに、と。

 それから本というのは、売れてはじめて本。売れない本など、何冊出してもただの自己満足。
会社が出す社内報と同じで、思想的にはほとんど意味がない。本の評価は、時間の尺度にあ
てはめて決める。一年後にほとんど忘れ去られるような本は、結局はムダ。時間の尺度を超え
るためには、大衆に浸透しなければならない。そのためには売れなければならないのだ。もち
ろん本にもいろいろあり、目的も方向性も違うが、こと「子育て本」「教育評論本」についてはそ
れが言える。私の本は、ほとんど売れない。つまり私はいつも時間のムダを繰り返している。
悲しいかな、これがはやし浩司の実力だア! 自分でも自分はバカだと思っている。

 皆さんはこのサイトをどう思ってくださっているかは知りませんが、しかしこのサイトのアクセス
は、毎日、昨年末の2倍程度にふえています。どうもありがとうございます。私にとっては、大き
な励みになっています。

3・1
 よい朝だ。頭の中がサクサクと動くので、今朝は、「子どもの人格形成」について考える。短
いエッセイだが、うまくまとまった。いや、原稿がまとまったということではなく、考えがまとまった
ということ。

 ところで今日から3月。めっきり春らしくなってきた。しめった土の香りの中にも、どことなく春
のにおいがする。このところ以前ほど、朝起きるのがつらくない。書斎に入ると、すぐこたつに
電源を入れたりしたが、今は、こたつなどないほうがよいくらいだ。あるとかえって眠くなってし
かたない。

 昨日、リヨン社の新刊が、10冊(著者献本分)が届く。今までの中で、最高のでき(?)と思
う。表装も気に入ったし、内容的にも自信がある。これならどこへ出しても恥ずかしくないと思
う。あとは一人でも多くの読者に読んでもらいたい。今度から講演先で、本を売ることにした。
今までは遠慮して、そういうことをしなかったが……。

 金沢大学の学生新聞での連載は、もう10年近くになるのでは……。今の連載が終わった
ら、どうしようかと悩んでいる。一度、身を引こうか、それともまた書かせてもらおうか。形として
残すなら、やはり印刷物しかない。インターネットでの情報は、早くて、それに比較にならないほ
ど多いが、しかし印刷物のような重量感がない。

 思索することは大切なことだが、しかし堂々巡りは、時間のムダ。うちのハナ(犬)も、ときど
き思慮深い顔をしているが、多分堂々巡りをしているのだろう。だから犬は犬のまま、進歩す
ることができない。人間がこうまで進歩(?)したのは、言葉の発明と並んで、文字の発明があ
ったからだ。文字で書くことにより、人間はこの堂々巡りから脱却することができるようになっ
た。もし文字がなければ、人間の進歩はそこで止まっていただろう。

 私たちがなぜ文を書くかといえば、その堂々巡りを防ぐためだ。書くことによって、一つずつ
結論を出し、その結論の上につぎの結論をのせていく。そしてそれを無数に繰り返して、一つ
の思想に、さらにひとつの哲学にする。気が遠くなるような作業だが、生きるということは、その
哲学をいかに熟成させるかということだ。少なくとも、私にはそういうことだ。きのう考えた、「は
やし浩司の文化論」は、その堂々巡りの中に入ってしまった。まだそれを書くまでの周囲知識
や周囲思考が煮詰まっていなかったためだ。この問題を攻めるには、まず外堀を一つずつ埋
めていかねばならない。いきなり「文化論」なんて、書けるわけがない。私が浅はかだった。

 このサイトを開いたころは、大半がこの浜松市周辺の人からの反応だった。しかしこのとこ
ろ、北海道から沖縄まで、さらにアメリカかや南アフリカに住んでいる人からも、メールが届くよ
うになった。かわって相対的に、浜松の人が目立たないほど少なくなった。これはインターネッ
トのすばらしい点ではないか。浜松市という地方都市に住む私の意見が、この浜松市や、さら
に東京という中央を通り越して、世界へ出るようになった。もう、こうなると、地方とか中央とか
言っているほうがおかしくなる。もちろん新聞、雑誌、テレビの世界はいまだに中央意識が強い
が、やがてそれもなくなるのではないだろうか。大きな社会的変化だと私は思っている。

 そういう意味ではこれから先、私のように個人がサイトを開き、自己主張をするようになる。し
かし問題はその先だ。つまりどのサイトが生き残るかという問題が出てくる。それはちょうど選
挙のときの投票のようなものだ。多くの人に支持されたサイトが生き残るということになる。支
持されなければ、マイナーなサイトとして、(このサイトもそう?)、社会のスミでひっそりと生きる
しかない。まあ、それでも一応、自己主張は自己主張だが……。私はあまり人の判断を気にし
ないで、このサイトをもう少し充実させたい。もうすぐ、このサイトも丸一年になる。(2001年5
月開設)はやいものだ。しかしこの一年、結構、楽しかった。多くのメル友ができた。

2・28
 昨日は、一日中、「文化」について考える。考えるといっても、私のばあい、書くということ。書
きながら、「文化とは何か?」と。しかしどうしても文章がまとまらない。で、何度も挑戦しては、
あきらめ、また挑戦してはあきらめるの繰り返し。それはちょうど山登りのようなものだ。登ろう
とするのだが、足元から土が崩れてどうしても登れない。そこであちこちの本をパラパラとめく
る。最初に目についたのが、ベネディクトの「菊と刀」。彼はこう言った。「西洋は罪の文化。日
本は恥の文化」と。で、ますますわからなくなってしまった。この問題、つまり「文化とは何か」と
いう問題は、考えていたよりはるかに奥が深そうだ。

 そこで迷う。このまま考えようか。それとも別のテーマで考えようか、と。いきなり大きな山に
ぶつかると、かえって混乱し、時間がムダになってしまう。こういうときは、まず、外堀を埋め
る。そういう作業から着手する。たとえばいきなり「文化論」ではなく、「文化と文明」とか、「思想
と文化」とか、もう少しわかりやすいテーマから攻める。そして最後に文化論を考える。それが
正攻法だ。

 これは「教育論」についても同じ。素人がいきなり教育論を論じても意味がない。直感的なこ
とは言うが、それは乾電池のつなぎかたも知らない人が、「DV(デジタルビデオ)」の性能を論
ずるようなものだ。けっこういっぱしの論客のつもりで教育論を言う人がいるが、その浅はかさ
は、私には手にとるようにわかる。で、私がその文化を論ずるということは、まさに乾電池のつ
なぎ方も知らない人間が、DVの性能を論ずるようなものだ。だからやめよう。文化論は、やは
り文化勲章をとるような人が論ずればよい? まあ、ともかくも、この問題はじっくりと考えてみ
たい。

 昨日、原稿(11ヶ月分)をファミリスに送ったら、ポッカリと心に穴があいてしまった。で、今日
からまたまた「子育てポイント」を書き始める。今やっと、122作目になったところだ。ここ数日
中に、200作までまとめたい。で、今度の新しい本のタイトルが決まった。「バカママよ、いいか
げんに目を覚ませ!」だ。
 女房にそれを話すと、「読者対象はどうするの?」だって、さ。なるほど。私の読者は大半が
母親。95%が母親とみている。その母親を「バカママ」と呼んだのでは、だれも本など買わな
い。……うむう、どうするか。ここは思案のしどころ。私ならおもしろい本が書けそうなのにな。
まあ、書いてみるか。このところ、イライラすることが多い。それを思い切って吐き出してみた
い。

 これは追伸だが、「西洋は罪の文化」というのは、「キリスト教を意識した文化」と考える。「日
本は恥の文化」というのは、「日本は世間体を意識した文化」と考える。日本人は長い封建制
度の影響で、他人の目を意識した生き方になってしまった。「恥」という言葉は、そういう背景か
ら生まれた。このことはもうすでに別のところで、考えたことなので、ここまでにしておく。

 ところで今朝は、昨夜からの雨がまだ続いている。いや、雨はやんだが、今にも泣き出しそう
な天気だ。山荘のほうは、水不足なので、私はどんどん降ってほしいと願っている。今日のテ
ーマは、「子育てポイント」をできるだけたくさん書くこと。もう一つは、ここにも書いたように、文
化論をまとめたいということ。南アフリカに住んでおられるN氏に、何とかまとまった原稿を送っ
てみたい。今、N氏とメール交換をしている。ひさびさの哲学論争で頭の中がピリピリと動き出
した。おもしろそうだ。

2・27
 リヨン社のY編集長からメール。とうとうできたぞ! 「子育てストレスが子どもをつぶす」(1
300円)。どうか皆さん、書店でお買い求めください。3月4日から全国の書店で販売にな
ります。献本分が今日、発送してもらえるとか。明日がくるのが、楽しみだ。

 ファミリスの原稿を完成させる。私が今までに作成した「ママ診断」の中では最高のできです。
どうか皆さん、ファミリスをご購読ください。こういう時期で何かと恐縮なのですが、くれぐれもよ
ろしくお願いします。

 明日からは、また別の新しい仕事に向けてがんばります。もう一冊、本を完成させたいし…
…。

 そうそう昨夜、3か月ぶりに、ハンバーグを食べた。牛肉を食べるのは勇気がいることだが、
レストランでなりゆきでそうなってしまった。しかし、おいしかった! ひさびさの肉で、一口ごと
に体の中にしみこんでいくような感じがした。

 ところで、こんな話。
 娘(高一)が軽い拒食症から不登校児になったとき、母親は娘にこう言った。「お母さんは、悲
しい」と。それに対して、娘はこう言った。「どうして? どうして悲しいの?」と。
 また別の日。半年近く不登校を繰り返していた中学二年の娘がいた。その娘がある夜、母親
にこう言った。「お母さん、明日は学校へ行ってみようか」と。これに対して、母親は「うれし
い!」と。そこで娘はこう言った。「どうして? どうしてうれしいの?」と。
 この二つの話は、その底流でつながっている。不登校を悲しむ親も、そして学校へ行くのを
喜ぶ親も、ある特殊な価値観をもっている。「学校とは行かねばならないところ」「学校へ行か
ない子どもは落ちこぼれ」という価値観である。しかしそれは子どもの価値観ではない。言うな
れば親が、自分たちの世界でつくりあげた身勝手な価値観でしかない。もし、そうでないという
のなら、あなたは子どもたちの「どうして?」という疑問に答えることができるだろうか。

2・26
 今朝は6時に目がさめた。しばらくふとんの中で、あれこれ考える。この日本、地位や肩書き
のある人にはペコペコする反面、そうでない人はぞんざいにあつかう。それはわかるが、親も
そうだ。経験や「力」をみることすらできない。親自身が、その人を地位や肩書きで判断しようと
している。それが逆にわかったとき、私は、その親のために働く意欲が急速に消える。

 女房が新車を買うことにした。自分が乗る車がほしいとのこと。で、一番手ごろな、トヨタのビ
ッツにした。車体価格で、115万円だそうだ。プラス20万円ほどの税金.それにしても高額だ。
日本の税金はいつの間にか、世界一になってしまった。私は車にはまったく興味がないので、
どれでもいい。しかし女房はビッツにこだわった。私がトヨタの店で、「どれでも同じようなもの
だ」と言ったが、女房は一言、「私はビッツ」だってさ。あいつはがんこなところがある。で、ビッ
ツになった。一日中、カタログを見て楽しそうだった。で寝るとき、「ぼくのパソコンのようなもの
だね」と言うと、「そうよ」と笑っていた。私はいつも寝る前には、パソコンの雑誌を読んでいる。

 今日は午前中は静岡市へ行くことになっている。新幹線で行こうかと思ったが、各駅停車の
東海道線で行くことにした。1時間15分。ちょうど一眠りできる。新幹線だとできないし、それほ
ど急ぐ必要もない。それにお金がもったいない。まあ、私もジブチンになりつつある。無駄な出
費は避けよう。

 このところこのサイトへのアクセスが、ふえている。きのうチェックしてみたら、平均して毎日、
50〜60件もある! 驚いた。この日々の記まで読んでくださる人がいるかどうかわかりませ
んが、どうも皆さん、ありがとうございます。(どうして日々の記としたかというとですね、ニッキと
書くと、ヤフーの検索で、「はやし浩司 ニッキ」でこのページが検索されてしまうからなんです。
で日々の記としました。)

2・25
 ファミリスの原稿がほぼ完成する。原稿を書くときも楽しいが、完成間近の原稿を、あれこれ
手直しするのは、もっと楽しい。恐らく彫刻家もそうではないか。これは私のあくまでも私見だ
が、プロのモノ書きと、アマチュアのモノ書き違いは、最後の「手直し」で、どこまで完成させる
かの違いではないかと思う。思想的には、それほど違いがあるわけではない。しかしプロは、
最後の手直しで、文全体をうまくまとめあげることができる。そうでない人は、それができない。
プロだから思想が深いとか、アマチュアだから浅いということにはならない。たとえばよくテレビ
に出てくるTという作家がいる。いつももっともらしい自然論を展開しているが、あの人は確かに
文章はうまい。しかし中身はペラペラ。ペラペラに薄い。そういうプロもいる。

 一方、文章はヘタだが、中身の濃い人はいくらでもいる。つまり「思索」と、その思索を表現す
る「文章力」は別のものということ。たとえば農家の人と話していると、はっと驚くほどの思索を
感ずることがある。深い教養を感ずることがある。内心では、「こういう人がうまく文章で自分を
表現できたら、すばらしい文章になるだろうな」と思うが、しかし彼らのほとんどはあまり文章を
書かない。そういうものだ。

 「ふつうの子ども」論というのがある。しかしこの世の中には「ふつうの子ども」などというの
は、存在しない。が、親は、「子どもの問題」を口にするとき、まず第一に、「ふつうの子ども」と
違うことを問題にする。おかしなことだ。親自身が、子どもの多様性を認めていない。同じよう
に「ふつうの子育て」というのも、存在しない。要は、社会が、多様性のある人間を認めていな
い。単一民族国家の弊害というか、どうしても人間を画一的にとらえてしまう。またその範囲で
しかものを考えることができない。こうした島国意識をいつどのようにして破るか。それが問題
だ。……私が問題にしても、意味はないが……。

 鈴木Mについて追伸。あのオウム真理教が犯罪を犯したとき、あのオウム真理教に、教学の
立場で議論に臨んだ仏教学者は一人もいなかった。日本は仏教国だったはずだが……。同じ
ように、鈴木Mに対して、政治学の立場で議論に臨む政治家、あるいは政治学者は、今のとこ
ろいないようだ。(もっとも鈴木Mは、そういった議論の相手になるような人間ではないが…
…。)さらに夜のバラエティ番組を見ろ! 何ともサルに近い低俗な人間たちが、ギャーギャー
と騒いでいる。近代国家で、最先端の電子技術を使って、ああいう番組をたれ流すこのおかし
さ。これらの問題(オウム、鈴木、バラエティ)は、その底辺でどこかつながっている。つまりそう
いうものを抑制する文化が、まだこの日本には育っていない。あるいは教育という立場でも、そ
ういうものを抑制する力を育てていない。ここが問題なのだ。何か法律的な問題を起こしたとき
のみ、重い腰をあげる。

 文化とは三つの面をもつ。行動文化と抑制文化、それに周囲文化だ。これについて今日は
考えてみたい。称して「はやし浩司の文化論」。おもしろそうだ。

 今朝の私は、過激なことばかり考えている。精神状態があまりよくないようだ。風がないの
で、枯れ木を少し燃やして気分転換しようと考えている。こういう状態で文を書いても、よい文
は書けない。自分でもそれがよくわかっている。では、グッドモーニング!

2・24
 鈴木Mという政治家が、騒がれている。しかしあの醜い形相は何だ? 出世欲にとりつかれ
たガキそのもの。いつか彼は今の自分を振り返って、その醜さに驚くことがあるのだろうか。あ
るいは死ぬまでにそのレベルに達することができるのだろうか。同じ日本人というより、同じ人
間として、ああいう低レベルな人間が、国会議員でいることの不思議さ。おかしさ。こうして鈴木
Mについて書くのも、不愉快だ。

 自分を知ることはむずかしい。哲学の目的は、「自分を知ること」。スパルタの七賢人の一人
のキロンも、「汝自身を知れ」という有名な言葉を残している。つまりそれくらい自分を知ること
は難しいということ。

 今日は日曜日。朝食のとき(朝食といっても、カロリーメイトを一袋と、小さなパンを2個と、ス
ープだけ)、女房と3月の旅行の話をする。知人の経営する「水上温泉」(群馬県)へ行きたい
と、私は内心では思っている。女房は、新聞折込を一生懸命、見ていた。バス旅行は疲れな
い。それに結局は安上がりになる。どうしようか……?

 今日はいくつかのテーマについて考えてみたい。
(1)思想と人間性……思想を高めれば人間性も高まるのか。人間性は変えることができるの
か。脳の機能分野の視点から、この問題について結論を出しておきたい。
(2)同じようなテーマだが、運動と大脳の働きについても。とくに今、興味をもっているのは、子
どもの闘争心について。闘争的であるということと、生活力は関係があるのか、など。この分野
は大脳生理学の分野だが、近年、急速に研究が進んでいる。子どもの教育とどうかかわるべ
きかについて、やはり一定の結論を出しておきたい。このところこの問題で、堂々巡りをしてい
る。今の私の意見としては、「子どの闘争心はあまりいじらないほうがよい」ということになる。こ
れは経験的な意見なので、これを大脳生理学的な立場から、証明できればと思っている。(あ
るいは先入観をもたないで、もう一度、考えてみたい。)

 人間もある年齢を超えると、その人生を繰り返すようになる。ここで問題は、その「ある年齢」
という部分だ。それは何歳をいうのか。あるいはそれには個人差があるのか。いや、当然、個
人差はある。また人生を繰り返すようになると、そこでその人の進歩は止まる。いくらすばらし
い学歴があっても、止まる人は止まる。学歴がなくても、止まらない人は止まらない。大学の同
窓会に出ても、何人かは明らかにその進歩が止まっていた(失礼!)。一人、「ああ、この人は
30歳くらいで止まったのではないか」と、はっきりとわかる男もいた。
 この問題についても、今日、考えてみたい。



2・23
 プライドとは何か? 生きる誇りとは何か? このところこのテーマについてよく考える。たと
えばこういう仕事をしていると、いつもどこかで頭をさげなければ、生活費そのものを手にする
ことができない。だから頭をさげる。しかしどこまでさげればよいのか。またさげなければならな
いのか。たとえばときどき私の教室へ見学にやってきて、「入ってやる」というような態度をとる
人がいる。私自身は、「入ってください」とお願いした覚えはまったくないので、そういう態度をさ
れると、思わず「出て行け」と言いそうになる。しかしそれでは仕事は成り立たない。黙って(け
んかをするのもおとなげない)見送るしかない。そういうときだ。プライドとは何かと考える。

 ただ私には私のやり方がある。そのやり方はここに書くことができないが、それが私の生き
る誇りのようなものだ。たとえば……、これは少し話が違うかもしれないが、私だって悪口を言
う相手がいる。しかし悪口を言ったら言ったで、その人とは交際しない。そういうふうに表ヅラと
裏ヅラを使い分けるような芸当は私にはできない。したくない。わかりやすい人生が、私のモッ
トーでもある。もう少し、ズルく生きれば、もう少し収入もふえるのだろうが、しかし私にはそれ
ができない。

 私の教室に「入ってやる」というような言い方をした人は、こちらから断わるようにしている。断
わり方はいくらでもある。そういう人と人間関係をつくるのは、もう疲れた。今まで無数にやって
きた。人生も五〇歳を過ぎると、「同じ繰り返し」をするのが、苦痛になってくる。だから断わる。

 今朝は早く起きて、ファミリスの原稿にとりかかる。私は当然のことだが、自分の仕事と意識
したときには、絶対に手を抜かない。いいかげんなものを出してあとで後悔するくらいなら、出
さないほうがよいのだ。編集長のK氏が私を信じてくれる以上、私はそれにこたえる義務があ
る。それが私のやり方だ。ファミリスというのは、静岡県という小さな地域の雑誌だが、全国に
出しても恥ずかしくないような記事を書く。昔HWという雑誌を創刊したことがある。全国規模
で、毎月27万部も売れた。そんな雑誌でも書けないような記事を私は書く。絶対に書く。まあ、
見ていてください。これが私の生きるプライドだ! さあ、どうだ!

 きのう浜松百撰のYさんから、昔の百撰を送ってもらう。若いころ書いた原稿が載っていた。
今から思うと恥ずかしいような内容(文章は私のもの)で、赤面する。しかしYさん、大切にとっ
ておいてくれて、ありがとう。Yさんは、本当にすばらしい人だ。どうして浜松人よ、ああいう人
を、文化芸術大学の教授にしないのか? 東京からばかり人を呼んで来て、教官にすえてい
る。地方根性丸出しというか、こういうことばかりしているから、浜松はいつまでたっても、地
方、地方とバカにされる。

 今日の教訓……つまらないことは考えない、つまらないことで心を煩わさない。
           青い空と輝く太陽を見ながら、前向きに生きるぞ。

2・22
 このところあまり調子がよくない。インフルエンザのせいだと思う。今朝は風邪の症状はまっ
たくないが、しかし本調子ではない。頭の動きがどこかモタモタしている。

 「今を生きる」ということは、今を大切にしながら生きるということ。結果はあとからついてくる。
たとえばここに10万円のお金が落ちたいたとする。そのお金があれば、明日、家族でおいしい
ものを食べられるかもしれない。しかしそのお金に手をつけてはいけない。お金に手をつけれ
ば、「今を汚した」ことになる。「明日」などというバーチャルなものに、今を犠牲にしてはいけな
い。明日などというものは、どこにもないのだ。あるのは「今」だけなのだ。その今を大切にしな
がら生きよう。それが私がいう、「今を生きる」という意味なのだ。

 年齢にしてもそうだ。私は今、54歳だが、だいたい54という数字がおかしい。これは富士山
が3000数百メートルというのと同じで、そんな数字は富士山のどこにも書いてない(書いてあ
るとしたら、人間が書いたのだ。)富士山は富士山。私は私。大切なことは、今、私の頭脳が、
若い人たちと議論ができるかどうかなのだ。できればそれでよい。……年齢だけでいうなら、二
〇歳でも、頭のボケた人はいくらでもいる。八〇歳でも、頭のしっかりした人はいくらでもいる。
昨夜テレビを見ていたら、八〇歳を過ぎた女性俳優が、「私はもうすぐ死にますから」と最後の
講義をしていた。それを聞いた若い俳優の中には、涙をこぼしている人もいた。しかし私は絶
対にそんなことは言わないぞ。仮に八〇歳になっても! 日本人はこういうことを平気で口にす
る。要するに子どもが「おなかがすいた」と言うのと同じだ。言外で、「だから何とかしてくれ」と
言っているのだ。「私はもうすぐ死にますから(何とかしてくれ)」と。つまり同情をかっていること
に、自分で気づいていない! ああ、いやな言い方だ!

 今を生きるというのは、年齢なんか、気にすることはないということ。今は今。54歳であろう
が、100歳であろうが、そんなことは関係ない。年齢を会話にしたい人がいたら、そういうの
は、その人に任せればよい。私には関係ない。私が書いていること、話していること、それに価
値があるかないかが問題なのだ。

 そうそう頭というのは、使っていないと、すぐさびる。これがこわい。54歳でも、さびてしまって
使い物にならない人はいくらでもいる。体と同じか。いや、体と頭は違うような気がする。体は
使っていても、さびることがある。頭は……? これについては、自分でもよくわからない。私は
私の頭はさびていないと思うが、脳のCPUがさびれば、そのさびていること自体わからなくなる
はずだ。ああ、さびているのか? このところ、パソコンの将棋では、私が負けてばかりいる。
たしかに頭は悪くなってきている。それにこのところ何か新しい発見をすることが少なくなってき
た。やはりさびてきたのか? 今日からしばらくファミリスの原稿にとりかかる。実用的な記事
だが、しかしその中でも、自分らしさがどこかに光るような実用的な記事にしたい。真剣勝負
だ。これはまさに真剣勝負だ。

2・21
 パナソニックのパソコンがいやに快調になった。二男になおし方を教えてもらったからだ。サ
クサクと気持ちよいほど快適に動く。……とたん、このパナソニックのパソコン(CF-L1)にたま
らないほどの愛着を覚える。なんというか、親しい友人に会っているような気分だ。

 ところで本当に不況の波を、ヒシヒシと感ずる。このままいくと日本は本当に沈没してしまう。
行きつけの店がどんどんつぶれている。飲食店は本当に今、たいへんだ! 幼児教室にして
も、バブルのころは、ざっと数えても20教室あったが、今は、数えるほどもない。ここまで景気
が冷え込むと、そら恐ろしくすらなる。確かに今、日本は、大恐慌(新しいタイプの恐慌パニッ
ク)の中にいる。

 こういう中、政府は増税をもくろんでいるらしい。先日会った、M君がそう言っていた。そういう
政府しかつくれなかった私たちが結局はバカだった……? ああああ、暗い話はもうやめよう。
しかし何か明るい話はあるのか? ないなあ……。

 今朝は三ヶ日町教育委員会の招きで、講師をする。ミカンで有名な三ヶ日町です。みなさん
ご存知ですか? 日本で一番気候にめぐまれた地域です。すばらしい環境の地域です。がん
ばって行ってきます。

2・20
 ファミリスの連載が決まった。この5月号からも書かせてもらえることになった。うれしかった。
読者のみなさんに、改めて約束します。私はこの原稿に、自分の「すべて」をかけます。全力を
尽くし、「これがはやし浩司だ」と言えるうような原稿を書きます。どうかファミリスをご購読くださ
い。購読方法は、このサイトのトップページから、「ファミリスのコーナー」へお進みください。

 週刊朝日からコメントの依頼がある。400字程度だが、たいへん光栄に思う。週刊朝日はほ
とんど毎週、アメリカにいる二男に送っている。(そういう心が通じたのかな?)

 昨日から風邪をひいた。これはただの風邪ではない。昨夜は悪寒がひどかった。今朝は軽
い頭痛。こういうときはニンニクを食べてふとんの中にいるのが一番だが、今日は仕事のた
め、ニンニクを食べられない。まあ、このまま風邪もなおると思う。今のところ快方に向っている
ようだ。しかしおなかがすいたなあ〜。

 さあて、今日から忙しいぞ。ファミリスの原稿、11か月分を完成させるぞ!

 50歳を過ぎてリストラ……! 新たな職探し……! 今、団塊の世代は、たいへんきびしい
冬の時代を迎えつつある。加えてこの時期は、更年期。男にも更年期はある! 初老性のうつ
病になる人も多い。私もその中の一人? ああ、いやだ。何か浮いた話はないものか? 恋を
したいとか、そういうことではなく、まあ、どこかで女性とバカ話をしてみたい。……といっても、
私にはそういう芸当はできない。どこかクソまじめすぎる。これがいけない。もっとやわらかくな
らなければいけない。わかっているが、性分だ。しかたないか……、とあきらめる。

2・19
 老後をこのところひしひしと感ずるようになった。同窓会に出て、みんなが歳をとっていて、老
人ぽくなったのがショックだった。考えてみれば、みんなぼくと同じ歳ではないか、と。ぼくは前
ばかり向いて生きる人間だから、こういうふうに自分の年齢を思い知らされると、本当にショッ
クだ。自分が老人の仲間だなんて、考えたこともなかったのに……。

 もう少しがんばって、その時がきたら、女房と二人で、老人ホームへ入るつもり。家や土地は
売って、そのお金は、三人の子どもたちに分けてあげるつもり。今度は息子たちが楽しい思い
をする番だ。私たち夫婦はもうじゅうぶん人生を楽しんだ。ぼくはやりたいことをしたし、悔いは
ない。死んだら、墓はいらない。灰は海へ捨ててほしい。海が汚れると言ってきた人もいるが、
生涯ぼくはただの一度もゴミを道路だとかそういうところへ捨てたことがない。だから一度くらい
なら、海を少しだけよごしても、だれも文句は言わないだろう。許してほしい。魚だってみんな、
死ねば、そのまま海の中へ消えるのだから……。

 ブッシュ大統領が今、日本にいるという。これから韓国と中国へ行くとか。テロにあわなけれ
ばいいが……。北朝鮮の動きも不気味だが、何も起こらないだろう。金正日が一番恐れるの
は、自分の王朝が崩れることだ。だから戦争などしない。ただ内部で崩壊が始まると、外に向
って戦争をしかけてくる危険性はある。それが心配だ。

 行きつけのすし屋と日本料理屋が閉鎖してしまった。結構はやっているように見えたが、内
情は苦しかったのかも。不況の嵐をまたまた感ずる。早く日本を一度、リシャフルしたほうがよ
いのでは……。たいへんな地獄がくるが、このままズルズルいっても、かえって結果が悪いの
では。しかしたいへんな世の中になってしまった。この浜松はまだよいほうだと思っていたが、
この浜松でも、月ごとにガクンガクンと景気が悪くなっているのを感ずる。愛知万博の企画を手
伝っているが、本当に愛知万博はできるのだろうか。そちらのほうが心配になってきた。

 ああ、時間がない。あと何年生きられるか。あと何年、考えることができるか。それまで頭は
もつだろうか。このところどんどん鈍ってきている。集中力がどんどんなくなってきているように
思う。一〇年前には、五〜六時間、ぶっつづけで原稿を書くことができたのに、今は、一時間も
すると、疲れるようになってしまった。それに文の深みがなくなってきたように思う。表面的なこ
とばかりを書くようになってきた。鋭さが消えたということか。だから急がなくてはならない。

2・18
 ときどき曜日の感覚が狂うときがある。土日に仕事が入ったりすると、とくにそうで、たとえば
今日がそうだ。今日は月曜日のはずなのに、日曜日という感じがしてならない。起きたとき、
「ああ、今日は日曜日?」と思ってしまった。

 そうそうタバコの害だと思うが、タバコを一日一箱以上吸っていると(あるいはそれ以上?)、
脳細胞がかなりダメージを受けると思う。ぼくの知人にヘビースモーカーが何人かいるが、五
〇歳を過ぎると、その「差」がよくわかる。ヘビースモーカーの知人たちは、会話の速度が、タ
バコを吸わない知人に比べて、かなり遅い。「あう〜」とか、「え〜」とかいう、意味のない間投
詞が多くなる。ピリピリとした、こぎみのよい会話ができなくなる。これもタバコの害ではないの
か。一度、だれか脳細胞に与える影響について調べてみる必要があるのではないだろうか。
あくまでも私の推測だが。この分野は私の専門外なので、この話はここまでにしておく。

 とうとう私のこのパソコン(パナソニック、ホームページ作成用)の不調が、なおった。二男に
相談すると、二男が教えてくれた。そのとおり、CPUをいじったら、なおってしまった! しかしそ
れ以上にうれしかったのは、改めて、二男の能力を知ったことだ。あいつはプロ中のプロだと
思う。高校生の時には、コンピュータウィルスのワクチンを、自分でつくってウィルスを退治して
いた。そういう男だった。(パナソニックの相談窓口にいくら相談しても、トンチンカンなことばか
り教えてくれた。最後は、ノートンのウィルスワクチンが原因だから、ノートンを削除しなさいとま
あ、とんでもないアドバイスをしてくれた。一方、二男の意見は、CPUの中の、MOsearchは、
Window XPの上では不安定だから、はずせという指示だった。そのとおりにしたら、すべて快
適に動くようになった。)ノートンを削除したら、こわくてインターネットはもうできなくなります
ね!

 おとといから、「自慢」について考える。なぜ人は自慢をするのか。自慢とは何か、と。自慢と
生きる誇りはどうちがうのか、など。一見、何でもないような問題だが、「自慢」の「根」は深いこ
とがわかった。この問題をしばらくほりさげてみたい。何かそこに重大な問題が隠されているよ
うな気がする。人間の生きザマそのものに関係するような問題だ。おもしろそうだ。

2・17
 曇りだが暖かい朝だ。女房が山のようになった枯れ木を燃やし始めた。パチパチと木が燃え
る音がする。二階の窓から見ると、ハナ(犬)がその横でちょこんと座って、焚き火を見ている。
犬というのは結構、寒がり屋なのかもしれない。

 昨日、「ファミリス」3月号が届く。今度は「ドラ息子」について書いた。日本の子どもは総じてド
ラ息子。ドラ息子でない子どもをさがすほうが、むずかしい。飽食とぜいたくの中で、親たち自
身が自分を見失っている。(親の世代からすでにドラ息子化がはじまっているということ。)いわ
んやその子どもをや! 

  午後は山荘へ行くつもり。では……。また明日。

2・16
 今朝は寒い。午後は横浜の友人と昼食。「どうしても話したい不思議な話がある」というので、
楽しみだ。夕方はT部中学校区で講演会。

 今朝は早く起きた。今週たまった5通の手紙の返事を書く。メールばかりのご時世だが、手
紙もよいものだ。紙に印刷して、署名を書いたとたん、「手紙を書いた」という実感がわく。(当
然だが……。)インターネットは便利だが、どこか機械的かな? まあ、これからはインターネッ
トの時代になるのだろうが……。

2・14
 三男が、ベネッセの雑誌の表紙のモデルになった。5月号に載るそうだ。あいつは好き勝手
なことをしている。プロのカメラマンに、どこかの空港でとってもらえると、喜んでいた。

 今朝は寒かった。少し肩を出して寝ていたが、背中まで冷えて目がさめた。横の女房のいび
きは、まあ、なんというか、海の潮騒のようで、私には心地よく聞こえるが……。その潮騒の音
を聞いていたら、また眠ってしまった。

 昨日、デュプロの印刷機が故障してしまった。今日、修理にくるという。新型の機種を買えとさ
かんに言われている。そろそろ買い替え時か? 120万円の機械を、60万円にするとか言っ
ている? しかしこの出費は痛いなあ……と思っている。

 ワンポイントアドバイスの、NO101〜からを書き始める。全部で600作くらいになりそうだ。
私にとっては常識だが、一度はまとめておく必要がある。しかし1〜100作だけでも、単行本に
すれば、270Pくらいの分量だ。全部で6冊分……? ますます私の本は売れなくなるぞ。少し
差をつけて、サイン入りの本はどうかと考えてみたが、だれが私のサイン入りの本なんか、ほ
しがるか! まあ、本でお金を稼ぐ時代は終わった……? では、何で稼ぐ? そこが問題
だ。お金に毒されるのは嫌いだが、お金は必要だ。それにお金は嫌いではない。昔、田丸先
生もそう言っていたな。ははは。

 こういう不景気になると、日本人も、国際派と国粋主義者に分かれるようだ。まあ、この問題
については、これからゆっくりと考えて結論を出したい。なかなかおもしろいテーマだ。それから
今日は、「健康」について考えたい。題して、「はやし浩司の健康論」。同窓会でも、その話ばか
りだった。みんなその年齢になったのだ。

 昨夜近くの書店に行ったら、I名誉教授の本がずらりと並んでいた。出版社はQ社だが、数年
前、私がそのQ社に原稿をもちこんだら、その編集長がこう言った。「あのう、I名誉教授の名前
でなら、あなたの本を出してもいいんですが……」と。もちろん私は断わったが、そこに並んで
いた本は、多分そういう手続きを経てできた本なのだろう。私は一冊を手にとって立ち読みをし
てみたが、どの本にも、とても80歳を超えた老人が書いたとは思われない、若々しさがあふれ
ていた。こういうインチキ教授が、平然とのさばり、教育論を書く(?)から、世の中おかしくな
る。ああ、日本は本当に権威主義の国なんですね。いやになりますね。

2・13
 今日、「子育てワンポイントアドバイス」が、100項目完成する。明日から101〜項目を書く
つもり。全体で600項目にするつもり。子育てアドバイスの集大成にしたい。……というのはお
おげさだが、まあがんばって書いてみる。このところこのサイトへのアクセス件数が、昨年末の
約2倍になっている。それだけ読者の方がふえたということか。中には「こんなことを書いて!」
と怒っている人がいるかもしれない。イギリスの格言にもあるように、「二人の人にはよい顔は
できない」ということか。ものを書くというのは、味方もつくるが、敵もつくる。それを恐れていて
は文は書けない。中にはぼくのことを悪く言う人もいるが、そういう人がいるということは、ま
あ、一人前になりつつあるということ。だれにも相手にされないということは、敵もいないという
こと。そういう人生はつまらない。どうせ一回しかない人生だから、思う存分あばれて、したいこ
とをして生きたい。自分の人生だから、だれにも遠慮する必要はない。……まあ、生活がある
から、ある程度は妥協しなければならないが、それはそれでしかたないのでは……。(少し弱
気になったかな?)
 
 昨夜はどこか風邪ぎみだったが、自転車で走ってみた。30分ほど走ったが、帰ってきてみる
と、風邪の症状は消えていた。ああ、よかった!

 ノートンのウィルス定義のアップデートがどうもうまくできない。……と悩んでいたが、今朝、解
決した。パソコンという怪物は、本当に扱いが難しい。ある程度知識がないと、この怪物は、コ
ントロールできないのでは。女房の友人のダンナも、最近パソコンを買ったそうだが、トラブル
がいくつか続いたため、パソコンを相手にするのがおっくうになってしまい、今は、そのパソコン
は机の上で眠っているそうだ。もったいないというより、「パソコンがかわいそう」という気分にな
る。パソコンはただの電気製品ではありませんよ! 電源を入れて、スイッチをONにすれば動
くというものではないのです。

 それぞれのパソコンには、それぞれのクセがある。それを知って使うところが、おもしろい。ち
なみに、素人の人は(私も素人だが)、Fujitsuか、NECのパソコンにしたほうがいいですよ。正
直言って、パナソニックは、トラブル続き。(私のマシンだけかもしれないが……。)一番安心し
てつきいあえるのは、やはりFIJITSUだと思う。結局は一番、安定している。

 毎日30分程度と決めて、MSのフライトシムレーターで空を飛んでいる。昨夜はカナダの山の
中を飛び、湖に着水してみた。おもしろかった。

 三男からメール。あいつもいろいろ人生について悩み始めたようだ。そういう年齢なのかもし
れない。私の原稿を貼り付けて返事を書いておいた。私の生き方が正解だとは思わないが、
私はいつも裸でやりたいことをしてきた。そういう意味で、幸福だった。私の人生に悔いはな
い。私のような生き方をしているものから見ると、「会社、会社」と生きている人が哀れに見え
る。肩書きや地位をぶらさげて生きている人を見ると、バカに見える。さらに組織の中で飼いな
らされた人を見ると、「ああ、この人も人生をムダにしたな。たった一回しかない人生を」と思
う。水槽の中で、エサも酸素も与えられて生きる人生に、どれほどの意味があるというのか。あ
あ、今朝は過激なことを書いてしまいましたが、どうか気分を悪くしないでほしい。

2・12
 昨夜は寒かった。自転車に乗ったときには、冷気を頬に感じて、ブルブルと震えた。それでも
10分も坂道を走っていると、体中が熱くなってきた。30分くらいして家に帰ると、汗が出てい
た。同窓会で食べたおいしい料理のせいか、また体重が1キロふえていた。ぼくの場合、食べ
たら食べた分だけ、そのまま体重になるという体質らしい。まあ、健康ということか。しかたない
ね。今日もまた、ビスケットの朝食。昼もビスケット。ドッグフードみたいだ。

 「キッズパーク」に原稿を載せてもらえることになった。で、原稿を送ったのだが、掲載原稿を
見てびっくり! さすがプロというか、私の殺風景な原稿が、きれいに飾られ、何というか、ドレ
スをまとった女性のようになっていた。このサイトの原稿よりはるかに読みやすくなっていた!
 驚いた。で、ついでに、リンクバナーまで作ってもらった。子どものようにうれしかった。リンク
バナーは、このサイトのトップの下に貼り付けておきますので、もし使っていただける人がいた
ら、よろしくお願いします。

 頭の中がやたらとモヤモヤしている。満杯だ。いろいろ書きたいことがある。書いてモヤモヤ
を全部外に吐き出したい。では、これからそのモヤモヤを外に吐き出します。となりのパソコン
(フジツ、デスクパワー、17インチワイド画面、ペンチアム4、1・5Gの強力マシン)が、ぼくにた
たいてもらうのを待っています。ウィンドウXPは、たしかに安定している。今のところフリーズし
たことは一度もない。いろいろと使いにくいところはあるが……。

 そうそう昨日はじめてソニーの新製品を見た。あれはいいパソコンだ。一見してほしくなった
が、やめた。ああいうのを作ることができるソニーは、さすがすばらしい!

2・11
 金沢から帰る。あちらは真っ白な雪景色でした。雪もきれいだが、やはり青空が広がり、さん
さんと陽光が輝く、浜松のほうがよい。新幹線の窓から浜名湖が見てきたとき、「ああよかっ
た」と、思った。

 昨夜は4時間しか眠っていないので、今、たいへん眠い。パソコンをたちあげているときでさ
え、眠気が襲ってくる。

 同窓会で17人の仲間と会う。楽しかった。ショックだったのは、そのうち数人が重病で手術な
どを経験しているということ。それぞれ皆、がんばっている。ただ皆、タバコをプカプカ吸うのに
は困った。ヘビースモーカーが多すぎる。いいのかなあ……? この文を読んだ仲間がいた
ら、「はやしは君たちの健康を心配している」という気持ちをわかってほしい。

 石川県は、本当に不景気でした。ぼくが「仕事はさがすものではない。作るもんだ」と言った
ら、一人、「そうは言うけど、仕事がないんだよ」とポツリと言った男がいた。話を聞いて、こちら
までさみしくなった。

2・10
 これから金沢へ行く。同窓会がある。楽しみだ。金沢は雪とか……。列車はだいじょうぶか。
昨夜ホテルを予約しようとしたが、どこも満室。一つだけあいているホテルがあったので、そこ
にした。一泊シングルで8000円。まあ、そんなものか?

 ダイエットはやっと目標の66キロをクリア。今は65キロ台だ。そろそろふつうの食事にもど
そうかと考えている。体は軽くて快調だ。頭もさえている。いろいろなことが考えられるのがうれ
しい。頭がスタスタと動く感じ。正月には、あやうく69キロに達しようとしていた! 恐怖! 2リ
ットル入りのペットボトルを毎日2本も余計にかかえていたようなものだ。列車の中であれこれ
ぼんやりと考えるのが楽しみ。携帯パソコンは、バッテリーがこわれているので、メモ用紙をた
くさんもっていくつもり。ホテルでまたパソコンをたたくつもり。では、今日はこれで失礼します。

2・9
 昨日は名古屋で万博懇談会。万博はどんどん進行しているようだ。で、それとなくタクシーの
運転手に、「名古屋の盛り上がりはどうですか」と聞くと、「市民の半数はシラけている」と。それ
を聞いてガッカリ。「税金のムダ」と言った運転手もいた。懇談会の間、ずっと松原市長も同席
していた。よい討論会だったと思う。石毛先生や安田先生の意見がジンと胸に響いた。藤井さ
んは、いつもノスタルギックな意見を言う。私とは波長が合う。会議の前に山折先生に、7年前
に書いた宗教論の本を渡す。一読して「おもしろそうですね」と言ってくれた。うれしかった。「な
んでも鑑定団」の北原さんが、私の意見に同調してくれてうれしかった。キャスターの草野さん
は、本当にすてきな女性だ。私にはすばらしい経験になった。帰りにマリエールの常務の千代
さんに、今度豊橋の新会館の落成式に招かれる。行きますよ!!!!

 今日は山荘で一日、昼ね。気持ちよかった。外は寒い感じだったが、部屋の中は温室のよう
で気持ちよかった。モーツアルトの、ええと何という曲だったか忘れたが、それを聞いて寝た。
おかげで夢の中は音楽だらけ。どこかの合唱コンクールを聞きに行った夢を見ていた。

 このサイトには、隠しページがある。そのページを見つけてくれた人に、私の著書を贈呈して
いたが、今日、その締め切りの5名になった。また新しい企画を始めたので、どうかお楽しみく
ださい。これは私の「遊び心」です。

2・8
 昨日は静岡で講師。今日はこれから名古屋。あさっては金沢へ行く。日々の記をゆっくりと書
く時間がない。ついでに原稿を書く時間もない。もっとも私が書く原稿の95%は、人目に触れ
ることもなく、闇から闇へと葬られるが……。うち5%が、ひょっとしたら何人かの人に読んでも
らえる。そんなものです。

 ここ数日、また寒さが戻ってきた。体重を減らしているイコール、食事の量を減らしているの
で、この寒さがシンまで響く。エネルギー不足だ。牛肉も食べたい。しかしこわい……。

 今日は名古屋から帰ってきたら、山荘へ行こう。明日はのんびりと音楽でも聞いて、昼寝を
するぞ。それが楽しみだ。では、今日はあれこれ忙しいので、これで失礼します。

今日の教訓……しっかりと「今」という時を手でつかみながら生きるぞ! ……簡単なことのよ
うで、これは難しい。つかんだと思っても、指の間からサラサラと流れていく。昔、子どものこ
ろ、夢の中でほしいものがあって、それをしっかりと手でつかんだことがある。自分でもそれが
夢とわかっていて、その夢の中でつかんだものを離さないように必死でがんばっている。しかし
夢は夢。しかし目がさめると、そのほしいものが消えていた。時の流れは、その夢の中の「ほし
いもの」によく似ている。それと同じように、サラサラと消えていく。ああ、生きていること自体
が、仮想現実なのか。そんなふうには思いたくないが、そう考えたほうが、いろいろとつじつま
が合うから不思議だ。今日の教訓でした。

2・6
 昨日、小4の子どもたちに、算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と質問したら、
何を思ったか一人の子どもがこう言った。「三角関係!」と。ドキッとして、「三角関係って何だ」
と聞くと、こう話してくれた。「男が二人と女が一人の関係だよ」と。すると別の子どもが、「いい
や、女が二人で、男が一人の関係だ」と。そのうち皆が、ワイワイやりだして、収拾がつかなく
なってしまった。「今時(いまどき)の子どもは、何を考えているんだ!」と、叱ると、今度はこん
な歌を歌い始めた。「♪今時娘は、一日5食。朝昼三時、夕食深夜……」と。「何だ、その歌
は?」と聞くと、「先生、遅れてる〜ウ。こんな歌知らないの〜オ」と。まあ、いろいろあります。

 いつも未来のために「今」を犠牲にする。よい例が、子どもの教育だ。幼稚園は小学校のた
め、小学校は中学や高校のため、高校は大学のため……と。そしてその大学も就職のため…
…と。こういう生き方はいつまでたっても、その「時」をつかむことができない。せっかく長い休
みをもらっても、休みが終わったあとの仕事が気になって、ゆっくりと休めない。そして「やっと
楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。こういうのを英語では、「休息を求めて疲れ
る」という。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言である。

 よく「退職したらどこかの島に住む」「退職したら世界を一人で旅をする」と言う人がいる。しか
しこういう人に限って、退職と同時に、生きる気力をなくしてしまうものだ。理由は簡単。生き方
など、退職と同時に変えることなどできるはずがないからだ。生き方というのはそういうもので、
変えるとしても、それを変えるのは容易なことではない。こういう人は、仮に退職後、どこかへ
旅に出ても、旅から帰ったら何をしようかと、そんなことばかり考えるに違いない。……つまり、
死ぬまで、「今」をつかむことなど、できない。

 考えてみれば、日本人はかわいそうな民族だ。「仕事」というバーチャルな世界に住みなが
ら、それがバーチャルであるとすらわからないでいる。生きるために働くのではなく、働くために
生きている。言うなれば、働きアリのようなもの。ただ働いているだけ。あとはスポーツ新聞を
読んで、テレビで野球を見て、休みはパチンコでうさ晴らし……。何のために働いているかすら
わかっていない。それもこれも、結局はそういう教育を受けたからだ。子どものときから、いつ
も、未来のために「今」を犠牲にするという生き方を教えられてきたからだ。そういうあなただっ
て、今、子どもに、そういう教育をしている。たまの休みに、あなたの子どもが家でブラブラして
いたら、あなたはきっとこう言うに違いない。「何してるの! 来週、テストがあるんでしょ」と。あ
るいはせっかく土日が休みになったのに、もったいない(?)からといって、塾へ通わせる。違
いますか? あなた自身が子どもを働きアリにしながら、それにすら気づかないでいる。

 今日は忙しい。やらなければならないことが、いくつかある。どこかおっくうだが、やらざるをえ
ない。一つずつ処理していこう。迷っているヒマはない。

2・5
 日々、無難にすごしているつもりだが、それでも知らないところで味方をつくったり、敵をつくっ
たりする。ささいな一言が、その人を敵に回すことも多い。他人が私に関心を払ってくれるのは
うれしいが、しかしこれはまさに両刃(もろは)の剣だ。たとえばこうしてサイトを私は開いてい
る。毎日、多くの人が見てくれる。多くの人が見てくれるということは、賛成してくれる人も多い
が、反対に、「このヤロー」と怒っている人も多いということ。

 私のようにモノを書く人間は、いつも弱者の視点を忘れてはいけない。これはモノを書く人間
の基本のようなものだ。そのため、いつも自分自身を最低の状態に置かねばならない。ぜいた
くや飽食は、それだけでもモノを書く力を弱める。私のばあい、通勤に自転車を使っているが、
あの自転車に乗っていると、それに乗ることで、その弱者の立場がいつも再確認できる。私の
実家は自転車屋だったが、「自転車」には、そういうイメージがいつもついて回る。どうしてだろ
う? 自転車に乗る人イコール、貧乏というイメージだ。きっと私の実家がいつの貧乏だったか
らではないだろうか。あるいはものごころつくころから、私の実家は年を追うごとに、貧乏になっ
ていった。そういう思いが、体にしみついているからではないだろうか。

 しかし実際、自動車をよけながら、道路のスミをヨタヨタと走っていると、その弱者の気持ちが
よくわかる。とくに大型の車が、私を迷惑そうに避けて通るのを見ると、そう思う。しかしこれが
私の原点なのだ。……しかしね、みなさん、自転車は健康にいいですよ。私はもう26年間、自
転車通勤を欠かしたことがありませんが、そのため、今でも成人病とはまったく無縁です。どん
な寒い夜でも、30分も走ると、体中から、汗がにじみ出てきます。家へ帰ると、ストーブの熱気
がむさくるしいほど暑く感ずるほどです。そういうものです。

 まあ、どうせ私は私。無理にいい人ぶることはない。そんなことすればかえって疲れる。先
日、養老孟司先生の姿を会議で見たが、まったくのふだん姿。大物はああなんですね。もっと
も私が「ふだん姿」で会議に出たら、浮浪者に扱われるでしょうが……。しかしもう、あまり人の
目を気にしたくない。人生はもう残り少なくなってきた。急がなくてはいけない。ムダなことに使う
時間など、もうない。

 今日の再確認……弱者の立場でものを書くぞ。
             愚かな人を批判しないぞ。
             つまらない人を批判しないぞ。
             いつも大きな敵をもつぞ。大きければ大きいほど、いい。
             ありのままの自分で生きるぞ。

 さあて、たった今見たインターネットで、アメリカの株が200ドル以上もさがったのを知った。
小泉首相が、「金融危機は回避する」と国会で演説したが、そういうことを演説しなければなら
ないということは、それだけ金融危機が迫っているということ。日米開戦前夜のような不気味さ
がこの日本にただよっている! 大きな嵐が来そうだ。皆さん、心してこの嵐に立ち向かいまし
ょう。今度の嵐は、ただではすみませんよ。

2・4
 今朝は、どこかの外国へ行って、帰りの飛行機に乗り遅れそうな夢を見た。出発時刻は午後
1時。時計を見ると、午前11時。あわててタクシーを呼びに行く……というところで目がさめ
た。景色はどこか、タイか、ベトナムのような雰囲気だった。トイレへ行きたくなると、私はそうい
う不安な夢を見る。トイレへ行きたいという生理的な緊張感が、こうした不安な夢を誘発するの
ではないか。起きて、さっそくトイレへ行った。で、そのあと、もう一度寝ようと思ったが、目がさ
めてしまったので、起きてお茶を飲んだ。さあて、今日も一日、始まったぞ!

 子育てワンポイントアドバイスを、今のところ73作まで書いた。そのうち400作くらいになった
ら、このサイトに掲載するつもり……と考えて、ハタと考え込んでしまった。こんなことをしたら、
ますます私の本が売れなくなってしまう。自分で自分のクビをしめているようなものだ。インター
ネットはそこがこわい。情報の価値がますます小さくなっていく。

 そこで私たちは情報の選択を始める。洪水のように押し寄せてくる情報を、取捨選択しなが
ら、必要なものとそうでないもの、価値あるものとそうでないものをより分ける。が、それでも足
りない。とくに子育てでは、A氏の意見とB氏の意見が対立したようなとき、その両方を読むとか
えって混乱してしまう。そこで今度は情報の「深さ」が問題になる。A氏の情報のほうが深いの
か。それともB氏の情報のほうが深いのか、と。その深さを判断するのも、大切な作業だ。そう
でないと、結局は情報に振り回されてしまうことになる。

 子育て論でこわいのは、ごく一部の人の成功例や失敗例で、子育て論を組み立てる人がい
ることだ。そういう子育て論を展開する人は多い。しかしこういう子育て論は、役にたたないば
かりか、やはり、かえって子育てを混乱させる。子育て論を書く私としては、もっとも警戒してい
る部分でもある。 

 数年前、インターネットにハマっている男がこう言った。「これからは新聞も本もいらなくなる。
すべてインターネットでまかなえる」と。そのとき私は「そこまではいかないだろう」と思った。し
かし少しずつだが、自分もインターネットにハマりはじめてみると、何だか彼が言ったことのほう
が正しく思われるようになった。あるいは新聞や本の使命が変わってくるのではないだろうか。
たとえばこの私も、テレビや新聞のニュースを見るよりも、インターネットで見ることのほうが多
くなった。テレビや新聞は、権威主義的で、どこか庶民的でないところがある。しかしインターネ
ットにはそれがない。そういう意味でも、これから先、世界は大きく変化するに違いない。

 意識というのは、不可解なものだ。その数年前には、その男が正しくないと思った。しかし今
は正しいと思うようになった。意識が変わったということだが、となると、今の私の意識も、絶対
的に正しいとは言えなくなる。ここが意識のおもしろいところだ。意識というのは脳のCPUだ。
だからたとえば自分の意識がおかしくなっても、それに自分で気づくことはない。たとえばあの
O真理教がそうだ。とんでもないような反社会的な行動をしながら、信者はそれにすら気づかな
いでいる。まだ自分たちは正しいと思い込んでいる。CPUがいかれているから、自分を客観的
にみることもできない。……と考えて、今度は自分の意識。はたして私のCPUは正常か。今、
私はそれを疑っている。(絶対的に正しいCPUはないという前提で、自分の脳をのぞいてみる
ことだ。)

 私のCPUは、正しいのか。正常なのか。

 私は「常識」を一番大切にしている。常識だ。生物としての常識。人間としての常識。社会的
人間としての常識。教育者としての常識。よき家庭人としての常識。そういう常識を大切にして
いる。この常識を踏み外したら、人間はおしまい。私はおしまい。私は、わからないことがある
と、静かに自分自身の中の常識に問いかけてみる。そうすると、どこからともなく声が聞こえて
くる。「お前はおかしいぞ」とか、「お前は正しいぞ」とか。あとはその常識に従って生きればよ
い。それが私の生き方だ。

2・3
 今朝は、昨夜からの雨。山荘の方も、今年は例年になく、水不足。近くのKさんが、そう言って
いた。言いながら、私に大きな白菜を二個くれた。女房が「これだけあれば一か月はもつは」と
笑っていた。本当に大きな白菜だった。

 昨日は私がハヤシライスを作った。ハヤシライスというと、子どもたち(生徒たち)は、この私
が発明した食べ物だと信じているらしい。先日も私の顔を見て、ニヤニヤ笑っている子ども(小
1)がいたので、「どうしたの?」と聞くと、「ふふふ、きのうね、ハヤシライスを食べたの」と言っ
た。「おいしかった?」と聞くと、「私、はやし先生は大嫌いだけど、ハヤシライスは好き」と。

 今朝は子育てワンポイントをまとめる。もう一つ書き始めたのは、「退職後の人間像」。今、昔
つきあった多くの人たちが、退職期を迎えつつある。そういう人たちを、私の目でとらえて、そ
れを原稿にまとめている。1800字サイズで、昨日、15枚くらいの原稿にまとめた。もう少しこ
の原稿を煮詰めてみたい。

 退職期を迎えると、@虚勢を張る人、A退職後に夢をふくらませる人、B落ち込む人に分け
て考えることができる。そうそうおもしろいことに気づいた。公務員の人に、退職後もちゃんと年
金が出ていいですねと声をかけると、全国どこでも同じ答が返ってきた。「今まで収めたお金を
返してもらうだけです」と。岐阜の友人もそう言ったし、東京の知人もそう言った。地元の友人も
そう言った。どこかでそういう意見調整をしているのか? どうもスッキリしない。

 イギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。愚かな生き方の代名詞にもなっ
ているような格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、楽になった
と思ったら、人生も終わっていた」と。私はもともと、つまり最初からしたいことだけをしてきた。
したいことがあったら、すぐ実行することにしてきた。だから、「退職後に、四国を巡礼して回り
たい」などと言う人の気持ちが理解できない。したかったら、今すればよいのではないのか。遠
慮することはない。自分の人生だから……。会社勤めの人には悪いが、それほど会社勤めと
いうのが大切なものなのか。私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐお金が、どこからであっても、生
きる価値には変わりない。○○会長の名前で稼いだ一〇〇万円も、幼稚園講師で稼いだ一〇
〇万円も、お金はお金。大切なのはそのお金でどう生きるか、だ。サラリーマンの人はどうして
こんな簡単なことがわからないのだろう。

今日の教訓……今をしっかり生きる。大切なことは「今」というときを、いかに充実させるかだ。
明日という結果は、明日になればやってくる。

2・2
 今度のFSは、確かにすばらしい。……というより、すごい。FS2000より格段の進歩が見ら
れる。動きもスムーズだし、景色もきれい。360度好きな景色を見渡せるというのもよい。今朝
も1時間ほどハマったが、飛行機酔いをするほど、リアルだ。着陸のとき緊張して、胃が痛くな
った。これは本当の話。今日の飛行ルート。浜松基地から飛び出し、富士山を一周して、大島
空港に着陸。離陸のとき、離陸許可を取り忘れ、注意された。富士山は、まさに圧巻! 超リ
アルというか、FS2000とは比較にならない。

 今朝は風のないおだやかな日だ。庭にたまった枯れ木を、燃やそうと思う。残り火で、やきい
もをつくるとおいしい。それが楽しみだ。今日の夕食は私が料理する。土日は、たいてい私が
つくる。メニューは何? ……まだ考えてない。以前は私が作るステーキは、一流だったが、ス
テーキはやめた。豚肉もどうも、あやしくなってきた。私が推理する、狂牛病のルート。

 (遺伝子操作された穀物)⇒(遺伝子操作で失敗した穀物)⇒(穀物)⇒(家畜のエサ)⇒(牛)
⇒(狂牛病の発生)⇒(人間での発症)

 これから遺伝子操作で作られる穀物類が多くなればなるほど、操作上の失敗から遺伝子に
キズつけ、それが原因で、遺伝子レベルの病気が多く発生するだろうと思う。生物が数万年単
位で自然の中で経験してきた変化が、小さな試験管の中で、数週間単位でなされている。いい
のかなあ……と聞かれれば、いいはずがない。狂牛病だけですむ話ではないような気がする。

2・1
 昨夜、MSのFSを買う。(フライトシミュレーター2002のことです。)明日は土曜日だから、そ
れで遊ぶつもり。楽しみ。今は、パッケージをながめているだけ。女房は、あきれ顔。あきらめ
顔? まあ、いいじゃないですか。事故で落ちることもないし……。

 このところ朝食は、カロリーメイトだけ。牛乳はモーウやめた。牛肉は、この数ヶ月、食べてい
ない。お役人が「安全」と言えば言うほど、信用できない。あの人たちの目は、国民に向いてい
ない。それが悪い。自分たちこそが、国民の支配者だと考えている。これが悪い。官僚政治の
悪いところだ。(日本が民主主義国家だなんて、世界の人は見ていませんよ。どうして日本人
よ、それがわからない! 日本は平安時代の昔から、官僚政治国家。民主主義なんて、形だ
け。少なくとも、欧米の民主主義とは、まったく異質の民主主義。私はそれを三〇年前に、オー
ストラリアのメルボルン大学で学んだ。あの北朝鮮だって、「人民民主主義国家」と言っているく
らいですから……??? あの人たちはね、今も、こう話しているんですよ。「そろそろオレも、
地方へくだって、県知事か、市長でもやるか。衆議院議員の○○さんには、貸しがあるから、
あの人に頼んで、選挙区でも分けてもらうかあ」と。そうして地方へくだってくる。地方は地方
で、東京から来たというだけで、水戸黄門のようにありがたがる。 こんな民主主義が、どこに
ある!  あああ、今朝の私はまたまた過激なことを書いてしまった! 気分はよいはずなの
に、正義感だけがやたらとパワーアップ。こんな正義感、一体、何の役にたつのか。

 今日も、「ママ100賢」を書き改める。あと、頭の中がモヤモヤしているので、それを整理し
て、昼から女房と街で食事をするつもり。女房は午前中は、ママさん(ババさん)テニス。たった
今、いそいそとでかけていったところ。

 このところ、やたらとビデオカメラが気になる。ほしくなる。ああ、また私の病気が始まったよう
だ。カタログを片っ端から集めて、比較ばかりしている。やがてそれが臨界点を超えて、お金を
もって電気屋へ走る。いつもそういうパターンで、ムダなものばかり買う。しかし、このところは、
そういうものを、息子たちに「お下げ」できるのでよい。カメラも一時は、10台近くもっていた。
デジタルカメラも4台もっていた。しかしみんな、息子たちにあげてしまった。それでいいのだ。
(今、使っているのは、バカチョンカメラ1台と、デジタルカメラ1台だけ。)

 さあて、今日の昼は何を食べようか。町へ行ってからのお楽しみ。

1・31
 今日で1月は終わり。つい先日、正月だったのに……という思いで、「終わり」と書いた。明日
から2月、2月は忙しい。大学の同窓会もある。講演会も立て続けにある。健康に気をつけて、
がんばります。

 2日前、左眼が突然、出血。部分的にまっかになった。以前も一度こうなったことがあるの
で、あわてなかった。結膜内出血というのだそうだ。何らかの衝撃で出血するらしい。しかし瞬
間、「このまま失明したらどうしよう」と考えた。が、今のところ別状はないようだ。こういうことが
あると、「急いで生きよう」と改めて思い知らされる。まだ私にはわからないことが山のようにあ
る。それをもっともっと知りたい。そのために残された時間は少ない。あまりにも少ない。ああ
あ、とてもゴールには行けそうもない。私の能力は不足している。もっと性能のよい知能をもっ
ていたら……と、つくづく思う。このところ、自分の頭がどんどん悪くなっていくのを感ずる。いよ
いよボケ始めたのか。先日、哲学者の山折先生と、一時間ほど一緒にお茶を飲ませていただ
いた。私は先生が食事をなさる間、横に座っていただけだが……。あの方はそれなりの年齢な
のに、頭がシャキシャキしていたのには、驚いた。さすが、日本を代表する哲学者だ。やはり脳
は鍛錬でよくなるらしい。私もがんばろう。

 明日の2月1日は、マイクロソフト社のフライトシムレーターが発売になる。先日、街のパソコ
ンショップで予約しておいた。楽しみだ。私は子どものころ、パイロットになりたかった。その夢
は果たせなかったが、コンピュータで疑似体験ができるようになった。すばらしいことだ。

  自己中心性の強い人は、自分を中心に世界が回っていると感ずる。しかし自己中心性の強
い人は、それを個人主義と錯覚しやすい。一方、自己中心性の強い人は、他人をも客観的に
判断することができないから、相手が悪いと一度思い込むと、その相手を徹底的に攻撃した
り、排斥したりする。こういう自己中心性の強い人には、接しないほうがよい。結局はひどいめ
にあう。自己中心性は、本人にとっても、またその周囲の人にとっても、何もよいことはない。

 子どもは、ある時期、この自己中心的なものの考え方をする。ある男の子(小1)はこう言っ
た。「ぼくが前を向いているときは、うしろの景色はすべて消える。しかしうしろを向いたとき、ま
たうしろの景色が現れる」と。彼に見える世界だけが、そのつど、だれかによって自分のため
に作られるというのだ。こうした幼稚な自己中心性は、実はおとなにもよく観察される。確たる
統計があるわけではないが、老人になればなるほど、この老人性が強くなるのではないだろう
か。言い換えると、いかにその自己中心性を見抜き、それと戦うかが、自分の中の老人性と戦
う一つの方法ということになる。「私はすばらしい」と思うのは自尊心だが、「他人はすべてまち
がっている」と思うのは、それは自己中心性の表われだ。「私は私だ」と思うのは、個人主義だ
が、「相手には価値がない」と思うのは、自己中心性の表われだ。

1・30
 九年前に書いた「ママ一〇〇賢」(山手書房新社)を、書き直し始める。全部で300作ある。
今、こうして読み直してみると、新鮮だが、どこかあぶなっかしい感じがする。まちがってはいな
が、読者に誤解を与えるだろうな思われる個所が、あちこちにある。それに「深み」がない。

 エッセイを書くとき注意しなければならないのは、その「深み」だ。軽いことをサラサラと書いて
も、意味がない。その深みのことを、私は勝手に「つっこみ」と呼んでいる。そのつっこみの深さ
で、エッセイの価値は決まる。私のばあい、一つつっこみ、もう一つつっこみ、さらにもう一つつ
っこんだ形で、エッセイを書くようにしている。今はそうだが、九年前はそうでない。今の私から
見ると、「甘い」の一言。このつっこみが甘い。

 たとえば、「やさしい子どもは、よい子」と書いたとする。この程度の文章なら、だれでも書け
る。そこで一つ、つっこむ、「やさしさとは何か」「よい子とはどういう子どもをいうのか」と。が、こ
の程度では足りない。「やさしい子どもにするにはどうしたらいいか」「よい子にするにはどうし
たらいいか」と。しかしやはりこの程度でも足りない。この程度では、はやし浩司の名前が泣く。
そこでさらにもう一つ、つっこむ。「やさしい子どもは、本当によい子か」「人間のやさしさとは何
か」、さらには「私はどうなのか」と。これは一つの例だが、ものを書くというのは、そういう意味
でおもしろい。どんどんと自分で深みにはまっていくのがわかる。そしてそのとき、それまで自
分の知らなかった世界が見えてくる。これはいわば、心の中の冒険のようなものだ。

 かといって進歩というのは、相対的なものだ。今書いている文章だって、九年後にみれば、や
はり甘く見えるに違いない。ところが人間というのはおかしなものだ。上からは下がよく見える
が、下からは上が見えない。ときどき私に教育論をぶつけてくる人がいる。私にはその人の考
えや考え方が手にとるようにわかるのだが、その人にはわからない。一人前のつもりで、私を
批評したり、批判したりする。私にはその人の論理構造まで、まるでガラスの箱の中にあるか
のようによく見えるのだが……。つまり下から(失礼!)は上が見えない。文も同じ。自分が先
へ行けば行くほど、自分が前に書いた文がつまらなく見えてくる。あるいはときどき、「こんな名
文は二度と書けないだろうな」と自分で思うことがある。しかしそんな名文だと思った文章でも、
時間がたってから読み直すと、「どうしてこんな文を名文だと思ったのだろう」と思うことがある。

 そこで私は気がついた。文を書くというのは、ありのままを書くということ。今の私は今の私
だ。そういうふうに居直る。将来の自分が何と思おうとも、そんなことを気にすることはない。言
い換えると、ありのままの自分を書けばよい。そうすれば、あとで「へただ」と自分で思わなくて
すむ。で、そこでさらに気がついた。 

 ありのままを書くということは、それだけ自分が昇華されていなければならない。ウソを書くの
も疲れるし、自分を飾るのはもっと疲れる。またそういう文章はあとで読み返すと、それこそぞ
っとする。つまりありのままを書くということは、同時に、自分の生き様を世間に問われることを
意味する。常日頃から、それにふさわしい生き方をしなければならない。でないと、よい文なん
て、書けるはずもない。そういう意味で、ものを書くというのは、きびしいことだ。また同時にす
ばらしいことだ。いつかエッセイに書いたが、私にとって生きるということは考えること。考えると
いうことは書くことなのだ。今日もがんばって書くぞ。先の「ママ一〇〇賢」だが、今の時点で、
54作書き直した。今週中に300作、書き直そう! あくまでも努力目標だが……。

 今日の教訓……つまらないことは気にするな。つまらない人間は相手にするな。つまらないこ
とやつまらない人間が気になったら、それは自分がつまらない人間になったということ。それこ
そ時間のムダ。今の私には、一瞬一秒、ムダにする時間はないのだ。進むべき道は、はるか
に遠い。しかし残された時間はあまりにも少ない。あああ、どうすればいいのだ!

 きのう中学2年のTさん(女の子)に、「ぼくは64歳だ」と言うと、「へえ、そうだったの……」と本
気にしてしまった。「でも、ときどき44歳に見られることもあるけどね」というと、また本気にして
しまった。あの年代の子どもには、44歳も、54歳も、64歳も同じに見えるらしい。本当の私の
年齢は54歳なのだ。
 
1・29
 三男からメールが入った。何でも私のエッセイの「高校野球に学ぶ」に感動したというのだ。う
れしかった。息子にそう言われるというのは、本当にうれしいものだ。改めて自分の原稿を読
み直す。ああ、私も親バカか?

 少しダイエットしているが、私のばあい、体重が減少しはじめているときというのは、体の抵抗
力がぐんと弱くなる。たとえば皮膚病などにかかりやすくなる。そこでビタミン剤などを同時にた
くさんとるようにしている。とくに大切なのはビタミンCではないかと思っているが、あくまでもそう
思っているだけ。根拠はないが、長い間の経験でそう思うようになった。

 昨夜、姉(六〇歳)と、一時間ほど、電話で話す。姉の友人たちが、このところ、ポツポツとな
くなっていくそうだ。「みんな一生懸命仕事ばかりしてきた人だ。何のために仕事をしてきたの
かねえ」と言った。仕事を一生懸命するのは大切なことかもしれないが、もっと大切なのは、生
きるために働くという本分を忘れないことだ。働くために生きるのではない。この視点が逆転す
ると、結局は自分の人生をムダにすることになる。自分の人生を生きるということは、一見簡
単なことのようで、難しい。

 E-マガの読者が、毎回少しずつだがふえている。その数字を見ながら、不思議な気分にから
れる。今まで私はいろいろなものを書いてきたが、こうまで読者の「数」をしっかりと知ったこと
はない。あくまでもばくぜんとした数だ。しかし発行部数が一〇〇万部を超える新聞にコラムを
書いても、「果たして読んでもらっているのだろうか」という不安がいつもつきまとうが、E−マガ
はそうではない。確実な数字だ。それがうれしい。最初は、「出してみるか」という、何というか、
どこかいいかげんな気持ちでスタートしたものだが、このところ、本気で書くようになった。現在
E−マガの読者が145名前後。三誌合計で250名前後。皆さんの子育てで役に立てる記事
を、惜しみなく提供していこうと、心に誓う。がんばります。

 親友の本岡君のエッセイが届く。このサイトに収録する。「友人から」をどうぞ。

 浜松百撰という、タウン誌に、コラムが載ることに。3月号だそうだ。どうかよろしく。編集長の
安池さんとは、もう30年のつきあいになる。いろいろなタウン誌があるが、浜松百撰は、全国
レベルのすぐれた雑誌だ。地元の人は、何でも東京をありがたがるイコール、地元をバカにす
る傾向があるが、それはまちがい。まちがいだということは、浜松百撰を見ればわかる。浜松
百撰を、一度、じっくりと読んでみてほしい。

 これだけ情報量が多くなると、本を出すにしても、売れなければ意味がない。また読者にして
も、頭が混乱するだけだ。そこでだれかが統一的な子育て論を提供しなければならない。しか
しそれもまた危険なことだ。子育ては宗教ではないし、ましてやカルトであってはならない。いか
にして、良識と常識を守るか、だ。そう、私のばあい、皆さんにこうして子育て論を提供していま
すが、従うべき相手は、「常識」だけ。いつも私はその常識の声に耳を傾けるようにしている。
一つのヒントが、私のばあい、女房です。女房は、学はないですが(失礼!)、きわめて常識的
な女性で、私のよきアドバイザーになっています。私とちがって、交友関係も広く、友だちも多
い。そういう女房が、ともすれば暴走しがちな私の軌道を修正してくれる。ありがたいことです。
 
1・28
 「おかしな時代のまともな子育て論」の校正が終わる。ほっと息抜きをしながら、濃いお茶を
飲む。空を見ると、白々と薄曇の空。今朝は朝6時から仕事を始め、今は、7時半。午前中は
銀行と証券会社を回らなくてはならない。昼食は女房と街中で食べるつもり。何にしようか…
…?と今、考えている。

 ときどき正義について考える。今度の雪印食品の、不正補助金請求事件では、世間はよって
たかって雪印を攻撃しているが、本当のところ、誰が「石もて打てるのか」。こうした発想は、商
人ならだれしももっている発想ではないのか。少なくとも、どこの商社でも、日常茶飯事にして
いることで、もっと大きな巨悪が、国際社会を舞台にして堂々となされている。それが発覚しな
いのは、そこはマスコミや、官僚程度の素人が知る由もない世界だからに過ぎない。

 正義とは何か? ……それは、かんでいるガムを道路へ捨てないとか、ゴミを捨てないとか、
そういうところから始まる。難しいことではない。そういうささいな日常的なことが積み重なって、
その人の正義がつくりあげられる。そしてさらにそれが積み重なって、民族、国家、さらには人
類の正義がつくりあげられる。それがないと、これからも雪印事件のような事件は、あとを断た
ないだろう。断つはずもない。問題はなぜ、そういうズルさが、人間にはあるかということ。また
そういうズルさがうまれるかということ。この日本に関していえば、この世界、あまりにも不公平
だ。この日本では一度、そのコースに乗ってしまえば、そのコースに乗っている人は、下着でも
取り替えるように、つぎつぎと要職を渡り歩くことができる。そうでない人は、その片鱗にもあり
つけない。こうした不公平感がある以上、「あわよくば……」と考える。そういうささやかな抵抗
を、どうして頭から「悪」と決めてかかることができるのか。雪印について言えば、その責任者
だけを罰すればよい。何も、政府が雪印に販売自粛までさせる必要はない。もしこの論法が通
るなら、自民党議員が汚職をしたら、自民党は政治活動を自粛しなければならない。しかしい
まだかって、そういうことなどしたことはないではないか。一体、正義って、何だ!

 今日は、「子育てワンポイント」をさらに完成させる。では、みなさん、今日も、元気で、がんば
りましょう! 私もがんばります! 

1・27
 山荘で一泊。風の強い日だが、さわやかな日だった。朝起きると、先に起きていた女房が、
大きな、おばけのようなシイタケを収穫してもってくる。それに驚いて、目がさめる。そのとき、こ
んな話をする。

 私の体重は66キロ。身長は165センチ。これで(体重)÷(身長)÷(身長)で計算すると、か
ろうじて標準体重(正常値)の中に収まる。しかしこの公式には、致命的な欠陥がある。つまり
この公式には年齢というファクターが考えられていない。同じ、165センチでも、20歳の人の6
6キロと、50歳の人の66キロは決して同じではない。老人になればなるほど、同じ体重でも負
担は大きくなる。(筋肉が弱るので、それだけ負担が大きくなるということ。)そういうことがこの
公式には含まれていない。そこで(はやし浩司式計算法)を、考えた。

 今までの計算式(BMI標準体重計算法)

       BMI=(体重)÷(身長)÷(身長)

               40以上……肥満(4度)
               35〜40……肥満(3度)
               30〜35……肥満(2度)
               25〜30……肥満(1度)
              18.5〜25……正常値
               〜18.5……やせ

 私の公式

       BMI/HH=(体重)÷(身長)÷(身長)+(年齢)÷15

               41以上……肥満(4度)
               36〜41……肥満(3度)
               31〜36……肥満(2度)
               26〜31……肥満(1度)
              19.5〜26……正常値
               〜19.5……やせ

 今までの計算式では、私は、24.24(正常)。私の計算式では、27.9(肥満度1)となる。

 ……とまあ、どうでもよいことだが、こういうことを考えるのは、実に楽しい。女房にこの公式
を見せると、「そう言われてみれば、そうね」と賛成してくれた。さてあなたはどうだろうか。(私
の公式の中の15という数字は、まあ、こんなものかなという、いいかげんな数字だから、あまり
気になさらないように!)

 今日は電子マガジンを発行することにした。おかげで、読者も確実にふえている。小さな一歩
だが、これからはこういう時代になる。まちがいなく、そうなる。ただ問題がある。電子マガジン
をいくら発行しても、収入にはならない。私のように身分が保証されていないものにとっては、こ
れはきわめてつらい。どうすれば、収入につなげることができるか。これは、これから大きな問
題になるのではないだろうか。(私のためではなく、もっと多くの人のために……。)

 人間関係でこわいのは、加害者はその害を与えたことをすぐ忘れるが、被害者は、その害を
長く忘れないということだろう。このギャップが、人間関係をぎくしゃくする。たとえば私のばあ
い、よく月末の最後の最後になって、子どもから小さな紙切れ(メモ)を渡されることがある。見
ると、「今日で、BWをやめます」とか書いてある。しかしそういうクビの切られ方をすると、それ
までの感謝の念が吹っ飛んでしまう。しかもまだ小さな幼児や小学生にクビを切られる無念さ
は、相当なものだ。恐らく外の世界の人にはそれはわからないだろう。……と言いつつ、まあ、
そういうこともよくあるので、私はあまりカツカツしないようにしているが……。できるだけすぐ、
その親や子どものことは忘れるようにしている。不愉快に思えば思ったで、こちらがキズつく。
しかし問題はそのあとだ。しばらくすると、またその親から、子育て相談をもちかけられたりす
る。親のほうには、私を怒らせたという意識がまるでない。もちろん罪の意識もない。こういうと
き本当に困る。無視することもできないし、、さりとて、相談に乗るにしても、どうもしっくりこな
い。
 要するに、人間は、別れ際の美学を大切にするしかない。おけいこ塾でも何でも、入会すると
きは、親はそれなりの注意を払うが、それと同じくらい、別れるときも注意を払うことが大切で
はないだろうか。もっともこれは、あらゆる人間関係について同じように言えることだが……。 
 

 それからNIMDA(W32)がパソコンに入ったら、あわててはいけない。ウィルスはたいていその
まま、インターネットエクスプローラ(IE)の中にとどまっているので、IEを、再セットアップすれば
よい。(古いIEを削除し、新しいIEをセットアップする。)それで解決する。今回、息子のパソコン
はそうやってなおした。(NECのパソコン相談窓口に電話をしたら、リカバリーするしかありませ
んなどと、とんでもないことを教えてくれた。リカバリーなんて、そう簡単にできるものじゃないで
しょ。本当にいいかげんなアドバイスでした!)

1・26
 冷たい朝だ。目がさめても、起き上がる気がしなかった。だからしばらく、外の明かりを見な
がら考えた……。それで今朝、新しい発見をした。
 子どもの世界には、ベッドタイムゲームというのがある。子どもというのは(おとなもそうだ
が)、毎晩眠る前に同じことを繰りかえす。日本語では就眠儀式というが、このベッドタイムゲー
ムのしつけが悪いと、子どもは就眠しなくなる。このことは今まで、あちこちの本に書いてきた
が、もう一つ。それは、「起床」の問題だ。

 この起床時のゲームについて、論じた人はほとんどいない。しかしこの起床時のゲームは、
実は人間の「質」そのものに深くかかわりあっている。今朝、私はふとんの中でそれに気づい
た。

 人はこの起床時に、「思考」する。ぼんやりとした頭に血が流れ始め、脳細胞のあちこちが活
動し始める。このときだ。人間が一番、深い思索ができるときは! (そう決めてかかるのも危
険なことかもしれないが……。)ともかくも、静かな朝、無我の境地であれこれ考える。わずら
わしさや、苦しみや、悩みから解放されて、ただひたすら静かに考える。また考えることができ
る「時」というのは、この起床時しかない。しばらくすると、雑音や俗念、それに雑念が心を満た
すようになるが、その時点で、生活者としての「自分」に戻ってしまう。

 言い換えると、この起床時の「心の静けさ」こそ、人間の「思考」の原点である。私はそれを発
見した。つまりこの起床時の静けさの中で、いかに深く考えるかということ……それは人間の
「思考」にはきわめて重要な意味をもつ。

 起床時、ふとんの中で、たとえば10分程度にせよ、静かに考えることはとても重要なことだ。
あるいは一時間でもよい。もっとも自分が自分に返れる時、それが起床時の静けさだ。で、私
はこの「起床時の静けさ」を、「起床時思索」と名づける。

 子どもにとっても、この起床時思索はきわめて重要な意味をもつ。子どもはまず目をさます。
体をモゴモゴ動かしながら、頭の活動を始める。この分の時間をとってあげる。いきなり「もう時
間よ、起きなさい!」は、子どもからこの起床時思索を奪ってしまう。つまり睡眠時間には、こ
の時間も含まれねばならない。たっぷりと眠って、朝はゆっくりと起きる。これがその人の人間
的な「質」を決める。学力や知力ではない。「思索」が、その人の質を決める。今朝はそれに気
づいた。あとでこれについての原稿をまとめるつもり。

 夜更かしすればするほど、子どもから「考える」という習慣を奪う。ウソだと思うなら、深夜の
バラエティ番組を見ればよい。あきらかにその程度の、チャラチャラした人たちが、愚劣な会話
を繰り返している。

 話はかわるが、肩書きだけをズラズラと並べている人がいる。実際、肩書きの多い人には、
恐れをなす人も多い。(肩書きを並べる人は、それを計算の上で、肩書きを並べる。)しかし肩
書きというのは、いわば厚化粧のようなもの。肝臓を痛めて茶色の顔色の人が、いくら白く自
分の顔を塗りたくっても、化粧は化粧。自分の人生を生きるためには、化粧は禁物。化粧をし
ないほうが、相手も私をありのまま見てくれる。そのほうが気が楽だし、また「真実」がよく見え
てくる。たとえばこの私には肩書きはない。まったくない。ないから、皆、「はやし浩司」で見てく
れる。ここが重要なのだ。そりゃあ、中には、はやし浩司を軽く見る人もいる。しかしそういう人
とわかった段階で、こちらから切る。相手にしない。が、はやし浩司を理解してくれる人もいる。
そういう人は、「私」を見て、そう理解してくれる。だからすなおな気持ちで、それを喜ぶことがで
きる。私は私だ。どこまでいっても、私は私だ。私はそういう人生を、これからも進む。……と少
しかっこいいことを考えている。

 しかしこの日本は、本当に肩書き社会ですね。肩書きのある人には、みんなペコペコする。な
い人は、無視する。しかしね、その肩書きというのも、随分といいかげんなものです。そのコー
スに乗った人たちが、ちょうどたらい回しのたらいのように、お互いに回しあっている。そういう
国なんです、日本は。江戸時代の昔、から……。こういう日本をみなさん、変えましょう! 世
界の笑いものになるだけです。

1・25
 雪印が、オーストラリアの肉を国内牛と偽り、国の補償金をだましとったという事件が起き
た。しかしこんな事件程度で大騒ぎするとは……! 私は元商社マン。今ごろほとんどの商社
マンたちは、「こんな程度のことで……!」と笑っているに違いない。私にはその笑い声がよく
聞こえる。

 日本製をオランダ製と偽ったり、国内向けの原糸を輸出向けと偽ったりして、国の補助金を
かすめるなんてことは、総合商社では日常茶飯事。少し前、どこかの国のタコを、別の国のタ
コと偽って輸入していた業者がいたが、あの程度ならまだ軽い軽い。それができるから総合商
社という。

 あのね、この日本には正義などありません。そういう前提で、この日本を見る必要がありま
す。悲しいかなこれが現実です。商社あたりで、「私はそんな不正なことはできません」などと言
おうものなら、「お前、アホか」といわれる。あるいはクビになる。だって、子どものときから、日
本では正義の教育はしていないもの! ちがいますか?

 総合商社がなぜ、退職者を手厚く保護するか、その理由がわかりますか。年金の上乗せは
当たり前。あるいは大半が子会社の社長へと転進していく。それはね、「口封じ」のためなんで
す。もっともこういうあくどさがないと、この生き馬の目を抜く国際社会では、生き残れないのも
事実です。それが国際社会の現実でもあります。

 田中外務大臣と鈴木何某の喧嘩がまた始まった。田中氏はともかくも、あの鈴木氏の低劣
ぶりには、あきれる。私は(テレビで見る限り)あの男には一片の知性も理性も感じない。名門
名利の我欲、出世欲にとりつかれたガキにしか、私には見えない。ああいうのが政治家でいば
っている間は、この日本に民主主義など定着しない。しかし皮肉なことに、あの鈴木を見ている
と、一九七〇年代の田中角栄氏を思い出させる。鈴木はまさに、角栄氏の亡霊のようだ。その
鈴木が、田中角栄氏の娘と喧嘩をしている! これはまさに政治の皮肉としか言いようがな
い。

 今朝の私は、少し過激になっているようだ。このところ食事の量を減らしている。多分、その
せいだと思う。昨夜も寝る前に回転寿司の報道をしていたが、私と女房はそれを見ながら、
「明日、食べに行こうね」と誓い合ったものだ。今日は昼食にそれを食べに行くつもり。平日は
すべて100円皿という寿司屋が近くにある。

 今日の夜から山荘にこもって、本の校正をする。それから昨日から書き始めた、「人間の賢
さ」の原稿をまとめる。昨日、完成させようと思ったが、うまくまとめることができなかった。それ
と今日のテーマは、「正義」。この正義について考えてみたい。正義って、何だ!

1・24 
 息子のパソコンに、NIMDAが侵入した。「おかしなメールがみたので、プロパティを開いてみ
てみた」という。プロパティを開くということは、ファイルを開くということだ。さっそくノートンのソフ
トを買ってきて、修復を試みるが失敗。重要ファイルのいくつかを削除したので、また新たにイ
ンストールするしかないようだ。少しうかつな行為だったな。ホント! あやしげなメールは、
即、削除。これはインターネットの世界では常識だ。ああ、知らない! こうして人は賢くなって
いく。

 今日は本のゲラ刷りができてきたので、その校正をしなければならない。原稿は約三分の一
ほど削られたが、また売れれば、第二弾ということも考えてもらえるかもしれない。ここは心を
ひきしめて校正したい。いいかげんな本を出すと、あとで後悔する。本はまさに私の命だ。どう
か読者のみなさん、私の本を買ってください。実のところ、こうしたサイトは、すべて(当然のこと
ですが)、ボランティア精神で作っています。ほかの教育評論家の方のように、年金や退職金
など、私のばあい、いっさいの身分保証はありません。本を買っていただくしかないのです。ど
うかよろしくご理解ください。(少し、甘ったれているかな?)

 今朝のテーマは、「人間の賢さ」について。午前中、1時間ほどでまとめる。まだ未推敲だが、
あとでこのサイトに載せておきます。どうか興味のある人は読んでほしい。「人間の賢さ」へ。

1・23
 今日考えていること。ものごとというのは、ほんの少し見かたを変えると、180度、価値観が
ひっくり返るということがよくある。今朝はそれについて書いてみたい。それと3月に出版する本
のゲラ刷りが届くので、その校正をしなければならない。夜はそのために時間をあけておく。

 この日々の記まで読んでくださっているかどうかはわからないが、このところこのサイトへの
アクセスが、毎日30〜50件もある。読者のみなさん、どうもありがとうございます。励みになり
ます。またE-マガの読者も少しずつだがふえている。これも大きな励みになります。ありがとう
ございます。これからも質の高い子育て論を展開していきたいと思っています。(正直言って、
日本の子育て論は、どこかテレビのバラエティ番組風で、レベルが低い。低すぎる。)

 先日東京の会議で、東大の松井教授(宇宙学)が、「生物圏」という言葉を使った。宇宙から
見ると、人間など見えない。ひっくるめて生物圏だ、と。なるほどと思った。しかし考えてみれ
ば、どこかさみしい人間観だ。教育は、子どもという他人、つまり人間をみる。哲学は自分を見
る。しかし宇宙学というのは、宇宙の外から人間を見る。同じ人間でもいろいろな見かたがあ
るものだ。さてあなたはどういう方向から、人間を見ていますか?

1・22
 今朝は「おしん」と「マトリックス」の原稿を推敲し、まとめる。新しい視点で書いた、おもしろい
原稿だと思う。興味のある方は、どうかお読みください。この原稿を思い立ったのは、つまらな
い肩書きを並べて、目が上ばかり向いている人に、最近であったから。「生きる」ということと、
「働く」ということは別だということを、頭の中で整理できた。自分の生き方を冷静にみつめるひ
とつのヒントになればうれしい。「おしん」と「マトリックス」へ

 子どもが不登校児になると、親は狂乱し、「悲しい」と言う。一方、不登校児をもった親は、「な
おす」という言葉をつかう。そして子どもが少しでも学校へ行くようになると、「うれしい」と言う。
なぜ、親は「悲しく」そして「うれしい」のか。ここに日本の教育のもつ問題の根源が隠されてい
る。学校神話や学歴信仰がそれ支えている。今朝はこの問題について考えてみたい。

 それにもう一つ考えてみたいことがある。まだ頭の中でボンヤリとした輪郭しかないが、それ
を吐き出してみたい。不登校の問題を考えたあとに、原稿をまとめてみるつもり。今、東京でア
フガン復興会議が開かれている。そのことだが、鈴木ムネオとか何とかいう代議士が、NGOの
団体の参加を認めたとかどうとかいう問題がある。あの代議士というより、ああいう低劣な人間
が政治を牛耳っていることへの疑問を原稿にまとめてみたい。

 ところで最近パソコンショップへ行っても、ビデオばかりやたらと気になる。今度はビデオに挑
戦してみようかという気持ちになっている。この10年以上、ビデオなど使ったことがないのに…
…。しかしおもしろそうだ。小型のパソコン連動型だと、15万円前後もする。もっとも昔は20万
円前後だったから、安くなったとは言えるが……。まあ、ここは思案のしどころ。

 今朝は頭もスッキリ。ところでこんなセコイ話。ザザシティの地下(西館)に、食堂がある。そこ
にバイキング方式のレストランがある。自分で選んだものを、重さでその分の代金を払う。昨
夜、そのレストランに行ったが、私はまずキャベツのサラダをどっさりと盛った。そしてその上に
軽い食材ばかりを少しずつ選んで盛った。で、結果、それで300円とちょっと。レジの女性が二
度もはかりなおしていた。「おかしい……」という表情がありありだった。はははは。だから今朝
は快調なのだ。頭も体も! 頭のためには、野菜食が一番よい。ところで私は牛乳をよく飲ん
でいたが、最近はやめた。例の狂牛病事件以来だ。

1・21
 今日は一転、はげしい風と雨。窓の外の栗の木の枝が大きく揺れている。もう午前九時だと
いうのに、外は早朝のように暗い。

 昨夜寝る前にスルメを食べた。しかしこれがよくなかった。スルメは塩分をたっぷりと含んで
いる。おかげで今朝は胃の中がおかしい。起きてから白湯を飲んだ。これ以上おかしくなった
ら、胃の薬をのもうと考えている。

 今朝は、「不登校」と「世間体」について考える。おもしろいテーマだ。先ほどまで、原稿を書い
ていた。あと「子育てワンポイント」を充実させたい。「ママ診断」もあちこちから、回答が返って
きたので、近く集計するつもり。メールで、「ファミリス」の原稿についての読者からコメントが入
るようになった。今のところ評判がよくて(多分?)、喜んでいる。どうか皆さん、ファミリスをご購
読ください。真剣に書いています。


1・20
 今朝は肌寒い。先週、ポカポカと暖かい日があったので、「ああ、このまま春か」と思ったが、
その気持ちは取り消し。今日は午前中はこうしてコタツの中で、好き勝手なことをするつもり。
午後から女房が買い物に行くというから、ついていく。「ついていく」というのも変だが、まあ、私
たち夫婦のばあいは、そんなものだ。こまかいことは女房に主導権を握らせている。私はこま
かいことをあれこれ考えるのは苦手だから、まあ、「ついていく」といった雰囲気のほうが気が
楽だ。これはバス会社の「パッケージ旅行」のようなものかも。

 中日新聞の連載が終わって、この二、三か月、周囲がウソのように静かになった。以前のよ
うな穏やかな生活にもどってほっとしている。私にとって大切なのは、静かに思索できる時間。
その時間をもてるということは、私にとっては、最高のぜいたくなのだ。世間に認められると
か、認められないとかいうことは、重要ではない。いわんや名前だけ有名になって、それがどう
だというのか。生きるのはあくまでも私自身であって、この人生はどこまでも私のものだ。私は
生きるために考える。それが重要なのだ。いっぱしの哲学者のような、偉そうなことを書きまし
たが、お笑いください。この文を読んで、「何を偉そうに」と思った方も多いと思います。

 ただ自分の考えを発表できる「場」はほしい。お金も嫌いではない。女房は「あなたはぜいた
くよ」とよく言うが、私はそういう意味ではぜいたくかもしれない。自分でもそれがわかっている。
今朝はいくつかの原稿をまとめなければならない。頭の中がそろそろ爆発状態になってきた。
こういうときは頭の中を整理(掃除)しなければならない。「あとかたづけ」が必要なのは、私の
ばあい、頭の中のことだ。今日もくだらない文で、ごめんなさい。

1・19
 昨夜女房とふとんの中で、こんなことを話し合う。人間の豊かさとは何か、と。それについて
考えをここにまとめておく。

 人間の豊かさとは何か。人生の目的とは何か。五〇歳も半ばを過ぎると、そろそろそれにつ
いて結論を出さねばならない。
 私には六〇人近い、いとこがいる。その中でも一番の出世がしら(こういう言い方は好きでは
ないが)が、大阪に住むKさん。日本でも一、二を争う大学を出て、某都市銀行に入社した。現
役時代は、ドイツ支店の支店長まで勤めている。が、ちょうど同じ年齢のいとこに、Bさんがい
る。中学を出るとすぐ理容師の学校に進み、それ以後は長野の田舎にこもり、理容院を経営し
ている。魚釣りがうまく、今ではその地方では、「名人」というニックネームで呼ばれている。
 私はときどきこの二人のいとこを比較して考える。Kさんは、バブル経済崩壊のあと、銀行を
離れ、一〇年ほど前に子会社のT金融会社に出向。そののち、定年退職で今は宝塚のほうで
年金暮らしをしている。Bさんは、今でも理容院を経営しているが、魚釣りが高じて、釣竿づくり
に手を出し、Bさんが作る竿は、芸術品とまで言われるようになっている。ひところ昔の尺度で
みるなら、Kさんは勝ち組み、Bさんは負け組ということになる。が、しかし今、こうして人生全体
を振り返ってみると、私にはどちらがどうということが言えなくなってしまった。KさんはT金融会
社に出向する少し前私の家に遊びにきて、こう言った。「女房のヤツがね、『私の人生は何だっ
たのよ。返して』と言ってぼくを困らすのだよ」と。Kさんはともかくも、Kさんの出世を陰で支えて
きた妻の悲哀も、また大きい。一方Bさんは、その村の村長まで一目置く人物になっているし、
かなりの財産もたくわえた。六〇歳を過ぎた今でも、毎日釣りざんまいの優雅な生活を楽しん
でいる。
 ただ一つ注意しなければならないのは、「楽な生活」がよいわけではないということ。こんなこ
ともあった。街角で偶然、二五年ぶりにM氏(五四歳)に会ったときのこと。久しぶりのことで、
近くのレストランで食事をすることにしたが、話していて、私はハタと困ってしまった。何もない
のだ。何も感じないのだ。私と同じ五四歳なのだから、「この人も何かをしてきたはずだ」と思
い、それを懸命にさぐろうとしたのだが、返ってくるものが何もない。話を聞くと、休みはパチン
コ、見るテレビは野球中継とバラエティ番組。新聞といっても、読むのはスポーツ新聞だけ、
と。いくら楽でも、私はそういう人生には、価値をみない。
 もちろん今でもKさんは、いとこの中でも自慢のいとこだ。Kさんがする話は、私のような田舎
者が知る由もない、雲の上の話でおもしろい。が、今、私にもう一度人生が与えられ、Kさん
か、それともBさんの人生のどちらかを選べと言われたら、私は迷わず、Bさんのほうの人生を
選ぶ。今の自分の人生をみても、私の人生はBさんのほうに、はるかに近い。しかしこれだけ
は言える。人生の価値や意味などというものは、世俗の尺度では決まらないということ。つまる
ところ、その人がどれだけ自分の人生に納得しているかで決まる。言いかえると、納得さえして
いれば、それが他人から見てどんな人生であっても、気にすることはない。人間の豊かさという
のも、それで決まる。地位や肩書きや名誉や財産ではない。あくまでも自分自身である。

1・18
 正月に太ったのが、今朝、やっと適正体重(勝手に自分でそう決めているだけだが……)にも
どった。66キロだ。バンザーイ! これくらいが私にとっては、一番調子がよい。太るとどうして
も運動不足になる。これが悪循環となって、体力を弱める。体も機敏に動かないが、頭も働か
ない。正月には何と、68キロにまでなってしまった。食べて寝るだけの生活を繰り返している
と、どうしても太る。それに運動は絶対に重要だ。私のばあい、仕事をして、毎日一時間程度、
自転車に乗って汗をかいているほうが、ずっと体も軽いし、体調もよい。それがこの年齢になる
と、白と黒を見分けるほど、はっきりとわかる。自転車通勤は、はじめてからもう、26年になる
が、自転車は足の関節への負担もなく、全身運動にもなる。(走ったりすると、あとで関節がガ
クガクすることがある。)一時は女房とスポーツクラブに通ったこともあるが、ああいうのはだん
だんめんどうになり、長続きしない。やはりどこかで楽しむという要素がないと、運動も続かな
いようだ。

 今、上の日々の記を読んでみたが、文章がまるでなっていない。誰かの作文なら、(C)をつけ
るところだ。まだ頭が全開ではないようだ。文というのは正直なものだ。心や能力の状態をそ
のまま表す。今は朝の8時。今朝はまだお茶を飲んでいない。そのせいもあるかもしれない。
どこか頭がボーッとしている。ボーッとしていると、こんなヘタクソな文しか書けない。

 文のじょうずへたは、リズムでみる。もちろん内容も重要だが、そのリズムが心地よい響きを
もっていなければならない。読者が文を読んだとき、そこに書いてあることが読者の心にストン
ストンと落ちていく……。それがじょうずな文章だ。もっとも書いているときにはそれがわからな
い。私のばあい、一度書いた原稿はしばらく塩漬けにし、その文を忘れかけたころ、再び今度
は読者の立場で読み直してみる。そして自分で自分の文をじょうずかへたかを判断する。これ
は文を書くものにとって、とても大切な作業の一つだと思う。あまり偉そうなことは言えないが…
…。

1・17
 今朝、インターネットで調べると、ニューヨーク株式が、220ドル近くも暴落していた。たいへ
んなことだ。今日の日本の株式はどうなることやら。昨日、トピックスは最安値を更新している。
私も最後にK社の株式を2000株だけもっている。この10年で、価値は4分の1にさがった
が、まあ、持っていれば……という思いでもっていた。しかしそろそろ売り時。あぶない!

 この浜松市は今までラッキーだった。不況、不況といいながら、まだほかの地域よりはよかっ
た。関西はひどい。九州はもっとひどい。岐阜などは繊維の町だったが、今では壊滅状態。
が、浜松には、大きな会社がある。ホンダ、スズキ、ヤマハなど。楽器のカワイは、このところさ
っぱり元気がない。しかしその浜松がこの低落ぶりだから、ほかの地域はさぞかしたいへんだ
ろう。いとこが電話で、おととい名古屋市の窮状を切々と訴えていた。

 この日本を活性化させるためには、多少、不完全で心配な点はあるとしても、隙間産業をも
っとふやすことだ。今のように何から何まで、資格だの許認可だのと言っていると、日本人が窒
息してしまう。(官僚にとっては、すごしやすく、利権を守るためには便利な社会かもしれない
が、その分、日本人から活力を奪う。)私もこの息苦しい日本に、本当のところうんざりしてい
る。「この日本は自由の国」と言う人もいるが、実際のところ、どこに自由があるのか? 尾崎
豊はそれを卒業の中で、「しくまれた自由」と表現したが……。

 暗い話ばかりになってすみません。どうもこのところ世相が暗くていけません。(世相のせい
にするわけではありませんが……。)あちこちで、事務所が閉鎖になった、会社がつぶれたと
いう話を聞くたびに、自分から力が抜けていくのがわかります。「次はうちだ……」と。まあ、何
とかふんばっていますが、ひしひしと何というか、大きな、恐慌(パニック)が近づいてきている
ような気がします。恐らくこの気持ちは、日本人が今、共通してもっている気持ちではないだろ
うか。あああああああ。

 今日の予定はとくになし。いつもの仕事をこなすだけ。いくつか新しく考えてみたいテーマがあ
るので、それについて原稿をまとめる。あとは手紙を2通書く。新しくF誌の連載が5月から始ま
りそうになった。こういう時期だから、うれしい。ものを書く人間にとって、「連載」というのは、い
わばステイタスのようなもの。単発的な投稿は、あまり意味がない。新聞の投書(失礼!)とそ
れほど違わない。じっくりと心を煮込むには、連載しかない。

 ところで自分を大きくするためには、いつも大きな問題、大きなテーマ、大きな敵をもつこと
だ。結果的に、ささいな問題、ささいなテーマ、ささいな敵が気にならなくなる。小さな世界に住
んでいる人ほど、小さな問題で大騒ぎする。これはいけない。結果的に時間をムダにする。結
果的に人生をムダにする。

1・16
 この日本には、確かにコースというものがある。そして一度コースに乗ってしまえば、あとは
楽。仕事にせよ、地位や肩書き、さらには名誉ですら、向こうからやってくる。が、それだけで
はすまない。そのコースにいる人は、いわゆる権威により特権階級をつくり、自分たちの権益
を守ろうとする。こういう「力」が、日本の社会を息苦しいものにする。

 本来ならこうした「おかしさ」に日本人は前向きに戦わねばならないのだが、長く続いた隷従
性というべきか、日本人は、「あわよくば自分も……」とか、「自分の子どもも……」と考える。こ
うして本来、そのコースの恩恵をほとんど受けない人までもが、保守層を結果的に擁護してし
まう。いや、悲しいかな自分自身も、小さな小さなコースに乗っている人は多い。そういう人たち
は自分の小さなコースを守ろうとして、あるいはもっと大きなコースに乗ろうとして、結果的に、
さらに大きなコースに乗って、特権をほしいままにしている人を擁護してしまう。本来なら新聞に
せよ、雑誌にせよ、そういう世界に批判的であるべき団体まで、日本全体のおかしな風潮に乗
ったまま、そういうコースに乗っている人を擁護してしまう。あるいはシッポを振る。こうした相互
の作用が日本の権威主義をますます増長させる。

 ああ、本当に、日本は不思議な国だ。

 権威主義者たちの特徴は、自分が権威であることに酔うあまり、目が上ばかり向いていて下
を見ない。見ない分だけ、下の人を無視する。軽く見る。こうした権威主義者を前にすると、下
の世界に生きている私などは、本能的な部分でそれをかぎ分けることができる。長い間、「権
威」を考えてきたせいだと思う。しかし私はその「権威」にもう二〇歳前後に気づいた。そしてつ
いでにそのむなしさにも気づいた。早く気づいてよかったと思う。権威主義的な権威者たちが、
何かに酔いしれるように威張っているのを見たりすると、「ああ、かわいそうな人だ」とか、「何
のために生きているのだろう」とか考えたりする。ああいう人間にはなりたくないものだ。人間
はどこまでも裸で、どこまでも自分自身で戦うべきだ。

1・15
 今日は東京で懇談会。朝早く起きて、日常的なやるべきことをした。二男にメールを書いて、
いくつか仕事先に返事を書いて、まあ、そんなところ。今朝は暖かい。もうすぐ雨が降るという
ことだが、こうしてどんどん春らしくなる……? 庭へ出てみたが、どこか春めいたしめった草
の香りがプンと鼻をついた。草のにおいはいいものだ。

 今日の会議のことだが、メンバーの全員(私をのぞいて)は、超有名な著名人ばかりだ。しか
し私が問題にしたいのはそのことではなく、どの人も、身分と収入が保障された人ばかり。恐ら
く保障されていないのは、この私だけではないか。昨日の新聞を読んでいたら、今度大学の教
官も、学生の評価によってはクビを切られることもあることになったそうだ。それについて、教
官たちは、「身分の保証があってはじめて、落ち着いて研究生活ができる」と反発しているそう
だ。どうしてこうまで、公務員の先生たちは甘ったれているのだろう。身分の保証なんてものは
ね、ないの! 私なんか、この30年間、その保障などまったくなかった。退職金も天下り先も、
年金もない。その私が、そうして保障されたメンバーと並んで、日本や日本の未来のことを考え
る。ときどき自分のしていることが、つくづくとバカらしくなる。本当のところ、毎日がそのバカら
しさとの戦い。教育評論なってものは、遊んでいても食べていかれる人たちに任せておけばい
いのかも。ああああ。

 今朝の夢。私の女房が、何とかという悪魔教団に誘拐された。そこで私が単身、その教団の
本部に乗り込んで、教団をメチャメチャに叩きつぶすというもの。実際には、これからその教団
に乗り込むというところで、目がさめた。ああ、残念。いいところで目がさめてしまった。目がさ
めたときには、結構ドキドキしていましたが……。だから今朝は早く起きたというわけ。はは
は。

 このあたりは昔は農家ばかりだったそうだ。それでその土地をもっていた人たちが、大きな
大豪邸に住んでいる。たいていこのあたりで大豪邸に住んでいる人は、元農家出身と思ってよ
い。あとはバブル期に、不動産で儲けた人。それはそれだが、昨夜寝る前に女房とこんな会話
をした。「あんないい家に住んで、どうするのかねえ」「むなしくないのかねえ」と。これはそういう
財産のない私たち夫婦のひがみのようなものかもしれない。ははは、これはひがみです。しか
しね、まじめにコツコツ働いても、家を建てられない人がいる一方、親の財産や社会的特権に
しがみつき、豪華な生活をしている人もいる。こうした不公平感が大きくなればなるほど、社会
の不安は高まるのです。幼稚園にせよ、特別擁護施設にせよ、ガバガバと補助金を与えられ
(東京都の場合、保育園児一人につき、毎月80万円の補助金が保育園に支払われている。
毎月80万円ですぞ。特別養護老人施設については、毎月一人当たり30万円!) その理事
長たちはどうやって財産を隠すか、毎日四苦八苦している。こういう現実を放置しておいて、何
が平等だ。正義だ。……と言いたくなる。

 依存心というのは、依存したいという気持ちをいうが、同時に、甘えの基本にもなっている。
「おかしいから是正しよう」と考える前に、「あわよくば自分も……」と考えるのも、立派な依存心
だ。この問題については、もう少しこれからゆっくりと考えてみたい。

1・14
 昨夜三男が横浜に帰った。帰る前、私と女房と長男と三男で記念撮影をした。私たちは何か
「祝い事」があると、いつもそうしている。三男はどこでも人気者らしい。私と女房は「たいへん
だろうな」と思いつつも、それを喜んでいる。私の息子たちについて言うなら、三人とも、とにか
くやさしい。人に親切で、思いやりがある。とくにそういう子どもにしようとしたわけではないが、
どういうわけか、そういう子どもたちに育ってくれた。「成人式の会場でも、E(三男)が動くところ
はどこでも、Eを囲んで、大きな円陣ができた」と女房はうれしそうにそれを話してくれた。私もう
れしかった。できた写真(プリンターでプリントアウト)の一枚は、二男に絵葉書にして送ること
にした。

 今日は振替休日。静かな朝だ。風もない。のどかな小春日和といった感じ。となりの空き地で
だれかが焚き火をしているようだ。薄い煙が、庭先の木々の間を通りぬけてやってくる。そうい
う煙を見ていると、ふと時間が止まったような錯覚を覚える。

 先日久しぶりにラジコンの雑誌を買ってくる。一時はこのラジコンに狂った。はじめて自分で
飛行機を組み立てたときのこと。まだ長男が生まれる前のことだった。やっとできた飛行機を
待ちきれず、天竜川の河川敷までもっていって飛ばした。しかし風が強い日で、あがったと思っ
たら墜落。しかしうれしかった。そういうものだ。飛行機を飛ばすなら、冬の間がよい。たんぼも
畑も滑走路のようなものだ。しかし今度はヘリコプターにしたい。こづかいを少しずつためるこ
とにした。

 うちのトイレの水は、一度流すと、そのまま流れ続ける。先日も(多分)一晩中、流れ続けた
ていたと思う。ムダといえばムダだが、しかしそういうムダは生活にはつきもの。あまりギスギ
スだと、息がつまる。そこでこう考えた。仮に毎月50万円の収入があったとする。しかしそのう
ち5万円は、ムダ用になるのではないか、と。スーパーで言えば、万引きによる被害率のような
ものだ。まあ、その程度のムダはしかたないさとあきらめることによって、生活がスムーズに流
れる。まったくムダのない生活というのは、ここにも書いたように、息がつまる。言い換えると、
仮に50万円の生活費がかかるとするなら、55万円稼げばよい。50万円しか稼げないなら、4
5万円以内で生活ができるようにすればよい。そういうのを「ゆとり」というのではないか。本当
の意味での、だ。

 実のところ、「教育」にも、そのムダがつきもの。「子育て」もそうだ。子どもは、そのムダな部
分で息を抜き、羽をのばす。そのムダを親はいかに認めるか、だ。教えるコツもここにある。バ
カなフリをして、「こんな先生あてにならない」と思わせつつ、子どもを自立させる。そういえば、
先日、「アンタ、本当に先生?」と私に向ってそう言った年長児がいた。私が、10個の○を数え
るのに、電卓を使って解いたフリをしていたときのことだ。はははは。子どもというのはそういう
もの。

 長い間、子どもたちに接していると、それとは別に、「おかしなおとな」「おかしな人」というの
が、本能的に判断できるようになる。これは子どもという無数の「人間」を観察してきた副産物
のようなものではないか。たとえば、「この親はどこかヘンだぞ」と感じたとする。するとたいてい
その人は、何らかの精神障害をもっていたりする。少しこわい話だが、同じようにして、その人
の自殺を数ヶ月前に言い当てたこともある。あるいは私がそう思ってから、半年あまりで、脳内
出血で死んだ人もいるし、本当に精神病院へ入った人もいる。教育というのは、子どもに知識
を与えるのではなく、子どもを「見る」ことをいう。だから子どもを長い間見ていると、そういうこと
が自然とできるようになる。よく「超能力がほしい」と言う人がいるが、これはまさに私の超能力
(?)。そういう力をもっているというのは、実に楽しいことだ。もっとこの力をみがいて、たとえ
ばデパートですれ違ったような人の精神状態を、即座に判断できるようになったら、おもしろ
い。やってみるか!

 しかしね、正直に書きますが、私は5〜6歳の幼児なら、見ただけで、その瞬間に、その子ど
もの能力、知力、これから先どんな問題をかかえて、どのようになるか、それがきわめて正確
に、かつこまかくわかります。こう書くと、「まさか」とか、「うそ」と思う人がいるかもしれないが、
本当です。ただたまにまちがうことがあるので、まあ、遠慮しているというか、控えめにしている
だけです。これは本当です。こんなところでウソを書いてもしかたないのでしょう……。

1・13
 今日は三男の成人式。女房はその世話役係。私はひとりで家で留守番。今日はデシタルマ
ガジンを久しぶりに発行するつもり。さきほどやっと原稿がまとまった。昼からは家の前の松の
木の枝を切ろうと考えている。大きな枝が我が家の庭に、数メートルもはいりこんできて、それ
がちょうど物干し台あたりにおおいかぶさっている。昨日は、前の竹やぶの竹を、30本ほど切
った。おかげで庭の前が少しだけ、すっきりした感じになった。

 詳しくは書けないが、このところ年中児のS君の態度が、みちがえるほどよくなった。おととい
おばあさんが、喜んでそれを話してくれた。うれしかった。では皆さん、デジタルマガジンのほう
で、またよろしく! 読者が合計で、230人ほどになった。少しずつだがふえている。(もっとも
減り始めたら、廃刊にしようと思っている。すみません。)

 たった今、メールマガジンの発行を終えたところ。日曜日の朝は、混んでいてなかなか送信
できないときがある。何度も失敗すると、「パスワードを忘れたのか」「まちがえたのか」と不安
になる。こういう不安は、パソコンを相手にしていると、いつもつきまとう。今も、世界のあらゆる
ところで、その不安と戦っている人がいることだろう。人類の精神が総合的にみて、不安定に
なるかもしれない。称して、「パソコン不安定症候群」とか。人間の生活のみならず、心にも大
きな影響を与えつつあるのは事実のようだ。

 今朝、気になるニュースが一つ。外資系の上場会社が日本からどんどん逃げているという。
今ではたったの39社。10年前の三分の一。皆さん大本営発表しか聞いていないので、まだ
日本が経済の中心にいると思っているかもしれないが、今、アメリカでは、アジアの経済ニュー
ス(東京も含めて)は、シンガポール経由で入ってきているのですよ。もうアメリカや世界の目
は、日本を離れて、中国やシンガポールに向き始めている。日本の国際化(国際化って何
だ!)は、もう完全に遅れてしまった! 日本人の英語力は、アジアでも最低。日本より低い国
は、モンゴルだけ。北朝鮮とビリ2を争っている。このザマは何だ。これを教育の失敗と言わず
して、何という! 

 一つの国が衰退に向うとき、二つの過激な思想が生まれる。一つは、民族主義のうしろだて
をもった国粋主義。もう一つは、激変をともなう変革の思想。これは世界の歴史の常識だが、
どちらにせよ、このところ日本の国論がこれら二つの両極端論に集約しつつある。たいへん危
険なことだ。

1・12
 昨日は暖かかった。3月中旬の暖かさだという。この浜松はこうして、いつの間にか春になっ
ていく。

 子どもの「すなおさ」について考える。「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。
一つは、情意(心の状態)と、表情が一致していること。これについては今まで、何度も書いて
きた。もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。心のゆがみというのは、その子どもであって、そ
の子どもでない部分と考えるとわかりやすい。たとえば分離不安の子どもがいる。親がいる前
ではおとなしく静かにしているが、親が見えなくなったとたん、ワーッと泣いて親のあとを追いか
けたりする。子どもの意思(つまり子ども自身)というよりは、もっと別の心が作用して子どもを
そうさせているように感ずる。この「別の作用」を起こす部分が、「その子どもであってその子ど
もでない部分」と考えるとわかりやすい。そこで調べてみると、日本語にはそれを表現する言葉
がたくさんあることに気づいた。「ひがむ、いじける、つっぱる、すさむ……」など。ざっと数えて
も、15個くらいある。つまり日本人はそもそも、心をゆがめやすい民族ということになるのか。
それはともかくも、こうしたゆがみのない子どもを、「すなおな子ども」という。従順で、おとなしい
子どもをすなおな子どもとは、決して言わない。

 今日は、「さつき会」というところで、講師を務める。昨年に続き、2回目の講師だ。実のとこ
ろ、複数回、こうして講師で呼んでいただくということは、講師としては、たいへんうれしい。たい
てい私のばあい、「1回でたくさん(こりごり)」ということで、お払い箱になる。(多分!?) しか
し2回目に呼んでくださるということは、気に入っていただけたイコール、役に立てたということ
だ。(多分!?) そういうことで張り切って行ってくる。(今はまだ7:50AM) 8時30分に迎え
の車がくるということになっている。体の調子はよいが、頭はまだ全開状態ではない。今回は、
会のほうからテーマをもらったので、それについて講義する。正月中、あれこれ考えた。頭には
よい刺激になった。昨夜遅く、やっと原稿らしきものがまとまったという感じ。結構、楽しかっ
た。そうそう言い忘れたが、「さつき会」というのは、「女性教師の会」。この地域の女性の先生
たちでつくる会だそうだ。(私の講演は、どこへ行っても、95%は女性ばかりなので、それ自体
はどうということはないが、やはりプロの先生たちを相手にするときは、緊張する。いいかげん
なことを言うのは、許されない。)

 明日は三男の成人式だ。では皆さん、今日も一日元気でがんばりましょう!

1・11
 今日は一転、曇天。昨日、庭の木々の枝を大量に切り込んだ。特にキーウィは、いまごろが
切り時で、春になって切ると、タラタラと樹液を外にこぼす。ついでにベランダのトタンをはりか
える。結構、重労働だった。そのトタンを張り替えながら、「そろそろ家を建て直さなければ」と
思った。この家もかなりボロボロになってきた。築26年になる。早いものだ。今度建てる家は、
コンパクトな老人向きの家にしようと女房と話し合っている。いよいよ老後の準備かという思
い。このあたりに移り住んだときには、このあたりには、我が家一軒だけ。土地の値段も安か
った。おかげで土地は広く買うことができたが、このところその「広さ」が重荷になってきた。「ア
パートでも建てようか」と女房は言うが、私は「……」と。

 そうそう駐車場を広げたのはよかったが、道路の反対側のアパートの住人たちが、私の家の
駐車場をうまく使って、自分たちの駐車場に車を入れている。どうせ土地は地球のもの。あら
ゆる生物のもの。「私の土地」という言い方は好きではないが、しかし少し図々しいね。まあ、い
いか。どうせあいている駐車場だから……、ね。

 教育には四つの顔がある。社会(国)が求める教育、親が求める教育、教育者(先生)が求
める教育、それに子どもが求める教育だ。日々に現場の先生は、この四つの顔のはざまの中
で、自らの方向性をさぐりながら、生徒に相対する。言い換えると、国が何を求めているか、親
が何を求めているか、先生は何を求めているか、そして子どもたちは何を求めているかをさぐ
らねばならない。この視点を見落とすと、教育そのものがバラバラになってしまう。

 ソニーから新しいパソコンが売りに出される。バイオだが、ワイド画面だという。値段は16万
円と、東芝の同程度のより、10万円も安い。性能はどんなだかはわからないが、一見の価値
はある。しかし今のところ買う予定はない。(買えない。)

 ブロードバンド8MタイプをNTTに申し込んだが、私の局は、設置がまだ先になるとのこと。残
念! まあ、いいかという思いで、電話を切った。

 今朝はどこか肌寒い。以上、バラバラ日記でした。皆さん、お元気で!

1・10
 今日は12日の「さつき会」の草稿をまとめる。「自分の中の他人」というテーマで、新しい分野
に挑戦してみたい。自分の中には、自分であって自分である部分と、自分であって自分でない
部分がある。問題は自分であって自分でない部分だ。この自分であって自分でない部分を知
るということが、とても大切なのだ。そうでないと、いつまでたっても、その自分であって自分で
ない部分に振り回されてしまう。これがこわい。

 そこで重要なことは、その「自分であって自分でない部分」にいかにして気づくかということ。こ
れは日ごろ子どもに接することができる教育者の大特権でもある。子どもに接しながら、ときど
きだが、自分の子ども時代はどうだったのだろうかと考えるときがある。そして多くの子どもの
中から、自分さがしをはじめるときがある。これを繰り返しながら、教師は自分さがしをする。つ
まり自分であって、自分でない自分に気づくことができる。今度の「さつき会」では、そんなこと
をテーマにしてみたい。はじめての試みなので、うまくできるかどうか心配だが、皆さんから質
問をいただいて、それで自分の説をみがきたい。

 例のアルツハイマーの問題だが、その初期症状として、「繊細さが欠ける」というのがある。
以前にそういった人に会ったことがあるが、「感じ」としてはわかるが、しかし「繊細さに欠ける」
ということはどういうことなのか。朝食を食べながら、女房とあれこれ話し合う。女房が言うに
は、「どこか空を向いていて、会話がかみあわないということじゃないかしら」と言うが、どうもそ
れとは違う。そういうのを心理学では「遊離」というが、遊離ではない。「繊細さが欠ける」という
ことは、相対するこちら側の印象としては、「冷たくされている」という感じではないか。以前、そ
ういう人が近くにいた。そこでこちらがあれこれ気をつかい、機嫌をとろうとするのだが、反応
がほとんどない。それでそのうちこちらがめんどうになってしまい、あきらめたが、そういうこと
ではないか。

 アルツハイマーの初期症状の人のもう一つの特徴は、これは私が感じた特徴だが、ズケズ
ケと他人をキズつけるようなことを平気で言うことだ。「自分がこう言ったら、相手の人はどう感
ずるだろうか」という部分が欠落している。それが繊細さに欠けるということではないか。……う
っむうう。だいぶわかってきたぞ。

 もっともその人がアルツハイマーだということがわかっていればよいが、そうでないと、結局は
その人の無神経な言葉で皆がキズつくことになる。家族もたいへんだろうが、まわりの人もた
いへんなのだ。しかし問題がもう一つ残る。私は長い経験の中で、その人がアルツハイマーの
初期症状だということに気づくことができるが、若い人はそうでない。また家族でも、それに気
づく人は少ない。そういうとき、こちらからそれを指摘してあげるべきかどうかという問題があ
る。特に、生徒の親だったらどうしたらよいかという問題がある。このタイプの親をもつと、親の
異常なまでのこだわりと過関心、それに過干渉によって、子どもにも大きな影響が出てくる。早
めに夫、あるいは妻にそのことを告げて、それを予防しなくてはいけないが、しかしそれをして
よいものかどうか。やがてこの問題も、大きな社会問題になるかもしれない。何といっても、約
5%の人が、そのアルツハイマーになるという時代である。前にも書いたが、三〇人のクラスで
あれば、このタイプの親は3人もいるということになる。ああ、こわい話だ! さあて皆さん、あ
なたならこの問題をどう考える?

 私が考えた、アルツハイマー初期のそのまた初期症状の自己診断。(次の項目にあてはま
れば、あなたは要注意!)

( )最近、こまかいことにこだわるようになった。(妄想性)
( )よく他人と意見の衝突をするようになった。(がんこさ)
( )ものごとをズケズケと言うようになった。(繊細さの欠落)
( )自分が絶対正しく、他人が無知にみえることが多い。(自己中心性)

1・9
 正月の間、このサイトへのアクセス件数が、一桁台(一日5件)にまでなった日がある。しかし
昨日からまた一日、20〜30件と復活(?)した。読者のみなさん、ありがとうございます。これ
からもよろしくお願いします。やはり読んでいただくということが、作者としては励みになります。

 今日は、とにかく忙しい。二つの講演先のレジュメをつくること。愛知万博の資料をそろえるこ
と。それに「母親診断」の基礎調査をすること。さらにもう一つ。今度、電子マガジンでの連載が
始まるので、その原稿の整理。ああああ。こういうときは、何も迷わず、次々と仕事をこなして
いくのがよい。まずすべきことをする。それでいいのだ。

1・8
 彦根市での講演依頼を受ける。今年はじめての講演依頼だ。ああ、いよいよ2002年もはじ
まったかという感じ。がんばってこの荒波を越えてやろう、という思い。

 朝、デニーズに誕生日のお祝いの電話をする。アメリカは今日が1月7日なのだ。

 今日は風は強いが晴れ晴れとした気持ちのよい日だ。今日から私も本格的に仕事だが、気
持ちよくできそうだ。朝早く、「親意識」の調査用紙を作成する。今朝は寝すぎて頭がぼんやり
している。女房が「寝すぎよ」と言ったが、本当にそうだ。考えてみれば、10時間以上も眠っ
た。私の適正睡眠時間は、9時間だ。8時間でも悪くない。

 私の適正基準……体重66キロ前後(昔、東京の東急デパートで和田君という、痩身美容を
指導する男と、一緒に講演会や実演会をしたことがある。彼の父親が和田式なんとかという痩
身美容法を提唱していた。彼が「はやし君の適正体重は63キロだよ」と教えてくれた。彼はそ
ののち、日航123便の墜落事故で他界したが、適正体重という言葉を聞くたびに、私はあの
和田君を思いだす。年齢は知らないが、同じくらいの年齢だった。ぼくが27歳くらいのときのこ
とだった。)

 血圧は上が100。下が60くらいで、低血圧ぎみ。あとはときどき、血液検査を受けている
が、今のところ異常がみつかっていない。数年前、コレステロール値が高いと注意されて、そ
れからは食べ物に注意している。長生きはしたいが、ときどき「長生きしてどうなるんだろう」と
ぜいたくなことを考える。また別のときどき「もう死んでもいいや」と思うときが多くなった。何とな
く生きていることが無意味に思えて……。こういうのを初老性のうつ病の初期症状というのだそ
うだ。私はその初老性のうつ病か? それもいやだなという感じ。まあ、仕事が始まれば、また
元気が出てくることでしょう。私は働いていたほうが調子がよいという、本当にまあ、かわいそう
な貧乏性の男なのです。どうか同情してください。

1・7(Jan. 7th)
 今日はデニーズの誕生日だ。Hpppy Birthday,Denise! You are loved by us all and look 
futute and only think to step forward. Don't look back! When you look back, it means your
progress would be stopped. Just move forward. This is very important. Your future is very 
very bright. Hiroshi

 昨日、生ニンニクをご飯にかけて食べてしまった。おかげで女房に嫌われるは、みんなに嫌
われるは……。今日も臭いので、外出しないことに。いや、あとでハナと久しぶりに、遠州浜ま
で散歩に行こうと考えている。ハナは、「臭い」とは言わない。ハナは、くしゃみをする。ハナは、
私の口臭検査犬でもある。息をふっかけると、どのくらい口臭があるか、すぐわかる。今朝、息
をふっかけてみたら、はははは、何度もくしゃみをしていた。あとは日常的な仕事をするだけ。
寒いががんばりましょう。私は寒さに本当に弱い。暑いのは平気だったが、年齢とそもに、それ
も弱くなってきたようだ。久しぶりに、N先生に手紙を書こうと心に決める。あとで……。

 今日のテーマは、頭の中にある原稿(ショートエッセイ)を、2つまとめること。頭の中がモヤモ
ヤしているので、それを吐き出すつもり。

 それととうとう、ADSLに申し込みをしたぞ。たぶん今月の終わりには、我が家にもブロードバ
ンド時代到来! あれこれ不安な点もあるが、こうした不安を乗り越えないことには、進歩はな
い。こうした電子機器の不安を乗り越えたときの快感がたまらない。昔、まだ浜松市で、パソコ
ン通信をほとんどだれもしていないとき、私はそのパソコン通信にハマったことがある。カタカ
ナ表示だけで精一杯という時代だったが、何とかあちこちをいじくり回して、たしかATOKを使っ
て漢字混じりのひらがな文で交信するところまでこぎつけた。毎日のようにNECの支店へ通っ
たものだ。あのころと比べると、インターネットは夢のようだ。すばらしい。こうして平気でメール
を送ることができる。そして今度は、いよいよブロードバンド時代か!

 2月7日に、静岡市のR幼稚園での講師依頼を受けるが、時間的に無理のようだ。残念だ
が、断わるしかない。ごめんなさい。

 夜は女房が三男と、山荘で一泊したいというので、そうするつもり。我が家から山荘まで、夜
だと35分くらいで着く。たいした距離ではない。

1・6
 久々に1時間程度の運動をした。朝、身を切るような冷気を感じたが、気持ちよかった。おか
げで午後は体調はすっきり。昼ご飯を食べたあと、ここちよい眠り気が襲った。しかし眠らなか
った。パソコンの修理と、整理をする。少し前まで、書斎というと、分厚い本がぎっしりとつまっ
たような部屋を想像したものだが、今は、違う。たいていの情報は、インターネットで手に入る。
本にかわって、ファイルの山。それがこれからの書斎の姿ではないか。あとはパソコンの中
に、情報が入っているので、その整理。その整理をした。しかしこれが結構たいへん。重要な
のは、CDに焼いて保存する。不要なのは削除する。そしてファイルをあちこちに移動したりす
る。まあ、楽しかったが……。

 雑誌を数冊書店で買う。二男に送ってあげるつもり。三男が横浜から帰ってきた。久しぶりに
明るい会話がはずむ。楽しかった。

 午前中は冬期講習の仕事。やはり、少し昼寝をしようかと考えている。眠い。あくびが出る。
では今日の日々の記はこれでおしまい。(どうして「日々の記」にしたかということ。「日・記」と書
くと、ヤフーの検索ですぐ検索されてしまうから。)こうした日・記は、公開しないほうがよいよう
だ。いろいろいたずらされたり、読んでほしくな人にまで読まれてしまう。それでこういうふうに
非公開にした。あといくつかの項目についても、非公開にしようと考えている。

1・5
 今朝は、午前4時に起きた。昨日、ほとんど一日中、寝ていたためだ。もう二度と粕漬けを食
べないと、心に誓う。……誓うようなことでもないが、体の調子がよいと、つい油断して、「酒」を
食べてしまう。これがいけない。それにしても、ひどい二日酔いだった。

 今は、5日の午前4時半。これから「女性教師の会」の原稿をまとめよう。何でも、やりたいこ
とを全力でやればよい。結果はあとからついてくる。どうせたった一度しかない人生だから、だ
れにも遠慮することはない。

 思考力というのは、本当にデリケートなものだ。頭の中というのは、外からはわからないが、
文章を書き始めてみると、それがよくわかる。ぼんやりしているときというのは、サエた文章は
書けない。また書いても、どこか自分の文章ではない。何というか、頭の中のドアがしまったよ
うな感じになる。文章というのは、書けるときと書けないときがあるのだ。今書いて文章は、つ
まりここに日記として書いている文章は、言うなればゴミのような文章。どうでもよい文章。こん
な文章は、いくら書いても、なんにもならない。ただのゴミ。あああ、「これが私の文章だ」という
ような文章を書いてみたい。今日は、昨日の後遺症もあって、集中力もあまり続かない。まあ、
のんびりと過ごすか……と心に決める。今日はあれこれ来客もあって、忙しいぞ。床屋へ行くヒ
マもないのがつらい。

 では、また明日! 

1・4
 今朝は早朝から頭痛がはじまった。あまり経験しない頭痛? よく観察すると、二日酔いの頭
痛だ。私は一滴も酒を飲めない。ビールもコップに半分も飲んだら、おしまい。その私が二日
酔い……。そこで昨夜食べたものを思い出した。あああ、私は野菜の粕漬けを食べてしまっ
た。しかもあろうことか、つい油断してパクパクと……。おかげで午前中は、ちょうど女房がテニ
スから帰ってくる昼過ぎまで、ふとんの中に。もう粕漬けは食べないぞ!

 運動不足もたたってきた。私はふだんは、毎日1時間程度、自転車に乗って、汗をかくように
している。が、この一週間、運動はゼロ。おかげで、体のあちこちがなまってきた。調子が悪い
ということ。やはり人間は運動をしなければならない。またあさってから運動、再開だ。明日は
あれこれ来客を予定しているので、あさってだ。……と、自分にムチを打つ。

 昨日は、「ベーコンの自然論」と、「ハーヴェイの自然論」をまとめる。対照的な自然論でおも
しろい。近く、このサイトに載せる予定なので、興味のある人は読んでほしい。(……といって
も、いまどき、ベーコンの自然論に興味のある人は少ないと思うが。大英帝国時代の海洋冒険
主義(植民地政策)の基本となった考え方といえば、納得する人もいるかもしれない。)

 「生きる」ということは、自分で何かをつくりあげることではないのか。「仕事」もそうだ。たとえ
ばここに一人のガラス職人がいる。彼はふつうのガラス職人で、毎日コップを作っている。ただ
ひたすらコップを作っている。そしてその会社には、そのコップを売る営業マンがいて、その上
には社長がいる。生きていく上には、便利なシステムだが、これらの人は、その実「生きていな
い」(失礼!)。生きるということは、日々の生活の中で、もちろん仕事の中でも、自分を追求す
ることだ。一人の生活者としてではなく、一人の人間として。つまり「人間として」と自覚するとい
うことは、人間の進歩を、一歩でも二歩でも前に進めることだ。一人の生活者として、自分の生
活に安住したとき、その人の進歩は止まる。つまりその人は死んだことになる。ガラス職人にし
ても、コップをつくるかたわら、自分でしかできない作品を追求する。そうすればそのガラス職
人は生きることになる。残念ながら、営業マンや社長は、ガラス職人を統括しているつもりかも
しれないが、はじめっから、死んでいる。ガラス職人のほうが、ずっと「生きる」ことに近い。…
…これが私の生死論。

  ああ、それにしても、粕漬けを食べて二日酔いとは……!! おかげで今日はほとんど、何
もせず、ぼんやりと横になって過ごした。酒を飲めない人間が二日酔いになるとどうなるか、…
…まあ、それはなったものでないとわからないだろう。吐き気と、頭のシンから発する頭痛。「頭
を切ってくれ」と叫びたくなるような頭痛だ。

 夜10時ごろになって、やっと頭痛が抜ける。さっそく女房と近くのコンビニへ行き、買い物。
おにぎりとおでんを買って食べた。ほっと一息つく。ああよかった。

 デニーズからメールが届く。今度の万博の企画の英語について、アドバイスを受ける。私は
学生時代、英語が得意だったが、デニースの英語力にはかなわない。彼女は今、英文科の大
学院に通っている。Thank you very much, Denise!

1・3
 今朝、起きてみると、女房がうれしそうな顔をして、「ほら」と。見ると、一面の雪景色。「ああ
あ」と声をあげたが、その美しさにしばし息をのむ。5センチほどは積もっていただろうか。あわ
ててカメラを取り出し、写真をとりつづける(山荘にて)。

 昨夜は遅くまで、愛知万博のレポートを書く。夜中に、切手を貼ってポストに入れる。インター
ネットでも送ることができるが、ファイルは今、嫌われている。ウィルスを皆さん、警戒している
からだ。私も、たとえ息子たちからのメールでも、ファイルは開かないようにしている。あるいは
開く前に電話で確認しながら開くようにしている。ウィルスのこわさは、それによってパソコンを
破壊されたものでないとわからないだろう。ばあいによっては、人間関係まで破壊してしまう。フ
ァイアウオールは、今や常識。相手の方のためにも、ウィルス検査を徹底してほしい。

 今度、女性の先生たちだけの会で講演をすることになった。テーマは、先方からいただいた。
で、私には未開拓の分野。そんなわけでこのところ、食事ものどの通らない状態で、この問題
を考えている。こういうふうにテーマをもらうと、それが宿題になって、頭の刺激にはたいへんよ
いようだ。

 今日もあれこれ忙しいぞ。来客もあるし、手紙も書かねばならない。少し頭が重いが、これは
考えすぎによるものか。もっともこうして一度重くなった頭をかかえながら、その頭の中のモヤ
モヤを吐き出す……、それが私にとって、ものを書くということなのだ。そう、そのモヤモヤを吐
き出したときの爽快感は、どう表現してよいかわからないほど、気持ちのよいものだ。

1・2
 12月31日に書いた、アルツハイマーの人の情報がいろいろ入る。アルツハイマーの患者を
家族にもつということは、たいへんなことのようだ。(本人はハッピーなのだろうが……?) し
かし問題はその周囲の人も、いろいろキズつくことということ。ある幼稚園の元教師の人がこう
言った。「私は、園長に、『あんたがいると、この幼稚園はつぶれる。だからやめてほしい』と言
われた。ショックだった」と。しかしその園長は、やがてアルツハイマーになっていると診断され
た。インターネットで調べると、アルツハイマーの初期の、そのまた初期症状としては、次のよう
なものがあるという。
 (1)自己中心的になる
 (2)繊細な感覚が消える
 (3)がんこになり、思い込みが激しくなり、自己主張が強くなる
 こうした状態が続き、本人は、不安と不眠などに悩まされるという。そしてやがて、物忘れが
ひどくなるという、アルツハイマー独特の症状が出てくるという。年齢は、早い人で四〇歳くらい
からだそうだ。私も過去にいろいろな人に会ってきたが、こうした症状のある人と接したことが
ある。このタイプの人は、正直言って、会って話をしているだけで不安になることが多い。ささい
なことを、ことさらおおげさに問題にして、つっかかってくるからだ。要するに相手にしないのが
一番。まともに接していると、こちらがキズつく。 

 私も心配になって女房に、「ぼく、繊細かな?」と聞くと、「あんたは繊細すぎるのよ」だって、
さ。しかし夫婦がともにアルツハイマーになったらどうする? 約5%の人がアルツハイマーに
なる(夫婦で見れば、10組に1組の割合で、夫婦のどちらかが罹患することになる)ということ
だから、計算上では、200組の夫婦で、約1組は、夫婦ともどもアルツハイマーになるというこ
とになる※。決して少ない確率ではない。私も女房も、アルツハイマーだったら、互いにそれが
わからなくなるということもありえる。女房の言葉に安心するということもできないのだ。そんな
わけで朝食のとき、私はしげしげと女房を観察した。(女房はどうやら、だいじょうぶのようだっ
た。)

 原因はいろいろあるようだが、遺伝もあるという。そこで互いの家系を調べてみたが、私の家
系にも、女房の家系にも、ボケたり、アルツハイマーになった人はいない。だから、一応、この
点については安心している。

 今朝はアルツハイマーについて考えてみた。(※……この計算、どこか矛盾があるような感じ
もするが、やはりこういう計算結果になる。皆さんも、一度、自分で計算してみてほしい。どうも
今朝は、頭がぼんやりしている。)

2002年1月1日(Jan.1st , Year of 2002)
 新年、あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いします。この「日々の記」をお
読みいただき、心から感謝しています。このサイトは、今年、ますます進化します。このサイトも
どうぞ、よろしくお願いします。皆さんのご多幸と、ご健康を、心よりお祈りします。

  For all these good things we give thanks and ask for blessing on all of you for this occasion 
of the new year 2002. And we sincerely wish you a very Happy New Year!

  今日は長男と、女房と三人だけで、山荘のほうで新年を迎えた。2002年だ。新しい年だ。こ
れからもただひたすら前に向って生きていこう。……と誓う。(誓っても意味ないが……。)要す
るに、一日一日を大切に、家族,、力を合わせて、仲よく楽しく生きていく。

 デシタルマガジンの読者が、少しずつだがふえている。皆さん、ご愛読、ありがとうございま
す。これからもがんばって書きつづけます。皆さんと力を合わせて、新しい日本をつくりましょ
う。今年も、どうかよろりく、よろしくお願いします。

 今日一日は、たいへん静かな一日だった。のんびりできた。

2002年1月1日 

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