静岡の身近な昆虫たち  観察記 1


戻る RETURN 10 11 12 13 昆虫写真へ




 1997/06/28

 今回このホームページに載せた昆虫は私が観たもののほんの一部にすぎない。いつも虫たちを見ていて思うことはなんと昆虫の世界は広くて深いのだろうということである。昨年からの観察でこれまでに観たことがない虫がゴロゴロ出てきたし、図鑑や本には書かれていない生態や行動を見ることがしばしばであった。まだまだ判らないことばかりである。

 それにしても昆虫たちにとって現代はとても厳しい時代であるということ。(昆虫だけでなく鳥や魚などについても同様であろうが・・・)もともと虫は一般に害があるもの邪魔なものという認識のされ方が強くてそれなりの扱いをされてきた。それでも彼らはそれに負けない力をもっていた。だが今のこの時代、環境、環境と叫ばれている一方でこれまでにない生息域の破壊が続いている。観察されたその場所が1週間後、1ヶ月後には跡形もなく削り取られていたり埋められたりしていることは珍しくない。一部の種を除いて多くの種についてその力が追いつかない、またはやっとのところで追いついているという状態のようだ。種全体からみれば問題なしと思われても地域種という遺伝子のレベルから考えれば危うい種が結構いるのではないだろうか。

 見栄えが良いもの人気のあるものは例外的としてその他の大多数の普通の昆虫たちはまだまだその存在価値を認識されていない。そもそも一般には存在自体が知られていないのが実状であろう。
 これまで自然、守るべき自然環境というと身近ではない特別の自然を指してきたきらいがある。特別な自然には目がいくけれども、壊されている身近な自然にはまだ認識が甘い。
 自然環境の基本ともいうべき身近な自然を残していくこと、戻していくことがまず先決ではないだろうか。それには身近に生きる生物たちについて知ることが第一であると私は考えている。そこで静岡県で(藤枝市、焼津市が中心になってしまったが、)写真に収めることができた昆虫類を紹介することにした。紹介した種類の大多数は私が見る限りほぼ県内全域(平地から低山地、河川)で見られるものである。

・・・・・

 話しは変わって、とにかく「昆虫の撮影は難しい」。
 これまで人物や風景などいわゆるフツウの写真しか撮ったことがなかったので昆虫に関しては失敗した写真のほうがはるかに多い。何しろ相手はじっとしていてくれない。ポーズをとってくれない。そして小さい。実は撮影が難しいのではなく観察が難しいといった方が適切かもしれない。見つけても1歩近づいただけで飛んでいったりポトリと落ちたり葉の裏に隠れたり・・・してしまう。その虫のペース、動きを知らなければいけないのだと思うのである。

 本来、身近な昆虫といえばハエやゴキブリ、アリなどを真っ先にあげるべきであるが抜けてしまっている。写真に撮るのが難しいという理由もあるがやはり私の気持ちのなかで少々毛嫌いしているためでもある。この点については反省せねばならない。その他身近な昆虫として加えるべきものとして地表で行動しているもの例えばゴミムシ、ゴミムシダマシなどと、そして水生昆虫例えばゲンゴロウ、ガムシ、カワゲラなどである。今後ぼちぼち追加していこうかなと思っている。


 1997/07/14

 私は写真に収めた昆虫たちの標本は残していない。写真だけではそこに実際に生息していた存在していた証明にはならず、またその種であることの証明にはならないとのご意見があるが、このホームページは学術的な生息調査を目的に作成したのではなく、いわば私個人の趣味であることが第一であることをこの場で明にしておく。このホームページから昆虫の生きている様子がほんのすこしでも伝わって、実際に身近にいる虫たちに目を向けてもらいたい。ただそれだけである。

 種の同定にあたっては多数の文献の標本写真、生態写真、説明記事をもとにおこなった。あやふやの場合は「〜の一種」とした。現場で図鑑と照合したり、スケッチに残したり、近場の場合は数日飼育してより専門的な文献で調べたりした。(飼育した個体は捕獲した現場に放すことを心がけている。)間違いがあれば直ちに訂正する。

 私は基本的に採集はしない。やはり現場で生きている姿を見ることがいちばんである。


 1997/08/31

 これまで写真で昆虫たちを紹介してきたのだけれど、是非とも実際に彼らをみてもらいたい。どれもこれもとはいかないだろうが、きっと近くに多くの種類がいるはずだ。家の庭でも公園でも川原でも、近くの空き地でもいい。
 彼らを見てどう感じるかはわからない。見るに絶えられない人もいるだろう。だが、彼らはそんな所で生きている。
 そこで観察するには歩くしかない。普段自動車で通る道を100mでもいいから歩いてみることだ。自動車のための道路、駐車場、橋などの構造物が昆虫を含めた動植物にとってどれだけのダメージを与えているかを感じることができるかもしれない。車1台分のスペースにどれだけの動植物が生息できるのか、同時にCO2をどれだけ固定できるのか、どれだけ保水できるのか・・・などなどと実感できるかもしれない。
 私自身自動車に全く乗らないわけではない。ただ、こんなことを知った上で自動車を利用すべきではないかと私は思うのである。


 1997/09/04

 生物、生き物に多少なりとも興味を持っている人にとっては昆虫も近くに感じられるだろうが、それでも虫だけは苦手という人は多い。全般からみると子供を除けば昆虫類を好意的に感じている人はごくごく少数だろう。
・・・というのが私がここ1年ほどで感じてきたことである。

 虫といえば、蚊、蠅、ゴキブリ、毛虫のイメージがとても強い。逆にカブトムシやクワガタムシ、アゲハチョウとなるとかっこいい、美しいになる。だが総じて昆虫、虫といえば前者の害虫のイメージが強い。
 さすがに虫なんて全部いなくなってしまえばいいとまでいう人はないが、庭先でマスクをしながら樹木や花壇にモクモクと農薬をかけているのをみるのは珍しいことではない。
 ただ虫はそれだけではない。

 では、虫は何の役にたってるの?と問われたら何と答えよう。細かく言えば鳥や小動物の餌になってるとかいろいろと言えるのだが、特にヒトにとって直接的にメリットを与えていることといえば何があるだろう。
 ただ地球上の生物の世界、生態系の中の一部であるとしか私には今のところ言えない。それは他の全てのヒトを含めた動植物についても同じではないだろうか。


 1997/10/13

 そろそろ虫の季節も終わりだ。鳴く虫やバッタが目立つくらいで他の昆虫は急速に減っている。とはいえ冬の間も何かしかの形でどの虫も生きているわけで冬の観察もまた興味深いものとなるはずだ。昨冬はトリの観察で冬の昆虫はほとんど見ていないので今冬は夏とは違った姿を見ていくつもりだ。

 さて、普通昆虫の観察というと草木のある所で生きた姿を観ることであるが、歩いたり自転車に乗っているとまた趣の異なった”路上の”昆虫観察ができる。路上を歩いているもの、這っているもの、車に轢かれたり踏まれたりしてつぶれているもの・・・これがまた興味深いものになる。


 

 路上の観察といえば鳥、ヘビ、カエルなどもあるのだが、昆虫のその数からいえばとてもかなわない。例をあげれば、車道を歩くケラやカマキリ、這ってるスズメガなどの幼虫(これが結構多く目立つ)、国道の真ん中に止まっているセセリチョウなどなど、そしてつぶれているもの、ころがっているものはもう多種多様である。こんなところにこんなものがいるのかということも多く、貴重な分布のデータにもなるだろう。

 別の見方をすれば、これだけ小さくて飛翔力に乏しいまたは飛べないような昆虫といえども生活史の中でかなりの移動が必要であることの証明になるだろう。またこれらの現象は車道が生息地を分断・孤立化させていることの証明でもある。よく見るスズメガの終齢幼虫など10mもの幅がある車道を普段は見せないであろうスピードで横断している。その向こうに適当な蛹化場所があればいいのだが・・・、思いを果たせなかった個体が多いようだ。



 こんなことが特に注意して見なくとも頻繁に遭遇するわけで、虫にとってこれまた大きな試練である。
 もう時期は遅いが、こんな昆虫の見方も面白いだろう。


戻る RETURN 10 11 12 13 昆虫写真へ



Copyright(C)Sugiyama Takashi 1997-2010. All Rights Reserved.