静岡の身近な昆虫たち  観察記 12


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 2004/1/7

たで食う虫も好き好き。

 虫はなんでも食う。草を食べたり、枯木を食べたり、他の虫を食べたり。
 雑食の虫もいるが、食い物が決まっている虫が多い。よく知られているのがチョウやガ、鱗翅類の幼虫だろうか。特定の仲間の植物しか食べない。ハムシやゾウムシ、カメムシもそう、大まかに好みの植物が決まっている。
 化学的にみれば理屈が通るのだろうが、ただある1種類の植物の葉や汁のみで、あの外骨格のしっかりした、色模様が豊富な身体が出来あがる。
 他の昆虫を食べる肉食性のカマキリや、雑食で何でも食べるようなコオロギならば不思議に思うことはない。
 今となってそう考えると、腐葉土や朽木だけを食べて、あの立派な身体をつくってしまうカブトムシやクワガタはなんかすごい。
 虫の種類それぞれはある特定の食べ物から栄養を摂る体の仕組みになっていて、またはその身体の仕組みではある特定の食べ物でないと栄養を摂る事が出来ない。

 一方で、全く飽食な我々は、十分過ぎる栄養よりも味や見た目に関心が強い。
 だが、虫のように身体の仕組みとうまく合っているかは別だ。人でも欧米人と日本人とでは、腸の長さが違う。
 日本人ならば、欧米食よりも、穀類や野菜が中心の食が合っているのが自然である。含まれる少しの栄養を取り出す能力がある。この能力を使っていればきっと健康なのだろう。
 食にも効率化を取り入れて、機能食やサブリメントで本来の能力を使わずして栄養を摂る。
 これでは、なんか走れなくなった競走馬が身体を衰えさせていくように、根本的な身体の仕組みを衰えさせていくようだ。だから何かが狂う。

 全く間違ってはいないだろう。

 ナスの皮をバリバリかじっては卵を生むクツワムシや、そこらから採ってきたシダの葉をハグハグ食べて卵をぽんぽん生むトゲナナフシ・・・。
 当たり前なのにいつも思う。

 お前ら、そんなのでホントにいいの?


 2004/1/8

なぜ身近の虫が減っているのか。

 昆虫が減少したり、絶滅の危機に瀕する理由、それは生息地そのものの減少、消失である場合が大半である。
 そして、身近なところでも、そんなに希少ではなく、普通であった昆虫が急速に減っている。昆虫にかかわらず、まだあそこに行けばいっぱいいるよと専門家の人はよく言う。だが、それはあらゆる場所を調べてその結果どこそこにはいるというだけで、身近なところでいなくなるのは仕方のないことで何処かにまだたくさんいればいいんだとも聞こえる。

 それでいいのか。

 最近の後退していくスピードは加速してる。
 区画整理がされて、田畑が埋められ、宅地や店舗が建てられて、公園や緑地ができる。
 前にも書いたができた緑地はヒトの目には気持ち良く、なんとなく自然があるように見えるが、ほとんどの場合は昆虫や小動物にとっては魅力的ではない。生息に適さない。

 何が悪いのか。
 土壌。
 土壌、地面、地表部が不自然なのである。本来その土地の地表部に生息していたであろう昆虫が生息することが出来ない。
 虫なんて適当に草と木があれば十分と甘く考え過ぎている。その草木も自然のその土地本来のものではない。
 そして重要なのは昆虫は卵から成虫になるまで、完全変体や不完全変体と違いはあるが、生活史の中で、その一部を地表部や土中で過ごすものが多いということ。身近なコオロギやバッタ、ゴミムシやセミ、ガもそう。
 じゃあ、土があればいいというわけではない。
 ヒトだってそうだろう、カラカラに乾いた所、とても暑い所、開けっ広げで隠れるところもない所なんかいいと思うわけはないだろう。
 適度な湿度、温度、卵を生んだり潜ることができるやわらかさ等が必要なのである。
 土地を埋め立て嵩上げし、硬い砕石や全く違う土を盛り、地下水位が相対的に下がった。そして、多くの公園や緑地では落ち葉をきれいに掃除してしまうが、その落ち葉こそ昆虫や地表部にすむ小動物にとって必要なものである。
 公園や空き地、道端で吹き溜まった落ち葉の下を見てみれば明らかである。
 そんな物理的な条件だけではない。
 もともとの土壌動物がいないこと、これが問題である。
 土壌動物といってもいろいろだが、まだ昔ながらの良い環境の地表部を見ればわかる。落ち葉や枯草、草を掻き分けた時の感じ、なんと様々な多くの生き物がいることだろう。ミミズ、ワラジムシ、ヒメフナムシ、クモ、ヤスデ、ムカデ、ヨコエビ、カニムシ、トビムシ・・・。
 オカダンゴムシがたくさんいるからとヨシとしてはいけない。中身が大切。
 不快だと薬を撒いてしまってはいないか。
 これらがたくさんいてこそ、いい土になり、本来の昆虫も生息できる。
 そんな地面が次々と消えていく。
 小細工などいらない、そんな地面を残しつつ、工夫して元に戻していけばいい。

 ヒトさえ参ってしまうヒートアイランドの中で、小さい体の昆虫が耐えていくのは難儀なことある。


 2004/1/10

昆虫の性格

 ヒトには性格がある。やたらと怒りっぽい人。穏やかな人。せっかちな人。慎重な人。いろいろ。
 気質によるかもしれない。血液型が関係するかもしれない。生活環境かもしれない。経験かもしれない。

 昆虫に性格はあるのか。
 種類でみれば、肉食性のものは気が荒らそう、つまりは攻撃的か。スズメバチやカマキリ、キリギリス、ハンミョウなど。
 草食性のものは穏やかそう。バッタやツユムシ、ナナフシ、ハムシなど。それぞれ見た目にも出ている。

 そんな種類やグループの間で違うということではなく、昆虫のある特定の種内において、ヒトのように、またはその他哺乳類のように、性格の違いがあるのか。
 やたらとおとなしく穏やかな性格のカマキリとか、とても攻撃的で荒っぽいナナフシとか。

 これまで様々な昆虫を飼育してきたが、それが性格というものかどうかは定かではない。であるが、同じに複数の個体を飼育していると明らかに動作に違いがある。
 ナナフシ、ゴミムシダマシ、ハサミムシ、昆虫ではないがヤスデでも。
 その他については分らない。

 雌雄かもしれない。身体の大きさか、老若か、何がそうさせているのか知れない。ともかくよく動まわり、別の個体を追いやるように威張って見える個体。弱っているわけでもなく、なんとなく静かで控え目気味な個体。威張っている方がすごく長生きするというわけでもない。
 ナナフシ(トゲナナフシ)はどれも雌で、大きさも同じに見える、違いといえば脚がちょっと曲がっていたりする違いがあるくらいだ。
 このような違いは生存にどのくらい関係しているのだろうか。いずれにせよ長所にも短所にもなり得る。

 ある物理的、化学的刺激に対しての反応の違い、敏感か鈍感かの差なのだろうか。
 昆虫を見つけた時、葉裏や石の下でじっとしていることが多い。そんな時がシャッターチャンスなのだが、一度刺激して動き出してしまうともう止まらない。何かが活性化してしまったようになかなか止まらない。
 ヒトでいう、いわゆるテンションが高くなってしまって収まらないように。
 立ち止まり、触角や脚の手入れを始めたりすれば、ああ収まったなぁと。

 同じ種類の昆虫を、野外のいろんな状況や飼育して様子をみていると、彼らの落ち着いた時の様子、リラックスしている時の様子というのが何のなく分ってくる。
 私はそう感じる。

 ・・・
 擬人化してしまった私の単なる錯覚だったのだろうか。

 虫は面白い。


 2004/2/8

鳴く虫を飼う。1

 鳴く虫を飼うといえば、スズムシが代表だろう。野外にも結構普通にいる部類だが、初夏から夏にかけてホームセンターに行けば売っている。
 スズムシならば飼い方もよく知られていて、累代飼育も難しくない。かえってうまく行き過ぎて、とんでもない個体数になる。

 スズムシでない鳴く虫を昨夏飼ってみた。昆虫展で生きたまま展示したかったからである。鳴く虫もいろいろで、キリギリスやウマオイ、コオロギの仲間はよく知られているが、その他の何となくバッタみたいな虫も展示してみた。
 そのためには採集しなければならない。鳴き声を頼りに簡単だろうと高を括っていたら、案外むずかしい。

 アオマツムシ。8月にもなれば、街のいたる所でリーリーうるさい。街中で網を振るうのもなんだかと、瀬戸川の堤防に赴いた。サクラが斜面の下方に生えていて、丁度よく枝が道に張り出している。そして目の前で鳴いている。灯りを照らしても姿が何故かわからない。一網打尽だと振るってみたが、どういうわけかメスと幼虫。
 オスは何度やっても入らない。そのうち網が届く所では鳴き声が消えてしまった。上の方ではあんなに鳴いているのに。
 結局、メス2匹を展示した。

 カヤキリ。8月にススキ原でなく大きなキリギリスの仲間である。ビーーーと大変に大きな鳴き声でかなり遠くからでもわかる。
 しかしながら、どこにでもいるというわけでもなく、珍しくはないが、希少な部類である。
 このカヤキリがいるところは、大抵ススキやクズが背丈ほどに密生しているような所で、高く出っ張った茎に止まって鳴くので、姿は割合簡単に見つかる。薮みたいな所で網はうまくない。そんなところはバラが多いから使わない方がいい。
 動作はそんなに機敏ではないから、手掴みだ。
 手が届くまで、どう近づくか。止まっている枝を揺らしては行けない。足元を縦横に走るクズのつる。踏めば何処が揺れるか分らない。何しろ夜である。
 片手は懐中電灯だから片手で薮こぎしながら、鳴き声に迫る。いた!触角をぐるぐる回しながら、下向きになって鳴いている。
 ここまでは、簡単だ。次の一歩をどうしよう。どこに進めようか。バラはないか。クズのつるはどうか。
 この時は3度か4度の失敗のあと、やっと掴んだ。

 この時の私はアホだった。肝心の手袋を忘れていた。噛まれたことがある方はよく分るだろう。
 当然、噛まれた。自分の車までの1分間薮の中を走った。耐えるしかなかった。
 ウマオイやクビキリギスなども噛みつくが、このカヤキリが最も痛い。それでも噛み切られはしなかった。
 鳴く虫の展示に旬のカヤキリははずせない。

 なんだかんだと、いろいろ集めてみた。
 その他、キリギリス、ハヤシノウマオイ、クツワムシ、ササキリ、クサキリ、サトクダマキモドキ、シブイロカヤキリモドキ、ケラ。
 なかなか揃う事はないので、面白い。

 展示してみたもの、昼間だし、館内は明るいし、鳴いたのはキリギリスだけ。
 それでも、キリギリスやクツワムシなど名前は知っているけど、見た事が無いという人は多く、楽しんでもらえた。

 標本ではない生きた本物。間に合ってよかった。


 2004/2/8

鳴く虫を飼う。2

 鳴く虫の展示は常設ではない。休みの日だけ並べた。
 その間は飼育した。

 予想通りだった。
 うるさい。まずは5時頃のカヤキリから始まる。6時を過ぎるとクツワムシ、ウマオイ、クサキリ。
 ササキリも鳴いているようだが、かき消されて分らない。キリギリスもよく分らない。うるさいのが止まると分る。

 カヤキリにはかなわない。クサキリも田んぼで聞けば、結構強い鳴き声のように聞こえるが、カヤキリと真近で比べると、なんと身体は小さく細く、声もか細く聞こえるのだろう。
 夜遅くには鳴かないだろうと思っていたが、そうでもなく、クツワムシやウマオイが始まると、つられて鳴き出す。
 狭い家の中ではたまらない。

 クツワムシも結構音量がある。加えてガシャガシャと耳障りな音である。このクツワムシだけは夜中ずっと鳴いている。2時3時にも突然鳴き出す。余りのうるささにダンボール箱に入れたがそれでもうるさかった。

 室内で間近で翅を震わせている姿を見ながら聴くと、野外で聞くものとは違ってくる。
 クツワムシは野外で聞くとガシャガシャガシャガシャ・・・とよく分らないが単にそう聞こえる。
 じっくり聞くと、私の耳では、どうも2つの音が重なったように聞こえる。いわゆるガシャガシャ、カシャカシャのような音。そして、グルルーーみたいな連続音。ガシャガシャが止まってもグルルーーは続いている。
 こんなのは野外では分らないだろう。

 そして、ハヤシノウマオイ。いわゆるスウィッチョン。
 超音波のようなこれまた異様な音である。この鳴き声には、前奏のようなものがある。
 突然、耳鳴り?のような、聴力検査のときのような、文字で表わすならば、フウィーーーーーンのような何処から聞こえてきてるのか分らないような音が始まる。そして徐々に徐々に大きくなっていく。そして始まる。スウィーーチョン。
 この変な音が始まると、来た来た!となる。この音はとてもかすかなのだが、夜中に起こされることもしばしばだった。

 間近で聞く鳴き声。
 これは一聴の価値あり。

 録音してみたが、あまりにもリアルで面白くない。まるでCDで聞く流行り歌のようだ。街中やテレビやラジオで流れているのがいいように。
 じっくりとそのものだけを聞くものではない。やはり、虫の鳴き声は野外で鳴いているのがいい。


 2004/2/

虫に逃げられる。

 執筆中。

 2004/2/



 執筆中。


 2004/9/29

昆虫にハマる。

 とても久しぶりの書き物になる。ずっとずっと書こう書こうとしながら、タイトルは決めて、他にもたくさん頭の中に書いていたのに、もう字がかすれてしまって見えなくなってしまった。

 HPを更新するのは勢いだ。
 今また大きな波が訪れた。

 ここまできて、種数も800を越えていた。まだまだ、身の回りにはたくさんの虫たちがいる。とても全てを紹介することはできない。それでも、おおまかには、全体をつかんだと自分では思っている。
 アリやアブラムシ、ハチ、双翅類ほか、川べりや水の昆虫などが弱い。まだそこまでは時間がかかりそうだ。

 今夏は、出かける時間が少ない割りに、初めて出会う、ずっとずっと出会いたかった昆虫と遭遇することのラッシュであった。
 どれもが、偶然で、一歩、一枝、一葉違えていれば、そのまま素通りであっただろう。
 まるで、その時を告げるのごとく、会いにきてくれたかのように。


 個人的に、自分の昆虫に関する情報を整理し、昆虫学のほんの一端にでも役立てればと公開している。
 おかげで問い合わせも多くいただき、いろいろな形で貢献できた。
 簡単なメールでいいので、ひとこと言ってください。名乗ってください。私が書いた文に酷似したのを見たことがあったが、いい思いはしません。
 商売に使うのは勘弁してください。


 このHPは、まだまだ、内容的にも、使い勝手においても改良すべき点は山積みである。その時になったら、手を着けよう。波がやって来たならば。

・・・

 日々、何処へ行ってもどこか虫を追っている。その風景も、あれがいるのではないか、これとこれはきっといるだろう。はたしてあやつは何処にいるのだろうか。そいつは一体何を食っているんだろう。

 バカだ。アホだ。大バカだ。

 でも、きっと、ずっと、いつまでも、尽きることはないだろうな。


 たくさんの収穫があった。たくさんの成果があった。だが、それと引き換えにたいへんに多くのものを失った。大きなものを失った。

 時間は十分に流れていた。
 でも、時間が掛かり過ぎてしまった。時間が瞬く間に駆け抜けた。

 これは夢だったのだろうか。現実なのだろうか。

 一体、何が残るというのだろうか。


 その明るい星には、もう手が届かない。
 浅はかな叶わぬ夢よ。


 だからその成果を無駄にしてはならない。


 ・・・


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