静岡の身近な昆虫たち  観察記 6


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 2000/9/9

身近な昆虫 その1 庭

 いちばん近い自然、庭の草木とそこに生息している野生動物。変哲もないごく普通の住宅街の一画で、広くもない庭にもおどろくべき様々な昆虫が住みついている。(藤枝市平島の場合)
 樹木は、サクラ、ハナモモ、キンモクセイ、ボケ、ツバキ、サザンカ、ゲッケイジュ、ザクロ、ナツミカン。ありふれた庭の樹種ばかりである。低木はヒラド、サツキ、ナンテン、マンリョウ、ドウダンツツジ、アジサイ、バラなど。その他、アラカシ、アオキ、ヤツデ、トベラ、シュロが勝手に生えている。草本は雑多で、野菜を植えたり、キクを植えたり。シソ、ニラ、シダ、ユキノシタ、タマスダレ、その他園芸草本がそこいらにはびこる。雑草といわれる草も一通り揃っている。

 20年前とは、樹木の大きさ、植物の種類も違い、随分と出現する昆虫も変遷してきたと感じる。たいして種類がいなかった以前にはいたけれど、現在はいないものもあり、また近年になって出現してきたものもある。
 
 以下に、現在毎年出現する主な昆虫を挙げてみる。(飛来するものも含む)
<チョウ> アゲハチョウ、クロアゲハ、イチモンジセセリ、モンシロチョウ、ヤマトシジミ、ヒメヒカゲ、ヒメウラナミジャノメ、ツマグロヒョウモン
<ガ> ヒロヘリアオイラガ、モンクロシャチホコ、アメリカシロヒトリ
<直翅類> オンブバッタ、イボバッタ、セスジツユムシ、サトクダマキモドキ、ウマオイ、アオマツムシ、カネタタキ、エンマコオロギ、ツヅレサセコロギ
<甲虫> マメコガネ、セマダラコガネ、クロコガネ、オオクロコガネ、ヒメビロードコガネ、エンマコガネsp.ナミテントウ、ヒメアカボシテントウ、ヒメカメノコテントウ、クロウリハムシ
<セミ> クマゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ 
<ハチ> セイヨウミツバチ、キアシナガバチ、セグロアシナガバチ、ミカドトックリバチ
<その他> ヒゲジロハサミムシ、チャバネアオカメムシ、ハナアブ類、シオカラトンボ、ヨツボシクサカゲロウ、チョウセンカマキリ、コカマキリ、アオバハゴロモ

<珍客>

コクワガタ、ゴマダラカミキリ、カブトムシ、ルリタテハ、アカタテハ、キチョウ、ウラナミシジミ、クロコノマチョウ、クビキリギス、マツムシなど

 特に意識して昆虫を呼ぼうなどとはしていなく、適当に雑草を生やし、適当に雑多な草木を植えているだけ。ただ、薬剤は極力使わず、サクラの毛虫はこまめに脚立に登り、夏は毎日水を撒く。
 自動車の保有台数が増えて、近隣でも庭が駐車場と化する例が多い。緑地が減り、舗装面が多くなり、特に夏の乾燥と熱は昆虫の生息環境を余計に狭めている。

 たとえ住宅街でも、ちょっとした工夫、ちょっとした配慮があれば、上に挙げた昆虫レベルならば住みつく事ができる。
 しかしながら、昆虫がたくさんいて喜ぶのは変わり者。それでも夏はセミ、秋の夜長は本物の虫の音をききたいものである。


 2000/9/9

身近な昆虫 その2 六間川支川 (藤枝市平島)

 川とはいっても、用水路のようなものであるが、今となるとコンクリートでがっちりと護岸されている事もなく、20年前と変わらない。まわりには田畑が広がっている。それでも近年は虫食い状に飲食店や医院、倉庫などに代わってきている。
 住宅街はこんな環境に囲まれている。もともとは、住宅街ができるまではこんな環境であった。


 この小さな流れに沿って歩いてよく出会う虫を挙げてみる。
<チョウ> イチモンジセセリ、モンシロチョウ、ヤマトシジミ、ベニシジミ、ヒメヒカゲ、ヒメウラナミジャノメ、ツマグロヒョウモン
<直翅類> オンブバッタ、ショウリョウバッタ、ウスイロササキリ、ツユムシ、クビキリギス、エンマコオロギ、スズムシ
<甲虫> ヨモギハムシ、ウリハムシ、コガタルリハムシ、ナナホシテントウ、ヒメカメノコテントウ
<トンボ> シオカラトンボ、ギンヤンマ、イトトンボ類

 この支川に接して公園があり、その間に側溝のような細い水路が流れる。
 そのため湿った草地が広く、スズムシやコオロギ類をはじめ直翅類が豊富で、秋になるととてもにぎやかである。
 きっと、こんな環境が近くにあるからこそ、庭にも多くの昆虫が生息しているのだろう。
 こんな環境がなくなってしまえば、たとえ庭に多様な昆虫を呼びこもうとしても、うまくは行かないだろう。


 2000/9/19

異物混入の迷惑

 焼津市某所の水産加工工場の外周。外周とはいってもフェンスの外。そこは防風マツ林に接しているところで、マツが疎らに工場の横に立ち、その下には随分と整備されてはしまったものの、いわゆる雑草と雑木が繁っている。ある意味では虫がたくさんいていい感じの緑地である。

 そこに大々と除草剤が撒かれた。とにかくマツとクスの大木を除いてすべてに。
 これまでは草刈を行っていたという。であるが巷の騒ぎの予防接種。どうも今後もおこなっていくようである。

 こんなことが全国的にされたのだろうか。されようとしているのだろうか。

 なんだか当て所のない怒りがこみ上げる。その場所は多分人目に触れる事もなく、まもなく植物の墓場と化すだろう。

 今年はまさに虫虫虫。さらに虫の悪いイメージが強められてしまった。
 昔昔、給食の菜っ葉の煮物の汁に、アブラムシが大量にまるでゴマのように浮かんでいたのを思い出す。そして96年夏、カメムシが大発生した年で県内の飲料メーカーの工場で生産された缶飲料にカメムシが混入していたと小さく報道されたことがある。

 ・・・・・
 その後、さらにマツとクスの大木も伐採された。
 その理由は、大木にサギが止まって工場内にフンが落ちる。そして虫がわくから。


 2000/9/21

草刈と昆虫

 家の周りや近所の小河川などは、カマを片手に手でむしったり肩掛け式の草刈機で行っているのが通常だろう。
 しかし、いわゆる業者が行う場合はそうではない。例を瀬戸川に挙げれば、芝生広場や土手の法面の草刈は乗用草刈機で一気におこなう。河口に近い部分の所は草ぼうぼうではあるが一応芝地であるので3歩譲ってよしとして、問題は通常の土手や高水敷の平地の草刈である。管理費の問題、所要日数の問題など事情があろうが、どこもかしこも乗用草刈機でおこなうのはいかがなものか。その機械の幅があって動く事ができれば、少々の傾斜であっても機械は乗り込む。
 毎度毎度、その直後の惨状は目を覆うばかりである。地元のほとんどの人は、せいせいしたね、きれいになったねと言う。しかし、そこには、まだわずかに動くカエルの肉団子が転がり、ヘビが3つに分断され、コオロギがつぶれ、脚がもげたり真っ二つのバッタやクビキリギスが横たわる。地面も固く締め固められる。
 重機が入りこむのと同じで、そこにいた小さな生物にとっては一瞬の襲来で逃げる余裕がないのだろう。草刈り後、1週間、2週間も経てば草も再び伸びていい感じの緑地に戻るが、周年そこで見られる昆虫は少ない。飛んでくるものや周辺からやってきやすいものは見られるけれど、そこに定着することは少ないのではないだろうか。年に2度毎年されているのだから。
 きっと多少時間が掛かって、1日余分に掛かったとしても、せめて肩掛け式草刈りであれば、生物相は見違えてアップするだろう。

 草刈りの問題でもう1つ、草と同じに雑木も刈り取られてしまうことである。たいした問題ではないといわれるけど、エノキなど雑木についていえば、巨木だけが存在して、未来の巨木候補がない。実生の若木は多くあるけれど、草刈時に刈られてしまう。雑木と呼ばれる樹木は昆虫をはじめ、野鳥にとっても重要なものである。しかし、重要な地域でもない単なる瀬戸川の土手では邪魔者でしかない。

 瀬戸川の自然を豊かなものにしようという活動が多くされているが、草刈の手法の問題は1つであり、川原の車の乗り入れ、イベントのための駐車場としての利用などは特に問題視されていないが、豊かな生物相をめざすならば、このあたりから改善していくべきであろう。みみっちい小さな問題の集積が今のこの自然環境の悪化につながっているのである。


 2000/11/25

生き物の住み処は安住か?

 前にも多少触れたが、生き物の住み処、昆虫の住み処というのを造成するのが、環境の時代の到来により、事例がおおくなっている。とくに学校で盛んなようである。
 野生生物のため。といってはいるものの、造成する以上、お金をかける以上、人の利用や人にとっての心地よさが第一であり、多くのそうした事例を実際に見ても、見るべきものはない。

 気になること。  その1。何処出身なのかわからない樹木を植えている。または、その環境に合っていない。
 その2。もともとのその場所の地形本来の自然を考慮していない。
 その3。人工物をふんだんに使っている。
 その4。循環ポンプはまさに生命維持装置。
 など。

 開発され尽くした都市部や屋上緑化などにおいては、よしとせねばならないが、そうでない場合、野生生物の生息空間であるといいながら、結局人間の価値判断により心地よいものだけを許し、とても偏った不自然な自然になってしまう。

 自然と触れ合う場所、昆虫や魚について教える環境教育の場所。このようなものを作って、観察させなければ野生生物と接することがない時代になってしまったのだろうか。
 作られた施設よりも、そのすぐ近くにある川の土手の草地や多少手入れが怠っている植栽のほうが実はいろんな生き物がいるのはどうしてだろう。
 結局は、昆虫などの小さなとても小さな生き物の存在をなおざりにしているからで、ホタルやトンボ、カブトムシ、チョウ以外の雑多な彼らを大事にしなければ所詮その程度である。

 どんなにつくっても、どんなに自然の重要性を唱えても、現代のこの文化事情に大変革が起こらない限り、事態が好転することはないだろう。
 本気なものを作る。いまあるものを本気で残す。安物買いのような事から脱却する時代が待ち遠しい。

 それこそ野生生物と共存する技術である。


 2000/12/10

大きいキリギリス

 庭のザクロの木が込んできたため、強剪定を施していたところ、周りには葉が落ちてしまった木ばかりで、虫たちがこの繁みに避難していたのか、出てくるは出てくるは、クモにイモムシ、そして「大きいキリギリス」。
 キリギリスとはいっても、ギーチョンのキリギリスではなくて、サトクダマキモドキである。
 3匹のメスが出てきた。毎年ザクロにいるのはわかっていたが、12月にもなって3匹もしかも元気なのがでてくるとは思わなかった。それではと切ってしまった枝を確認したところ4本に産卵痕が見つかった。ナツミカンにも多く見つかる。
 庭にはもう1種、「小さいキリギリス」がいる。セスジツユムシである。やはり12月になっても見ることがある。
 バッタやコオロギならともかく、キリギリスの仲間は呼び名に苦労する。身近によくいるのにもかかわらず名前がほとんど知られていない。どれも同じような色と形をしているし・・・ サトクダマキモドキなどそのよい例で正式な名前をいっても虫の名前とは思えず、ツユムシの仲間といっても一般では通用せず、キリギリスの仲間といってなんとか分かってもらえる。年間を通せば、その他にウマオイやクビキリギス、クサキリが時折姿を見せるけれど、もうただ「キリギリスの仲間」と言うしか、すべを知らない。

 

 まあ、緑色はみんなバッタでもなんでもいいのだけど、それでもあのサトクダマキモドキの大きな鮮緑色の身体。やっぱり「大きいキリギリス」。



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