静岡の身近な昆虫たち
観察記 8
2001/8/12
緑地の実態
店舗や事業所にはほとんどに緑地がある。そこにはたいていサツキやシラカシ、シャリンバイ、シバなどで、その土地本来の昆虫が生息することは極めて難しい。
都市化された環境では、本来とは違ったおかしな種組成になる。本来の複雑な生態系ではないから、害虫とよばれるものが大発生したりする。そこにはたまたまその植物が餌となり、天敵がいない。そのような狭くても乾燥しようとも平気なものが栄える。
どんな種であれいないよりはましである。バイパスの街路樹ではアオマツムシがやかましく鳴いているがそれもいいかな、と。
しかし、最低限の緑地さえ、我々は生かすことができない。
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| 某つり具店、ほとんどが枯れ。 |
| 某飲食店、全滅で抜いてそのまんま。
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| 瀬戸川の土手、除草剤たっぷり。 |
| 地表は硬い裸地、向こうのグランドは除草剤。
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完璧に管理することなど所詮無理で、労力の無駄。適当に雑草が生えていたっていいではないか。あんまり見苦しければ刈り取ればいい。きっとその方が人間にとっても生理的に気持ちいいのではないか。
決まりきった園芸種を、たっぷり殺虫剤をかけて、地表にもたっぷり除草剤をまく。きっと回りの関係ないところにも舞っているだろう。それが我々の身近にある緑地、公園であり、街路樹である。
開発と引き換えに緑地を確保しているというが、広さだけではなく、質についても見るようにしないといけない。そうしないと、もう止まらない。
上2枚の写真の周辺は、かつて大変自然環境が良好であった。せめて、コオロギくらい生きさせてもらえないだろうか。
2001/8/19
新幹線の法面
理由は知らないが、コンクリート化が急ピッチで進んでいる。写真は5月頃。
いつもながら、他に方法がないのだろうか。ただ安上がりなだけのような。
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| きれいスッキリ。 |
| 施工中、表土をはぐ。
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| これではいけなかったのか。 |
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ある意味ですごく時代に逆行している。
何年かして、法面緑化とかいってまた工事をするのだろうか。
国道の中央分離帯も、せっかく緑化したところを雑草防止といって、舗装していくところが多い。
そうなると、東名高速の法面の方が、方法は正しいとは言えないが、まだましである。
まったく統一性のないよい例である。
2001/9/19
仮面ライダーは何バッタ?
秋はバッタの季節。川原の草むらに行くと大きなトノサマバッタが飛び立ち、ショウリョウバッタや小さいオンブバッタもにぎやかだ。。
仮面ライダーはバッタが原型であって、何バッタかといえばトノサマバッタであるとよく言われている。
どうでもいいが、仮面ライダーにはちっちゃい羽根が背中にピタリとくっついているだけで飛べない。おいおい、じゃあ、フキバッタか?
第1話バッタVSクモ 第2話バッタVSコウモリ 第3話バッタVSサソリ・・・単純でよかった。虫対戦だと他に、ハチ、アリジゴク、ドクガ、ハエ、アリ、ゴキブリ、カミキリムシ、セミ、カブトムシ、アブ、コオロギ・・・。結構、虫は多い。面白いところで、ナメクジとか、ヒルとか、ミミズ・・・。鳥や小動物の類も多くて、なんかリアルな対戦だったなあと今になって思う。身近な虫や動物が怪人になってしまって、だから、ある意味なんとなく怖いと思っていた。そのあやしさが、山野に出かけて虫を追っていた時の不思議が重なって、私を引きつけたのだと思う。山野で遊んで、実際にいろんな虫や動物を見ていたから面白かったのだ。
最近の仮面ライダーは知らない。一応バッタが原型なのだろうか。今では一体どんな面白さが感じられるのだろうか。
2001/12/1
ミヤマとヤマト。
虫の名前、和名は、多くの場合、その虫の身体の特徴、大きい小さい、白黒赤、トゲだの、ヒゲが長いだのを表わしている場合が多い。一方で、なんだかミヤマとかヤマトというのが結構ある。
ミヤマクワガタ、ミヤマカミキリ、ミヤマアカネ、ミヤマセセリ、ミヤマカメムシ・・・。ヤマトタマムシ、ヤマトマダラバッタ、ヤマトシジミ、ヤマトアシナガバチ・・・。
ミヤマというとなんだかとても自然豊かな所にいてとても重要そうな感じがする。実際そんな傾向があるが、それでももっと重要でわりあい普通なものはいくらでもいる。
昆虫の保護とか保全という場合、本来の重要性よりも、ヒトの価値感が大きく影響することが多い。美麗種とか、かっこいいとか。
そして名前も多少なり影響している。ミヤマとかヤマトというと、ミヤマクワガタやヤマトタマムシの印象が強かったり、それでなくとも、正式というか由緒正しいというか勝手にお墨付きを付けられたような感じがあって、名前だけで一歩得している。
同じ重要性を持ち合わしても、ダマシとかニセとかモドキ、マグソ・・・はイカンだろう。先にいい名前が付けられたのはラッキーだ。
全く和名は罪である。
2001/12/23
虫の記憶。
私が最初に見た虫は何だったのだろう? 覚えていない。思い出せない。ただ、草むらにいくのが好きでバッタやらハサミムシやら、ダンゴムシやら見つけるのが面白かった。
どうして面白く思ったのだろう。世の中にはきっと虫が好きよりは嫌いな方が多いだろう。どうして嫌いになってしまったのだろう。ヒト以外の動物の多くは虫を食料にする。食べる民族もいるし、食文化もある。なんでもかんでも、なんとなく、気持ち悪いというのは何なのか。自然の中は虫だらけ、ヒトも元々は今よりも虫とつきあっていたはずだ。
ヒトは、もう他の野生生物とは全く別個の生命体になってしまったのだろうか。
自然保護、野生生物保全の声が高まるのと同時に、そんな一線を引くような隠された流れが強まっているように感じられざるをえない。
野生生物保全にせよ、ある特定の場所だけに閉じ込めてしまうのではなく、身近に当たり前に、毎年、姿を見せてくれる。ただそれだけの事。
今の方法である特定の場所をつくっていくことは、さらに止めを刺していくよう。野生生物の動物園。多くの場合、野生生物保護という名目とは裏腹に人による過度な利用がされるために、かえって良い結果にならない。結局、本気な野生生物の全てに公平な思いやりがないのである。
野生生物保護は本来経済や事業とはそぐわない。経済の尺度に合わせようとするからいけない。
この経済社会ではヒト以外の生物は思いのまま羽を広げて生きることができない。
あのオンブバッタ、ハサミムシ、カマキリ、金色のハムシ、一体何に魅せられたのだろう。自然の摂理、虫たち野生生物の宿命。
草むらをかき分けていく時のワクワク感、好奇心。ただ原風景であったと言ってはいけない。原風景は今もあるのだ。
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