はやし浩司

2001・9〜12
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はやし浩司

2001年9月〜12月

12・31
 昨夜長湯をしたあと、こたつで1時間ほどテレビを見ていた。それがよくなかった。今朝起き
たら、風邪をひいていた。早速、ニンニクライスを食べる。ウィルス性の風邪ではないので、早
くなおると思う。今は薬がきいているので、少し耳鳴りがする程度で、まあまあの状態。

 午後は、事務所の大掃除に行くつもりだったが、この分だと、無理かもしれない。夕方は皆
で、山荘で一泊。毎年、新年は山荘で迎えることにしている。我が家は猛犬2匹の管理下に置
かれる。こういうとき、ハナたちは頼りになる。

 昨夜、女房が、アルツハイマーの初期症状について話してくれる。近所のKさんのことだが、
こまかいことをことさら大げさに騒ぐのだそうだ。そして絶対、自分の意見が正しいと言って、譲
らない。これは立派なアルツハイマーの初期症状だそうだ。そういえば、私もそうか? しかし
アルツハイマーは、はやい人で、30歳くらいから。遅くとも50歳くらいから症状が出てくるそう
だ。私は54歳だから、もう心配はないと思うが……。支離滅裂なとんでもない文章を書くように
なったら、どうかみなさん、私のアルツハイマーを疑ってください。(もうすでに支離滅裂?)

 とうとうきのう、買ったぞ。キャノンの「マルチパスC-50」だ。どうだ! スキャナー、コピー、プ
リントの三役をこなす、すぐれもの。印刷スピードも、レザーには及ばないが、まあまあ。早速、
T先生と、いとこのH君に手紙を書く。それと、今日、うなぎを届けてくれたUさんと、梅干を届け
てくれたSさんに礼状を書く。すこぶる調子がいい。うれしかったのは、前からほしかった、OCR
が付録でついていたこと。これはスキャナーで文章を読み取るというソフトだ。これがあると、い
ちいち原稿をタイプしなくてすむ。

 昨夜二男と電話で話す。餅を送ってやったのだが、デニースはやはり、餅を食べることがで
きなかったそうだ。味噌汁は、少しずつ食べられるようになったそうだ。「お菓子が好きだから、
お菓子を送ってほしい」と言っていた。

 「子育てワンポイントアドバイス」を新設しました。どうかお読みください。
 
 そうそう昨夜、家族で、「猿の惑星」を見る。つまらなかった。話ができすぎていて、突飛もな
いストーリー展開。お金をかけた割には、脚本は三流(失礼!)。まあ、最後まで見てしまった
が……。時間をムダにしたという感じ。しかしアメリカもすごい映画をつくるもんだ。日本のコン
ピュータ産業が稼ぐのと同じお金を、映画産業で稼いでいるそうだから、バカにしてはいけな
い。巨大な産業になっていることだけは事実だ。そういう映画産業が、猛烈な自由競争の中
で、次々と新しい映画を製作しているのだから、たまらない。日本映画がたちうちできる隙間さ
えない。日本映画、がんばれ! ……といっても、いい映画がないなあ。ホント。

 今日の教訓……愚かな人をあわれもう。愚かな人は、自分では愚かだとは思っていない。そ
の愚かさに気づかないから、愚かな人という。かわいそうな人たちだ。しかし自分の愚かさに気
づいた人は、もう愚かではない。それは答えのまちがいに気づいた、小学生のようなものだ。
気づいたということは、もうまちがっていないということ。

 ジムがくれた手紙を翻訳して、女房に渡す。I have translated a letter from Jim into 
Japanese and Akiko was reading it in the dining room. She has well enough knowledge of the 
God and she said she could understand it. Thank you for your kindness, Jim! I shall write 
my reply to it very soon. Have a happy new year, Dianne and Jim!

12・30
 It is very windy now and in winter time we have a strong east wind here in Hamamatus. It 
is cold as well. Akiko will buy me a new printer, I hope. She said yesterday night, but this 
morning she forgot about it. Alas! 

  We have only two days left for this year. It has been a good year so far for me and I think 
I have had a pretty meaningful year this year. I hope the next year would be so. I have a lot 
of things to do and I will do. 

  My cousin and and my sister sent me small packs of Mochi, (rice cake) and this year we 
stopped making mochi any more. Thank you very much for their kindness. 

今朝の教訓……人生は何ごとにつけ、前向きに生きよう!

 今朝の風の強さには驚いた。庭の木々中を通り過ぎる風の音で目がさめた。我が家は、郊
外にあるが、周囲はぐるりと緑に囲まれている。私はこの環境が好きだ。冬は日当たりが悪く
なるが、それでもこの緑にはかえがたい。緑に包まれていると、ほっとする。

 今朝、起きて、女房に「何か忘れていないか?」と聞いても、「何?」と。私にプリンターを買っ
てくれる話は、とっくの昔に忘れてしまっているようだ。ああああ。

 そうそう女房が昨夜、「猿の惑星」というビデオを借りてきた。別に猿の惑星など見なくても、
猿みたいな人間はいくらでもいる。地球がまさに、猿の惑星? 失礼! 猿と人間の違いは、
人間には「思考能力」があるということ。言い換えると、思考能力のない人は、人間ではない。
パスカルもパンセの中でこう言っている。「人間は考えるアシである」と。考えるから人間なの
だ。

 ……と言っても、考えることは、簡単なことではない。複雑な方程式を解くような苦労と、苦し
みをともなう。それは「考えること」を経験したものでないとわからない苦労と苦しみだ。今も私
はこうして日記を(一応考えながら)書いているが、こういったものは、「考える」範囲には入らな
い。ただ頭の中にあるモヤモヤを吐き出しているだけ。考えるということは、もっと別のことだ。
数時間考えて、そして数時間ものを書いていて、その中に「思考」らしきものを発見できれば、
もうけもの。それが考えるということだ。つまり人間が人間であることは、そんなに簡単なことで
はない。

 庭にはまた落ち葉の山。それを見て女房が悲鳴をあげた。私もつづいてあげた。きのう庭掃
除したのが、全部ムダになってしまった! ああああ+はははは。

  今日の予定……教室の大掃除、買い物、大晦日の準備、返事を出していない人に、手紙を
書く、今年一年の総括。

12・29
 今日から冬休み。すがすがしい朝だ。気持ちよい。今年もいろいろあったが、総じてみれば、
有意義な一年だった。こういう時代だから、あまりぜいたくはできないが、まあ無事にこうして一
年を過ごせたことを感謝している。読者のみなさん、ありがとう!

 これから冬休み……と構えて、これから大掃除。やることがいっぱいある。大晦日は山荘で。
あとは友人や知人を訪ねて回る。

 新しい本に挑戦。日本を変えよう。日本をよくしよう。世界に認められる日本にしよう……とま
あ、少し大上段に構えて、前に進みます。まず、この冬休みの行動計画をつくる。それが今朝
の仕事。新しい連載も、今年は二本、今のところ決まった。書きまくるぞ。あとは、読者の判
断。支持されれば続く。支持されなければ自然消滅。この世界はけっこうきびしい。

 昨日は最後のクラスの生徒と、皆で、ハンバーガーを食べに行った。みんなうれしそうだっ
た。それに楽しそうだった。私も楽しかった。正月は、何人かの子どもたちが遊びにきてくれる
ことになっている。庭でごちそうをしてやろう。

 K君(オーストラリア国防省勤務)から、北朝鮮についての情報を教えてもらう。ここには書け
ないが、この世界、裏ではいろいろあるようだ。次女のTさんは、今、ロンドンにいるそうだ。赤
ちゃんのときからよく知っているので、「へえ、あの子がねえ」と女房と話す。

 で、結果……午前中は、大掃除。一時間ほど、大学時代の友人と電話。それからまた庭掃
除。女房が「門松を作って」と言うが、道具がないことを理由に明日にする。夕方、デジタルマ
ガジンを発行して、少し原稿を書く。どうやら女房がプリンターを買ってくれそうな気配になって
きた。「定期的に新製品を購入して、頭に刺激を与えないと頭がぼける」と脅したのが、きいた
ようだ。今度はキャノンにしよう。印刷スピードがダントツに早い。少し画質は落ちるが、見た目
にはわからない。

 休みになると、いつも眠くなる。これは私の体質のようなものだ。休みになると、ただひたすら
寝る。そして太る。今年の正月は運動をしっかりとしよう。一日一回は汗をかく。目標だ。

12・28
 今日も寒い。このところ体重がふえたので、昨日は、軽い昼食と、たこやき(夕飯)だけですま
す。おかげで今朝は、ふつうの体重にもどっていた。今日も、もう一日ダイエットするつもり。太
り出すと、頭の中がボーッとして、ものを考えられなくなる。それに腹いっぱい食べると、私のば
あい、眠くなってしまう。「ものを考える人間」「ものを考えたい人間」には、太りすぎは禁物だ。
サエがなくなる。

 このところ体のシンから冷えるのは、「エネルギー不足」(女房弁)だそうだ。例の狂牛病事件
以来、私と女房は、まったく肉類を食べていない。日本人の私が、日本の政府をまったく信用し
ていないのだから、あわれなものだ。特に今度の、農林通産省の大臣は、テレビのインタビュ
ーなどを見ても、まあ、何というか、お粗末というか、どうしてああいう人が大臣かと疑いたくな
るような人だ。先日もニュースセンターで、「100%安全ということは言えません」などと、大見
得を切っていた。業者サイドに立った、官僚の責任逃れの代弁ばかりしている。いつか今の日
本を振り返るようなときがきたら、あるいはくるだろうが、皆はこう言うだろう。「どうしてあんな
政治家を選んだの?」と。あああ。そのとき私たちは、一体、何と答えればよいのだ。

 官僚政治のこわさは、あの先の戦争で経験ずみではなかったのか。国民がいつの間にか、
官僚と、一部の利権団体に操られてしまう。今の日本は戦前の日本と違うとはいうが、そうな
ら、一体、どこが違うというのか。この問題を、日本人は一度冷静に、じっくりと考えてみる必要
があるのではないだろうか。

 パナソニックのパソコンの不具合の原因がはじめてわかった。あちこち相談してみたが、トン
チンカンな答ばかり。そこで二男に登場してもらった。今朝、メールで、ズバリ回答。結局、故
障ではないことがわかった。さすが! 二男は、もう中学一年のときには、C言語でプログラム
を自分で作って遊んでいた。そういう男だ。

 今日から、「子育てワンポイント」を書く。地元のデジタルマガジンに載せてもらうつもり。(まだ
載せてもらえるかどうか、わからないが、先日、「載せましょうか」という返事をもらった。)がん
ばりましょう!

12・27
 明日で今年の仕事はおしまい。女房が昨夜、心細そうに、「正月はどうする?」と聞いた。私
は「なりゆきにまかせよう」と言った。女房は、正月の料理などを心配してそう言った。まあ、お
せち料理と構えなければならないこともないだろう。私たちはずっと気ままにやってきた。これ
からもそうする。核家族のさみしさというのだ。「正月だから……」と構えなければならないこと
もない。ただ新年の自覚だけはしっかりとしておきたい。これがないと、ダラダラと2002年が
やってきてしまうような気がする。それはまずい。節目の行事はしっかりとしておきたい。……
まあ、それほど深刻に考えてはいないが……。

 今朝も引き続き依存心について考える。依存心の強い子どもは、その依存心が満足されな
いと、それを不満や欲求不満に置きかえてしまう。これがこわい。そして不満は子どもの場合、
心をそのものをゆがめる。わがままな子どもは、わがままである反面、依存心が強いが、こう
してわがままと依存心の関係を説明することができる。

 昨日、Hさんという母親からメールで、子育て相談を受ける。いろいろ考えさせられるメールだ
った。このサイトの、「Q&A」コーナーに載せておきますので、興味のある方はお読みください。

 では、今日もはじまりました。

12・26
 夕方ボブ(オーストラリア)から電話がある。2ヶ月ぶりの電話だ。夜、今度はこちらから電話
する。娘さんは医学生だそうだ。奥さんのMAYもドクターなので、親子でドクターということにな
る。これでボブも健康上の心配はない? 

 私も54歳。ムダにできる時間がいよいよ少なくなってきた。ムダなつきあいはやめよう……と
女房に話したら、女房は「どんなつきあいでも大切にしなければ……」と言った。どちらが正し
いのか。この問題については、もう少し考えてみよう。ただ言えることは、過去を振り返ってみ
ると、@私を利用しただけの人、Aいつも儀礼的な関係だけの人、B本当に私のことを心配し
てくれた人がいることがわかる。特に@の人たちとは、今年限りで人間関係を清算しようと考え
ている。バ〜イ!

 「生きる」ことについての原稿を今朝、まとめる。それに今度、女性教師の会というところで講
演をするので、その原稿書き。「井戸の中の教育論」を話してほしいということなので、新しいテ
ーマとして、挑戦してみたい。今までとは違った角度から教育論を展開できると思う。

 今朝、デニースからメールが届いた。クリスマス休暇を過ごしているとのこと。幸せそうにして
いるようだ。よかった。こうして次の世代に、幸福のバトンを渡し、私たちは身の整理をする。
子どもがそばにいなくてさみしいと思うのではなく、身のまわりが軽くなったことを喜ぶべきだ。
どうぞ、皆さん、かってに幸福になってください。私たちは私たちで、かってにやりますから……
と。どちらにせよ、たった一度しかない人生だから、思う存分、楽しく生きてほしい。さあて、女
房と楽しい正月の過ごし方を考えるか。そうそう女房はさかんに、ユニバーサルスタジオに行き
たいと言っている。近く、二人で行くつもり。

12・25
 今日も寒い。昨夜は家族三人で、ささやかなクリスマスパーティ。北海道のタラバガニを届け
てくれた人がいたので、皆で食べる。おいしかった。女房がセーターと靴下をプレゼントしてくれ
る。「ふだん買うものを、プレゼントにするとはズルイ」と私がこぼすと、「じゃあ、あんたは何が
ほしいの?」と。私のほしいのは、パソコン関連グッズだ。しかしこのグッズは、かなりの知識と
理解がないと買えない。まあ、あまり期待はしていないが。今ほしいのは、キャンンの、一台三
役(プリンター、スキャナー、コピー)の印刷機だ。まだ48000円くらいするので、もう少し待っ
てみる。4万円くらいになったら、買い、だ。(もう4万円くらいで売っているところもあるそうだが
……。コジマでは、確か38000円だったかな。まあ、要検討課題。)

 「美化」について考える。親を美化する人は多い。よい例が森進一が歌う「おふくろさん」だ。
しかし美化するということは、それだけ親離れできていないということ。依存心の強い人ほど、
その対象となる人を、美化しやすい。宗教もそうだ。神に依存したいという潜在的な欲求が、神
を限りなく美化する。そしてそこに自分の理想像を埋め込む。
 問題はまだある。「上」の者を美化するということは、「下」の者を、今度は対照的に卑下する
ことになる。つまり美化は、「平等」の敵というわけである。それについて今朝は原稿をまとめ
る。称して、「美化論」。考えてもみてほしい。私は三〇年間、無数の母親に接してきたが、「世
の中の傘になれ」とか、「花のいさぎよさ、強く生きろ」とか、「世の人に愛をともせよ」とか、そん
なことを子どもに教えた母親に出会ったことがない。……あるいはあなたは会ったことがある
か? 繰り返すが、親を美化するのはその人の勝手だが、それは同時に、親離れできていな
いということ。まあ、自分を疑ってみたほうがよい。

 Fujitsuの新しいパソコンは調子がよい。「さすが」と思っている。結論から言うと、パナソニック
のパソコンは買ったときからトラブル続き。シャープはおもしろいが、すぐあきる。どっしりとした
性能を示すのがNECとフジツ。しかしNECは、どこかクセがある。東芝は、事務機器的なつくり
で、なじめない。安心して買うなら、やはりフジツのミニタワー形式のパソコンか? 値段で考え
るなら、ソーテックだが、どこかまだ心配といった感じ。多少高くても、安心を買うなら、やはりフ
ジツーか。プリンターは、昨年まではエプソンがダントツ。しかしキャノンの追い上げがすごい。
スピードとコストで考えるならキャノン。またスマートメディアは、どうも劣勢だ。私は今、スマート
メディアに統一しているが、どうも心配になってきた。これが今の私の結論。

 政府系金融機関の統廃合がまた先送りされた。これで日本の構造改革は絶望的。自民党の
族議員は、「こういう時世だから、急ぐことはない」と言っているが、国際世論がまるでわかって
いない。発想が「ムラ」社会的。

 そうそう昨日、K国のスパイ船が沈んだ。今時、まあ何というか、時代錯誤的なことをしている
国があるもんだなと、へんに驚いた。何というか、まるで第二次世界戦争の亡霊みたいなこと
をやっている! K国のみんさんへ、もっと世界を見なさい! そうそうついでに日本人の皆さ
んへ、もっと世界を見なさい。世界的に見ると、日本人もK国人も、それほど違わないようです
よ。

 今朝の毎日新聞によれば、「天皇にもっと政治的権限を与えるべきだ」という主張が載ってい
た。これについても、近くゆっくりと考えて結論を出してみたい。

 今日は、きのうごちそうばかりたらくふ食べたので、ダイエットぎみで、一食抜く。……つもり。
さあて、新しい原稿をまとめるぞ!

12・23
 家族にクリスマスプレゼントを買う。みんな、マフラーに統一した。そのほうがわかりやすい。
アメリカのデニースにも、一枚買ったので、明日にでも送る。誕生日は1月7日だそうだ。

Happy Birthday, Denise! Yours is on Jan. 7th.

Jim, thank you for your long letter. I shall read it sentence by sentence during my winter 
holidays. We wish you a very merry Christmas! We are all right and we will have a small 
party tomorrow night. My wife will make a small cake for us, she said a moment ago. It has 
been very cold these days and here in oue town it is very windy. We are gald to know that 
you and Dianne has recovered from the flue. I will send you some more photos by internet 
very soon. 
You have a very nice daughter but you should envy us for we have nicer daughte-in-law.

 依存心について考える。子どもに依存心をつけさせる親は、無意識のうちにも、自分もだれ
かに依存したいという潜在的な欲求があるとみてよい。つまり親自身に依存心があるため、子
どもが自分に依存することを何とも思わない。結果、自分に甘える子どもイコール、かわいい
子イコール、よい子として認めてしまう。そして互いに依存しながら、それを相乗効果として増
幅させてしまう。 

12・22
 寒い朝だ。このところ体の調子はよい。食事もおいしい。仕事も、こういう時代だからぜいたく
はできないが、ほどほどに順調。まあ、ここは慎重に生きていこう。

 私も自分の本を書いていて、ふと弱気になったようなとき、天に向って、「どうか、本が売れま
すように」と祈ろうとするときがある。しかしそういうとき、自分でブレーキをかける。「そんなこと
をすれば、敗北ではないか」「もっと神や仏の力を必要としている人がいるではないか」「そんな
ことで力を貸す神や仏がいたとしたら、インチキだ」と。だからのばしかけた手を、ふとひっこめ
る。不完全でもよい。未熟でもよい。私は私の力で、生きたい。一人のありのままの人間とし
て、生きたい。それがダメだというのなら、そう言う人のほうがまちがっている。私たち人間は、
ほかの生物とは違うとは言うが、数100万種類の生物の中で、神や仏がいるのは人間だけと
いうのは、あまりにも不公平ではないのか。野原を歩いても、その足元では、無数の小生物た
ちが踏み殺されていく。どうして人間だけがそういうことをするのを許されるのか。

 私は私だ。だれの力も借りないで、最後の最後まで、できるだけ最後まで自分の力で生きた
い。(最後になったら、自分の力で生きられるかどうか、自信はないが……。)

 これから女房と山荘に行き、ミカンを買って、帰りにどこかのレストランで食事をするつもり。

 そうそう昨夜、「Deep end of the Ocean」というビデオを見た。久々の名作だ。感動した。ああ
いう映画をつくることができるアメリカはすばらしい。この映画は★★★★だ。

 毎年、年末は、「ベンハー」を見て、「第九」を聞いて終わる。今年もそうする。ベンハーは、先
週、少し見た。全体の10%くらい。どこで涙を流すかも、私の場合、決まっている。

 では、みなさん、メリークリスマス!

12・21
 今朝は小雨。肌寒い雨だ。もうすぐクリスマスというのに、その実感がない。三男も浜松へ来
るのは、1月5日以後だという。今年もさみしい正月になりそうだ。昨夜も女房と、「クリスマスだ
な」と話すと、女房は、「そうねえ」と気のない返事。正月にどこか温泉でも行くかという話になり
つつある。子どもたちが小さいころは、毎年、もちつきまでしていたが……。まあ、そういう行事
も子どもがいる間だけ? そうして考えてみると、子どもというのは、まさに人生を飾る「花」だ
な。いろいろ苦労はあったが、何とか女房と二人で乗り越えてきた。

 このところ日本の経済の雲行きが急速におかしくなってきたぞ。日本の金融システムが、今
年いっぱいもつかどうかわからない状態だという。一応、自分なりに考えて対策をとってはいる
が、油断はできない。あれこれ女房と考えて対策を考えている。我が家は借金ゼロ態勢だか
ら、身は軽い。いざとなれば、貯金を切り崩して、耐乏生活。アルゼンチンですら、今、経済が
崩壊しつつある。次は……?

12・19
 女房は午前中はテニス。私はパソコン相手に原稿書き。「今、できることをやろう。結果はあ
とからついてくる」と、まあ、ここは開き直っている。

 官僚たちが、天下り先を渡り歩くだけで、退職金の合計が、2億円近くになるという。バカげた
社会だ。こうした天下り先は、全国津々浦々まで完成していて、地方公務員ですら、天下り先
を渡り歩いている。長く続いた官僚政治と、自民党の長老膠着政治。もういいかげんにしてお
かないと、日本は本当に滅ぶぞ。(いや、もう滅びつつある!)東芝が、DRAMの生産から撤退
すると言う。フジツーも昨年撤退したから、日本の半導体産業(電子産業)は、もうこれでおしま
い。

 教育の分野でみても、平均的な中学生でも、毎日4時間のテレビを見て、2時間のゲームを
している! こういう子どもたちが未来をつくるというのだから、その未来はどんなものになると
いうのか? 期待などしないほうがよい。バカみたいに高い税金。その税金を湯水のごとく使っ
て、したい放題のことをしている官僚たち! 同じ日本人として、私はこの日本人のバカさかげ
んにあきれている。

 教育を自由化しろ。遅すぎるが、しかしそれしか方法がない。そして一方で、官僚政治を是正
しろ。これが教育改革の両輪だ! どうして日本人よ、こんな簡単なことがわからない!

 「この怒り、どこへ向うべきなのか」(卒業)と歌った、尾崎豊の気持ちがよくわかる。

(日本が滅ぶ理由)
 @国の借金が660兆円。ほかに特殊法人の借金が、250〜350兆円(正確な数字は不
明)。計1000兆円! 国税の収入が47兆円。つまり年収の20倍の借金。
 A銀行の不良債権が、IMFの試算で、60兆円。(銀行発表、15兆円)。国民一人あたり、約
50万円のお金が紙くず同様。
 B地方財政の破綻。この浜松市だけで、借金が2000億円。建物を建てれば建てるほど、
赤字。あのアクトタワーだけでも、年収が、8億。維持費だけでも、17億円。毎年借金が9億
円。ザザシティは、すでに失敗。まわりの民間貸しビルの利用率は、30〜40%以下。まだ浜
松市はよいほうだが、全国の市町村が同じような状態に陥っている! 
 C民間工業の衰退。浜松市は工員の町だというが、今では工場など、さがさなければならな
いほど、少ない。いつの間にか、浜松市は「音楽の町」になったそうだ。蝶よ花よと浮かれて、
音楽を聴くヒマなど、どこにある。私など、あのアクトシティのホールで、3000円程度の入場券
を払って音楽を聞きに行ったのは、この6年間で一度だけ。あとは地元演奏家が主催する音
楽会の安いチケットだけ。1万円以上もするようなチケットなど、買ったこともない。(買えな
い!)

 税金で生きている人は、お金は天から降ってくるものだと思っているらしい。発想そのもの
が、現実離れしている。しすぎている。

 ああ、今日の私は熱くなってしまった。さあて、自分の保身を考えるか。どうしてこの私が日本
の心配などしなければならないのか。バカバカしくて、こんなことやってはおられない……と言
いつつ、今日も私の正義感がうずく!

12・18
 今日は寒い朝だった。午前中は講座があるので、市内へ。一度家に戻ってくるつもり。午後
からまた仕事。その間に、やることはいろいろある。これから思想的な日記は思想日記のほう
で書く(公開)。まあ、このサイトも本当に進化したものだ。では……。

12・17
 昨日から、日記の公開はやめた。「そこまで公開していいの?」という意見が多かったから
だ。これからも日記を読んでくださる方は、このページを「お気に入り」に登録してくださるとよい
です。ワンクリックでこのページにたどりつけるはずです。よろしくお願いします。

 公開しないことで、つまり読んでくださる方が、私のキーナンバー(C・X・I)をご存知ということ
になる。このナンバーは、私のメールにいつも添付しているので、メールを交換した人なら皆さ
ん、ご存知イコール、親しい人ということになる。

 ……と言いつつ、私のサイトは、結構、大型かつ複雑なサイトになった。今、サイズは、14メ
ガ弱。写真などは少ないので、ほとんどが文字情報。写真を載せると、大きなメモリーを消費
するので、できるだけ載せないようにしている。よろしくご理解ください。

 今日から新しい週。明日は懇談会、日曜日は講座と、いろいろ忙しい日が続く。がんばりまし
ょう。これが終われば、クリスマス。そしてお正月!

Merry Christmas!

12・16
 今日は公民館祭り。婦人部長(様)の女房には一番、長くて忙しい日だ。午後は「うどん屋」を
開業するそうだ。「1時に食べにこい」ということなので、1時まで仕事をして、うどんを食べに行
くつもり。(実のところ、私はあのうどんが好きではない。カレーライスもあるということなので、カ
レーにしようかと迷っている……。)

 寒い朝だが、昨日のようなことはない。ほっと一息。G社の株価が元気がない。どうした、G
社! 先週末にはとうとう100円割をしてしまった。私のような人間が心配してもはじまらない
が、今でも何人かの友人がいる。もっとも皆、もう定年間近だが、しかし私とて、あの会社から
夢や希望をもらったことがある。(すべて夢のままで終わったが……。)このところヒット作もな
いし、もしG社に問題がある(あった)としたら、それはあの「権威主義」だ。民間の文部省のよ
うなところがあって、社員の目が上ばかり向いていた。肩書きや地位のある人にはペコペコし、
私のような人間は、いつも「虫=無視」扱いだった。だから私のようなフリーの、多くの協力者
が逃げた。私はG社とは17年間つきあったが、時間の無駄だった。今から思うと、どうしてあん
な会社とつきあったかわからない。「もうこんな会社のためには、一文も原稿を書かないぞ」と
心に決めて、7年になる。(もっとも、その前にクビになったが……。ハハハ)早いものだ。友人
たちが皆、退職したら、本気でG社の悪口を書いてみようと思う。あのG社は、受験産業で儲
け、受験の衰退とともに、経営がおかしくなった。戦後の日本の教育のゆがみを、そのまま象
徴しているかのような会社だ。

 教訓……@妻を平気で裏切り、女遊びを繰り返すような男を信用するな。「妻」ですら裏切る
男だ、君など裏切るのは朝飯前だ。
 教訓……A自分を偽るな。ありのままの自分で生きろ。他人の目の中で生きたとたん、それ
は人生の敗北を意味する。人生をムダにしたことになる。

 日曜日の朝は電話が多い。しかし冷酷な私は電話には出ない。半分がセールス。何割か
が、知人、友人。(そういう人は伝言を残してくれる。)そして何割かが、育児相談。今も下の部
屋でベルが鳴っている。しかし私はコタツから出る気力がない。しかし考えてみればあの電話
ほど、失礼なものはない。何の前触れもなしに、しかも予約もなしに、一方的にかかってくる。
そして一度受話器を取ったら最後、そのときから時間を乱される。

 こういうことを書くところをみると、今朝の私はかなり精神がゆがんでいるようだ。何かにつけ
て、心がいじけている。考え方が偏向している。こういうときはよい文は書けない。気分を転換
しなければならない。さあて、どうしようか。ハナと散歩にでも行くか? それとも近所の空き地
のゴミ拾いでもするか? 今日は両方ともしよう。では、今日もがんばりましょう!

12・15
 昨夜遅く山荘に行き、一泊。寒くて寒くて、結局、コタツの中で、おでんを食べただけ。今朝
も、ミカンを取りに行こうとしたが、冷たい風に押されて、もどってきてしまった。あとからわかっ
たが、どうも今日は風邪ぎみ。だから寒さが体にしみる。

 このところ、頭が鈍って、思考能力、ゼロ。やらなければならないことは、山ほどあるのに。ど
うしたらよいものか?

12・14
 昨日ははげしい雨。今日は強風。どうも天候が乱れているようだ。これから冬に向うのか。そ
ういえば、昨日、雨のあと、急に寒くなった。

 特にこのところ変わったことはなし。新しい本の制作にとりかかる。あわせて、「ママ診断」を
完成させる。これが終わったら、愛知万博の企画。これが楽しみだ。この仕事は、正月休み用
に残しておく。

 年賀状の宛名書きは終わった。今年から、年賀状の枚数を、三分の一に減らさせていただ
きました。これからはインターネットの時代です。そんなわけで、インターネットをなさっておられ
る方には、年賀状を出しませんのでお許しください。

 しかし、ね。よくパソコンで書いた年賀状はつまらないという人がいますが、パソコンで年賀状
を書くのも、結構、たいへんなのですよ。どうたいへんかということは、やってみた人でないとわ
からないでしょう。便利な中にも、いろいろ苦労はあります。今、その苦労をしているところで
す。

 冬は書斎にコタツを置き、その前で仕事をしているが、腰から下が暖まってくると、すぐ眠気
が襲ってくる。かくして、ときどきウツラウツラと居眠りをすることになる。そういうわけで、あまり
仕事にはならない。まあ、毎年のことだがら、しかたないが……。

  It is very windy today, tough it was heavily raining yesterday. Our place is well-known as a 
windy place in Japan. In winter time we have dry and cold wind almost everyday in our 
district. I hate coldness of the air, though some people like it. I have finisihed writing new 
year's greeting cards this morning. In Japan we exchange new year's cards on new year 
days like Christmas cards in western world. New Years days are most celebratedd and in a 
sense the most important days for the Japanese. We say Happy New Year! (ake-masite 
omede tougozaimasu!), which literaly means "Congratulations for it breaks up a new year!".
Does it sound funny to western people?

12・12
 今日は寒い朝だ。昨日、運動のために自転車に乗ったが、さすがにブルブルと震えた。新し
い本のほうは、昨日、出版社に原稿を渡した。それでおしまい。今日から、次の仕事にとりか
かる。「仕事は自分でつくるもの」というのが私の考えかただし、この30年間、ずっとそうしてき
た。今は、大きな仕事が三つある。全部終わるのは、来月の、つまり2002年の1月ごろ。そこ
でまた私は次の次の仕事を考えている。そういう生き方をずっとしてきた。

 昨日は東京へ行ってきたので、日記はお休み。今朝は、寒い。おまけにどうも、この書斎の
コタツがこわれたようだ。寒い!  ……いやいや、それはまちがいだった。コタツのスイッチを
入れ忘れていただけだった。ははは。このところ、よくあることです。アルツハイマーの始まり
か? もしそうなら、たいへんだあ!

 It is freezing now. Yesterday on my way back home from Tokyo, I bought some Christmas 
cards in a department store near the station and I will send them to Soichi & Denise. They 
will use them. I thing they have been doing well to each other. Young days will go away very 
easily and it is short. So we hope they will have a beautiful young days. Someday in the 
future very soon they will come to Japan and they will have another wedding reception in 
Japan. Denise will look the best beautiful in Japanese kimono, I am sure. We will arrange 
things for them.

 By the way the real beauty of Japan remains in the country side, of course not in the 
cities. It is a good fun to play around in the city but it is not the real Japan. I hope they will 
visit rual part of Japan when they come to Japan. They will love it. I am sure. 

12・10
 昨夜、「パールハーバー」を見る。日本軍による真珠湾攻撃が、一つのテーマになっている
が、しかし恋愛物語なのか、戦争の悲惨さを訴えた映画なのか、よくわからない。日本軍によ
る執拗な攻撃シーンが繰り返されたが、恋愛を語るなら、あそこまでの戦闘シーンは必要な
い。何ともバランス感覚に欠けた映画だった。……おかげで頭が痛くなった。

 あのパールハーバーでハワイ在住の日系人が抗議したというが、そういうシーンのいくつか
は、日本版のほうではカットされていたようだ。どちらにせよ、日本軍が奇襲攻撃したのは事実
だから、多少、史実に違っていたとしても、日本は文句は言えない。ただ気になるのは、今度
のニューヨークの貿易センタービル破壊で、ブッシュ大統領は、それを「第二の真珠湾」と位置
づけたことだ。となると、真珠湾を指揮した山本五十六がビンラディン、さらに天皇がオマル師
ということになってしまう……? しかし日本人は、あのパールハーバーを今、アメリカ人の目で
見ている。私たち日本人と、戦前の日本人は別人種のようにすら思っている……? あの映画
を見ながら、私はいろいろと複雑な思いにかられた。あああああ。日本人よ、どこへ行く?

 今日も、そういうわけで、9時間は眠った。朝方一、二回目がさめるが、気持ちよくめざめるこ
とができた。今日は月曜日。新しい週のはじまりだ。がんばろう! そうそう年賀状をもう書か
なくてはならない。懇談会、講座と続く。あああ、忙しいぞ。明日は東京。何ともきぜわしく時が
流れていく。

12・9
 山荘で、紅葉を楽しむ。あまりの美しさに、言葉がない。写真は、「山荘ライフ」に載せておき
ます。レモンも収穫、キンカンも収穫。

 山荘からの帰り道、Nパソコンショップに立ち寄る。消耗品をいくつか買う。このサイトは、
NINJYAで作成しているが、今度、バージョンアップしようかと考えている。さらに進化したサイト
にしよう。これも皆さんが、私のサイトを見てくださるおかげです。読者の方がふえている……と
いうのが、何よりも励みになります。

 またあとで、マガジンを発行しようと考えています。ほぼ2週間ぶりに一度ということになってし
まいました。

12・8
 今朝は六時に目がさめてしまった。昨日、九時間近く眠ったのが、原因のようだ。体というの
は、そういう意味でもよくできている。どこかで睡眠時間を合計しているようだ。「昨日は九時間
眠ったから、今日は六時間でいいだろう」と。講演は昼からなので、一仕事したら、一時間ほ
ど、仮眠するつもり。

 昨日、「ファミリス」の正月号が届く。金字のタイトルを見ると、「正月だなあ」と思ってしまう。
「溺愛」について書かせてもらった。今、溺愛もしくはそれに似た子育てをしている人が多い。
子育てそのものに、自分を埋没してしまう。気持ちはわかるが、子育てはそんなものではない。
またそうであってはいけない。

 新しい原稿を、「思索(5)」に載せておきます。どうかお読みください。

 昨日、K市教育委員会のN先生から手紙が届く。こうしてインターネットが発達してくると、手紙
というのが、数倍、ありがたく見えるから不思議である。N先生には、メールではなく、手紙で返
事を書くつもり。

 板取のいとこから、しいたけをどっさりと届く。明日、ゆっくり返事を書くつもり。返事が遅れて
すみません。

12・7
 女房は、今日はテニスクラブの忘年会だそうだ。私はひとりで、原稿の最終チェック。火曜日
に出版社へ原稿を届けて、校了。ゲラ刷りもない段階で、校了というのもおかしいが、今では
原稿はCDに焼いてもっていく。つまりCDに焼いた状態がそのまま本になる。私の立場では、
やはり校了! しかしこの一週間、本当に充実していた。久々の満足感を味わった。タイトル
は、「*****」。まだ公表できない。どこかで先にまねをされると、私のほうが盗作したとい
うことになってしまう。

 新しいパソコンは見た感じはスゴイが、しかし実際使いこなすには、時間がかかりそう。今は
まだ使い慣れたWIN98のほうが、勝手がいい。そんなものだ。

 昨日は私のプロバイダーの故障で、HPを開くことができなかったようだ。二人の読者から問
い合わせがあった。では、これから外出する。また。そうそう女房が今度は女声合唱団にはり
たいと言い出した。「ババさんコーラスだね」と笑うと、「そうだ。見学に行ったが、みんな、おば
あさんばかりだった。ああ、私もその仲間かと思うとさみしかった」と言っていた。何でもやりな
さい。女性も、やりたいことに向って、何かをしているときが、一番、美しい。

 Akiko is ou now for "End Year Party" of her tennis club. And she said yesterday she was 
going to join the chorus club. It is good for everyone to live forward. It is important for 
everyone. She is busier than I, I think. I will finish writing my new book soon. I think I have  
done a very good job. I feel better after a good job. Only what I wish now is that the book 
will be sold a lot with more readers. It is the best book I have ever written in the past.

 It was very cold this morning. I got up at around 8 oclock and I feel good this morning. It is 
a bit cloudy as is the case of this time of the year. In Japan we are the busiest in 
December, when we have lots of things to do before the new year. The new year days are 
the most importand days for the Japanese. Chiristmas is just a kind of annual festival. Of 
course we don't have Thanksgiving days in Japan. The prince and the princess have a new 
daughte, but as far as I feel, most Japanese igonore the news for she is a daughter. This is 
a kind of sexual discrimination, isn't it?

12・6
 2日前、文鳥のチビが死んだ。14年間、生きた。このところ元気がないと思っていたら、朝、
死んでいた。そのチビを見て、しばし、考える。この文鳥は、果たして幸福だったのかどうか、
と。チビは、籠の鳥。居間しか、世界を知らない。外には青い空や広い空があることすら知らな
い。飛んだこともない。そういう鳥は、確かに長生きはしたが、幸福だったのか、と。

 人間もそうだ。温室の中で、エサも与えられ、酸素も与えられて生きている人はいくらでもい
る。しかしそういう人は温室の外の世界を知らない。

 Our bird, Chibi died two days ago. I wonder if she had been happy or not, for she did not 
know anything about the outside world. She had never fllown in a blue sky, though she had 
lived for 14 years long. To live means something different. For some people to live peacefully 
without any dramas is important, but for me it is unbearable.

12・4
 今日は珍しく雨。温かい雨だ。朝、雨の音で目がさめた。時計を見ると、8時! あわてて起
きる。女房もあわてて起きる。別の用事があるわけではないが、やらなければならないことが
山のようにある。忙しい一日だ。

 数日前から女房が寝る前になると、K寿司を食べたいという。回転寿司だ。今日は雨だから
その寿司を食べに行こうと思う。そのため朝食は抜き。ははは。

 このところ毎日のように、ウィルスw32の攻撃を受ける。今朝もあった。このウイルスは猛威
を振るっているようだ。インターネットには、ワクチンはもう必需品。ウイルス検査をしていない
人は、メールを出さないほうがよいと思う。これは最低限のエチケットです。今度のウイルス
は、ファイルを開かなくても、メールを読んだだけで感染してしまうという、きわめて感染力の強
いウイルスです。こういうものを考える人は、結局は自分の時間をムダにしていることに気づい
ていない。かわいそうな人だ。せっかくの知恵と時間と、死をも恐れない健康な体があるのに
……。

12・3
 リヨン社での出版の原稿がほぼ完成する。昨夜は午前1時まで、集中的に仕事をした。(こ
の世界では、あとで本が売れてはじめて、「仕事をした」と評価される。)つまりこの段階では、
仕事をしたかどうかはわからない。ともかくも、一段落! しかし楽しかった。新しいパソコンは
今のところ、快調だ。

 それからインターネットをなさっている一は、今ではウィルス対策は常識。それをしないであち
こちにメールを送ったり、ファイルを送ったりするのは、もう正気のさたではない。やめたほうが
よい。相手に失礼というもの。今、w32という恐ろしいウイルスが蔓延している。あやしいと思っ
たら、表示画面に出す前に、削除することです。表示画面に出さない方法は、「ウイルス対策」
のところに書いておきます。この方法を使えば、どんなウイルスでも、入り口のそのまた入り口
でシャットアウトできることになります。どうか参考にしてください。

 さあて、今日も仕事だ。がんばるぞ。

 みなさん、リヨン社の新刊をどうかお買い求めください。来年3月発売で
す。タイトルなどは、未定です。

12・2
 WINDOW XPを使ってみる。すごいのはわかるが、ここまで使いこなす人は、一体、何%いる
のか? 初心の人だと、何がなんだかわけがわからなくなるのでは……。いらぬ心配! 私は
 WIN98から、WIN2000とMEを飛ばして、一挙にXPに進化した! この快感はたまらない。

 そうそう今度、私が使っているホームページソフトが新発売になる。それによると、日記など
も、公開、非公開が設定できるそうだ。となると、こうしたアホな日記の公開も、それまで。パス
ワードを入れてくださった方だけ、日記を公開することにする。

 今日は朝から原稿書き。今日中に編集して、完成させるつもり。今週中に出版社へもってい
くつもり。これで一件、落着! 次の企画は、あの愛知万博だ! がんばるぞ!

 毎日、多くの人(20〜30人)にこのサイトを訪れてもらっています。どうもありがとうございま
す。ときどき、祭日になったりすると、(ふつう祭日ほどサイトの訪問者は多いそうですが、私の
場合、母親が多いので、かえって祭日ほど少なくなります)、10人以下というときもあります。そ
ういうときは、こうして日記を書いていても、つまらない気分になります。ありがとうございます。

 今は、午後2時。3時に女房が買い物に行くと言うから、一緒に行く。車は息子が使っている
ので、ない。したがって私たちは歩いていくのだ! 運動をかねて……。

 Akiko wants me to go with her for shopping at three. Syuichi has gone by our car so we 
have to walk to the shop. But it is good for excersise. It is clear and fine day. It is a bit 
warm. Yesterday our prince has had a baby. But we don't care about the news so much, 
though some people are noisy about the news. All the babies are equal when they are born. 
All the peple are equal. or equally created. 

 I will be busy this week again. I have to go to Tokyo again to meet with the book company. 
Then I will be busy this time for EXPO 2005 in NAgoya. I shall do my best.

12・1
 とうとう新型パソコンを手に入れたぞ! FUJITSUの17インチワイド画面のスゴイパソコン
だ。 ペンチアム4の1・5ギガヘルツのスゴイパソコンだ。これならブロードバンドができる! 
さそくフライトシムレーターを入れてみる。動きがきわめてスムーズ。これなら本当に空を飛ん
でいるみたいだ! コマ落としがないぞ! バンザーイ!

 今日はそんなわけで、年甲斐もなくウキウキしていて、ものごとを深刻に考えられない。だか
ら子育て論は中止。

 今朝は、村の人たちと共同で、道の舗装作業。疲れた、楽しかった。ああいうふうに皆で力を
合わせて何かをすることは、とてもよいことだ。

11・30
 昨日、五、六人の子どもを連れて、今度できた、ザザシティ「浜松こども館」を見学に行く。何
でも五億円もかかったとか! しかし私は哲学をまったく感じなかった。つまらなかった。子ども
たち(小学4年生)も、皆、そう言っていた。がっかり! 数ヶ月もしないうちに、閑古鳥が鳴くよ
うになるだろう。駐車場もないから、幼稚園単位で子どもたちがやってくるということもできない
し……。どうするのだろう?

 参考までに、私がアメリカのリトルロック市で見た、「子ども館」の写真を載せておく。

11・29
 昨夜遅く女房が鎌倉から帰ってくる。帰りの東名高速道路は渋滞していたという。おみやげ
は、「鳩サブレー」。鎌倉の代表的なみやげだという。昔、二男が鎌倉で迷子になったときのこ
とを思い出した。警察へ行ってみると、そこにちょこんと二男は座っていた。そして私たちを見
ると、とたん大声でワーッと泣き出した。その二男も結婚した。はやいものだ。時のたつのは。

 今日は女房の叔母の葬式。90歳でなくなったそうだ。女房の母の姉。私とは面識はない…
…一度だけ会ったような気がする。あるいは親類の冠婚葬祭では会っているかもしれない。

  Akiko came back last night, being late for she met traffic jam on the way back home. She 
went to Kamakura where Soichi once lost himself and then we went to the police office. He 
was sitting there and as soon as he saw us he burst into cries. It was a long time ago and 
time flies so quick. Soichi is now in the Satets, married to a beautiful lady.

 今日も楽しくやりましょう!

11・28
 今日は女房は鎌倉旅行。私は一人で書斎で何やらする。ときどきぼくはこう思う。あのまま三
井物産という会社にいたら、今ごろは都会のオフィスで、弁護士や経理士に囲まれて、会議ま
た会議の生活。あああ、いやだ! そんな生活はごめん! 一見、華々しく見えるが、本当に
そんな生活が人間が望む生活なのか。一度、冷静に考えてみたらよい。私たちは何を求めて
いるか、と。またどういう生活が、望ましい生活なのか、と。文明の中で、心が毒され、そして価
値のないもの、意味のないものを、それが価値があると信じ込まされ、意味があると信じ込まさ
れているだけ。もっとも、そう信じ込まされている人は、あのオウムの信者のようなもので、自
分が見えない。人間というのは、いつもカルトの中にいる。そのカルトに気づくことが、結局は
自分を知ることにもなる。どうしてオウムの信者を笑うことができるだろうか。

 今、女房が、下の部屋から、「行ってくるでねえ」と声をかけた。うれしそうな声だ。あいつも今
日はハネをのばして、オイラの悪口をみんなで笑いあうのだろう。ははは。被害妄想か? い
やいや、こちらは、こちらで、好き勝手なことをするぞ。これからガールフレンドに電話をかけま
くって、デイトして……というのは、ウソ。そんな元気はもうないね。ははは。

 今朝、ソーテックの新聞広告が出ていた。ソーテックは、伸びるね。値段が安いというか、ム
ダなものを一切つけていない。質実剛健というところがよろしい。フジツもNECもムダなものば
かりつけている。パソコンをまだ家電製品の仲間に考えている。飾りばかりつけている。だから
値段が高くなる。これはちょうど子どもの机のようなものだ。結局長くつかうのは、無駄のない
平机。いろいろ機能がついているのは、一見、子ども受けするが、そんなもので、子どもを長く
ひっぱることはできない。常識だ!

 またまた電話が鳴っている。しかし私は出ない! あの電話は容赦なく、家の中の一番中心
部までかかってくる。このところまた電話相談が多くなった。皆さんの深刻な気持ちはよくわか
るが、私はそのたびに、30分〜1時間の時間をとられる。どうか許してほしい。私も仕事をしな
くてはいけない。年金で食べている人とは身分が違う。(退職金も、天下り先も、年金もないの
です!)

 Akiko haso gone to Kamakura with her friends and she will come back late in the evening. 
So I am free today. It is a nice autumn day and fresh air is everywhere. I will enjoy my life 
today doing what I like to do. Kamakura is an old capital city in Japane near Tokyo where 
the Tokugawa Government put its main castle to govern Japan. Now Tokyo is the capital of 
Japan. The main reason why Tokyo became the capital city is simple. The area has the 
widest plain land. Kamakura is, on the contrary, surrounded with mountains around it and 
only one direction is open to the sea. The Minamoto opened the city because it is guarded 
by the mountains but it was a kind of closed society. So Kamamura Government could not 
become a big city and fell down in 1333 BC. But Kamakura is a good place to visit. Many 
tourists go there, especially foreginers. Come to japan and vist with me, Denise, Bob and 
Dennis! Jim and Dianne and Danny, Donna, Dawn! We will welcome all of you! By the wat are 
you reading my diary? I hope so.

  あのね、近所にはたくさん、元公務員の年金族の人がいますが、私はそういう人たちが、こ
の25年間、近所のゴミを拾ったとか、草を刈ったとか、そういう姿を見たことがないのです。公
務員というから、公僕意識があるというのは、まったくのウソ。幻想! むしろ公務員を長くした
人のほうが、権限にしがみつき、管轄以外のことは何もしないという生活態度が身についてい
るから、自分の仕事以外は何もしないようです。これは公務員の悪しき弊害のようなものです。
どの人も、月額30〜35万円の年金を手にしている。3ヶ月ごとに郵便局で受け取っている人
をみかけますが、どの人も100万円のたばを持って帰ります。いいなあ! 本当にうらやまし
いなあ! しかしこんなことしていれば、日本はダメになるに決まっているでしょ。あの旧ソ連だ
って、ここまでしなかった。ああああ、もう知らないぞ! 私はこの日本がどうなっても知らない
ぞ!

 またまた今朝の私はいじけているようです。どうもこのところ精神状態がよくない。世の中をう
らんでいるというか、すなおになれない。しかしこの日本、本当に不公平ですね。この不公平が
なくならない限り、日本はよくならないのです。教育も変わらないのです。不公平を見ると、日本
人はそれを正そうと思う前に、「あわよくば自分も……」と考える。封建時代の中で、徹底的に
骨のズイまで抜かれてしまったからです。

 ところでジャンボ宝くじが発売になりました。しかしね皆さん。日本政府はあの日債銀という銀
行を救済するためだけに、4兆円ものお金をつかったのですよ。行員2000人の身分を守るた
めにです。いいですか、一人当たり、20億円ですよ! みんな満額の退職金を手にしたあと、
ほとんどが天下り先へと就職していった。3億円の宝くじなんて、そういう人から見ると、アホみ
たいでしょうね。預金者保護というのは、まっかなウソ! もしそうなら預金者の預金だけを保
護すればいいのです。そんな4兆円も必要ないでしょ。結局は銀行救済! 行員救済。今も、
莫大なお金が、惜しみなく銀行救済に注ぎ込まれている。週刊誌によれば、銀行員は年末の
ボーナスも、30歳代で250万円です。もうバカくさくて、評論活動などしておれない! 

 浜松のマツビシが倒産した。隣にザザシティができた。そのマツビシとザザシテイをつなぐ通
路。あの通路だけで、1億1000万円もかかったそうです。しかしそれも今はムダ。私、あの通
路を見て、「1億円ねえ」と思わず、つぶやいてしまいました。みなさんはどうですか? どこま
で税金をムダづかいしたら、気が済むのでしょうね。ホント! あああ、もう知らないぞ!

 あああ、またまた電話が鳴っている。私は出ないぞ。(この間、約1時間)。 やはり相談の電
話だった。しかし電話で相談してくる人というのは、名字は言っても、名前や住所は言わない。
私も聞かない。言いたくない気持ちはよくわかる。では、これから本の編集作業。がんばりま
す。

11・27
 昨日、パソコンショップで、ソーテックの「WINBOOK・WE」を見てきた。19万円だが、すごいパ
ソコンだ。がぜんほしくなった。女房に「いいかな?」と聞くと、「どうぞ!」だって。ははは。まず
それを買って、次に、無線LANとルーターを買って、ついで、今のプロバイダーと、ADSLの契約
をすれば、万事我が家も、ブロードバンド時代! はははは。これが当面の私の夢です。正月
までには、このサイトもブロードバンドで送受信開始! やるぞ! 人間、やはり目標がないと
いけません。

 昨日は久しぶりに運動をしたぞ。だから今朝は快調。やはり一日2回は、汗をかきましよう。
これは健康のために必要なことです。それから体重が、67キロになってしまった! さっそく今
日からまたダイエット! 適正体重の65キロまで、一気にやせよう! 

 昨日、夕方、ザザシティの中央館へ入ってみる。まあ、ああいうドぜいたくなものを、よく作る
もんだね。税金が400億円以上も投入されているんだそうです。で、まあ初日から数日という
ことで、まあまあ混雑はしてましたが、若い女性ばかり。何の生産力のない(失礼!)、ああいう
若者たちに、こうまでサービスをしなければいかんのですか? 大理石張りの超豪華なラセン
階段を下りたら、そこはスーパーとラーメン屋だった……というのは、冗談にもならない。

 もういいかげんに、こういうバカげた建築はやめよう! 孫の代まで、膨大な借金を残すだ
け。ザザシティを一歩出ると、そこは寒々としたすたれた町なみ。空き室だらけのビル、またビ
ル。若いチャラチャラした子どもたちが、ウロウロするような街を、本当に「活性化」というの
か? 儲けたのは建築を担当したゼネコンだけではないか。浜松市の借金も、2000億円を
超えた。この借金は誰が返すのか? ザザシティを作れば、その借金は少しは減るのか? マ
ツビシがつぶれ、西武デパートが撤退した跡地に、それ以上に豪華なデパートを建てるという
神経そのものを疑う。しかも中の店は、マツビシや西武デパート以下。失敗するのは目に見え
ている。

 楽器博物館にしても、超の上に超がつくような豪華な、冷暖房完備の博物館の中に、世界か
ら集めた楽器のガラクタ。もう情けなくて、見ておられない! アクトタワーも、平日は、200人
もやってこないという。先日も行ったが、エレベーターに乗ってからおりるまで、出会った人は2
人だけ。

 私が住んでいるY街道を一度、見てごらん。タイのバンコックにだって、こんなみずぼらしい、
劣悪な街道はないですよ! 日本がアジアで最高の国だと思うのは、思う人の勝手だが、もう
それが終わるのは時間の問題。3000億円もかけて、アクトタワーをつくり、音楽だ、消費だと
うかれているうちに、浜松は沈没! どうしてこんなムダなものばかり、作る? 建てる? 同じ
時期、東京の国立劇場が建てられたが、たったの400億円! 

 もう、やめよう、浜松の皆さん! こんなバカげた浪費はもうやめよう! もうたくさん! 駅前
に芸術大学ができたが、学長以下、約80人の教員全員、すべて「関東地区および東京から来
ています」(教務課)とのこと。浜松市民の都会コンプレックスは、尋常ではない。何でも「東京
から来た」というだけでありがたがり、東京のマネばかりしている。

 浜松は工員の町だというが、もう町工場の大半はつぶれた。皆さんは、こういう事実を知って
いるか? 立派な建物は、ほとんどが、公共施設か病院だけ。ああああ、もう知らないぞ! 
浜松がどうなっても、私は知らないぞ! ……一度、こうした考えを原稿にまとめてみる。今日
は忙しいので、またの機会に!

11・26
 昨夜、女房とビデオを見る。女房が借りてくるのは、たいていホームドラマ。結構、いいのを
借りてくる。で、それを見てしまった。タイトルは、「天使のくれた時間」。まあまあクラスの、ほど
よい映画。
 今朝は快晴。寒いがよい天気だ。昨夜、「思索する……」に新しい原稿、10作ほど載せた。
興味のある方は、どうか読んでほしい。

 I saw a video last night with Akiko and Syuichi. It was not so bad and we could enjoy it. It 
is a cold morning and fine. Akiko said she has a slight headache but I think she is OK. I have 
been busy with my new book, whichi is soon published in Tokyo. I am excited, though I have 
published more than 30 books already in the past. It is a kind of feeling when we feel we 
have a new baby. If they need me, my book will be sold well, and if not, it will not be sold. It 
depends on the need. It is not my problem. What I should do is to do my best. Then they will 
know what I am. I don't care about it.
  I started writing my diary in English a few weeks ago, but I feel more convenient to write in 
English rather than in Japanese. I can be more frankly when I think things in English. It is 
good. And this is true that I can be more myself when I talk with Australian and American 
friends. Though I am a Japanese, I am not good at talking with Japanese. Japanese think 
something else behind their mind. I think this is why.

 12月に入ったら、子ども診断、親診断の原稿に集中的にとりかかる。載せてもらえるかどう
かわからないが、ある雑誌社の編集部の人が、連載にしてもよいと言ってくれた。ぼくならおも
しろいのが書けそうだ。今、子育てが孤立化している。個性的といえば聞こえはよいが、実は
そうではなく、たいへん極端化している。これはたいへんまずい。そういうのを客観的に知るの
は今の親にとっては、大切なことではないか。しかし調査がたいへんだ。がんばってやってみる
か。

11・25
 山荘で一泊。気持ちよかった。紅葉がみごとだ。今ごろが山荘ライフのベストシーズン。
 We stayed one night at the mountain house where autumn view is at the best season. Air 
and wind is so fresh and cool at night. It breezes softly while I was sleeping. Good season!

 この4日間、ほとんど運動していない。そのためか、体がなまってしかたない。頭もずっとボー
ッとしている。集中力も続かない。1時間も原稿を書き直していると、眠くなる。あとでハナと散
歩に行くつもり。晃子は午後は、市内のコンサートに行くと、昨夜友だちと連絡をとりあってい
た。私は町の中へ行くのはごめんだ。騒々しいところは、苦手。肌に合わない。

  Akiko will go to a concert in the city this afternoon. I hate such a noisy place. This is why I 
live in the quiet suburb and I prefer to sitting and writing something in my study. I will go for 
a walk with my dog this afternoon, and I have nothing to do but to re-write my articles for 
the new book. Christmas is coming and I wish all of you who may be reading this diary, "
Merry Chiristmas!" I need some kind of physical exersize to keep my healty life. 

 とりあえず今日すべきこと。
(1)原稿の整理
(2)雑誌Fの4月からの企画案づくり
(3)名古屋パビリオンの原案を、ワード版に書き直すこと。……これが目標だ! がんばりまし
ょう。
(4)ハナを散歩に連れていくこと。
(5)今日は私が夕食の料理をする。(晃子は5時ごろ帰ってくるというので……)以上。
(6)もう一つ……、時間があれば、パソコンショップへ遊びに行くこと。(多分、時間がない) 

11・24
 原稿を5作まとめる。教育論を書く。もし興味をもってくださるようであれば、「思索する、故に
我あり」をお読みください。古めかしい、おどろおどろしいタイトルがついていますが、内容はわ
かりやすくしてあります。

 昨夜は風邪気味で、早く床についた。昼ねを断続的にしたこともあり、結局、真夜中の2時頃
起きるハメになった。この年齢になると、睡眠時間をうまくキープするのは、なかなかたいへん
なことだ。まだ睡眠薬のお世話にはなっていないが、友人たちの話を聞くと、みなさん、結構、
薬で調整しているようだ。私はできるだけ自然体でいきたい。まあ、そのうちお世話になると思
う。

 私の風邪の治し方。
(1)ニンニクのすったのを、白いご飯にかけて食べる。
(2)葛根湯を飲む。飲んだら、厚着をしてすぐふとんの中に入る。
(3)頭痛などがあるときは、症状に合わせて、薬をのむ。
(4)汗をダラダラとかきながら、布団の中でがまんする。
……たいていこれで半日で治る。少し乱暴だが、しかし短時間でなおすにはよい。私は胃がじ
ょうぶなので、この方法でよいが、胃の弱い人にはこの方法は向かない。ちなみに女房はダ
メ。ニンニクをすったのを食べることすらできない。

 昨日、2週間ぶりに、メルマガと、E-マガを発行する。読者が少しずつだがふえている。全体
で合計約200人になった。自分のマガジンがよいわけではないが、ときどき他人の「子育てマ
ガジン」をのぞくが、私のが一番、オーソドックスだと思う。正直言って、ほとんどは、どうでもよ
いような内容の、くだらないマガジンだ。たとえば「運動会の親子の絆の深め方……ビデオの
活用の仕方」とか。そんなことはなりゆきで決めればよい。「子育て」と構えなければならないよ
うな話ではないと思う。皆さんはどう考えますか?

 ものを書くというのは、いかにして核心に触れるかということ。表面的なことはいくら書いても
意味がない。夜のバラエティ番組を見ればそれがわかる。また自分で核心に向かっていくとい
うときは、書いていても、実に楽しい。何とも言えないスリルがある。荒野を冒険するようなスリ
ルだ。これがあるから、考えることは楽しい。

 今日は土曜日だが、またまた原稿の整理をしようと考えている。来年3月に新刊の出版が決
まったので、それに向けてがんばります。詳しくはまたニュースのところで。

  Today it is Saturday. I have been sick with a cold. Yesterday I was in bed (Futon as a 
matter of fact, a Japanese style of bed) almost all day and I feel finer now, though I have a 
slight headache still now. I think I will get fine very soon.

  Akiko, my wife has been always watching the album of our son's wedding reception these 
few days. She looks so happy when she sees it. Last night she was watching it in the bed 
and I asked what she was doing. Then she said, she arranged photos as it happened 
according to the process. For her, our son is her achievement. Women takes things like this.

  I have two days off now but I have nothing to do except re-writing my articles for the new 
book. Whenever I do this, I feel so happy. For me writing is living. I feel full of life when I 
finish writing my articles for the new book. It does not matter whether it is sold well or not. 
For me it is more imprtant to write and to leave something in my life as a proof of my 
exsistence. Books are this. When I was younger, I wanted to be famous and wanted to sell 
my books more, but now it is not my problem. I just want to write for myself. This is more 
imoportant now. This is true that when I am writing, I feel as if I were somewhere in the 
unveiled-desert. It is very thrilling to me. I think, therefore I am.
 
11・23
 今日は祭日。寒いがよい日だ。少し風邪ぎみで頭痛がする。今朝、薬をのんだ。S小学校の
PTAの方から、野菜を一箱送っていただく。講演の礼だという。うれしかった。野菜をテーブル
の上に並べて、女房と「今夜はこれで鍋料理だ」と言い合う。どれも品評会に出るような立派な
野菜ばかりだ。

 岐阜のいとこが柿を送ってくれる。昨夜その礼の電話を一時間ばかりする。

Nov. 22
  It was very cold this morning. It is 6 degrees Centigrade. I don't know it is in F. But it is 
very cold. Water is to be frozen at around 0 degrees in Japan. 
  Denise sent me an album of their wedding. Akiko likes it very much. She was seeing it with 
some kind of smiles. I too. 

  今日は、またまた原稿の整理。忙しい日になりそうだ。このところ手紙やメール、FAXでの相
談が多いが、どうか、みなさん、許してほしい。本当は皆さんのお力になりたいのですが、まず
自分の仕事をしなければなりません。この4月までは、皆さんの相談を受けていたのですが、
そのため、ほとんど毎日、たいていは午前中はそれでつぶれてしまいました。で、この5月から
は、たいへん申し訳ないのですが、電話やFAXでの相談はお断わりすることにしました。今は
このサイトでの相談のみを受けさせていただいています。(その相談も、どんどんたまってしまう
ような現状です。近く、時間をとって、皆さんのご質問にお答えするつもりでいます。どうか今し
ばらくお時間をください。すみません。)

 I receive questions and I am asked to give them advices as a counseller. So many a day! 
So I am sorry that I say I can't do it now for I have been busy and moreover I lose my own 
private time for these counsellings. I do for nothing as a volunteer but I have to do my own 
business. This is a problem.


11・21
 今日は東京を往復した。来年3月の新刊の出版が決まった。あとはその本に向って、全力を
尽くすだけ! がんばります!

 I went to Tokyo this morning. I got up early in the morning and came back to Hamamatsu 
at around 1:30pm in the afternoon. My new book is to be published next March. I shall do my 
best to finish writing it! 

Nov. 20th
 It is a very cold morning. It may be hot at this time of the year in Australia. I wish all the 
people whom I know there are having a good summer now.

 Yesterday I went to a small village where there are lots of greens everywhere and made a 
speech there. I enjoyed it very much. And today I have another one in a kindergarten in 
western part of Hamamatsu-city. Though everytime I made up my mind to make the very 
best speech, I always find myself half-done with so many regrets behind. But today I am 
different. I shall do my very best. But franky I sometimes wonder why I do such a sort of 
volunteer work at schools. I have a little profit from these works. If I am a politician, I think 
it will bring me a big priofit, but I am not. They say Hayashi's speech is good. Yes. My speech 
is the best of the world. I know none who can do better than I do. Still I wonder why I do 
this. I just try to brighten their darkness they feel in the tunnel. I walk as a guide of them in 
front of them. This is what I should do and I am doing. Am I right? Is what I am doing right? 
Or I am myself in the darkness of the tunnel?

11・19
 Bob sent me a very funny story which is not at all funny to me. So I asked my best friend 
about the story, and he replied to me saying that the story is written with hidden meanings 
in it. Thank you very much, Bob. I respect you who are very intelligent and sophisticated. It 
is the story about a chicken and the horse. Now you can guess what kind of story it is! He 
has a good sense of humor, which the Japense don't have. I am proud of myself who have a 
very good friend like him.

 Today I have a lecture in Tenryu village about 1 hour from my home by train. I am invited 
as a speaker and I am willing to go to anywhere. Tenryu is a beautiful village where there 
are a lot of greens. The village always reminds me of my hometown. 

 I have almost finished writing a new book and now I am about to arrange it into a book. 
There are some steps I should do before I hand it to a publishing company. It is a long way 
to go but on each step I feel excited. 

 Do you guess what time it is now. It is about 2 oclock in midnight. I went to bed last evening 
at 7 oclock in the evening for I felt sleepy. So I got up now and it is 2 oclock. I think I will 
have another sleep after I enjoy writing something for a while.

 Today is Monday and I think I will have busy week this week too. But I have four days off 
this week. I have a lot of things to do during these four days. I think I will go to the mountai 
house to enjoy it. I went there with Akiko, my wife, but I did not do nothing but listened to 
some music or so. 

 By the way I just wonder how many readers are reading my diary written in English. Are 
you reading this? If so, please let me know that you are reading this. Thank you for your 
attention and kind help. Just click here and I would appreciater your kindness if you leave 
your name in the mail. Thank you again.   Mail to Hiroshi Hayashi

Mさんよりメールが入る。息子さんの犬が死んだとか。葬式のときは泣かなかった息子さんが、
あとで写真を見て、大泣きしたとか。「子どもは不思議だ」と書いていた。こういう意見をもらう
と、いろいろたいへん教えられる。子どもの心理がよくわかる。

 Muraoka-san sent me a mail about their dog and her son. On the funeral ceremony for the 
dog the son did not cry or he did not even show any tears but after that, she wrote, when 
he was seeing his picture album, the son suddenly burst into tears, about which Muraoka-
san said it is strange. This kind of story helpled me a lot to understand children's 
psychology. Thank you Muraoka-san. Education consist of many facts and many 
informations. What I do is just to summerise them into a theory as my opinion. So people 
write their own theory without these facts but I don't think they are right. Education is 
based upn the human-minds and to know the real human-minds is very important to 
construct the theory of education. This is my opinion.

11・18(Nov.18)
 寒い朝だ。今朝は10時間も眠った。おかしなものだ。よく眠った朝ほど、起きたとき眠い。あ
くびがよく出る。

 昨日は、午前と午後と、二回も講演をさせてもらった。それぞれ違った話ができた。皆さん、
最後まで真剣に聞いてくれた。何よりもうれしい。気持ちよく話ができた。ありがとうございまし
た。

 湖西の中村先生、豊岡村の岡部先生、それに村松先生、どうもありがとうございました。また
私のようなものでよければ、お声をかけてください。

 今日の予定は特になし。水曜日に上京するので、そのための原稿のまとめに忙殺されそう
だ。がんばろう。山荘へも行ってこよう。そうそう昨夕、豊岡村からの帰り道、コジマに寄った。
浜松市には大きなパソコンショップが、5〜7つくらいある。
 コジマ、ヤマダ、コンプマート、ギガス、ナガシマ、ジョーシン、スミヤなど。一番商品が多いの
が、ヤマダ、ついでコンプマートとコジマ。ナガシマも多い。その次がスミヤ、ギガスかな。勝手
な判定ですみません。店の感じは、ヤマダが一番いいが、残念ながら、私の家から一番遠い。
コンプマートもいい。コジマもいい。ギガスはこのところ、元気がない。がんばれ! 我が家に
一番近い店だから、応援しています。(どうでもいいですね、こんな話!)

11・17
 今日は午前と午後と、2回、講演がある。そして今日は親友のJIMの誕生日。(アメリカは今
日が11月16日なんですね。)

 Happy Birthday, Jim! Akiko and I lwould like to send you our deepest love to you 
on this beautiful 16th day of November!
 It is a cold but so peaceful a morning and birds start singing right now. It is 6 ocolck in the 
morning! I have two lectures today, one in the morning at Kosai Elementary School and 
another one in the afternoon in Toyooka Elementary School. So busy day today! We are all 
fine and enjoying our life a lot. We hope you too. Please give our best regards to your lovely 
wife and your families! God bless you!
 
 I have been very excited as is always the case for me when I finish writing a book. I am 
about to publish another book early next year and will come to see some people in Tokyo 
for the arrangement of the book next week. When I feel busy I am happy. In our saying we 
say, the poor men have less leisure time. As for me I am a poor man who have less lazy 
time.

 Another message to another best friend in Australia. Thank you, Bob, for sending me a 
funny story about the horse and chicken. We love you too!

 Well I have to get myself ready for a busy day! So see you again tomorrow.

  朝食前に、「日本の教科書」をまとめる。こういうのを朝飯前(あさめしまえ)というのか? は
はは。では、グッド・モーニング!

11・16
 女房は今日はテニスの大会で、朝からいない。私はひとりで、書斎でこうして原稿の整理。そ
うそう今度、ソーテックから、新しいパソコンが出る。12月10日発売だという。値段は19万円
だが、性能がすごい。早速カタログを送ってもらうことにした。
 今、居間で電話が鳴ったが、私は出ない。携帯電話をもっている人は多いが、どうしてあんな
ものをもちたがるのか、私にはよく理解できない。自分の時間をじゃまされるだけ。田丸先生
の研究室には電話は置いてなかった。理由を聞くと、やはり同じようなことを言っていた。
 電話は容赦なく、仕事のじゃまをする。私の時間に割り込んできて、私の時間を奪う。私はそ
れが不愉快だ。だから私は電話には出ない。

 本当に人に伝えなければならないような情報というのは、限られている。99%の情報は、ム
ダ情報。昼のバラエティ番組を見れば、それがわかる。いくら聞いても、頭の中に何も残らな
い。携帯電話で伝えられる情報も似たようなものだ。過去に二度ほど携帯電話をもったが、そ
れぞれ長男と三男にくれてやった。自分では数度しか使っていない。 

 本の校正をしていると、「日本語は難しい」とつくづく思う。たとえば今も、「電話が鳴る」が正し
いのか「電話機が鳴る」が正しいのか、「電話機のベルが鳴る」が正しいのか迷う。「ベル」にし
ても、今の電話はベルではない。さらに「仕事をじゃまする」なのか、「仕事のじゃまをする」なの
か迷う。全体の流れの中で文の調子を整えなくてはならない。(この日記はそういう意味ではい
いかげんです。)本当に日本語は難しい。この難しさがある限り、日本語は国際語にはならな
い。

 そこで私も、こんな日本語にしてみようかなと考える。 いや、もう、難しい。日本語って。どう
でもいい。クソったれ。電話、でるわけないじゃん。うるさいね。電話って。ブーブー、仕事中に
かかってきてさ。 ……こういう日本語なら、いくらでも書けるが……。

 原稿の校正に入ると、そんなわけで神経をすり減らす。体重はいつも数キロは減る。今も朝
食を食べてきたところだが、量はいつもの半分以下。胃のほうが緊張している? 頭に血がの
ぼっている? そんなわけで、物を書く人はたいていヤセが多いという。私もそのうち、一人前
のもの書きになって、芥川竜之介のように、やせた顔でデスクに向いたい。(これは冗談!)

 では、仕事に復帰します。また明日!

11・15
It is a very cold morning today. I have a kind of flower fever and sneeze a lot these days 
before winter comes. A bad news is that Matsubishi Dept. Store was bankrupted yesterday, 
where I used to have light meals for lunch and tea. It is a bad news for I feel economical 
ressesion has come at last to this industrial city. I am sure Japanese economy is on the 
brisk of chaos. We have to be careful about our life. 

I am going to Tokyo nxt week to talk about my new book with the publishing company. I hope 
I can make a good book. This is the final challenge this year. I will do my best to do it. My 
friend, Jim's birthday is tomorrow. Happy Birthday, Jim! if you read this. Good morining 
everyone!

I'd like to think about kid's world again. Two jr high school girls jumped from a high building 
and commited suiside last week. They believed in devil and hell. This is silly as well as a sad 
news.

 今朝は寒い朝だった。花粉症も少し始まった。これから数日間、私はクシャンクシャンとやり
だす。で、たいていそれで症状は収まる。

 昨日、あのマツビシ百貨店が倒産した。8階の食堂はよく利用させてもらった。とても残念
だ。「とうとう浜松もか!」というのが本音。不況の嵐は、どこまでひどくなることやら! あああ
あ。日本よどこへ行く! 

 今朝は、もう一度、「子どものバーチャル世界」について考えてみたい。以前、「ポケモン・カ
ルト」という本を出した。あの本は名古屋のCBC放送などで取り上げられ、議論の叩き台にな
った。反響もすさまじかった。今でもその筋の団体から、ときどき中傷や抗議がある。しかし皆
さんは、カルトの本当の恐ろしさを知らない。あなたの子どもが犠牲になってからでは遅いの
だ。先週も、中学生が、二人飛び降り自殺した。地獄だの、悪魔だの、そんな言葉をあんな子
どもが口にすること自体おかしなことなのだ。「そんなものないよ」と、どうしておとなたちよ、言
わない! 仮にあったとしても、それがどうだというのだ。霊力だの、気力だの、そんなものに
頼って、どうする!!! 私は少し漢方をかじった経験があるが、漢方でいう気功療法は、自
分で自分の気を整えて、自分の病気を治すものであって、他人に向けて「気」をあててなおすな
どという方法はないぞ! とんでもない曲解だ! (私が書いた本は、今でも医学部の教科書
になっているぞ!)

 私はここに悪魔が現れて、「お前にスーパーパワーをあげる」と言っても、断わる。私は自分
の力で生きてきたし、これからも自分の力で生きていきたい。自由というのは、そういうもの
だ。ここで悪魔に頼ったら、今までの自分の人生は何だったのかということになる。

 このところ、サイトのほうに、毎日のように質問が寄せられる。うれしいのだが、肝心の私は、
目下、新しい本の校正に忙殺されていて、思うように時間がとれない。今朝は、床屋へ行かね
ばならないし。返事が遅れていることを、どうかお許しください。

11・14
 このところ散髪(床屋)へ行くヒマもない。「今日は行こう、今日は行こう」と思いつつ、結局、ど
んどん日が延びていく。女房は「短くしてはダメ」と言うが、私は短いほうが好きなのだ。女は女
の基準で髪を考えるらしい。(私は髪の毛の短い女性には、「女」を感じない。これは本能的な
ものか?)

 今朝はこんなことを考える。携帯電話症候群という病気(?)が、若者たちの間で蔓延してい
る。マジックミラー症候群、オセロ症候群、リセット症候群、マトリックス症候群、マリワナ症候
群、字幕症候群などなど。少し前までは考えられなかったような「症候群」が、若者たちの世界
を襲っている。これについて、午前中一時間ほど原稿を書く。

 昨夜、女房と近くの書店で、片っ端から立ち読みをする。日本では、町の本屋が図書館がわ
りになっている。アメリカには書店はない。あるにはあるが、数は少なく、大型化している。それ
で図書館が発達している。私はもっぱら経済誌コーナーで。で、東洋経済社の雑誌を読んでい
たら、なんだか、そら恐ろしくなってきた。「こんな状態で、よく日本はもちこたえているな」という
のが、偽らざる、実感。もうメチャメチャ。よくもまあ、これほどまで、官僚たちは好き勝手なこと
をしたもんだと思った。お金は天から降ってくるものだと思っているらしい。中央の官僚ばかり
ではない。私の山荘の近くに細い山道がある。一日、自動車が数台通るか通らないかというよ
うな山道だが、そんなところでも、豪華なよう壁工事をしている。私と女房はそれを見て、あき
れてしまった。「自然のままのほうが、よっぽどきれいなのに」と。コンクリートのブロックを積み
重ねて、まあ、なんというか、白い歯に金色の入れ歯をしたような感じ。金の使い道に困って、
まったくやらなくてもよいような工事ばかりしている。この浜松市でも予算の約25%が、工事費
というから、あきれる! 市議会の議員たちは、何かの大会だというと、デーンと、上段に座っ
て、偉そうな顔をしているが、あああああ、少しは責任を感じないのだろうか? 昨日はサイフ
の中身がさみしかったので、本は買わなかった。Y書店さん、すみません。次回は買います。

 では、今日も一日、忙しくなりそうです。「宗教と教育」について原稿をまとめる。

11・13
 昨夜ニューヨークでまた飛行機が落ちた。テロではなさそうだ。アメリカ人がどんな気持ちで
いるか、私にはヨ〜クわかる。私と女房は、FBIが、「ここ数日中に新たなテロが起きる可能性
がある」と警告したその朝、飛行機で、成田からヒューストンへ向ったのだ! あのときは、本
当にこわかった! 心臓がドキドキして、生きたここちがしなかった。

 I町の健全育成会から講演依頼がある。万博の懇談会2回目が1月と決まる。今度は東京で
開催されるという。来週、R社と本の打ち合わせ。上京する。朝と午後、来客が2組。講演会の
打ち合わせなど。今日もがんばるぞ! ヒマをぬって、またまた本の編集。今度の本は、よい
本になりそうだ。自分でそう思っているだけだが……。どうか乞うご期待! (昔の映画の宣伝
みたいですね。)

 今までフロッピーで文書管理をしていたが、私も、スマートメディアで管理することにした。この
スマートメヂアは、すごいの一言。数センチ四方のメディアに、フロッピーにして、50〜60枚分
の文書が入る(64Mのとき。128Mにすれば、100枚以上だ!)。本にしても、50〜60冊分
だ。それだけにこわい面もある。小さいから、なくしやすい。それに金属部に手で触れると、静
電気で内容が破壊されてしまうこともある。こわい、こわいと思いつつ、今、使っている。

11・12
 昨夜、女房と寝床で、老後のことを話し合う。「月、15万円で、すべてをめんどうみてくれると
ころがあるわ」と女房。「一人、15万円か?」「そうよ」「二人で30万円。年額で、360万円。1
0年で3600万円……」と。
 3600万円という数字が出てきたところで、思わずため息が出る。20年も長生きをしたら、7
200万円だ。家と土地を売っても、足りない。足りるわけがない。ああああ。
 
 「墓はどうする?」と聞くと、「お墓をつくるお金はないわね」と。「ではやっぱり、灰は海へ捨て
てもらうか」「そうね、息子たちに任したら……」「そうだな」と。まあ、何ともさみしい会話でした。
健康を大切にして、がんばって生きるしかないね。こうなったら……。ぎりぎりまで生きて、さっ
さと死ぬ。病院へ入ったら、安楽死をさせてもらって、息子たちには負担をかけたくない。もうじ
ゅうぶん楽しく生きたし、ぼくのような人間が、かろうじてでも、ここまで生きてこられたのは、運
がよかった。病院へ入るような病気は、私はしていない。女房も、結婚してから三日間、入院し
たことがあるだけ。息子たちは一度も病院で寝たことがない。ああ、感謝しなくては。とてもあり
がたいことだ。……こんなことを日記に書いても、だれも読んではくれないだろう。あるいは読
んでもらった人に申し訳ない。貴重な時間をムダにしているようだ。せっかく読んでくださってい
る方のために、もう少し前向きな、役にたてる日記を書きたいのだが……。すみません。

 土日は、本の編集でつぶれた。今度こそ、すばらしい本にするぞ! ……と本気で思ってい
ます。本を書くときは、出し惜しみしない。本気で全力でぶつかる。これは大鉄則です。

 今週から来週にかけて、あちこちで講演をさせてもらいます。どうかよろしくお願いします。こ
のところ体の調子はいいので、よい講演ができそうです。どうかお楽しみに。毎回、違った話を
するようにしています。(同じ話をするのは、私の主義に反します。私は毎日、昨日とは違った
生活をしたいです。)

11・11
 電子マガジンの読者が、三誌合計で200人弱になりました。毎回読んでくださる方が、200
人というのは、うれしいです。これからもよろしくお願いします。またこのサイトの読者も、5月か
らカウントがはじまって、もうすぐ6000人になります。(正確には、メニューを見てくださった方
のカウント数が6000回ということですが……。)ただこのところ、読者の方から、(Qー質問)を
いただくことが多くなったのですが、時間がなくて、お答えできません。どうか、お許しください。
今までいただいた分については、必ず、近く返事を書きます。ごめんなさい。

 今日もこれから忙しいので、これくらいで、失礼します。いろいろすべきことが、ありまして…
…。すみません!

11・10
 今日も、天気にだまされた。6時ごろだと思って起きたら、もう8時だった。曇りで、細い雨が
シトシトと降っていた。暖かい朝だ。数日前の寒さとは比較にならない。 R社からの新しい本の
出版が、昨夜決まった。がんばるぞ! 「はやし浩司」のすべてを出しきってみる。

 It was raining this morning and it is very (or unusually) warm. I thought it was almost 6 
oclock in the moring for the day throught the windows shone softly but actually it was 8 
oclock! So I was cheated by the morning light! 

 What is the revenge war? The Japanese government is always following US military polich 
and has no brain itself. If the war is right, why didn't we revenge against the A-bombs 
dropped in Hiroshima and Nagasaki? More than 300000 people (most of us were civilians) 
were killed on a spot. We did not revenge and this is why Japan has kept peace in these 60 
years after that. And this is why whole world has not used A-bombs in the wars after that. 
Of course I DO NOT support bin Ladin but I do not support US way of so aggressive military 
action toward Afganistan either. Afgan people are so poor, so poor! On the contrary US is 
so rich and a very very affluent country. The Bible says those who are merciful will be 
blessed by the God. We should be merciful. War is the next. Rich people should be kind to 
the poor and the rich people should not be arrogant. I think hundreds of bin Ladins will be 
born even if US wins the war. In the past history military powers have never succeeded in 
making people's mind soft and gentle. Now I am busy to write another book soon. I will. So 
good morning and see you tomorrow.

11・9
 昨夜、テレビで、アメリカ人の若者と、パキスタン人の若者が議論をしていた。互いに主張
は、国際世論にだいたい従ったものだ。しかし驚いたのは、日本人のT氏が、あたかも正義の
使者であるかのように、しかもアメリカの代弁者のように、アフガン(タリバン)を攻撃していたこ
とだ。そこで私は三つの、仮定を考えた。

(1)アメリカのアフガン攻撃が正しいとするなら、日本人よ、同じ正義感を、歴史を超えて、あ
の日本軍による真珠湾攻撃に対して、主張できるか? あのとき日本は、軍事力を使って、ア
メリカをテロ攻撃したではないか。T氏は、「ビンラディンを、国際法廷の場で裁くべきだ」と言っ
たが、同じ言葉を、どうして「時の長」には言わなかったのか。もしアメリカのアフガン攻撃が正
しいとするなら、アメリカ軍による日本攻撃は正しかったことになってしまう。アメリカが正しかっ
たとするなら、日本がまちがっていたことになってしまう。だったら、なぜ、そのまちがいを、日
本は反省しないのか。と、同時に、責任を誰にも追及しないのか。日本人は、あの戦争の責任
を、いまだかって、誰に対しても一度も追及していない。これはなぜか。またこれほど大きな矛
盾もあるまい。

(2)もしメキシコのテロリストが、中国の天安門を爆破したとする。そして怒った中国軍が、最
新兵器を使って、メキシコを攻撃したとする。そのときも日本は、今と同じように、つまり今、ア
メリカを支持するように、「正義のための戦争だ。中国に協力するのは当然」と言えるか。中国
を支持するか。強大な軍事力をもった中国が、「ワレワレに味方しないのは、敵とみなす」と日
本におどしをかけてきたとする。そのとき、日本は中国に基地を提供するのか。そのときでも、
今の正義を貫くことができるか。

(3)広島、長崎の報復を、なぜ日本はしないのか。アメリカによるタリバン攻撃が正しいとする
なら、民間人だけで、三〇万人が一瞬にして殺された広島、長崎の復讐をなぜしないのか。報
復が正しいというのなら、なぜその正義を貫かないのか。反対に、「日本がまちがっていた。だ
から広島、長崎はしかたない」と言うのなら、ではなぜ、その責任を、時の政府や、「時の長」に
追及しないのか。

 もちろんビン・ラディンを支持しているのではない。ないが、日本は、あまり偉そうなことを言え
る立場ではない。(私は言わない。とても言えるような立場ではない。)T氏は、「私がビン・ラデ
ィンなら、まっさきに出てきて、裁判で言いたいことを主張する」というようなことを言っていた
が、私は彼は、今のビン・ラデイン以上に、まっさきに逃げると思う。そういう雰囲気の男だ。多
くの政治家も、皆、偉そうなことを言うが、受託収賄罪などで逮捕されても、いさぎよくそれを認
めて、自分に恥じた政治家など、この日本では見たことがない。いわんや、チャラチャラした服
装で、バラエティ番組に出てくるようなエセ文化人の正義感など、私は信じない!

 少しヒネクレタ見かたをしてみたが、時には、頭の中で、いろいろな仮定をしてみることも大
切なことではないか。

 しかしこんなことは言える。私は今年、もう二度もアメリカへ行くハメになってしまった。(飛行
機恐怖症+このテロ事件の最中に、だ!)そこではからずも、テキサスからアーカンソー、さら
にはミズーリー州などを、回ったが、まず驚いたのは、その「豊かさ」だった。特に、民家がすご
い。アメリカ人の住居はすばらしいとは言うが、あのあたりまでくると、どの家々も、大きな公園
に包まれた邸宅(建て坪数そのものが違う。ふつうの家でも100坪以上。少し豪華な家ともな
ると、200−300坪はある!)といった感じ。スケールも規模も違う。電気は安いから使い放
題。スーパーでも、日本でいうドッグフードサイズの大きさの袋が標準で、その大きさの食料
を、ドサッドサッと買い込んでいる。 そういうアメリカ人の生活を見ると、この日本人の私です
ら、疑問に思う。怒れてくる。私が最初に感じたのは、「アメリカ人よ、こんなにいい生活をして
いるのなら、日本が今、アメリカに貸している借金を百分の一でもいいから、返せ」だった。毎
年日本は、ドルを買い支えるという名目で、実質的には、毎年数十兆円ものお金をアメリカに
貸している。アメリカ国債や公社債を買いつづけている。それだけではない。日本の技術すら、
どんどんアメリカに提供している。日本人の私ですらそれだけの怒りを感じるのだから、いわん
や、アフガンの人たちをや! あまりの落差に気を失うに違いない。
 もし中国がこのまま発展して、やがてアメリカ人のようなよい生活をするようになり、一方、日
本人が今のアフガン人のようになったら、日本は中国に対してどのような感情をもつだろうか。
それを少しでもよいから頭の中で想像してみてほしい。日本人は、目が上についているから、
上ばかり見ている。下を見ない。見ることができない。だからといってタリバンを支持するわけ
ではないが、かといって、今のアメリカのやり方も支持しない。強者よ、おごるなかれ!

 日本人が日本人として、国際的に通用するような意見を述べることができるようになるまでに
は。まだまだ道のりは遠い。「正義」とは何か。それをもう一度、私は考えてみたい。北朝鮮の
文化人(?)が、平和論を説いたとしても、日本人はだれも相手にしないだろう。同じように日本
人そのものも、世界では相手にされていない。どうして日本人よ、それがわからない! 日本
人の言っていること、していることには、まったく一貫性がない。もし「正義」を口にするなら、金
大中氏が東京のホテルで拉致されたとき、なぜその事件を不問にした! 金正日の息子が日
本にニセパスポートで不法入国したとき、なぜ不問にした! 狂牛病でもなんでも、とにかく利
益優先! こういう国に「正義」など、存在するのか! その日本が、降ってわいたように、正
義、正義というから、話がおかしくなる。正義は、日々の、ほんのささいな生活から始まる。「ま
ちがったことはしない」「まちがったとことはさせない」という、日々の生活から始まる。それをせ
ずして、正義を説くことはできない。

 あああ、今朝の私は少し興奮しすぎたようだ。過激なことを書いたようだ。少しこれから冷静
になって考えてみる。

11・8
 11月6日の話と似たような話だが、「アメリカ人のほうが、日本人より家族を大切にする」と
話したら、O氏という男が、「アメリカのほうが離婚率が高い。アメリカでは、夫婦でも裁判ざた
をしているケースが日本より多い」と反論してきたことがある。アメリカやオーストラリアに住ん
だことのない人の言う意見だ。アメリカには、その町(市でも、県でもない)ごとに、コートハウス
という、裁判所がある。日本で言ったら、市役所の出先機関的ほど身近に、かつ多い。アメリカ
人もオーストラリア人も、近所で何かもめごとがあるたびに、こうしたコートハウスで裁判をして
もらっている。裁判制度そのものが、違うのだ。さらに離婚率が高い、低いというのは、まったく
あてにならない。日本の女性は、アメリカ人の女性より、はるかに忍従をしのぶ。もし日本の女
性がアメリカ人ほどに人権意識に燃えたら、(仮にアメリカ人の女性が日本の男性と結婚した
らと考えてもよい)、離婚率は、ほぼ100%になるのでは? 日本の女性の23.3%は、いま
だに「夫に家事を求めていない」(詳しくはスクラップのところで)と思っている。こんな女性がア
メリカやオーストラリアにいるだろうか。アメリカ人の女性で、『夫に家事を求めていない女性』
など、いない。こうした意識そのものが、まったく違うのだ。私があれこれ数字を出して説明しよ
うとしたら、そのO氏は、「君は知識をひけらかしているバカだ」と、まあ、そういうようなことを言
いました。私はバカなんですね。きっと……? 私にはよい起爆剤になりました。

 私は基本的に、アメリカにせよ、オーストラリアにせよ、実際住んだことのない人の、比較論と
いうのは信用しない。私は絶対にロシア論やドイツ論を論じないのと同じ理由だ。もっとこわい
のは、ダイハードなどのアメリカのビデオだけを見て、アメリカを判断する人だ。「アメリカは犯
罪の町だ」と。三週間ほど前、わざわざ私の事務所までやってきて、そう言った女性がいた。読
者の一人で、こうも言った。「アメリカの学校は、日本より荒れている。銃をもっている子どもす
らいる」と。なるほど! ビートたけしの作った映画だけを見て、日本を判断してもらいたくない
ですね。それと同じ理由でアメリカ人自身もそう思っている。この10月にアメリカへ行ったとき、
フィリップという男(26歳)と話したときも、その話題が出た。「ハリウッド映画が、アメリカのイメ
ージを悪くしている。ハリウッドは、アメリカの代表ではない」と。アメリカといっても広いですよ。
テキサス州だけで、日本の2倍。オーストラリアにしても、日本の20倍もあるのです。あの気が
遠くなるような広さは、経験してみないとわからないですね。ホント!

 これから本の編集、がんばります。どうか皆さん、今度の本を買ってください。詳しくはもうす
ぐ報告できます。どうかよろしくお願いします。

 昨日、ファミリスの12月号を送ってきました。連載も、12月号でもう4回目になりました。金
沢大学新聞での連載も、もう一〇年以上になります。中日新聞での連載は、丸四年続きまし
た。

11・6
 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは
弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽し
む」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三
二・四%)だった……日本青少年研究所の調査より。

 この調査結果をふまえて、東京のS氏(教育評論家)が、が「アメリカ人のほうが、日本人より
出世主義だ」と反論してきた。(詳しい資料は、このサイトの、「スクラップ」に収録しておいた。)
 しかし日本型出世主義とアメリカ型出世主義は、まったく異質のものである。日本型出世主
義は、名誉と地位が、権威と直結し、その権威が、社会を生きるための道具になっている。一
方アメリカ型の出世主義には、それがない。あくまでも個人があの「人種のるつぼ」の中で生き
ていくための武器になっている。基本的に、その基盤として、権威主義社会と、プロ型社会の
違いがある。確かにアメリカでは、生きていくためには、個人の力がものをいう。その個人の力
として、アメリカ型の出世主義がある。日本人のような意味のない肩書きや地位は、アメリカで
は力をもたない。(二〇〇一年も、大阪オリンピック誘致委員の代表が、外国でコケにされたと
怒っていたが、日本では通用する肩書きも、外国では通用しない。私は「○○委員長だ」といく
らふんぞりかえっても、誰も相手にしないということ。日本では皆、ハーハーと頭をさげるかもし
れないが……。)そういう意味でも、アメリカの競争主義は、激烈なものである。その激烈さが、
今のアメリカのダイナミズムにもなっている。
 日本では組織の中における地位が、出世主義の基本になっている。アメリカでは、個人の力
としての出世主義が基本になっている。決して同質なものではない。私はこの研究所がどんな
単語を用いたのかは知らないが、多分、単語の選択を誤っているのではないかと思う。こうし
た例は多い。たとえば「愛国心」を、英語では「ペイトリアチズム」という。英語の「ペイトリアチズ
ム」は、もともと「大地を愛する」という意味だ。そこで日米で、「愛国心」「ペイトリアチズム」の
比較調査をしたとする。しかし出てくる結果は、おのずと違う。こういう言葉の違いというのは大
きい。たとえば、恐らく「地位と名誉」というのを、「STATUS & HONOR」訳したのだろうが、そ
れがそのまま日本的な「地位」や「名誉」というニュアンスを含んでいるかどうかは疑わしい。た
とえば彼らにしてみれば、「HONOR]というのは、努力によって与えられるものという意識が強
い。大学卒業のときも、「HONOR DEGREE」と言えば、成績上位者に与えられる称号である。
日本人は「名誉」を、もっと別の意味に使う。地位や肩書きを名誉と考えている人も多い。あえ
て言えば、「日本人は外見の名誉を重んじ、アメリカ人は、内部の実力の評価としての名誉を
重んじる」ということか。こうした外国との比較調査では、こうした言葉のニュアンスの違いをい
つも考えの中に入れておかねばならない。
 このことについては、また別の機会に詳しく書く。今日は本の編集作業で忙しい……!

11・5
 親の子どもへの愛情には三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。赤ん
坊をかわいいと思うのが、本能的愛。年頃の男が、女性に感ずる肉欲的な愛と同種類のもの
と思えばよい。この愛があるから親は子どもを育てる。次に代償的愛。親自身の心のすき間を
埋めるための愛と考えればよい。子どもを自分の思い通りにしたい愛のことで、いわば自分勝
手なエゴイスティックな愛のこと。子どものためと称して、受験競争に奔走する親を思い浮かべ
ればよい。大半の親は、以上の二つの愛をもって、「私は子どもを愛している」と言う。しかし愛
とはそんなものではない。子どものよい面をみて、それを好きになるというのなら、そんなこと
は誰にでもできる。子どもを愛するということは、子どもの欠点やいやな部分を、いかに自分の
こととして受け入れることをいう。そのためにも、子どもは許して忘れる。あとはこの繰り返し。
この深さ、つまりどこまで許して忘れるかで、親の愛の深さは決まる。

11・4(Nov. 4th)
 今朝は早く起きて編集の仕事をしようと思ったが、起きたのは8時。いつもより遅いくらいだっ
た。今朝は新しい家を建てる夢を見た。縁起のよい夢だ。

  I got up at around 8:00 am in the morning. I tried to get up earlier for I have a duty to 
finish the designing my new book. I had a dream of building up my new home somewhere on 
the slope of a small hill. It was a good dream. I have a lot of things to do today for my new 
book and I feel something full in my heart. It is good to be so. It is a very good morning and 
it is a bit cold this morning. I feel the real autum now. Akiko is still sleeping in her bed now. 
She will wake up very soon and I will know it because our dogs makes some special kind of 
noise, waiting for her to give them some morning food. I tried to contact Eiichi, the thrid son, 
but whenever I rang him up, he is not at his flat. Where is he? He is the ghost. This is my 
polich. Don't repeat the same life. It is a waste of the life. Don't repeat thinking the same 
thing. It is the waste of the life. Just see the future. And do the different thing to see the 
new world. This is very importnat to live more fruitfully. And now I 'd like to say, Good 
Morning to all of you.

  {Me} is very important to me. But don't push it to other poeple. When you write a book,
don't push your idea nor yourself to other peole. Just be moderate, patient and humble to 
other people. Just ask the readers to read your book and sentences. This is very important 
when you arite a book, if you are not worthy being done so.

  The war in Afganistan is in the mess now. When the World Trade Buildings in New York 
were destroyed by terrorists, all the hearts of all the people in the world were with 
American people. But now after the war where US are dropping so many bombs in 
Afganistan, these warm heart with sorrows and sympathy have gone away. This is a very 
sad thing. As I wrote just after the terrorism, revenges will not solve this problem. Revenges 
will call another revenges. Hatred will call another hatred. Enemies will call anoter enemies. 
See Hiroshima and Nagasaki, we did not revenge to US. Therefore we could keep our peace 
over 60 years. Now it is coming to the end. The Japanese government support US full 
enough and the government is revenging for nothing. This is a very sad thing for the 
Japanese.

11・3
 昨日の続き……。「自分」というのは、自分にとっては、とても大切な存在だ。それはわかる。
しかしだからといって、それを他人に押し付けてはいけない。気高く生きることは大切なことだ
が、しかし他人にそれを強要してはいけない。教育の世界には、そういう独りよがりな人が多
い。「私はすばらしい思想をもっている。それを認めないのは、世間がまちがっているからだ。
世間の通俗な人間どもには、私を理解する力がないからだ」と。ある出版社の人も昔、こう話し
てくれた。「一番、つきあいにくいのは、先生と呼ばれている人たちです」と。「この原稿は本に
はできません」と断わったりすると、「どうしてだ!」と怒ってくるのは、たいてい学校の先生だそ
うだ。つまりそれだけ世間知らずが多い……? 実のところ、私も若いころ、自分の書いた原
稿が出版社から送り返されてきたりすると、がっかりする前に、怒りが先にきた。しかし本を出
せば出すほど、その気持ちが消えた。売れない本は、結局は出版社に迷惑をかけてしまうの
だ。その迷惑をかけるたびに、今度は出版社に、「申し訳ない」という気持ちが、先に立つよう
になった。これを繰り返しているうちに、当初の傲慢な気持ちは消えた。そういうものだ。さて今
日は、これから、本の編集に入るので、これで失礼。

  「高層住宅は危険、流産率39%」を書く。

11・2
 「はやし浩司」が、来春の出版に向けて、本の編集にとりかかった。目標は、2冊。1冊は、R
社からの出版が、ほぼ決まった。「不況だから、売れない」としりごみしていたが、それでは、い
けない。……とまあ、自分にハッパをかけて、がんばることにしました。がんばりましょう! が
んばるしかないのです! 今度こそ、売れる本をと、考えています。本というのは、売れなけれ
ば意味がない。……そういう迎合主義はいけないという人もいますが、もう何十冊も書いてきた
これは、私の率直な感想です。初心者ほど、「迎合主義はいけない」とか、「本は中身だ」とか、
「よい本は長く残る」などと、わかったようなことを言いますが、それは初心者の意見(失
礼!)。まず頭をさげる。「読んでください」と。そして自分の言いたいことはひかえ目にしなが
ら、相手の役立つことだけを考えて書く。あなたが超有名人なら、出版社や読者のほうが頭を
さげてきますが、そうでないなら、やはりこちらから頭をさげる。生意気な姿勢はいけません。
叩かれても叩かれても、ただひたすら頭をさげる。これが自分の意見を世に問うときの基本的
な姿勢です、ね。……多分。私はそういう姿勢で本を書いています。それほどたいした力ない
人ほど、いっぱしの作家きどりをする。そういう見苦しい人を何十人も見てきたので、これはそ
ういう経験から生まれた私の意見です。ハイ。もっとも、出版社や読者が頭をさげてくるように
なったら、その人の作家生命はおしまい……? 傲慢になるだけです。そういう傲慢な姿勢か
らは、どうせロクな本は生まれません。そういう人も、私は何人か見てきました。

 明日から2日間、私は山にこもります。

 そうそう昨夜、もう一台のパソコンが、メールを書いているときに突然、暴走! あわやウイ
ルスの侵入か! ……と青くなったが、原因が……。そのパソコンは、キーボードと本体が、ワ
イヤレスになっていて、そのキーボードと本体の間に、別のパソコンのキーボードが置いてあっ
た。で、その間のキーボードを、横にのけたら、また正常に! 本当にパソコンというのは、ヒ
ヤヒヤしますね。今朝はいい天気だ。体も快調。私の年齢で、成人病とは無縁だし、この健康
と運動(毎日1時間の自転車)は、維持しよう。……維持します。体重は67キロでこのところ、
ややふとリ気味。台所では、女房が今も勝手に朝食を作っている。今朝は朝食を抜こうと思っ
たが……。私の適正体重は、63キロだそうだ。しかし私は足が短いだけで、それをのぞけば、
適正体重は、65キロくらいではないか。私は適正体重の計算基準を、身長ではなく、心臓の
大きさと、座高の高さで決めるべきではないかと思っている。私が身長166センチなのは、戦
後の食力事情が悪かったせいなのだ。本当なら、180センチあってもおかしくない。その証拠
に、息子たちは皆、180センチではないか! あれもこれもみな、あんなアホな戦争をするか
らいけないのだ。女房なんかいつもこう言う。「あんたの身長が、あと10センチ高ければねえ
……」と。あああ、今朝の朝食はパン食ときた。パンを焼くにおいがしてきた。日本人は、朝食
といえば、ご飯と味噌汁と決まっているのに……。あああああ。

11/1(Nov.1st)
 今朝は、我が家の犬がほえたので、目がさめた。時に6時30分。まれに早朝に、あの犬は
ほえる。もともと猟犬なので、そういう面では、神経質だ。で、犬を叱るために起きて、そのまま
起きてしまった。寒い朝だ。書斎の机の前にすわって、コタツに電気を入れる。昨夜、寝る前
に、女房とこんな話をする。「私は凡人なのだろうか? もしそうなら、恐ろしいことだ」と。い
や、ときどき、自分の中のもう一人の自分が、こんなことをつぶやく。「浩司、もうあがくのはや
めろ。どうせお前は凡人だ。凡人ごときに、人生の真理がわかってたまるか。はやくあきらめ
て、凡人は凡人らしく生きろ。お前には金儲けの才能はある。だったらその才能を使って、金
儲けして、いい生活をして、生活をもっと楽しめばいい。どうして無駄な時間を過ごす。もう考え
るのをやめて、凡人は凡人らしく生きろ」と。だから女房に、そう聞いた。しばらく沈黙を守って
いたが、女房はこう言った。「あなたはそのレベルへ来たのね」と。意味がよくわからなかった
が、私を理解してくれてはいるようだ。

 先日、遠州浜へ行ったら、魚を釣っている人がいた。ポカポカと暖かい日だったが、彼らと
て、じっと座って魚が釣り針にひっかかるのを待っている。そういう彼らに向って、「時間の無駄
だから、およしさなさい」とは、私にはとても言えない。この私だって、今、同じことをしている。
ただひたすらこうして文を書きながら、頭の中のどこかでキラリと光るものをさがしている。それ
はめったにないことだが、それが見つかったときには、うれしい。言うなれば、ものを書くという
ことと、魚釣りは同じなのだ。どこも違いはしない。

 今朝、夢を見た。内容はここには書けないが、切ない夢だった。……、で再び、まぶたを閉じ
たが、そのとき、「死ぬということは、こういうことか」と、ふと感じた。永遠の闇というか、そのま
ま宇宙のほうが消えるというか、そういうことだ、と。私が生まれる少し前、日本は戦争をした。
日本中が廃墟になった。そういう記憶は、もちろん私にはまったく、ない。同じように、私が死ん
だあと、世界中が戦争をしたところで、私は何も感ずることはないだろう。感ずるはずもない。
私にとっての宇宙そのものが、消えるのだ。「生まれ変わる」とか、「あの世がある」とか言う人
もいるが、私にはどうしても信じられない。……信じられたら、どれほど気が楽になることか。そ
う言う人だって、自分では見たこともないのだ。ただ人から人へと、そういう話を伝えているだ
け。その頂点に、神や仏がいるわけだが、神はともかくも、仏については、?だ。だいたい日本
の伝わっている仏教は、釈迦仏教ではない。「大乗非仏説」というのもある。昨年なくなった、東
大の中村元教授が言っていた。日本の仏教は、アショカ王の時代にいいように料理され、中国
に伝わった北伝仏教は、チベットの山岳宗教と融合したものだ。それがさらに中国の土着宗教
と融合し、日本へ伝わった。だから、男だった観音様が日本では女になり、中国や日本の仏像
は、どれも古代ギリシャの衣装を身にまとっているのだ。しかも皮肉なことに、あのオウム真理
教の教義が、一番、チベット密教イコール、日本の仏教のルーツに近いのだ。だれがそんなオ
ウム真理教を、この日本で論破できるだろうか? だいたい釈迦自身は、あの世があるなどと
は一言も言っていない(法句経)。むしろ法句経のなかでは、あの世を否定しているのだ。法句
経というのは、釈迦の生誕地に石彫りの形で残っている原始経典のことだ。

 今朝は難しいことを書いてしまったが、もうこの問題は13年前に結論を出したこと。本も5冊
書いた。(ペンネームで) だからもうやめよう。

 私は法学を勉強した。東洋医学の本も3冊書いた。次に宗教論を5冊書いた。今は教育論を
書いている。これで私は四つの分野について、自分なりに精通(?)したことになる。残りの人
生は、それらを集大成することだ。あああ、時間がない。だからもし私が凡人なら、(恐らくそう
だろうが)、しかしそれを認めると、私はここで筆を折らなければならなくなる。だから、「もし私
が凡人なら……」ということが、私には恐ろしいのだ。わかってもらえましたか?

 今日から年賀状が発売になる。ここでは何枚とは書けないが、毎年、X百枚以上は買ってい
る。しかしその経済的負担は結構、大きい。そこで今年は注文枚数を、三分の一にした。イン
ターネットで年賀状を交換できる人は、できるだけインターネットでさせていただきます。よろしく
ご理解ください。そして……、もう20年以上、つきあいのない人は、今年から年賀状を出すこと
をやめにしました。どうかお許しください。そろそろ私も身辺を整理する年齢になってきました。

 This morning, my dog barked early in the morning at abt 6:30, and then I woke up to scold 
her. Thisn is why I got up earlyb this morning and writing this diary. The dog sometimes 
barked at people walking on the road. She is not so clever. We have KOTATSU in Japan. It 
is a kind of compact heater to warm up ourselves. It is a kind of low table which is covered 
with a blanket and inside it there is a heater. It is very good in winter-time. An American 
friend of mine, Phillip uses this in America. He says it is very good too in America.

10・31
 失業率が、5.3%になったという。もっとも私なんか、この30年間、万年失業者の立場だか
ら、どうということはない。仕事はもらうものではなく、自分でつくるものという意識が、徹底して
いる。一時、失業手当がもらえるときもあったが、私はもらわなかった。自分のプライドが許さ
なかった。「だれがそんなものもらうか!」と。私の生き方はそういう生き方だった。今から思う
と、私は若かった。元気だった。(今なら、失業手当がもらえるというなら、もらうと思う。)

 さて今日は10月最後の日。明日から11月。どうということのない一日が、こうしてまた始まっ
た。午前中は、もう一度、「キレる子ども」について、考えてみる。なかなかおもしろいテーマだ。
そして自分なりに一度は結論を出しておかねばならないテーマだ。

 三男に新しいパソコンを買ってあげるということで、多分、古いパソコンは、私がもらえる。三
男のパソコンは、1年半前のモデルだが、ハードデイスクが20Gで、ワープロとして使うには、
まったく問題がない。それにビデオチップがよいのが入っているので、ゲームはスイスイとこな
せる。またLANボードはもっているので、うまく利用すればADSLもできる。今度、新しいのと交
換に、それを横浜からもってかえってくるつもり。楽しみだ。パソコンは、三男のような学生(工
学部建設科)には、必需品なのだ。わかっている。

 このところ食事がおいしい。秋はそういう季節らしい。体重が少し油断すると、すぐ1〜2キロ
ふえてしまう。恐ろしいことだ! 今日の楽しみは、今のところ、なし。まあ、いつものルーティー
ン(茶飯事)をこなすことにする。では、みなさん、ハッピーハロウィーン!(Happy Hallowee
n!)

 Eiichis's computer has a unknown virus now. His machine is under many troubles and he 
needs one. I will buy him a new one soon and then I will get his old one for return. Akiko and 
I will come to Yokohama where he lives next week to see how he is doing his studies there. 
He is a very very busy boy. When he was at home he received telephone calls ever five 
minutes from his friends. He is such a boy. Happy Halloween!

 In Japan we exchange New Year's Greeting Cards every year on Jan. 1st, like Christmas 
cards in western world. As for me I receive abt 500 card every year and send also nearly 
the same number of cards. It cost me a lot then from this year I will reduce the number of 
cards to save my money. I mean I will stop meaningless exchanges of cards from this year. 
Now I am 54 years old and I can tell who are the real friends are and who are not.

 It is good to write my diary in English. I think I am to remember how to write it and I can 
improve my ability of English writing in this way, though few will read this. Denise, are you 
reading this? If so, please let me know it, for I think you are the only one reader of my diary 
here. Tell Jim and Dianne to come to my website sometimes. Please. I write because I feel 
readers are close tome, but I will not if I have no readers. This is quite natural. What do you 
reckon?

 It was reported yesterday in the newspaper that abt 5.3% of the Japanese are now job-
less. This is a very serious number for us. Until next April they say about 6% will lose jobs. 
Then what will become of our society? It is very serious. As for me I have been job-less 
over 30 years and I don't have to worry about this problem. None can order me to do. And I 
have none to obey to. I am free from anything, which makes me happy! 

 It is again a lovely day today. So I will start my work now. See you tomorrow!

10・30
 日記というより、毎朝、その日のことを書くようになってしまった。日記というより、「予定表」と
いうべきか。今、いくつかの「人生訓」を考えている。自分で自分に向って人生訓をつくるという
のも、結構楽しいことではないか。

 今朝の毎日新聞によれば、アフガンでのアメリカの戦争が手詰まり状態になりつつあるとい
う。当然のことだ。アメリカ人は、宗教戦争のこわさを知らないのか? 一度カルトに身を寄せ
た人は、その信仰に命をかける。私はこのことを自分の本の中で書いてきた。そういう命をか
けた相手は、叩けば叩くほど、彼らはますます狂信的になる。それこそ本当に死んでも戦争を
する。こうした宗教戦争に勝つには、こちらも命をかける必要がある。アメリカ軍にその覚悟が
あるとは、とても思えない。だからこの戦争は必ず泥沼化する。そしてかつてソ連が敗退したよ
うに、アメリカ軍は敗退する。(だからといってアメリカが負けていいと言っているのではない。)
私の意見など、どこにも届かないだろうが、しかし報復戦争など、もともと意味がない。この私と
て、あのニューヨークの貿易センタービルが破壊されたときの悲しみや怒り、言いようのない不
安も、アメリカ軍の攻撃で半減してしまった。と、同時にテロを憎む気持ちも半減してしまった。
恐らく世界中の人たちが同じ気持ちではないのか。もしそうなら、アメリカが戦争を続ければ続
けるほど、一方で、あのタリバンたちを正当化させてしまうことにもなりかねない。(たった今、
私の心にこんな疑問が飛来した。本当にあのテロは、ビンラディンたちが仕組んだテロなの
か、と。そうであればまだ戦争も正当化されるが、もしまちがっていたとしたら……。これはたい
へんなことになるぞ! アメリカの権威は地獄の底まで失墜するぞ。)私は、報復戦争には反
対しないまでも、もっと慎重であるべきだと思っている。まず徹底的に証拠を集め、できるなら
国際世論の力を借りて、ビンラディンを国際法廷の場で裁くべきである。被告人欠席のままで
もよいではないか。それが次の報復を防ぐ、もっとも有効な方法だ。今のやり方だと、仮にアメ
リカが戦争に勝ったとしても、そのあとまた何百人、何千人の新しいビンラディンを生み出すこ
とになる。アメリカよ、それがわかっているか?

 上下意識の強い人と、そうでない人はどこで見分けるか……その人の目上の人に対する態
度と、目下の人に対する態度の落差を観察すればよい。目上の人には必要以上にペコペコ
し、目下の人には、いばってみせる人。こういう人は上下意識が強い人とみる。このタイプの人
(たいていは猛烈な出世主義型の人とみてよい)は子育てでも失敗しやすい。

 昨日、久しぶりに、明るい朝日を見た。今朝の朝日は、さらにまぶしい。秋だなあと思う。昨
夜横浜にいる三男から電話がかかってくる。パソコンの調子が悪いらしい。ウィルスが侵入し
たらしい。こうなったら、リカバリーするしかないようだ。どちらにせよ、もう1年半も使っている
ので、新しいパソコンを買ってやるしかないようだ。(自分がパソコンが好きなので、パソコンだ
けは、昔から息子たちに喜んで買ってあげている。親ばかだなあ、と自分ではそう思ってい
る。)

 さあ、今日も忙しいぞ! やるしかないのだ! では……!

  昨夜は、「右脳教育」と「欲求不満」について原稿をまとめる。興味のある方は、どうか、「
論文コーナー」までおいでください。

10・29
 昨日(28日)は、朝10時まで眠った。よく眠った。雨の日は、時刻を見誤る。日曜日だ。寝た
いだけ寝ようと思って寝たが、起きたのが10時とは! で、そのためか、昨晩は、遅くまで眠ら
れなかった。こうしてときどき、睡眠時間が乱れる。

 で、今朝は二つの原稿をまとめる。「権威主義」と「子育てで行きづまったとき」。この二つはメ
ールマガジンで、皆さんにお届けするつもり。現在、私のマガジンの購読者数は、合計fで約
175名。たくさんの方に読んでいただき、うれしいです。ありがとうございます。もし皆さんの中
で、読んでもいいと思われる方は、「リンクのページ」から、どうかお申し込みください。お待ちし
ています。無料です。いつでも解約できます。日本の子育てや教育を変えるためには、こうして
地道な活動をするしかないのです。よろしくご協力ください。

 今日から新しい本の編集に入ります。来年早々には、2冊、まとめて出版したいです。そのと
きはよろしくお願いします。(本は不況で、どうにもなりません。売れる本は売れるらしいです
が、私の本はさっぱりです。出版社から出される条件は、年々ますますきびしくなってきていま
す。しかたないですね。こういう時代ですから……。)

 ただ、自分ではときどき、こぅ思います。「もうこんな仕事はやめて、もっと実利的なことをした
ほうがよいのでは……」と。私には「力」があるとは思いませんが、私から見ても、それほど力
のない人が、いっぱしの作家気取りでものを書いているのを見たりすると、心の中で、「もうお
よしなさい。どうせ時間の無駄ですよ」とつぶやいたりします。私もそのクチかもしれません。私
にはその力はない。だからがんばっても無駄だと。しかし私にとって「書く」というのは、もう一つ
別の意味があるのです。それは「荒野を歩くようなスリル、冒険を味わう」という目的です。魚釣
りが好きな人が魚を釣るように、ランニングが好きな人がランニングするように、私は書くので
す。たとえ売れなくても。たとえ無名のままでも。私にっては、書くしかないのです。もちろん私
の本や原稿が売れれば、それにこしたことはありません。しかし、まあ、それを目標にしても、
空しいだけですね。

 今日はあれこれ忙しいので、日記はここまで。また明日!

10・28
  Today is my 54thy birthday. Time flies so fast as I alwayas say. On each day of my 
birthday I swear I will do something during this coming next one year. But everytime I find I 
could do nothing in the past one year. So in this year when I am 54 years old, I will not 
swear that I will do something. My life is my life and this is my life. I don't expect too much 
in my life.

  It has been raining all day today. We went shopping to Nagasakiya in the afternoon. Akiko 
bought some stuff to make my decoration cake and I bought some sushi for the party. 
Beside this I do nothing but listen to music for about 1 hour. I listen to some Aussie bush 
songs which are my favorites. I miss those days when I ws young in Melbourne. Then I say 
to my wife, "Let's go to Australia next March". She agreed with me.

 思想というのは、ジグソーパズルのように、断片的な「結論」を組み合わせてつくるものではな
いか。いきなり思想……というわけにはいかない。たとえば、「幽霊はいるか?」という問題に
ぶつかったとする。そこであれこれ自分なりに考え、「そんなものはいない」という結論を出す。
これがジグソーの一コマになる。ここで大切なことは、どんな簡単なことでも、一度出した結論
は、もう二度と考えないことだ。そういうのを時間の無駄という。そうでなくても、毎日、怒涛のよ
うに、次から次へと、考えるべきテーマが襲ってくる。だから一度出した結論は、大切にする。
そうして、たとえば、「来世はあるか?」「ない」「釈迦はあると言っているが」「いや、釈迦自身は
ないと否定している。日本の大乗仏教は、そのほとんどはチベット密教に基づいている」「では
チベット密教とは何か」……、というように、次々と結論を出していく。こうしてジグソーのコマを
用意したら、それを順に、組み合わせていく。これが結構、たいへんな作業だ。
 私は40歳のころ、話は変わるが、「あと一歩で、子どものことがわかる」というところまでき
た。「あと一歩」だ。しかしその一歩が踏み出せなかった。頭のどこかではわかっているはずな
のに、それが悶々と心をふさいだまま、表に出てこない。だから毎日、「あと一歩だ」「あと一歩
だ」と苦しんだ。苦しみながら、ジグソーの一コマ一コマについて、結論を出していった。そして
ある日。それは突然やってきたが、ちょうど飛行機が雲の上に抜け出るように、視界が急に開
けた。本当に急だった。とたん、子どもの世界が手にとるように見えた。見え始めた。不思議な
経験だった。それからは、子どものことが、ほとんどの問題について、わかるようになった。こ
れはウソでも誇張でもない。(ウソを書いてもしかたない。)これは子どもについてだが、「思想」
も同じように考えてよいのではないか。私はまだ「自分の思想」などと言えるようなものをもって
いない。しかし、頭のどこかにはあるような気がする。今は悶々としていて、姿が見えてこない
が、しかしどこかにあるような気がする。そこで今私がすべきことは、その思想をさがしたり、そ
の思想をまとめることではなく、一つずつのコマについて、結論を出していくことだ。コマがなけ
れば、ジグソーそのものを組み立てることができない。同じように、思想を組み立てることがで
きない。あせってもしかたないし、そうかといって、目の前にある問題の数々を、「つまらない問
題」と、片付けてしまうこともできない。どんなささいなことでもよいから、まずそれぞれについて
結論を出していく。それがそのまま思想のコマになる。たとえば今日は、女房といろんなことを
話し合った。
 「ローマのコロシウムでは、ローマ人たちは、殺人ゲームを楽しんだ。今の日本から見ると、
愚かなゲームに見えるが、同じように、日本の夜の低俗番組はどうなのか?」
 「ゾウがゾウだと知るためには、一度、ゾウがゾウであることをやめて、ゾウの世界から出て
みる必要がある。日本人も、インドのカースト制度を笑うが、自分たちの受験制度は笑わな
い。そういう盲目性は、何もゾウに限ったことではない」
 「聖徳太子は天皇ではないが、しかし聖徳太子を美化することは、天皇崇拝につながるので
はないか。NHKの大河ドラマは、天皇だけは主人公にはしなかった。しかし聖徳太子をテーマ
にすることで、NHKはそのタブーを破ろうとしているのではないか」などなど。前後の話を省略
したので、話の内容がわかりにくいかもしれないが、少なくとも私はこうしてそれぞれのテーマ
について、それぞれ結論を出しながら前に進んでいる。もちろん結論が出ないこともある。そう
いうときは、また外堀を埋めるように、その周囲の問題について、こまかく分析して結論を出し
ていく。
 たとえば日本人はインドのカースト制度を笑っても、自らの受験制度や学歴制度は笑わな
い。笑わないばかりか、自分たちの尺度で考えるから、インドにも学歴制度があると信ずる。
同じように、ローマの殺人ゲームは笑っても、日本の低俗番組(女性のスカートの下からカメラ
を入れ、それを見せるような番組)は笑わない。
 人間は、若いころ。本能に動かされる。たとえば女性の胸や足を見ると、それだけで若い男
は興奮状態になる。そのとき、若い男は自分の意思で行動していると思いがちだが、人間は
人間の本能や習性によって動かされている。ゾウはゾウ。クジラはクジラ。そして人間は人間
なのだ。それを知るためには、人間は一度人間を離れてみなければならない。
 最後に聖徳太子だ。彼は本当に国をまとめようとしたのか。自分の野心の一つとして、この
日本という大地と、そこに住む人間を支配したかっただけではないのか。このことは秀吉や信
長についても言える。たとえば今、アフガンで、タリバンたちが戦争をしている。彼らが本当に、
あのアフガンという国をすばらしい国にしようと考えているとはとても思われない。自分の野心
を満足させる道具として、政治や宗教を利用しているだけのようしにしか、私には思われない。
ああいうタリバンでも、2000年後には、もし今の体制が続くなら、同じように、美化されるに違
いない。
 ……ということで、この方法は時間がかかる。「結論が出るまで、ひょっとしたら100年かか
るかもしれない。死ぬまでに間に合うだろうか」という話も、今日、女房とした。

 その私が今日、54歳になる。頭も少しボケてきた。ボケてきたというよりは、集中力が弱くな
ってきたように思う。若いころは、10時間近く文を書きつづけることができたが、今は数時間も
すると、疲れてしまう。ときどき自分でも何を書いているかわからなくなるときもある。集中力が
弱くなるというのは、そういうことだ。だから急がなくてはならないと、自分では思っている。とに
かく時間がない。時間だけが刻々と過ぎていく。私の頭がボケるのが先か。それとも少しでも
「真理」に近づけるか。私はどうしても知りたい。今歩いている荒野の向こうに何があるか、どう
しても知りたい。願わくば、「これが私の思想だ」というのを、死ぬ前に知りたい。それができれ
ば、その日のうちに死んでも私は悔いはないだろう。「朝に知れば、夕べに死すも可也」という
のは、そういう意味か。

 今日は雨がやんだら、これから大きく伸びすぎた庭の木をチェーンソーで切り倒すつもり。か
わいそうだが、庭があまりにも暗くなりすぎた。もうすぐ冬至。五時を過ぎると、もうあたりは暗く
なる。夏至のころは7時半ごろまで明るいのに……。何だか一日を損しているような気分にな
る。

 ところでオーストラリアの学校には、「同窓会」などというものは、ない。BOBが話してくれた。
アメリカの大学もないそうだ。(大学全体の年度別の同窓会はある。)理由はいろいろある。ま
ず第一に、中学校にせよ、高校にせよ、アメリカ(オーストラリアにも)には、担任制度というも
のがない。生徒たちは休み時間(5分しかない)を利用して、クラスを次々と移動する。日本的
な「クラス」そのものがないと思ってよい。次に大学にせよ、いまのように転籍、転学が自由に
なってくると、「同窓」という意味そのものがない。大学は、あくまでもその道のプロになるため
の一里塚に過ぎない。彼らはそう考える。
 一方、これとは対照的に、日本では、「どこの出身か」を大切にする。封建時代の名残といっ
てもよい。「出身でその人の身分」を判断する。だから同窓会というのが、重要な意味をもつ。
日本的な学歴社会もその背景にある。今、この地方でも、各新聞社は、「○○高校100年祭」
などという特集を組んで報道している。しかしそういう特集そのものが、実に日本的である。日
本だけに住んで、日本しか見ていないと、そういうこともわからなくなる。そしてわからないま
ま、いつまでも旧態の制度を無意識のうちに引きずってしまう。日本人ならだれしも何も考え
ず、「同窓会は大切だ」と言う。しかし本当にそうなのか。それをもう一度考えてみようではない
か。「友だちは友だち」という考えだけで十分ではないのか。卒業してから、10年も、20年もた
ってから、「わが母校」などというほうが、おかしい。日本人はこのおかしさがわからないほどま
で、封建時代の「家」制度に毒されている。有名進学校を出た人が自分の同窓にしがみつけば
つくほど、そうでない学校を出た人は小さくならざるをえない。全体のバランスから見ると、結局
は、プラスマイナスゼロということだ。そろそろ日本人も、この愚かさに気づくべきときにきてい
るのではないだろうか。人間の価値は、「出身」で決まるのではない。「今あるべき姿」で決ま
る。そうそう隣の北朝鮮では、「成分」で決まるそうだ。人間の価値が……? 日本も北朝鮮と
それほど違わない。それが同窓会だ。学歴社会だ。もちろん友人は友人として、会いたかった
ら会えばいい。話したかったら話せばいい。それ以上に、会まで作って会う必要など、どこにも
ない。旧帝大はこぞって、同窓会を作った。自分たちの学閥をつくるためにである。この制度
はあっという間に、全国のすべての学校に伝わった。江戸時代は、「生まれ」によって人間の価
値(身分)が決まった。それがなくなった明治、その意識は、同窓という学歴社会に変わった。
日本人がこのおかしさに気づくのは、あと50年後か。まだ50年はかかるだろうということ。(こ
の考えは、今日のテーマの一つとして、あとで原稿にまとめるつもり。)

10/27
 このところ、このサイトを更新するソフトが、作動中にフリーズすることが多くなった。どこか調
子が悪い。パソコンというのは、電気製品ではない。まさにデリケートな「頭脳」というにふさわし
い。ときどき、恐る恐る、使うことがある。今がそうだ。つまりそういうことを知って使わないと、
イライラがつのる。で、ときどきこう思う。まったくの素人の人がパソコンを使っても、うまく動か
せないのでは……?、と。私が実のところ、そうだった。今でこそ、どこをどう直せばいいのか、
コツがわかってきたが、以前はそうではなかった。毎日のようにあちこちへ電話をかけまくって
いた。もっとも、言われたとおり、冒険心をもたないで、そっと使っている分には、ほとんど問題
はないが……。パソコンが電話のように気軽に、安定して使えるようになったらいいのになあ、
と思う。ただパソコンは、昔で言えば、筆記用具のようなところがある。(私には……)。昔、モ
ンブランだとかパーカーだとか、万年筆にこだわった時期がある。同じように、筆記用具とし
て、今、パソコンの使い勝手にこだわることがある。このところ、パソコンメーカーが、やっとそ
ういうことに気づき始めたようだ。よいことだ。(つまりパソコンは、電気製品でもなければ、事
務機器でもないということ!)

 今朝は朝から肌寒い、曇りの日。昨夜寝る前に、サツマイモと、牛乳を飲んだ。おいしかった
が、そのため、今朝は胃の調子がおかしい。やはり寝る前にはものを食べないほうがいいよう
だ。わかりきったことだが……。私の胃はじょうぶなのだが……。

 温暖化を警告する本を昨夜、読む。世界の雨林帯は、全面積の16%から6%にまで減少し
たそうだ。このままでは、酸素の供給そのものまであぶなくなるという。すべての生命が危機に
立たされる。ああああ、どうしたらいいのだ。一秒ごとに、世界中で1エーカーの緑が消失して
いるという話も載っていた。1エーカーというのは、約40アール。40アールというのは、4000
平方メートル。4000平方メートルというのは、約64メートル四方。約64メートル四方というの
は、約1200坪。……そういうことだ。ああああ、たいへんだあ。1秒ごとに1200坪だあ!

 きのうパソコンショップへ行ったとき、新しいパソコンが並んでいた。冬モデルだそうだ。NEC
のLAVIE LC500が、気に入った。女房に「誕生日のプレゼントにしてほしい」と言ったら、「あ
んたの誕生日プレゼントは、5年先まで先取りしているのよ」と言った。それで私は、「では6年
先の60歳の誕生日プレゼントということで買ってくれたらどう?」と聞いたら、「勝手にしなさい」
だって、さあ。「お前は夫の喜ぶ顔が見たくないのか?」と言ったら、「見飽きた」だってさあ。あ
ああ、我が家も熟年離婚か……? ここで女房を怒らせると、あぶない。静かにしていることに
した。

 今日の目標。新しい本の編集にとりかかる。実のところ、この作業が一番緊張する。楽しい。

 ところで本の出版を考えている人へ、

 (1)自費出版をするにしても、どこか出版社を通したほうがいいですよ。取次店に取り入らな
いと、全国の書店に並びません。(私は自費出版をしたことはありません。念のため。)
 (2)ISBNの登録ナンバーを必ず取得すること。これがないと、一人前の本として、扱われま
せん。
 (3)印税契約はしっかりと結ぶこと。遠慮してはいけませんよ。などなど、偉そうなことばかり
書いてすみません。私も死ぬまでに一度でいいから、100万部を超えるベストセラーを出して
みたい。不可能でしょうが……。 

 今日はこれから山荘へ行き、昨日買った電動チェンソーを試して使ってみる。今までガソリン
エンジンのを使っていたが、よく今まで無事だったと思う。チェンソーは、たいへん危険な道具
です。私も一、二度、おおけがをしそうな場面がありました。(太い木を切っていると、チェーン
が切れることがある。あるいは太い木を切っていると、チェーンソーのチェーンをはさんで、木
が自分のほうに倒れてくることがある。)電動は、その点、扱いやすい……? 先日友人のS
氏の電動チェーンソーを借りて、木を切ってみたが、おもしろいほどスイスイと切れた。それに
電動は軽い。

10・26
 夢というのは、おもしろい。自分でも、予想もつかないような夢を見る。自分の想像力に驚く
ほどだ。今朝は、起きる前、「ヘアー」の夢を見ていた。私が高校生で、高校の演劇舞台で、あ
のアクエリアスを歌っていた。 When the moon is in the seventh house……、と。結構じょうず
に歌っていたように思う。少しかすれた、ハスキーな声だった。なつかしかった。高校時代がな
つかしいのではなく、ヘアーがなつかしかった。私はあのミュージカルを学生時代、シドニーの
キングスクロスの劇場で見た。

 日本へ帰ってきてから、10年ほどたっていてからだと思うが、ヘアーを映画でも見たが、映
画のほうは、実に愚かな内容に仕上げられていた。意図的に、そうされたのかどうかは知らな
いが、実に低俗的。劇場でみたミュージカルとは、まったく異質のものだった。(映画のヘアー
をみて、ああ、これがヘアーかとは思わないほうがよい。)劇場のほうは、当時、ベトナム戦争
の真っ最中ということもあって、きわめてシリアスだった。観客も、皆、一緒に泣いていた!

 今、アメリカは、アフガンで戦争をしている。正義のための戦争だという。しかし、本当にそう
か? ニューヨークの貿易センタービルが破壊されたとき、世界は、世界の人々の良心は、ア
メリカに集まった。テロを憎む気持ちは、最高潮に達した。しかしアメリカがアフガンを攻撃す
ればするほど、その良心は日増しに色あせていった。悲しみを怒りにかえたとき、同時に良心
は通俗的な雑音の中で、にごり、醜くなっていく。テロを憎む心さえ、このところ色あせてきた。
もし広島、長崎に原爆が落とされたあとでも、日本にそれ相当の軍事力があったら、日本はア
メリカに報復攻撃をしかけていただろう。しかし日本にはその力がなかった。だから日本は、原
爆の悲惨さを、世界に訴え続けた。もし日本が報復していたら、さらにアメリカは原爆を落とし、
さらに核兵器を使い、日本を破壊し続けただろう。報復というのは、そういう意味なのだ。広
島、長崎の人が、平和的に、きわめて平和的に、核兵器の廃絶を訴え続けた。それが戦後、6
0年間という長い間、世界で、核兵器が実際に使われなかった、最大の理由ではないのか。そ
ういう日本という国の総理大臣が、そういう日本のwisdom(智慧)をかなぐり捨てて、アメリカ
に追従する。ふってわいたような正義論をふりかざして……? アメリカは、すでに強大すぎる
ほどの軍事国家になっている。恐ろしいほどの軍事国家である。日本なんか、アメリカの原潜
一隻分の核兵器で粉々に吹っ飛んでしまう。それは世界にとって、あまりにも危険なことではな
いのか。

 アメリカ人は、大統領から、モーテルの受けつけの女の子まで、「GOD」という言葉を日常的
に使う。お札にも、「WE TRUST IN GOD」と書き込んである。そういうアメリカ人に、「君た
ちの国はキリスト教国だ」というと、彼らは不思議とこう言う。「違う。アメリカ人は皆、自由だ。
信仰も自分たちの自由意志でしている」と。ここに大きな意識のズレがある。外の世界から見
ると、アメリカは完全なキリスト教国である。イランやイラクがモスリムの国であるように、だ。し
かし当の本人たちはそれを否定する……。が、問題はこのことではない。こういう意識のズレ
の中から、アメリカ人は、「自分たちこそ、絶対的な善である」という意識を増長させる。これが
こわい。事実、アメリカ人のほとんどは、自分たちが絶対的な善であると信じている。そしてそ
の返す刀で、アメリカに反抗するものは、まちがっていると断言する。それはある部分で、カル
ト的ですら、ある。しかしアメリカは本当に、絶対的な善なのか? アフガンのあの貧しい現状
(パキスタンですら、平均年収は日本円でたったの2万円!)を報道でかいまみると、この貧富
の差こそが、本当の問題ではないかと思われてくる。事実、私はアメリカへ行くたびに、「これ
が同じ地球上の国なのか」と驚くほど、アメリカ人は、今、豊かな生活をしている。……貧しい
国の人がそれを見たら、驚きをやがて怒りに変えるだろう。変えたところで、私は不思議に思
わない。

 こんなことがある。こういう公開日記で書くので、内容を少し変えるが、こういう話だ。

 今、ある特殊法人では、その入居者一人当たり、毎月30万円の一律の補助金が出る。しか
し実際には、経費をすべてさしひいても、10万円残るという。で、その法人には、約100名の
入居者がいる。つまり経営者は、毎月(毎月ですよ!)、それだけで1000万円の収入を得て
いる。しかし表では、貧乏を装い、ひたすら貯金、また貯金。夫は議員をし、妻がその法人の
理事長。……こういうのを見せつけられると、まじめに働くのがバカらしくなる。この世界、うまく
立ち回る人は、こうして蓄財をし、豊かになっていく。いや、バカらしくなるというより、怒れてく
る。この「怒り」こそが、貧しい国々が、豊かな国にもつ「怒り」そのものではないのか。私たち
日本人は、弱者の立場でものを考えるのが苦手。本来的にできない国民と言ってもよい。たと
えばそういう法人の不正義を見せつけられても、それを怒る前に、「あわよくば自分も……」と
考える。よい例が、受験だ。日本には特権階級と呼ばれる、法的に保護された人たちがいる。
おかしな世界だが、そういう「おかしさ」を怒る前に、「あわよくばうちの息子も……」と考える。
そういう考えがあるから、いつまでたっても、その「おかしさ」は解消されない。日本人が本来的
にもつズルサも、こういうところから生まれる。

 そうそう来年のNHKの大河ドラマは、とうとう「聖徳太子」だそうだ。日本の官僚制度の基本
をつくった人だ。日本という国は、江戸時代を除いて(江戸時代もそうだったという人もいる)、
平安時代の昔から官僚主義国家であることを忘れてはならない。まことに日本にふさわしい大
河ドラマだと私は思う。ちなみに、イギリスでは、王と戦った、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォ
レスのような人が、英雄になっている。オーストラリアでは、マッド・モーガンだ。日本にも由比
正雪のような人がいたが、国賊として、扱われている。この意識のズレこそがそのまま、欧米
の民主主義観と、日本の民主主義観の違いと言ってもよい。事実、日本が民主主義国家だと
思っているのは、日本人だけだ。もちろん歴史は歴史だから、冷静に見なければならない。し
かし過去の圧制暴君たちを必要以上に美化するのだけは、やめよう。そういうことをすればす
るほど、日本の民主主義は後退する。

 午後、昼休みの半時間ほどを利用して、「子どもが勉強から逃げるとき」を書く。

 午後、K中学校のT先生より、原稿転用の許可を求めてくる。喜んで応ずる。

 磐田市中部中学校区の講演会が決まる。校区のいくつかの小学校合同の講演会。磐田市
の中心部の学校。磐田市は浜松市の近郊都市として、ここ10年、みちがえるほど大きな都市
になった。

 昼に、女房と、回転寿司を食べに行く。私は六皿、女房が五皿食べた。

 午後、富士市のI先生より、サツマイモを一箱送ってもらう。量が多かったので、Kさんと、Oさ
んに、おすそ分けしたあと、夜、女房とふかして食べる。あちらのサツマイモは、まっ黄色。おい
しかった。

 それから古いパソコンだが、TOSHIBAの3010が修理からなおって帰ってくる。私の愛機
だ。モデムが新品に取り替えられていた。(うれしかった。さっそくドライバーを組み込んで、試
してみる。きわめて快調だ。) ……信じてもらえないかもしれませんが、私にとっては、パソコ
ンがまあ、何というか、「彼女」のようなものです。名前をつけて呼んでいます。TOSHIBAのパ
ソコンは、「敏子」。パナソニックのパソコンは、「花子」。シャープのパソコンは、「咲子」と。つい
でに告白しますが、パソコンショップにも名前をつけています。「コンプマート」は、「コム子」、ギ
ガズは、「ギガ子」と。だから女房には、こう言います。「しばらくギガ子に会っていないから、ギ
ガ子に会ってくる。花子の調子が悪いから」と。これは本当の話です。くだらない話ですが…
…。そうそうフジツーの「藤子」を忘れていました。みんな平等にかわいがってやらないと、調子
が悪くなりますので……。あああ、もう一人。NECの「シム子」がいました。ごめん!

10・25
 昨日、農林水産省に電話をして、「地下の食堂から牛肉を使ったメニューが消えた」ことにつ
いて、確認をしてみた。ありのままを書く。

 最初、大代表電話番号から、地下の食堂に電話を回してもらった。しかし電話口に出た女性
は、私が「牛肉は……」と言いかけたら、それだけで、突然、電話を切ってしまった。そこでもう
一度電話をかけ、「ことの真偽を確かめたいだけです」と言ったら、今度はその上司に電話が
回された。「そういう話は厚生課に聞いてくれ」と。そこで改めて厚生課に電話。電話口に出た
男性は、しつこく私の身分を聞いた。そこで私が、「食堂に牛肉料理があるかどうかを確かめ
るだけの電話です。そんなおおげさな話ではないでしょう!」と叱ると、こう話してくれた。

(1)食堂から牛肉料理が消えたという話は、デマ。ウソ。
(2)それを報道したのは、日刊現代で、それを真に受けて報道したのが、テレビ朝日。
(3)メニューは何も変わっていない。牛丼も、牛カレーもそのままある。ただ日替わりメニュー
は、毎日違うので、それに牛肉が使っていないとか、使っているとか言われても困る。

 そこで私は、「もしテレビ朝日がウソの報道をしたというのであれば、テレビ朝日に抗議しなけ
ればならない。あなたたちは、テレビ朝日に抗議したのか」と聞くと、「目下、抗議しているところ
だ」とのこと。そこでさらに私が、「こういう報道がなされたので、メニューをもとにもどしたので
はないのか」と聞くと、「そういうことはありません」とのこと。

 農林水産省に聞いた範囲では、テレビ朝日の報道がまちがっていたことになる。ただし、問
題の焦点は、「日替わりメニュー」のほうにあるようだ。歯切れの悪い返事をしていた。もっとも
日替わりメニューに牛肉が使われていないとしても、問題にすることはできない。担当の役人
が言うように、何を日替わりメニューにするかは、彼らの自由だ。

 女房にそのことを報告すると、「いいかげんねえ」と怒った。農林水産省もテレビ朝日も、両
方ともが、である。……以上、報告まで。


  狂牛病が、問題になっている。千葉県で狂牛病の疑いがある牛が発見されたのが、きっかけだが、これに対して、農林水産省が全国のすべての牛肉について、狂牛病検査を始めた(〇一年九月)。ここまでは評価できるが、……というより検査するのは当然のことだが、問題はこのあと、だ。都道府県別の一次検査の結果を公表すべきかどうかで、すったもんだの議論が始まった。当初は公表するという方向だったが、自民党の族議員の猛反発で、一次検査の結果は公表されないことになった。理由は「消費者に不要な不安を与えるから」(新聞報道)だそうだ。そこで農林水産省は、一次検査の公表をとりやめ、二次検査でクロとなった牛肉だけを公表することにした。しかも一次検査でクロとなった牛肉についてのみ、二次検査を実施とは……?

 その結果だが、一次検査でクロとなった牛肉も、二次検査ではすべてがシロ(?)とわかったという。そこで農林水産省はそれを受けて、さっそく「安全宣言」を出した。しかしこの検査のプロセスは、どう考えても基本的におかしい。おかしいことは、小学生でもわかる。私がこの話をすると、小学四年のH君はこう言った。

 「一次検査があやふやなものだというのなら、一次検査でシロとなった牛肉についても二次検査すべきだ」と。私はこういう意見を小学四年生の子どもが言ったことを喜んだ。

 そう、農林水産省のしたことは、おかしい。国民の健康を本気で考えているなら、次のように考えるべきだ。「一次検査でシロと出た牛肉について、念のためもう一度検査します。二次検査で安全をさらに確認してから、その牛肉を市場に出します」と。そうであれば、私にも話がわかる。が、農林水産省のとったプロセスは、国民のためという視点がどこにもない。ないばかりか、業者保護だけを考えている。こういうことばかりしているから、役人は国民に信用されない。もっと言えば、日本は世界から相手にされない。こんないいかげんな検査で、安全など確認できるわけがない。事実、農林水産省の役人自身が、それを認めていない。テレビ報道(一〇・二三)によれば、農林水産省の職員食堂から牛肉のメニューが消えたという(日刊現代、テレビ朝日、一〇月二四日)。そこでレポーターが理由を問いただすと、一人の職員がこう答えていた。「牛肉は安全だとわかっていますが、私たちは食べません」と。

 こんな手法で、農林水産省の役人たちは国民をだませるとでも思っているのだろうか。もしそうだとするなら、彼らこそ、本物のバカだ。もともと日本人は牛肉をあまり食べないからよいようなものの、私は改めて牛肉を食べないことを、ここに宣言する。人間の遺伝子そのものを狂わすような牛肉など、だれが食べるか!

(追記)狂牛病という恐ろしい、しかもわけのわからない病気が発生したのは、どこかで遺伝子そのものを狂わせたからではないか。その一つの可能性として考えられるのが、遺伝子の組替えによって生まれたバイオ食品である。あくまでも私が「そう思う」というだけのことだが、時期的には一致する(?)。人間はその叡智によって、すばらしい可能性を開拓するが、同時に暴走した科学が、人間そのものを滅ぼすこともありうる(?)。考えてみれば、これほど皮肉なことはない。

(Mr. IBM has translated as follows:)

  Mad cow disease has been a problem. Although it was a cause that the cow which has doubt of mad cow disease by Chiba Prefecture was discovered, the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries began mad-cow-disease inspection about all national beef (September, 01). A problem is next although it is natural to inspect rather than .... although it can evaluate so far. The argument of a big fuss started by whether the result of the primary inspection by all prefectures should be released. Although it was the direction of announcing officially, it is rebounding of the lobbyist-politician of the Liberal Democratic Party, and the result of primary inspection will be released at the beginning. "It is said" (newspaper report) that a reason is that it gives a consumer unnecessary uneasiness. Then, the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries canceled the official announcement of primary inspection, and decided to release only the beef which became suspiciou by secondary inspection. And only about the beef which became susupicios by primary inspection, it is enforcement about secondary inspection.... 

 As a result, all say but that the beef which became suspicious by primary inspection also turned out to be innnocent (?) by secondary inspection. Then, the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries issued "safe declaration" instantly in response to it. However, however it may consider the process of this inspection, it is fundamentally amusing. It turns out that it is amusing also by the schoolchild. When I did this talk, the H for elementary school four years said like this. 

 "If it says [ that primary inspection is uncertain and ], you should carry out secondary inspection also about the beef which became innocent by primary inspection." I was pleased with what the child of the fourth grader in an elementary school said such opinions for. 

 What right [ that ] and the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries did is amusing. If it is earnest and national health is considered, you should consider as follows. "It inspects once again by way of precaution about the beef which came out with innocent by primary inspection. After checking safety further by secondary inspection, the beef is taken out to a market." If that is right, I also understand the talk. The process which the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries took does not have a saying for people viewpoint anywhere. Only about [ that there is nothing ] and contractor protection is considered. Since only such things are done, a government official is not trusted by people. If it says more, Japan will not be made into a partner from the world. By such random inspection, it does not check in safety etc. In fact, the government official of the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries itself does not accept it. According to the television report (10-23), it is said that the menu of beef disappeared from the personnel dining-room of the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries (the daily publication present age, TV Asahi, months [ 10 ] 24). Then, when the reporter inquired the reason, the one personnel had answered like this. "Although it turns out that beef is safe, we do not eat." 

 Do the government officials of the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries think that they can deceive people but by such technique? Supposing that is right, they are just real silly people. From the first, since Japanese people seldom eat beef, I of that which is good declare not eating beef anew here. Who eats beef which drives man's gene itself mad? 

(Postscript) Didn't the fearful illness of mad cow disease which a reason moreover does not understand occur because it put the gene itself out of order by somewhere? The bioengineered food produced by recombination of a gene is considered as the one possibility. Although I am only the thing of "thinking so" to the last, it is temporally in agreement (?). Although man reclaims the wonderful possibility with the wisdom, the science which ran recklessly simultaneously can ruin man itself (?). If it considers, there is no this much ironical thing.

 

 今日は朝から曇り。今日も一日、がんばるぞ。ところで半導体の需要が、今年は35%も落ち
たそうだ。毎日パソコン雑誌を見ながら床につく私には、さみしい話だ。新製品情報を何よりも
楽しみにしているのに……。そう言えば、このところパソコンショップも元気がない。やや古い
形のパソコンを、投げ売りしているといった感じ。買い時は買い時だが、しかし一方、「これ以
上パソコンを買ってもしかたない」という状況。そろそろ古いパソコンを処分しようか……。

 IBMのパソコンがなぜ売れ行きを伸ばしているか……? 理由がわかったぞ。IBMは、一貫し
て、すべての機種でキータッチを統一している。キータッチというのは、一度、その機種に慣れ
ると、客は同じようなキータッチのものを求めるようになる。IBMの機種は、そのキータッチがど
れも同じ。つまりIBMは、一度つかまえた客を離さない。一方、日本のメーカーは、どれもめち
ゃくちゃ。同じシャープにしても、めちゃめちゃ。まったく統一性がない。だから一度シャープを
使っても、次にどれをするかで悩んでしまう。あるいは手元に二台、三台と置いたとき、使いに
くくてしかたない。かくして、この私も、そろそろ今度はIBMの機種にしようかと本気で考えてい
る。このあたりにアメリカの戦略があるようだ。さすが……と、最近、思い始めている。と、同時
に、10年先、20年先を考えると、日本のメーカーは敗退するだろうなと心配になる。日本のメ
ーカーがIBMに勝つためには、(1)キータッチをIBMに似せながら、統一すること。(2)その上
で、機能的に勝負すること、だ。

 幼児教育のポイントは、子どもを笑わせること。笑えば、心が解放される。そのためには、ワ
ーワーと大声を出させる。私の教室では、まずこのことを大切にする。言いたいことを言わさせ
る。何でもないようなことだが、それがこの時期の子どもの心を育てるのに、重要なことなの
だ。

Oct 24
 Whenever I hear Aussie country music, I remember those days when I was young and full of 
energy. In those days the sunshine shone more brightly and the greens around me shone 
also more brightly. I had nothing to fear and nothing could prevent me from going forward. I 
read some parts of "An hour before Day Light", written by Jimmy Carter. He is the man 
whom I can respect eevn he is the ex-President of USA. The book reminded me of those 
days when I was young. People would know the value of the younger days when they lose 
them. Wise men would realise the value before they lose them, and silly men like me would 
realize the value of them after they have lost them.

 Think and write, and then it would improve your knowledge and wisdom. This is very 
importnat for your life. After ten or twenty years you would know the differnce or you 
would know by yourself that you are different from other people. Wise men would know he is 
different from silly men, but silly men would not realise that he is different from wise men. 
The reason is very simple. From the higher place you would see the wider view of the world, 
but from the lower place you would not know the wider world. The wider, the more you 
would know the wisdom. So climb every mountain to see the wider world, and be wise to find 
more truth. It would broaden your world. This is exciting, isn't it? As for me I feel sometimes 
as if I were walking in the unknown desert while I am writing. It is a world of thrilling as well 
as the world of lonliness. But it is thrilling to walk forward to know what it is ahead of me. It 
is a kind of mental adventure in a vast land.

 It is Oct 24. I will be 54 years old very soon. I sometime think how long I can live more. Or 
sometimes I think how long I can write. I would write as long as I can think, but my brains 
would become worse and worse as I get older. This is what I fear. Some people become 
stupid when they get older, and others not. Which one of them is me?

 Yes, information and wisdom are different things. No matter how mush informations in your 
brains, it does not mean you are wise. It is more important to have wisdom. But to have 
more wisdom is very difficult, or very hard. It is lucky if you find a small wisdom, one single 
wisdom in a day while you are writing thousands of sentences. It is kind of jewel hidden 
under a huge rock. It is very find to find your own wisdom and it is more difficult to dig it out 
and polish it to be a thought or philosophy of your life. But I have to do it, for my life would 
become shorter and shorter day by day. I have to hurry up.
 
 Yes, it is a kind of waste of time to write a stupid thing. So I would not. Or would you?

Oct23
 子どもの学習机について書く。「学習環境」へ。

 It is raining now. In japan we have two rainy seasons. One is in June and another one is 
now. After each season we have summer and autumn. Now after each rainy day we have 
winter.

  狂牛病について。一次検査でクロだった牛を、二次検査でもう一度調べている。そして二次
検査でシロだったから、「安全だ」と、政府は言う。ならば、なぜ一次検査でシロだった牛につい
て、二次検査をしないのか? 一次検査でシロでも、二次検査でクロということも、ありうるの
だ。自分たちの都合のよいように、検査を誘導している? こういうズルイことばかりしている
から、国民は政府の言うことを信用しなくなる。現に今、週刊誌情報だが、狂牛病の疑いで入
院している女性だって現れた! 本当に国民の安全と健康を考えているなら、手法が逆ではな
いのか。「一次検査でシロとわかった牛でも、国民の健康を考えて、もう一度二次検査をしま
す」というのなら、話がわかる。それを一時検査の結果を公表すると、混乱が生ずるとか何と
かいって公表せず、一次検査でクロだった牛についてだけ二次検査をするというのは、論理的
に考えてもおかしい。それとも政府や役人たちは、論理学を学ばなかったとでもいうのか? 
一次検査で、クロの牛を見落とした可能性だってあるのだ。一次検査が信用できないものな
ら、すべての牛について二次検査すべきではないのか。

 私は「牛」をモ〜食べないぞ! だれが政府の言うことなど信用するか! 今の日本の政府
は、業者の保護ばかり考えている。目が国民のほうではなく、業者のほうに向いている。国民
は責任を追及しないが、業者は追及するからだ。それがこわい……? つまり「金儲けのため
なら、平気で正義をねじまげる」ということ。ああああ、この日本に正義など、あるのか? 昨夜
も女房がこう言った。「アフガンは、アメリカと戦争をしている。日本もかつてはアメリカと戦っ
た。本来ならアメリカは日本にとっては敵のハズ。日本がアフガンの味方をしてもおかしくない
のにね」と。なるほど! しかしもともと日本には正義などなかった。アメリカと戦争しながら、心
のどこかで自分たちはまちがったことをしていると思っていた。だからアメリカに原爆を落とされ
ても、だれも文句を言わなかった。もし日本に正義があったら、ゲリラ戦でも、何でもやって、最
後の最後までアメリカと戦っただろう。広島、長崎の復讐をしただろう。正義のない国はあわれ
なものだ。今の日本をみていると、それがわかる。もちろんこう書くからといって、私はタリバン
を支持しているわけではない。念のため……。

 そうそうたまたまテレビを見ていたら、こんなシーンが。何でも、農林水産省の職員食堂か
ら、牛肉のメニューが消えたという。テレビのレポーターが、「どうして牛肉を食堂から消したの
ですか」と聞いたら、一人の職員がこう答えていた。「牛肉は安全とわかっていますが、私たち
(農林水産省の役人)は(牛肉を)食べません」と(10・23・テレビ朝日)。
 全国の皆さん、一緒に笑いましょう! ハハハハハハ! こういうことをしているから、日本は
国民から相手にされなくなる。世界から相手にされなくなる! 日本はズルイね。日本人はズ
ルイね。悲しいけど、これは事実! ああああ、ハハハハ。

 もう一つ、深刻な話。先日も書いたが、日本の銀行がかかえる不良債権は、IMFの試算で
は、150兆円。(銀行側発表、80兆円)。日本の政府がかかえる借金が、もうそろそろ700兆
円。日本の一年間の税収が50兆円だから、これだけでも、年収500万円の人が、借金を  
7000万円かかえ、その一方で、自らの貯金1500万円を紙くずにしたと同じことになる。その
上、日本人は一生懸命稼いだお金で、アメリカのドルを買い、ドルの価値を買い支えている。
で、日本は外貨準備高だけは世界一。そこでそのドルを今度は、アジアやアフリカの貧しい
国々に貸し付けては、金利を稼いでいる! まあ、日本がいつの間にか、巨大なサラ金になっ
てしまった! が、これだけではない。いつの間にか、日本は旧ソ連型の公務員社会になって
しまった。よく政府は、「公務員の数は欧米と比べても、それほど多くはない」という。しかし政
府の言うことは、疑ってかかったほうがよい。100に一つも本当のことを言わない。日本には
国家、地方公務員のほか(国家と地方公務員の数は、欧米と変わらない。これは事実だが…
…)、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体などがある。これだ
けでも、日本人のうち、7〜8人が、公務員、もしくは準公務員ということになる。が、これだけで
はない。こうした公務員や準公務員の天下り先の受け皿機関となる、社団、財団、施設、セン
ター、協会、公益法人などなど。日本には無数にそういう組織があって、税金が垂れ流されて
いるばかりか、社会そのものを硬直化させている。こうした機関の職員は、相も変わらず、この
不況などどこ吹く風。こういうことばかりしていたら、日本は本当に破滅する。いや、もうとっくの
昔に破滅している。が、テレビでは、相も変わらずノー天気な番組ばかり流している。この日本
人の「のんきさ」は、一体、どこからくるのか?
 
 結局はそのツケは、国民、なかんずく、これからの子どもたちが払うことになる。こんなバカ
げた負債を、次世代に残して、私たちはいいのか? モ〜、私は知らないぞ!

 私の自衛策……生活を今のうちにできるだけ、コンパクトにする。(生活費などを切り
詰め、貧乏に耐えられる生活様式に、今のうちからしておく。収入の70%内で生活でき
るように、生活のあり方そのものを見直す。テレビは一つ、電話は一つ、車は一つなど、
「一つ運動」を徹底させる。)借金はしない。銀行からの借入金は減らす。あるいはなく
す。銀行から預金を引き出し、できるだけ現金化しておく。定期はすみやかに解約する。
毎月積み立てる定額保険は解約し、掛け捨て型の保険にする。無駄な出費はやめ、東
名などの高速道路を走ることがなければ、車は小さいのにする。軽自動車でじゅうぶん。
(借金はないので、順次、女房と話し合って、実行していきます。)……もっとも日本中が
こんなことをしたら、デフレスパイラルは加速するだけ。まあ、この文を読んだ人だけ、参
考にしてください。

 「だれか(国)が何とかしてくれるだろう」とか、「何とかなるだろう」。「この問題は私だけの問
題ではない。みんながそうだ」という甘い考え方をするのは、恐らく、この日本人だけ。危機意
識がまったくない。危機管理もできない。日本人独特の「甘えの社会」にどっぷりつかっている
と、皆さん、たいへんなことになりますよ! 日本人は昔から、「もちつもたれつ」の共同体意識
(ムラ意識)が本当に強い。強すぎる。今度ばかりは、それが裏目に出るようだ。皆さん、自分
のことは自分で守りましょう! 



10/22(Oct 22)
 It's cloudy and a bit cold this morning. I write this diary every moroning, when the day 
starts. So it is not adequate to call this note a "diary". Or better call this note a "plan for 
the day." As a matter of fact I have a lot of things to do this morning and do some jobs in 
the afternoon. I have to shift some amount of money from the bank for they say banks are 
in a critical condition and are being bankrupted soon. "Banks are bankrupted?" It is possible, 
isn't it? Akiko, my wife, often suggests me to go to Australia or New Zealnd to live for a 
while. I am taking her offer more serious. It is a good idea. I wrote a short article last night 
about "the Rythem of Children." Every mother or father has a rythem when she or he 
raises her or his child. This rythem dorminates the life itself. I am sorry that I can't explain it 
properly in English. (I will ask Mr. IBM to translate my article somewhere in this site.)

 It is a good Monday when I start my work. Let's start it and live forward! 

 リズム論で気づいたこと

 「勉強せよ」という言葉が、親子関係を破壊すると考えていた。しかしそれはそうではないこと
に気づいた。親が子どもに「勉強せよ」と言うことが、親子関係を破壊するのではなく、そういう
言葉を日常的に親が使うという、その環境が親子関係を破壊する。「勉強せよ」という言葉は、
あくまでもそういう環境から生まれた「症状」に過ぎない。こういうことだ。

 親のもつリズムが子どものリズムよりはやいと、何でもかんでも親は子どもを先へ先へとひっ
ぱろうとする。たとえばおけいこ塾でも何でも、親が勝手に決め、子どもをそこへ行かせるよう
になる。やめるときもそうだ。親は「子どものことは私が一番よく知っている」という過信のもと、
子どもの意思を確かめることをしない。こうして親子のリズムは狂い始めるが、そういう狂いの
中から、「勉強せよ」という言葉が親の口から出てくる。親子の間のリズムがあっていたら、親
はもっと子どもの意思を確かめるだろうし、少なくともこうした命令的な言葉は出てこない。たと
えば夫婦の間で、妻が夫に向って(その反対でもよいが……)、「もっと仕事をしろ」などと言う
ことがあるだろうか。もし言うとしたら、その夫婦は、かなり危機的な状態にあるとみてよい。つ
まり親が子どもに向って「勉強せよ」というときは、すでに親子のリズムは狂っているというこ
と。この狂いが、親子関係を破壊する。

 同じように、いつか私はどこかで、「親が子どもに勉強せよと言えば言うほど、子どもの心は
冷たくなる」と書いた。これも正しくないようだ。「勉強せよ」という言葉が子どもの心を冷たくす
るのではなく、追いつめられた子どもの心理が、子ども自らの心を冷たくしていく。そのときで
も、親子のリズムが合っていれば、子どもの心は親の愛に包まれることによって、自分の心を
いやすことができる。子どもの心が冷たくなるのは、そういう「いやし」がないからと考えるのが
正しい。

 このように私が説く「子育てリズム論」は、その奥が深い。まだまだ未知のことが多い。これか
らゆっくりと探索してみることにする。

 目次に「子育て論」を置く。三項目に分けたが、膨大な量なので、読み込みに時間がかかるか
もしれない。興味のある方は、どうかお読みください。よろしくお願いします。「子育て論」へ。
かなりよみごたえのある内容(自画自賛?)にしあがったと思う。

 ノーベル賞を受賞した化学者が、今朝、テレビでこう言っていた。「日本の教育が悪くなった
のは、教師の質が悪いからだ」と。しかしこれは誤解。しかも失礼! 日本の教育が悪くなった
のは、現場の先生たちがやる気をなくしたからだ。やる気が出る環境にない。創意工夫とはい
うが、そういうものを出せば出すほど、上から押さえられてしまう。かくして、どの先生も、「下へ
ならえ」ということになる。確かにその人は、ノーベル賞をとった人かもしれないが、私は「研究
バカ」という人を、何人か知っている。その道の権威(きわめて細分化された研究分野での研
究者)かもしれないが、このタイプの人には、世間知らずの人が多い。あまり軽率に教育を批
判してほしくない。ノーベル賞をとったとたん、他人の「能力の質」をうんぬんするのは、失礼と
いうものではないか。しかも「質が悪い」とは……! よく言うね! みんな一生懸命やっている
のです。やっても、なかなかうまくいかないのです。「賞」を手にしたとたん、傲慢になる人はいく
らでもいる。彼もその一人……? もし「質」をいうのなら、明日からでも、子どもたちの中に入
って、直接指導してみてごらんなさい! 頭の中で想像するほど、そうは簡単なことではないで
すよ。

 これから午前中は、いろいろすることがあるので、この続きはあとで……。

10/21(Oct 21)
 ファミリスのK氏より少し前、メールがあった。「ファミリスの記事が(まあまあ)好評」とのこと。
うれしかった。ファミリスには、辛口で、親には読むのもつらい内容かもしれないが、私の思い
のありったけを書いている。どうか、みなさんもファミリスを読んでほしい。「途中からは購読で
きない」と思い込んでいる人がいるかもしれないが、途中からでも購読できるとのこと。詳しくは
このサイトのトップページから、「ファミリス」のコーナーへ進んでほしい。どうかどうか、ご購読を
お願いします。

 I just came back from the mountain house where I had a good sleep, while Akiko was 
walking around and sometimes watching TV in the living room. We could feel the autumn 
everywhere and had a good smell of cidar tress, which made us really fresh. We discussed 
about the education in Japan, especially about the article I wrote for the monthly magazine,
"Familis". I wrote about old and conservative aspect of Japanese custom to rasie cbhildren 
at home. In Japan parents often say, "You are raised up by me." or "You were born by me.
", so "You have to thank me for yourself." But this is wrong. We have a baby because we 
want a baby. And then once you have a baby you have a duty to raise him up. This is what I 
wrote. I don't think many parents are against me and what I wrote. But we have to change 
this country. We have to do it. Otherwise Japan will remain as it is and we would be left 
alone behind the world. Please read my article in Familis, for which I thank you very much.
  
 It is a quiet night and I just enjoyed running with my dog. 

 昔、学生時代、「丹羽一彦」という男がいた。大学の同級生で、かつ同じ岐阜県出身の男とい
うことで、互いに行き来していた。まじめすぎるほど、まじめな男だった。彼は、五、六年前、くも
膜下出血で急死したが、円空の研究者としても知られていた。その丹羽君の本が原作となっ
て、今度、岐阜市で、円空の演劇がなされたという。私は残念ながらそれを見逃したが、今、そ
の演劇のことをぼんやりと空を見ながら考えている。円空のことではない。そこに丹羽君がま
だ生きているような気がしたからだ。私はいまだに彼の死を認めていない。私のよきライバル
だった。いつも議論ばかりしていた。ただ私と彼とは対照的で、「簡単でわかりやすい文章」を
書こうとする私。一方、「難解で、難しい単語を使おう」とする彼。たとえば「今日はいい日です
ね」というのを、丹羽君なら、そこにいろいろな哲学的な意味をこめて、「日常的な存在感の充
満した現実」と表現した。私が「君はどうしてもっとわかりやすく書かないのか」と聞くと、やさし
そうな顔をして、「ぼくにはこれしか書けないよ」と言っていた。興味のある人は、「ヤフー」で検
索してみると、彼のことがよくわかる。丹羽君、そのうちぼくもそちらの世界へ行くから、そのと
きはまた議論しような。ぼくは死ぬまで君の墓参りはしないよ。君が死んだのを認めていない
からね。(ぼくが先に死んでいたら、君だけはぼくの墓参りには来てほしくないと思うよ。ぼくは
君の前では、決して自分の死を認めたくないからね。)

 今日は近くの中学校で運動会をしている。女房が役をしているので、手伝わなければならな
い。では、またあとで。There is an athletic meeting today at the ground of the near-by high 
school and sometimes the noise of the meeting comes with the dump breeze to my house. 
In Japan and in atutumn season we have this sort of meetings almost everywhere where 
local people meet each other to promote mutual understandings and help. But one thing I 
hate is that they use a big loud speaker and play cheap music everytime they do something. 
Why do they need such music (or sound or noise)? It is very Japanese-like.

 Jim, Father of Denise sent me a mail. Last time I wrote about Denise and Soichi at the 
Double Tree Hotel. I said, those who disturb young men's love would hit himself and die with 
the corner of Tofu (a soft food like pudding). He said he laughed at the Tofu. It is true. 
Soichi boked the same hotel with us after the wedding reception. This was the mistake. No 
people want to see his or her parents-in-law on the course of their honey-moon trip. 
Denise was very unhappy. This is quite natural. To Denise, we understand you. We know you 
love Soichi more than we do. Go forward, and don't look back. We love you too.

 アメリカでは、どこの学校でも、週に一時間、図書館の時間というのをおき、子どもたちの読書
指導に、専門の教師があたっている。図書館を重要視している、一つのあらわれである。

 In USA, and in every school. there they have a class, called "Library", and every child has 
a lesson guided by a professional librarian once every week. In America as well as in 
European countiries, they put an importance on this kind of education, as Dianne told me so. 

 Today is Sunday. As for me Sunday is the day when I can write more. As for me to live 
means to think. And to think means to write. It is my hobby as well as jub to write things. I 
like writing and I really enjoy writing all the time. Nothing is more fun than writing. It is very 
thrilling to find something new in the ahead of me. It is like walking in an open desert where 
there is nothing. But I wish to know more about it while I am going forward. Then I ask 
myself if I am enough talented or not. Some people are talented and others are not. If I am 
not a talented person, most posiibly what I am doing now will end in vain. But if I am 
talented enough, I think I can find something. This is more important. So I will go forward. 
Sunday is the day when I think things a lot.

10・20
 今日は、午前中は、K小学校で、講演会。真剣にやる。いつも「これが最後だ」と思って、真剣
に話してはいるが、「今日こそは……」という思いはいつもある。何度やっても、後悔ばかり。今
まで一度だって、「今日はうまく話した」ということはなかった。ただ来年からは、講演会のほう
は、できるだけ断わろうかと思っている。大切な仕事だと思うが、いくらやっても、またやらなく
ても、「私」にとっては、同じような気がする。講演をしたからといって、「私」という中身が、それ
で進歩するわけでないし、「私」にとってもっと大切なことは、もっと「先」の世界を知ることなの
だ。そのために残された時間は少ない。中日新聞の連載が、中止になったとき、(私も予期し
ない突然の中止だったが)、自分のしてきたことが、つくづとく空しく感じた。「私は何のために、
だれのためにコラムを書いてきたのだろう」と。考えてみれば、この数年間、どこかザワザワし
た毎日だった。私はもっと静かな生活を大切にしたい。ときどき、もっと有名になりたいと心の
中に潜む「悪魔」がささやいたこともあるが、私はその悪魔に、すんでのところで心を奪われる
ところだった。しかしもう一度、自分を静かに取り戻そう。もっともっと「私」をみがき、思想を充
電しよう。結果なんてものは、どうでもいいのだ。懸命に生きてみて、それを世間が認めてくれ
ればそれでよし。認めてくれなくても、それもよし。それでいいのだ。私にとって世間というの
は、そういうものだし、もともとそういうものを気にするほうが、おかしいのだ。私は私だ。よきに
つけ、悪しきにつけ、私は私だ。では、これから講演会に行ってきます。私の経験を聞いてくだ
さる人に、懸命に話してきます。

 I have a lecture at Kaba Elementary school this morning. Akiko will send me off and after 
that she says she will go to a museum to see her favorite. Then we are to have a lunch 
somewehre in the city. Then probably we will go to the mountain house to relax. I have a 
lecture and I have had dozens of them this year. But sometimes I feel it is meaningless to 
do it, for I am Me whatever they say and whatever I talk.. The more important thing is to 
advance in myself to see what I can't see now. I have less and less time and time is more 
important for me. I don't care other people understand me or not. Becasue this is my life 
and I have only one life to live. I am not living for other people and I don't care how they 
think about me. I am always alone to walk in the desert of intelligence.

 I start reading the Bible Jim gave me. It is a huge book. I need ten years or more to read it 
 all but I have to try to do it. There are lots of wisdom and knowledge which will guide me 
to live. Thank you again, Jim and Dianne!

10/19
 In Japan we have a kind of "Class -reunion Party", unperiodically but nearly every 5-10
years. This year I received a invitation card from one of my old friends, but I have decided 
not to attend it. Some people have a good memories of his past, but others don't. As for me 
and as to my senior-high school days, I only had bad memories. There are none whom I'd 
like to meet, and I am afraid none wish to see me. I had a very poor school life in my home-
town.

 It is cloudy and cold. It was so cold last night and only the warmness of my wife in the bed 
made me warm. It is good for both of us to warm up each of us like that in cold nights. Akiko 
has talked a lot about Denise and Soichi. We wish them to be happy and have a good honey-
moon trip to Florida. Denise, I undestand you. We are sure you love Soichi more than Akiko 
does, which made us warm and happy. In case you need my help, please don(t hesitate to 
ask me to do. I am always ready to help you in any way. You are my daughter now. We love 
you!

 I am a strange man and do sometimes a strange thing.. Last night it was very cold or 
freezing, for I wore only one thin shirt. I was shivering, but can you believe if I say I ate a 
cup of ice cream before going to bed. Akiko said, "Why are you so silly to eat an ice cream?"
So do I think, too. I am a silly man. I put in this site some photos of Denise and Soichi's 
wedding party. Please click here if you are interested in them. WEDDING

 過去に無数の結婚式に顔を出してきたが、アメリカの結婚式は、実に質素。若い人たちが自
分でオーガナイズして、自分たちでする。全体でも10万円もかからないとのこと。本当に祝って
くれる人、祝いたい人だけを集めてするとのこと。教会での結婚式は、厳粛そのもの。当然で
すが……。すばらしい結婚式でした。新郎と新婦の飛び上がるようなうれしさを感じたとき、私
は思わず涙が出ました。

10・18
 高校の同窓会の案内をもらった。一月三日にそれがあるという。もう郷里を離れて、35年に
なる。郷里には、友人はいない。(会いたい人もいない?)世話人のM氏には会いたいが…
…。私に会いたがっている友人もいないだろう。私にとって高校時代というのは、自分史の中
からも消し去りたい三年間なのだ。いやな時代だった。いつも担任のT教師に、競争をけしか
けられ、もともとは理科系志望だったのに、無理やり文科系の大学に方向転換させられてしま
った。友もできなかった。毎日がただただゆううつだった。(私の性格に原因があるのか?)私
がつきあっていたのは、ほかの高校へ通っていた、M君やA君だった。前回、同窓会に出たと
き、「もう二度と、高校の同窓会には出ない」と心に誓った。そう、同窓会に出ると、一人いつも
私に皮肉くる男がいる。私は同窓会では、いつも小さくなっているが、そういう私に向って、「林
君、君だけは、出世すると思っていたがな」とか、「君だけは肩で風を切って、同窓会へ来ると
思っていたけどな」とか、など。何のうらみがあるか知らないが、「たいしたことないな」と言いた
いのだ。そういう連中は!  30歳の同窓会のときは、何でも、同窓会の案内が返送されてき
たらしく、それについて、皆が「君は行方不明だったよ」と笑った。案内書が返送されたのには
理由がある。私の同窓会名簿の住所が間違っていたのだ! 勝手に住所をまちがえておい
て、何てことを言うのだ! ……とそのときは思ったが、相手にしなかった。今回の住所もまち
がっていたが、今では、「I町、はやし浩司」だけで、手紙は届くようになった! この地域の古
株になって、30年だ。ハハハ。このI町だけで、人口は6万人。郷里の美濃市の2倍もあるの
だ。番地が違っていたら、手紙など、届くはずもない。そんなわけで、同窓会に出るのは、断わ
ることにした。……こう悪口を書く以上、高校の同窓会には、自分なりの結論を出したというこ
と。

 この年齢になると、一つずつ結論を出しながら、前に進む。またそうでないと、結局は、時間
を無駄にする。たとえば、「友情とは何か」と考えたとする。そうしたら、それについてしばらく考
え、自分なりの結論を出す。そしてあとはそれに従う。何度も同じことを考えているヒマはない。
そうでなくても、毎日、考えるべき新しいテーマこが、怒涛のように押し寄せてくる。

 「私の高校時代」を午後、一時間ほどをかけて、書く。

 「寛大」という言葉がある。しかし一方で、「無駄」という言葉もある。この年齢になると、寛大
にならなければという思いと、時間を無駄にしたくないという思いが複雑に交錯する。高校時代
の「私」に寛大になろうという思いと、「無駄なつきあいはしたくない」という思いが、やはり複雑
に交錯する。新しい友人をつくるよりも、今までの友人との交友を深めたいという気持ちのほう
が強くなる。私に残された時間は、あまりにも少ない。同窓会に出たところで、旧交を温めると
いうことは、ありえない。もともと旧交などというのは、ないのだから……。だいたいにおいて、
私の生き方を理解できる仲間など、あの世界に何人いるだろうか。三井物産をやめて、幼稚
園の教師になったとき、あの担任のT教師ですら、「お前だけはわけのわからない生活をしてい
るな」と、私をあざ笑った。きわめて日本的な、きわめて島国的な、きわめて田舎的な生き方だ
けが、あの町の生活の中には充満している。

 ウズベキスタンのMという青年に会ったが、はじめ、中国人かと思った。いや、最初は、「日本
人ですか?」と話しかけた。それくらいアジア人の顔に近かった。あのあたりは、チンギスハン
の時代から、アジア人が種族をつくって住んでいるとのこと。

 The world I saw in AR, USA is a kind of heaven. If there is a heaven I am sure it is like 
that. In Japan the heaven is the heaven where everything is white above the white clouds,  
but I hate this kind of heaven. I prefer the heaven where there are a lot of green and green 
trees everywhere and birds sing. The scene I saw in the Sates is the kind of heaven.

 肌寒い朝だ。まだ7時ごろかと思って起きたら、12時だった。昼の12時! 疲れが残ってい
たようだ。今日は午後から仕事。またいつも通りの生活が始まる。

 狂牛病が問題になっている。役人は、業界の利益ばかりを優先しようとする。官僚主義国家
ではよく見られる現象だ。圧力がより強烈なほうに、どうしても身が傾く。役人がいくら安全宣言
しても、私は肉を食べない。だれがそんな安全宣言など信用するか! 考えてみれば、国民に
信用されなくなったら、国もおしまい。兵隊には「国を守るために戦え」と号令をかけながら、自
分たちはイの一番に逃げる……。そんな政治家や官僚ばかり。このままでは、日本という国が
バラバラになってしまう。

 アメリカで福祉の仕事をしている女性が話してくれた。アメリカでは、自分からどんどんと新し
い提案をして、実行していくと、それにあわせて昇進するしくみができている、と。公的機関です
ら、そういうふうだそうだ。が、この日本では、何かにつけて権威が優先される。横並び意識も
そこから生まれる。「皆と同じことをしていれば安心」という、封建時代の亡霊もまだ残ってい
る。こういう中、日本の教育は沈滞した。それぞれの教師の創意工夫は頭から押さえつけられ
ている。もう20年も前のことだが、ある学校の1クラスの先生だけが、自分のクラスのために
教材を開発するようなことが禁止された。そのクラスだけがよくなれば、相対的にほかのクラス
が低下(?)するからというのが、その理由だった。こういうことばかりしているから、日本の教
育はレベルがさがる。アジアの中でも、教育レベルはもう最低に近い。文部科学省も、そろそ
ろそういうデータを正直に公表したらどうだろうか? 正直に! もっと学校の現場の先生たち
が教育しやすい環境を、私たちが用意してあげなければならない。なんでもかんでも、中央(東
京)からというしくみそのものが、おかしい!

 昨夜、女房と、近くのレストランへ食事に行った。そのときのこと。Y街道の通りの町並みが、
まさにバラックに見えた。雑然と、所狭しと並んだ町並み。道路までキリギリに作られた家また
家。日本人はおめでたいから、東南アジアの貧しい国々の住宅を見たりすると、「日本の町は
美しい」と思うかも知れない。(私もそうだった。)しかしアメリカから帰ってきて、改めてY街道を
見ると、正直言って、ぞっとする。「これが人間が住む環境か!」と。……しかしこれが私の国
なのだ。私とて、この国で生きていくしかないのだ。アメリカ人の目から見ると、日本の町並み
も、ベトナムの町並みも同じに見えるに違いない。区別などつかないだろう。つくはずもない。
みんなで力を合わせて、この日本をすばらしい国にしよう! もっともっとすばらしい国にしよ
う!

 It is a cloudy and cold morning today. I got up at nearly noon. I have slept over ten hours 
and I feel good. Everything seems to be the same as before but now in Japan "Mad Cow 
Disease" is disucussed a lot in the cabinet of Japanese government. Japanese 
goverenmental scheme is so burocratic and stuborn to move or to act. On the contrary 
the Japanese people are so obedient and zenophobia to the policy of the government. The 
same thing can be said about the Mad Cow Disease. I decide not to eat meat anymore until 
we know it is completely safe. 

 A lot has been reported on TV about anthrax in the States. More and more people have 
been exposed to it and the terror among US people is growing up. I hope not in AR and 
people whom I know. would exposed to it. Denise and Soichi, be careful!

10・17
 二男の結婚式も無事すみました。一枚写真を掲載しておきます。(「家族」をどうぞ。)

 I just hope these people in the State would read my diary in English version from today. It 
is a bit raining and cold with autumn mist. We feel happy for we can come back from the 
States safely. In Japan things have been reported rather badly and more Japanese have
become scared about terroism in the States, though as a amatter of fact, things are calm 
and peaceful in their every day life. We are happy for we can say "Good-by" to one of Mr. 
Responsibility. Denise and Soichi, be happy and go forward without looking back behind. Free 
as a bird in the sky! See what we can't see and let us know what you find. We love you more.

 今日は昼寝また昼寝。合計で、5時間は眠ったか? 飛行機の中というのは、なかなか眠ら
れない。寝ているようで寝ていないものだ。帰ってみると、いろいろな人からメールがたくさん入
っていた。毎日開いてみているときは、それほど、多くには感じないが、5日分もたまると、さす
がに「ギョッ」とする。

 Tさんから「学習内容が3割削減されることに、どう思うか」というのがありました。「削減せざ
るをえない」という現状が一方にあるのです。子どもたちの学力がものすごく低下しています。
低下していることは、夜の若者の番組を見ればわかりますよね。

 I asked Bob, a friend on Australia whether I should go or not to the States to attend the 
wedding reception of my son but he said "Go and enjoy the trip". He was right. I hated to 
regret afterward if we hadn't been there even if my wife and I were killed in some of the 
accidents casued by the terrorists. Anyway we are here back again and nothing happened 
to us. And the days will start from tomorrow as usual. This is the life!

 I bought a book in a bookshop in Houston Airport, named "An Hour before Daylight", 
written by Jimmy Carter. I read some of it and I enjoyed it. It is a good book, easy to read 
even for us. Now I have to start reading the Bible , a very thick book given by Mr. Jim 
Wilson, or I can't read them all until I die. It is so thick to read. I have just calculated how 
many days I need to read it. It has abt 1950 pages, which means it would take me abt 4000
days if I read it half page a day. More than 10 years! I have to hurry up. Thank you, Mr 
Wilson. I shall try to do it to open my eyes!

10・16
 「ええと、今日は16日だったけ?」というようなことを書かねばならない状態でした。たった
今、アメリカから帰ってきたところです。どこの空港でも、厳重な警戒態勢で、まあ、正直言って
怖かったです。こういうふうに無事帰ってきましたが……。(おかげで国際線はガラガラ。エコノ
ミークラスだったのですが、横になって眠ることができました。)

 Akiko and I have safely just come back from the Sates and two of us are fine. It has taken 
us abt 25 hours from Little Rock back to Hamamatsu. We have been exhausted but full of 
happiness as well. All airpors we took are under the highest alert condition and we were 
checked everytime when we passed the gates at the airports. Things are the same as 
before for Syuichi has successfully looked after our house.

 There are lots of things that I was impressed in the Sates, regarding the Wedding process 
and its way of carrying out the reception. One thing is that young people as well as the 
couple make their own wedding by themslves. And only those who wish theie happiness 
gather together to congratulate the future of the couple. They have no styles as we see 
everywhere in the States. It is good. Very good.

 In America there are no Americans but they are the people from all over the world. Some 
are Spanish and some are Chinese, too. They live in a big land called "AMERICA". So it is 
not true when we say that they are Americans as we say in Japan "we are Japanese.". 
Anyhow Akiko and I were very happy to see my son's bright similing face with Denise and I 
was also happy for I felt I could say "good-by" to Mr Responsibility to my son. Now they 
set out for their new life and will do things by themslves. What I can do is just to see them 
going their way , though of course I aam and will be always ready to help them in any way in 
case they need us. I am always with them as they believe God be with them.

 Back again in Japan I have Japanese food (lunch and dinner). I missed Japanese food 
though I satyed in Conway only a few days. Next time when I go there I shall bring some of 
Japanese noodle and some other stuff. Akiko agreed with me too. 

 成田空港では飛行機に乗るまで、3度も検査されました。アメリカで飛行機に乗るときは1回
だけ。……と書くと、アメリカ人は油断していると思う人がいるかもしれませんが、事実は逆。ま
ったくの逆。日本の成田の検査官は、どの人も、いかにも「私は検査しています」という、何とい
うかまったく緊張感のない検査。通りいっぺんの検査。が、アメリカの検査は、徹底していた。
カバンの中の薬の、その中にあったビンまであけて調べられた。だいたい目つきが違う。明ら
かに疑ってかかっているというか、何も見逃さないぞという姿勢。カバンのフチをずっと指で押
さえて、何か隠されていないかまでいちいち検査していた。そばにM16のカービン銃をもった
兵隊が2名立っていた! 緊張感がまったく(本当にまったく!)違っていた。つまり1回の検査
で、徹底的に調べようというもの。それに比べたら、正直言いますが、日本の検査なんか、甘
い。甘いの一言。まるで子どもだましの「ままごと検査」。あんな検査、3回やっても意味がな
い。パトロールしている係官は、成田にもヒューストン空港にもいたが、日本の係官のふやけた
(失礼!)というか、緊張感のない顔には驚いた。あやしい人をさがしだすというよりは、まさに
形だけのパトロール。適当にフラフラ歩いているだけといった感じ。一方、アメリカのほうは、臨
戦体制。よく「日本人は平和ボケしている」といわれますが、今度ばかりは、本当にそれを強く
感じました。日本の検査で仮に不審物が発見されたとしても、係官は「すみませんが、こちらへ
来てください」と言う程度? アメリカでは、ガチャガチャと銃口が向けられるといった感じ。走っ
て逃げれば、即その場で射殺されるといった感じ。こんなことでは日本は……? もっとも、ア
メリカでは、日本なんか、まったく相手にされていない。自衛隊がインド洋に出ているとか、いろ
いろお金を出しているとか、そういう話は、アメリカでは一切知らされていない。日系人の「ゆき
こさん」という女性と話したが、「日本の話など、まったく出てこない」とのこと。ただ「イチローが
日本のイメージをよくしたのは事実」と話してくれた。(何ともなさけない話ではないですか!)

 要するにこれは国民一人一人の意識の違いではないのか。成田の検査官にしても、上から
の命令で、決まった手順に従って、言われたことだけをしているだけ……といった感じ。問題意
識もなければ、なぜ検査をしているかという目的も考えていない。感ずるのは、お役人の「管轄
と権限」意識のみ。管轄内のことはするが、それ以上のことはしない。そんな検査。こんなこと
ではだめだ。日本はだめだ。ああああ。これもあれも、結局は教育が悪いのだ。「形」ばかりを
押しつけ、ワクからはみでることを許さない教育が悪いのだ。従順で、もの言わぬ子どもを「よ
し」とする日本の教育が悪いのだ。自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる教育をしてい
ないからだ。ああああ。私はもう知らないぞ!

 しかし疲れました。また明日書きます。おやすみなさい。(片道、ちょうど25時間でした。)

10・12
 昨日、名古屋市での会議のあと、部屋を出ると、若い女性が、一斉にキャーッ、ワーッと。「ま
さか」と思ったら、まさかだった。私に歓声をあげたのではなく、私の横にいた「藤井フミヤ」氏
に対してだった。正直言って、私、昨日まで、藤井氏を知らなかった。元チェッカーズの方だっ
たそうだ。失礼しました。私なんぞ、注目の「チ」の字もされませんでした。当然ですが……。

 またまたお金の話。日本の銀行がかかえる不良債権は、80兆円(日本政府)だそうだ。しか
しIMFの推定金額は、150兆円。昨日、六年生たちに、150兆円というお金がどういうお金な
のか、計算させてみた。150兆円を、人口1億人で割ると、一人当たり、150万円! というこ
とになる。家族が5人(我が家)だと、なんと、我が家だけで、750万円となる。つまり我が家に
750万円あるとしても、そのお金は、すでに紙くずとなっているのだ!

 この状態はアメリカも同じ。そこでまあ、何というか、日本とアメリカは一蓮托生。が、アメリカ
はアメリカで、何とか自分たちの債務を、日本に押し付けて、この難局を乗り越えようとしてい
る。わかりやすく言えば、そういうことだ。

 ジワジワと詰め寄る、恐慌の足音。しかし世間は、平気な顔をしている。失業者が5%という
が、10%をこえると、街に浮浪者が現われる。私は若いころ、外国を旅行したとき、それを知
った。「街の立つ浮浪者の数で、その国の失業者がわかる」と。街角に、5〜6人、浮浪者が立
つのは、10%前後。列をつくって並ぶのが20%だ。しかしこの不思議国日本では、どうもピン
とこない。どこかおかしい……、というより、不思議だ。もっとも私なんぞ、万年浮浪者だから、
偉そうなことがは言えないが……。いつも街角に立って、フラフラしている。

 このところ本屋で立ち読みしても、経済の雑誌ばかり。そんなわけで、結構、経済には詳しく
なった。あとは教育雑誌とパソコン雑誌。ときどきラジコンの雑誌や、ビ−パルなどの雑誌。も
ちろん週刊誌はかたっぱしから読む。(週刊誌は毎週、2〜3冊は買っている。)しかしやはり
今、目が話せないのは、「経済」。いつどういう形で、日本の経済に「破綻」がやってくるか知ら
ないが、恐らく「前兆」はないだろう。ある日、突然、青天の霹靂(へきれき)といった感じでやっ
てくる。私が予想する図式はこうだ。

(1)まず大手ゼネコンあたりの債務問題が一挙に表面化する。
(2)銀行による救済策があれこれ検討される。
(3)とたん、破綻、だ。取り付け騒ぎが起きて、国家経済はおしまい。
(4)銀行は政府命令で、一時閉鎖。あとは大混乱……。

 では、私たち一般庶民はどうするか? ここが問題だ。方法はいろいろあるが、要するに政
府をあてにせず、政府を信用せず、自分で自分を守るということ。10年ほど前、タイで、同じよ
うなことが起きたが、あのときタイでは、銀行そのものが倒産して、大半の庶民は、これまた大
半の預金を、なくしてしまった。(その翌年、私はタイへ行ってきたが……。)「政府が何とかして
くれるだろう」と考えるのが、一番いけない。甘い! 日本の政府には、その力はないし、そうい
った正義感はない。ないことは、今度の「狂牛病事件」をみればわかる。国民の健康より、一
部業者の利益ばかりを優先させている。一体、だれのための政府なのだろうか? ああああ、
これもあれも、そういう政府しかつくれない私たちが悪いのだ。バカなのだ。

 (以上、私というド素人の経済論だから、あまり本気にしないでください。)

 今は午前6時を少し回ったところ。おだやかなよい朝だ。GOOD MORNING!
 
10・11
 昨日は風の強い一日だった。午前中は雨もひどかった。長崎屋でクツを買った。ぼくはふだ
んは5000円以上のクツは買わない。どのクツも同じように使うため、つまり安いのも、高価な
のも、区別なくつかうため、自分で値段を設定している。そうすれば安心して使える。「これは安
いクツだからいいや」とか、「これは高いクツだからダメだ」とか、いちいちそういうふうに考える
のがめんどうだ。時計も、3000円以上のは買わないようにしている。すぐなくすし、気楽に使
いたいからだ。スーツも、シャツもそうだ。これが「はやし流、生活の作法」だ。(本当は貧乏…
…というより、あまりそういうことに神経をつかいたくない。)

 女房の友人に、ブランド志向の女性がいる。身のまわりの品を、ブランド品でかためている女
性だ。どれも私が聞くと、「バカナ!」と思うほど高価なもの。が、こう言って喜んでいるそうだ。
「34万円のルイビトンを、28万円で買えたわ」と。(もともと20万円の品ではないのか? 20
万円でも高価だが……! 私なら最新のパソコンを買うのにな!) 

 政府は、何十兆円というお金をバラまいているというが、そういうお金は一体どこに消えたの
か? (全国100万人の人に、100万円ずつ渡すと1兆円。1000万円ずつ渡すと、10兆円
ですぞ! 30兆円を銀行救済のために使ったということは、全国100万人の人に、3000万
円ずつ渡したことになるのですぞ! 全国の銀行員の数が、約2万人ということだから、なんと
銀行員一人当たり、15億円のお金を渡したことになるのですぞ!) しかしこの日本からは、
だれも不満の声をあげない。この不思議国、日本! ああああ、もう知らない! ……しかし、
これではいけない。行動を起こさなければいけない。ああああ、どうしたらいいのだ! このま
までは日本はめちゃめちゃになってしまう! (もう取り返しがつかないほど、めちゃめちゃだが
……。)

 皆さん、覚悟しよう! (1)遅かれ早かれ、日本の経済は破綻する。(本当はすでに破綻して
いる。今、一生懸命、ごまかしているだけ。)すべての銀行がある日突然、政府命令で「閉鎖」
される。ペイオフなんてものではない。すべての預貯金の出し入れが停止されるのだ。(2)猛
烈なインフレが日本を襲う。物価は一年のうちに、10〜20倍となる。(3)食料は高騰し、不足
する。(4)数年を経て、日本はアジアの中でも、ごく平均的な国になる。これはもう「予想」でも
「予言」でもない。私のような経済の素人にもわかる、「明日の現実」なのだ。

 今日も暗い話でごめん。どうもこのところ暗い話ばかりになる。

 きのう教室で、幼児(年長児)に、「ピカピカの一年生音頭」を教えた。恥ずかしがって踊らな
い子どもがいたので、こう言った。「君たち、童心に返って踊るのだ!」と。数人の親が参観に
きていたが、それを聞いて、親たちがゲラゲラと笑っていた。日ごろの私は、このように楽しい
男なのだ。

10・10
 勇ましい好戦論ばかりが、聞こえてくる。日ごろ「正義」など考えたこともない人までが、「タリ
バンを攻撃するのは当然だ」とか言う。日ごろ「自由」など考えたこともない人までが、「ビンラ
ディンをやっつけろ」とか言う。しかしもしあなたの息子が、どこかのカルト教団に洗脳されて、
アフガンの山の中にこもっているとしたら、あなたは一体、どういう気持ちになるだろうか。前ば
かりを見るのではなく、少しでもいいからうしろも見てほしい。

 中学生(1〜2年生)、5人と話し合う。「君たちが勉強する目的は何?」と聞くと、ほとんど全
員、「お金がほし〜い」と。「夢はないのか?」と聞くと、「どうせもっても、実現できないから…
…」と。さらに私が「何か目標がなければ勉強できないだろ」と言うと、「(テストの)合計点で15
0点が取れればいい」と。皆さん、これが現実だ。この現実をどう思う?

 「フランス語を勉強して、ルーブル博物館を見たい」
 「中国語を勉強して、トンコウを訪れてみたい」
 「スペイン語を勉強して、ワイン畑で働きたい」……と、まあ、そういうふうに考えるのが夢で
はないのか。が、この日本では、北海道から沖縄まで、英語。ほかに理科、社会、国語、数
学。ほかに選択肢はないのか? どうしてもっと選択肢を作ってあげないのか? オーストラリ
アでは、中学1年レベルで、外国語にしても、インドネシア語、フランス語、ドイツ語、日本語、
中国語の5ヶ国語が選択できるようになっている。こうした多様性をなぜ認めないのか。日本
の教育は、もう30年は遅れた。今、改革しても、その成果が出るのは、20年後。このままでは
50年は遅れる! もう知らないぞ! 私はもう知らないぞ!

 中学生が心配そうに私にこう聞いた。「先生、20年後は日本はどうなる?」と。私はこう言っ
た。「君たちを見ればわかるだろ」と。子どもたちはへんな顔をしちたので、さらにこう言った。
「日本の未来を決めるのは、君たちだから」と。すると一人の中学生がこう言った。「そうだよな
あ。ぼくたちがおとなになっても、ロクな国はできないよなあ」と。

 私もそう思う。残念だが……。5人の中学生は皆、こう言った。「働きたくないけど、お金はほ
しい」と。そこでまた私が「では、一億円手に入ったら、どうする?」と聞くと、K君がこう言った。
「毎日、そのお金を机の上に置いて、ながめている」と。

 これらの中学生が特別というわけではない。平均以上の、学校では、ある程度のリーダーシ
ップをとっている中学生たちである。が、それでもこの程度。皆さんは、あまりにも今の教育の
荒廃を知らなさすぎる。学級崩壊だけが「荒廃」ではないのだ。子どもたちの心もすでに荒廃し
ている。が、親たちは、成績でしか、子どもを判断しない。有名進学校へ入れば、それだけで、
人格や知識、ものの考え方もすぐれた子どもと錯覚する。しかしそれは誤解。まったくの誤解。
ああああ。本当に、ぼくはもう知らないぞ。ぼくには関係ない! ああああ。どうしてこのぼく
が、日本の心配をしなければならないのだ! どうしてこのぼくが日本の教育の心配をしなけ
ればならないのだ! できるなら、ぼくもこういうわずらわしさから解放されたい!
 ……と、グチをこぼしつつ、今日もまた、「教育」を考える。残された時間は少ない。日本のた
め、日本の将来のため、ぼくは戦う! 自分にムチ打って……!

10・9
 昨日、「筆まめ12」のバージョンアップ版を購入した。で、早速、「11」と入れ替えてみたが、
ほとんど、旧版と変わりなし。英語のアドレスができるようになったことを除けば、まあ、あまり
必要でない改良ばかり……。がっかり! しかし毎年、「筆まめ」を買っているが、(9、10,11
版ずべて)、これを手にするたびに、「ああ、正月だなあ」と思う。はじめて「9」を買ったときに
は、住所を100人分、入れたところで、それがパーになってしまったことがある。あのときは泣
きたかった。

 ボランティア活動というのがある。しかしあの活動は、「報われること」を考えていたら、できな
い。「やってあげた」「やってあげる」という意識があると、かえって自分を苦しめる。あくまでも
「無私」の気持ちでしなければならない。それができないなら、はじめからボランティア活動なん
か、しないことだ。いや、これは実のところ私自身のことだ。私は自分の経験やノウハウを、こ
うしてすべて公開している。いわばボランティア活動のようなものだ。こういうときふと、私の心
の中をこんな思いが横切る。「こんなサイトを作って、何になるのか(何の利益にもならない)」
「だれが読んでくれるのか(だれも読んでくれない)」「ノウハウの安売りをしてよいのか(お前は
お人よしだ)」とか。しかし一方で、「人生もあと少し」という感じが強い。今のところ健康だし、あ
と○十年は生きられるかもしれない。しかしそんな○十年など、あっという間に過ぎてしまうだろ
う。過去の○十年がそうだった。せっかくこの世に生きただから、少しでも、人間の社会をよくし
たい。そう、「人間」という視点でみると、「私」が消える。もっと言えば、「私」など、もうどうでもい
いのだ。「私」を捨てない限り、私は真の自由を手にすることはできない。

 週刊誌情報だが、またまた日本の総理大臣の英語力が笑われている。ブッシュ大統領の前
で、とんでもないことを言ったそうだ。前の首相のときもそうだったという。世界の人が日本をど
う見ているかという視点で、日本人も日本をもう少し神経質に見るべきではないのか。世間体
を気にしろというのではない。少なくとも「笑いもの」になるような代表は、世界に送るべきでは
ないということだ。日本人全体がそういう民族だと思われてしまう。(実際、そうかもしれないが
……。)

 少し前、アメリカ人の友人がこう言った。「日本ではこわくて車の運転ができない」と。道路の
すぐそばまで家が建っている。その話を聞いたとき、「どうしてこわいのかなあ」と思った。が、
アメリカ人の基準で見ると、やはりそうかもしれない。アメリカでは、道路の端から、数メートル
のところに、住宅を建てるなどということは考えられない。国道級の道になると、一車線の幅だ
けでも、日本のそれの二倍近くはある。それが片側三車線。中央分離帯だけでも、ゆうに三車
線分はあり、さらにその両側には、分離帯が左右に三車線分はある。日本の東名高速道路の
5倍はあるということだ。そういうアメリカから見ると、日本は確かに狭い。その話をすると、女
房はこう言った。「フィリッピンでは、電車が民家の軒先を削るように走っているわ。あれと同じ
ではないかしら」と。日本人から見ると、軒先を削るようにして走るフィリッピンの電車はこわ
い。同じようにアメリカ人から見ると、民家の軒先を削るようにして走る日本はこわい、と。ナル
ホド!

 それで思い出したが、外国から帰って、成田空港へ着くたびに、日本の街は「汚い」と思う。
その理由が、緑の少なさと、あの電柱と電線ではないか。日本人は日々の生活の中で慣れて
しまっているが、あの空をくもの巣のようにおおう電線は、本当に見苦しい。一度、そういう目
で、通りの空を皆さんも見てほしい。「自分の家の中さえよければそれでいい」という、日本人
独特のエゴイズムは、長く続いた封建時代の遺物といってもよい。それが今、こうした日本独
特の風景をつくった。(立派な城や建物を見て、自己満足する国民性も、やはり日本人独特の
ものと考えてよい。)日本人ほど、全体の景観に甘い国民は、そうはいない。もう30年も前だ
が、インド人の友人ですら、東京の青山の通りを見て、そう言った。

 昨日、あるところで待合をしていたときのこと。一人の青年が、こぜわしそうに、あちこちの新
聞を見たり、雑誌に目を通していた。その様子が、あまりにもこぜわしかったので、私は、最
初、「一体、この青年は、何かの記事をさがしているのか」と思った。しかしそうではなかった。
それが彼の読み方だった。私はその青年をしばらく観察してみた。で、気がついた。彼は「情
報」を手当たり次第に集めているだけ。何も考えていない。つまり頭の中はカラッポ。恐らく情
報の量だけはたくさんあるに違いない。しかし思考力はゼロ。

 情報と思考は別物。パスカルもこう言っている。「思考が人間の偉大さをなす」と。もの知りと
いうだけでは、決してその人の頭がよいということにはならない。人間は考えてはじめて人間な
のだ。

10・8
 とうとうアメリカ軍によるアフガニスタン攻撃が始まった!

 阪神大震災でも約5000人の人がなくなった。しかし相手が「自然」では報復もできない。が、
相手が「人間」だと、考え方も違うようだ。アメリカは、「正義」を盾に、報復攻撃を始めた。人間
の敵は人間か。人間は人間のすることだけは許せないようだ。せっかく世界中の良心が、アメ
リカのニューヨークに結集していたのに。テロを憎む心が結集していたのに。これでその良心
の何割かは、アメリカから離れた。一人でも民間人を殺せば、彼らのテロリズムは正当化され
てしまう。どうしてアメリカよ、それがわからない! 北部同盟がアフガンを制圧するとしても、
その北部同盟とタリバンがどれほど違うというのか。タリバンにしても、もともとはアメリカが育
てた政権というではないか。経済と政治だけで、タリバンをしめあげる方法だってある。もちろ
ん軍事力は、ニラミ(抑止)として使えばいい。時間はかかっても、そのほうが、効果的なのだ。
どうしてアメリカよ、「時間」という武器を使わないのか? 「良心」という武器を使わないのか?
 「世界の正義(良心)が味方だ」「最後通牒を渡して1週間過ぎた」。だから「戦争だ」というの
は、どうも話が性急すぎる。私はとてもついていけない。

 暗い話はもうやめよう。ここはニヒリズム。私のような人間がいくらほえても、どうしようもな
い。ただの犬の遠吠え。ワオーワオー。

 田丸先生から、新しい原稿が届く。興味のある方は、田丸先生まで。あとで田丸先生に返事
を書くつもりだが、今度の原稿は、「まさにその通り!」と、胸の中にストンと落ちた。気持ちよ
かった。みなさんもどうぞお読みください。

 昨夜新しい原稿をいくつか書きました。子育てに役立つ内容です。「子育て論文」のコーナー
までどうかおいでください。

10・7
 今日は日曜日。しかししなければならないことが、たくさんある。で、今日の日記はここまで。
また明日書きます。では……、ごめんなさい!

 そうそう今日は、犬のハナと遠州浜まで散歩に行ってきました。ほぼ半年ぶりではないかと思
います。気持ちよかったです。ハイ。

10・6
 今日、中日新聞のコラムで「最終回」のお知らせを出したら、電話やメールなど、合計で25
人くらいの人から、「残念です」という連絡をもらった(同日午後7時現在)。正直言って、私も残
念に思っている。まだまだ書き足りないことは、山ほどあるのに……。最後の最後で、このよう
な「反応」があるとは、思ってもみませんでした。今まで、ほとんどなかったのですが……。しか
しうれしかった。皆さん、声援、どうもありがとうございました!

 連絡をくださった皆さんへ、
 またどこかでコラムを書きますので、そのときはよろしくお願いします。それまで皆さんも、どう
かお元気で。またそのときは、どうかコラムをお読みください。それまでひたすら前向きに充電
しておきます。がんばりましょう! がんばります。がんばるしかないのです。

 女房は、こう言う。「皆が皆、考えることが好きというわけではないのよ」と。私が「ぼくはかえ
って考えていないと、頭の中が爆発しそうになる。考えて、それを文にして、はきだしたときはじ
めて、頭の中がスッキリする」と話したときのことだ。すると、女房はこう言った。「それはマラソ
ンのようなものではないかしら……?」と。つまり走ることが好きな人もいれば、そうでない人も
いるというのだ。ナルホド! ぼくはあまり走るのが好きではない。運動は毎日しているが、し
かし強制されるのはいやだ。いや、できるなら、その運動もやめたい。が、やめると体がなまっ
てしまう。だから否応ナシに、運動を続けているだけ。考えるということもそれと同じなのか?
 
 考えるということは、運動とは違うような気がする。いくら運動しても、未知の世界を歩くような
スリリングな気持ちは生まれてこないと思う。しかし私にとって考えることは、楽しい。新しい世
界が、見えてくる。それまで知らなかったことがわかる。それが楽しい。しかしこれは「私」とい
う、あくまでも個人的な楽しみなのだろうか。もう少しよく考えてみよう。この問題は……。

 他人のコラムもよく読むが、そのコラムは、次の二つに分けることができる。ひとつは、どこ
かでもう聞いたり読んだりしたような話の内容のコラム。もう一つは、オリジナルのコラムだ。前
者のようなコラムは、つまらない。書く人もつまらないのでは……? 後者のようなコラムはお
もしろい。実のところ、私は、自分でコラムを書くときは、前者のようなコラムは書きたくない。し
かたなしに、一つの常識的な話としては書くことはあるが、それはあくまでも例外だ。私はどこ
までも「はやし浩司」のオリジナルを大切にしたい。どこまでも……。

 アメリカの大使が、「Show the flag!」と日本に言った。今朝の新聞によれば、「立場を明
確にせよ」という意味だそうだ。が、日本の首相は早や合点。「日本の軍隊を出せ」と解釈し
た。そこで日本がしたことは、「おっかけ派遣」。頼まれもしないのに、自衛隊の艦船をインド洋
に派遣した。アメリカ軍は、かえって迷惑しているという。かえって足手まといだという(新聞報
道)。そういう雰囲気を日本の自衛隊も知っているだろうから、さぞかし居心地が悪いことだろ
う。インド洋のすみでウロウロしているのも、つらいことだろう。同情する。

 私も、この「ショーザフラッグ」という言い方は知らなかった。しかしもしそう言われたら、なぜ
日本の首相は、その場で相手の真意を確かめなかったのか。日本の首相にはその程度の語
学力もなかったのか。何ともお粗末な話ではないか。こういうことばかりしているから、いつまで
たっても、日本はバカにされる。(バカにされていることすら気づいていない。)ああああ、もう知
らないぞ。

 藤村新一の話(昨日の続き)。夕刊の記事によれば、捏造(ねつぞう)個所は、40箇所にも
のぼるそうだ。やりにやったものだ。で、考える。もうこうなると、「捏造」というものではなく、「病
気」ではないか、と。さらにこう考える。これは「詐欺」ではないか、と。当の本人は、病気を理由
に、病院へ逃げ込んでいるとのこと。さらについ先日まで、「捏造は一箇所だけです」と、ウソに
ウソを重ねていた……! 日本の考古学は、彼一人で、地に落ちた! 韓国の人たちは、笑
っているという。「日本がそんな古いわけないよね」と。藤木を詐欺罪で起訴できないのか? 
窃盗や強盗をすれば、即逮捕だが、藤木のした行為は、それよりもはるかに重罪である。検
察庁も当然動いているのだろうが、それにしても、動きがのろい!

 今朝で「子どもの世界」は終わり。愛読してくださった皆さん、長い間、ありがとうございまし
た。これからも書きますので、またどこかで読んでください。それまでまた充電しておきます。私
のほうは、今は、サバサバした気分です。今度は、本業の「本」です。

 今日の予定……「ファミリス」の原稿をチェックする。メールの返事をまとめて書く。午後から、
山荘へ行く。またまた草刈。それから帰りにNパソコンショップでソフトを一つ買う。女房がその
あと、買い物に行くというので、つきあう。「白いクツがほしい」とのこと。土日はできるだけ人に
は会わないようにしている。週日は、毎日、何十人(子どもも含めて)会っているので、せめて
週末は人に会わないで、のんびりとしたい。(これは本音!)

10・5
 わかりきったことだが、子どもの学力を伸ばすには、子どもを楽しませるのが一番よい。(高
学年から、中高校生は、また別の方法を使うが……。)子どもというのは、自分で伸びようとす
るときは、そうでないときの数百倍は伸びる。これもわかりきったことだ。しかししぼりすぎると、
子どもがいやがる。一方、ゆるめすぎると、親の評判が悪くなる。このかけひきが、家庭学習
のキーポイントだ。……それにもう一つ。自分で伸びようとしている子どもは、指導が楽。一
方、そうでない子どもはむずかしい。フリ勉がうまくなる。時間ツブシや、時間殺しがうまくなる。
何となくまじっぽい雰囲気で勉強するが、量的にはほとんどしていない。一度、こういうから回り
状態になると、時間ばかりかかって、効果はほとんどない。

 名古屋のいとこと、その息子氏が、中日新聞の切り抜きを送ってくれる。興味のある人は、
「ニュース」を見てほしい。一行だけだが、私の名前が載っていた!

 今日は「虐待」についての原稿を半分、まとめた。この問題についても、自分なりに結論を出
しておかねばならない。

 アメリカへ行くべきだとは思うが、しかしあまりにも時期が悪い。そこで私は考える。もし私が
テロリストならどう考えるか、と。飛行機を爆破するのが、世界を震撼させるには、もっとも効果
的(失礼)だ。そのとき、テロリストが最初から死ぬ覚悟なら、方法はいくらでもある。時限式の
爆弾をバッグにつめて自分で飛行機に乗り込めばよい。あるいは細菌兵器とかだったら、電
車か船の中でばらまけばいい。言い換えると、この時期、交通機関がもっともねらわれやす
い。言い換えると、この時期、交通機関を利用するのは、ひかえたほうがよい。しかし……。午
後に旅行社の人と電話でしばらく話す。いわく、「今は落ち着いていますよ」とのこと。本当かな
あ。安心してよいのかなあ。信用してよいのかなあ。不安でならない。仮に無事、アメリカへ着
いても、ことのなりゆき次第で、どうなるかわからない。ヨーロッパへ行った人などは、突然のス
イスエアーの倒産で、飛行場で足止めをくらってしまったというではないか。そういうことになり
やしないか。今度の火曜日までに結論を出すつもり。女房も、「時期が悪いわねえ……」と顔を
しかめるばかり。あああ、どうしたらいいのだ!

 明日は久しぶりの休み。予定は何もない。好きなことをしようと思うが、したいこともない。そ
こが問題だ。昼から山荘へ行くつもりだ。明日も草刈をしよう。皆は草刈というと、いやがるよう
だが、私には楽しい。バッサバッサと草刈機で身の丈もあるほどの草を切り倒すのは、爽快な
のだ。汗も気持ちよい。しかし何よりも気持ちよいのは、草を刈ったあとの様子だ。何という
か、心の中までスッキリとする。

 昨日は、パソコンにさわるのも、いやだった。おとといの「NIMDA」事件があったからだ。結
局、何ごともなかったし、NIMDAには汚染されていなかった。しかし本当に肝を冷やした。い
や、何よりも冷やしたのは、もし私のこのパソコンが汚染されているとすると、私のホームペー
ジを開いてくださった人に、どのようにおわびをしなければならないかということだった。そこで
私はまた考えてしまった……。

 狂牛病について。恐らく今回、偶然に見つかった「狂牛」は、氷山の一角だろう。農家の人た
ちの考え方を、私は知っているが、もし自分の家から狂牛が出たら、ほとんどの農家の人は、
それを隠すにちがいない。あるいはひっそりと殺して、それを知らぬ顔をして、マーケットに出
すに違いない。日本人というのは、封建時代の昔から、そういう国民性を徹底的に叩き込まれ
ている。正直に言って、波風をたてるよりは、静かに黙っていたほうが得ということをよく知って
いる。……とまあ、他人の批判は自由にできる。しかしいざ、自分のこととなると、それを正直
に言うのは、確かに勇気がいる。私はおととい、NIMDAに汚染されたと思い込んだとき、それ
に苦しんだ。一時的であるにせよ、このサイトを閉めることも考えた。

 同じような事件だが、藤村新一という男による、発掘物捏造(ねつぞう)事件がある。あの男
は、なんと、30箇所以上のところで、発掘物の捏造をしていたという(今朝の朝刊)。恐ろしい
男だ。そこでまたハタと考える。私の場合、いつかもし、(絶対にそういうことはありえないが…
…)、誰かの書いた文なり、アイデアを盗んでものを書いたら、それで私の「もの書き」としての
生命は終わると考えている。それは当然だ。しかしもしそうなら、「代筆で本を書いてもらってい
る人はどうか」という問題が残る。ああいう人たちは、そういう良心がないのだろうか。文と家は
同じなのだろうか(10・1の日記より)。

 実のところ、数年前も、「本を書いてくれ」と頼まれたことがある。一時は、「書きましょう」と承
諾したが、いざ書く時になって、書けなくなってしまった。理由は簡単だ。私の書いた文には、ど
うしても私の思想が混入してしまう。ということは、その本が発表されたあと、私が同じようなこ
とを書いたら、それは盗作ということになってしまう。まさか、「あれは私の書いた本です」と逃
げるわけにはいかない。今度は相手の名誉の問題がからんでくる。……などなど。だから少し
書き始めたところで、結局は断わらざるをえなかった。

 昨日夜、女房と、アメリカへ行くことを話し合う。昨日もイスラエルの飛行機が何らかの理由で
墜落したところだ。ロシアのミサイルが当たったというニュースが今朝の朝刊に出ていたが、本
当のことはこれからわかるだろう。こういう時期にアメリカへ行くのは、勇気がいるというより、
自殺行為に近い。もし乗客が死ぬ覚悟で、爆弾(プラスチック爆弾のようなもの)を、バッグ(手
荷物でないバッグ)に入れて飛行機に乗ったら、防ぎようがない。当の本人も死ぬつもりでいる
のだから……。アメリカ軍が攻撃をしかけたら、全世界で、この種の爆発テロが、続発するに
違いない。あるいは飛行機の中で、炭素菌なり化学薬品をばらまかれるかもしれない。もっと
こわいのは、スイスエアーのように、飛行機会社そのものが、いつ倒産するかわからないという
こと。もしそうなれば、行くのは何とか行っても、帰ってこられないかもしれない。さあどうする…
…?
 命がけでも行くべきなのか。それとも、あきらめるべきなのか?

 狂牛事件は、恐ろしい事件だ。たんぱく質の変形そのものが原因なので、焼いても加工して
も、その害は確実に人間に及ぶ。しかも潜伏期間が10年!とも言われている。昨日の夜、農
林大臣の意見をテレビで見ていたが、あの大臣というのは、国民の味方ではなく、業者の味方
なのだ。それがよくわかった。業者や官僚の言うことだけを繰り返し、「危険ではありません」
「100%安全とは言えませんが、危険ではないので、食べてもだいじょうぶです」と。まあ、こう
いうアホな政治家ばかりがいるような国は、滅ぶね。私たちは、「安全です」という言葉を聞き
たいのだ。100%安全でないなら、そういうものを売るな! 私は牛肉を食べないぞ。今までも
ほとんど食べていないが、これからはもっと食べないぞ。同じ日本人でありながら、私はどうし
ても日本人が信用できない。小ズルイ国民だ。日本人は、本当に小ズルイ国民だ。お金を稼ぐ
ためなら、平気で正義を捻じ曲げる。悲しいが、これは事実だ。

10・4
 昨日、私の手違いで、話せば長くなるが、マイドキュメントの文書の一つを、どこかへ見失っ
てしまった。よくあることだ。が、それからがたいへん。もう一度、マイドキュメントを開くと、先ほ
ど開いた文書が、「”$xxxx」に変わってしまっているではないか! ほかの文書も開いてみる
と、皆、変わってしまう……! さあ、たいへん! 私は今はやりの、NIMDAに汚染されたと、
勘違い! 悪戦苦闘を真夜中まで繰りかえした。悪戦苦闘というのは、NIMDAのワクチンを再
びダウンロードしたり、検疫したり……!!! ……が、異常は発見されず。ノートンの検疫を
数度試してみたが、やはり異常なし!
 で、先ほどMS社に電話をしたら、「何でもない、正常な動きです」と。つまりマイドキュメントの
文書を開くと、その裏で勝手にバックアップをとるため、ワードが働くとのこと! 本当に肝を冷
やした。「ほかのパソコンではこういうことはありませんが……」と話すと、「表示しない設定にな
っているはずです……」とのこと。ナーンダ!

 しかしよい勉強になりました。このパソコンは、HP専用にしよう。インターネットで、どこかの
HPを開くときは、もう一台のパソコンにしよう……と、改めて決心した。ウィルス防止のために
は、パソコンを使い分けるのが一番なのです。このパソコンは、HPと、ワードのみ。決めたぞ!
……ということは、これからもこのHPは、ウィルスに対して、細心の注意を払いますので、どう
か、皆さん、ご安心ください。

 今日は昨日とは一転(昨日は湿度23%前後の、乾燥気候)、今朝からどんよりと曇った、つ
まり湿った感じの日だ。涼しいが、どこかすっきりしない。

10・3
 今朝の気温は、めちゃめちゃだった。昨夜11時ごろ床に入ったころは寒くて、ふとんをかぶ
って寝たのに、夜中に暑くなって、そのふとんをはいで眠った。そして朝になって、また寒くなっ
て、ふとんをかぶった。気温がそれだけ変化したのかな……?

 昨日の続き……。アメリカは軍事国家(軍事産業国家)だから、戦争しなければならない。戦
争がなければ、国が成り立たない。一方、日本は、日本という国家そのものが、巨大なサラ金
国家。あまり価値のないアメリカのドルをセッコラセッコラと買い支えて(=アメリカにお金を貸
して)、ドルをためこんでいる。そしてそのドルを、東南アジアなどの貧しい国々に高利で貸し
て、お金をもうけている。昨日、私が中学生たちに、「日本はサラ金国家だよ」と話すと、皆、驚
いていた。そこで私はこう言った。「君たちのように、たいして勉強もせず、たいして苦労をしな
い子どもたちでも、いい生活ができるのは、どうしてだと思う? それはね、日本がサラ金で、
もうけているからだよ」と。すると、皆、「なるほど〜」と納得していた。しかしこういう経済構造な
ど、遅かれ早かれ、崩壊する。

 では、日本に活力をもどすためには、どうするか? まず教育を自由化する。基礎的なアカ
デミックな教育は学校でする。しかし実用的な科目(英会話、パソコンなど)、実技的な科目(水
泳、体操など)は、民間教育施設に任す。つまり学校は午後1〜3時に終わり、あとは子どもた
ちは「塾」へ通えばよい。(日本には塾アレルギーがあるが、塾という言葉がだめなら、欧米の
ようにクラブという言葉を使えばよい。)ドイツでは、学校の中にもクラブをつくり、学校の教師
がそのまま指導にあたっている。月謝も1000円程度。国から毎月230ドイツマルク(約150
00円)の補助が、一人ずつの子どもに支払われている。子どもたちはこの「スクールマネー」
で、クラブに通っている。「教育」と「指導」を分ければよい。わかりやすいし、民活を導入するこ
とによって、質の高い教育ができる。

 こうして多様な未来に適応できる子どもたちを育てる。今のような金太郎飴生産工場のような
教育では、こうした多様な社会に適応できる子どもを育てることはできない。皆、公務員になり
たがるだけだ。そうなればなったで、日本はおしまい! 

 それともう一つ。この日本では、許認可だの、資格だのが多すぎる。官僚主義国家の弊害だ
が、その分だけ、官僚組織が巨大化する。そして日本の社会をがんじがらめに縛り上げる。つ
まり融通のきかない社会になってしまった。小回りできないし、改革もできない。一方、人々
は、自分のことはするが、それ以外のことはしないというように、小さく小さくまとまるようになっ
てしまった。野性的な「生きる力」を喪失してしまった。一見、平和でのどかな社会に見えるが、
一歩、日本の外に出てみると、日本のこうした常識は通用しない。子どもたちにしてもそうだ。
環境ホルモンで汚染されたような子どもばかりになってしまった。たくましく、激しく自己主張を
する子どもなど、もうさがさなければいないほどだ。男児にしても、まるでキバを抜かれ、去勢さ
れた家畜のようにおとなしい。こんなことでいいのか? 幼児教育にしても、「教育」「教育」とい
いながら、その実していることは、子どものキバ抜き。おしりもふけないような子どもが、スーツ
を着て、言われるままおとなしくバイオリンを弾いている……。そんな姿に象徴されるのが今の
幼児教育ではないのか?

 もう私は知らないぞ! 言うべきことは言ったし、やるべきことはやった。私の近所の、元公
務員の人たちは、皆、優雅な年金生活をしている。どの人も30〜35万円(月額)を受け取って
いる。それぞれの公務員の人に責任があるわけではないが、そういう人たちで、この23年間、
近所のゴミ拾いをしている人を、見たことがない。(それくらい世間の仕事はしないというこ
と!) ゴミを拾っているのは、私だけ。ときどき草を刈っているのは、二軒隣のHさん(民間企
業現在勤務中)だけ。こういう現実を毎日見せ付けられていると、自分のしていることが、つく
づくとバカらしくなる。日本で愛国心というと、「愛官心」のこと? 官僚の人たちにはこの日本
は確かに住みやすい国だ。そういう官僚を守るために愛国心という言葉が利用されるようで
は、困る。女房がまた言った。「どうしてあんたが日本の心配をしているの?」と。「日本の心配
もいいけど、来月の家計も心配してね」と。で、私は苦し紛れにこう答えた。「日本の心配をする
のは、ぼくの趣味だ」と。……しかし本音を言えば、こんな趣味、少しも楽しくない。ぼくももう少
しずるい人間になって、ぼくのもつ力を、「金儲け」に使いたい。そうすれば、もう少し優雅な生
活ができるかも……。もっとも優雅な生活には興味はないが……。

 昨夜、女房とふとんの中で話し合った。「明日(今日のこと)から、新しい本を出すために、久
しぶりに動いてみる」と。そう、今日から、新しい本を出すために動くことにした。まずは、原稿
の見本づくり。来週早々には、それをあちこちの出版社に送るつもり。今は不景気で、動きが
鈍いが、やってみよう! やるしかない。日本のためだ。日本の子どもたちのためだ。

10・2
 ますます日本の景気が冷え込んでいる。それもそのはすだ。わかりやすく言えば、日本の借
金だけが、雪だるま式にふくれあがっている。バブル崩壊時に、同時に、日本は借金を清算し
ておくべきだった。それはちょうど個人の借金に似ている。私の知人なんか、最初はわずか70
0万円の借金だった。しかしどういうわけか、2年後には、1億5000万円にまでふくれあがって
いた。あちこちのサラ金をたらい回しされるうちにそうなった。で、最後は結局は自己破産! 
もし借金が700万円のうちにしっかりと手を打っておけば、そういうことにはならなかった。日
本の経済もそうだ。バブル経済崩壊直後に、はやく手を打っておけば、こんなことにはならなか
った。まだ民間には活力が残っていた。体力があった。しかし今は、もうない。ないときに、不
景気だがら、体がもつはずがない。肺炎で数ヶ月も寝込んだあとのような状態だ。ああ、もうだ
めだ!

 来年4月からペイオフが実施される。私も先日、定期の約半分を解約してきた。1000万円
まで保証されるとはいうが、こんな金利の安い状態で、定期にしておいても意味がない。100
万円を一年間預けても、金利はたったの200円……? それからさらに税金が引かれて、手
取りは、160円くらい……? 笑ってしまうね。ホント! それをわざわざ50円の切手をはっ
て、コンピュータ処理した書類で報告してくるのだから……。S銀行は心配ないとは言うが、しか
し私は信用していない。あああ、私は老後をどうすればいいのだ!

 日本は、こういうことを繰り返しながら、アジアでも、ごくふつうの、平均的な国になる。もうそ
れはまちがいのない事実のようだ。「日本は技術立国だ」と思っている人は多いが、それはもう
過去の話。「日本の教育は世界でも最高水準にある」という話にいたっては、もう幻想でしかな
い。どこかの定年退職者が、過去の肩書きや地位にしがみついて生きているように、これから
の日本も、過去の栄光にしがみついて生きるのか? どれもこれも、結局はおそまつな政治が
原因だが、その政治家を選んだのは、ほかならない私たちなのだ。昨夜も田中角栄の演説映
像(テレビ)が紹介されていたが、あの程度の人が総理大臣だったかと思うとぞっとする。い
や、もっとぞっとしたのは、そういう政治家を今の若い人が見ながら、おもしろいとか、かっこい
いとか、そういう評価をしていることだ。日本の政治も、そして文化も(?)、そういうレベルで動
いている! 

 どうも暗い話ばかりになる。いけないことだ。朝なのだから、もっと楽しい話をしなければなら
ない。

 年中児の子どもに、「君たちはオッパイが好きか?」と聞いたら、恥ずかしそうに、「ううん」と
言った。そこで私は、「正直に言え。好きだったら、好きと言え」と叱ったら、「うん、好きだよ」
と。そしたら一人の子どもが、「先生は、好きか?」と。そこでぼくは言った。「もちろん、好きだ」
と。そしてら皆、うれしそうな顔をしていた。男の子も女の子も……。正直に生きるということ
は、大切なことだが、この世界ではむずかしいようだ。……こういうバカな話なら、いくらでも書
けるが……。

10・1
 今日から10月。今朝は朝からはげしい雨。私の場合、雨の日は、どうも気分が重い。スッキ
リしない。昨夜は、愛知万博の名古屋市展示物の意見書をまとめる。そのせいか、今朝も、頭
が停止状態。私は低血圧なのだ。頭が動き出すまでには、時間がかかる。

 昨夜、三男と電話で話す。元気そうだ。二男には悪いが、結婚式への出席をとりやめてもら
った。こういう時期だから飛行機に乗るのは、ひかえたい。実のところ、私も、決死の覚悟なの
だ。こういう事件がなくても、飛行機恐怖症。三男まで飛行機に乗るとなると、私の精神状態が
もつかどうかわからない。あの飛行機のこわさは、飛行機事故に遭遇したものでないと、わか
るまい。私のケースでも、あと数秒、機長の判断が遅れていたら、確実に死んでいた。今もこう
して文を書くということはありえない。そのとき、浜松市内で、大手の通信販売の社長をしてい
るM氏と、タレントドクターのG氏の秘書として、羽田から香港へ行くところだった。が、事故。
JALは、かわりの飛行機を出すといったが、こわくてもう乗れなかった。

 そのG氏で思い出したが、私は彼のためだけに、5〜6冊の本を代筆した。方法はこうだ。ま
ずG氏が、テープレコーダーに向って、好きなことをしゃべる。それを別の女性が原稿に起こ
す。その原稿を見て、私が本にする。こうした方法は、今でも、ふつうになされていることで、と
きどき有名人が本を書いたりするのは、ほとんど、この方法だと思ってよい。本などというの
は、簡単に書けるものではない。書いても、いざ出版となると、校正に続く校正で、神経がヘト
ヘトになる。そういうものだ。本を書くような人は、独特のしゃべり方をする。それは日ごろから
適確な言葉を使う訓練をしているからだ。言葉の使い方に、神経を払っているからだ。言葉そ
のものが、しっかりとした文章になっている。またそうでないと、本は書けない。ところがこうした
タレント的な有名人は、そういう基本的な部分が欠落している。そういうタレント的な有名人が、
「今度、新しく書いた本……」などと、テレビ画面に向って恥ずかしそうに話したりするのを見る
と、「ああ、この人も代筆屋を使ったな」と、すぐわかる。

 私のようなものの書いた本は売れない、無名のもの書きは、無数にいる。そういう人たちが、
こうした有名人にぶらさがって、自分の才能を切り売りしているのだ。悲しいが、これが現実。
日本人は、こうした代筆に甘い。欧米では、詐欺と同じように扱われている。それもそのはず。
日本人は、平気で、「これ、ぼくが建てた家です」などと、ウソを言う。大工さんに建ててもらって
も、そう言う。よく「これは秀吉が建てた城です」などと言う人がいる。しかし実際には秀吉は、
板一枚、削っていない。こうした日本人独特のものの考え方が、基本にあるから、有名タレント
が、本を誰かに代筆させて本を出しても、日本人はそれを「おかしい」と思わない。この「おかし
さ」がわからない人は、絵で考えてみればよい。もしどこかの画家が、だれかに絵を代筆させて
いたら、それはおかしいとわかるだろう。その人のタッチではなくなってしまう。

 が、もっと悲しいことに、そういう有名タレントの本は、よく売れる。私も自分の本はほとんど
売れなかったが、代筆で書いた本だけは、どういうわけだか、よく売れた。私も「どうせ代筆よ」
と、気楽に書いた。この気楽さが、かえって力まない文章にし、、俗受けしたためではないか。
……今のこの日記のように。しかしこんな日記で書くような文章は、ものの5分もあれば、私は
書いてしまう。しかしこんな文章に、どれほどの意味があるというのか? そうして書いた本に、
どれだけの意味があるというのか?

 K市で教育委員会にいるN氏から、ひさしぶりに手紙が届いた。そのN氏が、「はやし先生
は、今、絶好調ですね」と書いてくれた。私はこの手紙を読んで、ハタと考え込んでしまった。私
は、目下、まったくの不調期。何をやっても、うまくいかない。他人が見ると、「絶好調」に見える
のか? あるいは私は自分で、不調期と思い込んでいるだけなのか? ものを書いていると、
それはパソコンとにらめっこしているだけの世界。その外の世界が見えない。だから自分の姿
が客観的に見えない。絶好調と言われて、「へええ」と思った。「私がねえ……」と。しかしおお
きな励みにはなった。Nさん、いつもありがとうございます。暗闇の中に、光を見た思いです。

 少し頭が動き出したようだ。今日もがんばるぞ! そうそう今朝は、中日新聞のほうで、「学
校恐怖症」の原稿を載せてもらった。長期間の不登校児は、ほとんどこの「学校恐怖症」と思っ
てよい。いろいろ言われているが……。しかしこの原稿で、「子どもの世界」はおしまい。皆さ
ん、長い間、ご愛読、ありがとうございました。これからはこのHPのほうで、よろしくお願いしま
す。

9・30
 昨日、山荘で、家にかぶさる杉の木など、5〜6本(直径が、12〜10センチ)ノコギリで切っ
た。おかげで夕方から、右手が、筋肉痛! 夜中まで、だるくて、痛くて、どうしようもなかった。
今朝起きたら、ウソのようにケロリとなおっていた。(おかげで、昨日はまったく原稿を書くこと
ができなかったが……。)

 今朝は、10時間ほど眠った。曇りで、朝、6時ごろかなと思って起きてきたら、もう朝の9時だ
った。今は9時30分AM.。ときどき外の光にだまされる。10時間も眠ったわりには、まだ頭の
中がぼんやりとしている。おかしなことだ。

 そういうわけで今朝はまだ、思考停止状態。昨日の続き……

 誰かの文章を読むとき、注意しなければならないのは、その人がどのような思想的背景で、
どのような意図をもって、どういう人生経験をして、どれだけ深く考えて書いたかということ。そ
の人が、たいした思想的背景もなく、ただ思いついたままをサラサラ書いたような文章は、書い
た人にとっても、意味のない文章だが、それ以上に、他人が読んでも意味がない。(本人は意
味があると思い込んでいることが多いようだが……。)たとえば中学生が、新聞の投書で、「僕
たちの平和な生活をこわすテロが許せない」(今朝の朝刊)と書いたとする。結構な意見だが、
そういう意見というのは、私にとっても、まったく参考にならない。おもしろくない。書いた本人
は、結構、名文を書き、意見を述べたつもりなのだろうが……。「平和な生活」などというもの
が、そこらの中学生にわかってたまるかという思いが、先に出てくる。次に、私たちが平和な生
活を送っているつもり(だれにも迷惑をかけていないつもり)でも、どこかでだれかに迷惑をか
けているということはよくある。自分だけがのんびりと、満ち足りた生活をしている状態は、決し
て「平和」とは言わない。……ああ、いやだ。こういう超優等生的な作文を見ていると、吐き気
すら覚える! 多分、その子どもも、おとなになり、自分の文章を読み返したら、そう思うので
はないだろうか。「テロが許せない」などと言うくらいなら、何か行動に起こすこともあるのだろう
か。

 文章というのは、もっと自分の核心にせまったものでなければならない。それが醜いものであ
っても、美しいものであっても、核心に迫ったものでなければならない。ウソはいけない。そうし
て文の中に、自分をされけだしてみる。そしてしばらくしてから読み直してみればよい。そうする
と、自分の醜さや美しさに気づくことがある。あとはこれを繰り返す。つまり文を書くということ
は、まさに自分との闘いであり、自分をみがくことなのだ。言い換えると、「自分」がない人が、
自分を飾った文章など、書く人にとっても、また読む人にとっても、意味がないということ。ただ
の「駄文」! このことは、私には、もう一つの意味をもつ。

 日ごろ、書く習慣のない人は、それだけ思想が浅いということ。それは、「書いている者」の立
場でみるとよくわかる。日ごろ書く習慣をもっている人は、たとえば(1)言葉の使い方が的確、
(2)話し方が論理的、(3)思想が深い。しかしそうでない人は、そうでない。そうでないというこ
とは、日ごろ書く習慣をもっている人にはすぐわかる。簡単な会話をしただけで、「ああ、この人
はものを書いている人だ」「この人はものを書いてない人だ」「この人の思想は深いぞ」「この人
の思想は浅いぞ」とわかる。だから人は、書くべきだ。論理的にものを考えるべきだ。そうする
ことによって、人は自分の思想を練ることができる。人間の核心に迫ることができる。

 さて先の中学生の投書だが、たとえば彼が、「貿易センタービルの破壊は、映画みたいだっ
た」とか、「毎晩、うなされて眠られない」と書くのであれば、意味がある。しかし大上段に、「ぼく
たちは平和な世界を望む」と書いたとしたら、意味がない。その子どもの核心にせまっていない
からだ。人生観が見えてこないからだ。その子どもの経験に裏づけされていないからだ。文章
というのは、そういうものだ。

 さてさて読者の皆さんは、私のこうした一連の文章を読みながら、どういう「はやし浩司」を想
像されるだろうか。醜い、ヒネクレた中年(老人に近い中年)の男だろうか。……私がものを書
く時一番恐れるのは、実はこの点である。ウソ隠しなく、ものを書いていると、そのまま自分が
外へさらけ出されてしまう。そういうとき、自分が醜い人間としてさらけ出されてしまうかもしれな
い。……ということは、常日頃から、いつも自分の身辺をきれいにしておかねばならない。そう
いう日常的な行為、考え方、思想が、ものを書く人間にとっては、とても大切なことなのだ。い
や、私にもその「醜い部分」がある。それはよく知っている。だから、そういう部分については、
自分でも書かないようにしている。書けば書いたで、自分のいやらしさがモロに出てきてしま
う。だから書かない。文章にしない。

 またまたどこかの文豪が書くような、生意気なことを書いてしまった。はははは。

 人間は、高いところにいる人は、低いところにいる人が、よくわかる。しかし低いところにいる
人は、自分が低いところにいることを気づかない。かく言う私も、低いところにいながら、自分
の低さに気づかない。自分で、少しずつ山登りをしながら、振り返ってみたとき、それまでの自
分が低いところにいたことがわかる。それがよくわかる。「なんだ、私はあんな低いところにい
たのか!」と。だからときどき、こう思う。よく「タイムマシーン(タイムマシンーンならまだよい
が、奇跡か超能力)で、若い時代に戻りたい」と言う人がいる。しかし私は戻りたくない。戻っ
て、あんな不完全で、アホな世界の人間になるくらいなら、今のままがよい。顔も老人くさくな
り、健康もはっきりしないが、しかしそれでも戻りたくない。戻ったら、今まで私が発見してきた
ことが、すべてパーになってしまう。(今の思想のまま、今までの経験もそのまま生かせるなら、
若い時代に戻ってもよいが……。)恋愛にしても、そうだ。また恋愛をして、結婚して、子どもを
つくって……などということは、もう繰り返したくない。一度でじゅうぶんだ。そんなヒマがあった
ら、今の女房を大切にする。同じことを繰り返すくらいなら、今の女房を大切にして、その先の
山に登ってみたい。人生は一度しかないのだ。振り返って後悔したり、同じことを繰り返すヒマ
はないのだ。私はとにかく、先へ進みたい。どこまで行けるかわからないが、先に進みたい。だ
から、自分の時間をムダにしているヒマはないのだ。

 ああ、また貧乏性的なことを書いてしまった。どうして私はこうまで貧乏性なのか? 昨日、右
手が痛くて、キーボードを叩くことができなかった。私には恐ろしい経験だった。今朝は、何と
か、気持ちよくキーボードがたたける。よかった……! 

 一言付記。ものを書くとき、注意しなければならないのは、(1)簡単な文章で、(2)だれにも
わかる文章で、(3)誤解を生まない文章で、(4)何を伝えたいかはっきりしている文章で、(5)
すっきりとまとまった文章でなければならない。少なくとも、私はいつもそう心がけている。なか
なかそういう文章を書くのはむずかしいが……。

 今日の予定は特になし。万博の構想を、練り直す。おもしろい仕事だ。あとは過剰行動児の
原稿をまとめる。
 
9・29
 人間は腹がふくれると、考えがまとまらない生物らしい。私なんか、血圧が低いこともあって、
食事をすると、まず眠くなる。もちろんその段階で思考は停止状態。そこで考える。よく丸々と
太った思想家(?)がいる。私からすると、どうしてそういう人が思想家なのか。また思想家にな
れるのか、不思議でならない。反対に、本の校正などで、緊張感が高まってくると、食事がのど
を通らなくなる。今でも新しい本の校正に入ったりすると、数キロは体重が減る。

 こうして文を書いているときも、腹の中がガポガポしていると、文そのものがだらしなくなる。く
だらない、どうでもよいような随筆(この文がまさにその文だが……)なら、いくらでも書ける。し
かしこういう文は、いわばヒマつぶし。読んでくださっている方には悪いが、いくら読んでいただ
いても、何の役にもたたないだろうと思う。

 そこで今、活躍している流行作家について。超能力だの、霊魂だの、あるいはミステリーだ
の、ありえないような話をもっともらしく書いている人がいる。こういう時代だから、そういう本の
ほうが売れるのだろうが、しかし一読(立ち読みで数分)もすると、中身が見えてしまう。女房は
「あんたは、ほかの人の本を批判するくらいなら、自分でも書いてみたら」とよく言うが、私は、
それこそ、時間のムダだと思う。書けというのなら、書けるとは思うが、私はどうせ時間がある
なら、もっとほかのことを書いてみたい。サラサラと頭の中を流れる思想ではなく、未知の原野
を、草をかきわけながら進むような、そういう世界の思想を書いてみたい。同じ旅行をするとい
っても、観光バスで行く旅行もあれば、一人で冒険する旅行もあるのだ。観光バスのほうが、
俗受けはするが、やはり旅行は、ひとりで冒険するに限る。私はそういう生き方をしてきた。こ
れからもそういう生き方をしたい。(観光バスの旅行は、便利だが……。)

 もう一つ、付け加えるなら、思想というのは、常に鍛錬しないと、にぶる。これはたとえば一週
間も文を書いてないと、文が書けなくなることがある。が、もっとこわいのは、思想がにぶると、
その思想がにぶったこと自体にも気がつかなくなるということだ。脳のCPUそのものの働きが
低下するらしい。たとえば過去の学歴や肩書きにしがみついて生きている人がいる。しかしそ
ういう人を客観的にみると、ずいぶんと能力が低下しているのがわかる。(その人は、自分の
能力は低下していないと思っているらしいが……。)そういう人を見ると、ほとんど脳の鍛錬をし
ていないのがわかる。酒を飲んだり、好き勝手なことを繰り返している。つまり私も、もし同じよ
うな状態になれば、そういう人と同じ状態になるということ。これは恐ろしいことだ。あるいはす
でに私の能力は低下しはじめているのかもしれない。それに私は気づかないだけ? これは
運動と同じと考えてよい。私は毎日自転車通勤をしている。そのとき、N中学校の横の坂を登
るのだが、正月休みなどで、10日も自転車に乗っていない日が続いたりすると、その坂を自
転車で登れなくなる。

 ただ一つ救いなのは、文を書くということは、ネンキが必要だということ。運動だったら、私の
体力では、若い人にはとてもかなわない。しかし文は違う。絶え間ない訓練と練習によって、み
がきがかかってくる。脳の老化とは別に、一方で、蓄積も必要なのだ。この「蓄積」の部分が必
要だから、私のような五〇歳を過ぎた男でも文が書ける。書いても多少読んでもらえる。

 その若い人の文だが、私は「作文」という立場で、子どもたちの「文」に接することができる。
この文を書くということには、「才能」が必要だ。じょうず、へたではない。才能だ。子どもでも、
その才能のある子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。この部分は、「絵画」と似てい
る。絵画のことはよくわからないが、しかし、率直に言えば、才能のない人はいくら文の鍛錬を
しても、あまり文はうまくならないのでは……。私の知っている人に、「私は文芸家協会の会員
だ」(文芸家協会は、会費さえ払えば、だれにでも加入できる)だとか言って、いっぱしの作家き
どりの人がいる。過去10年間で、1冊程度の本しか書いてないのだが、私のような人間が読
んでも、実にまわりくどい(私はまわりくどい文章が大嫌い)文章で、読むに耐えない。こういう
人は自分に才能がないことすら気づいていない。いや、私が一番、恐れるのはこの点だ。はた
して私に才能があるのか、それともないのか。自分ではそれがわからない。わからないだけ、
不安だし、もし才能がないまま、こうして文を書いているとしたら、それこそ恐ろしいことだ。本
当に恐ろしいことだ。皆さんは、私の文を読んで、どう思うだろうか。「はやし、お前には才能な
んか、ないよ。時間のむだだから、書くのをやめて、ほかのほうに転向したほうがいいよ」と思
っているのでは……。

 ただ一つ違うのは、「書く」ということは、「考える」ということ。外の世界で発表しようなどという
野心は横においても、どんどん書くべきだ。そうすることによって、思想が深まる。これはだれ
にとっても、必要なことだ。

 そうそう、こういうことは言える。サラサラと書いた文は、結局は自分であって、自分ではな
い。そのことは、数年後に読み返してみると、わかる。サラサラと書いた文は、数年後に読み
返してみると、「これが私の思想?」とか、「こんな文を書いたっけ」などと思ったりする。そうい
う文章は、私にとっても意味がない。しかし『本物の自分』を書き込んだ文章は、数年たっても、
その新鮮味を失わない。そこなのだ。文を書くというのは!

 以上、サラサラと思いつくまま書いたので、まったく意味のない文章です。偉そうなことを、い
っぱしの文豪のような視点で書いてすみません。ハイ。

 今まとめている原稿……
 過剰行動児
 フロイトの自我論
 キレる子ども
 ……など。一応まとめたものから、「子どもの指導法」→「子育て論文」に載せていますから、
どうかお読みください。いつか発表することもあるだろうと、まあ、淡い期待をもちつつ、書いて
います。

 名古屋市パビリオンの懇談会のメンバーになりました。14名のうち、ぼく以外は、すばらしい
人たちばかり。10月1日に、名古屋市の市長が、記者会見で正式に発表してくれることになっ
ています。実のところ、私は肩書きには興味はないのですが、しかしこういう楽しい企画に参加
できて、うれしいです。私は昔から、企画の仕事が大好きなのです。これほど楽しい仕事はあり
ません。ホント!

 私が参加する以上、めちゃめちゃ、楽しいものにしますよ。私ほど、企画力のある男はいな
い……とまあ、自分では限りなくうぬぼれています。まあ、任せなさいということ。叩き台のその
また叩き台になれば、私はうれしいです。4年後、愛知万博へみなさんおいでになったら、必ず
名古屋市のパビリオンをみてくださいな。ほかのパビリオンとは、ダントツに違うものにします
よ。私は自分の力を出し切って、冥土のみやげにしたいです。これは本気です。

 今日の朝で、「子どもの世界」は、打ち切り。読んでくださっている方には悪いのですが、ま
あ、多分、読者が減ったのだと思います。よく理由がわかりませんが……。またどこかで書きま
すので、今度はそちらでお読みください。長い間、読んでくださって、ありがとうございました。今
は、新しい企画で、原稿を書いています。

 昨日は中日文化センターで講師。生徒さんが少ないので、来年は続けられるがどうかわかり
ません。この世界も、今、多分不況(?)なのでしょうね。しかたないです。しかし来てくださる会
員の方には、懸命に自分の考えをお伝えしています。どうか、皆さんのご家庭で、私の経験を
お役立てください。

9・28
 タリバン政権が、自己崩壊はじめた! アメリカ軍は、軍事力を使わなくてもすむかもしれな
い! ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! 
 もしアメリカが、軍事力を使わないで、テロを封じ込めることができたとしたら、どんなにすば
らしいことか。私は人間を信ずるぞ! 私は人間の未来を信ずるぞ! そうあってほしい。どう
かそうあってほしい。あんな貧しい国を、豊かな国が攻撃してはいけない。ライオンは、ハエは
殺さないぞ。正義は、殺人をしないぞ! テロリストを、自然消滅させるくらい、すばらしいこと
はない。どうか、ここは辛抱強く! アメリカよ、BE PATIENT! 私たちは、今は、まだアメリカ
の人たちと共にいる! どうかそういう世界の人の心を忘れないでほしい。
 今朝は、久々に、すばらしいニュースが飛び込んできた。タリバン政権が自己崩壊を始めた
のだ! それこそまさに世界の良心。正義の勝利。

 we shall overcome
  we shall overcome
  we shall overcome someday
  oh deep in my heart I do believe
  we shall overcome someday
 
 私は最後にこの歌を歌ったのは、もう10年以上も前のことだ。今朝、この歌を歌って、涙が
止まらなかった。どうか、平和な世界がきますように。どうか、人間に明るい未来が続きますよ
うに。みんなで、この動きを大切にしよう!
 何度、反戦運動を繰り返したらいいのだ。どうか、もう私にそうさせないでくれ!

9.27
 昨日は、一日、「情緒不安」について考える。資料を集めて、原稿も書く。で、その段階でのこ
と。研究者の資料をみていると、(1)よくここまで調べたものだと感心する部分と、(2)骨ばか
りで肉がないとがっかりする部分があるのがわかる。実際子どもの情緒不安に悩んでいる親
が聞きたいのは、この「肉」の部分なのだ。……で、そこで「私」が登場ということになる。私は
その「肉」の部分が書ける。実のところ、それはたいへん楽しいことでもある。独壇場というか、
私はライバルを知らない。(とんでもない暴論を書く人は知っているが……。たとえば「数時間
で不登校をなおす」とか言っている女性がいる。C新聞社発行の本をもらって読んだが、読む
に耐えない本だった。こんどはK出版社から同じような本を出したので、数日前、書店で30分
ほど立ち読みしたが、……30分も立ち読みすれば、90%は読める……、これもまた読むに
耐えない本だった。めちゃめちゃな論理というか、論理そのものがない。自分は不良少女で、
中学生のころ、無免許で車を乗り回していた。父親がキーをかくした。私は針金で動かして乗り
回した。そこで父親が、車の下で毛布をしいて寝た。私はその父親の目を盗んで、車に乗って
いた……と、自慢げに書いているところなどは、もう正気のサタではない。)不登校で苦しんで
いる親に向って、「不登校を数時間でなおす」と軽々しく言うことは、ガンで苦しんでいる人に向
って、「ガンを数週間でなおす」というくらい、危険なことなのだ。不登校やガンで苦しんでいる
人には、それなりに「光?」になるかもしれないが、しかしそういうふうに苦しんでいる人の心を
もてあそぶものではない。仮に「なおる」とわかっていても、本当になおるまで、黙っているの
が、教師や医師の良心ではないのか。たとえば私は、いろいろな問題のある子どもを預からせ
てもらうが、内心で、「この子は、なおせるぞ。数週間でなおせるぞ」と思っても、それは親には
言わない。万が一、なおせないときのことも考えるからだ。こうした謙虚さは、まさに人間が基
本としてもたねばならない良心といってよい。だいたいにおいて、「不登校が悪」という大前提
が、おかしい。どうして不登校が悪いのか? 「不登校は悪」と決めつけて、子どもを苦しめて
いるのは、親自身ではないのか? こういう女性は、他方で、不登校をもつ親や子どもを、かえ
って苦しめていることに気づいていない。もうこの女性について論ずるのは、やめる。二度と論
じない。その価値もない。

 昨日書いた、「情緒不安」については、このサイトの、「子どもの指導法」→「子育て論文」
中に載せておきます。興味のある人は、お読みください。「子どもが不登校児になるとき」も、
同じところにありますから、どうぞ。(まだ未完成ですが、参考にはしていただけます。)

 昨日も帰りにパソコンショップで、30分ほど、パソコンを見てくる。少し前までほしかった機種
が、ぐんと安くなっていた。(数ヶ月前には23万円くら。今は17万円くらい。)もうそろそろ冬の
ボーナスをねらった秋モデルが発売になるからではないか? そうなると、「もう少し待ってみよ
う」と思ったりする。人間というのは、ずいぶんと勝手な生き物だ。自分をみているだけでも、そ
れがよくわかる(あるいは私だけ……?)。

 今日は、「伸びる子ども」についての原稿をまとめる。

9・26
 このところ、急に冷え込んできた。寝るとき、ふとんの中にもぐりこむのが、うれしい。はは
は。

 ところでこのホームページのボリュームが、そろそろ12MBになってきた。膨大なサイトになっ
たようだ。個人のサイトとしては、大きいのでは……。しかし限界(20MB)があるので、画像を
少なくして、文字情報を多くするように努めている。おかげで、おもしろくもない、つまらない、味
気ないサイトになってしまったが、読者の皆さん、どうかお許しください。

 アメリカ人は、当然のことだが、自分たちの国や社会が、「絶対的な善」だと思っている。日本
は戦後、アメリカの植民地になったようなものだから、価値観もアメリカナイズされていて、それ
に同調する。しかしここで立ち止まってほしい。同じように、アラブの人たちも、「イスラムの世
界が絶対的な善だ」と信じているとしたら、どうしたらよいのか。この両者をどう調整したらよい
のか。そこでこうした価値観のミゾを埋める方法は二つ、ある。わかりきったことだが、(1)自
分の価値観に謙虚になる。(2)相手の価値観を認める、だ。自分の価値観を相手に押し付け
てもいけないし、反対に、相手の価値観を否定してもいけない。いくら、おかしくても、だ。

 こうしたものの考え方は、必ずしも国際関係だけの話ではない。教育の世界にも、それがい
える。たとえば今の子どもたちは、私たちの世代とは、違った価値観をもっている。そういう子
どもに接するとき、やはり、おとなの価値観を押しつけてはいけないし、また否定してもいけな
い。これはわかりきったことだが、問題は、その次だ。子どもたちにも、反対に、私たちの世代
の価値観を否定してほしくないし、また理解してほしい。それをどうやって子どもたちに教えて
いくかということ、だ。いや、私たちの価値観を、ではなく、ものの考え方を、だ。「相手の価値
観に謙虚になりなさい」と、言葉では言うことはできても、それを実際、子どもたちに理解させる
ことは、たいへん難しい。現に昨日も、中学生数名と話したが、一人がこう言った。「アラブはお
かしいから、ああいうテロリストは、サリンのような化学兵器で、皆殺しにすればいい」と。私が
「テロリストは、地下数十メートルの穴の中にいる」と話したときのことだ。むずかしい数学の方
程式は解くことはできても、人間の心の簡単な計算は解くことができないらしい……? 若い人
はとかく自己中心的になりやすいものだが、日本の若者たちは、特にそうだ。いろいろな統計
結果をみても、そういう数字が浮かび上がってくる。特に、日本の若者は、尾崎豊、長渕剛ら
の世代を経て、ますます自己中心的になってきている。それはというもの、若者が悪いのでは
なく、若者に、尊敬される「おとな像」を見せることができない、私たちにある。この日本、ずる
いおとなが、あまりにも多すぎる。恩恵を受ける人は、たっぷりと恩恵を受け、そうでない人は、
まったくと言ってよいほど、受けない。不公平感も充満している。こういう現実を一方で放置して
おいて、「何から何まで教育で」という発想そのものがおかしい。今の若い人に、「君たち、この
国を守るために、戦争に行きなさい」と言うと、多分、こう言うだろう。「何で、ぼくがア?」と。そ
ういう若者を批判するのは簡単だ。しかし本当の問題は、そういう若者をつくった私たち社会の
中にあるのだ。

 今朝の新聞に、こうあった。「何とか対策のために、団塊世代パワーを利用する」(政府)と。
少し前、「経済活性化のため、老人のもつ貯金をはきださせる」という意見あった(正確ではな
いが……)。多分、これは官僚の若手エリートの発想だ。しかし、よくもまあ、ヌケヌケとこういう
ことを言うもんだ。「国民」というのは、「国の民」という意味だ。それはわかるが、こういう官僚
は、「民」を、さらに国の部品のようにしか考えていない。自分が「偉い」と思うのは、その人の
勝手だが、だからといって、ほかの人を「下」に見てはいけない。いわんや、老人や私たち団塊
の世代を、や。官僚の人と話していると強く感ずるのは、「このすばらしい(?)日本は、私たち
がつくった」という思いあがりだ。つい先日も、私にこう言った役人(某県庁部長)がいた。「はや
しさん、浜松は職人の町ですよね。いいですか、職人の町では、職人に金をもたせてはいけな
いのです。金をもたせると、働かなくなりますからね。いいですか、それでね、浜松には遊ぶ施
設をたくさんつくればいいのです。遊べば、金をつかいますからね。フラワーパークとか、フル
ーツパークとか、そういうものがあるそうですが、もっとそういう施設をつくることです」と。私の
ような「職人」にそういうことを言うから恐ろしい! 彼らは一体、どこの天体からきた宇宙人な
のか?

 どうもこのところ、私の書くことが過激になってきている。これもあれも、テロが悪いのだ。私
の心まで、どこか殺伐としてきた。ああいったテロは、世界の人に暗い影を落としている。私が
その一例かも……? もうやめよう。もうテロのことは考えないぞ。皆さん、ご勝手にどうぞ!
これから庭掃除をして、焚き火をして、花を見て、パソコンの本を読んで、しばらくテロのことは
忘れよう。どうも自分の心まで、トゲトゲしくなってしまう。いやなことだ。

 安いパソコンが投げ売りに出たりすると、やたらとそのパソコンがほしくなる。「買わなければ
損だぞ」という意識になる。これはもう病気のようなものだ。今では、(いや、もうすぐ)、私の家
では、各部屋に一台ずつパソコンが並ぶようになる。今、この部屋だけで、5台も動いている。
それぞれ、仕事を分担させている。このパソコンは、ホームページを更新するためのパソコン
だ。インターネットを見るのは、別のパソコンにしている。だから、このパソコンにウィルスが侵
入することは、まずない。女房は「古いパソコンは処分したら」と言う。しかし私には、どれも愛
着がある。指がその感触を覚えている。捨てる気にはなれないのだ。能力が悪くても、私には
かわいいパソコンなのだ。(買ったときの感激が忘れられないからね。)

 午前中、2通、手紙を書く。午後からは仕事。その間に、新しい本を書く。今日も忙しくなる
ぞ。がんばりましょう。皆さん。がんばるしかないのです。市内でホームレスの人を見たりする
と、仲間に会ったようなぬくもりを感ずるのは、どうして? スーツを着て、さっそうと歩く銀行マ
ンを見たりすると、「ああならなくてよかった」と思うのは、どうして?

 女房が下の台所から、「朝ご飯よ〜」と呼んだ。あまり食べたくもないのに、これから朝食。だ
から私は太るのだ! この一週間で、1キロも太ったぞ! では、また明日!

9・25
 狂牛病に関して、またまた通産省役人の愚かな失態が少しずつ明らかになってきた。私はも
う、ああいう人たちを信用していない。「ああ、またか」と思うだけ。

 今朝、恐ろしい夢を見た。
 どこかの川のそばを歩いていたら、無数の軍用機が並んでいた。よく見ると、川ではなく、滑
走路だった。軍用機はすべてアメリカの飛行機だった。それがゴーゴーと音を立てて、離陸す
るところだった。アメリカの兵隊が並んで歩いていた。私は敵でないことを示すために、一生懸
命、手を振ったが、だれもニコリともしなかった。
 
 ブッシュ大統領は、「今度の戦争は、今までとは違うタイプの戦争だ」(9・24)と言う。しかし
同じセリフは、そのつど、だれしもいう。そのつど、戦争を起こす人は、そう言う。しかし戦争は
戦争。殺し合い。殺し合いに、「同じ」も「違う」もない。

 もう、こんなバカなことはやめよう。報復は報復を招くだけだ。アフガンの難民が、こう言って
いた。彼女の夫は、アフガンで学校の教師をしていた。夫は、アフガンに残り、彼女と子どもだ
けが、パキスタンへのがれてきた。その女性は、全財産をもってパキスタンへ逃げてきた。しか
し全財産といっても、200アフガン……(たったの50セント、日本円でたったの55円!)

 わかるか、アメリカ人よ! 君たちはそういう貧しい人を相手に、超近代兵器を、無数に並べ
て、戦争をしようとしているのだぞ! 空母を並べて、B1爆撃機を並べて、戦闘機を並べて、ま
あ、本気で戦うような相手でもないだろ。君たちがもっている戦闘機一機で、アフガンの人(人
口2000万人)は、10年間、遊んで暮らせるのだ。やるべきことは、世界の人の良心をもっと
信ずることだ。決して、アメリカ人よ、君たちはひとりぼっちではない。みんなが力を合わせて、
いぶり出せば、テロリストは、必ず浮かびあがる。孤立する。自分たちのしたことを恥じる。恥じ
るように仕向ける。合法的に彼らを逮捕し、裁判にかければいい。

 アメリカは、核兵器まで使用すると言い出した(9・24)。いわく「核兵器は飾りではない」と。も
しアメリカが核兵器を使ったら、私はもうアメリカを支持しない。反戦運動を始める! 核兵器
までは、やりすぎだ! ここで核兵器を許せば、もう歯止めがきかなくなる。世界はまちがいな
く、破滅に向って突進する! 核兵器は、生物兵器、細菌兵器、化学兵器より悪質なのだ。放
射能をかぶれば、その影響は確実に二代先まで出る。今のタリバン政権にしても、もともとは、
アメリカが援助して育成してつくった政権ではなかったのか?

 先の戦争で、日本中が廃墟になった。しかたないことだ。日本は、そうされてもしかたないよう
な愚かな戦争を、始めた。しかし、広島、長崎の原爆は別だ。あそこまでアメリカはする必要は
なかった。数十万人の一般市民が、一瞬のうちに焼き殺された。が、日本人は、だれ一人アメ
リカに報復をしなかった! だから、日本はその後、60年間も平和を守れたのだ。

 ああ、どういったら、アメリカ人はわかるのか? ……たとえば、だ。アメリカのあちこちに、ア
ラブ合衆国の軍隊が駐留していたとする。アメリカ人は、貧しい。アラブ合衆国の一人が、一日
に飲み食いするお金が、アメリカ人の年収に等しい。アラブ合衆国の軍隊は、超近代的な兵器
をもっている。一方、アメリカ人は、第二次大戦で使用したいうな粗末な武器ばかり。そういう
状態で、アラブ合衆国の人間が、アメリカにある資源(石油や鉱物)を好き勝手に、採掘してい
る……。もしそういう状態になったら、アメリカ人は、どうする?

 私たちは、ニューヨークの悲惨な事件に、心から、お悔やみ申しあげる。心から、ああいうテ
ロは二度と起こしてはならないと思っている。起こさないように、今は、全世界が協力する。み
んなそう思っている。だからもう少し、そういう人たちの気持ちを信じて、そういう気持ちを前向
きに生かしてほしい。過去60年間、核兵器が戦争で使われなかったのは、広島や長崎の原
水爆禁止運動があったからではないのか。日本は、報復を考える前に、核兵器の恐ろしさを
世界に、良心として訴えた。訴えつづけた。それが核兵器を使う、抑止力になった。今、アメリ
カがすべきことは、報復ではなく、テロリズムの愚劣さや悲惨さを、世界に訴えていくことではな
いのか。世界の人の良心をもっと信ずることではないのか。どうか性急なことをしないでほし
い。日本には、「負けるが勝ち」という格言がある。多分、今のアメリカ人には、こういう格言の
意味はわからないだろうが……。

 今朝は、少し頭が熱くなったようだ。私のような人間がこんなことを訴えても、どうしようもない
のだが……。まさに犬の遠吠え。ワオーワオー!

 子どものころ、近くに大型スーパーができた。そのため、私の家は、大正時代からの自転車
屋とはいえ、あっという間に、経営危機に陥った。それまでは、私の父は、自分で商売のテリト
リーを決めていた。「ここから先は、○○自転車屋さんの縄張りだから、自転車を売りには行
かない」と。そういうやさしさや思いやりが、まだ当時の日本にはあった。しかしそういう論理
は、スーパーには通用しない。彼らの商売のやり方は、めちゃめちゃだった。私の家の仕入れ
値より安い価格で、自転車を売っていた。私は子どもながらに、「あんなスーパーなんか、雷か
何か落ちて、燃えてしまえばいい」と本気で思った。……どうしてかは知らないが、今、そんな
昔のことを思い出した。

 私は23歳のときから、収入の約30〜50%を、実家へ仕送りしてきた。45歳まで、続けた。
私の世代では珍しい話ではない。そういう私を、私は知っているから、日本へ出稼ぎにきてい
るブラジル人や、東南アジアの若い人たちが、収入のほとんどを、ブラジルや東南アジアにい
る親に送金しているという話を聞くと、いろいろ考えさせられる。今の若い日本人で、そんなこと
をしている日本人は、いったい何%いるのか? 今の日本の若い人たちは、「いい生活をする
のが当たり前」と考えているようだ。「生活の質を落とすくらいなら、借金をしたほうがよい」と。
そして「借金がたまったら、自己破産すればいい」と。しかしこれはまさに亡国の発想。これか
ら日本は、どうなることやら? 考えるだけでも、ぞっとする。

9・24
 昨夜遅く、山荘に行き、一泊。今朝の朝食用にと買った、コンビニのおでんを、昨夜のうちに
食べてしまい、今朝はおかげでどうも胃の具合が悪い。まあ、しかたないか。今朝はパン一個
と、お菓子一個で、すます。少しおなかがすいてきた(今は午後1時)。

 昨日、万博の構想をほぼ完成する。これを叩き台にして、さらに構想を練るぞ。人生も終わり
になってきたし、こういう仕事(?)は、そう何度もできるものではない。今、できることを、最大
限して、あとは、ほかの人たちの判断に任せればよい。

 ところで驚いたが、今朝、山荘から帰る時、気圧を測定しながらおりてきたが、(こういうこと
をするのも、ヒマな人間と自分でも思うが……)、たった160メートルの高度落差なのに、上と
下とでは、15ミリバール(ヘクトパスカル)も違う! 驚きました。

 で、家へ帰って、中日新聞を読んで、さらに驚いた。なんと、今朝、私のコラム「三男よりのハ
ガキ」が載っていた。これは予想外。予定外! この9月末に連載が終わるので、報道部の方
が、気をきかせて、つまり残っている原稿を一掃するため、載せてくれているらしい? いろい
ろすみません。

 かわりに「ファミリス」の連載が、好評なようだ。ぼちぼち、あちこちから反応が入り始めてい
る。うれしかった。しばらくこのシリーズで原稿を書かせてもらい、近く、本にしようと考えてい
る。新聞にせよ、雑誌にせよ、これらはいわば、「会話」と同じ。残らない。もの書きの立場から
すると、ただの消耗品? 「文」は、本にして残して、はじめて残る。そういうきびしさが、ある。
しかしその本の世界が、大不況! どうしたらいいのだ! 友人の中には、もう筆を折ってしま
った人がいる。「もうからない」と。世界の文化体系が、今、大きく変化しつつある。いうまでもな
い、インターネットの影響である。本の時代は、終わったのか? もっとも私の本など、売れな
いから、あまり偉そうなことは言えないのだが……。

 このところ、私のこのサイトへのアクセス件数が、ドスンと落ち込んでいる。ウィルス、
「NIMDA」の影響らしい。そう言えば、私も、他人のホームページへの接続が、こわくてできな
い。今度のウィルスは、相手のHPを開いただけで、感染するそうだ。まあ、バカなウィルスを
次々と作って楽しんでいるアホ(悪魔)な人間がいるもんですね。こういう人たちは、文化を後
退させていることに気づいていない。つまりせっかくの知恵をムダにしているのです。たった一
度しかない人生を! 世界の文化を、たった1ミリでもよいから、前に進歩させてはじめて、生
きる価値が生まれるのです。そしてそこからその人の価値が生まれるのです。

 力のある人は、謙虚になれ。知恵のある人は、謙虚になれ。財産のある人は、謙虚になれ。
 強者が弱者を踏みにじったとき、世界は破滅する。……はやし浩司語録(01−9−24)

9・23
 昨夜は厚いふとんをかぶって寝なければならないほど、寒かった。そして今日は防災訓練の
日。一日、万博の構想をねる。楽しかった。忙しかった。頭も疲れた。おもしろかった。

9・22
 今日は土曜日。これから山荘へ行って、草刈だ。結構重労働なんですね。もっとも私の場
合、運動と位置づけているので、あまり苦にはなりません。汗をかくと、今ごろの季節は本当に
気持ちいいです。

 今朝の朝刊に、コラムを載せてもらった。「抵抗力のある子ども」を載せてもらった。東洋医
学的な発想で、子どもの非行を考えようという内容のもの。自分としては、できは「60点」くら
い。女房は「読者の人は、こういう原稿を求めているのよ」と言うが、私としては、「自分の心」
のない文章など、あまり好きではない。昔、G社で実用図書の編集を手伝っていたことがある
が、実用書というのは、本当につまらない。だれが書いても同じだし、また書いたところで、「本
を書いた」という実感が、どうしても生まれてこない。「本を書く」「文章を書く」というのは、自分
の心や生き様を書き込んで、はじめて、本であり、文章なのだ。そうでなければ、ただの文字。
ただの文字には、大きな意味はない。そういう意味で、60点というのは、甘い。ああいうコラム
は、まあ、20点くらい。もっと低い。せっかく読んでくださった方には悪いが……。そういう私の
気持ちとは別に、皆さんのお役にたてればうれしいです。

 恐ろしいウィルスが蔓延しているそうだ。NIMDAとか、何とか。さっそく、検疫する。異常なし。
詳しくは、
ウィルス対策について
に書いておきましたので、ご心配な方は、どうかお読みください。

 三男もアメリカへ行くと言っている。使う飛行機が、アメリカン航空とか……? 心配だな。

 特に今日は変わったことはない。海外修学旅行が、次々とキャンセルになっているそうだ。戦
争がはじまれば、世界各地でテロが発生するとも言われている。恐ろしいことだ。何とか、平和
的に解決できないものか。
 たとえばビンラディンを兵糧攻めにするとか。アフガンを閉鎖してしまうとか。戦争を考えるの
は、最後の最後でいいのでは……。私の意見は、少数派意見か? アメリカ人は、すぐ西部劇
的な発想をするから、恐ろしい。ブラジルが世界の強国になったら、マカロニウエスタン的な発
想をするかもしれない。日本人は忠臣蔵的な発想を……? そういう視点で国際論を説いたら
おもしろそうだ。

 ,いやいや、おもしろがっていてはいけないのだ。深刻な問題だ。今度ばかりは、ひしひしと言
いようのない不安が襲ってくる。いやな気分だ。「平和だ」「平和だ」と言っても、平和など、本当
にもろいものだ。だいたい、生活の安心感を得ることずら、むずかしい。私とて、来年はどうな
ることやら……。

 名古屋市から、パビリオン研究委員会(愛知万博)のメンバー表が送られてくる。私もその一
員だが、表を見て、正直言って、驚いた。私以外は、皆どの人も、NHKの解説委員に名前が出
てくるような、超有名人ばかり! 多分、名古屋市は人選をまちがえたのではないか? まあ、
選んでもらった以上、懸命に協力するつもり。もっとも私を選んだのは正解だ。私は日本一の
アイデアマンなのだ。しかし自信ないな〜。さっそく今夜から、アイデアをまとめよう。やるしかな
い。

 私はいつも子どもを相手に教えているから、どうも考え方というか、雰囲気が、子どもの視点
になってしまう。自分が53歳のくせに、同じ53歳の人を見ると、老人に見えてしかたない。女
房は「貫禄ないわね」と笑うが、貫禄がどうしても出てこないのだ。私はいつもヘラヘラ人間。こ
れからもヘラヘラして生きていくしかない。


9・21
 二男からのメール。「今は航空会社も緊張しているから、テロは起きない。テロが起きるの
は、その緊張がゆるんだとき。だからかえって今のほうが、飛行機は安全だ」と。一理ある。し
かしそこがどっこい。テロのこわいところは、その裏をかくこと。さらにテロは、より効果的な方
法と場所を求め、しかもこうした宗教がらみのテロでは、常識が通用しない。日本でも、宗教闘
争というのが起きている。私も一度、その宗教闘争に巻き込まれたことがあるが、一般の信者
でも、「命がけ」という言葉を使う。そこがこわい。油断しないほうがよい。ヤマハは、海外渡航
を中止し、海外駐在員を日本国内に呼び戻し始めた。他社も追随する様子を見せている。

 秋晴れのさわやかな朝だ。台風はどこへ消えたのか? おかしな台風だ。天気予報では、
(つまりレーダーでは)、まっすぐ浜松のほうへ向っていたし、昨日の朝は、暴風雨のハズだっ
た。しかしこの天気……? 「残暑も終わりました」と、予報官は言っていた。今朝も気持ちよく
眠られた。

 アメリカという国は、軍需産業とコンピュータ、それに映画産業を除いたら、ただの農業国。
前回、アメリカへ行ってみて、それがよくわかった。ほとんどの製品は輸入。アメリカ国内で生
産しているものは、ほとんど、ない。だから毎年、貿易赤字はふくらむばかり。本来ならアメリカ
のドルは、もっと安いはず。経済構造は、ブラジルやオーストラリアと変わらない。そのアメリカ
がかろうじてアメリカなのは、軍事力があるからだ。それで世界中のマネーを支配している。ド
ルが国際通貨になっている。しかしいよいよそれも限界に来たようだ。今朝もアメリカの株式は
400ドル近くも大暴落! アメリカ人の多くは、株で貯金をしているというから、これは大変なこ
とだ。

 二男へ……株(STOCK)には手を出すな。社債(BOND)も買うな。銀行は、ある日突然、預貯
金の凍結→閉鎖ということがありうるから、お金は、現金化するか、より安全な銀行へ移動せ
よ。日本の銀行システムとは違うから、気をつけろ。アメリカの銀行は、いわば、そこらの株式
会社と同じと思え。ある日突然、不渡りを出して、倒産ということもありうる。大恐慌になったら、
日本へ帰ってこい。アメリカより、まだましだ。デニーズを連れて、な。

 アメリカが大戦力をアフガン周辺に移動したが、軍事国家のサガ。アメリカは戦争しないこと
には、自国の立場を守れないのだ。また戦争すればするほど、軍事産業が息を吹き返す。日
本の公共事業とゼネコンの関係によく似ている。そういうアメリカに、頼まれもしないのに、妙に
正義の使者のような顔をして、シッポを振って忠誠心をあらわにする日本! ヘエ〜エ、この日
本に、正義があったのか? 金大中氏が東急ホテルで拉致(らち)されたときも、また金正日氏
の息子が、ニセパスポートで不法入国したときも、そしてその他いろいろあったときも、日本政
府は、「経済」を優先して、正義をすべてにぎりつぶしてきた……。その日本が、降ってわいた
ように、「正義」「正義」と言う。このおかしさ。日本人は気がついているか。

 もっとも日本は、アメリカと「安保条約」(英語ではズバリ「軍事同盟」と訳されている)を結んで
いるから、身動きがとれない。世界広しといえども、東京都という首都のどん真中に、外国の戦
力を進駐させているのは、この日本だけ。アメリカにしてみれば、日本がアメリカの政策に反対
するなどということはありえない。この「ありえない」というところに、日本の存在感はまったくな
い。日本では、ほんの少しでもアメリカにたてついたら、それだけで首相すら、そのクビが吹っ
飛んでしまう。田中首相(ニクソンの意向に反して、日中平和条約を結んだ)がそうだった。最
近でも、橋本首相(ほんの数パーセント、日本の金を返せとアメリカに要求した)がそうだった。

 あのね皆さん、アメリカに貸したお金(今も、せっこらせっこらと、ドルを買い支えてあげている
でしょ)は、日本には返ってきませんよ。アメリカは、はじめかった返すつもりはないのですか
ら。日本は、預金通帳だけを見て、「海外資産は世界一」などと喜んでいますが、そんなお金、
返ってきませんよ。もうアメリカには返す力はないし、仮に返すということになると、ドルは大暴
落します。(まあ、1ドル50円くらいかな……? あるいはもっと暴落……?)

 アメリカへ行ってみるとわかりますが、本当に皆さん、いい生活をしてますね。しかしね、そう
いう生活は、たとえば日本がおしみなく、お金を貸してあげているからなんですよ(=ドルを買
い支えてあげているからなんですよ)。そういうことを、アメリカ人自身がまったく知らされていな
い。わかっていない。私ね、正直言って、「こんないい生活をしているなら、日本の借金を少し
は返したらどうだ」と思いましたね。今でも、毎年、日本はアメリカに、数兆円規模のお金を貸し
ているのです。ご存知ですか? アメリカの社債や国債を、日本人はどんどん買ってあげてい
る……。あああああああああ。しかし買うだけで、売ることができない。

 私のような経済のド素人でも、ここまでわかる(?) まあ、そういう意味ではド素人の国際経
済論だから、あまり深刻に考えないようにしてくださいね。一つの参考意見として……。

9・20
 昨夜は午後9時に床に入った。昼寝ができなかったせいらしい。おかげで起きたのが、午前
4時30分! 静かな朝だ。台風がくることになっているが、静かなものだ。庭で虫が鳴いてい
る。寝る前に、チビチビと、グレープフルーツジュースを飲んだが、そのせいか、起きてから、
口の中が甘くてしかたない。寝る前に飲むのは、やめたほうがよい。

 寝る前に飲んだらよいもの
 ココア……意外と消化が悪いのでやめる。
 コーヒー……絶対にダメ。
 牛乳……少しならいいが、多いと、消化不良になる。
 お茶……安眠妨害
 お湯……これが一番いい
 ジュース……朝まで、口の中が甘い
 アイス……先日、あずきの入ったアイスを食べてから寝たが、よくない。

 結論から言えば、寝る前は、何も飲まないほうがよい、だ。女房は、寝る前はいつもビールを
飲んでいるが……。あいつはいくら飲んでも平気のようだ。「アル中になるなよ」と言うと、「缶ビ
ール半分だけよ」と笑っている。酒くさい女性は、あまり好きではない。(正直言って、嫌い)

 今日は女房がテニスの大会とかで、昨夜、寝る直前まで、天気予報を気にしていた。少し空
が明るくなってきた(今、5時30分)が、雨の「ア」の字も降っていない。よかった……と思って
いる。

 アメリカの友人に、みやげの時計を買った。買ってしまった。しかしよく見ると、その時計は、
日本でしか使えない。日本の海岸の潮の満ち干や、月齢がわかる時計だ。しかたないので、
自分で使うことにした。で、使い始めてみると、結構、役にたつ。おもしろい。夜中でも、時刻が
わかるようになったし、温度計もついているので、そのつど温度をはかって遊んでいる。

 今日は昼飯は、外で食べよう。牛丼が安いので、牛丼にしようかと思ったが、「狂牛病」が心
配されている。だからやめた。

 「子どもの自立」を説く人は多い。しかし「子どもの自立をささえる親の自立」を説く人は少な
い。むしろ問題は後者のほうだ。日本人は、無意識のうちにも、子どもの自立を望まない人が
多い。そして子どもに、いつの間にか、「産んでやった」とか、「育ててやった」とか、親の恩を押
し売りしながら、子どもをしばってしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」とか、「育てても
らった」とか、それを負担に思ってしまう。そしてやがて自立できなくなってしまう。

 昨日のS幼稚園の講演は、90分しかなく、大急ぎで、ワーワーと話した感じ。それに数人の
子どもがいて、ガッチャン、ガタガタ、ザワザワ、ワーワーと騒ぐため、こちらも、それに負けじ
と、大声でしゃべって、正直言って、汗だくだくになった。静かな会場で、セキ一つしても、反応
してくれるような会場だと、こちらも心静かに話せるのだが、そういう会場は、「子育て講演」で
は、めったにない。だからどうしても私も、ワーワーとしゃべるクセがついてしまった。終わった
らK園長が、「迫力ありました」と言ってくれたが、ほめられたのか、叱られたのか、わからなか
った。まあ、しかし、しゃべりたいことは、だいたいしゃべった。私のような者を講師に呼んでくだ
さり、ありがとうございました。それにしても、S幼稚園は、すばらしい環境の中にある! 驚い
た。浜松市内でも、一、二を争う環境ではないか。子どもは、こういう環境の中で育てたい。

 この浜松はラッキーだ。HONDA、YAMAHA, SUZUKIの各社は、この大不況下でも、がんば
ってくれている。全国でも、こういう都市は珍しいのでは。不況といいながら、何とかもちこたえ
ているといった感じ。しかしこの浜松でも、不況風をひしひしと感ずる。飲食店は、どこもたいへ
んのようだ。行きつけのKという店で夕食を食べたが、広い店に、客は私と、若いカップルの3
人だけだった。食べていても、心のどこかで、「申し訳ない」と感じた……? 私が感じてもしか
たのないことだが……。

 日本もこれからプロ型社会をつくらねばならない。またそれが世界の潮流だ。しかしこの面で
の改革も、日本は30年は遅れた。経済学者たちは、構造改革というが、しかし一番改革が求
められているのは、教育の世界だ。日本の未来は、今の子どもたちがつくる。そういうわかりき
った常識が、まったく論議されていないのは、どういうことだ? 今、改革しても、その成果が出
るのは20年後。ああ、もう絶望的! 学生の人気職種ナンバーワンが、公務員というのでは、
もう世も終わり! 日本はやがて擬似共産主義国家になり、(今でも、すでにそうだが……)、
旧ソ連のように崩壊する。これはもう既成の事実のように思う。

 あのね、皆さん。教育改革はどうすればいいかって? 簡単なことなのですよ。まず第一に、
教育を自由化する。ドイツのように、ね。英会話やパソコンなどのような科目は、市中の民間組
織に任せればいいのです。その分、学校を早く終わったり、アメリカのようにバウチャ券(補助
券)を渡せばいいのです。ただしね、保護格差をなくす。これを残しておくとね、結局は、進学塾
だけが塾になってしまう。わかりやすく言えば、官僚主義社会を解体する。この二つです。自由
化と、官僚主義体制の解体です。弱体化といってもよい。今は、あまりにも官僚組織が強大す
ぎる……? まあ、この日本では無理のようですね。だったら、もう一流国などという幻想とうぬ
ぼれは、捨てることです。2015年には、アジアの大国は中国になります。そういう前提で、国
のあり方を決めるのです。日本の教育が、アジアでも最高水準にあるといまだに信じている人
は多いですが、それこそまさに幻想。幻想であることは、夜のバラエティ番組を見ればわかる
でしょ。日本語すらロクに話せない若者が、ギャーギャーと騒いでいる!

 日本人は、これから先、多様化した社会に同化できない。つまり世界の潮流から、はじき飛
ばされるということ。あああ、もう私は知らないぞ! 私はやるだけのことはやった。名誉も地
位も肩書きもなく、税金の恩恵は一円も受けることなく、補助も一円もなく、退職金も年金も一
円もなく、やるだけのことはやった。天下り先も、まったくな〜い。でも、一人の日本人として、こ
の国(土地)を愛するから、やるだけのことをやった。しかしね、皆さん。こんな不公平な国は、
もうたくさん。保護を受ける人は徹底的に受け、受けない人はまったく受けない。ビルや会館だ
けはどこも、大理石ばりの立派なもの。しかし私はこの23年間、歩道もないようなY街道を、い
つもゴトゴトと音をたてながら、道の両脇の側溝のフタの上を自転車で走っている。まさに命が
け……! これが現実ですよ。しかし私のような者が、ものを言わなくなったら、本当に日本は
おしまい。だからやっぱり、がんばるしかない。今日も、自分にムチ打って、がんばるぞ! や
るしかないのだ! だれもそんなこと、私に求めているわけでもないのに。だれも応援してくれ
るわけでもないのに……。私は本物のバカか? ドンキホーテか? しかし疲れたなあ〜。女
房はときどきこう言う。「日本の教育の心配もいいけど、来月の家計も心配して!」と。
 
 ……、もうグチはやめよう!

9・19
 ファミリス、10月号が送られてくる。今月号は、「非行に走る子ども」を書いた。あれほど推敲
したはずなのに、「ああ書けばよかった」という思いが抜けない。文というのは、そういうもの
だ。どうか皆さん、ファミリスを読んでください。申し込み方法などは、トップページから。
新聞の連載は、近く終わりますので……。今度は、ファミリスのほうで!

 アメリカが、ラディンを攻撃するために、戦術核を使うと言い出した。とんでもない発想だ。ア
メリカの軍部は、この20年、特にベトナム戦争以後、急速に変質しつつある?と思う。どこか
ナチス的な発想になりつつあるのが気になる。軍部独裁というか、そういう国だ。軍事国家的
な色彩が強くなるつつある。

 私たち日本人は、アメリカを二つの方向から見なければならない。自由の国、アメリカと、そし
て軍事超大国アメリカ、だ。もっとも、日本など、アメリカではまったく相手にされていない。東京
という首都のドン真中に、アメリカ軍の基地がある。アメリカにしてみれば、日本は、もの言わ
ぬ属国でしかない。ほんの少しでもアメリカにさからえば、首相といえども、容赦なくクビが吹っ
飛ぶ。そういう現実を日本人は知っているか? ニュースなどで、その筋の評論家やキャスタ
ーが、それなりの「いっぱしの独立国のような」コメントを述べているが、アメリカにしてみれば、
痛くもかゆくもない。もっと言えば、何を言っても、相手にされない。そういう現実を、日本人は
知っているか? かと言って、日本は、アメリカを追い出すこともできない。アメリカがいなけれ
ば、韓国や、北朝鮮、中国に対して、毎日ビクビクして生活しなければならない。日本は、戦
後、まだ、一度だって、これらの国に対して、正式に戦争責任をとっていない。「経済援助」「経
済支援」という言葉で、戦後一貫して、ずっとごまかしてきた。(責任論ということになると、その
責任は、天皇までいってしまう。日本としては、これはまことに都合が悪い。)

 もしあの侵略戦争を、いつまでも「併合」という言葉でごまかしていると、反対に、日本が、韓
国や北朝鮮、さらには中国の連合軍に、日本が「併合?」されても、日本は何も文句を言えな
いということだ。日本人はそれがわかっているか。日本がかろうじて平和なのは、アメリカという
軍事巨大国のカサの下にいるからにほかならない。アメリカ様様なのだ。

 それにしても、高校生や大学生の、政治オンチには、あきれる。中学生にしても、今、新聞の
読み方すら知らない子どもは、いくらでもいる。先日も、新聞の切り抜きを見せたら、「どうやっ
て読むのですか」と聞いた子ども(中学生)がいた。そこで私は、「新聞は、右上から縦に読む
んだ」と教えてやった。その子どもいわく、「新聞はテレビ欄しか読まない」と。こういう現実を、
知っているか、皆さん。もっとも、政治オンチをつくるのが、旧文部省の重要政策の一つ。高校
の生徒会の交流、さらには政治指導が消えて、もう25年になる。今、高校あたりで、政治指導
をすると、教師のクビは、それだけで飛んでしまう。こんなことでいいのか、日本! もう、私は
知らないぞ。正直言って、疲れた! 勝手にしろ、と言いたくなる。

 昨夜、ボブと、一時間ほど、電話で話をする。オーストラリアも、経済的に今、きびしい時代に
はいっているという。国内航空会社のアンセットが倒産した。理由を聞くと、「農業が不振だか
ら」と教えてくれた。アメリカも同じような状態だ。(だから戦争に突っ走る……?)

 今日は、市内のS幼稚園で、講演会だ。皆さんが家庭で役立つ話を、しっかりとしてこようと
思っている。

 それにしても今朝は、さわやかなよい朝だ。

 アメリカも、武力がなければ、テロにはあわない。
 しかしその武力があるから、アメリカ。
 報復は報復を呼び、殺し合いは限りなくエスカレート。
 ああ、人類は、こうして破滅していくのだ。

9・18
 貿易センタービルが破壊されてから、もう一週間になる。あの夜(日本では夜)、朝、5時ごろ
まで眠られなかった。おかげでその後遺症というか、以来、睡眠習慣が乱れてしまった。今でも
4〜6時間眠ると、目がさめてしまう。きちんと睡眠時間を守るということは、大切なことだし、言
い換えると睡眠習慣といいうのは、デリケートなものだ。

 アメリカの田舎町のホテルに泊まってみるとわかるが、アメリカという国は、これといった産業
がほとんどない国だ。ホテルの中の時計は日本製。電話は台湾製。テレビはオランダ製。電
気スタンドはアメリカ製だが、とても輸出できるようなしろものではない。アメリカという国は、映
画産業、コンピュータ産業、軍需産業を除けば、ブラジルと同じ、ただの農業国。そのアメリカ
がアメリカなのは、軍事力があるからにほかならない。もしアメリカに軍事力がなければ、だれ
がアメリカのドルなんか、買うものか。……つまり、そういう視点で、アメリカを見直す必要があ
る。そしてそれがアメリカの実像でもある。もっとはっきり言えば、アメリカ人がそれなりに豊か
な生活ができるのは、軍事力があるからであり、それは同時に、ほかの多くの国々がアメリカ
の犠牲になっているということ。わかりやすく言えば、商店街からテラ銭をかせぎながら、よい
生活をしている暴力団のようなものだ。

 一方日本は、アジアの国々、あるいは世界中で、いわばサラ金のような立場にある。一人ず
つの国民だけを見れば、タイの人のほうが、日本人よりよっぽど懸命に働いている。しかし日
本人のほうがよい生活をしている(?)。それはというと、結局は、日本がそうした国々から、金
利をまきあげているからにほかならない。これもたとえて言うなら、町の高利貸しが、商店主に
高い金利で金を貸しながら、よい生活をしているようなもの。日本政府が、銀行をつぶすわけ
にはいかないという理由は、ここにある。

 アメリカにせよ、日本にせよ、こんなことをしていれば、結局は、世界から嫌われるに決まっ
ている。共に、善人のフリをしているが、問題がないわけではない。そうした問題を謙虚に反省
する必要があるのでは……。日本やアメリカが尊敬される国になるには、「心」の問題を掘り下
げねばならない。「金、金、金……」では、世界の人の心をとらえることはできない。その点、ア
メリカの映画産業は、すばらしい成果をあげている。日本も、そういう方法をとることはできない
のか。

9・17
 株価がまた急落した。いよいよ危険ラインを突破したようだ。午後、女房と二人で、定期を解
約に行く。どうせ預けても金利など、ないようなもの。銀行に預けておくのも心配という、へんな
世の中になった。前回のタイの金融危機のときは、定期預金はすべて凍結され、そして大半の
預金は庶民に返還されることはなかった。日本もそうなる……? 週刊誌などでは、そう報じて
いるのもある。「日本ではそういうことはありえない」と考えている人もいるが、こういうことだ。

 今、月収50万円(国税50兆円)の人が、ほかに毎月34万円(赤字国債34兆円)ずつ借金
をして、84万円(日本の国家予算84兆円)の生活をしている。しかもふつうなら、収入が少なく
なれば、支出を減らすものだが、その人は、あいも変わらず、庭いじり(空港建設)や、池のコ
イを買ったりしている(高層ビル、スタジアムの建設)。おかげでたまりにたまった借金が、800
0万円。もうすぐ1億円になる。年収600万円の人が、1億円の借金をかかえた姿を想像して
みてほしい。……日本の国家経済を、家計にたとえていうとそうなる。これが日本の現実。空
港にしても、「ないよりはあったほうがよい」ことは誰にもわかる。しかしそんな論理で、お金を
浪費していれば、結局はそのツケは、次世代の子どもたちに回るだけ。知事は、あちこちの
「空港建設推進運動」にでかけているとか(新聞報道)。実におめでたい人たちだ。どこからそ
のお金が出てくるの? 

 皆さん、政府や官僚の言うことなどあてにしないで、自己防衛を始めましょう。銀行が安全と
か、政府の保証があるから安心などという、甘い幻想は捨てましょう。自分のことは、まず自分
で守る。

 今朝、中日新聞で、「子どもの叱り方」を載せてもらう。臨時の掲載で、私は知らなかった。残
りは、あと4回。(抵抗力のある子ども)、(三男登山)、(学校恐怖症)、(最終回)だ。何となく、
人生が終わりに近づくようで、さみしい……というか、そのあと、何とかしなければならないとい
う、あせりを感ずる。不思議な気分だ。連載が終わったら、今度は、本に挑戦してみよう。「どう
せ売れないからだめ」と、簡単にあきらめすぎていたかも。今度こそ、「売れる本」をと考えてい
る。しかし私のは、どうしてもアカデミックな内容の本になってしまう。(つまりおもしろくない? 
だから売れない……? それとも力がない……?)

 長い間、「子どもの世界・こんな問題」を応援してくださった読者の皆さん、ありがとうございま
した。(少し早いですが、原稿はもう書いて、新聞社のほうへ出してあるので、私には「早い」と
いう意識がないのです。)

新聞の改善点……読者の50%以上は女性であることをわかってほしい。
           「教育」は、「学校関係の記事」だけではない。
           女性の大半は「子育て」に一番関心がある。しかし子育ての記事が少ない。
           女性にとっては、子育てが「教育」。
           全国の新聞社の皆さん、「子育て」が、読者獲得のキーポイントですよ。

 子育てと教育は、方向性が逆。子育ては、いわば家庭教育。一方、教育というと、学校教育
が中心。男性はそう考える。この違いは大きい。で、新聞をざっと見ると、男性向けの記事ば
かり。サッカーに野球に、釣りに、競馬、競輪などなど。女性(特に子どもをもつ母親たち)が、
「新聞は読むところがない」とこぼすのは、そのため。

 今朝は、朝から曇り。「まだ6時ごろか」と思って起きたら、8時だった。私の仕事で一番すば
らしいのは、朝の時間に拘束されないこと。起きたいときに起きることができる。この20年間、
目覚まし時計を使うのは、旅行とか、そういう特別のときだけ。へたに時間を決められると、か
えって不眠症になってしまう。
 そうそう私の場合、目をさましても、すぐには床から起きない。そのままいろいろ考える。この
時間が貴重だ。心の常識に耳を傾けるというか、静かにしていると、いろいろなことが脳裏に
飛来する。考えてみれば、それが私の思想の中核になっている。

 今朝の「叱り方」の原稿について。多分、読者の方は、私が思いつきで、サラサラとあの原稿
を書いたと思っているかもしれない。しかし実際には、あの原稿のひな型ができたのは、もう1
0年近くも前になる。その原稿を今日まで温めて、こうして発表した。いくつかの雑誌で、別の
形で発表しながら、つまり頭の中で、反芻(すう)、熟成させながら、あの原稿を書いた。決し
て、思いつきではない。私の原稿は、だいたいすべて、そうだ。だから安心して読んでほしい、
と同時に、そういう私の苦労(?)を、文の中に読み取ってほしい。

 「そんなに忙しくないから」と言われて引き受けた仕事だが、婦人会の仕事は、まさに激務
だ。女房を見ていると、ときどきかわいそうになる。で、昨夜、女房がこう言った。「次期の婦人
部長はだれにしてもらおうかしら。頭が痛い」と。「こんな忙しい仕事、してくれる人はいない」
「忙しくないとウソを言いたくない(自分はウソを言われたから)」と。心中は複雑なようだ。婦人
部の仕事が忙しいのは、自治会の男性諸君が、雑用は「すべて女の仕事」と、婦人部へ回して
くるためらしい。こういうところにも、まだ男尊女卑思想が残っている。いけないことだ。

9・16
 ゆうべ、山荘へ行こうと思ったが、女房が、16日の午前中は婦人会の仕事があるというの
で、やめ。午後9時に床について眠る。おかげで今朝は6時に起きた。気分爽快というわけで
はないが、まあ、元気なほうだ。今日も一日、楽しく過ごそう!

 一度、夜中に悪夢にうなされて目がさめる。がれきの下に埋もれた夢。(NYのテロ事件の影
響かもしれない……?)目がさめてみると、厚い毛布が体中にからんでいた。原因はそれだっ
た。しかし今度の事件で、こういう悪夢に襲われた人は多いことだろう。本当に残酷な事件だっ
た。高校生のK君も、あのニュースを見たあと、朝の4時頃まで眠られなかったと言っていた。
私は5時半だ! 恐ろしい事件だった。今も人間がヒラヒラと落ちていくシーンが脳裏に焼き付
いて離れない。アラブの原理主義者どもよ、文句があるなら、言論で戦え! 正々堂々と、言
論で戦え! 本当に正しい宗教なら、この日本の、この浜松へきて、布教活動をしてみろ!

 しかし……あの事件を報道する中で、アメリカ人が、「第二のパールハーバーだ」とさかんに
言っていたのが気になる。日本人の私たちは、一方でアラブの過激派を非難しながら、他方
で、肩身の狭い思いをしなければならない。かつて日本軍がしたことは、アメリカ人に同じよう
な衝撃を与えたということか? 時代が変わってみると、日本も悪いことをしたものだとつくづく
と思う。いや、あのとき日本は正しいことをしたというのなら、今、そう声を大きくして、アラブの
原理主義者を非難はできないはずだ。何というジレンマ! 日本はやむにやまれずパールハ
ーバーを攻撃したというのなら、アラブの彼らもまた、やむにやまれずああいう事件を引き起こ
したということになる。しかし日本軍は、民間人や民間施設は攻撃しなかったぞ! そういう卑
怯なことはしなかったぞ……と言いたいが、中国大陸では結構、民間人を犠牲にしているか
ら、これもまた偉そうなことは言えない。ああ、何というジレンマ! 

 友人のR君が、肥満で苦しんでいるとか。さっそくアロエジュースの作り方を教えてあげる。私
はこのところ、ほとんど牛肉などは食べない。いや、先週の終わりに、カツ丼を食べたが、それ
から1〜2日、腹の中が重くてしかたなかった。私には、肉はもう合わないようだ。野菜と魚だ
けの食生活になりつつある。

 またまた目の前の栗の木の中で、ハトが巣をつくり始めた。今年は、もう2回目だ。前回のと
きは、ヒナを二羽育てたようだが、一羽は、うちのハナ(犬)が、殺してしまった。地面へ落ちて
きたとき、それを襲ったようだ。女房が気がついたときには、もう瀕死の状態だったという。か
わいそうなことをした。しかしハナを怒るわけにもいかないし……。それは犬が本能的にもつ習
性のようなものだ。そういう本能を責めても意味がない。そうそう人間にも、いろいろな本能が
ある。女子高校生が、スカートのたけを短くするのも、本能的な挑発行為?なのだ。

9・15
 今日は午後から浜北市で教育シンポ。体の調子はよいので、よい講演ができそうだ。天気も
よいが……いや、天気のよい日は、集まりが悪くなる。どうしてもみなさん、外出するので…
…。講演には、雨のほうが、集まりがよくなるのだが……。私のようなマイナーリーグの、無名
の評論家の場合、主催者の期待通りには、聴衆は集まらない。申し訳ないと思っている。ま
あ、がんばって、皆さんの役にたつことだけを考えて、話をしよう。

 女房は朝から敬老会の世話係りで、今日は一日中公民館。浜北市までは、長男が送ってく
れる予定。

 あとは特に予定はないので、浜北市から帰ってきたら、山荘へ行って一泊するつもり。草刈
をしないと、そろそろ近所の人に叱られそう。しかしあれは結構、重労働なのだ。除草剤ですま
そうかという、恐ろしい誘惑が、脳裏を飛来する。

 朝から快晴。秋らしいさわやかな朝だ。

9・14
 昨夜、チャンネルを回していたら、夜のバラエティ番組が目に入った。若者たちの恋談義だっ
たが、私には、彼らがどうみても「猿」「モンキー」「サル」にしか見えなかった。猿たちが、思い
つくまましゃべり、ギャーギャーと騒いでいるといったふう。知性のひとかけらも感じなかった。
人間はサルから進化したということを、改めて思い知らされた。

 教育とは何か……。「自ら考える力を養うこと」ではないのか。知識ではない。知識がいくらあ
っても、その人は「賢く」はならない。浜松市内のクラブの名前と、ホステスの名前をすべて知っ
ているからといって、その人を賢いとは言わない。が、この日本では、子どもたちに考えさせる
ことをしない。欧米では、学校の先生は、「君はどう思う」「それはいい考えだ」と言って授業を
進める。日本では、「わかったか」「よし、次」と言って授業を進める。この違いは大きい。二〇
歳くらいの子どもを比較しても、日本人の若者は全体に幼い感じがするのは、そのためだ。日
本の若者は、どこか軽薄で薄っぺらい感じがする。教科書を与えて、それを次々と暗記させる
ような教育はもう教育ではない。どうして日本人よ、それがわからない!

 このところどうも調子が悪い。「調子」というのは、「文を書く調子」のこと。いろいろ考えが頭
の中を交錯するが、その考えがまとまらない。何かしらその中心に思想らしきものはあるのだ
が、その思想がどうしてもつかめない。悶々としては、また悶々とする。どういうことだ。ボケが
始まったのか? 心配だ。

 昨夜は大雨。女房に「今夜、雨が降るということを天気予報は言っていたか?」と聞くと、「さ
あ、知らない」と。雨の音はうるさいと言う人もいるが、私は嫌いではない。学生時代、デニス君
の別荘(ビーチハウス)で、一ヶ月を過ごしたことがある。毎朝、海の潮騒の音で目がさめた。
潮騒といっても、その日の波の様子や天候で、微妙に違う。雨の音を聞いていると、あのころ
の、つまり私が最高に幸福だったころの自分を思い出す。そうそう隣の別荘に、マリアンという
高校生の女の子がいて、朝になると、ぼくらの別荘の前に来て、「ヒローシー」と私を呼んだ。あ
のころの自分がたまらなくなつかしい。

 二男がアメリカで、交通事故を起こしたというので、心底、肝を冷やした。が、詳しく電話で聞
くと、相手のトラックがバックをしてきて、自分の車の前に当たったという事故と知り、安心。た
った数時間のことだったが、神経は完全に、擦り切れてしまった。

 ボブからメール。今度のテロ事件で、オーストラリア人も90名+2名(飛行機で2名)、死亡し
ているということだった。うち一人は、ボブの子どもたちが通ったアデレイドの学校の同窓生と
か。日本人は、まだ少ないほうだったかもしれない。それにしても、恐ろしい事件だった。おか
げで私はその翌日、またまた深く、落ち込んでしまった。

 世界の世論は、「報復戦争」一色だが、私は「報復戦争」には、反対だ。アメリカのようなライ
オンの国は、アフガニスタンのようなハエのように小さな国を相手にしてはいけない。あくまでも
犯人引渡しを求めて、冷静に対処すべきだ。憎しみは憎しみを生み、報復は報復を生む。ユ
ダヤ人は、旧約聖書的な発想をしやすい。「目には目を」と。しかしこういう発想では、平和は
手に入らない。ライオンはハエを相手にしない。相手にしてはいけない。報復戦争をすれば、ま
た今度、別のところで大事件が起きるだけだ。そしてもっと多くの犠牲者が出る。次に彼らが、
アメリカにテロ攻撃をしかけるときは、細菌兵器や核兵器を使うかもしれない。

 食べるものも満足にない。住むところも満足にない。そういうアフガニスタン。一方、アメリカ
にはものも金も、食料もあふれている。決して対等ではないのだ。こうした現状がある以上、テ
ロ攻撃はなくならない。「力」では、決して、テロ攻撃を抑えることはできない。力のある者が、
力のない者に向って、「努力しなさい」とか、「力のある人がいい生活をするのは当然だ」などと
は言ってはいけない。そういう言葉は、力のない者をさらにどん底へ落とす。そして落とされた
弱者は、そこで憎しみを増幅させる。弱者の立場で、もっとものを考えよう! 考えてみれば、
学者にせよ、政治家にせよ、すべてその道で「成功した人」イコール、強者。弱者の視点でもの
を考えられる人はいない。弱者には、自分の意見を述べるだけの力も、お金も、その場所もな
いのだ。弱者は泣き寝入りするだけ……。私の父がそうだった。近くに大型のスーパーができ
て、仕事がなくなってしまったとき、毎日、酒を飲んで自分をなぐさめていた。私は子どもながら
に、「あんなスーパーなんか、台風か何かで、こわれてしまえばいい」と思った。強者の安っぽ
いヒューマニズムに皆さん、だまされてはだめですよ!

9・13
 21世紀は、キリスト教とイスラム教の戦いになる? もしそうなら、互いに宗教がからんでい
るため、戦争になれば、壮絶なものになるだろう。アメリカは、行ってみればわかるが、「キリス
ト教国」である。すべての札にも、「我々は神の存在を信ずる」(We trust in God)と刷り込
んである。そういう意味では、アメリカには言論の自由はない。「神に反したこと」を書けば、そ
れだけで袋叩きにあう。日本でも、「天皇の批判記事」を書けば、その日のうちに右翼が飛んで
くるが……。

 政治家は政治権力に、夢中になっている。正義や道徳よりも、自己の政治的野心の追求の
ほうに関心がある。一方、それに反して、庶民は、あまりにも、政治的野心に無関心。自分の
身の回りさえよければという、エゴイズムに取りつかれている。このアンバランスさこそが、日
本の社会の政治の象徴と言ってもよい。本来は、互いにもう少し歩み寄って、互いに(補完的
に)譲りあわなければならないのだが、それが両極端に分離してしまっている。こういう世界で
は民主主義は、機能しない。形だけの選挙。形だけの制度。しかしその中身は、旧態依然の
権力者による圧制政治。静岡空港を問う、住民投票条例法案が否決された。「工事はすでに
始まっているから」という、理由にもならない理由のためにである。そうでなくても、国の借金
が、もう800兆円。こうした政治家にとっては、日本全体のことなど、どうでもいいのだ。とりあ
えず、明日の工事ができて、自分たちのフトコロが温かくなれば……? 仮に住民投票の結
果、工事が中断されたとしても、それは「あなたがた政治家の責任ではない」。どうして政治家
たちよ、それがわからない。そういうことを百も承知の上で、「工事が始まっているから」という、
この欺瞞。「土建業者から、もうワイロをもらってしまった。そのワイロを使ってしまったから」と
いう理由ならわかる。もしそうなら、そう言ってくれたほうが、話はずっとわかりやすいのだが…
…。

 Sさん(四〇歳)が、肝臓病の手術を終え、病室で、輸血を受けていた時のこと。どこかの宗
教団体の女性が二人やってきて、「あなたは、どうして輸血するのですか。いますぐやめなさ
い」と言ってきたという。(病室の中まで!)その宗教団体では、輸血を禁じている。こうした非常
識は、どこのカルト教団にもある。しかしそれはその教団内部の話。その内部だけの話なら、
それは構わない。しかし、やっと手術を終え、病室で休んでいる人のところまで来るとは!
 ……今回の、貿易センタービルに突入した狂信的グルームは、まさにその非常識の象徴と
言ってもよい。「聖戦」と信じ込まされ、ビルに突入した若者たちがあわれだ。しかし本当の悪
は、そういうふうに、信じこまさせた、カルト教団の「長」にある。
 人間が求める「真理」なんというものは、そんなに遠くにあるのではない。あなたのすぐそばに
あって、あなたに見つけてもらうのを、静かに待っている。それが常識だ。自分の心に静かに
問いかけてみれば、その常識がわかる。このことは、「子どものページ」(こどもたちへ)の中に
書いておいたので、興味のある人は、ぜひ読んでみてほしい。

9・12
 昨夜、BSのテレビドラマを見ていたら、横浜にいる三男から、「ニュースを見ろ」と。あわてて
チャンネルを切り替えると、世界貿易センタービルが、テロによって炎上しているシーン。その
まま夜中の2時頃までニュースを見つづける。床についたが、ビルから人が落ちてくるシーンが
頭から離れず、結局午前5時まで眠られず。恐ろしい光景だった。まるで映画の一シーンのよ
うであり、「これが現実か」と、何度も自分に問い直す。恐ろしいことだ。本当に恐ろしいことだ。
イスラムの原理主義だか何だか知らないが、「死をもてあそぶ聖戦?」を正当化するような宗
教は、狂っている! 日本にも似たような、過激な、かつ原理主義的な宗教団体はいくらでもあ
る。日本人も、よく反省すべきだ。今日は、これだけ。こういうことは書くのもつらい。いやだ。


9・11
 今日は、S幼稚園で講演の予定だったが、台風で延期。19日(水曜日)になった。朝早く連絡
があった。しかたない。今日は、一日、原稿でも書くか……。

 昨日は、Mデパートまで買い物に行く。しかし台風で、客は、私たちだけ。どこへ行っても店員
さんが、集まってきて、買い物などできなかった。しかたないので、二男へのみやげを、買う。
あとはデパートの食堂で、遅い、昼食。私がチラシ寿司(550円)、女房が、うどん(500円)を
食べた。のんびり好き勝手なことをするのが、最高のぜいたくだということが、最近、よくわかっ
てきた。(結局、女房のドレスは買えなかった。落ち着いて品定めができなかったからだ。あま
りガラガラのデパートへは、買い物に行ってはいけない。これは新しい教訓だ。)

 インターネットでホームページを作っている人は多い。が、中に、たいへん秘密主義の人がい
る。先日も、ある人のHPの掲示板に、その人が住んでいる「A町」という地名を書きこんだだけ
で、そのHPの別の読者から、お叱りのメールをもらった。いわく、「いたずらをする人がいるの
で、地名を書き込むようなことはしないように。私たちがどこに住んでいるかがわかってしまい
ます」と。……そこで私はハタと考えてしまった。私のHPは、すべて「丸出し」。住所や氏名まで
は書かないが、しかし「私」そのまま。ただ私の場合、過去において、いろいろな団体や個人と
真正面から戦ってきた経験がある。いやがらせや、いたずらをされたことも多い。つまり免疫
性がある。免疫性だけではなく、そういう人たちを、逆に徹底的に攻撃するという攻撃性もあ
る。多少のいたずらくらいなら、気にしない。気にならない。しかしそれは私の場合。その読者
の方には、わびのメールを入れ、掲示板からは私のメモを削除してもらった。確かに配慮が足
りなかった。

 ボブから、英語の俳句を、20個くらい送られてくる。おもしろい。その中のいくつか……

 Your file was so big,
  It might be very useful.
  But now it is gone.
  
  Windows NT crashed
  I am the Blue Screen of Death
  No one hears your screams

  Yesterday it worked.
  Today it is not working.
  Windows is like that.

(詳しくは英語のニュースに掲載しておきます。)

  こういう俳句をスラスラと作る彼の才能に敬服する。私も作ってみる……。

 「すべてはい」
 へんなにほんご
 かんがえる

 いらぬこと
 やってはこわす
 パソコンか

 このいかり
 だれにむかうか
 ファイル消え

 マウスとは
 ねずみでないと
 このふしぎ

 市議会議員の女性議員からのS氏のメール。セクハラ問題に取り組んでいるとか。わかるわ
かる。50歳以上の男どもは、女性を「お茶くみ」のようにしか考えていない。そういう古い体質
を、この日本からたたき出さないと、いつまでもこういう問題は残る。Sさん、がんばってください
よ。

 朝、起きたら、庭に、栗の実が散乱していた。昨夜の風で落ちたものだ。多分、食べられるだ
ろう。女房も私も、栗を食べるたびに、二男の話をする。二男は、栗が大好きだった。

 昨日、株は大暴落。日本経済、あやうし! ……といっても、不思議な不況だ。一方で、超ぜ
いたくな生活をしている人たちがいる。「生活の質を落とすくらいなら、借金をしてでも維持した
い」「その結果として、多重債務者になったら、破産宣告をすればいい」と考えている人も多いと
いう。不思議な国、日本。いったい、これから先、どうなるの? 私は株をすべて手放した。念
のため。そうそう週刊誌情報だが、政府は、「預金の凍結」をすでに考えているそうだ。銀行か
らの一切の預金の引き出しがそれでできなくなってしまう。すでに先のタイの経済危機のとき
に、タイで実験済とか。いつも貧乏クジを引くのが、庶民。しかしその庶民が、いつまでたっても
政治を変えようとしない。

 そうそう昨日、Mデパートの8階で、健康診断をしていた。それを勧められるまま、受けた。
で、私の血管年齢は、45歳。しかし女房の血管年齢は、68歳! 女房は、「あの機械、おか
しい。クルっている。こわれている」とさかんに言っていた。気持ちはわかるが、……。私は思
わず笑ってしまった。「68歳! ハハハ」と。さあて、今日も、貧乏生活を始めるか!

9・10
 今朝は台風の影響で、荒れ模様。今夜あたり、この東海地方に台風が上陸するそうだ。ベラ
ンダの屋根はこの前の台風で、吹き飛んでしまった。まだ修理はしていない。今度の台風で、
残りも吹っ飛んでしまうだろう。

 インターネットの情報を読んでいたら、若い人を中心に、新聞離れが急速に進んでいるそう
だ。読んでいる人、75%。読んでいない人、25%くらいだそうだ(カプ)。読んでいる人も、テレ
ビ欄とあとはチラシ(折り込み)のみとか。ものを読む、書くというのは、思想を練るためのすば
らしい方法なのだが、それをしないということは、「思想」を放棄するようなものだ。「思考」と「知
識」は、別のもの。人間は考えるから、人間なのだ。パスカルもそう言っている。

 もし私だけが人間で、あとの人間が皆、犬になってしまったら……。私は生きる意味を失うだ
ろう。いくら犬の王国で、王様のようになったとしても、私はそのむなしさに耐えられないだろ
う。文字を使うのは私だけ。言葉を話すのは私だけ。思想をもつのは私だけ。そんな世界はご
めんだ。その「ごめんだ」という部分が、「私」なのだ。もし人間が、テレビだけを見て、思想をも
たなくなったとしたら……、考えるだけでも、ぞっとする。もっと皆さん、文字を読もう。新聞や本
を読もう。そうでないと、皆、犬になってしまう……!

 昨夜、床についてから、女房と、人間の二面性について話しあう。兵庫で起きた、女子中学
生置き去り事件(その少女は手錠をかけられていて、そのあと車にはねられて死亡)の犯人
が、中学校教師だった。それについて、女房が「恐ろしい二面性ね」と言ったので、私は「そう
いう二面性はだれにでもある」と。一つは表で見せる顔。もう一つは、裏で見せる顔。「裏」とい
っても、犯罪がらみのことを言うのではない。人は皆、表の顔を、別のところでバランスをとりな
がら生きているということ。それに裏があるから悪いのではない。その裏の部分で、人間は奥
深さをつくる。要は内容と程度の問題だ。私はひとりで、ボケーッとしているのが好きだ。平日、
たくさんの人に会うから、週末は、できるだけ人には会わないようにしている。平日の顔が表と
するなら、週末の顔は裏ということになる。どちらも、自分なのだ。しかし表と裏のある生活は、
それ自体、疲れる。できるだけないにこしたことはない。私はこのところ、あまり表の顔をつくら
なくなった。女房などは、まったく表も裏もない。ああいう生活ができる人は、うらやましい。

 もう一つ、話し合った。私が書いた「子どものうしろを歩ける親」(中日「子育てにもリズム
が」、ファミリス「親子が断絶するとき」)について、女房が「忍耐力がないと、なかなかできない
わね」と言ったので、反論。「子どものうしろを歩ける親」というのは、忍耐力だけではない。ほ
かに(愛情)と(自己犠牲心)がある。この三つが、それぞれ別の方向から作用しているので、
その親はどうなのかと、個別に判断する必要がある。(もちろんその三者が、別々に作用する
ということはあるが……。)

 それにもう一つ話し合った。日本では、会合に出たりすると、女性がお茶などを出してくれる。
見慣れた光景だが、アメリカでは違う。パーティに出たが、男も女もない。まったく区別がない
……というより、そういう雰囲気すらない。お茶を出したい人が、それぞれ勝手にお茶(コーヒー
やコーラ)を出してくれる。日本は、まだまだ男尊女卑の国だ! 少し前だが、女房がある会合
(自治会関係の会合)に出たら、ホステスのようなことをさせられたと怒って帰ってきた。何でも
酒が回ってきたら、男たちが勝手にゲームを始めたという。そのゲームというのが、女性を間
にはさんで、爪楊枝で輪ゴムを口うつしに、順に渡していくというゲームだったそうだ。そして負
けたほうのチームの男性は、女性のパンティを頭にかぶったという。こういう男たちが今時、こ
の日本にいるかと思うと、なさけない。そういうことは、どこかのクラブですればよい。

 今日は、市内で、買い物。女房が、結婚式で着るドレスがほしいというので、つきあうことにす
る。私はパソコンショップで、増設用のメモリーを買うつもり。今度買ったパソコンは、64Mしか
ない。ホームページの編集をさせると、もったらもったらとしている。これでは仕事にならない。
しかし特売品のドレスなんて、あるのかなあ……? メモリーは2000円くらいだが……。 

9・9
 人生にはいろいろな道がある。それはわかる。しかしムダに回り道をしている人をみると、そ
れでいいのかあと思ったりする。いや、自分だってそうかもしれない。人生は、本当に短い。一
瞬一秒すらムダにできない。そういう時間を回り道をして過ごす。が、それだけではすまない。
ほんの少し回り道をしただけのつもりでも、大きく道からはずれることはある。そして結局は人
生のゴールから大きくはずれてしまう。その損害は、はかりしれないものだ。まっすぐ、まっす
ぐ、ただひたすらまっすぐ進んでも、ほとんどの人は、その山のふもとにすら、たどりつけない。
せっかくこの世に、一度だけ生まれたのだから、もう少し、有意義に真理を求めようではない
か。わが友よ!

  台風が近づいてきた。朝から風が強い。この前の台風と違って、今度の台風は被害をもた
らしそうだ。風の「生暖かさ」でわかる。大きな強烈な台風がくるときは、風が生暖かくなる。(こ
の前は、さわやかな風だった。)今度は警戒したほうがよさそうだ。

 私は刑事になったら、よかったかもしれない。今朝も、私を刺した蚊が、ブーンと逃げていっ
たが、それを見かけた私は、それを懸命に追いかけた。「許すものか」と。正義感(?)だけは
やたらと強い。強すぎる。いつかこの正義感が、命取りになるかも知れない。

 台風が来る前に、近所のゴミ拾いをしよう。今日の目標。私の家のまわり、半径200メートル
からゴミを消すこと。それにしても、このあたりは、かっこうのゴミ捨て場。拾っても拾っても、ゴ
ミを捨てていく人があとをたたない。中にはソファまで捨てていく人がいる。引越しのときに出る
粗大ゴミをごっそりと捨てていく人もいる。こういう人が、地球の環境破壊をしているのだ。つま
り、日常的な生活が理由で、地球が破壊され、それで人類が滅亡するというのであれば、私も
納得できる。しかしこういうバカなことをする人が原因で、地球の環境が破壊されるとしたら、た
まらない。なさけない。残念だ!

 どこの世界にもバカな人はいる。近くのY書店へ行ったときのこと。玄関先で、その玄関をふ
さぐように大きな4WD車が駐車してあった。その横には、大きな駐車場があるにもかかわら
ず、だ。「どんな人がこういうことができるのか?」と思って興味をもって見ていると、30歳くらい
の女性だった。呼び止めて注意したい衝動にかられたが、やめた。中田島へ行ったら、ゴミが
散乱している。一つや二つゴミを拾ってもしかたない……と感ずるような、失望感を覚えたから
だ。そういう女性を一人や二人、注意しても、どうしようもないではないか。

 世の中、不愉快なことが多いが、こういう不愉快さが、たまりにたまって、社会の秩序を破壊
する。そして結局は、そのツケは、子孫が払うことになるのだ。これからしばらく、日本は未曾
有の経済混乱と不景気を経験するが、その後遺症は、これから長く続く。私はそちらのほう
を、むしろ心配する。人間の人間性が、これからゆっくりと破壊されるのだ!

 よいことをするのは、難しい。しかし一方で、そういう自分を保とうとするのは、もっと難しい。
人間が宗教をもつのは、そういう人間の弱さを補完するため(?)。私もこのところ、ひとりで生
きていくのに、疲れを感ずるようになった。田丸先生の家の隣(前の家)が、中村光男(作家)
の家だった。「第五福竜丸」(ビキニで被爆した船)事件では、先頭にたって、核実験反対を唱
えた左翼系の作家だったが、死ぬ直前に、奥さんの指導で、クリスチャンになった。そんな強
固な思想家でも、最後はクリスチャンになった……。私はそれを知ったとき、「生きることの限
界」を感じた。その限界の片鱗を、今、少しずつ感ずるようになった。この先私は、今のまま、
強がりを言って、ひとりで生きていかれるのだろうか。このところ、少しだが、自信がなくなって
きた。善良な人間が、その善良さに疑問をもつようになったら、世界はおしまい。

9・8
 昨夜遅く山荘に着く(午前1時頃)。今朝は10時頃まで、ぐっすりと眠る。早朝、カラスがうる
さくて、一時的に目がさめたが、気持ちのよい風が、窓から吹いてきた。女房が、「ここはじゃま
が入らないから、ぐっすりと眠られる」と言った。

 朝食は私が料理した。料理したといっても、お弁当を分けて食べただけ。ははは。

 午後からビデオを一本見る。夕方、市内へ帰る。あとはひたすら、好き勝手なことをする。そ
れで今日はおしまい。一日が終わるのは、本当に早い。今は、ええと、午後5時ごろ。

 昨日、「浜松百撰9月号」を手に入れる。私とD氏の教育対談が載っていた。で、私の写真を
見ながら、「ああ、私もいよいよジジ臭くなったなあ」と、変に感慨にひたる。改めて百撰を読む
が、これだけの編集能力のあるタウン誌は、ほかにない。全国あちこちで、タウン誌をみかけ
るが、まさに浜松市の誇りと言ってもよい。市の行政責任者も、へんなところに補助金など配ら
ないで、こういうタウン誌に、補助金を配布したらどうか? あるいはもう配布しているのか? 
元公務員という人で、高額な年金をもらって、ブラブラしている人はいくらでもいる。公務員だか
ら、公僕意識があるかといえば、疑わしい。長年、権限と管轄の世界に生きてきた人たちなの
で、「自分に関係ないこと(管轄外)」のことは何一つしようとしない。たとえばこの20年だけで
も、こうした元公務員の人たちが、近所で、草刈をしているのをただの一度も見たことがない。
ゴミ集めをしている姿すら見たことがない。(ゴミを拾うのは私。草を刈るのは、二軒隣のHさん
だけだ!) こういうことばかりしているから、日本の経済はおかしくなるのだ! 話はそれた
が、浜松百撰は、まさに浜松が誇るべきタウン誌だ。これはまちがいない。

 浜松百撰をほめる理由がもう一つ、ある。全国規模の新聞や雑誌は、いつも浜松を田舎
(下)に見る。そういう視点が随所にある。そして中央から人や記事をもってきては、「どうだ、
田舎者、ありがたく思え」というような姿勢でものを書く。しかし浜松百撰は、違う。全体に、浜
松人の心意気というか、「浜松にもこんなすばらしい人がいる。全国に恥じない人がいる(私も
その一人だぞ!)」という姿勢で編集されている。それがすばらしい。皆さんも、一度、ご覧にな
ってみたら、どうでしょうか? そしてもう、何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、あり
がたがる田舎根性は、捨てましょう! 東京のエセ文化人のエサになるだけですよ。どうしてそ
れがわからないのですか。タレントの世界でも、「東京で有名になって、地方で稼ぐ」が合言葉
になっていることを、あなたは知っていますか?

9・7
 今日は講演で浅羽町まで行ってきた。9時30分からの講演だが、着いたのが9時5分。少し
ハラハラした。会場は、町民会館の体育館だったが、とても気持ちよく話せた。皆さん、真剣に
聞いてくれた。こう書くと叱られそうだが、ときどきこう思う。「私の講演など聞く価値があるの
か」と。そういう迷いがあるから、「今日こそは聴衆の方に役立つ話をしよう」と誓う。しかし終わ
るといつも、後悔ばかり。「あれも話していない」「これも話していない」と。話すことは本当にむ
ずかしい。あらすじを書いても、意味がない。聴衆の反応をみながら、そのつど、アドリブ的に
話題を変えたり、話をそらしたりしなけばならない。しかし一応、無事、終わった。予定では11
0名ということだったが、実際には140名以上が来てくれた。浅羽町の皆さん、ありがとうござ
いました。昼食も、おいしかったです。

 夕方、女房とビデオショップに行って、ビデオを2本借りる。夜、自宅で4人の子ども(小学生
3人、高校生1名)を教える。疲れたが、ここちよい疲れだ。

 新しいコーナーをつくる。「原稿を書きます」コーナーだ。この業界も不況で、書く仕事が少なく
なってきた。まあ、しかたないでしょう。仕事が少ないということは、私の必要性はないということ
だ。もっと言えば、私が書いていることは、重要ではないということだ。本を書こうとという意欲も
ないわけではないが、「どうせ売れないだろう」という思いの中で、しりごみしてしまう。これでは
いけないのだ。

9・6
 欧米では、主婦が包丁(ナイフ)で、ものを切る時も、向こう側へ押しながら切る。驚いた! 
日本では手前に引きながら切る! どうしてこうまで正反対なのか!

 三男が北海道から、タラバガニを送ってくれた。考えてみれば、息子たちから何か、食べ物を
送ってもらったのは、これがはじめてだ。私と女房は、ホイホイと喜んで、食べた。うれしかっ
た。おいしかった。ところで三男は、北海道ばかり行っているが……。もう今年に入って、3度
目ではないのか……? どういうことだと、食べながら、心配になってしまう。

 近くの電気屋で、肩叩きなる、マッサージ器を買う。2500円だった。結構、気持ちがよくて、
女房と二人で取り合って、使う。

 田丸先生が、長崎大学で講演すると言っていたが、無事終わったのだろうか。あとでメール
を出しておこう。

 正直に書こう。東京の人たちは、私が浜松に住んでいるというだけで、バカ(下に)する。こう
いう中央集権的な偏見は、恐らく日本人独特のものではないか。しかし問題は、浜松に住んで
いる人自身が、同じ浜松に住んでいる人をバカにする。子どもでもそうだ。私が「ファミリスに記
事を書いているよ」と話したら、中学生の女の子がこう言った。「どうしてあんたなんかが…
…!」と。子どもたち自身が、すでに中央集権的なものの考え方をしている。情報は何でも中
央からくるものだと思っている。また東京からきた情報ほど、価値があると考える。ああ、悲し
き、田舎根性(失礼!)かな。人間の価値まで、どこに住んでいるかで決めてしまう! 北朝鮮
では、成分(身分の高い)のよい人はピョンヤンへ住むという。それと同じことを、日本人はして
いて、みじんも恥じない。
 日本は平安時代の昔から、官僚組織による中央集権国家。こうしたところにも、その亡霊を
見ることができる。

 浜松人も、もうそろそろ自立したらどうか。東京文化を拒絶するくらいの、勇気と根性をもとう
ではないか。何でもかんでも東京から来たというだけで、ホイホイとありがたがる。駅前に県と
市は、○○大学をつくったが、学長以下、教員のほぼ全員は、関東地域から来ている。(浜松
の地元にもとからいた講師はゼロ)。こういうことばかりしているから、いつまでたっても、浜松
はバカにされる。そういうことが浜松の人は、まったくわかっていない。そうそう、その○○大学
へ先日、電話を入れて、教官の出身地を聞き出そうとしたが、調べるのに、3日も待たされた
上、「詳しくは、こちらへ来て調べてほしい」と拒絶されてしまった。彼ら自身が何かのうしろめ
たさを感じているからだ。

 市街地の活性化について。市長は何とかの一つ覚えのように、「市街地の活性化」を口にす
るが、そもそも市街地は活性化していなければならないのか? 女性の厚化粧のようなことを
する必要があるのか。素顔で生きるということが、どうして悪いのか? そのため莫大な税金を
中心部に注いでいる。それでうるおうのは、市街地に土地をもっている人だけだ。きのうも、街
中を歩いてみたが、大理石様のタイルが、歩道にびっしりと植え込んであった。こんなドぜいた
くをする必要があるのか? お金の使い道に困った役人たちが、好き勝手なことをしている。
日本の経済が、左前になって当然だ!

 私は浜松の駅前には、森があっていいと思う。高層ビルが並ぶような街(つまりは東京文化
のものまね)が、本当に、あるべき市街地の姿なのか? こういう発想そのものが、封建時代
の城下町的なのだ。ウソだと思うなら、ニューヨークでも、ロンドンでも、パリでも、あるいはタイ
のバンコクでも、行ってみることだ。オーストラリアのシドニーや、メルボルンもそうだ。どこでも
駅前は静かなものだ。またそういうところには、必要以上のお金をかけていない。人間が混雑
しそうだったら、それを分散させるように考えるのが、政治ではないのか。市街地に住む人は
こんなことをしらないかもしれないが、引佐町の田舎に住む人はこう言っている。「街中の食堂
街の悪臭をかぐと、それだけで吐き気がする」「街中のホテルに泊まったが、騒音で一睡もでき
なかった」と。街に住んでいる人は、そういう感覚すらマヒしている。マヒしたまま、自分たちが
先頭を走っていると誤解している。発想を変えるには、人生観を変える必要がある。

 私たちが求める、理想郷はどこにあるのか。もう一度、考え直してみようではないか。

9・5
 昨日、小学2年生たちの勉強ぶりを見ていたら、驚いたことに、消しゴムのけしクズを、前方
へ払っている子どもが一人いた(15名中)。(日本人は、手前に払って下へ落とす。)まさに欧
米式である。

 日本人は刀でものこぎりでも、手前に引きながら切る。欧米では、前方に押しながら切る。こ
うした習慣は、あらゆる場面に影響を与えている。たとえば日本人は庭をつくるとき、まず周囲
を塀で囲み、自分の家の中に、その美を引き込もうとする。一方、欧米では、道路側から見た
美を大切にする。つまり美を外へ押し出そうとする、などなど。長く続いた、封建時代の圧制
が、日本人をこうまで自閉的にしたと考えられなくもない。

 日本人も、何らかの形で、欧米の影響を受けつつあるのかもしれない。あと100年もすると、
日本の子どもたちは、皆、けしクズを、前方へ落とすようになるのかもしれない。それがよいこ
となのか、悪いことなのか、私にはわからないが……。つまり時代の流れを決めるのは、私で
はないし、またその流れについては、どんな人も無力でしかない。受け入れるしかないのだ。も
っといえば、逆らってもムダ。(もちろん意見を述べて、抵抗するのは、その人の自由だが…
…。)

 講演会をしても、私の講演会へ来てくださる人は、95%以上は、女性。恐らく私のこのHPを
読んでくださる方も、大半が女性? そのせいか知らないが、ふつうは、土日にアクセス件数
がふえるというが、私のHPの場合、土日のほうがかえって少ない。特に夏休みの期間中は、
母親たちも忙しいのだろう、アクセスは低調。しかし9月に入り、新学期になったら、またぐんと
ふえた……! 皆さん、私のHPを読んでくださり、ありがとうございます。これからも、皆さんの
子育てに役立つ記事をどんどん書いていきます。よろしくお願いします。

 9〜10月も、あちこちで講演をします。お近くの方は、どうかおいでください。詳しくは、この
HPのニュースのところに書いておきました。

9・4
 中日新聞社へ、最後の原稿(6作)を届け行く。途中、Yというパソコンショップに寄る。今日は
平日でガラガラだった。特にほしいものはなかったが、私にとっては、遊園地のようなものだ。
あまりガラガラの店内だと、店員さんの目が気になって、自由に見ることができない。早々に切
りあげ、新聞社へ。

 帰りに回転寿司に寄る。私はあまりおなかがすいていなかったので、4皿。女房も4皿。あの
回寿司というのは、結構、おいしい。

 夜、思わぬ大雨が降る。女房に迎えにきてもらう。睡眠不足からか、頭痛がしたので、手持
ちの風邪薬をのむ。夜、楽になる。雨の前は、いつも軽い頭痛がする。

 いくつか原稿を書き始める。あちこちの雑誌社や新聞社へ売り込むための見本原稿を書き
始める。今、もの書きをめざしているあなたへ……。

 (1)まず見本原稿を書く。
 (2)その原稿を送る。
 (3)返送されてきても、めげないこと。ここでめげたら、書くチャンスなどない。
 (4)あとは、毎日書きつづけること。

9・3
 9月になったばかりと思っていたら、もう9月3日! 本当に日がたつのは早い。何をするでも
なし、しないでもなしという状態で、あっという間に過ぎていく。時の流れは、つかもうとしてつか
めるものではない。つかんだと思っても、指の間からもれていく。さて、9月3日……。

 今日は朝から曇天。しかし涼しくて過ごしやすい。今日の予定は、いくつかある。旅行社へ旅
行代金を納めに行く。二男へのみやげをそろえる。(そういえば、二男から、このところ何の連
絡もないが……。)

 今日も少しだが、株がさがっている。アメリカ経済もメチャメチャだ。いよいよ恐慌へ突入
か? これから世界はたいへんなことになるぞ。しかし何を、どう防衛すればいいのだ。私が何
か言ったところで、政府も官僚も、何ともないのだ。今日も、犬の遠吠えをするか!

 ワオー、ワオー、ワオー!

9/2
 私は今のところ健康で、大きな病気はしたことはないが、しかし食べ物にはデリケートだ。た
とえば……。

 酒……アルコールは一滴も飲めない。ビールを、コップに三分の一も飲んだら、激しい二日
酔いになる。奈良漬を数切れ食べても、二日酔いになる。デリケートなのだ。
 コーヒー……コーヒーは、胃が受けつけない。飲むと、すぐゲーゲーとあげてしまう。
 辛い食品……唐辛子が入ったような食品は、そのあと数時間もすると、頭痛が始まる。
 ワサビ……寿司にはたっぷりとワサビをつけるが、しかしあまりたくさん食べると、イライラ、
カッカしてしまい、精神が不安定になる。
 まあ、最近、気をつけている食べ物はこんなところ。そうそう肉も、最近はダメ。肉を食べる
と、そのあと、頭が働かなくなる。頭が重くなるというか、思考が鈍くなる。

 考えてみれば、どこかの聖職者の食事に近づいてきたぞ。(別に意識したわけではないが…
…。)しかし食事というのは大切なものだ。健康と精神に大きく関係する。

 ああ、新しいパソコンを安く買った。そのことは前にも書いた。私の場合、高級なパソコンはも
う必要ない。使う目的が、ワープロ(80%)、インターネット(15%)、あとは囲碁や将棋など、
ゲームを少しだけ。だからまあ、1〜2年前のパソコンでも、じゅうぶん役にたつ。それはそれ
だが、このパソコンをバンバンと叩いて、頭の中のモヤモヤを、吐き出したい。指もムズムズす
る。書きたいことは山ほどあるのに、目標が定まらない。通俗的なタイトルで売れる本をめざす
という方法もあるが、私にはどうしてもそれができない。教育というのは、どこまでもアカデミック
なのだ。どこかの程度の低い教育者(あれはもう教育者ではない!)が、「数時間で不登校を
なおす」とか何とか騒いで、世間の注目を集めている。彼女の書いた本を、一冊もらって読ん
だが、とても読むに耐えない本だった。「不登校のフ」の字もわかっていない人だと思った。あ
あいう本が売れるのか? つまりそれだけ日本の教育水準は低いということ。

 このところ私のHPは、日記を更新しておしまい。そろそろまた全面的に更新することにする
か……と思っている。アクセス件数も、ひところは50〜70件(毎日)あったが、このところ、低
調だ。まあ、あまりおもしろくないHPだし……。女房は、「少しまじめすぎるのでは……」と言う。
ならば、11PM風に更新してみるか!

 たとえば ルンルン子育て、1,2,3
       ぱっと開ける、子どもの未来
       これでわかる、できる、勉強の、コツとか。
    
 そうすれば、読者がふえるかもしれない。しかし、だ。ここで大きな問題にぶつかる。私の場
合、読者がふえたところで、何のメリットも、利益もないのだ。そこでまた新たな問題。ではな
ぜ、私はこういうHPを出しているのか? 毎月HPのエリア代金だけでも、2000円程度かか
る。電話の接続だけでも、毎日1〜2回と計算しても、一回で5分程度、月に600円。金額はし
れているが、それにかける時間数は、結構無視できない。趣味といえば趣味ということになる
のか。まあ、私の場合、「生きている証拠」と考えるようにしている。死ねば、このHPも消える。
名前も消える。こうしてHPを書いて、皆さんに読んでいただけるということは、生きている証拠と
いうことになる。 

 こんなところまで読んでくださった方へ、ありがとうございます。あまりお役にたてず、すみま
せん。何となくグチっぽくなってしまって。

9・1
  ファミリス9月号が、送られてきた。「親子の断絶が始まるとき」を書かせてもらった。少しシ
ョッキングな内容かもしれないが、日本の子育ての盲点をついていると、まあ、自分では自負し
ている。ぜひ、ファミリスを読んでほしい。ファミリスという雑誌自体も、この1年間で、内容がす
ばらしく充実してきている。こうした「育児雑誌」は、編集が本当に難しい。特に最近は、親たち
の関心ごとが細分化、専門化してきていて、ジネラル(総合的)な雑誌というのが、売れなくなっ
てきている。ファミリスが、ともすれば袋小路に入りがちな親たちにとって、大きな指針になれ
ばいいし、またそういうふうにこの雑誌をとらえるとよいのではないか。子育ては、まさにいかに
ジネラルであるかによって、その真価が試される。こわいのは、子育てが核家族化し、孤立化
し、その狭い世界でカプセル化することなのだ。カプセル化というのは、ゆがんだ価値観が、先
鋭化することをいう。私の連載記事が載るようになったこともある。どうか、皆さん、ファミリスを
ご購読ください。よろしくお願いします。毎月300円です。

 そうそうもう一つ。「日本人は弱者の立場で考えることができない」という点について、もう一つ
わかりやすい例を思い出した。
 昔、「おしん」という番組がああった。ひとりの少女のサクセス・ストーリーだが、結局、おしん
は、日本を代表するようなチェーンストアを、最後には完成させる。数年前倒産した、ヤオハン
の歴史が、モデルだったということだが、あれなどは、まさに「目が上ばかり向いている日本人
の典型例」だ。あのヤオハンが大きくなる過程で、どれほど多くの弱小の商店がつぶれたこと
か。またおしんも、最終的には巨額の富を手にするが、人間は自分が生きられるにじゅうぶん
だけのお金と財産があれば、それでいいのではないのか。いくらお金もちになったところで、同
時に100台の車に乗ることはできない。100人分の食事をとることはできない。つまり「おし
ん」には、そういう基本的な哲学がどこにもない。「お金さえ儲かればよい」「お金をたくさん稼い
だ人が勝ち」「稼げるものはいくらでも稼げ」という論理が、一貫している。問題は、「おしん」で
はなく、そういう「おしん」のドラマを声援し、おしんの成功を願った一般市庶民だ。つまりそうい
う成功物語を日本人は見ながら、その陰で苦しんだ、もっと言えば、餓鬼のようにお金をかせ
ぎまくるおしんの犠牲となって、商店をたたんだ人たちのことは考えない。「下を見ない」という
ことは、そういうことなのだ。

 低俗なサクセス・ストーリーに、みなさん、惑わされてはだめですよ!

 今朝はとても気持ちのよい朝だった。「6時ごろかな……」と思って起きてみたら、もう8時だ
った。気持ちのよい朝は、よく眠られる。

 アメリカへ行く日が近づいてきたので、そろそろ準備をしなければならない。私の場合、準備
といっても、心と体調を整えるということ。何しろ長時間の旅だし、時差がある。この時差のお
かげで、睡眠時間がメチャメチャになってしまう。これがこわい。帰国後、へたをすれば、1〜2
週間は、何がなんだかわからないまま、日が過ぎてしまう。

 今日の中日新聞のコラムは、「平和教育について語るとき」を載せてもらった。本当は、「子
育てリズム論」の予定だった。このところ少し、かたい話が続いている。まあ、どちらにせよ、あ
と少しで連載も終わる。潮には満ち引きがある。今はその潮時。連載が終わったら、あちこち
の新聞社に声をかけてみるつもり。原稿はまだ500作くらい残っている。昨日から、新しい本
を書き始める。わかりやすい本をめざしている。

 二男に雑誌を3冊買って送る。そうそう数週間前、私があれこれ落ち込んでいたとき、毎日の
ように(……というより、数時間おきに)、オーストラリアのボブが私を励ましてくれた。電話もか
けてくれた。それから数週間たった今、そのボブのやさしさが、ジンジンと心の響く。今朝も、朝
起きたときそれを思い出し、「ああ、ぼくはひとりぼっちではないぞ」とうれしかった。今になっ
て、ボブのやさしさが、わかる。友情というのは、そういうものだ。

 今朝はこれから、山荘へ行くつもり。少し曇っていて、どこか肌寒いが、気持ちいい。きっと緑
のにおいはすばらしいぞ。はははは。うれしいね。写真をとってきて、このHPに載せます。

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